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| 出定後語 巻之下 | |
目録 |
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出定後語 巻之下日東 富永仲基造幷自訳 |
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| 訓読文 | 現代文 |
戒 第十四 |
戒 第十四 |
大論に云く、「十善はこれ尸羅、仏出世せざれども、世に常にこれあり。故に旧戒と名づく」と。それ善のまさになすべく、悪のまさになすべからざる、善をすれば則ち順、悪をすれば則ち逆、これ天地自然の理、もとより儒仏の教へに待たず。故に戒の体は、もと悪の事に逆なるに出づ。悪なければ則ち戒なし。故に、大論に云く、「もし仏にして好世に出でなば、則ちこの戒律なし。釈迦文のごとき、悪世にありといへども、十二年中、またこの戒なし。僧祇律は則ち云く、「五年以後、広く戒律を制す」四分律は大論に同じ。また異部の言しかり。その戒の体はもと事に戒む。ただし身口を戒む。これその本なり。しかして大乗家は、合はせて三業を防いで、これを心に属す。また加上の説なり。戒の体を、曇無徳の成実論は云く、「無作」と。雑心・毘曇は云く「心」と。大乗家は云く、「性の色心」と。また異部の言、しかり。大論に云く、「菩薩は方便力をもって、現に五道に入り、五欲を受け、衆生を引導す」と。また云く、「菩薩に二種あり。もしくは出家、もしくは在家」と。それ菩薩は方広をもって道となし、済度を業となす。その心は恢恢、その行は嶷嶷たり。また何ぞ、独り戒律に瑟宿せん。故に菩薩において戒律あり、修行の次第ある者は、みな、もとの真にはあらざるなり。瑜伽地持、四重・四十五軽あり。方等経に四重・二十八軽あり。梵網経十重・四十八軽、およそ戒律の厳は、実に梵網に至りて極まる。これみな小乗に影似して、その上を出づる者なり。 |
大智度論に云う、「十善は戒(尸羅)である。仏が世に出現する以前からあったものである。故に旧戒と言う」と。いったい、善はまさになすべきものであり、悪はなすべからざるものであり、善をすればすなわち道理にかない、悪をすればすなわち道理にもとる、これは天地自然の理であり、もとより儒仏の教へにまつまでもない。故に戒の本体は、もとは悪が道理にもとるから起こったものである。悪がなければ、戒もない。故に、大智度論に云く、「もし仏にして好い世の時代に出現すれば、戒律はいらなかった。釈尊のように悪世に生まれても、十二年間は、戒はなかった」と。摩訶僧祇律は云う、「五年たって、広く戒律を定めた」四分律は大智度論と 同じことを云っている。これもまた異部の言である。その戒の本体はもともと具体的な事について戒めたものである。そして身口の行いを戒めるの主で、これがもとである。ところが大乗の論者は、(心のはたらきを含めて)合はせて三業を戒めるのが主で、すべてを心に属させる。これもまた加上の説である。戒の本体を、曇無徳部の成実論では、「無作」であると云う。雑心論・阿毘曇心論経は「心」と云い。大乗の論者は云う、「性の色心」と。これもまた異部の主張である。大智度論に云う、「菩薩は方便力をもって、五道に生身を現し、五欲を受けて、衆生を教え導く」と。また云う、「菩薩に二種あり。出家か、あるいは在家か」と。それ菩薩は方広をもって道となし、衆生をすくい悟りに導くのを業とする。その心は広くおおらかで、その行いは高潔で、どうして、戒律なんぞに収縮してしまうのか。故に菩薩において戒律があり修行の次第があるのは、みな、もとの趣旨と違っているのである。瑜伽論・地持論に、四重・四十五軽あり。方等経に四重・二十八軽がある。梵網経に十重・四十八軽があり、およそ戒律の厳重なことは、実に梵網経に極まる。これみな小乗に真似をして、その上に出ようとするものである。20260811 |
