出定後語を読む、訓読文、現代文

出定後語 巻の上

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出定後語序

、幼にして閒暇かんかなり。儒のふみを読むことをたり。もって少しく長ずるに及んで、また閒暇なり。ぶつの籍を読むことを獲たり。もって休しぬ。曰く、儒仏の道もまたかくのごとし。みな善をつるにあるのみと。しかるに、その、道の義を細席さいせき因縁するに至りては、則ち、 あに説なきことを得んや。即ち屬籍しょくせきすることなきことあたはざるなり。ここにおいてか、出定成りぬ。基、この説を持すること、かつ十年ばかり、もって人に語るに、人みな漠たり。たとひ、われ長ずること數箇すうか、もって頒󠄃白はんぱくの年に及ぶとも、天下儒仏の道、また儒仏の道のごとくんば、これ何の益かあらん。ああ、身の側陋そくろうにしてめる。すでに、もって人に及ぼして徳することあたはず。またこれを限るに、大故たいこをもってして伝ふることなからんか。基や、いますでに三十もって長じぬ。また、もって、伝へざるべからざるなり。願ふ所は、即ちこれをその人通邑つうゆう大都に伝へ、及ぼしてもって、これを韓もしくは漢に伝へ、韓もしくは漢、及ぼしてもって、これを湖西こせいに伝へ、もって、これを釈迦牟尼降神しゃかむにごうじんの地に伝へ、人をして、みな道においてることあらしめば、これ、死して朽ちざるなり。しかりといへども、何をもっていはゆる悪慧あくえにあらざるを知らん。これは則ち、かたし。これは則ち、かの 明者めいしゃ部索ぶさくして、これを楔󠄃フサぐを待つのみ。
延享元年秋八月        富永仲基識とみながなかもとしるす 

出定後語序

わたしは幼少のとき、暇があったので、儒学の書籍を読んだ。少し成長して、また暇があったので、仏典を読んだ。一段落して、思った。それぞれの宗旨は、儒教も仏教も同じだ、善をなすに尽きる。しかしながらその道の義を細かく調べてゆくと、どうしてもその説明が必要になる。そこでこの書を書かざるを得なかった。こうして、出定後語はできたのである。わたしは、この自説を持って十年ばかり、世人に説いたが、みな漠として理解しない。たとえ、わたしが長じて数年、白髪の混じる初老になっても、世の儒仏の道は、依然として変わらず旧来の儒仏の道のままならば、何の益があろうか。ああ、わたしは一介の市井人に過ぎず、しかも病んでいる。人に説いて徳を積むことはできない。突然の災禍があって、伝えられなくなる恐れもある。しかもわたしはすでに三十を超えている。どうかして伝えたいものだ。願わくば、これを大都の人々に伝え、それを以て韓国もしくは中国に伝え、さらに韓国もしくは中国から西域に伝え、以て釈迦牟尼生誕の地に伝え、人々の道を照らすことができれば、死んでも朽ちることはないだろう。しかし、何をもってこれは悪い知恵ではない、と判断するのか。その判別は難しいことだ。後代に賢明な偉人が出て自説に欠けている所を補い塞いでくれるのを待つのみである。
延享元年秋八月       富永仲基しるす 20260608

出定後語 巻之上

    目録

  1. 教起の前後 第一 
  2. 経説の異同 第ニ
  3. 如是我聞 第三
  4. 須弥諸天世界 第四
  5. 三藏・阿毘曇・修多羅・伽陀 第五
  6. 九部・十二部・方便乗 第六
  7. 涅槃・華厳のニ喩 第七
  8. 神通 第八
  9. 地位 第九
  10. 七仏・三祇 第十
  11. 言に三物あり 第十一
  12. 八識 第十ニ
  13. 四諦・十二因縁・六度 第十三

出定後語 巻之上

     日東 富永仲基造幷自訳

1.1 教起前後 第一

いま、まづ教起の前後を考ふるに、けだし外道に始まる。その言を立つる者、およそ九十六種、みな天をむねとせり。曰く、「これをいんしゅすれば、すなわかみ、天に生ず」と。これのみ。

1.1 教起前後 第一

いま、仏教興隆の時代を考えるに、おそらく、当時の外道がその発端である。その宗派は、およそ九十六種あり、みな天を至高のものとしていた。その説によれば、「これによって修行すれば、天に生まれ変われる」と。これだ。

因果經に云く、「太子いん雪山せっせんに入り遍ねく諸仙をふ。何の果を求めんと欲すと。仙人答へて言く、天に生まれんと欲するが為と」。乃ちこれ。

過去現在因果経に曰く、「かって太子が雪山に入って諸仙人を訪うて尋ねた。どんな果報を期待しているのか。仙人たちの答えは、天に生まれ変わりたいのです」すなわち、これだ。

衛世師えいせいし外道、仏の前に在ること八百年。是れ最も久遠くおん。其の最も後に出るは、阿羅羅あらら鬱陀羅うつだらなり。けだし二十八天非非想ひひそうを以て極とせり。是れ鬱陀の宗とする所、無所有て此に生るとせるなり。是れ本と阿羅の無所有を以て極となせるに上す。而して無所有は則ち本と識處しきしょに上す。識處は則ち本と空處くうしょに上す。空処は則ち本と色界に上す。空処、色界、欲界、六天、皆相加上して以て説を成せるも、其の実は則ち漠然、何ぞ其の信否を知らん。故に外道の所説は、非非想ひひそうを以て極となせり。 釋迦文しゃかもんは此に上せんと欲するも、また生天を以て之に勝ちがたし、ここにおいて、かみ七仏を宗として、生死しょうじの相を離れ、之に加ふるに大神変不可思議力だいじんぺんふかしぎりょくを以て、示すに其の絶えて為し難きを以てせり。乃ち外道は服して竺民じくみんは歸す。これ釈迦文の道の成れるなり。

衛世師外道が最も古く、釈尊以前八百年前には出現していた。これが最も古い宗派である。最も最後に出たのは、阿羅羅あらら鬱陀羅うつだらである。思うに、鬱陀羅は、三界のなかで非非想を最高の境地とした。これは鬱陀羅の尊ぶ境地で、元は阿羅羅の無所有に上乗せしたのである。また無所有は、元は識處に上乗せしたもので、識処も元は空処に上乗せし、空処は色界に上乗せし、空處、色界、欲界、六天、も皆それぞれ加上して宗派をなしている。実際は漠然としており、信じるに足るものかどうかわからない。外道の所説は、非非想をもって至高とする。釈迦はこの上に至りたいと思ったが、これに上回る生天は難しかったので、過去七仏を持ってきてその宗の元に据えて、生死の相を離れ、加えて神通的な不可思議の力を使って、その為し難き力を見せつけてたちまち異教の民を屈服させ、インドの民を帰依させた。こうして、釈迦の宗派が成立した。

釈迦文既に没して僧祇の結集けつじゅうあり。迦葉始めて三藏を集め、大衆亦三藏を集め、分れて両部と為して後、復た分れて十八部となれり。しかるにその言の述ぶる所、を持って宗となす。事みな名数みょうすうにありて、全く方等微妙ほうどうみみょうの義なし。これいはゆる小乗なり。ここにおいて文殊の徒は、般若はんにゃを作りてもてこれに上せり。その言述ぶる所、空をもって相となす。しかして事みな方広ほうこうなり。これいはゆる大乗なり。

釈迦が没してから、多数の教えが集められ、結集が行われた。迦葉が初めて三藏を集めて編集し(上座部)、一方一般の僧たちも三藏を編集した(大衆部)。両部となり、後にまた分派して、十八部となった。これらの所説は、存在するもの、有を宗とし、教義を数字に分けて説くので、大乗の広大普遍で微妙な深い意味がない。これが小乗だ。ここにおいて、文殊の徒は、般若を作ってこれに上乗せした。その説くところは、空を宗とする。そうして、すべてに広大で平等で普遍的だ。これが大乗だ。

智度ちど金剛仙こんごうせん の二論に云く、「如来この鉄囲山てっちせんにありて、文殊及び十方の仏と共に、大乗法蔵を結集す」と。乃ち是れ。
大智度論、金剛仙論の二論に云く、「如来は、鉄囲山の外で(このわれわれの住む世界の外にあって)、文殊及び十方の仏と共に、大乗法蔵を結集した」と。すなはち、これである。

この時、大小二乗、いまだ年数前後の説あらず。その大乗を張る者は、則ち曰く、「得道の夜より、涅槃の夜に至るまで、常に般若を説く」と。

この時には、まだ大小二乗いずれが先に説かれたが、云われていないが、しかし大乗を主張する者はいうのである、「釈尊は大悟したその夜から涅槃に至るまで、常にずっと般若を説いておられた」と。

智度論の文しかり。、論また迦文初成道しょじょうどうの事を説き云く、「この時、世界主梵天王ぼんてんおう名は式弃しきおよび色界の諸天等、釈提桓因しゃくだいかんいんおよび欲界の諸天等、みな仏の所にけいして、世尊に初転法輪しょてんほうりん勧請かんじょうす。またこれ菩薩の念じて、もと願ふ所、および大慈大悲の故に、請を受けて法を説く。諸法甚深の者は般若波羅密はんにゃはらみつこれなり。この故に、仏、魔訶般若波羅密経を説く」と。乃ちこれ。
大智度論にいう。また同じく釈尊の成道を説いて、「この時、世界主である梵天王、名は式弃しき、および色界の諸天など、釈提桓因しゃくだいかんいんおよび欲界の諸天などみな仏の所に詣でて、釈尊に初転法輪を勧請し、またこれは菩薩が元々深く願っていたことでもあり、釈尊は大慈大悲の故に、請を受けて法を説くこととなったのである。諸法の中でも最も甚深なのは般若波羅密はんにゃはらみつであり、この故に、釈尊は『魔訶般若波羅密経』を説いたのだ」と。これである。20260608

その小乗を張る者は、則ち曰く、「 転法輪経てんぼうりんきょうより 大涅槃だいねはんに至るまで、集めて 四阿含しあごんを作る」と。

小乗を主張する者はいう、「釈迦の鹿野苑ろくやおんでの最初の説法から入滅までの説法を集めて、四阿含を作ったのだ」と。

智度論に云く、「大迦葉だいかしょう阿難あなんに語る。転法輪経より大涅槃に至るまで、集めて四阿含を作る。智度論に云く、増一阿含ぞういちあごん・中阿含・長阿含じょうあごん相 応そうおう阿含、これを 修跖路しゅとろ法蔵と名づく」と。乃ちこれ。
大智度論に云う、「大迦葉が阿難に語っている。初説法の転法輪経より大涅槃経に至るまでを集めて、四阿含を作ったのである。すなわち、増一阿含経・中阿含経・長阿含経・相応阿含経は、これらをまさに仏典と称するのである」と。これである。

これおのおのその終始を命じて、いまだ年数前後の説にあらざるなり。故にその仁王般若にんのうはんにゃの序に云ふ、「世尊、前にすでに四般若を説く。三十年正月、 仁王を説く」者もとは、またただ泛爾はんじとしてこれを言ふ。阿含の後、正当三十年と言ふにはあらざるなり。しかるに法界性論これを説きて云く「十二年阿含を説き、三十年大品を説き、八年法華を説く」と。これ法華四十年余年の文のために転ぜられて、しか云ふ。その実は非なり。ここにおいて、法華氏の言興る。その言に云く「成正覚よりこのかた四十年を過ぐ。無数の方便、衆生を引導す。わが所説の諸経、法華最第一。ただし菩薩のためにして、小乗のためにせず、諸法の実相を観ず。これを菩薩の行と名づく」と。無量義経もまた云く、「四十余年いまだ真実を顕わさず、種種の説法は方便力をもってすと。これ見つべし、そのこれを四十余年の後に託して、従前の諸家を愚法にし、またこれを実相に託して、従前の有空を破るを。これ法華氏は乃ち大乗中の別部、従前の二乗を并せてこれを斥する者なり。しかるに後世の学者は、みなこれを知らず。いたづらに法華を宗として、もって 世尊真実の説経中の最第一となせる者は誤る。年数前後の説は、実に法華にはじまる。并呑権実へいどんごんじつの説もまた、実に法華にはじまる。広大の方便力。古今の人士を熒惑するは、何ぞ限らん。ああたれかこれを蔽する者ぞ。出定如来にあらざればあたはざるなり。

これは、釈迦の説法の初めと終わりを言ったもので、説いた年や前後の順を述べたものではない。仁王般若にんのうはんにゃの序にいう、「世尊は先に四阿含を説いた。三十年目の正月に仁王経を説いた」とあるが、これは漠然と云っているのである。阿含の後の、三十年後にと言っているのではない。だが、法界性論では、次のように説いている、「(成道から)十二年間阿含を説き、三十年大品般若経を説き、八年法華を説いた」と。これは、法華経は四十余年後に説かれたとの、先入観があるために、整合性をとるために、こういったのである。それは事実ではない。ここに法華の一派が出現した。その趣旨は、「釈尊の正覚より四十余年が経った。今まで無数の方便により衆生を導いてきたが、わが所説の中で法華が第一だ。ただし、菩薩のために説いたのであり、小乗のためではない。諸法の実相を観じる。これを菩薩行と名づける」と。無量義経もまた云う、「四十余年いまだ真実を顕わしていない。種種の説法は方便力で説いていた」と。これを見よ。このことは、四十余年の後に仮託して、従来の諸家を愚弄し、また実相に仮託して従来の有・空の法を廃棄したのである。法華派は大乗の中でも異端であり、従来の二乗とも排斥したのである。しかるに後世の学者は、みなこれを知らず、いたづらに法華を宗として尊び、釈迦の説経中の第一とする者は、間違っている。説法の後先あとさきの話は、実に法華に始まる。権実(方便と真実)を併せた説も、実に法華に始まる。広大で巧みな方便力が、古今の人士を惑わしているのは、法華に限ったことではない。ああ、誰かこれが判断できる者がいようか。出定如来たるこのわたしでなければ、無理だろう。

解深密経げじんみつきょうに云く、「初め小乗、なか空教、のち不空」と。また法華氏の党なり。また案ずるに、三藏の目、始めて迦葉に起これり。しかして法華の文に三藏学者あり。ここに知る、法華経の後に出でたるを、また案ずるに、法華はけだし 普現の徒作る。大論の 遍吉の語見るべし。

解深密経に云う。「初め小乗、中空教、後不空」と。これも法華派の言葉である。また思うに、三藏の名称は、仏滅後、迦葉が三藏を集めた時に始まるとされるが、法華経の文には、三藏の学者がいたと書かれており、これからしても、法華経は迦葉の後に出たと分かる。また思うに、法華経は普賢菩薩派が作ったもの。大智度論の遍吉の語るのを見れば分かる。

ここにおいて華厳けごん氏の言興こる。乃ちこれを二七日の前円満修多羅えんまんしゅうたらを説くに託して、もって従前の小乗をせきし、またこれを日輪のまづ諸大山を照らすに譬へて、もって従前の大乗を斥し、特に一家の経王を作れり。誠に加上する者のさきがけなり。後世あるいはまた、この方便を信じて、この経を最上至極、 とんの頓と曰ふ者は、また誤る。

ここにおいて、華厳の一派が興った。華厳経は釈尊が成道後14日目に説かれた教えであると主張し、それまでの小乗を一蹴し、太陽は最も高い山を最初に照らすの譬えでもって、それまでの大乗をも排して一派をなした。誠に加上のさきがけである。後世の輩が、この方便を信じてこの経が最上至極の頓教あると信じるのは、また誤りである。

舎利弗しゃりほつ目連もくれんは、異時異処、ともに仏法に入れり。しかるにこの会、即ち舎利弗等五百の声聞しょうもんあり。祇洹林ぎおんりん普光法堂ふこうはっとう、この時並びにいまだ建立せず。しかしてこの文、つぶさにこれを述べたり。これみな作者の方便 逗漏とうろの処、また案ずるに、華厳に諸法実相・般若波羅蜜の語あり。ここに知る、この経もまた二経の後に出でたるを。
舎利弗と目連は、時と処を異にして仏門に入った。しかし華厳が説かれた会座に、舎利弗等五百人の声聞がいたとされている。また祇洹林ぎおんりん普光法堂ふこうはっとうはまだ建立されていなかったはずなのに華厳経には詳細に述べられている。これは作者の作りごとであり、偽りである。また思うに、華厳経には諸法実相や般若波羅蜜の語が使われており、この経は般若経・法華経の二経の後に出たものだろう。

ここにおいて大集だいじゅう泥洹ないおん兼部けんぶの言興こる。乃ちその二経を作為して、もって大小二乗を合はせ、かつもって重きをその涅槃に帰せり。その十六年始めて大集を説くと云ふがごとき、これ暗に般若の前に託して、しかも二乗の中間に出づるなり。かつその津を説きて、かくのごとき五部、おのおの別異なりといへども、しかもみな諸仏法界および大涅槃を妨げずと云ふがごとき、これ五部津の異を合はするなり。しかるに五部律はみな、もと八十誦中より出ず。後世五師、分かれて五部となるも、仏の滅度を去ることいくばくぞ。ここに知る、この経は後に出でたるを。涅槃もまた同手の作なり。故に言語ごんご多くあひ類す。これ則ちこれを仏滅に託して、もってこの経の出でたる、年数の最後にあるを証し、またこれを譬ふるに醍醐をもってし、もってこの経の義、最も純粋なるを明らかにし、また毘尼びにならびに戒乗の緩急を挙げて、もって大小二乗のならびに遠ざけがたきを説く。後世、捃捨教くんじゅうきょうと名づくる者のごとき、これ兼部氏たるを知らざればなり。

ここにおいて、大方等大集経と涅槃経を兼ね併せた兼部氏とも云うべき一派が興こる。それはこの二経を作って、大乗と小乗を兼ねられるようにして、加えて涅槃経を重んじたものである。 十六年目にして初めて大集経を説くなどと云うがごとく、暗に般若経の前に置いて、大乗と小乗の中間に配置したのである。また戒律にしても、このように五部が互いに異なっているが、諸仏の法界および涅槃経に矛盾しないとして、小乗五部律との相違のつじつまを合わせている。もともと五部律は優波離うばりの誦出した八十誦から出ているのである。後世、五部に分派したのも仏滅度ののち幾ばくか経っていたことが、これで分かる。この大集経も順番からいうと後の方でできたのである。涅槃経も同じ仲間の手でなったものだろう。故に似た用語が多いのである。これは仏滅の直前に説かれたと証したいのであり、またこれを最上の味の醍醐に譬えているのも、この経が純粋で、最後に説かれたものであることを証したいのであり、また戒律に緩急をつけて、もって大小二乗の捨てがたいことをも主張しているのである。後世の徒が、捃捨教くんじゅうきょうなどと呼んでいるのも、兼部氏の事情をしらないからである。

按ずるに、法顕の伝に云く、「某の国は小乗の学、某の国は大乗の学、某の国は兼大小乗を兼ぬ」と。この兼と云ふは、乃ち兼部氏なり、また按ずるに、哀嘆品は新体の伊字をもって秘密の蔵に譬ふ。ここに知る、涅槃もまた後に出でたるを
思うに、法顕伝に云く、「この国は小乗を学ぶ、この国は大乗を学ぶ、この国は大小乗を兼ねて学ぶ」と。この兼ねてというのは、すなわち兼部氏のことである。また思うに、涅槃経の 哀嘆品では梵語の新字体の伊字をつかって秘密の蔵に譬えている。これで分かるのである。涅槃経もまた後世に作られたのである。

ここにおいて、頓部氏とんぶしの説興こる。そのかい 経およそ二十。楞枷りょうがの尤なるものなり。従前の諸経は、言みな煩重ほんちょう、その趣き牛毛ぎゅうもうにして迂遠うえんなるをもって、故にさらに激切の語を立てて云く、「一切の煩悩は、本来おのづから離る。断および不断と説くべからず。一切の衆生、みなこれ一切、畢竟不生ふしょうなり。諸名字みょうじを離るれば、即ち一切法は唯一真心しんしん、一念不生なり。即ちこれ仏、一地より一地に至らず、初地は乃ち八地」と。その言直切、また環回かんかいの説なし、もって従前の因陀羅いんだらを破る。その窮まり離披りひして、菩提達磨ぼだいだるま氏となり、その東来して、楞伽りょうがをもって衆生の心を印す。また徴とすべし。義によりて文字によらず、終始一字を説かず。実に禅家ぜんけ鼻祖びそたり。その窮りて変幻奇怪、乃ち乾尿橛かんしけつをもって仏性を語り、拭瘡疣しょくそうゆうして経巻を斥するに至る。これみないはゆる頓部氏なり。

ここにおいて頓教の一派が興った。その経典はおよそ二十。そのうち、楞枷経は最も重要である。従来の経典は煩雑で回りくどいが、この経は簡潔で直截に、言葉鋭く云う、「一切の煩悩は本来自ずから離れてゆくものであって、煩悩を断ずるとか断じないとかを説くべきものではない。一切の衆生は、則ちが一切であって、生死も生滅もなく、生ずることなく因果の因もない。もろもろの文字表現を離れれば、即ち一切法は、唯一真心しんしんがあるだけであり、欲心もない。即ちこれが仏の世界であり、「一段一段上るのではなく、一気に到達するものだ」と。その言直切であり、回りくどい表現はしない。これをもって旧来の複雑難解な表現を超えたのである。それが窮まって花開いたのは、菩提達磨ぼだいだるまの出現である。達磨が東来して、楞伽りょうがをもって衆生の心に刻みつけた。このことは確かで、証明できる。その趣旨は義によりて文字によらず、終始一字を説かず。実に禅家ぜんけ鼻祖びそたり。その窮りて変幻奇怪、乃ち糞を払うへらでもって仏性を語り、幾多の仏典をかさぶたをとる紙だと言い切って、経巻を斥するに至る。これみな、いはゆる頓部氏である。

ここにおいて、秘密曼荼羅金剛手氏ひみつまんだらこんごうしゅしの教へ興こる。

六度経に云く、「わが滅度の後、阿難陀をして所説の素 咀続蔵そたららんぞうを受持し、鄔波離うぱりをして所説の毘那耶蔵びなやぞうを受持し、迦多衍那かたえなをして所説の阿毘達磨蔵あびだつまぞうを受持し、曼殊師利菩薩まんじゅしりぼさつ、をして所説の大乗般若密多を受持せしむ。その金剛手菩薩こんごうしゅぼさつは、所説の甚深微妙の総持門そうじもんを受持す」と

ここにおいて、秘密曼荼羅の密教の宗派が興こる。

大乗理趣六波羅蜜多経に云う、「わたしの入滅後は、阿難に経蔵を受持させ、鄔波離うぱりに律蔵を受持させ、迦多衍那かたえなに論蔵を受持させ、文殊菩薩に空を説く般若経を受持させよ。そののち金剛薩埵こんごうさったに、甚深微妙な陀羅尼の密教を受持させよう」と。

