源氏物語 45 橋姫 はしひめ

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原文 現代文
45.1 八の宮の家系と家族
そのころ、世に数まへられたまはぬ古宮おはしけり。母方なども、やむごとなくものしたまひて、筋異なるべきおぼえなどおはしけるを、時移りて、世の中にはしたなめられたまひける紛れに、なかなかいと名残なく、御後見などももの恨めしき心々にて、かたがたにつけて、世を背き去りつつ、公私に拠り所なく、さし放たれたまへるやうなり。
北の方も、昔の大臣の御女なりける、あはれに心細く、親たちの思しおきてたりしさまなど思ひ出でたまふに、たとしへなきこと多かれど、古き御契りの二つなきばかりを、憂き世の慰めにて、かたみにまたなく頼み交はしたまへり。
年ごろ経るに、御子ものしたまはで心もとなかりければ、さうざうしくつれづれなる慰めに、「いかで、をかしからむ稚児もがな」と、宮ぞ時々思しのたまひけるに、めづらしく、女君のいとうつくしげなる、生まれたまへり。
これを限りなくあはれと思ひかしづききこえたまふに、さし続きけしきばみたまひて、「このたびは男にても」など思したるに、同じさまにて、平らかにはしたまひながら、いといたくわづらひて亡せたまひぬ。宮、あさましう思し惑ふ。
その頃、世の中から忘れられた、老いた宮がいた。母方も高貴な出で、格別の身分になる噂があった方だが、世が移って、世の中からつれない扱いを受けたごたごたの末に、昔の面影はなくなり、後見たちも恨めしい気になって、それぞれに、出家などしたりして、公私にわたり拠り所がなく、見放されたようになっていた。
北の方も、昔の大臣の娘であり、今はしみじみ心細く、親たちの期待などを思い出すにつれて、悲しいことも多いけれど、長年連れ添った仲のよさは類なく、憂き世の慰めであり、互いにこの上なく頼りにして暮らしていた。
長年、子供が生まれずどうしたことかと案じていたが、物足りなくつれづれの慰めに、「どうかして可愛らしい稚児がほしいものだ」と、宮が時々言っていたのだが、そうこうして、珍しく、美しい女の子が生まれた。
この姫を、限りなく愛おしく思い、大事に育てたが、また身ごもって、「今度は男の子でも」などと思っていたが、同じく女で、安産ではあったが産後をひどく患って亡くなってしまった。宮は、あまりのことに途方にくれた。
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45.2 八の宮と娘たちの生活
「あり経るにつけても、いとはしたなく、堪へがたきこと多かる世なれど、見捨てがたくあはれなる人の御ありさま、心ざまに、かけとどめらるるほだしにてこそ、過ぐし来つれ、一人とまりて、いとどすさまじくもあるべきかな。いはけなき人びとをも、一人はぐくみ立てむほど、限りある身にて、いとをこがましう、人悪ろかるべきこと」
と思し立ちて、本意も遂げまほしうしたまひけれど、見譲る方なくて残しとどめむを、いみじう思したゆたひつつ、年月も経れば、おのおのおよすけまさりたまふさま、容貌の、うつくしうあらまほしきを、明け暮れの御慰めにて、おのづから見過ぐしたまふ。
後に生まれたまひし君をば、さぶらふ人びとも、「いでや、折ふし心憂く」など、うちつぶやきつつ、心に入れても扱ひきこえざりけれど、限りのさまにて、何ごとも思し分かざりしほどながら、これをいと心苦しと思ひて、
「ただ、この君を形見に見たまひて、あはれと思せ」
とばかり、ただ一言なむ、宮に聞こえ置きたまひければ、前の世の契りもつらき折ふしなれど、「さるべきにこそはありけめと、今はと見えしまで、いとあはれと思ひて、うしろめたげにのたまひしを」と、思し出でつつ、この君をしも、いとかなしうしたてまつりたまふ。容貌なむまことにいとうつくしう、ゆゆしきまでものしたまひける。
姫君は、心ばせ静かによしある方にて、見る目もてなしも、気高く心にくきさまぞしたまへる。いたはしくやむごとなき筋はまさりて、いづれをも、さまざまに思ひかしづききこえたまへど、かなはぬこと多く、年月に添へて、宮の内も寂しくのみなりまさる。
さぶらひし人も、たつきなき心地するに、え忍びあへず、次々に従ひてまかで散りつつ、若君の御乳母も、さる騷ぎに、はかばかしき人をしも、選りあへたまはざりければ、ほどにつけたる心浅さにて、幼きほどを見捨てたてまつりにければ、ただ宮ぞはぐくみたまふ。
「年月を過ごすにつけ、暮らしにくく、堪えがたいことが多い世であるが、見捨てて出家できない可哀そうな北の方の様子や人柄に、ほだされて過ごしてきた世で、ひとりになってしまって、八の宮はいよいよ何の張り合いもなくなった。頑是ない姫君たちを、ひとりで育てるのは、皇族の身で、おこがましく外聞も悪い」
という気持ちになって、出家もしたいけれど、姫君たちを託す人もなく後に残してゆくのは、心配でためらっているうちに、月日が経ち、それぞれ成長して、顔立ちが美しく理想的なので、明け暮れの慰めにして、ついその日ぐらしを過ごしてきた。
後に生まれた妹君は、お仕えの人々も、「困ったこと、親が亡くなって折も悪い」などと、小言を言って、気持ちを込めた世話をしないので、北の方が臨終のときに意識もはっきりしない中で、妹君を思いやって、
「ただこの君をわたしの形見に思って、可愛がってください」
とばかり、ただ一言だけ、八の宮に申し上げたので、前世の契りもつらい時に、「こうなる運命だったのだろう。臨終の間際まで、妹君をあわれと思って、後の心配をされて言ったのだ」と、思い出して、この君を、たいそう可愛がった。妹君の顔立ちはまことに美しく、先々大きくなって空恐ろしく感じるのだった。
大君は、気立てがしっかりして優雅な人柄で、見た感じの物腰も、気品があって奥ゆかしい。大事に世話しなければと思わせる気品はまさっていて、どちらの君も大切に育てたが、思うに任せぬこと多く、月日がたつにつれて、宮の邸も寂しくなった。
仕えていた人も、将来の見込みがない気がして、辛抱できず、次々に辞めていったので、中の君の乳母も、しっかりした人を選ぶことができず、乳母は身分相応の浅はかさで、妹の方を見捨てたように扱うので、ただ八の宮ひとりで育てているようだった。
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45.3 八の宮の仏道精進の生活
さすがに、広くおもしろき宮の、池、山などのけしきばかり昔に変はらで、いといたう荒れまさるを、つれづれと眺めたまふ。
家司なども、むねむねしき人もなきままに、草青やかに繁り、軒のしのぶぞ、所え顔に青みわたれる。折々につけたる花紅葉の、色をも香をも、同じ心に見はやしたまひしにこそ、慰むことも多かりけれ、いとどしく寂しく、寄りつかむ方なきままに、持仏の御飾りばかりを、わざとせさせたまひて、明け暮れ行ひたまふ。
かかるほだしどもにかかづらふだに、思ひの外に口惜しう、「わが心ながらもかなはざりける契り」とおぼゆるを、まいて、「何にか、世の人めいて今さらに」とのみ、年月に添へて、世の中を思し離れつつ、心ばかりは聖になり果てたまひて、故君の亡せたまひにしこなたは、例の人のさまなる心ばへなど、たはぶれにても思し出でたまはざりけり。
「などか、さしも。別るるほどの悲しびは、また世にたぐひなきやうにのみこそは、おぼゆべかめれど、あり経れば、さのみやは。なほ、世人になずらふ御心づかひをしたまひて、いとかく見苦しく、たつきなき宮の内も、おのづからもてなさるるわざもや」
と、人はもどききこえて、何くれと、つきづきしく聞こえごつことも、類にふれて多かれど、聞こしめし入れざりけり。
念誦ねんずのひまひまには、この君たちをもてあそび、やうやうおよすけたまへば、琴習はし、碁打ち、偏つきなど、はかなき御遊びわざにつけても、心ばへどもを見たてまつりたまふに、姫君は、らうらうじく、深く重りかに見えたまふ。若君は、おほどかにらうたげなるさまして、ものづつみしたるけはひに、いとうつくしう、さまざまにおはす。
さすがに広い風雅な宮邸の、池、山などのけしきは昔に変わらないのだが、たいそう荒れ放題の庭を、所在なげに眺めるのだった。
家司なども、しっかりした人は不在のまま、草は青く茂り、軒に忍ぶ草がわがもの顔に伸びて、四季折々の花紅葉が、色も香も、二人一緒に見てこそ、慰めも多いが、今はひとしお寂しくなり、寄り付く人もなく、持仏の飾りばかりを手入れして、念入りに移動したり入れ替えてみたりして、明け暮れ行っていた。
このような出家の妨げになる娘たちを世話するに、不本意で残念でならず、「わが心ながら思い通り出家できぬ因縁だ」と思って、「何で世間の人並みに今さら再婚など」と、年月がたっても俗世のことを断念し、心だけは聖になった気分で、故北の方が亡くなってからは、普通に世間の人がするような再婚などの気持ちは全くなかった。
「なにもそこまで。死別の悲しみは、世に類なく悲しいように思われるが、時間がたてば、そうでもなくなる。普通に、世間の人がするように再婚の心積もりをすれば、見苦しくなって、手入れもせず取り仕切る者もない邸も、自然とうまくゆくであろうに」
と人は非難して、何くれとなく、もっともらしい縁組の話を、縁故を通じて多くあったが、聞き入れなかった。
念誦ねんずのひまに、姫君たちの遊び相手をして、二人が成長するにつれ、琴の練習、碁打ち、偏つきなど、遊びにつけても、姫君の心ばえなどを見るに、大君は考えが行き届いていて、思慮深く見えた。中の君は、おっとりしていじらしく、初々しくはにかんだ様子で、たいそう可愛らしく、控え目でそれぞれに美しくすぐれていらっしゃる。
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45.4 ある春の日の生活
春のうららかなる日影に、池の水鳥どもの、羽うち交はしつつ、おのがじしさへづる声などを、常は、はかなきことに見たまひしかども、つがひ離れぬをうらやましく眺めたまひて、君たちに、御琴ども教へきこえたまふ。いとをかしげに、小さき御ほどに、とりどり掻き鳴らしたまふ物の音ども、あはれにをかしく聞こゆれば、涙を浮けたまひて、
うち捨ててつがひ去りにし水鳥の
仮のこの世にたちおくれけむ

心尽くしなりや」
と、目おし拭ひたまふ。容貌いときよげにおはします宮なり。年ごろの御行ひにやせ細りたまひにたれど、さてしも、あてになまめきて、君たちをかしづきたまふ御心ばへに、直衣の萎えばめるを着たまひて、しどけなき御さま、いと恥づかしげなり。
姫君、御硯をやをらひき寄せて、手習のやうに書き混ぜたまふを、
「これに書きたまへ。硯には書きつけざなり」
とて、紙たてまつりたまへば、恥ぢらひて書きたまふ。
いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも