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それ、仏の戒律あるは、なほ儒の礼あるごとし。礼は、道の時によりて制する者。身・口・意みな礼あり。これを棄てて儒なし。戒を棄つるも、また仏なし。故に遺教経に云く、「わが滅後において、まさに尊重珍敬波羅提木叉を尊重珍敬すべし。これ則ち、これなんじらが大師。われ、われ世に住するがごとく、これに異ならず」と。これ仏の法に貴ぶ所の者、ただ律をしかりとなす。しかるに般若家以下至頓家に至る。あるいはこれを忽せにす。みなその真にあらず。故に涅槃兼家は、独り戒律を尚ぶ。誠に迦文の意なり。 |
そそもそも、仏の戒律があるのは、なほ儒教に礼があるようなものだ。礼は、道が時に応じて制するもので、身・口・意みな礼があり、これを他にして儒教はない。戒律を棄てて、また仏教もない。故に遺教経に云う、「わが滅後において、まさに戒律を尊重珍敬すべし。これがなんじらの師であり。わたしが世に住するときと同じように、尊重すべきものである」と。すなわち釈迦は律をもって貴んだのである。しかしながら般若系のものたちから頓系のものにいたるまで、これを忽せにしている。みなその本意ではない。涅槃系の学派だけは、戒律を貴んでいる。これが実に釈迦の本意である。20260811 |
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慧遠師まさに終らんとするや。耆徳、鼓酒をもって病を治せんと請ふ。師の曰く、「律に正文なし」と。請飲米汁を飲まんと請ふ。師の曰く、「日は中を過ぐ」と。また請密和水を飲まんと請ふ。乃ち<律を披ひてこれを尋ねしむ。巻いまだ未ばならずして終はる。これ、死生をもってその塞を変ぜず。よく律を守る者と謂ふべし。しかるにその日すでに中を過ぐるもをって、米汁すら、かつ飲むことあたはざるは、ああ、また陋なり。五分律に云く、「これわが語といへども余方において清浄ならずんば、行はずして過ちなし。。わが語にあらずといへども、余方において清浄なる者は、行はざるを得ず」と。これ、その真なり。達者は、時と処とによりて、しかしてその律を制す。また、何ぞ独り古に局せんや。遠師といえども。また、あにこれを知らざらんや。故にその葬儀を制する、受業の和上は、父母に同じく、みな三年の服あり。依止師のごときは、喪に随いて暫く服をなす。これ、涅槃、法律並びにその制なきをもっての故に、始めてこの儀を制するなり。かれ、すでに法律の外において、別に法律を捨取することあたはざる者は、また法律の中において、独り法律を捨取することあたわざる者は、まことに怪むべきの甚だしきなり。また、何ぞその特操なき。 また案ずるに、五戒中、竊盗・邪淫・妄語、これすでに悪に属す。ただし、殺生・飲酒は、これ無記。殺生して罪なく、飲酒して乱る。これ乃ち悪に属す。五戒は、もとその悪を戒めて、絶えて殺生飲酒あることなしと謂わば、不可なり。功徳鎧が宋の文帝に答ふる殺生の義は、これを得たり。楞伽もまた云く、「種種放逸の酒」と。放逸の酒は乃ち不可なり。また案ずるに、増一に八関斉法あり。大論には分ちて九となせり。しかして諸部に前後異同あり。また異部の言、しかり。 |