その教へに云く、「世尊は一切智智を得て、無量の衆生のために広演分布し、種種の趣、種種の欲性、種種の方便道に随ひて、一切智智を宣説す。あるいは声聞乗道しょうもんじょうどう、あるひは縁覚乗道えんがくどうじょう、あるいは大乗道、あるいは五通智道、あるいは天に生まれ、あるいは人中および竜・夜叉・乾闥󠄂婆けんばだったに生まれんと願ひ、ないし魔雎羅伽まごらかに生まるる法を説く。おのおのかの言音に同じく、種種の威儀に住す。しかしてこの一切智智道は一味なり」と。また云く、「契経かいきょうは乳のごとく調伏じょうぶくらくのごとく、対法は生蘇しょうそのごとく、般若は熟蘇じゅくそのごとく、総持門は醍醐だいごのごとし」と。これ見るべし、この教へは諸家を摂するに一切智智をもってし、乃ちこれをそのいはゆる曼荼羅まんだらに合するを。つひにもって重きをそのいはゆる毘慮遮那阿字門びるしゃなあじもんに帰する者なり。おもふに、この経王は最後に出づ。不空師の云く、「経夾きょうきょう、鉄塔に蔵すること数百年、竜猛りゅうみょう始めて獲たり」と。しかるに竜猛の所説、一言のこれに及ぶものなし。ただ秘密の号、竜猛に出づ。故に後世崇奉のきわみ、けだしよりてもってしかりとするなり。これ諸教興起の分かるるはみな、もとそのあひ加上するに出づ。そのあひ加上するにあらずんば、則ち道法何ぞ張らん。乃ち古今道法の自然なり。しかるに後世の学者、みないたづらにおもへらく、諸教はみな金口親しく説く所、多聞親しく伝えふる所と。たえて知らず、その中にかえって許多あまたの開合あることを。また惜しからずや。

大日経に云う、「釈尊は完全な知恵(一切智智)を得て、無量の衆生のために、種々な趣、種々な欲性、種々な衆生の欲求に応じて、一切智智を広く伝えた。ある時は声聞のために、ある時は縁覚のために、ある時は大乗を、ある時は五通智を、あるいは天に生まれ、または人間および竜・夜叉・乾闥󠄂婆に生まれる方法を、また魔雎羅伽に生まれる法を説いた。それぞれ相手と同じ言葉で、同じ立場に身を置いて説法した。しかし一切智智の境地に至る道は同じく平等で差別はない」といい、また、「この経は乳のようだ、調伏じょうぶくらくのごとく、対法は生蘇しょうそのごとく、般若は熟蘇じゅくそのごとく、総持門は醍醐だいごのごとくである」と。これ見るべし、この教へは諸家を摂するに一切智智という言葉をもってし、乃ちこれをいはゆる曼荼羅まんだらめたのである。最後にはその重点を毘慮遮那仏びるしゃなぶつの阿の字(阿字門)に帰した。思うに、この経典は最後に出現したのだろう。不空法師は云う、「経箱が、鉄塔に収められて蔵すること数百年、竜樹が初めて入手したのである」と。しかし竜樹の言葉に、このことに一言も触れていない。ただ秘密という言葉は、竜樹に始まっているので、後世のひとが尊崇のあまり、これによりその通りとしたのだろう。これは諸教興起して分かれるのは、みなもとあひ加上からである。そのあひ加上することがなければ、どうして成長拡大するだろう。これは古今の自然の摂理だ。ところが後世の学者はみな、いたづらに、諸教はみな金口親しく釈尊が説いたものであり、弟子たちが親しく伝えたものだ、と思っている。これら諸経のうちに、かえって数多くの分離や結合や変化があることを知らないのだ。残念なことだ。20260609

経説の異同 第二

大論に云く、仏滅百年、阿輸迦王あしゅかおう般闍于瑟大会はんじゃうしつだいえを作す。諸大法師の論議異なり。故に別部の名字あり」と。また云く、「仏法五百歳の後を過ぎて、おのおの分別し、五百部あり」と。また婆娑ばしゃの序説に云く、「如来滅後四百年の初め、<古論には六百年に作る>、北印度の境なる健駄羅けんだら国王、常に仏経を習ふ。日に一僧を請じて、室に入れ法を説かしむ。僧説同じきことなし。王もって深く疑ひ、脇尊者きょうそんじゃに問ふ。尊者答えて曰く、「如来世を去りて、歳月逾邈ゆみょう、弟子部執ぶしゅうし、聞見によって矛盾をなす」と。よりて問うて曰く、「諸部の立範りっぱん、いづれか最も善か」と。答へて曰く、「有宗に超したるはなし」と。王の曰く、「この部の三藏、いままさに結集すべし。すべからく有徳を召して、ともにこれを詳議すべし」と。ここにおいて、世友等しよう五百人、三藏を釈す。およそ三十万頌、即ち大毘婆沙だいびばしゃこれなり」と。大論にまた云く、「問ふ。経に五道ありと説く。いかんぞ六道と言ふ。答ふ。仏去りて久遠くおん、経法流伝るでんし、五百年の後、多く別異あり。部部同じからず、あるいは五道と言ひ、あるいは六道と言ふ。もし五と説く者は、経文において文を廻して五と説き、もし六と説く者は、仏経において文を廻して六と説く。また魔訶衍まかえんの中、法華経に六趣の衆生ありと説く。もろもろの義意を観るに、有六道あるべし」と。法顕の伝に云く、法顕もと律を求めて、しかも北天竺の諸国、みな師師口伝し、本の写すべきものなし、ここをもって遠歩し、乃ち中天竺に至る。ここにおいて一部の律を得たり。これ魔訶僧祇衆まかそうぎしゅうりつなり。また一部の抄律を得、七千なるべし。これ薩婆多衆律さっぱたしゅうりつなり。またみな師師口あひ伝授して、これを文字に書せず」と。また伝ふ、「法顕その時この経を写さんと欲す。その人の云く、これ経本なし。ただ口誦するのみ」と。

経説の異同 第二

大智度論に云く、「仏滅後百年経って、阿育王が大法会を開催した時、高僧たちの論ずる所が、異なっていた。それぞれの部派が生じていた」と。また云く、「仏教は五百年経って、分別して、五百の部派になった」と。また阿毘達磨大婆娑沙論あびだつまだいばしゃろんの序に云く、「釈尊滅後四百年の初め、<古論には六百年>、北印度の境のガンダーラの国王は熱心に仏法を学んだ。日に一僧を請じて、室に入れ法を説かせた。僧の説く所が同じではなかった。王もって深く疑い、脇尊者きょうそんじゃに問うた。尊者答えて曰く、「釈尊が世を去って、歳月が久しく、弟子たちに分派が生じ、所説に矛盾が生じた」と。王はさらに問い、「どの部派がもっとも優れているか」と。答へて曰く、「有宗のものが優れているでしょう」と。王の曰く、「その部の三藏を、いま結集すべきだろう。すべからく有徳の僧を召して、ともにこれを詳議すべし」と。ここにおいて、世友しようら五百人が集まって、三藏を註釈した。およそ三十万頌、即ち大毘婆沙だいびばしゃである」と。大論にまた云く、「問う。迷いの世界は、ある経は五道と説く。他の経は六道と言う。答ふ。仏去りて久遠くおん、経法も伝えられて五百年の後には、多く別異あり。部部同じからず、あるいは五道と言い、また六道と言う。もし五と説く者は、経文においても五と説き、もし六と説く者は、仏経においても六と説く。また大乗では、法華経に六趣の衆生ありと説く。もろもろの義を観るに、六道あるのだろう」と。法顕の伝に云く、法顕もと律を求めて、しかも北天竺の諸国、みな師師口伝して、本の写すべきものなし、ここをもって足をのばし、中天竺に至る。ここにおいて一部の律を得た。これは大衆部の律だった。またある部派の律の抜粋を得たが、七千あった。これは有部の律であった。またみな師師口伝して、これを文字に書せず」と。また伝っている、「法顕その時この経を写したいと思ったが、この経本はなかった。ただ口誦されているだけだった」と。20260610

いまこの六者をもってこれを推すに、ここに知る、仏滅よりして久遠、人に定説なく、また依憑えひょうすべきのふみなく、みな意に随ひて改易し、口あひ伝授し、むべなるかな、一切の経説、みなその異にたへず、またその信従すべからずことかくのごときなり、禅家の言に曰く、不立文字ふりゅうもんじと。意、あにここにあるか。また婆沙ばしゃを閲するに、その解義げぎに必ず数説を挙げ云く、其の故に、またその故にと、畢竟ひっきょう、これ定説なければなり、また迦葉波かしょうばの三藏を集むることを、大論にはみな誦出ずしゅつと云ふ。また知る、これただ口誦くじゅに託するを。

いまこの六つの典拠で推察すれば、仏滅から久しく経っている、人に定説なく、また依拠すべき典籍もなく、みな作り変えて口伝してきたことが、知れるのだ。したがって、一切の経説がその異同にたえられないのはとうぜんであろう。禅家の言に、不立文字とあるが、その意はそれだけのものではあるまい。また註釈書を見ると、解釈に数説を挙げているのは、定説がないからだろう。また迦葉が三藏編集にあたって、みな誦出ずしゅつと言っている。これは経典はただ口誦くじゅにたよっているのだ、と知れるのである。20260610

金剛般若こんごうはんにゃに云く、「一切諸仏および諸仏法は、みなこの経より出ず」と。無量義に云く、「われこの経を説くこと、甚深じんじん甚深じんじん。令衆をして無上菩薩をなさしむるが故」と。金光明こんこうみょうに云く、「十方の諸仏、常にこの経を念ず」と。大品だいぼんに云く、「一切の善法、助道法、もしくは三乗法、もしくは仏法、これ一切法。みな般若波羅密はんにゃはらみつの中に摂入しょうにゅうす」と。また云く、「声聞乗しょうもんじょう学ばんと欲する者は、般若を学ぶべし。縁覚乗えんがくじょうを学ばんと欲する者は、般若を学ぶべし。菩薩乗ぼさつじょうを学ばんと欲する者は、般若を学ぶべし」と。華厳に云く、「一切世間もっろもろの群生ぐんしょう、声聞道を求めんと欲するあることすくなし、縁覚を求むる者、うたたまた少し。趣大乗だいじょう趣く者、甚だ遇ひがたし。大乗に趣く者は、なほ易しとなす。よくこの法を信ずるは、甚だ難しとなす」法華に云く、「わが所説の諸経は、法華最第一」と。法鼓ほうくに云く、「一切の空経は、これ有余うよの説、ただこの経あり。これ無上の説」と。およそかくのごときの類、何ぞ限らん。みな各部みづから張る者の説なり。

金剛般若波羅蜜経に云く、「一切諸仏およびその仏法は、みなこの経から出ている」と。無量義経に云く、「わたしはこの経を説くが、極めて深遠である。それは、衆生をして早く無上菩薩に至らしむる為である」と。金光明経に云く、「十方の諸仏は、常にこの経を念じている」と。摩訶般若波羅蜜経(大品)に云く、「一切の善法、助道法、もしくは三乗法、もしくは仏法、これらもろもろの一切の法は、すべてこの経の中に摂入しょうにゅうしている」と。また云く、「声聞乗しょうもんじょう学ばんと欲する者は、般若を学ぶべし。縁覚乗えんがくじょうを学ばんと欲する者は、般若を学ぶべし。菩薩乗ぼさつじょうを学ばんと欲する者は、般若を学ぶべし」と。華厳経に云く、「一切世間もろもろの衆生は、声聞道を求めんと欲する者は少なく、縁覚を求むる者はもっと少い。大乗に趣く者はさらにすくなく、逢い難い。しかし大乗に向かう者は、実は易しいのである。この法を信ずることが、はるかに難しい」法華経に云く、「わたしの諸経のなかで、法華経が最上て第一である。」と。大法鼓経に云く、「一切の諸法皆空を説く教えは、未だ劣っており、ただこの経のみが優れている。これが最高の経である」と。このように主張する者は、これらに限らない。すべてが自らの部派の所説を主張しているのである。20260612

またその勝鬢しょうまんに、「魔訶衍まかえん、二乗の法を出生するは、阿耨池あのくち出八大河はちだいがを出だすがごとし」と云ひ、、および文殊問もんじゅもんに、「十八およびもとの二、みな大乗より出づ」と云ふがごときは、則ちこれ大乗、小乗をもって所目となせる者。またその法華に、「四十余年、いまだ真実を顕わさず」と云ふがごときは,則ちこれ大乗、小乗をもって仮権けごんとなせる者なり。またその華厳に、「仏、成道第二七日に、円満修多羅えんまんしゅたらを説く」と云ふがごときは、 則ちこれ大乗、小乗をもって後説となせる者、その実はみな大乗、小乗を誘ふの説なり。後世の学者はこれを知らず、云云うんぬんする所ある者は誤まる。余かって云く、「大小部乗、おのおの経説を作りて、皆上、これを迦文に証す。また方便のみ」

またその勝鬢経に、「大乗から、小乗、声聞・縁覚の二乗の法が出たのは、阿耨池あのくちから八つの大河が出たようなものだ。」と云うのは、文殊師利問経に、「十八部派およびもとの(上座・大衆の)二部は、みな大乗より出た」と云ふのは、則ちこれ大乗が、小乗を細目とするやり方である。またその法華経に、「四十余年、いまだ真実を語らなかった」と云ふがごときは,則ちこれ大乗が、小乗をもって方便とするものである。また華厳経に、「仏は、成道の十四日後に、華厳経を説いた」と云ふがごときは、則ちこれ大乗が、小乗のあとに説れたとするものであり、実際はみな大乗が小乗を細目として扱うものである。後世の学者はこれを知らず、論じる者は、誤まる。わたしはかって云ったことがある。「大乗も小乗も、それぞれの部派が経説を作って、皆これを釈迦の説法にかこつけているのだ。みな偽りだ、真実ではない」20260612

むかし、秦緩しんかん死す。その長子はその術を得て、医の名、秦緩に斉し。その二三子の者は、その忌にたへず。ここにおいて、おのおの新奇をなし、これを父に託して、もってその兄に勝らんことを求む。その兄を愛せざるにあらざるなり。おもへらく、もって兄に異なることあらざれば、則ちもってもって父に同じきこと得ずと。天下いまだもって決することあらざるなり。他日、その東隣の父、緩がちん中の書を得て、出してもって証す。しかしてのち、長子の術、始めて天下に窮まる。このこと、寒檠膚見かんけいふけん、これ則ち、これに似たり。

むかし、秦緩しんかん死す。その長子は父の術を得て、評判は、秦緩に劣らなかった。他の子どもたちは、今のままのやり方ではだめだと思い、それぞれ新奇なやり方で、父から継いだとして、兄に勝ろうとした。兄が嫌いだったのではなく、兄と異なったやり方でなければ、父に及ばないと思ったのである。世間はどちらが優れた医者か決することだできなかった。ある日その東隣の人が、緩の枕の中に書を見つけて、公にした。そして、長子の医術が、正統として天下に広まった。このこと、寒檠膚見かんけいふけんに出ている。これによく似ている。20260613

如是我聞にょぜがもん 第三

如是我聞、とは何ぞ。後世の説者、みづから我とするなり。もんとは何ぞ、後世の説者、伝聞するなり。如是にょぜとは何ぞ。後世の説者、伝聞かくのごときなりと。契経かいきょうにあるいは云く、「阿難座に登りて我聞と称す。大衆悲号す」(処胎経しょたいきょう)と。非なり。「阿難は親しく如来に受く。我聞一時がもんいちじ云ふべからず。あるいはこれを解して云く、「阿難は得道の夜生まる。仏に侍する二十余年、いまだ仏に侍せざる時、これ聞かざるべし」と。また非なり。しからば則ちすでに聞くののち、何をもってまた聞くと言うや。これ不通の説なり。 報恩経ほうおんきょうに云く、「阿難四願をなす。いまだ聞かざる所の経、願はくは、仏重ねて説け」と。また云く、「仏、口、ひそかににために説く」と。また云く、「阿難、聞かざる所の経を諸比丘の辺に従ひて聞き、あるいは諸天ありて阿難に向ひて説く」と。処胎経しょたいぎょうは則ち云く、「仏、金棺こんかんより金臂こんぴを出だして、重ねてために説く」と。金剛華経こんごうげきょうは則ち云く、「阿難、法性覚自在王三昧ほっしょうがくじざいおうざんまいを得たり。故に、如来が前に説く所の経は、もな憶持おくじし、親聞しんもんと異なるなし」と。涅槃経ねはんぎょうは則ち云く、「われ涅槃の後、阿難いまだ聞かざる所の者を、弘広菩薩ぐこうぼさつは広く流布すべし」と。ああ、何ぞ解の不一なる。長と説き短と説き、要するにまたこの失を保護するに過ぎず。笑ふべし。経説、多くは仏後五百歳の人の作れる所、故に、経説に五百歳の語多し。大論また云く、「五百歳後、おのおの分別して五百部あり」とはこれなり。

如是我聞にょぜがもん 第三

如是我聞の我とは何だ。後世、説をなす者が、自分を我としたのである。聞とは何か。、後世、説をなす者が、伝え聞いたのである。如是にょぜとは何か。後世、説をなす者が、このように伝え聞いたのである。ある経に云く、「阿難が座に登って我聞と云う。大衆は悲号した」(菩薩処胎経ぼさつしょたいきょう)と。間違いだ。「阿難は親しく如来から聞いた。この聞いたを伝聞と解するなら、ある時伝聞したなどと、と云うはずがない。あるいはこう解して云く、「阿難は得道の夜生まれた。仏に侍すること二十余年、まだ仏に侍していない間は、仏の説法は聞いていないのではないか」と。これも間違いだ。それならすでに(直接に)聞いたのちに、何をもってまた(間接的な)伝聞と云うのか。意味が通らない。報恩経ほうおんきょうに云く、「阿難は、四願をしたのだ、まだ聞いていない経を、願はくは、仏、再び説いてください」と。また云く、「仏、口、ひそかに説いた」と。また云く、「阿難は聞いていない経を、諸比丘の辺に行って聞いた、あるいは諸天が阿難に説いた」と。処胎経しょたいぎょうは則ち云く、「仏は、黄金の棺から黄金の腕を出して説いた」と。金剛華経こんごうげきょうは則ち云く、「阿難は法性覚自在王三昧ほっしょうがくじざいおうざんまいを得た。故に、如来が以前説いた教えは、よく記憶され、親聞しんもんと異なることはない」と。涅槃経ねはんぎょうは則ち云く、「わたしの入滅後は、阿難がいまだ聞いていない教えを、弘広菩薩ぐこうぼさつが広く流布するだろう」と。ああ、なんという不一致か。長と説き、短と説いても、要するに誤りをとりつくろっているに過ぎない。笑うべきである。経説の多くは、仏後五百年たって人の作ったものである、故に、経説に五百の語が多い。大論また云く、「五百歳後、おのおの分別して五百部あり」とはこれなり。20260613

その仏経の初首に何らの語をなすと云う者は、これ当時の俗説にして、もと大論に出づ。涅槃は則ち特にこれをるのみ。涅槃の出でたるは、実に大論後る。大論は一言も涅槃に及ばず。故にこれを知る。後世の学者はこれを知らず。みないたづらにおもへらく、数万の経説は、みな阿難の集むる所なり。ああ、またまた何ぞ愚かなるや。大論に云く、「間ひて曰く、もし仏、阿難に嘱累ぞくるいせば、これ般若波羅密はんにゃはらみつを、仏の槃涅槃はつねはんののち、阿難、大迦葉とともに三藏を結集す。この中に何をもって説かざると。答へて曰く、魔訶衍まかえん甚深じんじん、難信難ぎょう、仏在世の時すら、もろもろの比丘ありて、魔訶衍を聞くに、不信不解ふげ、故に座よりしてつ。何ぞいはんや仏涅槃ののちをや。ここをもっての故に説かず」と。また云く、「人ありて言ふ、魔訶迦葉まかかしょうのごとき、諸比丘と耆闍崛山ぎしゃくせん中にありて、三藏を集む。仏滅度ののち、文殊尸利もんじゅしり弥勒みろくの諸大菩薩もまた、阿難とこの魔訶衍を集む」と。また「阿難は衆生の志業の大小の籌量ちょうりょうするを知る。この故に声聞人中において魔訶衍を説かず。説けば則ち錯乱さくらんして弁をなす所なし」と。

仏典の初めの言葉は、当時の習慣で、もとは大論に出ている。涅槃経はこれを取ったのである。したがって、涅槃経は大論のあとに出たと言える。大論が一言も涅槃経に言及していない理由も、これで分かる。後世の学者は、これを知らず、数万の経説はみな阿難が集めたもの、と思っている。ああ、なんと愚かなことか。大論に云う、「間う、もし仏、阿難に布教を委嘱したのなら、仏の入滅後、阿難と迦葉が三藏の結集を行ったとき、般若波羅密経をなぜ入れなかったのか。答へて曰く、大乗の教えは深く、信じがたく行い難い。仏在世のときすら、大乗の教えを聞くに、信じられず理解できずに席を立つ者がいた。まして仏入滅ののちにいたっては。この故に入れなかったのだ」と。また云く、「こういう説がある。魔訶迦葉が比丘たちと耆闍崛山において、三藏を集めた。仏入滅ののち、文殊尸利・弥勒の大菩薩たちもまた、阿難と一緒にこの大乗の教えを集めた」と。また「阿難は衆生の志の大小や理解度を知っていたので、声聞たちには大乗を説かなかった。説けば錯乱して理解できなかっただろう」と。20260613

これを見るべし、当時すでにこの疑ひあるを。それ、魔訶衍の法は、当時の諸賢聖、親しく仏説を聞くも、なほかつ信解しんげすることあたはず。後世かへって伝ふることあるは、これ乃ち疑ふべし。かつこれをもってこれを言ふに、阿難は則ち面柔めんじゅうの人のみ。おのれ独り至道を知り、これを声聞人中に説かず。乃ち忍黙面諛にんもくめんゆして、もってこれを讃す。これ何をもって仏子となさん。これみな不通の説、分明に飾辞しょくじして、これを解く者なり。その実阿難集むる所は、則ちわづかに阿含の数章のみ。説は下に見ゆ。その他は則ちみな後徒の託する所、ただに阿難に出でざるのみにあらざるなり。故にまた、あるいはこれを解きて云く、「後時、文殊もんじゅは諸菩薩大阿羅漢だいあらかんを召して大乗法蔵を結集するに、おのおの言ふ、某の経はわれ仏より聞けりと。須菩提しゅぼだい言ふ。金剛般若こんごうはんにゃはわれ仏より聞けりと。故に知る、阿難に局せざるを」と。これややこれを得たり。しかるに経説はみな後徒の託する所、何ぞその諸菩薩大阿羅漢のなせるにあらんや。またこれを失せり。また、処胎経しょたいきょうに云ふがごとき、「阿難最初の出経は、第一胎化蔵たいけぞう・第二中陰蔵ちゅういんぞう・第三魔訶衍方等蔵まかえんほうどうぞう、第四戒律蔵かいりつぞう、第五従十住菩薩蔵じゅうじゅうぼさつぞうかいりつぞう・第六雑蔵ぞうぞう・第七金剛蔵こんごうぞう・第八仏蔵ぶつぞう、これを経法具足となす」と。これは則ち大小二乗一時に出だす所となす。また如是我聞の極みなり。