憂き水鳥の契りをぞ知る

よからねど、その折は、いとあはれなりけり。手は、生ひ先見えて、まだよくも続けたまはぬほどなり。
「若君も書きたまへ」
とあれば、今すこし幼げに、久しく書き出でたまへり。
泣く泣くも羽うち着する君なくは
われぞ巣守になりは果てまし

御衣どもなど萎えばみて、御前にまた人もなく、いと寂しくつれづれげなるに、さまざまいとらうたげにてものしたまふを、あはれに心苦しう、いかが思さざらむ。経を片手に持たまひて、かつ読みつつ唱歌をしたまふ。
姫君に琵琶、若君に箏の御琴、まだ幼けれど、常に合はせつつ習ひたまへば、聞きにくくもあらで、いとをかしく聞こゆ。
春のうららかな光に、池の水鳥たちの、羽を交わし、それぞれがさえずる声などを、いつもは、はかないことと見ていたが、つがいが離れないのをうらやましく眺めて、娘たちに、八の宮は琴を教えていた。二人はたいそう美しく、小さいなりに、それぞれ掻き鳴らす音が、あわれにいじらしくおもしろく聞こえるので、涙を浮かべて、
(八宮)「子をあとに残してつがいの雁の母鳥は
仮のこの世をなんで去ったのか
嘆きの尽きないことだ」
と、目をおしのごった。顔立ちの美しい宮だ。年頃の勤行に痩せ細っていたが、それでもそういう姿が、かえって気高く優雅で、姫たちを何くれとお世話する心遣いに直衣の柔らかいのを着て、くつろがれている様子は、たいそう気品があり立派だった。
大君が、硯を引き寄せて、手習いのように書き混ぜているのを、
「これに書きなさい。硯には書かないものです」
とて、紙をさしあげると、大君は恥ずかしそうに書いた。
(大君)「母がいなくてどうして大きくなったのか、
水鳥の先行きが思いやられます」
さほど上手ではないが、その場ではあわれであった。まだよく続け書きはできていない。
「若君も書きなさい」
と仰せなので、ずっと子供っぽく、時間をかけて書き上げた。
(中の君)「泣きながら羽を着せてくれる父君がいなければ、
わたしは卵のままだったでしょう」
衣も萎えて古くなって、御前に人なく、実に寂しく所在ないのであるが、様々に姫君たちが可愛らしい様子でいるので、不憫でいたわしい、とどうして思わないことがあろう。経を片手に持ち、読み、かつ唱歌する。
大君に琵琶、中の君に筝の琴、まだ幼いけれど、常に合奏しながら稽古するので、聞きにくくはなく、おもしろく聞こえる。
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45.5 八の宮の半生と宇治へ移住
父帝にも女御にも、疾く後れきこえたまひて、はかばかしき御後見の、取り立てたるおはせざりければ、才など深くもえ習ひたまはず、まいて、世の中に住みつく御心おきては、いかでかは知りたまはむ。高き人と聞こゆる中にも、あさましうあてにおほどかなる、女のやうにおはすれば、古き世の御宝物、祖父大臣の御処分、何やかやと尽きすまじかりけれど、行方もなくはかなく失せ果てて、御調度などばかりなむ、わざとうるはしくて多かりける。
参り訪らひきこえ、心寄せたてまつる人もなし。つれづれなるままに、雅楽寮うたづかさの物の師どもなどやうの、すぐれたるを召し寄せつつ、はかなき遊びに心を入れて、生ひ出でたまへれば、その方は、いとをかしうすぐれたまへり。
源氏の大殿の御弟におはせしを、冷泉院の春宮におはしましし時、朱雀院の大后の、横様に思し構へて、この宮を、世の中に立ち継ぎたまふべく、わが御時、もてかしづきたてまつりける騷ぎに、あいなく、あなたざまの御仲らひには、さし放たれたまひにければ、いよいよかの御つぎつぎになり果てぬる世にて、え交じらひたまはず。また、この年ごろ、かかる聖になり果てて、今は限りと、よろづを思し捨てたり。
かかるほどに、住みたまふ宮焼けにけり。いとどしき世に、あさましうあへなくて、移ろひ住みたまふべき所の、よろしきもなかりければ、宇治といふ所に、よしある山里持たまへりけるに渡りたまふ。思ひ捨てたまへる世なれども、今はと住み離れなむをあはれに思さる。
網代のけはひ近く、耳かしかましき川のわたりにて、静かなる思ひにかなはぬ方もあれど、いかがはせむ。花紅葉、水の流れにも、心をやる便によせて、いとどしく眺めたまふより他のことなし。かく絶え籠もりぬる野山の末にも、「昔の人ものしたまはましかば」と、思ひきこえたまはぬ折なかりけり。
見し人も宿も煙になりにしを
何とてわが身消え残りけむ

生けるかひなくぞ、思し焦がるるや。
父帝にも女御にも、早く先立たれて、これといったしっかりした後見がおられなかったので、学問も深く修めることができず、まして、世の中で生活する処世など、どうして知ることができよう。高貴な方と言われる中でも、あきれるほど上品でおっとりして女のようであったので、古い世の宝物、祖父大臣の遺産、何やかやと、無尽蔵にあると思われたがどこへいったのか皆無くなって、調度品ばかり目立って立派なのが多かった。
邸に参上してご機嫌伺いをし、御用をお勤めする人もなく、つれづれなるままに、雅楽寮うたづかさの楽師たちなどの中で、秀でたのを、召し寄せて、はかない遊びごとに熱中して、成人したので、その方面は、たいそうすぐれていた。
八の宮は、源氏の弟であったので、冷泉院が東宮であった時、朱雀院の大后の弘徽殿が、あるまじき企みを計画して、八の宮を帝の後継にすべく、自分に権勢があった時、後見になろうとした騒ぎがあり、その際、源氏側との仲は引き離され、次々と源氏の子孫の皇位を継いだので、一切の交じらいがなく時がたった。ここ何年かは、このような聖のようになって、もうこれまでと、一切の望みを捨ててしまった。
こうして暮らしていた時、宮の邸が焼けてしまった。つらさの増す世の中で、ひどくがっかりして、引っ越しする適当な場所がなかったので、宇治という所に風情のある山荘を持っていたので、そこに移った。捨てた世間であったが、今は都を離れるのをあわれに思った。
網代が近くに仕掛けてあって、耳にかしましい川のほとりに、静かに暮らしたいとの思いにそぐわないが、致し方ない。花紅葉、水の流れにも心を慰める折々に、いよいよ物思いに沈むよりほかはなかった。こうして世間と隔絶して籠った野山の果てにも、「今は亡き北の方が、いたら」と、常に思っていた。
(八宮の歌)「妻は死んで煙となり、邸は焼けて煙となり、
わたしだけが、どうして生き残ったのか」
生きている甲斐がなく、思い焦がれていた。
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45.6 八の宮、阿闍梨に師事
いとど、山重なれる御住み処に、尋ね参る人なし。あやしき下衆など、田舎びたる山賤どものみ、まれに馴れ参り仕うまつる。峰の朝霧晴るる折なくて、明かし暮らしたまふに、この宇治山に、聖だちたる阿闍梨住みけり。
才いとかしこくて、世のおぼえも軽からねど、をさをさ公事にも出で仕へず、籠もりゐたるに、この宮の、かく近きほどに住みたまひて、寂しき御さまに、尊きわざをせさせたまひつつ、法文を読みならひたまへば、尊がりきこえて、常に参る。
年ごろ学び知りたまへることどもの、深き心を解き聞かせたてまつり、いよいよこの世のいとかりそめに、あぢきなきことを申し知らすれば、
「心ばかりは蓮の上に思ひのぼり、濁りなき池にも住みぬべきを、いとかく幼き人びとを見捨てむうしろめたさばかりになむ、えひたみちに容貌をも変へぬ」
など、隔てなく物語したまふ。
山深い住まいに、尋ねる人はいなくなった。身分の低い下衆や、田舎びた山住みの者たちが、ときたま参上してご用を勤める。峰の朝霧が晴れる時がなく、暮らしているこの宇治山に、聖めいた阿闍梨が住んでいた。
学問ができて、世評もよかった。めったに公事に出て仕えず、籠っているのを、この八宮が、このように近くに住んでいて、不如意ながら、寺に布施を寄贈して、経典の勉強をされているのを、阿闍梨は尊く思って、いつも邸に参上した。
年頃学んで知ったことを、深い理解でもって解き聞かせるので、いよいよこの世はかりそめで、つまらないものであることを教えるので、
「心ばかりは極楽の蓮の上のあって、濁りない池に住んでいますが、まことに頑是ない子を見捨てる後ろめたさに、とても思い切って出家ができない」
などと打ちあけるのだった。
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45.7 冷泉院にて阿闍梨と薫語る
この阿闍梨は、冷泉院にも親しくさぶらひて、御経など教へきこゆる人なりけり。京に出でたるついでに参りて、例の、さるべき文など御覧じて、問はせたまふこともあるついでに、
「八の宮の、いとかしこく、内教の御才悟り深くものしたまひけるかな。さるべきにて、生まれたまへる人にやものしたまふらむ。心深く思ひ澄ましたまへるほど、まことの聖のおきてになむ見えたまふ」と聞こゆ。
「いまだ容貌は変へたまはずや。俗聖ぞくひじりとか、この若き人びとの付けたなる、あはれなることなり」などのたまはす。
宰相中将も、御前にさぶらひたまひて、「われこそ、世の中をばいとすさまじう思ひ知りながら、行ひなど、人に目とどめらるばかりは勤めず、口惜しくて過ぐし来れ」と、人知れず思ひつつ、「俗ながら聖になりたまふ心のおきてやいかに」と、耳とどめて聞きたまふ。
「出家の心ざしは、もとよりものしたまへるを、はかなきことに思ひとどこほり、今となりては、心苦しき女子どもの御上を、え思ひ捨てぬとなむ、嘆きはべりたうぶ」と奏す。
さすがに、物の音めづる阿闍梨にて、
「げに、はた、この姫君たちの、琴弾き合はせて遊びたまへる、川波にきほひて聞こえはべるは、いとおもしろく、極楽思ひやられはべるや」
と、古体にめづれば、帝ほほ笑みたまひて、
「さる聖のあたりに生ひ出でて、この世の方ざまは、たどたどしからむと推し量らるるを、をかしのことや。うしろめたく、思ひ捨てがたく、もてわづらひたまふらむを、もし、しばしも後れむほどは、譲りやはしたまはぬ」
などぞのたまはする。この院の帝は、十の御子にぞおはしましける。朱雀院の、故六条院に預けきこえたまひし、入道宮の御例を思ほし出でて、「かの君たちをがな。つれづれなる遊びがたきに」などうち思しけり。
この阿闍梨は、冷泉院にも親しく仕えて、経典などを教えていた。京に出たついでに院に参上して、例によって、しかるべき文章など開いて、問うこともあるついでに、
「八の宮はたいそう賢く、仏典の研鑽や悟りを深くしています。こうなる前世からの因縁なのでしょう。深く悟った心境でおられ、まことの聖の心ばえのようです」と阿闍梨がお話する。
「まだ出家はされていないのか。俗聖ぞくひじり、ここの若い人たちがつけた綽名です。殊勝ですな 」などと(院)が仰る。