慧遠法師が息を引き取らんとしたときさに終らんとするとき、高弟が飲酒をすすめて病を治さんと請うた。師が曰う、「律に条文がない」と。米汁を飲むことをすすめた。師が曰う、「日は正午を過ぎている」と。また密和水を飲むことを請う。そのとき律典を披いて調べさせた。そうしているうちに息を引き取った。これは生死をもってもってその節を曲げなかったもので、よく律を守ったと謂うべきだろう。しかしながら正午を過ぎたことで、米汁すら、飲まなかったのは、ああ、またなんと頑ななことだろう。五分律に云う、「これは、わたしの言葉であるが他の地方で清浄でないとことは、行はずしてよい。。わたしが言わなかったことで、他の地方で清浄とされることは、行はないわけにはゆかない」と。これが真実である。その道に通達した者は、時と処によって律を定める。どうして昔に限ったことがあろうか。慧遠法師といえども、これを知らなかったはずがない。故にその喪に服する定めをして、儒教にならって父母の裳は三年としたのである後継者も、みな三年の服に服した。これは、涅槃経に法律並びにその定めがないので、初めて喪の規定をつくったのである。かれは、すでに法律の外において、別に法律を定めないでおられなかったのだが、また法律の中において、自分だけでは法律を取捨できなかったとは、まことに奇妙なことである。また、その節操のなさは何ということであろう。 また思うに、五戒中、竊盗・邪淫・妄語、これらはすでに悪に属す。ただし、殺生・飲酒は、これ無記であって、善・悪いずれでもないものとされる。。殺生しても罪にならないものがあり、飲酒して乱れれば悪である。//五戒は、もともと悪を戒しめることである。絶対に殺生飲酒しないことは、不可能である。功徳鎧が宋の文帝に答えた殺生の意味は、妥当である。楞伽阿跋多羅宝経にもまた云う、「種種の羽目をはずした酒」と。羽目をはずした酒は、不可である。また思うに、増一阿含経にに八関斉法がある。大智度論には、これを分けて九つとし、それぞれの宗派で前後の異同がある。また異部の言である。20260811 |
室娶 第十五 |
室娶 第十五 |
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天竺の四姓。刹利は王種にして、民を治め政をなす者。 婆羅門は法種にして、教えをなし民を導く者。毘舎は商賈、首陀は農甿にして、上の二種のために、治めかつ教へられる者なり。刹利はなほ儒に天子・王公・大夫・士と云ふがごとし。婆羅門は、儒に,ruby>司徒郷の儒師と云ふがごとし。これを治むる者は王公、これを教ふる者は司徒、なほこの方、仏法王法並べ称して、天台仏法を統ぶる者のごとし。婆羅門法に、七歳以上は、家にありて学問し、十五以上は婆羅門法を受け、游方学問し、年四十に至りて、 家嗣の断絶せんを恐れ、帰りて妻を娶り年五十に至りて、山に入りて道を修(麟記)婆羅門は、世世あひ承け、道学をもって業となす。あるひは在家、あるひは出家、多く己の道術を恃んで、我慢の人なり。(肇師)仏もまた教へなし民を導く者、乃ち一種の婆羅門、出家にして妻なき者たるのみ。これ竺土の儒師の習ひ、しかり。独り人を教ふる者にして、室娶なし。闔国の人をしてみな妻なく嗣なからしむるにはあらず。律に云く、「父母聴ざれば、不許出家を許さず」と。これ、見つべきのみ。故に、迦文、はじめ室娶ある者もまたこれのみ。何にかいわんや。迦文、もと刹利王種なるをや。しかるに仏子は多く迦文の妻息あるを忌むなり。あるいは云く、瞿夷は乃ち耶輸なり。あるいは云く、善星堂弟の子、しかるに三夫人の目は、すでに明文ありて、五夢・仏本行・十二游の三経に出ず。善星比丘は、仏の菩薩の時の子と、涅槃経に出づ。これ、見つべきのみ。 |