これを見るべし、当時すでにこの疑いがあったのだ。そもそも、大乗の法は、当時の賢聖たちが、親しく仏説を聞いても、信じ理解することができなかったのだ。それが後世になって、伝えられたというのは、かえって疑わしい。こうした事情であるから言ってしまえば、阿難は、表向きはいい人だ。おのれ独り至道を知り、これを声聞の人たちに説いていない。声聞には、沈黙しへつらって賞賛しているように見える。これで何が仏弟子だろうか。筋が通らない。(これら伝聞にかかわる所説の矛盾には)言葉を飾ってつくろっている。その実、阿難が集めた経は、わづかに阿含の数章のみだろう。この説明はあとの章に記す。その他はみな後代の徒が釈迦に託して作ったもので、阿難によって集められたものではないだろう。その故にまた、これを補足して云う、「後に、文殊がもろもろの菩薩及び大阿羅漢を招集して大乗法蔵を結集したとき、そのおのおが言う、某の経はわれ仏より聞けりと。須菩提は言う。金剛般若経はわれ仏より聞けりと。故に知る、阿難ひとりに限らないことを」と。これがやや真実に近いだろう。しかし経説はみな後代の徒がなしたものであるから、どうしてもろもろの菩薩及び大阿羅漢が結集したのか。これもまた誤りである。また、処胎経しょたいきょうに云う、「阿難が最初に誦出した経は、第一に胎化蔵たいけぞう、第二に中陰蔵ちゅういんぞう、第三に魔訶衍方等蔵まかえんほうどうぞう、第四に戒律蔵かいりつぞう、第五に従十住菩薩蔵じゅうじゅうぼさつぞうかいりつぞう、第六に雑蔵ぞうぞう、第七に金剛蔵こんごうぞう、第八に仏蔵ぶつぞうで、これで経典のすべてがそなわった」と。これは大乗・小乗が同じ時に、誦出されたとするもので、如是我聞の誤りも極まったと言うべきだろう。20260614

須弥諸天世界しゅみしょてんせかい 第四

須弥諸天世界しゅみしょてんせかい 第四

須弥楼山しゅみろうせんの説は、みな古来梵志ぼんじの伝ふる所なり。迦文かもん、特によりてもってその道を説くは、その実、渾天こんてんの説をとなせるなり。しかるに後世の学者、いたづらにこれを張りてもって他を排するは、仏意を失せり。何となれば則ち、迦文の意はもとここにあらず。民を救ふの急なる、何の暇あってその忽微こっぴを議せん。これいはゆる方便なり。しかるに儒氏もまたこれを知らずして曰く、「釈迦、須弥を作りて、その説合わず」と。ああ、迦文はあに儒固じゅこのごとくしからんや。仲尼ちゅうじ春秋しゅんじゅうを作るや、、また日食のつねたるを知らず。これ何をもってこれを解かん。それ日月の推歩は、天官星翁のつかさどる所、そのこれを知らざるに害なし。かへってこれを是非する者は、みな小知の人なり。近世またこれをよこしまに取りて、もって渾天の説に合わす者あり。そのろうますます甚だし。笑ふべきのみ。その諸経論の所説に異同ある者は、みな異部の名字にして、おのおの一家の言を立つる者のみ。

須弥楼山しゅみろうせんの説は、古来バラモンの伝えるところである。釈迦が、特にこれによってその道を説いたのは、天が地をつつむ球形宇宙観を、是としたからである。しかし後世の学者が、いたづらにこの宇宙観を主張して他を排除するのは、釈迦の本来の意図に反する。何故なら釈迦の本意は宇宙観などにはなく、民の救済に忙しいのに、こんな些末なことを論じる暇があろうか。この宇宙観はいわば方便なのだ。しかるに儒者もまたこれを知らずに、「釈迦、須弥を作ったが、その説に合わないところがある」と。ああ、釈迦は儒者のいうようなそのようなものではない。孔子は春秋を書いたが、日食が周期的に起こることを知らなかった。これを何と説明したらいいか。月日の移り変わりは、天文家の掌る所であって、その詳細を知らなくても支障はない。むしろこれを是非する者は、みな小知の人だ。近頃これを取り上げて勝手に論じ、その説に合わそうとする者がいる。卑小な根性だ。笑ふべきだろう。その所説に異同あるのは、みな自説の正統性を主張して宗派を作って、自派を独立させたのである。

その地の深さを説くがごとき、増含ぞうごんは六十八千由旬ゆじゅんとなし、俱舎くしゃは八十万千由旬となし、起世きせは六十万由旬となし、菩薩蔵ぼさつぞうには六十八百千由旬となし、楼炭ろうたんは八十憶由旬となし、光明こうみょうは十六万八由旬となす。これ何ぞその定説なき。またその須弥山半しゅみせんばんを説くがごとき、長含ちょうごん因本いんぽん大論だいろんは四万二千由旬となし、対法たいほう俱舎くしゃは四万由旬となす。また、何ぞ、その定説なき。また、その四洲の寿を説くがごとき、長含・楼炭・俱舎、おのおの不同なり。須弥しゅみ四宝しほうももまた不同なり。また、その修羅宮しゅらぐうを説くがごとき、起世は須弥の東となし、十地は須弥の北となす。またその地獄を説くがごとき、婆沙ばしゃ有説うせつ有説、また一定なく、あるいは云く、「八熱はちねつ八寒はちかんおのおの所属あり」と。大論は則ち云く、「八寒はこれ八熱の眷属けんぞく」と。所処名号、諸経論にまた一定なし。要するにみな異部の異言、必ずしも牽合けんごうせざるも可なり

たとえば地の深さを説くにしても、増一阿含経はは六十八千由旬ゆじゅんとし、俱舎論は八十万千由旬となし、起世経は六十万由旬となし、菩薩蔵経には六十八百千由旬とし、大楼炭経は八十憶由旬とし、金光明経は十六万八由旬とする。どうして定説がないのだろう。 。またその須弥山の半分の高さを説くにしても、長阿含経・起世因本経・大智度論は四万二千由旬とし、阿毘曇論・俱舎論は四万由旬とする。なぜ定説がないのか。また四大陸の生き物の寿命を説くにも、長阿含経・大楼炭経・俱舎論で、それぞれ同じではない。須弥山の四つの宝もまた 同じではない。阿修羅の宮殿についても、起世経は須弥山の東とし、十地経論は須弥山の北とする。またその地獄を説くにしても、阿毘達磨大毘婆沙論にも定説がなく「八熱地獄・八寒地獄にもそれぞれに所属の小地獄がある」と。大論は則ち云く、「八寒地獄は八熱地獄の眷属けんぞくだ」と。所在・名称とも、それぞれの経で同じではない。要するにみな異った部派での異なった主張であって、必ずしも辻褄をあわせる必要はないのである。20260616

また、その世界建立を説くがごとき、俱舎は水論前にあり、楞巌りょうごんは金論こんりん前にあり。また五輪の次序、空・風・水・金・地を、増含は地・水・火・風・金となし、また光音天こうおんでんを、長含は命尽きこの間に来生らいしょうすとなし、増上ぞうじょうあひ謂ひて言ふ、閻浮地えんぶちに至りて地形を観んと欲すとなす。余経には、歿して大梵処だいぼんしょに生まれ、漸漸下生ぜんぜんげしょうして人趣にんしゅに至るとなせり。またその三災を説くがごとき、長含・起世は刀兵とうひょう飢饉ききん・疫病えきびょう、俱舎・婆沙は、刀兵・疫病・飢饉、瑜伽ゆが対法たいほうは、飢饉・疫病・刀兵と、次序おのおの不同なり。要するに、みな異部の名字にして、その和会しがたきに論なし。

また、宇宙の構造についても、俱舎論は水論は最下層にあり、首楞巌経しゅりょうごんきょうでは 金論が最下層にあり、また五輪の順序も、空・風・水・金・地の順を、増一阿含経は地・水・火・風・金とし、また光音天についても、長阿含経には、命尽きてこの世界に生まれ変わるとし、増一阿含経では 閻浮提えんぶだいに行って地形を観ようと欲している。他の経には、光音天で歿すると、大梵処だいぼんしょに生まれ、漸次下の世界に生まれて人間世界に至るとされる。またその三災を説くに、長阿含経・起世経は刀兵とうひょう・飢饉・疫病の順とし、俱舎論・大毘婆沙論は、刀兵・疫病・飢饉とし、瑜伽ゆが論・阿毘達磨雑集論は、飢饉・疫病・刀兵とし、順序は同じではない。要するに、みな各派が異説を主張していて、一致することがない。20260617

また、その天を説くがごとき、薩婆多さっぱたは十六、経部師きょうぶしは十七、上座部じょうざぶたは十八、婆沙は日月にちがつ星宿しょうしゅく常憍じょうきょう持鬘じまん堅首けんしゅ四天してん、合わせて三十二種となす。 涅槃に四種あり。しかして大論に三種あり。またその四天王の宮城を説くがごとき、楼炭・俱舎・大論、おのおの不同なり。またその三梵さんぼんを説くについても、因本・対法・婆沙は、あひ去ること倍高、みな住地あり。俱舎・薩婆多は、合して一処となす。また仁王にんのうに十八梵ありて、瓔珞にはまた禅禅に梵王あり。他経一梵王あるに同じからず。またその大論に魔王をもって欲界の主となし、梵王を三界の主としながら、また魔醯首羅まけいしゅらをもって三界の主として、また、大千の主を論じて、初禅梵王しょぜんぼんのうとなし、華厳けごんは則ち魔醯首羅となせるがごとき。また、その魔醯首羅を説きて第六天となし、あるいは色究竟となせるがごとき。また、そのあるいは梵天・那羅延天ならえんてん・魔醯首羅を一体三分となせるがごとき。またその楞巌、八十華厳には、先は善見、後は善現にして、しかも俱舎・正理・六十華厳には、これに反するがごとき。

また、その天界を説くにしても、説一切有部は十六種、経量部は十七種、上座部は十八種、大毘婆沙論では、日月・星宿を収める常憍・持鬘・堅首・四天など合わせて三十二種に分けている。 大般涅槃経には四種の天があり。しかし大智度論には三種となっている。またその四天王の宮城を説くにしても、大楼炭経・俱舎論・大智度論は、それぞれ異なっていて、同じではない。またその三梵さんぼんを説くばあいでも、起世因本経・対法論・大毘婆沙論では、三梵の距離が順次倍に離れており、それぞれ住所があるが、俱舎論・薩婆多部ではは、それらを合せて一処とする。また仁王般若経では十八梵を説き、瓔珞経には四禅天のそれぞれに梵王があって、他の経では一梵王であるとして、一致しない。また大智度論は魔王をもって欲界の主となし、梵王を三界の主としている。また魔醯首羅まけいしゅらをもって三界の主となす。また、大千の主を論じて、初禅梵王しょぜんぼんのうとなし、華厳経では魔醯首羅を主とするようにそれぞれが異なっている。また、その魔醯首羅については第六天とし、あるいは色究竟としているように差があり、またあるいは梵天・那羅延天ならえんてん・魔醯首羅の一体を三分とするような差異がある。また首楞巌経や、八十巻本華厳経には、善見天を先に立て、善現天を後に立てるが、しかし俱舎論・順正理論・六十巻本華厳経は、これに反するといった差異がある。20260623

また、その無色界むしきかいの身処を論ずるがごとき、婆沙・俱舎・瑜伽ゆが経部きょうぶ成実じょうじつは無となし、起世・増含・華厳・仁王・化他けじ大衆だいしゅは有となせり。また、その人非人を説くがごとき、金光明こんきょうみょうは八部を結すとなせり。また、その阿修羅を説くがごとき、仏地論は天となし、対法は鬼となし、正法念経しょうぼうねんきょうは鬼畜二趣となし、伽陀経かだきょうは三趣しょうとなせり。また、その婆沙に、「有余部うよぶ阿素洛あすらを立てて六趣となすは、非なり。契経はこれ五趣と説くが故に」と云ひ、大論に、「問ふ、経に五道ありと説く。いかんぞ六道と云ふ。答ふ、仏去ること久遠くおん、経法多く別異あり。ただ法華経に、六趣ありと説く。義意しかるべし」と云うがごとき、要するにまたみな異部の命ずる所、もとより一音いっとんの演出する所にあらざるなり

また、その無色界むしきかいに心身を住することを論ずるようなとき、大毘婆沙論・俱舎論・瑜伽ゆが論・経部きょうぶ成実じょうじつ論は無とし、起世経・増一阿含経・華厳経・仁王般若経・化他けじ大衆だいしゅ部は有とする。また、にん非人ひにんについて説くようなとき、金光明経は八部を総括している。また、阿修羅を説くときは、仏地経論は天となし、対法論は鬼とし、正法念経は鬼畜の二趣としているし、伽陀経かだきょうは三つの世界に収めるとする。また、大毘婆沙論には、「ある部派では、阿修羅をを含めて六道としている。誤りである。経典では五道と説いているのだから」と云い、大智度論に、「問ふ。経に五道と説いているのに、どうして六道などと云う者がいるのか。答え。釈迦が入滅してから、久しい時がたっている。経典は多く、異同がある。ただし法華経に、六道と説かれている。その意味合いはそうなのだろう」と云っているが、要するにみな部派の相違がそうさせるので、もとより釈迦の口から出たものではないだろう。20260623

独り明代の志磐しばん師、これを解くに三意をもってして云く、「一は、仏、機に赴きて説く所不同なり。二は、結集部別不同なり、三は、伝訳前後不同なり」と。ああ、これ何ぞ妄の甚だしきや。もし、仏、機に赴きてこれを説くとなさば、これ乃ち妄語、また何ぞ人に示すに毘尼びにをもってせん。またもって結集部別不同なりとなさば、これ何ぞ、それ仏の所説たるにあらんや。経説もまた、何ぞ信を取るに足らん。何ぞその濫なるや。またもって伝訳前後不同とせんか。これ訳師もなた信じ難しとなせるなり。それ涅槃ねはん滅度めつどたる、あるいは円寂えんじゃくたる、これは則ち訳師の知解ちげにありて、その不同あるや論なし。もしその名物みょうもつ度数どす、前後不同をもってこれを解せば、これ何ぞ漠然たる。これ何ぞもって説とするに足らん。要するに、みなこれを知らずしてしか云ふ。その実はしからず。

ひとり明代の志磐しばんが、三つの視点からこれを解釈して云う。「一は、仏は、その機に応じて説いたため、同じものにならない。二は、部派ごとに結集したため同じにならない、三に伝えられた時代も訳者も違うため同じものにならない」と。ああ、何と愚かな解釈だろう。もし仏が、人の能力に応じて説いたとすれば、妄語となる、妄語戒を犯す者が、どうして戒律を説くことができよう。また結集の部派が違うというなら、どうしてそれを仏の所説といえよう。また、どうしてそのような経説を信じられよう。この矛盾同着はひどいものだ。また、時代も訳者も違うというなら、訳者もまた信じがたい。涅槃を、滅度と訳すのも円寂と訳すのも訳者の理解度によるもので、それが同じでないのはもちろんだ。経説もまた、信じられない。もしその用語や数字が時代によって異なるとしたら、なんと漠然としたものであろうか。これでは 仏説とはいえない。要するに、みな知らないで云っているのであって、実情はそうではない。20260625

釈迦譜しゃかふもまた云ふ、「経、華戎かじゅう に変じ、訳人やくにん斟酌しんしゃく出経しゅっきょうの人、おのおの所受あるが故に、住住不同なるのみ。それ史漢の延書、なほ分糅ぶんじゅうあひ反す。いはんや万理の外、千歳の表をや。むかしに明なる者、もとより善をえらんで従ふべし」と。ああ、何ぞ妄なるや。もし善を択んで従ふとなさば、これ己自ら高くして、もって経典を出だす者なり。また何ぞもって経典とするに足らん。要するに、また首鼠しゅその説、その不同あるにきんして、しか云ふ。これ実に古今の一大疑城にして、出定経典しゅつじょうきょうてん出でて、しかるのち始めて瞭然たり。

釈迦譜もまた云う、「経典は、中華と戎(えびす)とでは変わるし、訳者の斟酌によっても、誦出者の受け取り方によっても、異同が生じる。近時の史記や漢書なども、記事の取捨配列の違いによって、異同が生じる。まして、万理を離れ、千年以前に現れたものだから、当然異同はあるだろう。昔に明らかな者は、正しいものを選んでそれに従えばいい」と。ああ、何たる迷妄であろう。もし正しいものを選んでそれに従うとすれば、自らを高くして、もって経典を出すということになる。どうしてこんなものを経典とすることができようか。要するに、この首鼠両端の説は、異同に困ってこう云っているのである。これは実に古今の一大疑惑であったが、この出定後語が出て、はじめて明らかになったのである。20260625

世界の説はおよそ五、一に須弥世界は、これ梵志ぼんじの初説、けだしその本なり。世界の説はおよそ五つあり、一は須弥世界であり、これ梵志ぼんじの初説、けだしその本なり。そのいはゆる小千世界、中千世界、三千大千世界、また三千世界の外、別に十世界ある者は、これみな以後加上かじょうする者なり。梵網ぼんもうにいはゆる蓮華蔵世界れんげぞうせかいは、また一層加上の説、その広大は則ち華厳けごんの世界海に至りて極まる。世界の説、その実は漠然として、もって心理を語るに過ぎず。また何ぞ然否ぜんぴを知らん。故に曰く、世界は心に随ひて起こると、これなり。

世界の説はおよそ五つあり、一に須弥山を中心とした世界で、これはバラモンがはじめに説いた宇宙論で、その後の世界観のもとになったものである。そのいわゆる小千世界、中千世界、三千大千世界、また三千世界の外の十世界は、これはみな以後の加上によるものである。梵網経のいはゆる蓮華蔵世界れんげぞうせかいは、またさらにその上に加上された説で、その広大なことは華厳経の世界海に至って極まる。世界の説は、その実は漠然としたもので、事実ではなく人の心の中の働きを語るものである。どうしてその是非を知る必要などあろう。だから、世界は心にしたがって起こると、こういうのである。20260525

三藏さんぞう阿毘曇あびどん修多羅しゅたら伽陀かだ 第五

三藏さんぞう阿毘曇あびどん修多羅しゅたら伽陀かだ 第五

三藏は小乗の名、迦葉かしょうに出づ。大論に云く、「仏在世の時、三藏の名なし。大迦葉ら、三藏を集む」と。また云く、「三藏はこれ声聞法しょうもんぼう魔訶衍まかえんはこれ大乗法」と。法華経に云く、「小乗三藏に貧着とんじゃくする学者」と。これなり。これ竜樹りゅうじゅの時、三藏の名、小乗に属す。天台四教てんだいしきょう、よりてもって蔵を立つる者は、これを得たり。澄観ちょうかん師云く、「大乗もまた三藏あり」と。これおのづから自後世の義、言に物あるなり。また普超経ふちょうきょう入大乗論にゅうだいじょうろんに、三乗を謂ひて三藏となせる者は、乃ち別義にして、この謂ひにあらず。按ずるに、増一ぞういち序品じょほんに云く、「契経は一蔵、律は二蔵、阿毘曇経あびどんきょうを三藏となす」と。出曜経しゅつようきょうに云く、「仏、鹿苑ろくおんにありて、五比丘に告ぐ、この苦の本原は、いまだ見ずいまだ聞かざる所広くこの法を説くを契経蔵となす。仏、羅閲城らえつじょうにある時、迦蘭陀からんだの子須陳那しゅじんな、出家して学道し、最初に律を犯す。故に戒蔵を説く。仏、毘舎離びしゃりにありて、跋耆子ばっじし本末の因縁を見る、諸比丘に告ぐ。もろもろの五畏恚恨ごいいこんの心なき者は、便すなわ悪趣あくしゅに堕せず、またまた生まれて地獄の中に入らず。広く説くこと阿毘曇あびどんのごとし」と。大論もまた云く、「阿難説く、仏、波羅奈はらなにありて、五比丘のために、四真諦法ししんだいほうを説く。これを修妬路蔵しゅとろぞうと名づく。憂波利うぱり説く、仏、毘舎離びしゃりにありて、須隣那しゅりんな、初めて淫欲いんよくをなす。この因縁をもって、初めて大罪を結ぶこと、かくのごとき等、八十部、毘尼蔵にびぞうを作る。、阿難説く、仏、舎婆提城しゃばだいじょうにありて、告諸比丘に告ぐ。五・五罪・五おん、不除不滅なれば、この生身は心苦を受け、後世、悪道の中に堕つ。かくのごときを名づけて阿毘曇となす」と。

三藏とは小乗のことであり、迦葉に始まった。大智度論に云く、「仏が在世の時は、三藏の名はなかった。大迦葉たちが、三藏を編集した」と。また云く、「三藏は声聞しょうもんの教えで、魔訶衍まかえんは大乗である」と。法華経に云く、「小乗の三藏に拘泥するする学者」と。これはこのことである。竜樹の生きていた時は、三藏は小乗のことだった。天台の四教しきょうが、これによって蔵教の名を立てたことは、当を得ている。 澄観ちょうかんは云う、「大乗にもまた三藏あり」と。これは後世の考えであり、「言に物あるなり」の一例で、時代が影響している。また普超経ふちょうきょう入大乗論にゅうだいじょうろんに、三乗を三藏といっているがこれはまったく別の意味で、このことを云っているではない。思うに、増一阿含経の序品に云う、「経を一蔵とし、律を二蔵とし、阿毘曇経あびどんきょうすなわち論を三藏とする」と。出曜経しゅつようきょうに云く、「釈迦が、鹿苑苑で初めて五比丘に説法されたとき、この苦の本原は、いまだ誰も見聞きしたことはなく、広く説かれたこの法を経蔵とする。また、釈迦が王舎城におられたとき、迦蘭陀からんだの子須陳那しゅじんなが出家して学道し、最初に律を犯した。それで、戒蔵を説いた。釈迦が、毘舎離びしゃり国に逗留していたとき、たくさんの跋耆子ばっじしの人々の帰依があり、もろもろの比丘たちに告げた。五つの畏怖・怒り・恨みのの心なき者は、悪趣あくしゅに堕ちない。また生まれかわっても地獄に入らない。広く説くこと論のとおりである」と。大智度論論もまた云く、「阿難は云う、釈尊が、波羅奈はらなにいたとき、五比丘のために、四つの真理の法を説かれた。これを経蔵と名づける。憂波利うぱりは云う、釈尊が、毘舎離びしゃりにおられたとき、須隣那しゅりんな、初めて淫欲いんよくをなして、罪を犯した。この故に、初めて大罪を定め、こうして八十部の律蔵が作られた。阿難が云う、釈尊が、舎衛城にいたとき、もろもろの比丘たちに告げた。五種の恐れ・怒り・恨みを断ち切り、滅しなければ、この生身は心苦を受けて、後世、悪道の中に堕ちる。このようなことを論と名づける」と。

いま、この文をもってこれを推すに、三藏の義、知るべし、三藏は、けだし本の一書の名、みな類の近きに取りて、これをもって賛す。その初め、迦葉等の誦出ずしゅつする所は、わづかに一、二、三章、おのおの命づるに類をもってして、かりにこれを別かつ。後世の四阿含・五部律・種種の昆曇びどんの類分ありて捴命するに、この名をもってする者のたぐいのごときにはあらず。その四阿含・五部律・種種の昆曇ある者は、みな後世そうぎゃ僧迦の増多せるなり。故に婆沙ばしゃに云く、「修多羅の中、多く心法を説く。昆尼びにの中、多く戒法を説く。阿毘曇の中、多く慧法を説く、しかして、あるいはまた互に兼ぬ。ただし多分に従ふが故に、これを名づく」と。ここに知る。三蔵はもとただ一書の名。おのおのその誦する所に命じて、もってこれを別かつを。その実、義もまた互に兼ぬ。後世に独り経なきを難ずる者は、これを知らざればなり。婆沙に云く、「問ふ、たれかこの論を造る。答ふ、仏世尊と。問ふ、もししからば、この論何の故に迦多衍尼子かたえにし造ると伝言すと。答ふ、かの尊者、受持演説し、広く流布せしめるによる。この故に、この論の名称、かれに帰す。しかるに、これ仏説」と。これ、これを得たり。その実は、もとただ跋耆ばっじのためにする者に命じて、しかしてのち尼子にし等に、広益こうやくしてこれを説く。もしその後出をもってこれを疑はば、経律といへども、またみな後出なり。