宰相の中将(薫)が、御前に控えていて、「自分こそ、世の中を意味がないと分かっていて、勤行など、人から注目されるほどには努めず口惜しい日々を送っている」と人知れず思い、「出家せずに聖になるのはどんな心ばえだろう」と、耳をそばだてて聞いていた。
「八の宮は、出家の志はあったのですが、些細なことに思いが留まり、今となっては、かわいそうな姫君たちを、思い捨てることができないと嘆いています」と阿闍梨は語った。
さすがに、音楽の分かる阿闍梨で、
「姫君たちが琴を弾き合わせて遊んでいるときは、川音にきそうように聞こえて、たいそう趣があり、極楽を思いやられる程です」
と、古風なほめ方をするので、院は微笑んで、
「そのような聖に育てられては、この世の処世は、おぼつかないだろう、おもしろいね。後が心配で出家できないと悩んでいるのなら、わたしが生き残るようなら、姫君たちをわたしに譲ってくれないものだろうか」
などと仰せになる。冷泉院は、桐壷院の第十皇子だった。朱雀院が女三の宮を弟君の故源氏に預けた前例を思い出して、「その姫たちを得たいものだ。つれづれの遊び相手にいいだろう」などと思うのだった。
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45.8 阿闍梨、八の宮に薫を語る
中将の君、なかなか、親王の思ひ澄ましたまへらむ御心ばへを、「対面して、見たてまつらばや」と思ふ心ぞ深くなりぬる。さて阿闍梨の帰り入るにも、
「かならず参りて、もの習ひきこゆべく、まづうちうちにも、けしき賜はりたまへ」
など語らひたまふ。
帝の、御言伝てにて、「あはれなる御住まひを、人伝てに聞くこと」など聞こえたまうて、
世を厭ふ心は山にかよへども
八重立つ雲を君や隔つる

阿闍梨、この御使を先に立てて、かの宮に参りぬ。なのめなる際の、さるべき人の使だにまれなる山蔭に、いとめづらしく、待ちよろこびたまうて、所につけたる肴などして、さる方にもてはやしたまふ。御返し、
あと絶えて心澄むとはなけれども
世を宇治山に宿をこそ借れ

聖の方をば卑下して聞こえなしたまへれば、「なほ、世に恨み残りける」と、いとほしく御覧ず。
阿闍梨、中将の、道心深げにものしたまふなど、語りきこえて、
「法文などの心得まほしき心ざしなむ、いはけなかりし齢より深く思ひながら、えさらず世にあり経るほど、公私に暇なく明け暮らし、わざと閉とぢ籠もりて習ひ読み、おほかたはかばかしくもあらぬ身にしも、世の中を背き顔ならむも、憚るべきにあらねど、おのづからうちたゆみ、紛らはしくてなむ過ぐし来るを、いとありがたき御ありさまを承り伝へしより、かく心にかけてなむ、頼みきこえさする、など、ねむごろに申したまひし」など語りきこゆ。
宮、
「世の中をかりそめのことと思ひ取り、厭はしき心のつきそむることも、わが身に愁へある時、なべての世も恨めしう思ひ知る初めありてなむ、道心も起こるわざなめるを、年若く、世の中思ふにかなひ、何ごとも飽かぬことはあらじとおぼゆる身のほどに、さはた、後の世をさへ、たどり知りたまふらむがありがたさ。
ここには、さべきにや、ただ厭ひ離れよと、ことさらに仏などの勧めおもむけたまふやうなるありさまにて、おのづからこそ、静かなる思ひかなひゆけど、残り少なき心地するに、はかばかしくもあらで、過ぎぬべかめるを、来し方行く末、さらに得たるところなく思ひ知らるるを、かへりては、心恥づかしげなる法の友にこそは、ものしたまふなれ」
などのたまひて、かたみに御消息通ひ、みづからも参うでたまふ。
中将の君の薫は、かえって、八の宮の仏道専一の心ばえを、「ぜひ一度お会いしたいものだ」と思うのであった。そこで阿闍梨のお帰り際に、
「必ず参上したい、何かと教えていただきたく、内々に、ご意向を伺ってください」
などお頼みになる。
冷泉院のご伝言として、「心打たれる住まいぶりを、人伝に聞いて」など仰せになって、
(冷泉院)「世を厭う心は山へ通いますが、
あなたが八重立つ雲で隔てているのかな」
阿闍梨は、この使いを先に立てて宮の所に参上した。並々みの身分で当然来るべき人も稀な山陰に、来客は珍しく、八の宮は喜んで、山里らしい酒肴を用意して、それなりに趣向をこらした。返事に、
(八宮の歌)「世を捨てて、悟りすましているのではありませんが
世を厭って宇治山に住んでおります」
仏道修行の方は卑下しているが、「それでも、世に未練が残っているのだ」と気の毒に思う。
阿闍梨は薫の、道心が深いと見て、語って、
「仏典など真意を会得したい志は、幼い頃からあったようですが、世間に交らっているうちに、公私に暇なく明け暮れし、ことさら引き籠って経典を習い読み、大したこともない身分で世の中を厭い顔に過ごしても、誰に気兼ねすることもないが、何となく仏道修行も怠りがちで、取り紛れて過ごしてきましたが、なかなか真似のできない暮らしぶりをお聞きしまして、心からお頼り申しています、などと熱心に言っていました」などと、阿闍梨は話すのだった。
宮は、
「自分は世の中を仮のものと思い、厭世の気持ちが生じたのも、自分の身に愁いがあって、世間を恨めしく思う契機があって、道心が起きたのだが、年も若く、世の中に思いが叶い、何の不足に思うことはないと思われる身で、それで後の世のことさへあれこれと考えていらっしゃるとは、珍しいことだ。
わたしはこうなる因縁だったのだ。ただ世間を厭えと、わざわざ仏が勧め仕向けてくれたような有様で、自ずから、静かな遁世の思いが叶ったが、余命少ない心地がして、ろくに悟りもせず、過ごしてきたので、今までもこれから先も、何一つ会得したものがないと思い知るのだが、かえって、気がひける仏法の友でいらっしゃいます」
など八の宮は仰って、互いに文を交わし、薫は参上した。
2020.9.20/ 2022.6.5/ 2023.8.27
45.9 薫、八の宮と親交を結ぶ
げに、聞きしよりもあはれに、住まひたまへるさまよりはじめて、いと仮なる草の庵に、思ひなし、ことそぎたり。同じき山里といへど、さる方にて心とまりぬべく、のどやかなるもあるを、いと荒ましき水の音、波の響きに、もの忘れうちし、夜など、心解けて夢をだに見るべきほどもなげに、すごく吹き払ひたり。
「聖だちたる御ために、かかるしもこそ、心とまらぬもよほしならめ、女君たち、何心地して過ぐしたまふらむ。世の常の女しくなよびたる方は、遠くや」と推し量らるる御ありさまなり。
仏の御隔てに、障子ばかりを隔ててぞおはすべかめる。好き心あらむ人は、けしきばみ寄りて、人の御心ばへをも見まほしう、さすがにいかがと、ゆかしうもある御けはひなり。
されど、「さる方を思ひ離るる願ひに、山深く尋ねきこえたる本意なく、好き好きしきなほざりごとをうち出であざればまむも、ことに違ひてや」など思ひ返して、宮の御ありさまのいとあはれなるを、ねむごろにとぶらひきこえたまひ、たびたび参りたまひつつ、思ひしやうに、優婆塞ながら行ふ山の深き心、法文など、わざとさかしげにはあらで、いとよくのたまひ知らす。
聖だつ人、才ある法師などは、世に多かれど、あまりこはごはしう、気遠げなる宿徳の僧都、僧正の際は、世に暇なくきすくにて、ものの心を問ひあらはさむも、ことことしくおぼえたまふ。
また、その人ならぬ仏の御弟子の、忌むことを保つばかりの尊さはあれど、けはひ卑しく言葉たみて、こちなげにもの馴れたる、いとものしくて、昼は、公事に暇なくなどしつつ、しめやかなる宵のほど、気近き御枕上などに召し入れ語らひたまふにも、いとさすがにものむつかしうなどのみあるを、いとあてに、心苦しきさまして、のたまひ出づる言の葉も、同じ仏の御教へをも、耳近きたとひにひきまぜ、いとこよなく深き御悟りにはあらねど、よき人は、ものの心を得たまふ方の、いとことにものしたまひければ、やうやう見馴れたてまつりたまふたびごとに、常に見たてまつらまほしうて、暇なくなどしてほど経る時は、恋しくおぼえたまふ。
この君の、かく尊がりきこえたまへれば、冷泉院よりも、常に御消息などありて、年ごろ、音にもをさをさ聞こえたまはず、寂しげなりし御住み処、やうやう人目見る時々あり。折ふしに、訪らひきこえたまふこと、いかめしう、この君も、まづさるべきことにつけつつ、をかしきやうにも、まめやかなるさまにも、心寄せ仕うまつりたまふこと、三年ばかりになりぬ。
なるほど、聞いていたよりもわびしい暮らしぶりで、お住まいの様子から、全く仮の草の庵であり、思いなし、質素であった。同じ山里といっても、山荘なりに好ましくのんびりした風情もあり、ごうごうと水の音波の響きに、憂さも忘れて夜にのんびり夢を結ぶなどできそうになく、川風が強く吹いていた。
「聖めいたお方にとっては、このような環境は、世の執着を絶つことになろうが、姫君たちはどんな気持ちだろう。世の常の女らしく優しい風情とはほど遠いのではないか」と推し量った。
仏間との間には、障子だけで隔てている。好き心のある人なら、気のあるそぶりを見せて、どんな姫なのか心ばえを見たいと思い、さすがにどんな様子かと興味が引かれた。
けれど「俗世を離れたい願いがあって、山深く尋ねる甲斐なく、好き好きしい遊び心で戯れるのも、本意ではない」など思い返し、八の宮の有様があわれで、心を込めて訪い、たびたび参上するにつれ、望んでいたように、俗の身でありながら山里で修行に励まれる心境や経典など、ことさら知ったかぶりをせず、たいそうよく丁寧に教えてくれるのだった。
聖といった人、仏典にすぐれた法師など、世に多いが、総じて堅ぐるしく、親しみにくい高徳の僧都、僧正といった身分の人は、世間的に多忙で、経文の意味を問うても、大げさな感じがする。
また、しかるべき身分でもなく仏の忠実な弟子といった者で、戒律を守っているという有難みはあるが、下品で言葉づかいに訛りがあり、無作法で馴れ馴れしい連中は、たいそう不愉快で、昼は公事に忙しく、もの静かな夕方に、枕上近くに召して話をするにしても、どうにもむさくるしいくてならぬ」といった感じがするが、八の宮はたいそう上品でいたわしい感じで、口にされる言葉ひとつにしても、同じ仏の教えでも、身近なたとえを混ぜて、深い悟りではないが、高貴のお方は物事の道理を会得するといった面で、まことにすぐれているので、親しくお会いする度に、いつも会っていたくなり、すぐにて時間が経ってしまうと、恋しく思うのだった。
薫が、このように八の宮を尊敬して、冷泉院からもいつも文などがあって、長年、人の噂に上ることもなく、寂しげな住まいも、ようやく人が尋ねることが時々あった。何かの折に院がお見舞い申されるのも、大したものであった。薫も、しかるべき折々につけて、風雅のためにも、日々の暮らしのためにも、心を配りご用を務めることが、三年ほどたった。
2020.9.21/ 2022.6.7/ 2023.8.27
45.10 晩秋に薫、宇治へ赴く