インドの四姓は、刹帝利(クシャトリア、王族、武人)が王で民を治め政をする。婆羅門は司祭階級で、教えをなし民を導く者、毘舎は商人、首陀は農民で、上の二種に、治められかつ教へられる者である。//刹利は、儒教で天子・王公・大夫・士と云うようなものである。婆羅門は、儒教では,司徒郷の儒師と云うようなもの。これを治める者は王公、これを教ふる者は司徒、ちょうどわが国が、仏法と王法を並べ称して、天台仏法を統ぶる者のようだ。婆羅門は、七歳以上は、家にあって学問し、十五以上は婆羅門の教えを受け、諸方に赴いて問し、年四十に至りて、跡継ぎが絶えるのを恐れ帰郷して妻を娶り、年五十に至って、山に入って道を修める(麟記)婆羅門は、世々あひ継いで、道学をもって業となす。あるひは在家、あるひは出家、多く己の道術を恃んで、我慢の人なり。(肇師)//仏もまた教へなし民を導く者であり、一種の婆羅門にして、出家にして妻を持たなかっただけである。これはインドの道を説く者の習いである。ただ人を教え導く者のみが、妻を持たなかった。国中の人が妻なく跡継ぎを設けなかったのではない。律に云う、「父母が許さなければ出家は許可されない」と。これを当たって見るがよかろう。だから釈迦は、はじめ妻をめとり家庭をもったのである。まして釈迦は、もと王族の出である。ところが仏弟子は多く釈迦が妻息あったことを恐れはばかっている。あるものは云う、瞿夷が耶輸陀羅(釈迦の正妻)であるとか、あるいは云く、善星は堂弟(釈迦の異母弟)の子であるとか、しかるに三夫人の名はすでに明文にあり、五夢経・仏本行・十二游経の三経に出ている。善星比丘は、仏の菩薩の時の子と、涅槃経に出ている。これは当たって見るがよい。20260812 |
また大善権経に云く、「何の故に、菩薩にして室娶あるや。菩薩は無欲、ゆえに妻息を示現して、人の、菩薩は男にあらず、黄門のみと、懐疑するを防ぐ。故に瞿夷釈氏の女を納れて羅云を生むも、天において変没化生し、父母の合会によらずして育す。またこれ菩薩本願の致す所」と。ああ、これ幻の説なり。もし、われいまだ道を知らざる時、且つ世法に随ひて妻を娶ると謂はば、則ち可なり。しかして云く。「人の黄門たるを疑うを防ぐ」と。何ぞ、その陋の甚だしきや。また云く、「合会によらず」と。これ鬼にあらざれば、則ち怪なり。笑ふべきのみ。涅槃経もまた云く、「迦葉問ふ、「もし、仏すでに煩悩海を度らば、何によりて、また耶輸陀羅を納れて羅睺羅を生む。仏、迦葉に告ぐ、「われ無量劫において、かくのごとき五欲を捨離せり。ただ、世間法に随ふがために、如是の相を示す」」と。これその仏は久劫、すでに道を成して、また室娶あるに嫌ひあり。故に、またその説を幻にして、もってこれを合はす。その実は仮説なり。また按ずるに、「なんじ子あらば出家せしめん」と。この文を閲するに、いまだ出家せざる時は、子なき者のごとし。却後六年、これを生むと<瑞応・普曜>。および、成道の日に生まると。これもまた、久曠胎にあるの理なし、意ふに、仏の妻息は有五年樂行の間、これある者あらん。もってこれを解けば則ち難きことなし。 |
また大善権経に云う、「なぜ、菩薩に妻があるのか。菩薩は無欲であって、そのため妻子があることを示して、人が、菩薩は男ではない、性器不全を疑うものがあるので、それを防ぐために、釈迦族の女をむかえて、 羅睺羅を生んだが、天において変没化生し、父母の情交によらずにうまれたもので、これは菩薩の本願である」と。ああ、これは幻説だ。もし、わたしがまだ道を知らないときに、世間にしたがって妻を娶ったと謂えば、それですむことである。しかし云う、「性器不全の疑いを防ぐために」と。何ぞ、甚だしい狭量であることか。また云う、「情交によらず」と。これは鬼でなければ、奇っ怪なことである。笑ふべきだ。涅槃経もまた云う、「迦葉が問う、「もし、仏すでに悟りをひらかれているに、何によりて、また耶輸陀羅をむかえて羅睺羅を生んだのか。