いまこれらの文をもってこれを推察すると、三藏の義は明らかだろう。三藏は、思うに、例えば本の一書の名のようなもので、似通った類のものを集めて、これに名をつけて呼んだもののようである。その初め、迦葉たちの誦出ずしゅつしたものは、わづかに一、二、三章であって、おのおの類別して仮に区別したものだろう。後世の四阿含・五部律・種種の論書のようなものではない。その四阿含・五部律・種種の論書は、みな後世、教団が拡大したことによる。故に阿毘達磨大毘婆沙論に云う、「経の中、多くは心法を説いている。律蔵の中、多く戒律を説いている。論書の中、多くは慧法について説いている。そしてまたときには相互に他を兼ねていて、ただ扱いの多い方に従っている。それでこのように名づけている」と。これで知れるのである。三蔵は、もとはただ一書の名であって、おのおのその誦する所に応じて、区別しているのである。その実、内容もまた他を兼ねている。後世に、論だけは、経はないと批判する者は、これを知らないのである。大毘婆沙論に云う、「問う、だれが論を造ったのか。答える、仏世尊ご自身と。問う、もしそうであるなら、なぜこの論は迦多衍尼子かたえにしが造ったと伝言されているのか、と。答える、それはこの尊者が、これを受持して演説し、広く流布したことによる。この故に、この論の名称は、彼に帰すのである。しかし、もとは釈尊が説いたものである」と。それはそうだろう。その実、もとをただせば、ただ跋耆ばっじの人々のために説いたものを、のちに迦多衍尼子たちが、広く世に益するために流布したものである。もしそれが後に出たことをもってこれを疑はば、経・律といへども、みな後に出たのである。20260701

大論に云く、「三種の法門、一には、蜫勤門こんろくもん、二には阿毘曇門あびどんもん、三には空門くうもん蜫勤こんろくは三百二十万言あり。仏在世の時、大迦旃延だいかせんねんの造る所、阿毘曇は仏みづから諸法の義を説く。あるいは仏みづから法名を説く」と。また云く、「仏のごとき、ただちに世間第一の法を説いて、不説相義そうぎを説かず、一一、相義を分別する、これを阿毘曇門と名づく」と。いまこの文をもってこれを推すに、阿毘曇は、けだし相義を解釈げしゃくするの名、その訳するに対法たいほうをもってするは、またその法に対して、これを分別するをもってなり。その慧法えほうをもってする者も、また相義を分別するは、これ慧法なればなり。瑜迦論ゆがろんもまた云く、「諸法の性相しょうそうを問答決択す。故に阿毘曇を名づく」と。これ、これを得たり。故に仏説といへども、その相義を分別する者は、もとよりこれ阿毘曇なり。独り契経に慨するにあらず。故に楞厳りょうごんに云く、「 この阿毘達磨あびだつまは、十方の薄伽梵ばがぼん、一路涅槃門」と。これ見つべきなり。また十二文教じゅうにぶんきょういはゆる優波提舎うばだいしゃもまたその義を同じうす。大論に云く、「仏所説の論議経ろんぎきょう、および魔訶迦旃延まかかせんねんの解する所の修多羅、乃至像法の凡夫の人が、如法に説くも、また優波提舎と名づく」と。ここに知る、またその義を同じうするを。後世、訳すに論議をもってし、独り契経をもって仏に属する者は、こpれを儒家経伝じゅかけいでんの義に比するも、その実は、いまだ得たりとなさず。

大智度論に云く、「三種の法門がある。一には、蜫勤門こんろくもん、二には論(阿毘曇)門、三には空門である。蜫勤は三百二十万語からなり、仏が在世の時、大迦旃延だいかせんねんが造ったもの、論は仏みづから一切の存在するものの意味を説くか、あるいはそれらのものの名を説いたもの」と。また、「仏は、世間最高の教えを説いたが、その相の義については説かなかった。その相の義を分別するのを、論門と名づける」と云う。いまこの文によって推察するに、論とは、おそらく相の義を解釈することに名づけたもので、これを対法と訳するのも、またその教えを分別するものだからである。それを慧法と呼ぶのも、また相の義を分別するは、知恵に関することだからである。瑜迦論ゆがろんもまた云う、「さまざまなものの本体とその相状(性相)について問答し、決定・採択するものを論と名づける」と。これである。仏の直説でも、その相の義を分別したものは、もとより論であって、契とだけに限らない。だから楞厳経に云う、「 この論は、十方の立派な聖職者たちが等しく悟りに至る教えである」と。経典に当たって見よ。また十二文教のいはゆる優波提舎うばだいしゃもまたその意味は同じである。大智度論に云う、「仏の説いた論議の経も、魔訶迦旃延まかかせんねんが解説した経も、また像法のときの凡夫が、教えにそって説いたものも、また優波提舎うばだいしゃ (論議・注釈書)と名づける」と。これで意味が同じだと知れるのである。後世これを論議と訳した、ただ仏説のみを経とするのは、これを儒家における聖人の書(経)と、それを解き明かした賢人の書と対比しても、当を得たものではない。20260702

修多羅の義は、これを線に取る。線は、これをよく貫穿かんせんするに取る。何ぞや。けだし経説の本体は伽陀かだにあり。故に、経説を数ふるに幾をもってし、涅槃もまた云く、「修多羅及び緒戒律を除きて、その余の有説四句の偈を、これを伽陀と名づく」と。修多羅の線たる、これ、これをもって貫穿し、衆偈の次第、みなよるに取る。仏地論に,ruby>貫摂かんしょうを義となし、雑集論ぞうじゅうろん綴茸ていじゅうと云ふは、みなこれを得たり。これ、修多羅の線たればなり。その訳するに契経をもってする者は、またこれを儒家の書に比す。義意大いに別なり。修多羅には総あり別あり。十二分教中の修多羅は、これ伽陀等と対す。別なり。一切経蔵に修多羅と称する者は、総なり、何ぞや。

修多羅(経)の意味は、たて糸である。たて線は、よく貫き通すのでこう解したのである。 その理由は、思うに、経の重点は伽陀かだ(偈)にある。故に、経を数えるのに の数でもってし、涅槃経にもまた云く、「経と多くの戒律を除いて、その他に説かれている四句の偈を、これを伽陀と名づける」と。経がたて糸とされるのは、これをもってよく貫き通し、多くの偈の順序次第がみなこれによったからである。仏地論が経を貫摂かんしょうの意味とし、阿毘達磨雑集論論が綴茸ていじゅうと云っているのは、当を得ている。これは、経がたて糸を意味しているからである。それを訳するに契経をもってするのは、またこれを儒家の書に比べてみると、その意味は大いに異なる。修多羅には広い意味と狭い意味がある。二分教中の修多羅は、伽陀等と同じで狭い意味である。一切経蔵を修多羅というのは、広い意味である。どうしてか。20260703

伽陀はただ誦読にこれ便にして、而文理属する所、かへって修多羅にあればなり。しからば則ち契経の本体、伽陀にある者は何ぞや。これ乃ち、支那の教学は、必ずこれを操縵󠄄そうまんに託し、詩・書・えき管仲かんちゅう老聃ろうたんの書は、みな言を韻語に託す。本朝の神代の古語、および祝詞のりともまた、みな誦読にこれ便する者。三国ともにそのむねを一にす。何ぞや。口口あひ伝へて、説誦せつじゅの際、もとよりしからざることあたはず。神祇じんぎもまた楽しむ所なればなり。仁王般若にんのうはんにゃに云く、「普明王ふみょうおう、七仏の教法によりて、百法師を請じ、百高座を設け、一日二日、般若八千憶偈を講設す」と。これ、見つべし。ここに知る。契経の本体は、実に伽陀にありて、ただこれを誦読しょうどくの便に取るを。

伽陀(偈)はただ誦読しょうどくするときに便利ということであり、内容の通読には、かへって修多羅が便利なのである。それなら、経の中心が伽陀にある、とはどういうことか。これは、支那の教学は、必ずこれを楽器に合わせて読み、四書五経・管子・老子の書は、みな韻語で書かれている。本朝の神代の古語、および祝詞のりともまた、みな誦読に便利だ。三国がともにその姿を等しくしているのだ。なぜか。口から口へと相伝へて、となえるときは、もとよりこの方法を措いてほかにない。。また天地の神々もこれを喜びとするからだ。仁王般若経に云う、「普明王は、過去七仏の教えによって、百人の法師を請じ、百の高座を設けて、一日、二日、般若経の八千憶の偈を講設させた」という。ここにおいて知る、契経の中心は、実に伽陀にあって、これは誦読しょうどくしやすいという利点があったからだ。20260704

長水師じょうすいし、これを解きて云く、「経、多くじゅを立つるは、ほぼ八義あり。一、少字、多義を摂するが故に、二、讃嘆の者、多く偈頌げじゅをもってするが故に。三、鈍根どんこんのために重説じゅうせつするが故に、四、後来の徒のための故に。五、意楽いぎょうに随ふが故に。六、受持し易きが故に。七、前説を増明するが故に。八、長行いまだ説かざるが故に」と。これただし第五・六の義は。これを得たり。その余はみな口弁なり。桉ずるに、付法蔵経ふほうぞうきょうに云く、「馬鳴めみょう、於果華氏国けしこくにおいて遊行教化ゆぎょうきょうげす。妙妓楽みょうぎがくを作りて、頼吒和羅らいたわらと名づく。その音、清雅、苦空無我くくうむがを宣説す。時にこの城中五百の王子、同時に開梧す。家を出でて道をなせり」と。増一ぞういち賢愚経けんぐきょうに云く、迦葉仏かしょうぶつの時、均提出家きんだいしゅっけ、少年声好く、讃唄,さんばいを善巧にす。人、楽聴らくちょうする所」と。毘尼母経びにもきょうに云く、「高声に作歌音誦経をなすをゆるさず。、五の過患かかんあり。外道げどうの歌音説法に同じ」と。ここに知る、当時の経説は全く歌音に託するを。ただに誦読にこれを便するならず。

長水法師が、これを解釈して、「経に、多くじゅを使っているのは、八つの意味がある。一に、少ない字数で多くの意味を含めるから、二に、讃嘆する場合は多く偈頌げじゅによるから。三に、鈍根の人のために重ねて説く必要があるから、四に、後代の人に資するため。五に、人の好みに合うから。六に、記憶しやすいから。七に、前に説いたことを明らかにする故に。八に、散文(長行)で言い残したことを説くため」と。このなかで、第五・六の意味は分かる。その通りだろう。その他はみな思い付きだ。思うに、付法蔵因縁伝に云う、「馬鳴めみょうが、華氏国かしこくを遊行教化しているときに、美しい音楽を作って、頼吒和羅らいたわらと名づけた。その音は、清らかで苦と空と無我をうたっていた。その時、この城中に五百の王子がいた。それを聞いて同時に悟るところがあり、出家した」と。増一阿含経や賢愚経に云う、「迦葉仏の時、均提きんだいが出家したが、その少年声は好く、讃歌が巧みで、人は楽しんで耳を傾けた」と。毘尼母経びにもきょうに云う、「高い声で歌を歌ったり誦経をしてはいけない。五つの過患かかんがあって、外道げどうの歌唱・説法と同じだからである」と。ここに知る、当時の経説は全く歌や音楽に託して説かれたのを。ただに誦読に便利だっただけではない。20260705

九部・十二部・方等乗ほうどうじょう第六

九部・十二部・方等乗ほうどうじょう 第六

九部・十二部は、これともに一切経蔵を指すの辞。後世、あるいは就きて大小乗を分かつ者は、誤る。何をもって、これを知るか。涅槃ねはんに云く、<聖行品しょうぎょうほん>、「仏より十二部を出だす」と。これ、仏より一切経蔵を出だすを言ふ。故に、下文にこれを揀異かんいして云く、「方等を出だす」と。また、四相品しそうほんの、九部をもって方等大乗に対するごときも、またしかり。法華もまた云く(方便品ほうべんぼん)、「われ、この九部の法を、衆生しゅじょうに随順して説く。大乗に入るを本となす」と。これともに一切経蔵を指して、いまだ大小を揀異せざるの辞、見つべきなり。故に、大論に、大小乗ともに九部の説あり。またもって発するに足れり。また涅槃に、「小乗は方広部なし」と云う者は、これ小乗独り方等なきを云ふも、その実、小乗をへんするの言。小乗といへども、また随分方広あり。後世、 小乗もまた十二部あるの説は、これを得たり。これ、方広は則ち、独りこれを大乗に属して、しか云ふ。

九部・十二部は、これともに一切の経蔵を指す言葉である。後世、これについて大乗・小乗に分けるのは、誤りである。どうしてそれが分かるか。涅槃経の聖行品に云う、「仏より十二部が説きだされた」と。これは、仏より一切の経蔵が説かれたことを云っている。だから、そのすぐあとに、かさねて「方等経が説き出された」と云っているのである。また四相品に、九部経をもって方等大乗経典に対立させせいるのも、同様である。法華経の方便品にも、「わたしは、この九部の法を、衆生の資質に応じて説いた。大乗に導くのが目的である。」と云っている。これはともに一切の経蔵を指して、いまだ大乗・小乗を区別していない。経典に当たってみるがよい。だから、大智度論に、大乗・小乗ともに九部があると説かれているのである。また涅槃経に、「小乗に方等部はない」と云うのは、小乗だけが方等がないとけなしているのであって、小乗といへども、また方広はあるのだ。後世に、 小乗にもまた十二部経があるの説がでるのは、当然なのである。これは、方広だけが、大乗に所属していると解して、このように云ったのである。20260707

涅槃に、また云く、「十一部の経は、二乗の持する所。方等部を菩薩の持する所となす」と。摩得勤伽論まとろがろんも、また云く、「ただ、方広部はこれ菩薩蔵。十一部はこれ声聞蔵」と。また同じ。
涅槃経に、また云う、「十一部経は、二乗の持ち物。方等部は菩薩の持ち物だ」と。摩得勤伽論まとろがろんにも、また云う、「ただ方広部だけが菩薩蔵で、十一部経は声聞蔵である」と。これも同じ趣旨である。

方等は、乃ち方広。その義別なし。ただ十二部中に就ひて十二部中、大乗を揀異して、これを命ず。別にその経なし。涅槃に云く(聖行品)、「仏より出十二部経を出だし、十二部経より修多羅を出だし、修多羅より方等経を出だす」と。また云く(四相品)、半字とは、九部経を謂ふ。毘伽羅論びからんろんとは、方広大乗経を謂ふ」と。大論に云く、「法華経諸余の方等経は、何をもって喜王菩薩きおうぼさつに属累するや」と。普賢経ふけんきょうに云く、「この方等経は、これ諸仏の眼」と。また方等大乗経典の語あり。また、涅槃に、大方等・大涅槃の語あり。みな大を讃するの辞。別にその経あるにあらず。またその華厳けごん・円覚えんがく勝鬘しょうまん獅子吼ししく、みな命ずるに方広をもってするがごとき。また、大論に方広道人ほうこうどうにんあるも、みな大を讃するの辞。その義別なし。後世の学者、あるいはこれを知らず。これをもって理方等りほうどうとなし、別に時方等じほうどうを立つる者は、誤る。声聞法はこれ二乗小乗。菩薩法はこれ大乗、大乗菩薩乗の上に、別に仏乗一乗の説あり。また一部の立言なり。大乗同性経だいじょうどうしょうきょうに云く、「所有しょうの声聞法・辟支仏法びゃくしぶつぽう・菩薩法、諸仏法しょぶつほう、かくのごとき一切の諸法は、みなことごとく毘盧遮那智蔵大海びるしゃなちぞうだいかいに流入す」と。智藏大海、乃ち仏第十地の名。これ別に仏乗あるなり。楞伽経りょうがきょうに云く、「乗の建立こんりゅうあることなし。われ説きて一乗となす。衆生しゅじょう引導いんどうするが故に、分別して諸乗を説く」と。梁訳摂論釈りょうやくしょうろんしゃくに云く、「<如来、正法しょうぼう成立じょうりゅうするに三種あり。一は小乗、二は大乗、三は一乗。第三最も勝る。故に善成立と名づく」と。これ別に一乗あるなり。一乗の上、また無乗あり。楞伽経りょうがきょうに云く、「諸天および梵乗・声聞・縁覚乗・諸仏如来乗。われ、この諸乗を説くも、乃至心の転ずるあれば、諸乗は究竟くきょうにあらず。もしかの心滅尽めつじんすれば、乗および乗者なし」と。これ別に無乗あるなり。これ、みな一層層加上する者の説なり。また按ずるに、唐訳摂論釈とうやくしょうろんしゃくに云く、「菩薩乗は即ち仏乗、さらに上あることなし」と。これ、また一部の異言、上と同じからず。また按ずるに、法華経に云く(方便品ほうべんぼん)、「ただ一乗の法のみありて、二もなく、また三もなし」と。また云く、「ただ一乗道をもって、他の諸菩薩に教ふ」と。また云く、「この諸仏子のために、この大乗経を説く。声聞もしくは菩薩、みな成仏疑ひなし」と。これ菩薩乗・仏乗一乗に別あることなきなり。また按ずるに、涅槃経に云く、「一切衆生は同じく仏性ぶっしょうあり。みな同一乗」と。これ兼家一乗けんげいちじょうの説なり。

方等とは、方広のことで、その意味に差はない。ただ十二部経の中で、大乗を区別して、名づけたもので、そのような名の経があるわけではない。涅槃経に云く(聖行品)、「仏より十二部経が説かれ、十二部経より経(修多羅)が説かれ、経(修多羅)より方等経が説かれた」と。また云う(四相品に)、半字とは小乗を云い、九部経を指して謂う。文法論では、方広大乗経のことを指して謂う」と。大智度論に云う、「仏は、法華経や諸余の方等経を、何をもって喜王菩薩きおうぼさつに託したのか」と。観普賢菩薩行法経に云う、「この方等経は、諸仏の眼目である」と。また方等大乗経典の言葉も見られる。また、涅槃経には、大方等大涅槃という言葉も見られる。いずれもみな大乗を讃える言葉で、別にその名の経典があるのではない。またその華厳経・円覚経・勝鬘しょうまん経・獅子吼経など、みな方広の名をつけて呼ばれている。また、大智度論に方広道人ほうこうどうにんという言葉が見られるのも、みな大乗を讃えた言葉で、それ以外意味はない。後世の学者には、これを知らないで、そのため理方の上での方等とみなして別に時間の上の方等を立てるものがあるが、誤りである。声聞の教えは、二乗としての小乗であり、菩薩の教えは大乗である。大乗菩薩乗の上に、別に仏乗一乗の説を立てる者がいるが、大乗同性経だいじょうどうしょうきょうに云う、「あらゆる声聞の教え・辟支仏びゃくしぶつの教え・菩薩の教え、諸仏の教え、こうした一切の教えは、みなことごとく広大な毘盧遮那智蔵大海びるしゃなちぞうだいかいに流れ込む」と。広大な知恵の大海とは、すなわち仏の第十地の名である。これは別に仏乗を説いたものである。楞伽経りょうがきょうに云く、「別に悟りに至る乗物があるわけではない。わたしが説くのはただ一乗である。衆生を導くために分別して説いているのだ。」と。梁訳摂論釈りょうやくしょうろんしゃくに云う、「如来の、正法の成立には三種あり。一は小乗、二は大乗、三は一乗。第三が最も勝れている。故に善の成立と名づける」と。これは別に一乗を説いているのである。一乗の上に、また無乗がある。楞伽経りょうがきょうに云う、「わたしは、諸天および梵乗・声聞・縁覚乗・諸仏の如来乗を説いてきたが、しかしここにはまだ心の働きがあるので、それぞれの乗は究極のものではない。もしかの心が尽きてしまえば、乗も乗で救われる衆生もない」と。これ別に無乗があると云っているのである。これはみな、より一層加上する説である。また思うに、唐訳摂論釈とうやくしょうろんしゃくに云う、「菩薩乗はすなわち仏乗であり、その上はない」と。これ、また一部の異説であって、上と同じではない。また思うに、法華経に云う(方便品ほうべんぼん)、「ただ一乗のみあって、二もなく、三もない」と。また云く、「ただ一乗道をもって、他の諸菩薩に教える」と。また云く、「このさまざまな仏子のために、この大乗経を説く。声聞もしくは菩薩、みな成仏疑いない」と。これは、菩薩乗も仏乗も一乗も別のものではないということである。また思うに、涅槃経に云う、「一切衆生は同じく仏性ぶっしょうあり。みな同じ一乗である」と。これは統合した一乗説である。20260707

涅槃ねはん華厳けごん二喩にゆ 第七

涅槃ねはん華厳けごん二喩にゆ 第七

涅槃経聖行品ねはんぎょうしょうぎょうほんに曰く、「譬へば牛よりを出だし、乳よりを出だし、酪より生酥しょうそを出だし、生酥より熟酥じゅくそを出だし、熟酥より醍醐だいごを出だすがごとし。醍醐は最も上なり。仏もまたかくのごとし。仏より十二部経を出だし、十二部経より修多羅しゅたらを出だし、修多羅より方等経を出だし、方等経より般若波羅蜜はんにゃはらみつを出だし、般若波羅蜜より大涅槃を出だすこと、なほ醍醐のごとし」と。これを仏性に譬ふ。このたとへは、もと無垢蔵王むくざおうが涅槃の教への最も勝れたるを嘆ずるによって、仏乃ち印可いんかし、これを喩ふるに五味をもってして、もって、その最もこまやかなるを示すなり。十二部経は乃ち一切経典。修多羅は乃ちいはゆる別部、大小いまだ揀異かんいせざる者。方等経は乃ち大乗経典、修多羅中に就きてこれを揀異する者。般若波羅蜜は乃ち方等中の粋なる者。また智慧を兼ぬ。大般若は乃ち大円寂だいえんじゃく、また為般若の粋なり。みなその中に就きてその粋を揀異する者。これ乃ち、その本義なり。しかるに後世の学者、みな誤解して云く、「十二部はこれ華厳、修多羅はこれ阿含あごん、方等はこれ維摩ゆいま思益しやく等」と。もって、これを天台大師の五教に合はす。十二部・修多羅は、説すでに上に見ゆ。これ何ぞ華厳・阿含に限らん。かつ乳は酪より粗にして、華厳は則ち鹿苑ろくおんより、オサオサ。これ全く合はず。かつ原経の旨を、五味の濃淡、教への最も勝れたるに喩へて、かれは則ち、もってその五教に合はす。故に云く、「これを下劣げれつ根性こんじょうに取る。あるいは云く、「これを相生そうしょうの次第に取る」と。また、その義を失せり。