秋の末つ方、四季にあててしたまふ御念仏を、この川面は、網代の波も、このころはいとど耳かしかましく静かならぬを、とて、かの阿闍梨の住む寺の堂に移ろひたまひて、七日のほど行ひたまふ。姫君たちは、いと心細く、つれづれまさりて眺めたまひけるころ、中将の君、久しく参らぬかなと、思ひ出できこえたまひけるままに、有明の月の、まだ夜深くさし出づるほどに出で立ちて、いと忍びて、御供に人などもなくて、やつれておはしけり。
川のこなたなれば、舟などもわづらはで、御馬にてなりけり。入りもてゆくままに、霧りふたがりて、道も見えぬ繁木の中を分けたまふに、いと荒ましき風のきほひに、ほろほろと落ち乱るる木の葉の露の散りかかるも、いと冷やかに、人やりならずいたく濡れたまひぬ。かかるありきなども、をさをさならひたまはぬ心地に、心細くをかしく思されけり。
山おろしに耐へぬ木の葉の露よりも
あやなくもろきわが涙かな

山賤のおどろくもうるさしとて、随身の音もせさせたまはず。柴の籬を分けて、そこはかとなき水の流れどもを踏みしだく駒の足音も、なほ、忍びてと用意したまへるに、隠れなき御匂ひぞ、風に従ひて、主知らぬ香とおどろく寝覚めの家々ありける。
近くなるほどに、その琴とも聞き分かれぬ物の音ども、いとすごげに聞こゆ。「常にかく遊びたまふと聞くを、ついでなくて、宮の御琴の音の名高きも、え聞かぬぞかし。よき折なるべし」と思ひつつ入りたまへば、琵琶の声の響きなりけり。「黄鐘調おうしきじょう」に調べて、世の常の掻き合はせなれど、所からにや、耳馴れぬ心地して、掻き返す撥の音も、ものきよげにおもしろし。箏の琴、あはれになまめいたる声して、たえだえ聞こゆ。
秋も暮れ方、四季にあてた念仏の行をするのに、この川面の邸は、網代の波も、このころは耳に響いてうるさく静かでないので、あの阿闍梨の住む寺の堂に移って、七日ほど行った。姫君たちは、たいそう心細く、つれづれに物思いにふけっていたが、薫は久しく行っていなかったので思いついて、有明の月のまだ夜明けにほど遠くさし出るころに出発して、忍んで、お供の者も少なく、人目につかぬようにぬように出かけた。
川のこちら岸なので、船の心配もなく、馬で行った。山深く入ってゆくにつれて、霧が立ち込めて、道も見えぬ繁木の中に分け入ったが、風が荒れて強く、ほろほろと落ち乱れる木の葉の露がかかって、冷ややかに、自分で求めた道だが、ひどく濡れた。このような忍びの外出なども、めったにしないので、心細くも物珍しくも思った。
(薫)「山おろしに木の葉の露が落ちてくるよりも
むやみにこぼれるわたしの涙だ」
山家の者が目を覚ますのも面倒なので、随身の者も音を立てない。柴の籬を分けて、どことも知らず幾筋も流れる小さな流れを踏む馬の足音にも気をつけているのに、隠しようもない匂いが、風に乗って、一体どなたがお通りかと寝覚める家々もあった。
邸が近くなるにつれて、何の楽器の音とも分からぬ音がぞっとするほどに聞こえた。「八の宮はいつも楽器を奏でていると聞いていたが、その機会がなく、宮の名高い琴の音も聞いたことがなかった、いい機会だ」と思って邸に入ると、琵琶の音が響いていた。黄鐘調おうしきじょうの調べで、世の常の合奏であったが、場所柄のせいか、初めて聞くような気がして、すくい撥の音も、風情がある。筝の琴の、優雅な音がとぎれとぎれに聞こえた。
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45.11 宿直人、薫を招き入れる
しばし聞かまほしきに、忍びたまへど、御けはひしるく聞きつけて、宿直人めく男、なまかたくなしき、出で来たり。
「しかしかなむ籠もりおはします。御消息をこそ聞こえさせめ」と申す。
「何か。しか限りある御行ひのほどを、紛らはしきこえさせむにあいなし。かく濡れ濡れ参りて、いたづらに帰らむ愁へを、姫君の御方に聞こえて、あはれとのたまはせばなむ、慰むべき」
とのたまへば、醜き顔うち笑みて、
「申させはべらむ」とて立つを、
「しばしや」と召し寄せて、
「年ごろ、人伝てにのみ聞きて、ゆかしく思ふ御琴の音どもを、うれしき折かな。しばし、すこしたち隠れて聞くべきものの隈ありや。つきなくさし過ぎて参り寄らむほど、皆琴やめたまひては、いと本意なからむ」
とのたまふ。御けはひ、顔容貌の、さるなほなほしき心地にも、いとめでたくかたじけなくおぼゆれば、
「人聞かぬ時は、明け暮れかくなむ遊ばせど、下人にても、都の方より参り、立ちまじる人はべる時は、音もせさせたまはず。おほかた、かくて女たちおはしますことをば隠させたまひ、なべての人に知らせたてまつらじと、思しのたまはするなり」
と申せば、うち笑ひて、
「あぢきなき御もの隠しなり。しか忍びたまふなれど、皆人、ありがたき世の例に、聞き出づべかめるを」とのたまひて、「なほ、しるべせよ。われは、好き好きしき心など、なき人ぞ。かくておはしますらむ御ありさまの、あやしく、げに、なべてにおぼえたまはぬなり」
とこまやかにのたまへば、
「あな、かしこ。心なきやうに、後の聞こえやはべらむ」
とて、あなたの御前は、竹の透垣すいがいしこめて、皆隔てことなるを、教へ寄せたてまつれり。御供の人は、西の廊に呼び据ゑて、この宿直人あひしらふ。
しばらく聞いていたかったが、お忍びだったので、気配を聞きつけて、宿直らしい男が、融通のきかなそうなのが出て来た。
「これこれで籠っております。お出での旨お伝えしましょう」と申す。
「そのように日を限って修行しているときに、お邪魔するのはよくない。すっかり濡れました、空しく帰るのは嫌ですから、姫君に来訪をお伝えして、あわれと一言言っていただければ」
と言うと、醜い顔を笑顔にして、
「さようお伝えしましょう」と言って行こうとするので、
「しばし待て」と召し寄せて、
「年来、人伝に聞いております、その琴の音を聞いてみたいです、いい機会です、少し隠れて聞ける場所がありますか。出過ぎてお側に寄ったりして、琴をやめてしまったら、元も子もないでしょう」
と仰る。薫の気配、顔立ちのを見て、身分の低い者にも、すばらしく恐れ多い方だと感じたので、
「人が聞いていない時は、明け暮れ琴で遊んでいますが、下人でも、都の方から参って、まじっていれば、決して琴に手を触れません。大体が八の宮は姫がいることを隠していますし、世間にも知らせまいと、思っていますし、言ってもいます」
と申せば、笑って、
「つまらない隠し立てだね。そんな風に隠しても、皆人は世にも珍しい例として、知られていますよ」と言って、「構わず案内せよ。わたしは色めいた好き者ではありませんから、姫たちがこうして暮らしているのが、不思議で、とても普通のこととは思いません」
とねんごろに言うので、
「困りました。物をわきまえない奴と、後でお叱りがあるかも」
とて、あちらの御前は、竹の透垣すいがいを立てめぐらして、隔てにしているのを教える。お供の人は西の廓に案内して、この宿直人が相手をする。
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45.12 薫、姉妹を垣間見る
あなたに通ふべかめる透垣すいがいの戸を、すこし押し開けて見たまへば、月をかしきほどに霧りわたれるを眺めて、すだれを短く巻き上げて、人びとゐたり。簀子すのこに、いと寒げに、身細く萎えばめる童女一人、同じさまなる大人などゐたり。内なる人一人、柱に少しゐ隠れて、琵琶を前に置きて、撥を手まさぐりにしつつゐたるに、雲隠れたりつる月の、にはかにいと明くさし出でたれば、
「扇ならで、これしても、月は招きつべかりけり」
とて、さしのぞきたる顔、いみじくらうたげに匂ひやかなるべし。
添ひ臥したる人は、琴の上に傾きかかりて、
「入る日を返す撥こそありけれ、さま異にも思ひ及びたまふ御心かな」
とて、うち笑ひたるけはひ、今少し重りかによしづきたり。
「及ばずとも、これも月に離るるものかは」
など、はかなきことを、うち解けのたまひ交はしたるけはひども、さらによそに思ひやりしには似ず、いとあはれになつかしうをかし。
「昔物語などに語り伝へて、若き女房などの読むをも聞くに、かならずかやうのことを言ひたる、さしもあらざりけむ」と、憎く推し量らるるを、「げに、あはれなるものの隈ありぬべき世なりけり」と、心移りぬべし。
霧の深ければ、さやかに見ゆべくもあらず。また、月さし出でなむと思すほどに、奥の方より、「人おはす」と告げきこゆる人やあらむ、すだれ下ろして皆入りぬ。おどろき顔にはあらず、なごやかにもてなして、やをら隠れぬるけはひども、衣の音もせず、いとなよよかに心苦しくて、いみじうあてにみやびかなるを、あはれと思ひたまふ。
やをら出でて、京に、御車率て参るべく、人走らせつ。ありつる侍に、
「折悪しく参りはべりにけれど、なかなかうれしく、思ふことすこし慰めてなむ。かくさぶらふよし聞こえよ。いたう濡れにたるかことも聞こえさせむかし」
とのたまへば、参りて聞こゆ。
あちらに通じているらしい戸を、少し開けて見ると、月がおもしろく見える程に霧がかかり、姫たちは眺めている、すだれを短く巻き上げて、女房たちがいた。簀子すのこに、寒そうにして、ほっそりして萎えた衣装の童と、同じく女房がいた。内にいる一人は、柱に少し隠れて座って、琵琶を前に置いて撥を手でまさぐっていたが、雲に隠れた月が、急に明るくなったので、
「扇でなくても、撥でも月を招くことができるわね」
とて、ちょっと 見えた顔は、とても愛らしく顔の色艶も美しい。
添い臥している人は、琴の上に身体をかがめて、
「夕日を呼び返す撥は聞いていますが、変わった思い付きをされる」
とて、笑う気配は、一段と落ち着きがあり、優雅な風情である。
「違ってるかもしれませんが、撥も月に縁がありますね」
など、とりとめのないことを、くつろいで話しているが、よそからかってに想像していたのとは違って、とてもあわれで親しみがもてる。
「昔物語には聞いていたが、若い女房が読み聞かせて、稀有なことが語られる、そんなことはないだろう」嘘だろうと思っていたが、「なるほど美しく心を打つことが世にはあるのだ」と心惹かれた。
霧が深いので、はっきりは見えない。また、月が出ると思う頃、奥の方から、「来客です」と告げる人があって、すだれを下ろして皆中に入った。 あわてた風ではなく、ゆったりと穏やかな物腰で、そっと身を隠した二人の様子は、衣擦れの音もせず、とても穏やかでおいたわしい感じで、たいそう上品で優雅なのを、あわれと思った。
そっと出て、京に、車を引いて来るよう、人を遣わす。あの侍に、
「折あしく留守に来てしまったが、うれしいこともあり、少し慰めを得た。こうして参上している旨お伝えせよ。ひどく濡れていると申し上げなさい」
と仰ったので、行って報告する。
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45.13 薫、大君と御簾を隔てて対面