仏、迦葉に答える、「われ無量劫の昔に、かくのごとき五欲を捨離した。ただ、世間の習慣にしたがうために、このような姿を示した」」と。久遠の昔。仏はすでに悟りをひらいているのに、妻があるとの疑いがあり、このため策を講じて、辻褄をあわせたものだ。また思うに、「子どもがあれば出家させよう」と。この文を読んで思うに、出家する前は子どもがないもののようだ。出家後六年たって、子を生む、と<太子瑞応本起経・普曜経>。それにしても悟りの日に生まれているとは。長い年月、胎内いたという道理はない。思うに、仏の妻子は五年有余の悦楽の間に、もうけたのだろう。こう思えば解けないこともないが。2026812 |
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また案ずるに、仏子甚だ女身を疾む。これもと俗を揉むるに出づ。竺の俗、甚だ女子を貴ぶ。司馬遷の史記に云く、「宛より以西、安息に至るまで、女子を貴ぶ。女子の言ふ所、大夫乃ち決正す」と。いま南蛮の俗もなほしかり。紅毛は闔国みな贅壻、女子をもって主となす。意ふに、竺もまた、しかるべし。かつまた、経説中の載する所、母氏の姓字を取りて号となす者多し。富蘭那迦葉・末加黎󠄂拘賖黎󠄂のごとき、みなこれなり。その他、甚だ多し。肇師もまた云く、「天竺は多く母名をもって子に名づく」と。これなり。かつまた、正法念経に四種の恩を説く。「一には母、二には父、三には如来、四には説法法師」と。これまづ、計ふるに母をもってせり。観経もまた云く、「劫初已来、もろもろの悪王ありて、国位を貧ぼるが故に、その父を殺害するもの、一万八千、いまだかって、無道にして母を害するあるを聞かず」と。ここに国俗の母を貴ぶこと、また父に勝れるを知る。われ、これをもって、竺の俗、甚だ女子を貴ぶとなせるなり。 |
また思うに、仏弟子はひどく女性の身を嫌う。これはもと、当時の風習を改めようとすることからはじまったのである。インドの風習では、女性をとても貴んだ。司馬遷の史記に云う、「宛より以西、安息に至るまで、女子を貴ぶ。女子の言うことを、大夫が決正する」と。いまは南蛮(西洋人)の風習がそうだ。西洋の諸国では、男は婿養子のようで、女子が主である。思うに、インドもまたそうだ。また、経説のなかでも、母の姓を取って号となす者が多い。富蘭那迦葉・末加黎󠄂拘賖黎󠄂のように、みなこれである。その他にも、このような例は甚だ多い。僧肇もまた云う、「インドでは多く母名をもって子に名づく」と。これなり。かつまた、正法念処経に四種の恩を説く。「一には母、二には父、三には如来、四には説法する法師」と。これまず、数えるに母を最初にもってくる。観無量寿経もまた云う、「古来、もろもろの悪王があって、国位を貧ぼったため、その父を殺害するもの、一万八千に及ぶが、いまだかって、無道にして母を害したことを聞かない」と。ここに国の習俗で、女性を貴ぶこと、父に勝るを知る。わたしはこれをもって、インドの風習で、甚だ女性を貴んだとするのである。20260813 |
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故に仏出でてこれを斥し、甚だしきは則ち、至云菩薩は女身を離る、仏性を知らざるを、名づけて女人となすと云ふに至る。これみなためにすることあるの言、男子のために気を吐かん欲する者なり。しかるに、その実、物に凸凹あり、人に男女あるは、天地自然の理なり。人の天地間にある、また何ぞ独り女身を疾まんや。また仏の淫を戒むる者は、その、邪淫・羅漢欲あるを戒むるなり。これは則ち在家をもってこれを言ふ。その僧迦にして妻室なき者は、梵行多くこれによりて、もって敗るればなり。