涅槃経の聖行品に曰く、「たとえば牛より乳をしぼり、その乳より酪がつくられ、酪から生酥しょうそがつくられ、生酥から熟酥じゅくそがつくられ、熟酥から醍醐だいごがつくられるようなものだ。醍醐は最上である。仏もまたこのようなものだ。仏から十二部経が説きだされ、十二部経から経(修多羅しゅたら)が説きだされ、経から方等経が説きだされ、方等経から般若波羅蜜はんにゃはらみつが説きだされ、般若波羅蜜から大涅槃が説きだされたが、これはまさに醍醐がつくられるのと同じである」と。これを仏性にたとえる。この比喩は、もと無垢蔵王が涅槃の教えが最も勝れていることを讃えたことから、仏が菩薩の言葉を認めて、五味にたとえて、醍醐が最も濃い味であることを示したものである。つまり十二部経は、一切の経典のことであり、経とはいわゆる部派の別や大・小乗の区別がないもの、方等経はすなわち大乗経典であり、経のなかで特に選別された粋で、また知恵を含むものである。 般若波羅蜜は、方等経の粋であり、また智慧を兼ている。大般若は大円寂のことであり、また般若波羅蜜の粋である。みな事前に選び出された粋である。これがこの譬の本来の趣旨である。ところが後世の学者、みな誤解して云う、「十二部経は華厳経であり、経は阿含あごんであり、方等は維摩経・思益梵天所問経などのことである」と云い、こうして、天台大師の五時(五教)の教判に合わせている。十二部経や修多羅(経)については、すでに見たとおりである。これらがどうして華厳や阿含に限られることになるのか。また乳は酪より粗いものなのに、華厳時は鹿苑ろくおん時より勝れているはずなのに、味の喩では、先にある故、粗い味になり、譬えに全く合わない。かつもとの修多羅(経)の趣旨を、五味の濃淡によって、教への最も勝れたものに喩へているのに、学者は、五時の教判に合はせて、云う、「これを資質の相違によって説いた」とか、あるいは、「これを成立の順序を指している」と。これもまた、経の本来の意味を失っている。20260708

また華厳経性起品けごんきょうしょうきほんに曰く、「譬へば、日の出でてまづ諸大山王しょだいせんのうを照らし、次に大山だいせんを照らし、次に金剛宝山こんごうほうせんを照らし、しかしてのちあまねく大地を照らすがごとし。日光はこの念をなさず。ただ地に高下あり。故に照らすに先後あり。如来もまたしかり。智慧の日輪は、常に光明を放つ。まづ菩薩山王ぼさつせんのうを照し、次に縁覚を照らし、次に善根の衆生を照らす。しかして後、ことごとく一切衆生を照らす。如来、もとこの念をなさず。ただ衆生の善根不同、故にこの種々の差別しゃべつあり」と。このたとへは、もと謂ふ、如来の諸説はもとより浅深なければ、ただその初義最第一、菩薩・衆以上は、実にこれが化をこうむる。これより以下、縁覚・声聞も分に随ひて領承し、みなおのおのその徳をなす。しかるにその最高の者を求むるに、もとより初説を出でず。最妙の者は、もとより華厳を出でず。これ乃ち経の本旨なり。しかるに後世の学者、また誤解して云く、「華厳は第一照、阿含第二照、方等第三照、法華・涅槃は第四・第五照」と。またもってこれを天台大師の五教に合わす。それ華厳の第一照たる、もとより弁を待たず。ただ阿含の最も愚法にして、第二照となり、また法華・涅槃の最妙の者にして、いたづらに第四・第五照となるは、これ甚だ円満ならず。ここに知る、この喩へもまた合はざることを。かつ、経の所列には、ただ四照ありて、かれは則ちこれを五時に合はするも、またその義を失せり。

また華厳経の性起品に曰う、「譬へば、日が出てまづ高い山々を照らし、その次に高い山を照らし、次に金剛宝山を照らし、しかしてのちあまねく大地を照らすようなものだ。日光がこうしようとしたのではなく、地に高下があって、照らす先後ができる。如来もまたそうである。如来の智慧の日輪が、常に光明を放って、まづ山の王である菩薩を照し、次に縁覚を照らし、次に善根の衆生を照らし、その後に、ことごとく一切の衆生を照らすのである。如来は、元来そのような意図はないが、ただ衆生の善根は同じではないから、これらの種々の差別が生じるのである」と。この喩は元来、如来の説く教えには浅深がなく、ただその最初の説法が第一で、菩薩以上が、実にこの教化をうける。これより以下、縁覚・声聞も分に応じて教化を受けて、おのおのその徳を成就したことを意味する。そして最高の説法を求むるとすれば、もとより最初の説法の他なく、最高の経も、もとより華厳経の他はない。これすなわちこの経の本旨である。しかるに後世の学者、また誤解して云う、「華厳は最初に照らされたもの、阿含は次に照らされたもの、方等は第三に照らされたもの、法華・涅槃は第四・第五に照らされたもの」と。またこれをもって天台大師の五教に合わせているのである。華厳経が最初に照らされたのは、論ずるまでもない。ただ阿含が最も劣った教えであるにしては、第二に照らされたものとなり、また法華経・涅槃経のような最も勝れたものを、いたづらに第四・第五に照らされたものとなるのは、これでは甚だ整合がとれていない。これで分かる、この喩へも実際と合っていないことを。かつ、経の対象は、ただ四つなのに、これを天台五時に合わせるのも、無理がある。20260708

要するに、この二喩、涅槃は則ちこれを終に託し、もって醍醐の最もじゅんなるを推し、華厳は則ちこれを始めに託して、もって日の先ず山王を照らすをとうとぶ。順逆喩へを設け、おのおのその教へを妙にするも、その実は胡越こえつの異なり。天台大師、この二喩を合わせてもってその五教を証する者も、またあにこれを知らざらんや。たまたま、この喩へは、もって人をして了解しやすからしむるに足る者あるを見るなり。故にかりにってもってその趣をなせり。もってその説を証するにはあらざるなり。あに後世の学者の、固くこれを執って、五時は全くこの二喩に出づとおもへる者のごとく、しからんや。これ則ち、天台大師の本旨なり。あるいはまた後世もって天台大師をましむる者もまた非なり。またその有長含ちょうごんの四種の言論、月燈三昧がっとうざんまいの四種の修多羅しゅたら涅槃ねはんの四菩提あるをもって、よってその四教を立つる者のごとき、また、ただかりに撮って、もってこれをなすのみ。後世、章案しょうあんらが、則ちみな牽強けんきょうしてもってその義を解くも、また合わざるなり。妙玄真記みょうげんしんきに云く、「もって証成しょうじょうするにあらざるも、またこの意なり」と。これ則ちこれを得たり。

要するに、この二喩は、涅槃経はその重点を最後のものに託し、もって醍醐の最もじゅんなる味を推奨したのであり、華厳経は、その重点を始めに託して、もって日の光が先ず高山を照らすのを尊んでいる。比喩の重点を最初と最後にもうけて、それぞれの教えを勝れたものとしたであるが、その実は、胡越こえつの異であり、大へんな違いがあるのだ。天台大師は、この二喩を合わせて、その五時の説を立証しようととしたが、その乖離を知らなかったわけではあるまい。たまたま、この喩へは、人を容易に理解させるものがあるので使ったものであり、これで自説を立証しようとしたものではあるまい。後世の学者が、これに固執して、五時の説は全くこの二喩にもとづいていると思い違いしているが、それは天台大師の本旨ではない。また後世これをもって天台大師を批判するのも誤りだ。またその長阿含経に見える四種の教え、月燈三昧経にいう四種の経、涅槃経の四種の菩提(さとり)などをよりどころとして、その四教を立証するといったことも、また、ただかりに使ったものに過ぎない。後世、章案らが、無理にこじつけて解釈しているが、これも理に合わない。法華玄義私記(妙玄真記)に云う、「これによって立証しようとしたのではないが、そうした意図はあった」と。これは当を得ている。20260710

神通じんずう 第八

神通じんずう 第八

竺人じくじんの俗、げんを好むを甚だしとなす。これを漢人の文を好むにたとふ。およそ教を設け道を説く者は、みな必ずこれによって、もって進む。いやしくも、これによるにあらざれば、民信ぜざるなり。阿毘曇あびどんに云く、「支仏しぶつのただ神通じんずうをもって、もって衆生をよろこばし、法を説くことあたはざることならず。大論に云く、「菩薩は衆生のための故に、神通を取り、諸希有奇特けうきどくを現じて、衆生心をして清浄ならしむ」と。また云く、「鳥、はねなければ高くかけることあたはず。菩薩、神通なければ、随意に衆生を教化きょうげすることあたわず」と。これなり。当時、諸外道しょげどうも、またみな幻をもって進む。迦文闢かもんひらいてこれを上するも、またこれにかりて、もって進まざることあたはず。

インド人の習俗は、幻を好むこと甚だしいものがあるが。これは漢人の文辞を好むことに匹敵する。およそ立宗し、道を説くものは、その地の習俗にもとづいて広めることになる。これによらないと民衆は信用しない。諭書に云う、「. 辟支仏びしゃくぶつがただ神通力をもって、衆生をよろこばすばかりで、法を説くができないのとは違う」と。大智度論に云う、「菩薩は衆生のための故に、神通を取り、様々な不思議を現して、衆生の心を清浄にする」と。また云う、「鳥は、羽がなければ高く飛ぶことができない。菩薩は、神通なければ、随意に衆生を>教化できない」と。これである。当時は、諸外道も、またみな幻をもって教化していた。釈迦も上を行くため、神通力をもって広めるしかなかったのだ。20260710

大論に云く、「悪邪の人あり、嫉妬心しっとしんいだき、誹謗ひぼうして言ふ。仏の智慧は人に出でず。ただ幻術をもって世をまどはすと。かれが断彼貢高邪慢くこうじゃまんの意を断ずるが故に、無量の神通、無量の智慧力を現ず」と。また云く、「種々の諸物は、みなよく転変てんぺんす。外道の輩の転は、久過ごくく七日に過ぎず。諸仏および弟子は、変転自在、久近くごんあることなし。宝積経ほうしゃくきょうに云く、「如来は憍慢きょうまんの衆生を調伏ちょうぶくするがための故に諸神変を現ず」と。これなり。外道はこれを幻と謂ひ、仏はこれを神通と謂ふも、その実は一なり。ここにおいて、諸弟子のその道を伝ふる者も、またみな託して、もってその説を進む。諸蔵の所説の十分の九はみなこれのみ。

大智度論に云う、「悪邪の人があって、嫉妬心をだいて、誹謗して言ふ。仏の智慧は人より勝れているのではない。ただ幻術をもって世を惑わしているのだと。この人の高慢な邪心を断ち切るために、仏は、多くの神通、はかり知れない智慧力を現した」と。また云う、「種々の諸物は、みなよく姿を変えるが、外道の輩の姿を変えるのは、長くても七日に過ぎない。諸仏および弟子たちは、変転自在に変えて、時間の長短はない」と。大宝積経に云う、「如来は憍慢きょうまんの衆生を調伏ちょうぶくするために諸々の神変を現した」と。これである。外道はこれを幻と謂い、仏はこれを神通と謂うのも、その実は同じものである。ここにおいて、諸弟子のその道を説くものも、またみなこれに託して、その説を説き進めた。諸蔵の所説の十分の九はみなこれである。20260711

試みに十二分教に就いてこれを言ふに、阿浮陀達磨あぶだだつま未曽有みぞううたる、これ真の幻なり。伊帝越伽いていおちか本事ほんじ物語や、闍陀伽じゃかた本生ほんじょう譚や、和伽那わかなの授記も、尼陀那にだな因縁いんねんたる、みな、事の幻なり。毘仏略びぶつりゃく方広ほうこうたるや、説の幻なり。これ幻、その半ばに居れり。また大衆部は、三藏の外に、禁呪経こんじゅきょうを集む。地持論じじろんに、「四陀羅尼しだらにじゅあり。よく呪術を起こして、有神験じんげんあるが故」と。これもまた幻なり。かつ、諸蔵の中には、幻喩げんゆひとへに多し。何となれば則ち天竺には見聞けんもん多く、かつ、その好む所なればなり。また諸弟子言を迦文に託して、もってその言を立て、互相たがいに加上并吞する者のごときも、これまた幻なり。三十二天六道生滅ろくどうしょうめつの説も、これまた幻なり。七仏しちぶつの前、外道に上すと。これまた幻なり。梵天ぼんてん来りて教を請ふも、これまた幻なり。これみな幻なり。竺人の学は、実に幻をもって道をす。いやしくもこれによってもって進まざれば、民もまた信従せざるなり。

試みに十二分教についてこれを言ふと、阿浮陀達磨あぶだだつまは未曽有経で、かってないすばらしさを讃嘆しているが、これは真の幻術である。伊帝越伽いていおちか本事ほんじ物語も、闍陀伽じゃかた本生ほんじょう譚も、和伽那わかなの授記の話も、尼陀那にだなの因縁いんねん物語も、みな、具体的に現れた幻術である。 毘仏略びぶつりゃく方広ほうこうと称するのも、教説の幻術である。こうした幻術は、その大半を占めている。また大衆部は、三藏の外に、陀羅尼を集めている。菩薩地持経の、「四種陀羅尼には、じゅあり。よく呪術を起こして、霊験がある故」と。これもまた幻術である。かつ、諸蔵の中には、幻術の比喩が極めて多い。なぜなら、インドにはこれを実際に見聞することが多く、またそれが好まれている。また諸弟子のなかには釈迦の言葉と称して自説を立てて、互いに加上して他を併合するのがいるが、これもまた幻術である。三十二天や六道に生滅を繰り返すという説も、これまた幻術である。過去七仏の前は、外道の説に加上したのであって、これもまた幻術である。梵天勧請も、すべて幻術である。インド人の人の学問は、実に、幻術によって道をつけ、かりそめにも、これによって説かなければ、民もまた信用しない。20260712

余、故にかって曰く、「およそ天下の僧伽そうぎゃにして、もし仏が幻をるを知り、天下の儒史じゅしにして、もし儒が文に由るのを知らば、則ちその道におけるや。なんぞただ一せきならん。子𤋮しきまたかって余と語って云く、「竺人じくじん無量無辺等の語を好む。そのしょうしかり」と。漢人かんじん文辞佶屈ぶんじきっくつの語を好み、東人とうじんの好清介直語せいかいしっちょくの語を好むも、またその性しかり。また、芥子須弥けししゅみ因陀羅網いんだらもうたとへのごとき、またその民心の好む所。かくのごとき喩へ、多くあり。これ則ち幻にもとづく。漢人もまた山澖平さんかんへい象三耳ぞうさんじをなすといへども、これ則ち文にもとづく。東人は則ち、これらの喩へを好まず。ただ直切の語をなすのみ。

子煕、姓は三好みよし、名は棟明むねあき大坂おおざか人、わが畏友いゆうなり。いまや則ちなし。

わたし(仲基)はかって云ったことがある、「およそ天下の僧たちが、もし仏が幻術をつかっていることを知り、天下の儒者たちが、もし孔子の教えが文辞によっているのを知らば、その修学の進捗において、何ぞ遅々たることがあろうか。かってわが畏友の子𤋮が云ったことがある、「インド人は無量・無辺等の語を好む。その性情からしてそうなのだ」と。漢人は堅苦しい文辞を好み、日本人はさっぱりした飾り気のない言葉を好むのも本来の性情による。また、芥子に須弥山を蔵す喩や帝釈天の網どの喩もまた、インドの民衆の好むところである。それは幻術にもとづいている。漢人もまた山とか淵とか云っても、結局は比較のうえのことだとか、象に三つの耳があると云えるのも、文辞による。日本人は、これらの喩へを好まない。ただ簡明に平易に語るのみなのだ。20260714

子煕は姓は三好みよし、名は棟明むねあきといい、大坂の人で、わが畏友だった。いまはいない。

また因果報応いんがほうおう天堂地獄てんどうじごくの説のごとき、もと外道の立つる所、竺人の性の好む所なり。迦文かもんはよりてもって利導りどうし、その中人以下の者を収め、さらに成仏離相じょうぶつりそうの説を立て、もってこの層を出で、その中人以上の者を収む。何となれば則ち、その説もとより悪なく、かつ、竺人の好む所なればなり。しかるに、その実は則ち方便ほうべんなり。これを殷人いんひとを尚んで、殷王の諸こうに、神多く天多きに譬ふ。儒固じゅここれをそしるに、譸張ちゅうちょうをもってする者は、類を知らずと謂ふべきなり。また仏氏ぶっしの儒をそしるに、これなきことをもってする者も、またその実は、則ち方便なるをしらざればなり。

また因果報応に応じて、極楽往生したり地獄に落ちる説のごときは、もと外道の云っていたことで、インド人の好むところである。そこで釈迦はそれを利用して凡庸な衆生を導き、そのような衆生も一切の差別を超えて覚醒し成仏すると説いた。その教えは、もとより悪げはなく、かつ、インド人の好むところだからだ。しかし、その実は、方便なのである。これを殷人いんひとが、鬼神を尊んだことや、天子の布告文に多いのに譬えて、儒者が仏教を謗るのも、自らも同類のことをしているのに気づいていないのである。また仏教徒が、これがないと、儒教をそしるのも、またその実、方便であることを知らないからである。20260714

故に道を説き教へをなすは、振古しんこ以来、、みな必ずその俗によって、もって利導りどうす。君子といへども、またいまだここに免れざる者あり。竺人の幻における、漢人の、文における、東人の、こうにおける、みなその俗しかり。いたづらにその俗をもって互相たがいに喧啄けんかいする者は、ことごとく客気かっきなり。ことごとく客気なりかっき。しかるに、客気何の害かあらん。いやしくも善をするをなすは、可なり。ある人が神通を得るの方法を問う。答う。これ、もとは観想に始まる。大智度論に、これを言ふこと尽せり。

それ故、道を説き教へをなすは者は、昔から、みなその国の習俗にあわせて、導いたのである。君子といへども、これを免れない。インド人の幻における、漢人の、文辞における、日本人の直情における、みなその習俗がそうなのである。いたづらに互いの習俗を謗る者は、血気にやっているのであるは。このことに何の害があろう。いやしくも善をなすためなら、可である。ある人神通を得るの法を問ふ。答える。これ、もと観想かんそうに始まる。大智度論は、これを詳しく説いている。20260715

大論に云く、「問うて曰く、「神通何の次第かある」と。答へて曰く、「菩薩はを離れ、諸禅を得て、慈悲あるが故に、衆生のために神通を取り、もろもろの希有奇特けうくどくのことを現じ、衆生をして心を清浄しょうじょうならしむ。何をもっての故に。もし稀有けうのことなくば、多くの衆生をして得度せしむることあたはず。菩薩魔訶薩まかさつはこの念をなしをはりて、心を身中の虚空こくうつなぎ、麁重そじゅうの色相を滅し、常に空軽くうきょうの相を取り、<大欲精進心だいよくしょうじんしんを発して、智慧は心力よく身を挙げるやいまだしやを籌量ちょうりょうし、籌量しをはりて、みづから、心力大にしてよくその身を挙ぐることを知る。譬へばあしなえの学ぶが」ごとし。常に色麁重の相をえして、常に軽空の相を修すれば、この時、便すなはちよく飛ぶ。二には、またよく諸物を変化へんげし、地を水となし水を地となし、風を火となして、火を風となさしむ。かくのごとき諸大、みな転易てんやくせしむ。こん瓦礫がれきとなし、瓦礫を金となさしむ。かくのごとき諸物、おのおのよく化せしむ。地を変じて水相となすには、常に修して水を念じ、多くまた地相を憶念せざらしむれば、この時、地相は念のごとく、即ち水となる。かくのごとき等の諸物は、みなよく変化す」と。問うて曰く、「もししからば一切入いっさいにゅうと何らの異あるや」と。答へて曰く、「一切入は、神通の初道。すでに一切入は、背捨勝処はいしゃしょうしょにして、その心を柔伏にゅうぶくし、しかしてのち、神通に入りやすし。また次に、一切入の中には、一身みづから地変じて水となるを見れども、余人は見ず。神通は則ちしからず。みづからこれ水と見れば、他人もまた実の水と見る」」と。
大智度論に云う、「問いて曰く、「神通は、どんな次第があって用いるようになったのか」と。答えて曰う、「菩薩は五欲を離れ、もろもろの禅定を得て、慈悲心の故に、衆生のために神通を使って、もろもろの希有奇特けうくどくのことを現じ、衆生をして心を清浄ならしむる。何をもっての故に。もし稀有のことがなければ、多くの衆生をして得度させることはできない。菩薩魔訶薩まかさつは、このように考えて、心を身中の虚空こくうつなぎ、体重の重さを滅し、常に存在には実体はないと空相を修し、強い精進心を発し、智慧は、心力がよく身体を浮き上げるかどうか思慮し、思慮し終わると、みづから心力によって、その身が浮き上がっているのを知るのである。譬へば、いざりが歩く練習をするように」。身の重さの相を滅して、常に軽空の相を修すれば、この時、よく飛ぶのである。二には、またよく諸物を変化させる。地を水となし水を地となし、風を火となし、火を風となす。このようにさまざまなものを、みな変化させる。金を瓦礫となし、瓦礫を金とする。かくのごとき諸物、おのおのよく変化させる。地を変じて水相となすには、常に修して水を念じ、多くまた地相を憶念すれば、この時、地相は念のごとく、即ち水となる。かくのごとき等の諸物は、みなよく変化す」と。問うて曰う、「もししからば一切入いっさいにゅうと何の異なることがあるか」と。答えて曰うく、「一切入は、これ神通の初歩。先に一切入が得られると、背捨勝処はいしゃしょうしょなどによって、その心を柔和にするから、神通に入りやすい。また次に、一切入の中には、当人自身は地変じて水となるを見るけれど、他の人には見えない。神通はこれと違い、当人が水と見れば、他人もまた実の水と見るのである」と。20260715

しかるにこれ東人にあっては則ち難し。何ぞや。風気異なればなり。王充おうじゅう論衡ろんこうのこれを言ふこと尽せり。後世の、禅人ぜんにん搬水はんすい等をもって神通を解くがごときは、乃ちやむをえざるの説なり。

しかし日本人にあってはこれは不可能である。なぜか。気候風土が違うからである。王充おうじゅう論衡ろんこうは、これを詳しく語っている。後世の、禅宗の徒が、水くみ等の日常作務のなかに、神通を理解する手立てを見ているが、やむをえないことである。20260715

論衡の言毒篇げんどくへんに云く、「太陽の地は、人民促急そくきゅうなり。促急の人は、口舌こうぜつ毒をなす。故に楚越そえつの人、促急捷疾しょうしつ、人と談言し、口唾こうだ人を射し、則ち人脈胎腫たいしょうしてきずをなす。南部極熱の地は、その人を祝すれば樹枯れ、鳥をつばきすれば鳥つ。、みなよくのろいをもって人のやまいを延べ、人のわざわいいやす者は、江南こうなんに生まれて烈気れっきを含めばなり」と。
論衡の言毒篇げんどくへんに云う、「暑い地方の人民は、せっかちである。せっかちな人は、口が悪い。だから楚・越の人は、非情にせっかちで、人と話をしても、口角泡をとばし、人の心を刺し、胎内を腫れさせ、傷をつくる。南部の極熱の地では、人が樹をのろうと樹は枯れ、鳥につばきすれば鳥が墜ちる。巫女がのろえば、よく病をながびかせ禍ををいやすのは、江南に生まれて、烈気れっきを含んでいるからである」と。20260716

また趙氏ちょうし賓退録ひんたいろくを按ずるに、「東坡とうば揚州ようしゅうしゅたり。夢に山間に行く。一虎来たりむ。道士どうしあり、虎をしっして去る。明旦めいたん一道士、投謁とうえつして曰く、「夜出、驚に至らざるやいなや」と。坡、とつして曰く、「鼠子そし、いまだなんぢの背に 杖せんを欲せずや。なんぢ、われ、なんぢが子夜しやの術を知らずと謂ふや」と。道士おどろきて退く」と。おもふに、これまた幻なり。およそ、古今、夢をもって感ずる者、多くみなこの術なり。迦旃延かせんねん希羅王きらおうを化し、かんの明帝金人きんじんを夢み、唐の玄宗の空中楚金の字を夢み、粛宗しゅくそうの僧の宝勝如来ほうしょうにょらいするを夢み、代宗だいそうの山寺に遊ぶを夢み、宋徽宗きそう神霄しんしょうを夢み、神宗しんそう神僧しんそうの馬を空中にするを夢みるがごとき、けだし、みなこれのみ。

