源氏物語を読む 現代文比較 ⑥

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源氏物語は様々な文人や学者によりまた市井の愛好家によって、現代文にされている。
源氏は夕霧を花散る里に預けて、親代わりの世話をしてくれるように頼む。花散る里は容貌はよくないのであるが、優しい気持ちで、自分の運命を甘受している。
乙女の巻から。

原文
殿は、この西の対にぞ、聞こえ預けたてまつりたまひける。
「大宮の御世の残り少なげなるを、おはせずなりなむのちも、かく幼きほどより見ならして、後見おぼせ」
と聞こえたまへば、ただのたまふままの御心にて、なつかしうあはれに思ひ扱ひたてまつりたまふ。
ほのかになど見たてまつるにも
「容貌のまほならずもおはしけるかな。かかる人をも、人は思ひ捨てたまはざりけり」など、「わが、あながちに、つらき人の御容貌を心にかけて恋しと思ふもあぢきなしや。心ばへのかやうにやはらかならむ人をこそあひ思はめ」
と思ふ。また、
「向ひて見るかひなからむもいとほしげなり。かくて年経たまひにけれど、殿の、さやうなる御容貌、御心と見たまうて、浜木綿ばかりの隔てさし隠しつつ、何くれともてなし紛らはしたまふめるも、むべなりけり」
と思ふ心のうちぞ、恥づかしかりける。
大宮の容貌ことにおはしませど、まだいときよらにおはし、ここにもかしこにも、人は容貌よきものとのみ目馴れたまへるを、もとよりすぐれざりける御容貌の、ややさだ過ぎたる心地して、痩せ痩せに御髪少ななるなどが、かくそしらはしきなりけり。
乙女の巻


与謝野晶子 1912年/1938年
源氏は同じ東の院の花散里はなちるさと夫人に、母としての若君の世話を頼んだ。
「大宮はお年がお年だから、いつどうおなりになるかしれない。おかくれになったあとのことを思うと、こうして少年時代からならしておいて、あなたの厄介やっかいになるのが最もよいと思う」
と源氏は言うのであった。すなおな性質のこの人は、源氏の言葉に絶対の服従をする習慣から、若君を愛して優しく世話をした。
若君は養母の夫人の顔をほのかに見ることもあった。
 よくないお顔である。こんな人を父は妻としていることができるのである、自分が恨めしい人の顔に執着を絶つことのできないのも、自分の心ができ上がっていないからであろう、こうした優しい性質の婦人と夫婦になりえたら幸福であろうと、こんなことを若君は思ったが、
しかし
あまりに美しくない顔の妻は向かい合った時に気の毒になってしまうであろう、こんなに長い関係になっていながら、容貌ようぼうの醜なる点、性質の美な点を認めた父君は、夫婦生活などはおろそかにして、妻としての待遇にできるかぎりの好意を尽くしていられるらしい。それが合理的なようであるとも若君は思った。

谷崎潤一郎 1939年/1965年
殿は若君を、この東の院の西の対にお預けなされたのでした。「大宮はもう先が見えていらっしゃいますから、お亡くなりになった後もこの子の世話をしていただきたく、今のうちからお側にお置きになって、後見うしろみをなすって下さい」と仰せになりましたので、何事もただお言葉の通りになさる御性質のお方ですから、やさしく心をこめてお扱になります。男君はそのおん方のお顔を、ちらと御覧になる折などがありますにつけても、そう目鼻立ちが整っていらっしゃるようでもないが、こういうお人をも、父上はお見捨てにならないのだ、などと思って、自分が一途いちずつれない姫君の御器量を恋し慕うのは馬鹿らしいことだ、このおん方のように気だての柔和な人とこそ恋し合うべきだ、と思ったりします。そうかといって、めんと向かって見る甲斐がないようなのも興ざめがする、父上にしても随分長くお世話なすっていらっしゃりながら、ただそのようなお心ばえ、お姿の人とてお取りになって、浜ゆうほどの隔てをおきつつ、何とかかとかごまかして扱っていらっしゃるのももっともだ、などとも思って、子供がそんなことを考えるのは我が心ながら恥ずかしい気がするのでした。大宮は尼の姿をしていらっしてもいまだに美しくていらっしゃいますし、ここでもかしこでも、お綺麗な方々ばかりを見馴れて、人はみめかたちのうるわしいものとばかり思っていらっしゃいますのに、このおん方はもとより御器量がすぐれておいでになりませんのが、いくらか歳を召された感じで、せておぐしなども少ないことなどから、自然そのようにけなしてみたくなるのでした。//

玉上琢弥 1965年
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瀬戸内寂聴 1997年
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渋谷榮一 1996年
大殿は、東院の西の対の御方に、お預け申し上げていらっしゃったのであった。
「大宮のご寿命も大したことがないので、お亡くなりになった後も、このように子供の時から親しんで、お世話してください」
と申し上げなさると、ただおっしゃっるとおりになさるご性質なので、親しくかわいがって上げなさる。
ちらっとなどお顔を拝見しても、
「器量はさほどすぐれていないな。このような方をも、父はお捨てにならなかったのだ」などと、「自分は、無性に、つらい人のご器量を心にかけて恋しいと思うのもつまらないことだ。気立てがこのように柔和な方をこそ愛し合いたいものだ」
と思う。また一方で、
「向かい合っていて見ていられないようなのも気の毒な感じだ。こうして長年連れ添っていらっしゃったが、父上が、そのようなご器量を、承知なさったうえで、浜木綿ほどの隔てを置き置きして、何やかやとなさって見ないようにしていらっしゃるらしいのも、もっともなことだ」
と考える心の中は、大したほどである。
大宮の器量は格別でいらっしゃるが、まだたいそう美しくいらっしゃり、こちらでもあちらでも、女性は器量のよいものとばかり目馴れていらっしゃるが、もともとさほどでなかったご器量が、少し盛りが過ぎた感じがして、痩せてみ髪が少なくなっているのなどが、このように難をつけたくなるのであった。
そんなことまでもこの少年は観察しえたのである。
大宮は尼姿になっておいでになるがまだお美しかったし、そのほかどこでこの人の見るのも相当な容貌が集められている女房たちであったから、女の顔は皆きれいなものであると思っていたのが、若い時から美しい人でなかった花散里が、女の盛りも過ぎて衰えた顔は、痩やせた貧弱なものになり、髪も少なくなっていたりするのを見て、こんなふうに思うのである。