故に儒家の言にもまた云く、「目、女色を見ず」と<荀子>。これ則ちこれのみ。故に心において羅漢欲あることなければ、則ち何ぞその妻室あるを疾まん。故に仏もまた云、「狂者は犯せず」と(五分律)「なんじすでに無心、いかんぞ犯すと云わん」と<浄諸業障経>。則ちこれのみ。しかるにまた云く、「もろもろの比丘らの、世俗の人のごとく、嫁娶行媒し、大衆の中において、毘尼を毀謗する、これ法滅の相となすと(摩耶経。「もし沙門ありて、その心念を一にして、声色を顧りみざる、これわが弟子にして、教えに随順する者なり」と。<雑含>、これ則ち迦文の意なり。独り僧伽にして妻室なからんを欲す。僧伽にして妻室なき者は、これをよく迦文の意を守ると謂ふ。しかるに後世往往して梵嫂の目ある者は、これ法滅のみ。また、さきに閲楞厳および観世音陀羅尼経を閲するに、ともに呪ありて、もって犯欲および五辛を解く。後世、梵嫂ある者は、けだし、みなこれを持せり。 |
故に釈尊が世に出てからこれを排斥し、甚だしくは菩薩は女身を離れ、仏性を知らない者を女と名づけた。これはみなためにする言葉で、男子のために気を吐かんしたのである。しかしながら、実際は、物に凸凹あり、人に男女があるのは、天地自然の理である。人が天地の間にあるかぎり、何で女だけを憎むのか。また釈迦が淫乱を戒めるのは、この場合、在家について言っているのである。修行僧で妻室ない者は、清浄な修行がこれによって破られることが多いからである。故に儒家の言にもまた云う、「目に、女色を見ない」と<荀子>。これがまさにあたっている。故に心において阿羅漢の淫欲がなければ、どうして妻室あることを嫌うことがあろうか。故に仏もまた云う、「(欲望のない)狂者は犯せず」と(五分律)「あなたはすでに無心、どうして罪を犯すと云おうか」と<浄諸業障経>。すなわちこれに尽きる。ところが云う、「さまざまな比丘たちが、世俗の人のように、仲人をたて婚姻し し、大衆の中において、律を謗っているが、これれは法の滅びる様相である<摩耶経>。//「もし,沙門があり、心を統一して、女性の色香を顧みず 修行に励むなら、これはわが弟子にして、わが教えに随順する者であるり」と。<雑阿含経>、これが釈迦の本意である。ただ教団のなかで妻をもたないことを欲したのである。教団のなかで妻をもたない者は、釈迦の本意をよく守ったと謂う。しかし後世、往往にして、僧の妻をして梵嫂のと呼ぶのは、法の滅亡の兆候である。また、さきに万行首閲楞厳経および観世音陀羅尼神呪経を見たとき、ともに呪があって、これで犯欲および五辛を解いたのだろう。後世、梵嫂ある者は、けだし、みなこれを唱えたのだろう。20260816 |
肉食 第十六 |
肉食 第十六 |
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仏、殺を戒め肉遠ざくる者は、 なほ儒のごとく、しかり。およそ血気あるの属ひを、君子はみづから践さず、禹が飲食を薄うし、旨酒を悪むは、これは則ちこれのみ。故に十誦律に、三浄肉あり。涅槃に九浄肉あり。みなこれを食ふを開す。楞伽もまた云く、「われ時ありて五種の肉を遮し、あるいは十種を制すと説く」と。見つべし、食肉は制に取捨ありて、独り浄肉を開すを。これ、そのもとなり。後来、これを戒むること益々厳なり。楞伽に云く、「縛象と大雲と央堀利魔羅(みな経名)およびこの楞伽経に、われことごとく断肉を制す」と。ここに知る。従前の契経もこれを開せる者あるを。涅槃もまた云く、「今日より始めて声聞弟子は肉を食ふを聴さず」と。ここに知る、有宗は食肉を開せるを。楞伽に列する所の十七縁、多くはその、臭穢を疾むにあり。