また趙氏ちょうし賓退録ひんたいろくを見ると、「蘇東坡が、揚州の長官であったとき、夢に山中へ行った。虎が来て かんだ。道士が現れて、虎を叱責して去った。翌朝、一道士が面会を求めて云った。「昨夜は、驚くようなことがありませんでしたか」と。蘇東坡は大声で叱って云った。「お前の背を打ちすえるまでもないが、おまえが夢を見させたことを知らないとでも思うか。道士は驚いて去った」と。思うに、これまた幻術である。およそ、古今にわたって、夢をもって人を動かすのは、多くみなこの幻術である。迦旃延かせんねん希羅王きらおうを教化したり、漢の明帝が夢に金人きんじんを見たり、唐の玄宗が、夢に空中に楚金の字を見たり、粛宗が、僧が宝勝如来を誦しているのを夢に見たり、代宗が山寺に遊ぶを夢を見たりみ、宋の徽宗が、不思議な雲気を夢に見たり、神宗が不思議な僧が馬で空中を馳せるのを夢に見たのも、恐らくみなこの類であろう。20260716

地位じい 第九

地位じい 第九

声聞しょうもん縁覚えんがく、小乗にもとこの目なし。ともに大乗家の貶言へんげんにして、もって重きを菩薩に帰するなり。声聞は、これ仏に従ひて声を聞きてこれを知るも、いまだ瞭然りょうぜんたることあたはざる者なり。華厳経けごんきょうに云く、「上品じょうぼん十善じゅうぜんに、自利じりぎょうしゅうし、智慧の狭劣きょうれつなるをもって、三界さんがいを怖れ、大悲だいひく。他に従 ひ声を聞きて解了げりょうを得る故に、声聞と名づく、十地論じゅうじろんに云く、「他に従ひ聞声を聞きて通達つうだつを得。故に声聞と名づく」と。これなり。また、その地論じろんに云く、「わが衆生ら、ただ名あり。故にこれを説ひて声となし、声において悟解ごげす。故に声聞と曰ふ」と。また、あるいは曰く、「仏道の声をもって、一切に聞かしむ。故に声聞と曰ふ」者のごときは、ともに非なり。見つべし。竺土じゅくどにも、また種種のあることを。

声聞しょうもん縁覚えんがくの呼称は、はじめは小乗にはなかった。ともに大乗側からの貶称へんしょうであって、それによって菩薩を勝れたものとしているのである。声聞は、仏に従って親しくその声を聞き、教えに触れながらも、十分に悟りを得ることができなかった者のことである。華厳経けごんきょうに云う、「最も高い次元で、十善を行うも、自分のために修行し、智慧が狭いため三界を怖れ、大悲を欠いている。他に従って声を聞いて理解する故に、声聞と名づける。十地経論に云う、「他に従って声を聞いて悟ことができたので声聞と名づける」と。これなり。しかしまた、その地論に云う、「民衆には言葉がある。これを説くに声でして、それで悟るので、声聞と云う。また云う、「仏道は声をもって、一切に聞かせるので、声聞と曰う」のような説は、誤りだ。インドにも、また種種の解釈があるのだ。20260716

縁覚は、これ因縁ありて覚するなり。儒に私淑と云う者のごとし。仏に従ひてこれを聞くにあらざるを謂うなり。これまた独覚どっかくのみ。独覚はこれひとりみづからさとることある者なり。大論に云く、「辟支仏びしゃくぶつに二種あり。一は独覚と名づけ、二は因縁覚いんねんかくと名づく」と。楞伽りょうごんもまたこれを言ふ。また、俱舎くしゃに二種の独覚あり、部行ぶぎょうは、これ師友切磋せっさして得る所、乃ち因縁覚なり。麟角りんかくは、これ独学して得る所、乃ち独覚なり。これみな独覚にして、いまだ化他けたに及ばざる者は、一なり。華厳経に云く、「不従他の教へに従はず、みづから覚悟する故。大悲方便だいひほうべんいまだ具足せざるが故」と。これなり。涅槃経に云く、「独覚の衆生を化するに、ただ現神通を現じて終日黙然もくねん、宣説する所なし」と。瑜伽論に云く、「ただ自相じそうを現じて、かれがために説法し、発言せざるが故に、種種の神通の境界を示現す」と。大論に云く、「縁覚の人も、またよく一両偈を説く」と。これ、みな独自の義を言ひて、やや化他に及ぼす者は、これを失せり。大論にまた、仏世に逢ふをもって独覚をするも、またこれを失せり。般若はんにゃ初分天帝品しょぶんてんだいほん独覚向どっかくこう独覚果どっかくかあり。また慈恩じおん仁王にんのうを引いて独覚衆あり。また「釈迦出世、五百独覚、山中より来る」と。みな観つべし。また、因縁法いんねんほうを聞くをもって、縁の字を解するも、またこれを失せり。これ、全く語をなさず。

縁覚は、因縁があって悟ることである。儒教にいう私淑に相当する。仏に従って聞いて悟るのではないことを云うのである。これは独覚である。独覚とは、独り自分で悟る者を云う。大智度論に云う、「辟支仏びしゃくぶつに二種あり。一は独覚と名づけ、二は因縁覚と名づける」と。楞伽経も、これを言う。また、俱舎論にも二種の独覚あり、部行ぶぎょうは、互いに師友が切磋琢磨して悟りを得るもので、すなわち因縁覚である。麟角りんかくは、独学して悟りを得るもので、すなわち独覚である。二つはみな独覚で、他に教化を及ぼさないことでは同じである。華厳経に云う、「独覚は他の教へに従はない、自分で悟るからである。仏の大悲も手立てもまだ備わっていない」と。これである。涅槃経に云う、「独覚は衆生を導くのに、ただ神通を現じてこれを行い、自分は終日黙然として、教えを説かない」と。瑜伽論に云う、「ただ自分の姿を現すだけで、他のために説法したり発言したりせず、種種の神通の境界を現してみせる」と。大智度論に云う、「縁覚の人も、またよく一・ニの偈は説く」と。これ、みな自分勝手な義を云って、少しは他に及ぼすと云っているが、これは誤りである。大智度論にまた、在世の仏に逢ふをもって独覚を理解しているのも誤りである。大般若経の初分の天帝品に、独覚向どっかくこう独覚果どっかくかという言葉がある。また慈恩じおんは仁王経を引いて、独覚の仲間があったと云っている。また「釈迦仏が世に出られたとき、五百の独覚が山中から来た」と云う。みな当たって見るがよい。。また、因縁の法を聞くということで、縁の字を解するも、また誤りである。これは、全く意味をなさない。20260716

菩薩は、これその身すでに覚することありて、またよく人を覚する者なり。大論に云く、「菩提を仏道となし、薩埵さった成衆生じょうしゅじょうとなす」と。阿毘曇あびどんに云く、「自覚覚他じかくかくた。名づけて菩提となす」と。これなり。菩薩は乃ち究竟くきょうの地位、ここにおいてごくとなす。仏もまた菩薩の仏。菩薩を除くの外、別に仏あることなし。故に無量義経むりょうぎきょうに、菩薩自利の徳を説きて云く、「如来の地において、堅固不動」と。これその本義なり。しかるに善戒経ぜんかいぎょうに、名字菩薩みょうじぼさつ非義ひぎ菩薩・菩薩の旃陀羅せんだらあり。無垢称経むくしょうぎょうに、有疾うしつ菩薩あり。大論に初心の敗壊はいえの菩薩あり。瑜伽に菩薩の倒執懈怠とうしゅげだいあり。また、鈍利二根の菩薩あり。これみな異部の名字みょうじ。その実、菩薩の上層に出でて、もって説をなす者なり。それ、仏は乃ち覚の義、声聞・縁覚は、これすでにこれを身に証する者なり。菩薩は、これすでに身に証して、またよく人に及ぼす者なり。仏は乃ち統名とうみょうなり。しかるに法華経に云く、「声聞もしくは菩薩はみな成仏疑ひなし」と。また云ふ、「なんぢらの所行は、これ菩薩の道。漸漸ぜんぜん修学せば、ことごとく成仏すべし」と。華厳経に云く、「もし人根明利みょうり、大慈悲心ありて、もろもろの衆生を饒益にょうやくせば、ために菩薩道を説く。もし無上心むじょうしんありて、決定けつじょうして大事を楽しめば、ために仏身を示して、無尽仏法むじんぶっぽうを説く」と。これ菩薩の上層、また別に仏あるなり。また法相に、菩薩において修行の次第を説く者のごとき、また一部の名字、別にを制してそれをもって小乗を圧する者なり。大乗はもと律なくして、その律ある者もまたしかり。

菩薩は、すでにその身が悟っており、またよく人を悟らせるものでもある。大智度論に云く、「菩提は悟り(仏道)のこと。薩埵さったは衆生を悟らせること(成衆生)」と。論蔵に云う、「みづから悟り他を悟らせる。これを菩提となす」と、これである。菩薩はすなわち究極の地位であり、ここが到達すべき境地である。仏はまた菩薩の仏であって、菩薩の他に仏があるわけではない。故に無量義経むりょうぎきょうに、菩薩のみづからの修行を説いて云う、「如来の位において、堅固不動である」と云っているのが、その本義である。ところが善戒経ぜんかいぎょうには、名字菩薩みょうじぼさつ非義ひぎ菩薩・菩薩の旃陀羅せんだら等の語がある。説無垢称経には、有疾うしつ菩薩の語が見え、大智度論に、初心の敗壊はいえの菩薩の語がある。瑜伽論には菩薩が誤ってとらわれて修行を怠ることや、鈍根・利根の菩薩のことが見えているが、これみな異なった宗派の表現であり、本来の菩薩の上にでて説をなしたものである。 そもそも、仏はすなわち悟りの意であり、声聞・縁覚は、これすでにこれを身に証している者だ。菩薩は、これすでに身に証して、またよく人に及ぼす者である。仏は統合した名である。ところが法華経に云う、「声聞もしくは菩薩はみな成仏すること疑ひなし」と。また云う、「お前たちの行っているのは、菩薩の道である。漸漸ぜんぜんに修学すれば、ことごとく成仏するだろう」と。華厳経に云う、「もし資質が明敏で、大慈悲心があり、もろもろの衆生を救済しようとする志があるなら、菩薩道を説こう。もし無上の向上心があって、固く決心して大事を願い求むるなら、その故に仏身をを現して、尽きることのない仏法を説こう」と。これ菩薩の上に、また別に仏があることになる。また法相宗で、菩薩の修行の次第を説く者があるが、これも異説のひとつで、小乗を圧倒しようとする議論にすぎない。大乗にはもと律蔵がなかったが、それがあるのも、おかしなことである。

賢首師げんじゅしこれを説きて云く、「方便に随ひて、影似ようじとしてかれを引かんがための故に、もしまったくかれに異ならば、信受しがたきが故」と。これを得たり。またりょう摂論しょうろん十信を謂ひて凡夫ぼんぷ菩薩と名づけ、十解じゅうげ聖人しょうにん菩薩と名づけたり。菩薩に何ぞ凡聖ぼんしょうの別くあらん。また一部の名字なり。声聞の四果は、これそのもとなり。仏十地ぶつじゅうじ大乗同性だいじょうどうしょうの二経、ついて十地を分かつ者は、加上かじょうの説なり。縁覚・菩薩に、もと地位なし。何をもってこれを知る。無量義経に云く、「三法さんぽう四果しか二道にどう」と。三法とは、なんちょう第一法なり。四果とは声聞四果なり。二道は縁覚と菩薩道なり。縁覚・菩薩、二道並べ称す。これをもってこれを知る。その、ついて十地を分かち、あるいは修行の次第を説く者は、みなみな異部加上の説にして、もとの真にはあらざるなり。異部加上之の説も、また仏について十地に分かち<仏十地経・大乗同性説>、三覚さんがく起信論きしんろんを分かち、および、初心の仏<大日経>あるに至りて、極まる。仏はこれすでに最上至極、何ぞ曾って地位初後の別あらん。これみな異部加上してその説を張る者なり。声聞四果、須陀洹しゅだおん預流よるたる、これ異議なし。斯陀含しだごん、之為一往来いちおうらいたる、儒に日月至ると云う者のごとし。阿那含の不来たる、儒に三月に不遣仁に違わずと云う者のごとし。説者、生死をもってする者は、非なり。阿羅漢あらかんの不生たる、乃ち仏の一名にして、儒に聖人と云ふ者のごとし。

賢首師げんじゅしはこれを説いて云う、「方便によって、似ていることで衆生を引き付けようとした。もしまったく異なるものなら、信受されないだろう」と。これである。またりょうの摂大乗論に十信をいって凡夫菩薩と名づけ、十解を聖人菩薩と名づけている。菩薩に何が凡聖の別があるか。これまた異説である。声聞の四果は、そのもとになるものだ。仏十地経と大乗同性経の二経が、これについて十の位階を立てているが、これも加上の説である。縁覚・菩薩に、本来、位階はない。何をもってこれを知る。無量義経に云う、「三法・四果・ニ道」と云っている。三法とは、煗法・頂法・世第一法であり、四果は声聞四果である。二道は縁覚と菩薩道である。縁覚・菩薩、二道を並べて称している。これで分かるのである。このように十地に分け、あるいは修行の位階を説く者は、みな異説の宗派で加上の説であり、本来の真ではない。異部加上の説は、また仏についても十地に分かち<仏十地経・大乗同性経>、三覚さんがくを<大乗起信論>分け、および、初心の仏<大日経>を立てるに至って究極に達した。仏はすでに最上・究極であって、位階の初後の別などない。まして地位の段階などあるはずがない。これみな異部加上の説である。 声聞四果、について、須陀洹しゅだおん預流よるであることは、これ異議なしである。斯陀含しだごん、一往来いちおうらいであることは、儒教に、日月至る、というようなものだ。阿那含は不来というのも、儒教に、三月仁に違わず、と云うようなものだ。これを説いて生死にあてはめんするのは不可である。阿羅漢あらかんは不生であって、すなわち仏の一名にして、儒教に聖人と云ふ者のようだ。20260718

四部しぶん五部ごぶんの二律、ともに云く、「仏、五人を度しをはりて、世間に六羅漢ろくらかんあり」と。雑集ぞうしゅう云く、「とみに羅漢および如来を成ず」と。これなり。後来、斥するに声聞をもってする者は、異部加上の説なり。華厳けごん十梵行じゅうぼんぎょうありて十信なく、仁王にんのう等覚とうがくなし。新金光明しんこんこうみょう勝天王般若しょうてんのうはんにゃ、および大品だいぼんは、ただ十地の仏地を明らかにし、三十心等覚地さんじゅうしんとうがくじを弁ぜず。楞伽りょうがには、妙覚みょうかくの外、さらに自覚聖智じかくしょうちを立つ。涅槃ねはんにまた五行ごぎょうあり。しかして名字品みょうじほんは、十住が十信の後にあり。釈義品しゃくぎほんも例のごとし。仁王の施心せしんは、瓔珞ようらく作捨心しゃしんに作る。華厳は不退に作る。また、瓔珞に、四十二賢聖しじゅうにげんじょうを説いて見修けんしゅうを説かず。弥勒問論みろくもんろんに、「声聞はまづ見惑けんわくを断じ、後に修惑しゅうわくを断じ、しかして菩薩は、初地とみに見修道中一切煩悩けんしゅうどうちゅういっさいぼんのうを断ず」と。仁王に、三賢十聖あり。有宗に三賢四聖あり。仁王は五十一位、瓔珞は五十二位、華厳は四十一位、大品四十二位、楞伽五十七位、しかしてまた云く、六十聖位と。地持じじ初地しょじをもって見道けんどうとなし、仁王は四地しじをもって初果しょかとなし、後世、共単ぐうたんを立てて、もってこれを解く者なり。また仁王の教化品きょうげほんの、三地さんじ見を断じ、六地思尽は、受持品じゅじほんに、四地断見、七地思尽とあり。後世、通別つうべつを作りて、もってこれを救ふ者なり。瑜伽・梁の摂論には、みな声聞の十二住じゅうにじゅうを説いて、いま有宗うしゅうの経典にあることなし。涅槃には、阿羅漢あらかんは第十地に住す。本業ほんごうには、七地を菩薩に寄す。仁王には、七地羅漢・八地菩薩とあり。梁の摂論には、八地以去を一乗に寄す。大論・楞伽・唯識ゆいしきは、菩薩初地已去、悲智不同ひちふどうなり。起信は則ち、為同修同断どうしゅどうだん念念双修ねんねんそうしゅうとなす。賢首師げんじゅしは終始を立ててもってこれを解く者なり。もと七賢聖しちけんじょうを説くに、成実じょうじつは、二十七賢聖とし、もと八十八使を説くに、成実は九十八使とし、もと見道けんどう十五心を説くに、成実は十六心とす。大論には、十地に二種あり、一にはぐう乾慧けんね等、二はたん歓喜地かんぎじ等とし、楞伽の菩薩十地には、単と同じくして、八地以上をもって勝となし、七地以下をぐうと作る。

四部・五部の二律で、ともに云う、「仏、五人を度し終わって、世間に六仏がいた」と。雑集論に云う、「にわかに、羅漢と如来が生じた」というのが、これにあたる。後世、声聞として退けるのは、異った宗派の加上の説である。華厳経には十梵行はあるが十信はなく、仁王般若経には等覚がない。新金光明経と勝天王般若経及び大品般若経には、ただ十地の仏地を明らかにするだけで、三十心や等覚地を区別してないし、楞伽経には、妙覚みょうかくの外に、さらに自覚聖智じかくしょうちという境界を立て、涅槃経には、また五行が説かれている。ところで名字品には、十住が十信の後にあり、釈義品でも同様である。仁王般若経に説く施心は、菩薩瓔珞本業経には捨心しゃしんと名づけている。それが華厳経では不退と名づけている。また、瓔珞経には、四十二賢聖を説いて見修けんしゅうを説いていないが、弥勒菩薩所問経論では、「声聞はまづ見惑けんわくを断った後に修惑しゅうわくを断ち、しかして菩薩は、初地において見道・修道の一切の煩悩を断つ」とある。仁王般若経には、三賢・十聖とあり、有部では三賢・四聖としている。仁王般若経に五十一位、菩薩瓔珞本業経に五十二位、華厳経に四十一位、大品般若経では四十二位、首楞伽経に五十七位とあり、しかしまた六十聖位とも云う。菩薩地持経は初地をもって道となし、仁王般若経は四地を初果とするが、後世では、三乗に共通のものと菩薩だけのものとを立て、これを解釈する。また仁王般若経の教化品に、第三地で見惑を断ち、第六地で思尽が尽きるとし、受持品では、第四地で見惑を断じ、第七地で思惑が尽きるとしている。後世に、通教・別教を作りって、矛盾を解消した。瑜伽論や梁の摂大乗論釈は、みな声聞の十二住を説くが、現存の有宗の経典にはない。涅槃経では、阿羅漢は第十地に住するとされ、菩薩瓔珞本業経では、菩薩は第七地に住している。仁王般若経では、第七地は羅漢・第八地は菩薩とある。梁の摂大乗論釈では、第八地以上を一乗にあて、大智度論・楞伽論・唯識論では、菩薩は初地以上で、悲と智のうえで不同があるとしている。起信論では十地ひとしく同修・同断で一瞬一瞬に悲・智をなれべ修める、とする。賢首師始めと終わりをはっきり立てて、説明している。もとは七賢・七聖を説いたものが、成実論では、二十七賢聖とされ、もと八十八使を説いたものが、成実論では九十八使とし、もと見道十五心を説いたものであるのに、成実論では十六心とす。大智度論には、十地に二種あり、一つは二乗に共通した乾慧地など、二つは菩薩だけの歓喜地などである。楞伽経の菩薩十地には、菩薩だけのものと同じであるが、八地以上を勝れたものとし、七地以下を三乗に共通したものとする。20260719

説者云く、これ大乗といへども、また通教を兼ぬる者は、これみな 異部の名字、おのおのその説を執りて、互相たがいに加上拗戻おうれいする者。論なし、そのもとよりあひ齟齬そごするに。後世の学者が、多方に遷就せんしゅうし、牽強けんきょうしてこれを合はする者は、みな非なり。また家家けけ等の号のごとき、これを超次ちょうじに通ずるは、是なり。これ、もと品位ほんいの定めなし。第六品をもってするも、また可なり。何ぞただ三・四・五のみならんや。俱舎くしゃに云く、「理、蘇息そそくすべし」等とは、みな臆度おくたくの見のみ。また不退を説きて、俱舎は得忍とくにんの時となし、成実じょうじつなんちょう以上となし、地論じろんは見道以上となし、仏性論ぶっしょうろんに声聞は苦忍くにん、縁覚は世第一、菩薩は十廻向じゅうえこうとなせる者のごとき、また、異部の名字しかり。また超果ちょうかを説きて、あるいはとみに出離して中の二果を超ゆとなし、あるいはこれなしとなし、あるいは賢聖けんじょうことごとくなしとなし、あるいは回向の超なく、須陀しゅだ羅漢らかんもまた超越なし、ただ斯陀果しだかおよび那含果なごんかのみ、これあるとなせる者のごとき、また異部の名字、しかり。これみななんぞ必ずしも会開えかいせん。何ぞ必ずしも和解わげせん。また廻心えしんの説あるも、幷呑へいどんの説のみ。何ぞや。有宗うしゅうはおのづから有宗。空宗くうしゅうはおのづから空宗。各自その道を証す。何ぞ廻心を仮らんや。これ則ち、大乗みづから重んずるなり。また案ずるに、華厳けごん仏地ぶっちにおいて云ふ、「初発心しょほっしんの時、便すなわ正覚しょうがくを成ず」と。しかしてまた、諸住しょじゅうを説くもその実は短長の説のみ。

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わたしの考えを云えば、大乗といへども、また通教を兼ねるものは、みな異部の名字であり、おのおのが自説を主張して、互いに他を押しのけようとするので、違いがでるのは当然だ。後世の学者が、あれこれこじつけて辻褄をあわせるのは、誤りである。また家家けけなどの号のようなものでも、これを位階を超えて使うのは、かまわない。もともと位階のないものだからだ、第六位でもよく、ただ三・四・五位でもよい。俱舎くしゃに云く、「理、蘇息そそくすべし」などは、憶測にすぎない。また不退(到達した境地から後戻りしない)を説いて、俱舎は忍位に入ったとし、成実論はなんちょう以上とし、十地経論は見道以上とし、仏性論には、声聞は苦忍くにん、縁覚は世第一、菩薩は十廻向じゅうえこうとするといった違いも、また、異部の名字である。また超果ちょうかを説いて、あるいは一気に悟りを得て、中間の二果を超えるとしたり、それはないとしたりあるいは賢聖けんじょうすべてにこれはないとしたり、あるいは回向を超えること犯あいとし、須陀しゅだ羅漢らかんにも超えることはないとし、ただ斯陀果しだかおよび那含果なごんかのみ、超えることがあるとしたり、すべて異部の名字である。これらすべてをつじつまをあわせたり一致させる必要はない。また廻心して大乗に鞍替えする説もあるが、これは他を幷呑しようとしたものである。なぜか。有宗うしゅうはおのづから有宗。空宗くうしゅうはおのづから空宗。各自それぞれの道を証する。どうして廻心をする必要があろうか。これ則ち、大乗が勝れているとしたものだ。また案ずるに、華厳経の仏地品において云う、「悟りを求める心を起こしたとき、即座に悟りを開く」と。それでも位階を説いているのは、内容に長短はない。20260721