かく見えやしぬらむとは思しも寄らで、うちとけたりつることどもを、聞きやしたまひつらむと、いといみじく恥づかし。あやしく、香うばしく匂ふ風の吹きつるを、思ひかけぬほどなれば、「驚かざりける心おそさよ」と、心も惑ひて、恥ぢおはさうず。
御消息など伝ふる人も、いとうひうひしき人なめるを、「折からにこそ、よろづのことも」と思いて、まだ霧の紛れなれば、ありつる御簾の前に歩み出でて、ついゐたまふ。
山里びたる若人どもは、さしいらへむ言の葉もおぼえで、御茵さし出づるさまも、たどたどしげなり。
「この御簾の前には、はしたなくはべりけり。うちつけに浅き心ばかりにては、かくも尋ね参るまじき山のかけ路に思うたまふるを、さま異にこそ。かく露けき度を重ねては、さりとも、御覧じ知るらむとなむ、頼もしうはべる」
と、いとまめやかにのたまふ。
若き人びとの、なだらかにもの聞こゆべきもなく、消え返りかかやかしげなるも、かたはらいたければ、女ばらの奥深きを起こし出づるほど、久しくなりて、わざとめいたるも苦しうて、
「何ごとも思ひ知らぬありさまにて、知り顔にも、いかばかりかは、聞こゆべく」
と、いとよしあり、あてなる声して、ひき入りながらほのかにのたまふ。
「かつ知りながら、憂きを知らず顔なるも、世のさがと思うたまへ知るを、一所しも、あまりおぼめかせたまふらむこそ、口惜しかるべけれ。ありがたう、よろづを思ひ澄ましたる御住まひなどに、たぐひきこえさせたまふ御心のうちは、何ごとも涼しく推し量られはべれば、なほ、かく忍びあまりはべる深さ浅さのほども、分かせたまはむこそ、かひははべらめ。
世の常の好き好きしき筋には、思しめし放つべくや。さやうの方は、わざと勧むる人はべりとも、なびくべうもあらぬ心強さになむ。
おのづから聞こしめし合はするやうもはべりなむ。つれづれとのみ過ぐしはべる世の物語も、聞こえさせ所に頼みきこえさせ、またかく、世離れて、眺めさせたまふらむ御心の紛らはしには、さしも、驚かせたまふばかり聞こえ馴れはべらば、いかに思ふさまにはべらむ」
など、多くのたまへば、つつましく、いらへにくくて、起こしつる老い人の出で来たるにぞ、譲りたまふ。
このように見られているとは思いも寄らず、気を許した話を、聞かれたのだろうか、とひどく恥ずかしい。不思議と、香ばしい匂う風が吹いていたのを、気づかなかったので、「気が付かなかったとは迂闊だった」と、心惑い、恥ずかしがっている。
薫のご挨拶を伝える女房も、不馴れな女房らしく、「何ごとも時と場合による」と薫は思って、まだ霧が残ってよく見えないので、あの御簾の前に出て、ひざまずいた。
田舎びた若女房たちは、相手しようにも言葉も思いつかず、座布を差し出すのもたどたどしい。
「この御簾の前では、落ち着きません。その場限りの浅い気持ちでは、尋ねるのも容易でない山路を思いますと、変わったお出迎えですね。このように露けき道を何度も来るのは、いくら何でも、志の程はお分かりでしょう」
と細かく仰せになる。
若い女房たちの、すらすらと応対できないで、ひどく恥ずかしそうにしているのも、見ていられないので、奥で寝ている年配の女房を起こすのも、手間取って、改まった感じになるので、
「何ごともわきまえ知らぬ者ですので、知った風に、どうして申し上げられましょう」
と、みやびな、気品のある声で、身を引くようにして、大君は言った。
「男の心を知りながら、その辛い気持ちを気づかないふりをするのが世間の習わしと思うが、ほかならぬあなたが、知らぬげに仰るのは残念です。珍しく、何もかも悟りきった父宮のお住まいに、ご一緒に暮らしているあなたは、何ごとも分かっていると推し量りますが、このように秘めて置けない心の深さ浅さも、お分かりいただければ、来た甲斐があります。
世に言う色めいた好き心では、ありません。そのようなことは、しいて勧める人があっても、わたくしは言う通りにはなりません。
何かのことでお耳に入っているかも知れません。所在なく過ごす世間話でも、聞いていただける方と頼りにさせていただき、また、世間を離れて物思いされる心の紛れに、そちらからお声をかけてくれるくらい親しくさせてくれれば、どんなに満足でしょう」
など、次々と言うので、大君は気づまりに感じて、起こした年配の女房が出て来たので、譲った。
2020.9.23/ 2022.6.8/ 2023.8.28
45.14 老女房の弁が応対
たとしへなくさし過ぐして、
「あな、かたじけなや。かたはらいたき御座のさまにもはべるかな。御簾の内にこそ。若き人びとは、物のほど知らぬやうにはべるこそ」
など、したたかに言ふ声のさだすぎたるも、かたはらいたく君たちは思す。
「いともあやしく、世の中に住まひたまふ人の数にもあらぬ御ありさまにて、さもありぬべき人びとだに、訪らひ数まへきこえたまふも、見え聞こえずのみなりまさりはべるめるに、ありがたき御心ざしのほどは、数にもはべらぬ心にも、あさましきまで思ひたまへはべるを、若き御心地にも思し知りながら、聞こえさせたまひにくきにやはべらむ」
と、いとつつみなくもの馴れたるも、なま憎きものから、けはひいたう人めきて、よしある声なれば、
「いとたづきも知らぬ心地しつるに、うれしき御けはひにこそ。何ごとも、げに、思ひ知りたまひける頼み、こよなかりけり」
とて、寄り居たまへるを、几帳の側より見れば、曙、やうやう物の色分かるるに、げに、やつしたまへると見ゆる狩衣姿の、いと濡れしめりたるほど、「うたて、この世の外の匂ひにや」と、あやしきまで薫り満ちたり。
老女はたいそう出しゃばって、
「まあもったいない。とんでもないお席の設けようですね。どうぞ御簾の内へ。若い人は、ものの程合いというものを知らないようです」
と、ずけずけ言う声の年寄りじみているのも、きまりが悪いと、姫たちは思う。
「本当に妙なことに、世に住む人の数にも入らぬ有様になりまして、尋ねてくれてよい人々も、心にかけてくださる方々も、お見かけしなくなりましたので、ありがたいお志のほどは、物の数でもない者にも、何と申してよいか分からぬ程ありがたいので、若い姫君たちにとっては、そう思いながらも、口に出して申し上げにくいでしょう」
と、老女は遠慮なく馴れた口調で言うのも、気に入らなかったが、気配はひとかどの人物らしく、優雅な声なので、
「頼りない心地でしたが、うれしい方のお出ましですね。何ごとも、よくお分かりになって、心強いです」
とて、寄りかかっていたが、几帳の内側から見れば、曙がようやく物の色が分かる程度になり、いかにもお忍び姿と見える狩衣姿の、濡れて湿っているのを、「何と、この世の外の薫りか」とあやしむまでに香りが満ちていた。
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45.15 老女房の弁の昔語り
この老い人はうち泣きぬ。
「さし過ぎたる罪もやと、思うたまへ忍ぶれど、あはれなる昔の御物語の、いかならむついでにうち出で聞こえさせ、片端をも、ほのめかし知ろしめさせむと、年ごろ念誦のついでにも、うち交ぜ思うたまへわたるしるしにや、うれしき折にはべるを、まだきにおぼほれはべる涙にくれて、えこそ聞こえさせずはべりけれ」
と、うちわななくけしき、まことにいみじくもの悲しと思へり。
おほかた、さだ過ぎたる人は、涙もろなるものとは見聞きたまへど、いとかうしも思へるも、あやしうなりたまひて、
「ここに、かく参るをば、たび重なりぬるを、かくあはれ知りたまへる人もなくてこそ、露けき道のほどに、独りのみそほちつれ。うれしきついでなめるを、言な残いたまひそかし」とのたまへば、
「かかるついでしも、はべらじかし。また、はべりとも、夜の間のほど知らぬ命の、頼むべきにもはべらぬを。さらば、ただ、かかる古者、世にはべりけりとばかり、知ろしめされはべらなむ。
三条の宮にはべりし小侍従、はかなくなりはべりにけると、ほの聞きはべりし。そのかみ、睦ましう思うたまへし同じほどの人、多く亡せはべりにける世の末に、はるかなる世界より伝はりまうで来て、この五、六年のほどなむ、これにかくさぶらひはべる。
知ろしめさじかし。このころ、藤大納言と申すなる御兄の、右衛門の督にて隠れたまひにしは、物のついでなどにや、かの御上とて、聞こしめし伝ふることもはべらむ。
過ぎたまひて、いくばくも隔たらぬ心地のみしはべる。その折の悲しさも、まだ袖の乾く折はべらず思うたまへらるるを、かくおとなしくならせたまひにける御齢のほども、夢のやうになむ。
かの権大納言の御乳母にはべりしは、弁が母になむはべりし。朝夕に仕うまつり馴れはべりしに、人数にもはべらぬ身なれど、人に知らせず、御心よりはた余りけることを、折々うちかすめのたまひしを、今は限りになりたまひにし御病の末つ方に、召し寄せて、いささかのたまひ置くことなむはべりしを、聞こしめすべきゆゑなむ、一事はべれど、かばかり聞こえ出ではべるに、残りをと思しめす御心はべらば、のどかになむ、聞こしめし果てはべるべき。若き人びとも、かたはらいたく、さし過ぎたりと、つきじろひはべるも、ことわりになむ」
とて、さすがにうち出でずなりぬ。
あやしく、夢語り、巫女やうのものの、問はず語りすらむやうに、めづらかに思さるれど、あはれにおぼつかなく思しわたることの筋を聞こゆれば、いと奥ゆかしけれど、げに、人目もしげし、さしぐみに古物語にかかづらひて、夜を明かし果てむも、こちごちしかるべければ、
「そこはかと思ひ分くことは、なきものから、いにしへのことと聞きはべるも、ものあはれになむ。さらば、かならずこの残り聞かせたまへ。霧晴れゆかば、はしたなかるべきやつれを、面なく御覧じとがめられぬべきさまなれば、思うたまふる心のほどよりは、口惜しうなむ」
とて、立ちたまふに、かのおはします寺の鐘の声、かすかに聞こえて、霧いと深くたちわたれり。
この老女は泣いた。
「出過ぎた者よとお咎めがあるかと思い、控えていましたが、あわれな昔物語の、どのような機会に言い出そうか、その一端なりと、それとなく知っていただこうと、年来、念誦をしながらも、お願いした印でしょうか、うれしい時でございます、まだお話をせぬうちに涙がでて、とても申し上げられそうもありません」
と、泣きじゃくる様は、まことに真実悲しく思っているらしい。
大体、年老いた人は涙もろくなると見聞きしていたが、こんなに悲しんでいるのも、不審に思って、
「ここに来るのは、幾度にもなるが、こうしてあわれを知っている人もなくて、露けき道を、ひとり行き来してました。うれしい時のついでに、すっかりお話していただけませんか」と(薫が)仰ると、
「こんな機会は、めったにないでしょう。また、あったとしても、明日をも知れぬ命を頼みにすべきではありませんでしょう。こんな老女が、世にいたとだけ、知っていただければ。