独りその第一にありては、則ち云く、「一切衆生、もとより以来、展転因縁、かって六親となる。親想をもっての故に、肉を食うべからず。楞伽また云ふ、「人をもって羊を食ふ。、羊死して人となり、人死して羊とたり」と。明教師もまたこの意を受けて云く、「人物を食ひ、物は人を食ふ。むかしあひ負ひて、いま、あひ償ふ。業の致、しかり。然、物の自然と謂はば、天何ぞ頗なる。また云く、「いまの牛羊を視るに、ただ恐らくは、そのむかしの父母の精神の来る所ならんを。殺を戒めて、一微物をも暴はしめざるは、親を懐ふに篤ければなり」と。 /// |
仏が、殺生を戒め肉を遠ざけるのは、 儒教と同じである。およそ生気のあるものを、君子はみづから殺すことはしない。禹王が飲食を少なくし、酒を遠ざけたのは、道心の衰えを懸念したしたのであり、これが理由である。故に十誦律に、三種の浄肉が説かれ、涅槃経に九種の浄肉が見られるのであって、これに限って食うことを許したのである。楞伽経もまた云う、「わたしはある時は五種の肉を禁じ、ある時は十種の肉を止めるように説いた」と。よく見なさい、食肉は時に取捨があるが、浄肉を許したものであると知らなければならない。これが基本である。後来、これを戒むること益々厳しくなった。楞伽経に云う、「縛象と大雲と央堀利魔羅(みな経名)およびこの楞伽経において、わたしは一切の肉食を禁じた」と。ここに知る。従前の経のなかに肉食を許していたものがあるのを。涅槃経もまた云う、「今日より以後、小乗の弟子たちに肉食を禁じた」と。これで分かるのである。有を主張する宗派では食肉を許していたのを。楞伽経にあげる十七種の条件は、多くは臭く穢れている肉を避けるためである。十七の条件の第一に、こう云っている、「一切衆生は、原初から輪廻転生し、かっては肉親であったかもしれぬ。親を思う故に、肉を食べない。楞伽経にまた云う、「人をもって羊を食ふ。、羊死して人となり、人死して羊となる」と。明教師もまたこの意を受けて云く、「人は物を食い、物は人を食ふ。むかし互いに負い、いま互いに償う。これが業の致すところ。しかり。人が物を食べることが天地自然の理であれば、天はなんと偏頗であることか。「今の牛羊は、ただ恐らくは、そのむかしの父母の精神のよって来る所であったかも知れぬ。殺生を戒めて、小さな生き物の命もそこなわないのは、親を思う気持ちが厚いからである」と。20260817 |
ああ、甚だしいかな。その説に惑へることや。人をもって物を食ふ。天の頗たらば、則ち穀菜もまた、物にあらずや。もし有智をもってこれを別かたば、仏何ぞ頗なるや。父母あるいは牛羊たらば、則ち独り穀菜たらざらんや。外道婆吒の計に云く、「十方草木は、みな情意あり。人と異なることなし。草木も人たり。人死して、還って十方草木となる」と。これもまた何ぞしかるにあらざるを知らん。楞伽もまた云く、「清浄比丘および諸菩薩は、岐路において行くに、生草を踢まず。いはんや、手をもって抜くをや」と。荘厳論もまたその比丘草のために縛せられ、戒を犯さんことを恐れ、挽絶を得ざるを述ぶ。ああ、穀菜もまたあに草にあらずや。いま、踢みかつ抜くことを得ず。しかしてまた、食ふを得とは、 これ何ぞ特操なき。いま、穀菜を食ふを開して、独り肉を遮す。ああ、仏菩薩もまた、何ぞ偏頗なる。故に知る、仏の肉食を禁ずるは、意ここにあらざるを。また報応経に云く、「七衆は肉葷辛を食ひを得ず。病あれば開す」と。これ、あに病ありて食へば、則ち肉もまた父母たらざるが故にこれを開すとなさんや。これ不通の論なり。故に知る、仏の肉食を禁ずるは、意ここにあらざるを。楞伽に云く、「修行者をして慈心を生ぜざらしむるが故に、肉を食ふべからず。諸呪術をして成就せざらしむるが故に、肉を食ふべからず。令口気をして臭からしむるが故に、肉を食ふべからず」と。また、この理あり。しかるに、仏の肉を戒むる者は、意もと殺生にあるなり。殺生を戒める者は、仁慈を傷ればなり。楞伽は、ここに出を知らず。いたづらに十七縁を説くはそもそもまた末なり。楞厳に云く。「まさに世間五種の辛菜を絶つべし。熟食せば婬を発し、生啖せば恚を増す」と。仏は五辛を疾む。これ真なり。 |