七仏しちぶつ三祇さんぎ 第十

七仏しちぶつ三祇さんぎ 第十

迦文かもん述ぶる所の七仏は、その名、いまは知るべからず。阿含あごん婆沙ばしゃに、合迦文を合わせて七となす者は、非なり。何をもってこれを知る。多に従ってこれを知る。仁王にんのう普明王ふみょうおうのことを記して云く、「過去七仏の教法によってこれを行ふ」と大集経だいじょうじっきょうにもまた七仏より已来の語あり。華厳けごんにまた第七仙あり。大方等陀羅尼経だいほうどうだらにきょうに、「世尊は文殊師利もんじゅしりのために、これを説きて云く、「この陀羅尼だらには、これ過去七仏の造る所」と。これなり。また七仏をもって修相しゅうそう逢ふ所となせる者は、三祇さんぎのの説を立てて,もって一層を出でたるなり。また三祇の後、別に百劫ひゃくごうを立つる者は、阿含・婆沙等なり。三祇についてこれを分つ者は、烏婆塞戒うばそくかい・大論等なり。ただ三祇を立て、修相を説かざる者は、起信きしん・楞伽ゆが等なり。これ、みな異部の名字、必らずしも和会わえしがたき者なり。

釈迦が述べている七仏は、今はその名を知ることができない。阿含経典や大毘婆沙論に、釈迦をあわせて七仏としているのは、誤りである。どうしてこれが分かるかと云えば、多くの経典によって知るのである。仁王般若経に普明王のことを記して云う、「過去七仏の教法によってこれを行ふ」と云い、大集経にもまた「七仏よりこのかた」の表現がある。華厳経には第七人目の仙人、とありあり、大方等陀羅尼経に、「世尊は文殊師利のために、これを説きて云った、「この陀羅尼は、過去七仏の造ったものである」と云っているのがこれである。また七仏について、修行の過程をたどり仏になった由来を語るのは、三祇さんぎのの説を立てて,他の上を行こうとするものである。また三祇の後、別に百劫ひゃくごうを立てるのに、阿含経典・大毘婆沙論などがある。三祇についてこれを分つのは、優婆塞戒経や大智度論などである。ただ三祇を立てて、修行の過程を説かないものは、起信論や楞伽論などである。みな異部の名字であり、とても一致するものではない。20260722

また案ずるに、魔訶般若まかはんにゃに云く、「然燈仏ねんとうぶつは、われに当来の一阿僧祇1いちあそうぎ作仏さぶつすべし」と記す。金剛般若こんごうはんにゃ云く、「われ然燈仏の所にありて授記じゅきを得」と。分明に、これ然燈をもって、最初の第一仏となせること、見つべし。金剛にまた云く、「然燈仏の前において、諸仏にふことを得」と。これ乃ち、加上の説、ますますこれを信ず。法華もまた云く、「中間ちゅうげん、われ然燈仏等と説く。みな方便をもって分別ぶんべつす」と。またもってこれを発するに足れり。また案ずるに、楞伽りょうがに云く、「われその時、拘留孫くるそん拘那含くなごん牟尼迦葉仏むにかしょうぶつとなれり」と。もって釈迦と異身にあらずとなせり。また、一家の言、しかり。また、案ずるに、瑞応経ずいおうきょうに、「錠光仏じょうこうぶつは釈迦に記を授け、後九十一劫にあり」となす。これ因果・本業にいはゆる毘婆戸びばしと混じて、かれは則ち阿僧祇劫あそうぎこうに作る。これらみな一定の説なし。またその然燈の上において、別に罽那尸弃けいなしきある、および、また別に釈迦文しゃかもんなる者ありて、仏便すなわち発願して言ふ、われ当来とうらいにおいて作仏さぶつすること、いまの仏名ぶつみょうのごとくならんと云ふ者のごときも、また異部加上の説なり。またその華厳経 に十仏を説き、仏名経ぶつみょうきょうに二十五仏を説き、決定毘尼経けつじょうびにきょうに三十五仏を説き、薬王経やくおうきょうに五十三仏を説くがごときも、また異部の名字、しかり。もって迦文かもん前、実にこれありななせる者はこれ、幻のために使はるる者のみ。十年行苦楽を行ひ、樹下、正覚をなすは、これその実なり。その三阿僧祇さんあそうぎをもってする者は、これ幻なり。しかして無量劫むりょうこうをもってする者は、幻の幻なり。

また思うに、大品般若経に云う、「然燈仏は、わたしが一阿僧祇1いちあそうぎ(限りなく遠い未来に)の後に、成仏する」と授記された。金剛般若経に云う、「わたしは然燈仏の所で授記じゅきを得た」と。これは明らかに、然燈仏をもって、最初の第一の仏としたのである。経に当たるがよい。金剛般若経にまた云う、「然燈仏の前に、諸仏に逢った」と。これすなわち、加上の説であることを証するに十分である。法華経にもまた云う、「なかごろ、わたしは然燈仏と説いたが。みな方便をもって分別したものである」と。これで加上の説を証するに十分だ。また思うに、楞伽経に云う、「わたしはそのとき、拘留孫くるそん拘那含くなごん牟尼迦葉仏むにかしょうぶつとなった」と。これらの仏が、釈迦と異身ではないと云っている。また、異部の名字である。また、思うに、太子瑞応本起経に、「念燈仏(錠光仏)が、釈迦に九十一劫の後に仏になると授記した」と。これは過去現在因果経や菩薩瓔珞本業経に云ういはゆる毘婆戸びばしと混同したものであって、しかも二経では阿僧祇劫あそうぎこうとしている。つまりこれらはみな一定の説はないのである。またその然燈仏の前に、別に罽那尸弃けいなしきがあるとし、および、さらにまた別に、釈迦牟尼仏があるとし、仏は発願して言う、わたしは将来、今の仏名で仏となるだろうと云っているのも、また異部加上の説である。またその華厳経に十仏を説き、仏名経に二十五仏を説き、決定毘尼経に三十五仏を説き、観薬王薬上二菩薩経に五十三仏を説くというようなことも、また異部の名字、である。したがって釈迦の前に、実にこれこれの諸仏があるとするものは、幻術がそうさせるのである。十年の苦楽のすえに、菩提樹下で正覚(悟り)を得たのは、事実であるが、それを三阿僧祇さんあそうぎにわたって修行したとするのは、幻術である。そしてそれを無量劫とするに至っては、幻想のなかの幻想である。20260723

宝雲経ほううんきょう云く、「われ浅近衆生せんごんしゅじょうのために、三阿僧祇劫に修行すと説く。しかるにわれ実に無量阿僧祇劫に修行する所なり」と。華厳経に云く、「われ釈迦の仏道をなすを見るに、すでに不可思議劫ふかしぎこう」と。法華経に云く、「一切世間、てんにんおよび阿修羅あしゅらはみなおもふ。いまの釈迦牟尼仏は、釈氏宮しゃくしぐうを出でて、伽耶城がやじょうを去ること遠からず、道場に坐して、阿耨菩提あのくぼだいを得たりと。しかるに善男子よ、われ実に成仏以来、無量無辺、百千万憶那由陀劫なゆたこう」と。これみな寿量久成くじょうをもって、三祇劫に上するも、その実、幻の幻なり。その究もまた、一念成仏を説いて、もってこれを破らざることあたはず、これ頓部氏なるのみ。故に、起信論にこれを合わせて云ひ、懈慢けまんの衆生のために無量阿僧祇にしゅうすと説き、怯弱こうにゃくの衆生のための故に、一念成仏と説きて、実は、「一切の菩薩は、みな三祇劫を」と、これなり。また法華の八歳の竜女りゅうにょ、南方に作仏さぶつするがごとき、これ、そのいやしくもあらば、必ずしも年紀男女なんにょかかはらず、乃ちよく果をなすを言ふも、またもって従前の因陀羅を破るなり。論者、あるいはこれを解くに天女をもってする者は、これを知らざればなり。また、超劫ちょうこうの説のごとき、俱舎くしゃ婆沙ばしゃに云く、底沙ていしゃを讃して九劫を超ゆ」と。大論だいろんに云く、「弗沙ぶっしゃを讃して九を超ゆ」と。しかして因果経いんがきょうには婆尸びばしに作る。あるいは云く、「底沙と弗沙は一仏」と。華厳のじゅに別仏となす。しかして涅槃経ねはんぎょうは則ち十二劫に作る。遠公おんこうしょに云く、「三祇中、三劫を超ゆ」と。合はせて十二となすは、非なり。心地観経しんじかんぎょうに云く、「初僧祇は十二劫を超え、第二僧祇は八劫を超え、第三祇は十一劫を超ゆ」と。また超九劫を、四分しぶんは則ち云く、八劫と。金光明は則ち云く、十一劫と。これまた別部の名字みょうじ、みな何ぞ必らずしも和会わえせん。

宝雲経に云う、「わたしは知性の低い衆生のために、三阿僧祇劫にわたって修行したと説いた。しかし実は、無量阿僧祇劫にわたって修行したのだ」と。華厳経に云う、「わたしは釈迦が悟りを開いたことを見るに、すでに不可思議劫を経ていることを知った」と。法華経に云う、「この世のすべての天・人および阿修羅たちはみな思っている。いま、釈迦牟尼仏は、釈迦族の王宮をでて伽耶城の近くの道場に坐して、阿耨菩薩あのくぼだい(無上の悟り)を得た、と皆思っている。しかるに皆のものよ、わたしは成仏以来、実に、無量無辺、百千万憶那由陀劫なゆたこうを経ている」と。これらはみな寿命の永遠であることをもって、三祇劫に加上するもので、その実、幻の幻である。その極まるところ、一念成仏の宗派が、これをを破ることになった。これが頓部氏の興ったゆえんである。だから、起信論はこれを辻褄を合わせて云う、怠惰な衆生のために無量阿僧祇に修したと説き、意志の弱いの衆生のために、一念成仏と説いたが、実は、「一切の菩薩は、みな三祇劫を経ているのである」と云っているのが、これである。また法華経に八歳の竜女が、南方において成仏するとは、これはその資質があれば、必ずしも年齢・男女にこだわらないということで、またもって従前の所説を破るものである。なかには、これを解するに天女をもってする者があるかもしれないが、この事情を知らないのである。また、所定の劫数を超えて成仏する説にあっては、俱舎論・大毘婆沙論に云う、「底沙ていしゃを讃して九劫を超ゆ」と。大智度論では云う、「弗沙ぶっしゃを讃して九を超ゆ」と。しかし過去現在因果経では婆尸びばし仏のこととする。あるいは云う、「底沙と弗沙は同じ仏」と。華厳経のじゅでは別仏とする。しかして涅槃経には九劫を超えて十二劫としている。遠公おんこうしょに云う、「三阿僧祇劫のうち、三劫を超えた」とし、九劫と合はせて十二とするのは、誤りである。心地観経に云う、「初僧祇で十二劫を超え、第二僧祇で八劫を超え、第三祇では十一劫を超えた」と。また九劫を超えたと云う。四分律では云う、八劫と。金光明経では云う、十一劫と。これまた別部の名字であり、一致させる必要はない。20260724

仲基なかもとかって謂ふ。諸経する所の仏菩薩諸名しょみょうは、必ず 鑿空さくくうしてこれを出ず。、意ふに、多くはこれ太古の時の人名にして、なほ、漢に無懐むかい葛天かってん尊慮そんろと云ふの類のごとし。また一定の説なきこと、なほ、河伯かはく氷夷ひょうい神茶しんと鬱櫑うつるいの類のごとし<野客叢書やかくそうしょ>。けだし、みなよる所あるなり。尸弃しきの名のごとき、一は則ち、釈迦仏が初僧祇満しょそうぎまんに逢ふ所、一は則ち七仏の第二の仏、一は則ち梵王ぼんのう尸弃とす。観世音自在かんぜおんじざいのごとき、一は則ち観自在菩薩かんじざいぼさつ、一は則ち観自在仏、一は則ち、観世音自在梵王とせり。また、摩醯首羅まけいしゅらのごとき、一は則ち三界の主、一は則ち薬叉神やくしゃじんなり。また善現ぜんげんのごとき、一は則ち西方の大将だいしょう、一は則ち色界第四禅なり。これみな当時この名号あり。故に、説者おのおの仮りてもってこれを言ふ。

わたし(仲基)は、かって云ったことがある。経典に載っている仏菩薩のもろもろの名は、細かく詮索して明かにすべきではない。思うに、多くは太古の時の人名であって、ちょうど漢に無懐むかい葛天かってん尊慮そんろと云う類のものだ。また一定の説がないことも、ちょうど河伯かはく氷夷ひょうい神茶しんと鬱櫑うつるいの類に似ている<野客叢書やかくそうしょ>。いずれもみな理由があるのだろう。尸弃しきの名を例にとれば、あるときは、釈迦仏が第一の阿僧祇劫の修行を終えて逢った仏であり、もうひとつは、七仏の第二の仏であり、あるときは梵王ぼんのうの尸弃である。観世音自在の場合は、あるときは観自在菩薩であり、あるときは観自在仏であり、あるときは観世音自在梵王である。また、摩醯首羅まけいしゅらの場合は、あるときは三界の主、あるときは薬叉神やくしゃじんである。また善現ぜんげんの場合は、あるときは西方の大将であり、あるときは色界第四禅天である。これみな当時この名号であったので、説をなす者は、おのおの借りて使ったのである。20260724

言に三物あり 第十一

言に三物あり 第十一

般若に仏性ぶっしょうの語なく、阿含あごん陀羅尼だらにの名なく、金光明こんきょうみょう三身じん仏地ぶつじ本業ほんごうの二身、楞伽りょうが摂論しょうろんの四身、華厳けごんの二種の十身、大論の 四魔、罵意めいの五魔、大論の三天、涅槃の四天、維摩ゆいまの不可思議、金剛の無住、華厳の法界ほっかい、涅槃仏性、涅槃一切種知いっさいしゅち、金光明の法性ほっしょう法華ほっけの諸法実相。これみなその家言。おのおの主張する者、いはゆる言に人あるなり。もろもろの蔵経中に、梵語ぼんごを伝ふる者、多く異ありて、説者云ふ、梵の楚夏そかと、羅什らじゅう恒河ごうがは、玄奘げんじょう殑伽ごうが、羅什の須弥しゅみ、玄奘の蘇迷蘆そめいろ、かくのごときの類何ぞ限らん。みな、あるいは指して旧すとなすも、それ、言語は世に随ひてことに、音声おんじょうは時と上下す。そのと云ふは、真の訛にあらず。いはゆる言に世あるなり。維摩ゆいまに云く「一念に一切法を知るも、これ道場」と。禅要に云く、「性定しょうじょうおのずから離る、即ちこれ道場」と。これ乃ち、変幻張大の説なり。道場はおのずから道場、もとより念性ねんしょう相ひ関せず。これを神道者流の高天タカマの原をもって心体となせるに譬ふ。また増含ぞうごん起世きせ等にいはゆる四食しじきのごときは、ただ段食だんじきのみ乃ち人中にんちゅうの所食にして、食噉しょくたんすべき者なり。その他、更楽食こうらくじきは乃ち衣裳いしょう繖蓋さんがい香華こうげ薫火くんか等。念食ねんじきは乃ち意中の所念・所想・所思惟しょしゆい等。識食しきじきは乃ち意の識る所、しきをもってじきとなす。これあにみな皆しょくの真ならんや。食を張大にして、しかり。これを俗に云ふ、棒を喫し拳を喫する等の喫に譬ふ。また、大論に経巻きょうがんをもって法身舎利ほっしんしゃりとなせるがごとき、舎利はおのずから舎利、もとより経巻と相関せず。これもまた張舎を張りて、しかり。また、その芥子けし、須弥をれ、毛端もうたん宝刹ほうさつを現ずと云ふ者のごときは、これ理を張りて、しかり。およそかくのごとき類は、みな張説也、およそ説の実によって濫せざる者は、いはゆるへんなり。偏は乃ち実なり。古今道を説く者は、張説ことに多し。学者これを知らば、何ぞただに一尺せきならん。如来の義は、ごとくにして来る、なり。もと、これ心体しんたいの名、善悪いまだ分かれず。類においてはんとなす楞伽りょうがに云く、「如来蔵は、これ善不善の因」と。大般若経に云う、「一切衆生はみな如来蔵」と。これだ。あるいはゆいてもって成徳じょうとくの名とし、衆妄しゅうもうすでに止みて、如如にょにょとして来る。類においてとなす勝鬘しょうまんに云く、「如来は法身、煩悩蔵を離れざるは、これ如来蔵」と。如来蔵に云く、「一切衆生は、瞋癡じんちのもろもろの煩悩の中に、如来身あり」と。これなり。又如翻鉢刺婆刺拏はつらばらなを翻して自恣じしとなせる者のごとき、自恣の語は、もと悪にありて、これ善に局す。類においてはんとなす。およそこの五類は、いはゆる言に類あるなり。

般若経典に仏性の語なく、阿含経典に陀羅尼だらにの名はない。金光明経の三身、仏地経論・菩薩瓔珞本業経の二身、楞伽経・摂大乗論の四身、華厳経 の二種の十身、大智度論の四魔、罵意経の五魔、大智度論の三天、涅槃経の四天、維摩経の不可思議、金剛般若経の無住、華厳経の法界、涅槃経の仏性、般若経の一切種知、金光明経の法性、法華経の諸法実相。これらはみなその経典編集者の特有の語で、それぞれの主張するところであって、いはゆる言語は人の影響を受ける。もろもろの経蔵のなかで、梵語ぼんごを音写したものに、多く差異があって、これについて説く人は云う、梵語における楚夏(方言のようなもの)だ。羅什らじゅうの恒河は玄奘の殑伽ごうがとなり、羅什の須弥は、玄奘の蘇迷蘆そめいろなり、このような類に限りない。これらをみな指して昔のなまりであるとする場合もあるが、それ、言語は世の変遷にしたがってに変わり、音声は上下する。そのなまりは、真に訛ではない。いはゆる言語は世とともに変わる。維摩経に云う「一刹那のうちに一切の法を知るも道場」と。禅要に云く、「性定しょうじょうおのずから離る、即ちこれ道場」と。これは、変幻張大の説である。道場はおのずから道場であって、もとより一瞬や本性とは関係ない。これを神道者流の高天タカマの原を心の本体とするに譬えられる。また増一阿含経や起世経などにいう四食しじきの場合にしても、ただ段食だんじきのみは人の食べ物で食べられるがその他の更楽食こうらくじき念食ねんじき識食しきじきは食物ではない。食を拡大解釈したもので、これは俗に云う、棒を喫し、拳を喫する等の云い方に譬えられる。また、大智度論に、経巻をもって釈迦の舎利としているようなものは、舎利は舎利であり、経巻とは関係ない。これもまた遺骨を拡大した解釈による。また、芥子けしのなかに須弥を納め、毛髪の先に宝刹ほうさつを現すと云うものは、このようなものはみな誇張である。古今、道を説く者は、誇張した表現が多い。学者は、これを些少なこととすべきでないと知るべきだろう。如来の意味は、ごとくにして来る(真実がそのままあらわれてくる)、である。これはもと、心の本体をさす名で、善悪の分れはまだない。類においてはん(あまねくゆきわたる、拡大する)とする。楞伽経に云う、「如来蔵は、これ善不善に分かれる因」と。大般若経に云う、「一切衆生はみな如来蔵」と。これである。あるいは徳を成就した状態の名として、様々な妄執がすでになくなって、ありのままの(如如)姿で現れてくる。類において(強調する)となす。勝鬘経に云う、「如来の法身は、煩悩の蔵を離れないのは、如来蔵だからである」と。大方等如来蔵に云う、「一切衆生は、瞋癡じん(怒りや愚かさ)のもろもろの煩悩の中にあって、如来身である」と。これである。また鉢刺婆刺拏はつらばらなを訳してて自恣じしとするような場合、自恣の語は、もと悪を意味しているが、ここでは善に限っている。類においてはん(反対の使い方)となす。およそこの五類は、いはゆる言に類ありである。20260728

およそ言に類あり、世あり、人ある、これを言に三物ありと謂ふ。一切の語言、解するに三物をもってする者は、わが教学の立てるなり。いやしくもこれをもってこれを求むるに、天下の道法、一切の語言は、いまだかって錯然さくぜんとして分れずんばあらざるなり。故に云く、三物五類は、立言の紀と。これなり。また、盧舎那るしゃな毘盧遮那びるしゃな, 新旧しんく異あるがごときも、また言に世あるなり。これもと迦文かもんを讃するの辞、ついにもって号とすること、儒者の堯を称するに、放勛ほうくんをもってするがごとし。後世学者、あるいは新旧によって、もって三身さんじんを分かつ者は、非なり。また、那落ならく捺落ならくのごとき、また音の同きを取る。婆娑ばしゃ正理しょうり、並びに定文じょうもんなし。後世の学者、あるいは字によりてを異にする者も、また非なり。また真丹震且支那しな指難しなのごときも、また同じ。琳師りんし云く、「東方は震に属す」と。また字によりて解を生ぜり。笑ふべし。また洛叉らくしゃ俱底くちのごとき、ともに大数の名、ほんしておくとなせる者は、仮りてもってこれを合はすなり。あるいは、その不合に惑うて、乃ちして云く、「西国に三種の億あり、四種の億あり」と。億はこれ漢名、竺土に、何ぞかって三種四種の億あらん。また非なり。かつ阿僧祇あそうぎ積数しゃくすのごとき、またみな異部の託言、互相たがいに変改して、もって人をるのみ。これ何ぞ必ずしも和会わえせん。また玄奘げんじょう師は五種の不翻を論じて、薄伽梵ばがぼんのごときは六義を具すとおもえる者のごとき、知らざる者は乃ち云く、梵語の多含たごんは、実に他方の及ぶ所にあらずと。これ大いにしからず。漢語のごときも、またみな多含、字をえつて書を見つべし。およそその注して、某なり、某なり、某なりと云ふ者は、みなこれ多含、一義の尽す所にあらず。何ぞただ、漢語のみならん。この方の語のごときも、またみな多含、放蕩ほうとうの者を謂ひて達曰結たわけとなせるがごとき、また放蕩の一義、あによくこれを尽さんや。類推して知るべし。可知