女三の宮の御殿にいた小侍従が、亡くなったと、ちらっと聞きました。その昔、睦まじくしていた同じ年頃の人が、多く亡くなりまして、老いの身で晩年に、遙かに遠い田舎から縁故をたよりに、この五、六年ほど、このお邸に仕えております。
御存じではないでしょうが、近年、藤大納言と申す人の兄君で、右衛門の督が亡くなりました、何かのついでに、その方のことを聞いたことがありましょう。
お亡くなりになって、いくばくもたっていない心地がします。その時の悲しみもまだ袖の乾く間もなく思われるのに、このように立派に成人される年齢を考えましても、夢のようです。
あの権大納言の乳母こそ、わたくし弁の母でした。朝夕に仕え馴れ親しんで、人数にも入らぬ身ですが、誰にも話さず、君の心に余ることを、折々に、わたしにお漏らしになったのです、いよいよ最期となった時に病の末期に、わたしを枕元に召して、仰せになったことがございます。ぜひお耳に入れなければならないことが、一つございます、ここまではっきり申し上げましたので、終わりまで聞きたいと思うお気持ちがございましたら、いずれゆっくりとすべてお話しましょう。若い女房がわたしを、出過ぎている、と目引き袖引きしています」
とて、その後は口をつぐんでしまった。
あやしく、夢のような話、巫女のお告げのように、問わず語りに語るように、珍しく思ったが、あわれにぜひ聞きたいと思っていた筋だったので、実に人目も多く、だしぬけに昔物語にかかずらって、夜を明かしても、ぶしつけなので、
「これといってはっきり思い当たることはないのですが、昔の話といっても、あわれなことだ。この残りは必ず聞かせてください。霧が晴れたようですので、はしたなくみすぼらしい姿を、不作法なとお咎めがありそうなので、本当に心底、とても残念ですが」
とて、立つと、八の宮がおられるかの寺の鐘の音が、かすかに聞こえて、霧が深く立ちあがっていた。
2020.9.23/ 2022.6.9/ 2023.8.28
45.16 薫、大君と和歌を詠み交して帰京
峰の八重雲、思ひやる隔て多く、あはれなるに、なほ、この姫君たちの御心のうちども心苦しう、「何ごとを思し残すらむ。かく、いと奥まりたまへるも、ことわりぞかし」などおぼゆ。
あさぼらけ家路も見えず尋ね来し
槙の尾山は霧こめてけり

心細くもはべるかな」
と、立ち返りやすらひたまへるさまを、都の人の目馴れたるだに、なほ、いとことに思ひきこえたるを、まいて、いかがはめづらしう見きこえざらむ。御返り聞こえ伝へにくげに思ひたれば、例の、いとつつましげにて、
雲のゐる峰のかけ路を秋霧の
いとど隔つるころにもあるかな

すこしうち嘆いたまへるけしき、浅からずあはれなり。
何ばかりをかしきふしは見えぬあたりなれど、げに、心苦しきこと多かるにも、明うなりゆけば、さすがにひた面なる心地して、
「なかなかなるほどに、承りさしつること多かる残りは、今すこし面馴れてこそは、恨みきこえさすべかめれ。さるは、かく世の人めいて、もてなしたまふべくは、思はずに、もの思し分かざりけりと、恨めしうなむ」
とて、宿直人がしつらひたる西面におはして、眺めたまふ。
「網代は、人騒がしげなり。されど、氷魚も寄らぬにやあらむ。すさまじげなるけしきなり」
と、御供の人びと見知りて言ふ。
「あやしき舟どもに、柴刈り積み、おのおの何となき世の営みどもに、行き交ふさまどもの、はかなき水の上に浮かびたる、誰れも思へば同じことなる、世の常なさなり。われは浮かばず、玉の台に静けき身と、思ふべき世かは」と思ひ続けらる。
硯召して、あなたに聞こえたまふ。
橋姫の心を汲みて高瀬さす
棹のしづくに袖ぞ濡れぬる

眺めたまふらむかし」
とて、宿直人に持たせたまへり。いと寒げに、いららぎたる顔して持て参る。御返り、紙の香など、おぼろけならむ恥づかしげなるを、疾きをこそかかる折には、とて、
さしかへる宇治の河長朝夕の
しづくや袖を朽たし果つらむ

身さへ浮きて」
と、いとをかしげに書きたまへり。「まほにめやすくもものしたまひけり」と、心とまりぬれど、
「御車率て参りぬ」
と、人びと騒がしきこゆれば、宿直人ばかりを召し寄せて、
「帰りわたらせたまはむほどに、かならず参るべし」
などのたまふ。濡れたる御衣どもは、皆この人に脱ぎかけたまひて、取りに遣はしつる御直衣にたてまつりかへつ。
峰には雲が八重にかかって、思いも届かず、あわれだったが、この姫たちの御心の内がお気の毒で、「物思いの限りを尽くしているのだろう。奥に籠っているのも、もっともだ」などと思う。
(薫)「ほのぼのと明けてゆきますが帰る家路が見えず
槇の尾山に霧が立ち込めています
心細いです」
と、引き返して去りがたくたたずんでいる様は、都で見馴れている人でも、格別すばらしいと思うのを、田舎の女房たちは、どんなに美しいと思ったことだろう。返歌の取り次ぎもできそうもなく、例の、ひどく遠慮がちに、
(大君)「いつも雲のかかっている峰の山路を秋の霧が
隔てる時季になりました」
少し嘆くような調子は、しみじみと胸にせまった。
何ほどの風情も見られぬ邸であったが、姫君たちがおいたわしく思われ、明けゆく光に、いかにも面はゆく感じるので、
「なまじ、お言葉を承って、思うこと多く残りは今少し親しくなってからに、恨み言も言います。しかし、こんな風に世間の男並みにお扱いのつもりなら、心外ですが、物事のお分かりにならない方と恨めしく思います」
とて、宿直人がしつらえた西面に移って、物思いしている。
「網代は、騒がしいね。氷魚も寄ってこないのだろう。大漁の時の威勢がない」
と供の者が様子を知っていて言う。
「小さな舟に、柴を積んで、それぞれがこの世の営みをして、往来し、はかなく水の上に浮かんで、誰もが思えば同じこと、世の無常の姿である。わたしは、はかなく浮かばず、玉の台にしっかり乗っていると思うべきこの世だ」と思う。
硯を寄せて、あちらに歌を送る。
(薫)「姫君たちの寂しい心の内を思いやって浅瀬に
掉さす雫に袖が濡れます
さぞ物思いに沈んでおられることでしょう」
と書いて、宿直人に持たせた。ひどく寒そうに、鳥肌が立った顔をして持っていった。返歌は、紙の香など、並みの返事では気がひける相手ではあるが、こんな場合は、早いのがいいと思って、
(大君)「棹さして朝夕行き来する宇治川の渡し守は
棹の雫で袖を朽たしているでしょう
わたしも涙で身を浮かすばかりです」
と趣深い筆跡であった。申し分なく感じのいい方でいらっしゃる」と、大君に心が留まったが、
「お車を持ってまいりました」
と、人々が騒ぐので、宿直人を召し寄せて、
「宮がお戻りになったら、必ず参上するから」
などと言う。濡れた衣などは、皆この人に脱ぎ与えて、取りにやった直衣に着替えた。
2020.9.24/ 2022.6.9/ 2023.8.29
45.17 薫、宇治へ手紙を書く
老い人の物語、心にかかりて思し出でらる。思ひしよりは、こよなくまさりて、をかしかりつる御けはひども、面影に添ひて、「なほ、思ひ離れがたき世なりけり」と、心弱く思ひ知らる。
御文たてまつりたまふ。懸想だちてもあらず、白き色紙の厚肥えたるに、筆ひきつくろひ選りて、墨つき見所ありて書きたまふ。
「うちつけなるさまにやと、あいなくとどめはべりて、残り多かるも苦しきわざになむ。片端聞こえおきつるやうに、今よりは、御簾の前も、心やすく思し許すべくなむ。御山籠もり果てはべらむ日数も承りおきて、いぶせかりし霧の迷ひも、はるけはべらむ」
などぞ、いとすくよかに書きたまへる。左近将監さこんぞうなる人、御使にて、
「かの老い人訪ねて、文も取らせよ」
とのたまふ。宿直人が寒げにてさまよひしなど、あはれに思しやりて、大きなる桧破籠ひわりごやうのもの、あまたせさせたまふ。
またの日、かの御寺にもたてまつりたまふ。「山籠もりの僧ども、このころの嵐には、いと心細く苦しからむを、さておはしますほどの布施、賜ふべからむ」と思しやりて、絹、綿など多かりけり。
御行ひ果てて、出でたまふ朝なりければ、行ひ人どもに、綿、絹、袈裟、衣など、すべて一領のほどづつ、ある限りの大徳たちに賜ふ。
宿直人が、御脱ぎ捨ての、艶にいみじき狩の御衣ども、えならぬ白き綾の御衣の、なよなよといひ知らず匂へるを、移し着て、身をはた、え変へぬものなれば、似つかはしからぬ袖の香を、人ごとにとがめられ、めでらるるなむ、なかなか所狭かりける。
心にまかせて、身をやすくも振る舞はれず、いとむくつけきまで、人のおどろく匂ひを、失ひてばやと思へど、所狭き人の御移り香にて、えもすすぎ捨てぬぞ、あまりなるや。
老女の話が、心にかかって思い出され、想像していたよりは、ずっとすばらしく、風情のあったお二人の様子が、目先にちらついて、「やはり捨てがたい世だ」と心弱く思う。
文を送った。恋文めいておらず、白い厚めの紙に、筆を選んで、墨付きあざやかに書いた。
「初めてお会いしまして、失礼かと控えておりましたが、話し残したことがたくさんあるのも苦しいものです。その折ちょっと申し上げたように、これから御簾の前に参上することも気安くお許しください。父君が山籠りの終わる日数も承り、たちこめた霧も、晴れるでしょう」
などと、とても生真面目に書く。左近将監さこんぞうなる人を使いに立てて、
「あの老女を尋ねて、手紙も渡すように」
などと、言う。宿直人が寒そうにしていたので、あわれに思って、大きな桧破籠ひわりごのようなものをたくさん用意させる。
その翌日、あの寺にも寄進される。「山籠もりの僧たちは、この頃の嵐には、心細くつらいだろう、さて宮が籠っているあの寺に布施をせねばなるまい、と思って、絹、綿などたくさん寄進された。
その日は山寺を出る日の朝だったので、籠った僧たちに、綿、絹、袈裟、衣など、すべての衣装を一揃いづつ、全部の僧に賜った。
宿直人が(薫から)脱ぎ与えられた、優に美しい狩衣、えもいわれぬ白綾の下着、なよやかでよい匂いのするのに、そのまま身につけて、身は変えられないので、似つかわしくない袖の香を、人の咎められたり、褒められたり、かえって身の置き所がない。
思いのままに振舞えず、気味が悪いくらい、人が驚く匂いを、無くしてしまってはと思い、大層な人の移り香のなで、洗うこともできず、あんまりでしょう。
2020.9.26/ 2022.6.9/ 2023.8.29
45.18 薫、匂宮に宇治の姉妹を語る
君は、姫君の御返りこと、いとめやすく子めかしきを、をかしく見たまふ。宮にも、「かく御消息ありき」など、人びと聞こえさせ、御覧ぜさすれば、
「何かは。懸想だちてもてないたまはむも、なかなかうたてあらむ。例の若人に似ぬ御心ばへなめるを、亡からむ後もなど、一言うちほのめかしてしかば、さやうにて、心ぞとめたらむ」
などのたまうけり。御みづからも、さまざまの御とぶらひの、山の岩屋にあまりしことなどのたまへるに、参うでむと思して、「三の宮の、かやうに奥まりたらむあたりの、見まさりせむこそ、をかしかるべけれと、あらましごとにだにのたまふものを、聞こえはげまして、御心騒がしたてまつらむ」と思して、のどやかなる夕暮に参りたまへり。