大塚ひかり 2008年
源氏の殿は二条東院の西の対においでの花散里の御方に、この君をお預けしているのでした。殿が、
「大宮も先が短そうなので、亡くなられたあとも、こうした幼いうちからいつも親しんでお世話してください」と申されると、この御方はただ君のおっしゃる通りになさるご性格なので、優しく心をこめてお世話申されます。
冠者の君は御方をちらちらお見かけするにつけても、
「ずいぶん不細工な方だっただな。こんな人でも父はお見捨てにならなかったのだ」と、「自分がひたすら、つれない人の見た目に執着して、恋しく思っているのもつまらないな。性格がこんなふうに柔らかな人とこそ愛し合えたらいいな」と思います。
また一方では、
「向かい合っても見ごたえのないような人では、見ていて辛いだろう。お二人はこうして長年、連れ添っていらっしゃるが、こういうお顔だち、ご性格であると、父はご承知の上で、“浜木綿ばかりの隔て”を置いて顔を見ないようにしては、何かと工夫しているようだ。それもうなずける。」と、思う心の内は、大人顔負けなのでした。
大宮は尼になっても、まだとてもお綺麗だし、どこでもかしこでも、人というものは顔だちの良いものとばかり見馴れていたのですが、この御方はもともと今一つのご容姿が、やや盛りを過ぎた感じで、痩せ衰えて御髪も少なくなっているので、こうケチをつけたくなるのでした。

上野榮子 2008年
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角田光代 2017-2020年
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KT 2023年
源氏の君は、この西の対の花散里に、夕霧の後見を託した。
「大宮は余生も長くはないだろうから、亡くなった後も、こうして幼い頃から世話して、面倒をみてください」
と仰せになったので、ただ言われた通りに、優しく心をこめて面倒を見るのであった。
夕霧がちらりと瞥見するにつけても、
「容貌は美しいとは言えない方だ。このような人も、父は捨てたりはしないのだ」など思い、「わたしが無性に、つれない人の器量を心にかけて恋しいと思うのも、つまらないことだ。心ばえがこのように優しい人をこそ慕い思うべき」
と思うのだった。また、
「向き合って見る甲斐がないのも、困ったものだが。こうして長年、殿が、そのような容貌や心ばえを承知の上で、浜木綿の歌のように会わずに、何くれとなく世話をして気をつかうのも、もっともだ」
と思う心のうちが、恥ずかしかった。
大宮の容貌は尼姿であるけれど、まだたいへん清らかであるし、ここかしこで美形の女房たちを見慣れているので、花散里は元々美しくはない顔立ちに加えて、盛りを少し過ぎて、痩せがちで髪も少なっているなど、悪口も言いたくなるのであった。

Arthur Waley 1925-1933年
Genji now put him under the care of the Lady from the Village of Falling Flowers. 'His grandmother is not likely to live very long,' Genji said to her. 'You have known him since he was quite small and will be much the best person to look after him' She always accepted with docility whatever duties he put upon her, and now did her best to look after the boy, of whom she was indeed very fond. Yugiri liked her, but he did not think she was at all pretty. It seemed to him that Genji, who had gone on being fond of this uninteresting lady for so many years, would surely be able to understand that if one fall in love with a handsome creature like Kumoi one was not likely to give her up all in minute. No doubt the Lady from the Villige of Falling Flowers had quite other qualities to recommend her. She was docile and equable, and Yugiri saw that it would be very convenient only to fall in love with people of that sort.However, if they were as plain as the lady who had been commissioned to look after him, love would be a plainful business. But perhaps his father thought her beatiful or intelligent? The question was hard to answer, but one thing was certain:Genji managed, not to spend nuch time alone with her. 'No,' said Yugiri to himself. 'I cannot remember his doing more than bring her some little present or chat with her for a few momontes from her screen ever since I have been in the house.'
The Maiden

Edward G.Seidensticker 1976年
Genji asked the lady of the orange blossoms to look after the boy. "His grandmother does not have a great many years ahead of her. The two of you have known each other so long - might I ask you to take over?"
It was her way to do everything Genji asked of her. Gently but with complete dedication she put herself into the work of keeping house for Yugiri.
He would sometimes catch a glimpse of her. She was not at all beautiful, and yet his father had been faithful to her. Was it merely silly, his own inability to forget the beauty of a girl who was being unkind to him? He should look for someone of a similarly compliant nature. Not, however, someone who was positively repulsive. Though Genji had kept of the orange bloosoms with him all these years, he seemed quite aware of her defects. When he visited her he was as fully ensheathed as an amaryllis bud, and that he was spared the need to look upon her.Yugiri understood. He had an eye for these things that would have put the adult eye to shame. His grandmother was still very beautiful woman, he naturally took adverse notice of a lady who, not, not remarkably well favored from the start, was past her prime, a bit peaked and thin of hair.
The Maiden

公開日2023年4月11日