およそ、言葉には類(使い方による傾向)がある、世(時代による影響)あり、人(人の信条による違い)ある、これを言に三物ありと謂う。一切の言語は、理解するに三物をもってするのは、わたしの教学の立場である。いやしくもこれを適用して、天下の道法、一切の語言は、いまだかって錯然さくぜんとして理解できなかったことはない。だから云う、三物五類は、正しく理解し主張するための基礎である。これなり。また、盧舎那るしゃな毘盧遮那びるしゃな, 新旧しんく異なるのも、また言に世あるの例である。これもと釈迦を讃辞した言葉でついには号となったもので、儒者が堯を称して、放勛ほうくんと呼んだのに似ている。後世の学者が、新旧によって、三身に分けるのは誤りである。また、那落ならく捺落ならくのようなき、ま同じ音を訳したもので、大毘婆娑論や順正理論にはともに定まった訳がない。後世の学者、あるいは字によって解釈を異にするのも、誤りである。また真丹しんたん震且しんたん支那しな指難しなのような例もまた同じである。法琳法師は、「東方は震に属している」いい、また文字によって解釈しているのも、おかしい。字によって解釈をよりて解を生ぜり。笑ふべし。また洛叉らくしゃ俱底くちの文字は、ともに大きな数の名称で、訳して億としたのは、かりにこの字を当てたものだ。また、その合わないので困って、解釈して云う、「西国には三種の億がある、四種の億がある」などと解釈している。億はこれ漢の名で、インドにかって三種四種の億があっただろうか、誤りだ。また阿僧祇あそうぎや積数の場合。またみな異なる学派が互いにに揚げ足取りをして批判しているのである。どうして和解できよう。玄奘法師が、五種の翻訳しない言葉を論じて、薄伽梵ばがぼんなどは六つの意味があるというように、浅学のものが、梵語の多義性を云って、梵語の多義性は他の言語をはるかに圧していると。これはそうではない。漢語も、またみな多義である、辞書を閲してみるがよい。これはおよそ漢語に限らない。およそ註釈で、これこれです、またこれこれです、またこれこれですと云っているのは、みな多義であって、ひとつの意味で尽せるものではない。どうして漢語に限られよう。日本語にしてもまた多義であって、放蕩ほうとうの者を謂って、)たわけ(達曰結)というがごとき、また放蕩の一義で、よく尽せるものではない。類推して知るべしである。20260731

八識はっしき 第十二

八識はっしき 第十二

六根・六識は、これその本説なり。勝鬘経しょうまんきょう に、なほ六識と説き、また摂論しょうろんに云く、「声聞乗しょうもんじょうの中に、この心を阿頼耶識あらやしきと名づけ、阿陀那識あだなしきと説かず。この深細境の所摂によるが故」と。また見つべし。その七識・八識ある者は、みな異部加上いぶかじょうの説なり。楞伽ゆが対法たいほうは、則ち七識をもって主となす。云く、「眼等六識界および意界を謂ふ、云云。第八識は意界の所摂なり」と。深密じんみつ唯識ゆいしきは則ち八識をもって主となす。云く、「意識を離れて別に余識あるにあらず。ただ除別に阿頼耶識あり」と。これまた異部の言、必ずしも和会せずして、可なり。また、楞伽経に、八・九識を立てて因果合説し、および梁の摂論は、また一層を出でて、阿摩羅をもって主たるごときも、また異部の執着である。何ぞ必ずしも怪しまん。奘師じょうしはこれを許さずして云く、「第九は、これ第八の異名」と。固なりと謂ふべし。また釈摩訶衍論しゃくまかえんろんに十識あり。大日経だいにちきょうに無量の心識あり。これ心識加上の説なり。案ずるに、阿頼耶あらやはこれ蔵の義、阿陀那あだなおよび末那まなは、これ執の義、古来、訳するに心意をもってす。

六根・六識は、釈尊が初めから説いた教えである。勝鬘経では、まだ六識を説いているし、また摂論大乗論には云う、「声聞乗しょうもんじょうの中に、この心を阿頼耶識あらやしきと名づけ、阿陀那識あだなしきを説いていない。この一切を蔵する深微奥に収まっているからである」と。当たって見るとよい。その七識・八識などは、みな異部加の説である。楞伽論や阿毘達磨雑集論は、七識を立てて主としている。云わく、解深密経や成唯識論は八識をもって主として、云う、「意識を離れて別に識があるわけではないが、別に阿頼耶識がある」と。これまた異部の言、必ずしも辻褄あわせをしなくてもよい。また、楞伽経に、八・九識を立てて因・果を合わせたり、梁訳の摂大乗論は、また一歩すすめて、阿摩羅をもって主とすると説くのも、また異説に固執しているのである。必ずしも怪しむ必要はない。玄奘法師はこれを許さないで、云う、「第九は、これ第八の異名である」というが、頑固といってよい。また釈摩訶衍論には十識があり。大日経には無量の心や識がある。これは心・識を加上した説である。思うに、阿頼耶あらやは、蔵するの意味、、阿陀那あだなおよび末那まなは、これ執するの意味であって、古来、訳するに心とか意とかの表現を用いる。20260803

俱舎に云く、「集起しゅうきしんと名づけ思量しりょうを意と名づけ、了別りょうべつを識と名づく」と。成唯識じょうゆいしきに云く、「蔵識は、説きて心と名づけ、思量しょうを意と名づけ、よく諸境の相を了する、これ名を説きて識となす」と。摂大乗論しょうだいじょうろんに云く、「阿頼耶識はもって心体しんたいとなす。これによりて種子しゅうじとなし、意および識、転ず。何の因縁の故に、また説きて心と名づくるや。種種の法は、熏習くんじゅうの種子の積集くんじゅうする所 によるが故」と。みな見つべし。
俱舎論に云う、「集め生ずるはたらきがあるので心と名づけ、思い量るはたらきがあるから意と名づけ、識別するはたらきがあるから識と名づける」と。成唯識論に云う、「蔵識を説いて心と名づけ、思い量るはたらきを意と名づけ、よくさまざまな対象のすがたをはっきり識別するので識と名づける」と。摂大乗論に云う、「阿頼耶識は、心の本体をいう。これが種子となって、意および識に転ずる。どうして因縁から、説いて心と名づくるのか。さまざまな法がしみ込んで種子が堆積したためだ」と。みな自身で確認すべきだ。20260603

しかるに、心意はこれ漢語。阿頼耶・阿陀那はこれ梵語。もとより、その趣を異にす。得て合はすべからざる者あり。必ずしも当つるに漢語をもってせず。ただ会するにわが意をもってする、可なり。何ぞや。阿羅耶はこれ蔵、阿陀那は、これ執。執と蔵とは、ともに心のこと、もとこの二者において、心意を分かつべからず。もし、しひてこれを分かたば、阿羅耶・阿羅耶は、これ意の義、阿羅耶識・阿羅耶識は、これ心の義なり。何ぞや。これを執り、これを蔵すは、乃ち心の用、活語たり。これ意なり。これを名づくるに識をもってすれば、乃ち心の体、死語たり。これ心なり。しからざれば則ち、経論もまた、何をもって阿頼耶と阿頼耶識とを分かたんや。

しかしながら、心・意はこれ漢語。阿頼耶・阿陀那はこれ梵語。もとより、その趣を異にす。梵語と漢語と一致しないものがある。必ずしも漢語にあてはめる必要はない。それゆえ理解するに自分の心で解釈していいのだ。何故か。。阿羅耶はこれ蔵、阿陀那は、これ執。執と蔵とは、ともに心のことであり、もともと心・意は不可分である。もし、しひてこれを分けたければ、阿羅耶・阿羅耶は、これ意の意味、阿羅耶識・阿羅耶識は、これ心の意味である。何ぞや。「これを執り」、「これを蔵す」は、すなわち心の作用であり、活語である。これが意であって、名づくるに識をもってすれば、すなわち、死語となる心であろう。どうして、経と論において、何をもって、阿頼耶と阿頼耶識とを分別したのか。20260803

解深密げじんみつに云く、「もしくは、菩薩が内に外に、蔵住ぞうじゅうを見ず、熏習くんじゅうを見ず、阿頼耶を見ず、阿頼耶識を見ず、阿陀那を見ず、阿陀那識を見ず」と。これなり。摂論しょうろんは則ちただ、本識および阿陀那識を見ざるに作る。これ、訳家やくけ意をせずしてしかり。惜しいかな。

故に、そのあるいは阿陀那をもって第八識となせる者も、また妥当な説だ。

楞伽ゆが雑集ぞうじゅうに云く、「心とは、蘊界処うんかいしょ習気じっき所熏しょくんを謂ふ。一切の種子しゅうじ、阿頼耶識をまた異熟識いじゅくしきとなづけ、また阿陀那識と名づく」と。これなり。
解深密経に云う、「もしは、菩薩が内に外に、蔵住を見ず、熏習を見ず、阿頼耶を見ず、阿頼耶識を見ず、阿陀那を見ず、阿陀那識を見ないなら」といっているのがこのことにあたる。摂大乗論釈ではただ、本識および阿陀那識を見ないで作ると、云っている。これは、訳者が本意を理解しなかっただけである。残念なことだ。

したがって、もしかして阿陀那をもって第八識とする者があるとすれば、それもまた当を得た説といえる。

楞伽論や阿毘達磨雑集論に云う、「心とは、蘊界処うんかいしょ習気じっき所熏しょくんを謂う(もろもろの心のはたらきで意識されるもっとも奥深い処)。一切の種子しゅうじ、阿頼耶識をまた異熟識いじゅくしきとなづけ、また阿陀那識と名づく」と。これなり。20260804

また楞伽経りょうがきょうに阿頼耶を説いてもって如来蔵となし、無明むみょう七識とともにそなはるなりと云ふがごとき、これ、してこれを張るもの、義は如来と同じ。故に、あるいは別に菴摩羅あんまらを立て、もって究竟となすは、これ加上の説なり。また案ずるに、阿頼耶識は、もと外道げどうの所説なり。大日経に載する所の三十種の妄計、見つべし。仏家ぶっけは、特によりてもってこれを説くのみ。また、案ずるに、有宗うしゅうはただ阿羅耶をもって心意しんにの名となし、別に論説なし。

また楞伽経に阿頼耶を説いてもって如来蔵として、無明むみょうと七識とともに具わっていると云うのは、誇張して主張しているのであり、意味はは如来と同じである。それゆえ、また別に菴摩羅あんまらを立て、もって究極ものとするのは、加上の説である。また思うに、阿頼耶識は、もと外道の所説である。大日経に載っているの三十種の妄計を見るとよい。仏教者は、これによって説いたに過ぎない。また、思うに、有宗はただ阿羅耶をもって心・意の名となし、別に論じるところなし。

梁の摂論に云く、「増一阿含経に言ふがごとき、世間の喜樂は阿梨耶ありや愛阿梨耶あいありや習阿梨耶じゅうありや着阿梨耶じゃくありやにおいてす。阿梨耶を滅せんがために、如来は正法を説く」と。また、無性むしょうの摂論に云く、「異熟頼耶いじゅくらいやとは、乃ちこれ」と。

これを要するに、その七・八識に当つるに心意をもってする者は、古来、訳人の誤りなり。

梁訳の摂大乗論に云う、「増一阿含経に言うように、世間の喜樂は阿梨耶ありや愛阿梨耶あいありや習阿梨耶じゅうありや着阿梨耶じゃくありやにおいて、阿梨耶を滅せんがために、如来は正法を説く」と。また、無性訳の摂大乗論に云う、「異熟頼耶いじゅくらいやといっているものがこれにあたる」と。

これを要するに、その七・八識に当てるに心・意をもってする者は、古来、訳者の誤りである。20260804

四諦したい十二因縁じゅうにいんねん六度ろくど 第十三

四諦したい十二因縁じゅうにいんねん六度ろくど 第十三

雑心ぞうしんの、苦集道滅くじゅうめつどう大経だいきょうの集苦道滅、華厳けごん、苦集滅道は、みな異部の言、しかり。これを諦と謂ふ者は、乃ち審諦しんたいどうと云ふ者のごとし。これに処するの道を謂ふなり。大経には「苦ありて諦なし」と。見つべし。苦は心の煩悩ぼんのうなり。凡夫はじゃくをもって樂となすも、真樂にあらず。集は心の無明むみょうなり。癡闇ちあん心に和合す。故に煩悩あり。滅はその無明を滅す。乃ち涅槃ねはんなり。道はその煩悩を除く。乃ち菩提ぼだいなり。

雑阿毘曇雑心論に、苦集道滅とあり、涅槃経に集苦道滅とあり、華厳経に苦集滅道とあるが、みな異部の言である。これを諦と謂う者は、四諦を会得することを仏道というようなものである。これを処する道を謂うのである。涅槃経には「(凡夫は)苦ありて諦なし」と。見つべし。苦は心の煩悩なり。凡夫はこれに執着してきたが、ほんとうの樂ではない。集は心の無明である。癡闇(愚かさは)心に融和する。故に煩悩あり。滅はその無明を滅する。すなわち涅槃である。道とはその煩悩を除くことである。すなわちさとり(菩提)である。

遺教経ゆいぎょうきょうに云く、「仏説く、苦諦くたいは実苦なり。樂しまむべからず。じょうは真にこれ因、さらに異因なし。もし苦滅すいれば、即ちこれ因滅す。因滅するが故に、果滅す。滅苦めっくの道は、実にこれ真道、さらに余道なし」」と。これなり。これ乃ち四諦の本義。その、凡夫は苦ありて諦なく、二乗にじょうは諦ありていまだ達せず。菩薩は共になく、ただ真理ありと説き、あるいは聖諦しょうたいは苦にあらず、集にあらず滅にあらず道にあらずと説き(思益しやく)、あるいは有四種の四諦ありと説く(涅槃・勝鬘しょうまん)者は、みな異部の名字。おのおのその義を制する者は、もとの真にはあらず。毘曇びどんに云く、「癡闇ちあん心体しんたいは、慧明えみょうなきを無明むみょうとなす。これ正義しょうぎなり。成実じょうじつに云く、「邪心を分別し、正慧明しょうみょうえなきを、無明と名づく」と。これ傍らに一邪字を添ふ。正義にあらず、ぎょうはこれによりて行ふなり。これによりて行なへば、則ち心識しんしきくんず。これ識なり。名色みょうしきは、これを色してこれを名とす。志と云ふ者のごとし。六処は、乃ち六根。気と云ふ者のごとし。 遺教経ゆいぎょうきょうに云う、「仏が説いている、苦諦はほんとうの苦しみであって、樂ではない。集はまさに苦の原因であって、ほかに原因があるわけではない。もし苦が滅すば、すなわち原因も滅す。原因が滅すれば、結果も滅する。苦を滅する道が、真の道であり、さらに他の道があるわけではない」」と。これである。これが四諦の本来の意味である。凡夫は苦だけがあって諦がなく、二乗は諦はあるが、悟りに達していない。菩薩に苦はなく、ただ真理のみがあると説く、あるいは真実は、苦ではなく、集でもなく、滅でもなく、道でもないと説く。<思益>、あるいは四種の四諦があると説く者<涅槃・勝鬘>は、みな異部の名字である。それぞれ定義しているが、本来の意味ではない。阿毘曇論に云う、「凡夫の心には、智慧の明かりがないから、無明という」これが無明の正しい定義である。成実論に云う、「邪心を分別する正しい智慧がないから、無明と名づける」と。これは傍らに邪の一字を添えたもので、正しい意味ではない。行とは無明をよりどころとしてものである。これによって行えば心(心識)に薫を残す。これが識である。名色は、これに色をつけて名称とした。こころざしというようなものである。六処とは、六根で、気というようなものである。20260805
そくじゅは、これを触れこれを受くるなり。あいしゅは、これを愛しこれを取りこれを有するなり。しょう老死ろうしは、生きてそして老い死んでゆくことである。無明にして生まれ、そして老い、死んでゆくのであってしかして老死す。これいはゆる酔生夢死すいせいむしなり。一行行いちぎょうぎょうは、みな因たり。老死に至りてむ。現在の一因縁いちいんねん、これ本説なり。そのあるいは、三世 羯頼藍さんぜかつららん等、もしくは二世をもって説をなせる者は、これ幻説なり。(俱舎くしゃ大論だいろん等)。また一念いちねんをもってし(大集だいじゅう)、もしくは順逆じゅんぎゃくの観(阿含あごん)、もしくはじゅかんの初となせる者は、みな異部の名字、しかり。

そくじゅは、触れて感じ、その感情をいだくこと。あいしゅは、愛欲を起こしこれに執着しこれを愛しこれによって行動を起こすこと。しょう老死ろうしは、生きて, そして老い、死んでゆくことである。無明にして生まれ、そして老い死んでゆくのであって、これいはゆる酔生夢死すいせいむしである。わずかな行為であっても、みな原因になる。老死に至って終わる。これを現在の生涯の一因縁ととらえるのが、本来の説である。そのあるいは、過去・現在・未来の三世にわたって説いたり、あるいは二世にわたると説くものは、幻説である。(俱舎論・大智度論等)。また一念をもってしたり(大集経)、もしくは順逆にの観想したり(阿含経典)、もしくは受から観じ始めたりするのは、みな異部の名字が説くところにほかならない。20260807

また、あるいは謂ふ。十二因縁は、なほ車輪の上下に廻転するがごとし、と。続いてまた始まる。これその<無明に因なく老死に果なきにきんす。故に婆娑ばしゃに云く、「無明に因あり、前の無明を謂ふ。老死に果あり、後の老死を謂ふ」と。有余師うよし説く、「無明に因あり、前の老死を謂ふ。老死に果あり、後の無明を謂ふ」と。槃および守護国界経に云く、「不正ふしょう思惟しゆいを因となし、無明を縁となす」と。これ、みな本意のある所を知らず、また、ただ漆桶しつつう模索もさくしてしか云ふ、それ仏の十二因縁を制する者は、説諸業しょごうのもと無明に出るを説かんとなり。無明、もし一つぁび除けば、則ち行なく識なく、乃至老死なし。これを槃涅槃はつねはんと謂ふ。これ、四諦の、じゅうあればあり、苦めっすれば則ちどうと云ふ者のごとし。四諦はこれ合、十二因縁はこれ開、その実は一也なり。しかるに、諸家しょけ声縁しょうえんに分属する者は、言のぶんなり。故に大経だいきょうに云く、「聖諦しょうたいに二種あるを知る。声聞・縁覚を中となし、諸仏・菩薩を上となす」と。また云く、「十二因縁を観ずる者四種、上上智じょうじょうちを仏となす」と。見つべし。その声縁に局せざるを。

またあるいは謂う。十二因縁は、なほ車輪の上下に廻転するがごとし、と。つねに連続してまた始まる。これその無明に根本原因がなく、老死に結果がないのに窮したのである。だから大毘婆娑論に云う、「無明に因あり、前の無明を謂う。老死に果あり、後の老死を謂ふ」と。他の宗派では説く、「無明に原因がある、前の老死がそれだ。老死に結果がある、後の無明がそれにあたる」と。涅槃と守護国界経に云う、「間違った思惟を因となし、無明を縁となす」と。これ、みな本来の意味を知らず、ただ暗中模索して云っているのである。そもそも、仏が十二因縁を定めたのは、一切の行為のもとは無明にあるということを説くためである。無明がひとたび除かれれば、すなわち行なく識なく、老死もない。これを悟りという。これは、四諦の、集あれば苦あり、苦が滅すれば、道に至る、と云うのに等しい。四諦はこれを合わせたもの、十二因縁はこれ細かく分けたもので、実は同じものである。しかしながら、諸家が、前者を声聞に後者を縁覚に分けて配置したのは、言葉の綾である。それゆえ、涅槃経に云う、「聖諦に二種あることがわかる。声聞・縁覚は中程度で、諸仏・菩薩は上等である」と。また云う、「十二因縁を観想するのは四種あり、上上の智慧によるものを仏とする」と。これで、声縁に限らないことが分かる。

ただ六度ろくど独り化他けたに属す。これ菩薩の業なり。しかれどもまた、ここに局すとおもはば、不可なり。大品だいぽんに云く、「阿羅漢あらかん支仏しぶつは、六派羅密ろっぱらみつによりて彼岸に至る」と。楞伽りょうがに云く、人天にんでん・ニ乗は、みな波羅蜜と名づく」と。これ見つべし。案ずるに、六度はみな古来学者のよりて行ふ所。布施・禁戒・忍辱・精進・静慮・智慧は、経説に載する所、みな所当ありて、見つべし。閲婆娑ばしゃを閲するに、た四波羅蜜しはらみつありて、云く、「六波羅蜜、外国師げこくしの説」と。おもふに、四度はこれ、その本説、加ふるに二度をもってするは、加上の説なり。大品に云く、「般若波羅蜜によりて、五波羅蜜は波羅蜜の名字を得」と。大論もまた云く、「五波羅蜜は般若中に含受す」と。ここに知る、当時、五波羅蜜の目ありて、加ふるに般若をもってする者は、空家くうけの作なるを。また知る禅那ぜんなもまた禅定家ぜんじょうけの加ふる所なるを。いまの禅人ぜんにんは、けだしその流派にして、迦葉かしょうをもってする者は、妄なり。迦葉は、これ頭陀ずだの宗、精進家しょうじんけなり。合はず。

ただ六度だけは衆生を化他し導くことに属している。これは菩薩の業である。しかしこれも菩薩に限ると思ったら、間違いである。大品般若経に云う、「阿羅漢と辟支仏びしゃくぶつは、六派羅密によって彼岸に至る」と。楞伽経に云う、人天ニ乗は、みな波羅蜜と名づく」と。これ見つべし。思うに、六度は古来仏教を学ぶものが、みな修行してきたところ。布施・禁戒・忍辱・精進・静慮・智慧は、経説に載っている、みな該当する所があり、確かめて見ることができる。大毘婆娑論を見ると、ただ四波羅蜜だけがあって、云う、「六波羅蜜は他国の僧の説である」と。思うに、四度は、本来の説であって、加ふるに二度をもってするは、加上の説である。大品般若経に云う、「般若波羅蜜によりて、他の五波羅蜜も波羅蜜の名字を得た」と。大智度論もまた云う、「五波羅蜜は般若の中に吸収された」と。ここに知る、当時、五波羅蜜の目ありて、加ふるに般若をもってする者は、空を説く宗派によるものだ。また知る、禅定もまた禅定を強調する宗派が加えたものだと。今日の禅徒は、おそらくこの流派だろうが、迦葉を祖とするのは誤りだろう。迦葉は、頭陀行の宗で、精進・努力した人であって合わない。20260807

禅人、あるいは、その六度中の禅那に同じきをにくんで云く「古徳は仏心宗ぶっしんしゅうを呼んで禅宗となすも、六度の禅那にあらず。単伝直示たんでんじきじの字画に従ふなり」と(済北集ほくせいしゅう)。不立文字ふりゅうもんじの学、かへって字画に従ひてこれを名づく。怪しむべし。

かつ上の四度は、意旨あひ類す。これそのもとなり。禅那・般若は、独り心業しんごうに属して、上と類せず。分明に、これ後来加ふる所なり。

禅の徒は、ひょっとしては、その六度のなかの禅定と同じに見られるのを気にして、云う「古の高僧は仏心宗のことを禅宗と呼んだが、その禅は六度の禅那ではない。その禅那は文字によらず、直接に、心から心へ伝えるという、単伝直示たんでんじきじの字画によったのである」と(済北集ほくせいしゅう)。不立文字ふりゅうもんじの学が、かへって字画にしたがって名づけるなんて、疑わしいかぎりだ。

また上の四度は、その意旨が互いに似ている。これがもとだろう。禅那と般若は、他と違って心のはたらきに属していて、先の四度とは類を異にしている。あきらかに後世の加上である。20260808


参照資料  はじめに
• 『日本思想大系 43 富永仲基・山片蟠桃』水田紀久校注 岩波書店 1973年8月発行 原文・訓読文・註釈を参照
• 『注解 出定後語』 吉川延太郎註譯 教学書房 昭和十九年九月十五日発行 註釈・大意等を参照
• 『出定後語』富永仲基著 京戸慈光編集 隆文館 昭和57年10月14日発行 現代語訳・註釈を参照
• 『日本の名著 18 富永仲基 石田梅岩』 石田瑞麿訳 中央公論社 昭和47年5月30日発行 現代語訳を参照   

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読書期間2026年1月12日 - 2026年8月8日