例の、さまざまなる御物語、聞こえ交はしたまふついでに、宇治の宮の御こと語り出でて、見し暁のありさまなど、詳しく聞こえたまふに、宮、いと切にをかしと思いたり。
さればよと、御けしきを見て、いとど御心動きぬべく言ひ続けたまふ。
「さて、そのありけむ返りことは、などか見せたまはざりし。まろならましかば」と恨みたまふ。
† 「さかし。いとさまざま御覧ずべかめる端をだに、見せさせたまはぬ。かのわたりは、かくいとも埋れたる身に、ひき籠めてやむべきけはひにもはべらねば、かならず御覧ぜさせばや、と思ひたまふれど、いかでか尋ね寄らせたまふべき。かやすきほどこそ、好かまほしくは、いとよく好きぬべき世にはべりけれ。うち隠ろへつつ多かめるかな。
さるかたに見所ありぬべき女の、もの思はしき、うち忍びたる住み処ども、山里めいたる隈などに、おのづからはべべかめり。この聞こえさするわたりは、いと世づかぬ聖ざまにて、こちごちしうぞあらむ、年ごろ、思ひあなづりはべりて、耳をだにこそ、とどめはべらざりけれ。
ほのかなりし月影の見劣りせずは、まほならむはや。けはひありさま、はた、さばかりならむをぞ、あらまほしきほどとは、おぼえはべるべき」
など聞こえたまふ。
果て果ては、まめだちていとねたく、「おぼろけの人に心移るまじき人の、かく深く思へるを、おろかならじ」と、ゆかしう思すこと、限りなくなりたまひぬ。
「なほ、またまた、よくけしき見たまへ」
と、人を勧めたまひて、限りある御身のほどのよだけさを、厭はしきまで、心もとなしと思したれば、をかしくて、
「いでや、よしなくぞはべる。しばし、世の中に心とどめじと思うたまふるやうある身にて、なほざりごともつつましうはべるを、心ながらかなはぬ心つきそめなば、おほきに思ひに違ふべきことなむ、はべるべき
と聞こえたまへば、
「いで、あな、ことことし。例の、おどろおどろしき聖言葉、見果ててしがな」
とて笑ひたまふ。心のうちには、かの古人のほのめかしし筋などの、いとどうちおどろかれて、ものあはれなるに、をかしと見ることも、めやすしと聞くあたりも、何ばかり心にもとまらざりけり。
薫は、姫君の返事が、よく整っていて、あどけないのを、風情があると見る。八宮にも、薫から「このような文がありました」などと、女房たちが、お見せするので、
「いや、なに、懸想のような扱いをするのも、かえってよくない。世間の若者とは違う心ばえなので、わたし亡き後も、それとなく一言頼んだこともあったので、気にしているのだろう」
などと仰った。宮自身からも、色々の見舞い品が、山寺には過分だったお礼を申し上げていたころ、薫は宇治に伺おうと思って、「匂う宮の君が、奥まった山里に、すぐれた女がいるのはとても風情があるだろうと空想して言っていたので、教えてやろう」と思って、のどかな夕暮れに匂う宮を尋ねた。
例によって、色々な世間話をお互いにするうちに、宇治の宮のことを語り出して、暁に見た様子などを、詳しく話すると、匂う宮は、とても強く興味を惹かれた様子だった。
思った通りだ、と宮の気色を見て、興味深く話を続ける。
「それで、その返事を、どうして持ってこなかったのか。わたしなら見せるのに」と恨めしそうに言う。
「そうです。宮様こそたくさん文をもらって、その一片もわたしに見せてくれませんね。宇治の方々は、わたしのようなはえない者が独り占めすべきことでないので、ご覧に入れる時があろうと思いますが、どうやって宇治まで行きますか。気軽な身分の者は、浮気がしたければ、いくらでもいる世の中です。人目につかなかない所で、多いようです。
それ相応に魅力のある女が、物思わしく、人里離れた住まいに、人目につかぬ所に、いるものです。今お話し申し上げている姫君たちは、全く世間離れした聖のような暮らしぶりで、みやびに欠けるだろうと今まで思っていて、その噂も耳にとどめずにいました。
ほのかな月影で見た顔立ちが見た通りの器量なら、満点です。その気配や態度は、欠点がなくまことに申し分のないと思われました」
などと申し上げる。
しまいには、本気でその気になって、「並みの人には心を移さない薫が、こんなに深く思うのは、並大抵ではない」と会って見たいと強く思うのであった。
「これからも、よく様子を見ていてくれ」
と、激励するので、高貴な身分ゆえに思いのままに動けないでじれている、のを思うと、おかしくなって、
「いやいや、つまらないことです。しばし、この世を辞し、出家遁世しようと思っている身で、軽い遊びも好き心も控えているのに、抑えきれない思いが生じたりすれば、まことに本意に違うことも起きてしまうでしょう」
と申し上げれば、
「何とまあ、大げさな。また例によって、物々しい修行僧ぶって、見届けてやろう」
と笑うのであった。薫は心の中では、あの老女のほのめかしたことなどに、衝撃を受けて、しみじみと悲しく、心をときめかすことも、美しいと聞く人のことも、何ら気にしてなかった。
2020.9.26/ 2022.6.9/ 2023.9.2
45.19 十月初旬、薫宇治へ赴く
十月になりて、五、六日のほどに、宇治へ参うでたまふ。
「網代をこそ、このころは御覧ぜめ」と、聞こゆる人びとあれど、
「何か、その蜉蝣ひおむしに争ふ心にて、網代にも寄らむ」
と、そぎ捨てたまひて、例の、いと忍びやかにて出で立ちたまふ。軽らかに網代車にて、かとりの直衣指貫縫はせて、ことさらび着たまへり。
宮、待ち喜びたまひて、所につけたる御饗応など、をかしうしなしたまふ。暮れぬれば、大殿油近くて、さきざき見さしたまへる文どもの深きなど、阿闍梨も請じおろして、義など言はせたまふ。
うちもまどろまず、川風のいと荒らましきに、木の葉の散りかふ音、水の響きなど、あはれも過ぎて、もの恐ろしく心細き所のさまなり。
明け方近くなりぬらむと思ふほどに、ありししののめ思ひ出でられて、琴の音のあはれなることのついで作り出でて、
「さきのたびの、霧に惑はされはべりし曙に、いとめづらしき物の音、一声承りし残りなむ、なかなかにいといぶかしう、飽かず思うたまへらるる」など聞こえたまふ。
「色をも香をも思ひ捨ててし後、昔聞きしことも皆忘れてなむ」
とのたまへど、人召して、琴取り寄せて、
「いとつきなくなりにたりや。しるべする物の音につけてなむ、思ひ出でらるべかりける」
とて、琵琶召して、客人にそそのかしたまふ。取りて調べたまふ。
「さらに、ほのかに聞きはべりし同じものとも思うたまへられざりけり。御琴の響きからにやとこそ、思うたまへしか」
とて、心解けても掻きたてたまはず。
「いで、あな、さがなや。しか御耳とまるばかりの手などは、何処よりかここまでは伝はり来む。あるまじき御ことなり」
とて、琴掻きならしたまへる、いとあはれに心すごし。かたへは、峰の松風のもてはやすなるべし。いとたどたどしげにおぼめきたまひて、心ばへあり。手一つばかりにてやめたまひつ。
十月になって、五、六日のほど、(薫は)宇治へ出かけた。
「網代を見るべきです。今が見頃です」と、勧める人があったが、
「何の、蜉蝣ひおむしと競うように網代に寄ってどうする」
と、寄らずに、例によって忍びで出かけた。身軽な網代車で、かとりの直衣、指貫を仕立てさせ、ことさら微行のいでたちだった。
八の宮も待っていて、山里に相応しい饗応など、趣向をこらしてもてなす。暮れれば、灯火を近くに寄せ、前から読んでいた経典の意味深い個所などを、阿闍梨も来てもらって、その解釈などをおさせになる。
うとうともせず、川風が大そう荒く吹き、木の葉が散る音、水の響きなど、あわれを過ぎて、恐ろしい程で心細く感じるのだった。
明け方近くだろうか、あの時の明け方が思い出され、琴の音のあわれだったことを、話のきっかけを作り出して、
「先日の霧が立った曙に、たいそうすばらしい楽の音をほんのちょっと耳にしましたが、その音が忘れられません。その残りを聞きたく思います」 などと申し上げる。
「この世の色香を捨てました、昔聞いたことは皆忘れました」
と言いながら、人を呼んで、琴を取り寄せて、
「全く初学者のようになりました。手引する音についていくのなら、思い出すでしょう」
と、琵琶を取り、薫に弾くように勧めた。薫は取って調子を合わせる。
「とてもあの時ほのかに聞いた同じ楽器とも思われません。あれは楽器の響きがよいからだと思っていました」
とて、打ち解けて弾こうとしない。
「何ときびしい。それほど耳に留まるほどの手などは、どこからここに伝わりましょうか。あり得ないことです」
と宮は言って、琴を掻き鳴らす。まことにあわれに深く心にしみる。ひとつには峰の松風が興を添えているのであろう。よく思い出せない風で、趣のある一曲ばかりでやめてしまった。
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45.20 薫、八の宮の娘たちの後見を承引
「このわたりに、おぼえなくて、折々ほのめく箏の琴の音こそ、心得たるにや、と聞く折はべれど、心とどめてなどもあらで、久しうなりにけりや。心にまかせて、おのおの掻きならすべかめるは、川波ばかりや、打ち合はすらむ。論なう、物の用にすばかりの拍子なども、とまらじとなむ、おぼえはべる」とて、「掻き鳴らしたまへ」
と、あなたに聞こえたまへど、「思ひ寄らざりし独り言を、聞きたまひけむだにあるものを、いとかたはならむ」とひき入りつつ、皆聞きたまはず。たびたびそそのかしたまへど、とかく聞こえすさびて、やみたまひぬめれば、いと口惜しうおぼゆ。
そのついでにも、かくあやしう、世づかぬ思ひやりにて過ぐすありさまどもの、思ひのほかなることなど、恥づかしう思いたり。
「人にだにいかで知らせじと、はぐくみ過ぐせど、今日明日とも知らぬ身の残り少なさに、さすがに、行く末遠き人は、落ちあふれてさすらへむこと、これのみこそ、げに、世を離れむ際のほだしなりけれ」
と、うち語らひたまへば、心苦しう見たてまつりたまふ。
「わざとの御後見だち、はかばかしき筋にははべらずとも、うとうとしからず思しめされむとなむ思うたまふる。しばしもながらへはべらむ命のほどは、一言も、かくうち出で聞こえさせてむさまを、違へはべるまじくなむ」
など申したまへば、「いとうれしきこと」と、思しのたまふ。
「この邸で、どうしたわけか、時々鳴る筝の琴の音は、うまい、と思う時がありますが、気をつけて聞いてやらなくなってから、久しくなってしまいました。心にまかせて、それぞれ弾きならすのは、川波ばかりが調子を合わせているのでしょう。正しい拍子もとれてないと思います」とて、「掻き鳴らしなさい」
とあちらに言ったが、「人に聞かせるつもりでなく、聞かれてしまったのは、恥ずかしい」と引き籠って、誰も承知しない。たびたびお勧めするが、何やかやと逃げ口上を言って逃げてしまったので、薫はとても残念だった。