ああ、なんとはなはだしいことか。その説の混乱ぶりは。人が物を食べる。天の偏頗なこと、それでは穀菜もまた、物ではないか。もし智慧をもって分別すれば、仏こそ何と偏頗であることか。父母があるいは牛羊であれば、どうして牛羊はなって穀菜はならないのか。外道婆吒の説に云う、「十方草木は、みな情意あり。人と異なることなし。草木も人である。人死して、還って十方草木となる」と。これもまたなんでそうではないといえよう。首楞伽経もまた云う、「清浄比丘およびもろもろの菩薩は、路を行くに、道端の生草をも踏みつけない。いはんや、手をもって抜くなんて」と。荘厳論もまたその比丘が草で縛せられたため、戒を犯すことを恐れ、引きちぎることをしなかったと述べている。穀菜もまたまた草ではないか 。踏みかつ抜くことはできない。まして食うなどと。どうしてこう節操のないことか。いま、穀菜を食ふことを許して、肉だけを禁じるとは。ああ、仏も菩薩もまた、何と片手落ちなことか。だから分かるのである、仏の肉食を禁じる意図は、ここにないことを。また報応経に云う、「出家であれ在家であれすべての仏弟子は肉葷辛を食べてはならない。病あれば許す」と。病気の者が食えば、肉もまたかって父母ではないので、これを許すのか。まったく筋の通らない話だ。これで分かるのである、肉食を禁ずる意図はここにはないのを。楞伽経に云う、「修行者をして慈心を起こさなくするために、肉食を禁じたのである。呪術の効き目をなくするので、肉食を禁じた。息を臭くするから、肉食を禁じた」と。こうした理由もあろうが、仏が肉食を禁じたのは、本来は、殺生にあるのである。殺生を戒めるのは、仁慈の心を損なうからである。楞伽経は、本意がここにあるのを知らず、いたづらに十七縁を説いたのは、それ自体瑣末なことである。首楞厳経に云う。「まさに世間で用いる五種の辛菜を絶つべきである。煮て食べると婬欲を起こし、生でかじると怒りの心を起こす」と。仏が五辛を嫌ったのは、これが真意だったと思われる。20260818 |
有宗第十七 |
有宗第十七 |
大論に云く、仏後百年、阿輸迦王、般闍于闍大会を作す、諸大法師、論議異なる故、別部の名字あり」と。これ大天乖諍のことを言ふ。これよりさき、仏法、一味和合して、いまだ異執あらず。その始めて異執ある者は、実に仏後百十六年なり。その後二百年ないし四百年、おのおの分別して二十一部となり、五百年また五百部となる。これみな小乗、三藏の学者、有をもって宗となせる者にして、この時いまだ大乗の言あらず。その始めて大乗の言ある者は、実に仏後五百年なり。 |
大智度論に云う、仏後百年して、阿育王が五年会を開催した。幾多の大法師たちの議論に異同があり、異部の説が行われていた」と。これは大天による異説のことを云っているのである。これ以前は、仏法は一味和合して、いまだ異説はなかった。始めて異説をとなえた者は、実に仏後百十六年のことである。その後二百年ないし四百年、おのおの分別して二十一部となり、五百年後には五百の学派になった。これらはみな小乗で、有をもって宗としていた。この時にはまだ大乗の語はなかった。始めて大乗の語が現れたのは、実に仏後五百年であった。20260818 |
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