こんなことがあるにつけても、このような風変わりな世間離れした境遇に暮らしているのが、不本意で、宮は恥ずかしく思った。
「娘がいると、世間の人に知らすまいとして、育ててきましたが、今日明日をも知れぬこの身で、さすがに生い先の長い二人は、落ちぶれて流浪すること、これのみが、実に世を去る時の心残りです」
と胸の内を語らうので、おいたわしく思うのであった。
「特別のお世話役めいた、はっきりした形ではありませんでも、他人行儀に思わずにお考えいただきたいと思います。わたしが生きている限りは、一言も、こうしてお約束いたしたことを、違えぬ所存でございます」
などと薫が申し上げると、「本当にうれしく思います」と宮は仰るのだった。
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45.21 薫、弁の君の昔語りの続きを聞く
さて、暁方の、宮の御行ひしたまふほどに、かの老い人召し出でて、会ひたまへり。
姫君の御後見にてさぶらはせたまふ、弁の君とぞいひける。年も六十にすこし足らぬほどなれど、みやびかにゆゑあるけはひして、ものなど聞こゆ。
故権大納言の君の、世とともにものを思ひつつ、病づき、はかなくなりたまひにしありさまを、聞こえ出でて、泣くこと限りなし。
「げに、よその人の上と聞かむだに、あはれなるべき古事どもを、まして、年ごろおぼつかなく、ゆかしう、いかなりけむことの初めにかと、仏にも、このことをさだかに知らせたまへと、念じつる験にや、かく夢のやうにあはれなる昔語りを、おぼえぬついでに聞きつけつらむ」と思すに、涙とどめがたかりけり。
「さても、かく、その世の心知りたる人も残りたまへりけるを。めづらかにも恥づかしうもおぼゆることの筋に、なほ、かく言ひ伝ふるたぐひや、またもあらむ。年ごろ、かけても聞き及ばざりける」とのたまへば、
「小侍従と弁と放ちて、また知る人はべらじ。一言にても、また異人にうちまねびはべらず。かくものはかなく、数ならぬ身のほどにはべれど、夜昼かの御影に、つきたてまつりてはべりしかば、おのづからもののけしきをも見たてまつりそめしに、御心よりあまりて思しける時々、ただ二人の中になむ、たまさかの御消息の通ひもはべりし。かたはらいたければ、詳しく聞こえさせず。
今はのとぢめになりたまひて、いささかのたまひ置くことのはべりしを、かかる身には、置き所なく、いぶせく思うたまへわたりつつ、いかにしてかは聞こしめし伝ふべきと、はかばかしからぬ念誦のついでにも、思うたまへつるを、仏は世におはしましけり、となむ思うたまへ知りぬる。
御覧ぜさすべき物ものもはべり。今は、何かは、焼きも捨てはべりなむ。かく朝夕の消えを知らぬ身の、うち捨てはべりなば、落ち散るやうもこそと、いとうしろめたく思うたまふれど、この宮わたりにも、時々、ほのめかせたまふを、待ち出でたてまつりてしは、すこし頼もしく、かかる折もやと、念じはべりつる力出でまうで来てなむ。さらに、これは、この世のことにもはべらじ」
と、泣く泣く、こまかに、生まれたまひけるほどのことも、よくおぼえつつ聞こゆ。
そうこうするうち、宮が暁の勤行する間、薫はあの老女を召し出して、会った。
姫君の世話役として、仕えている、弁の君という者だった。年は六十に少し足らない程で、都人の風を失わずたしなみ深い様子で、お話する。
故権大納言の君の柏木が、いつもずっと物思いに沈み、病になって、若くして死んだ様子を、語り出して、しきりと泣くのだった。
「なるほど、他人の話と思って聞いてもあわれな昔話だが、まして長年気がかりで真相を知りたい、一体事の起こりはどうだったのか、仏にも、このことをはっきり教えてくださいと念じた験だろうか、また、このように夢のようにあわれな昔語りを、思いもかけぬ機会に聞いた」と思うと涙が止まらなかった。
「さても、このように、当時のことを知っている人が生き残っている。容易ならぬこととも気恥しいこととも思えるのだが、今も、こうして言い伝える人が他にいるだろうか。年来、聞いたことがない」と薫が言うと、
「小侍従と弁の他には、知る人はいません。一言も他人に漏らしてはいません。わたしは、こんなに頼りなく、数ならぬ身ですが、夜昼あの方のお側に仕えていましたので、わたしは自ずから事のいきさつも知るようになりまして、君が胸におさめかねた思いも、時々は二人だけの間で、文も通わしたりしたものです。失礼と存じますのでその内容は詳しくは申し上げられませんのですが。
今わの際になって、少し遺言することがあって、わたしごとき分際で、身にあまるのですが、気にしながら晴れぬ思いで長年過ごしてまいりました、どうしてあなた様にお伝えしようかと、はかばかしくない念誦の折にも、願っておりましたので、仏は世におわします、と思い知るに至りました。
お目にかけるべきものがございます。今はもう、焼き捨ててしまいたい。朝夕にも消えぬべき身です、これを置いて死にましたら、人目につくかもしれないし、心配なのです。こちらの邸などにも、時々お姿をお見せになるのをお見かけするようになりまして少しは希望が持てると思い、お目にかかる折もあろうかと念願しておりました。これはこの世だけのことではございますまい」
と、泣く泣く、細かに、薫の生まれたときのことも、よく覚えていて語るのだった。
2020.9.27/ 2022.6.10/ 2023.9.2
45.22 薫、父柏木の最期を聞く
「空しうなりたまひし騷ぎに、母にはべりし人は、やがて病づきて、ほども経ず隠れはべりにしかば、いとど思うたまへしづみ、藤衣たち重ね、悲しきことを思うたまへしほどに、年ごろ、よからぬ人の心をつけたりけるが、人をはかりごちて、西の海の果てまで取りもてまかりにしかば、京のことさへ跡絶えて、その人もかしこにて亡せはべりにし後、十年あまりにてなむ、あらぬ世の心地して、まかり上りたりしを、この宮は、父方につけて、童より参り通ふゆゑはべりしかば、今はかう世に交じらふべきさまにもはべらぬを、冷泉院の女御殿の御方などこそは、昔、聞き馴れたてまつりしわたりにて、参り寄るべくはべりしかど、はしたなくおぼえはべりて、えさし出ではべらで、深山隠れの朽木になりにてはべるなり。
小侍従は、いつか亡せはべりにけむ。そのかみの、若盛りと見はべりし人は、数少なくなりはべりにける末の世に、多くの人に後るる命を、悲しく思ひたまへてこそ、さすがにめぐらひはべれ」
など聞こゆるほどに、例の、明け果てぬ。
「よし、さらば、この昔物語は尽きすべくなむあらぬ。また、人聞かぬ心やすき所にて聞こえむ。侍従といひし人は、ほのかにおぼゆるは、五つ、六つばかりなりしほどにや、にはかに胸を病みて亡せにきとなむ聞く。かかる対面なくは、罪重き身にて過ぎぬべかりけること」などのたまふ。
「柏木様が亡くなってから、わたしの母が病んで、まもなく亡くなりましたので、がっかりしまして、喪服を重ね着して、悲しんでおりましたが、年頃身分もよくない男がわたしに思いを寄せていましたが、わたしを騙して、西の海の果て連れて行きましたので、京の様子もすっかり分からなくなり、夫もあちらで亡くなりましてから、十年あまりたちまして、別の世の心地がして、上京しましたが、八の宮は、父方の縁で童の時から出入りしておりましたが、今ではこうして人並みにお勤めのできる身でもございませんが、冷泉の女御殿の御方こそは、昔、よくお噂を聞いておりましたので、おすがりして参上すればよかったのですが、きまり悪くおもいまして、顔出しもできませんで、深山隠れの朽木になってしまいました。
小侍従は、いつ亡くなったのでしょうか。その昔の、若い盛りの人たちは、少なくなりましたこの晩年に、多くの人に後れをとって、悲しい気持ちで、生きながらえております」
などと、語るほどに、今夜もまた、明けた。
「まあよい。ではこの昔話は尽きないから、また、人がいない所で聞きましょう。侍従という人は、かすかに覚えております、五つ、六つばかりの頃、急に胸を病んで亡くなったと聞いております。このような対面がなければ、父母のことを知らず、罪多い身のままで過ごすところでした」などと言う。
2020.9.28◎
45.23 薫、形見の手紙を得る
ささやかにおし巻き合はせたる反故どもの、黴臭きを袋に縫ひ入れたる、取り出でてたてまつる。
「御前にて失はせたまへ。『われ、なほ生くべくもあらずなりにたり』とのたまはせて、この御文を取り集めて、賜はせたりしかば、小侍従に、またあひ見はべらむついでに、さだかに伝へ参らせむ、と思うたまへしを、やがて別れはべりにしも、私事には、飽かず悲しうなむ、思うたまふる」
と聞こゆ。つれなくて、これは隠いたまひつ。
「かやうの古人は、問はず語りにや、あやしきことの例に言ひ出づらむ」と苦しく思せど、「かへすがへすも、散らさぬよしを誓ひつる、さもや」と、また思ひ乱れたまふ。
御粥、強飯など参りたまふ。「昨日は、暇日いとまびなりしを、今日は、内裏の御物忌も明きぬらむ。院の女一の宮、悩みたまふ御とぶらひに、かならず参るべければ、かたがた暇なくはべるを、またこのころ過ぐして、山の紅葉散らぬさきに参るべき」よし、聞こえたまふ。
「かく、しばしば立ち寄らせたまふ光に、山の蔭も、すこしもの明らむる心地してなむ」
など、よろこび聞こえたまふ。
弁は、小さく巻いた紙を、かび臭いのを袋に入れて縫い付けていたのを、取り出した。
「あなた様がご自分で処分してください。『私はもう長く生きられそうにない』と柏木様は仰って、この文を取り集めて、賜わりましたので、小侍従にまた会った時に、間違いなくお届しようと思っておりましたが、そうこうするうちに亡くなりましたので、私事ですが、とても悲しく思っております」
と話すのであった。薫は、さりげなく、文を隠した。
「このような老人は、問わず語りに、不思議な昔話を言い出すことがある」と不安に思ったが、「返す返す、他言をしていないと誓ったのは信じてよいものか」と、また悩むのだった。
粥、強飯など、召し上がる。「昨日は、休日だったが、今日は、帝の物忌も明けるだろう。冷泉院の一の宮の、病気見舞いに、必ず行かなければならなかったり、あれこれ忙しいので、またしばらくして、山の紅葉が散らないうちに参りましょう」と、申し上げる。
「このようにしばしばお立ち寄りくださって、山の蔭も、少し明るくなった心地がします」
などと宮は喜んだ。
2020.9.28/ 2022.6.10/ 2023.9.2
45.24 薫、父柏木の遺文を読む
帰りたまひて、まづこの袋を見たまへば、唐の浮線綾ふせんりょう浮線綾を縫ひて、 「上」といふ文字を上に書きたり。細き組して、口の方を結ひたるに、かの御名の封つきたり。開くるも恐ろしうおぼえたまふ。
色々の紙にて、たまさかに通ひける御文の返りこと、五つ、六つぞある。さては、かの御手にて、病は重く限りになりにたるに、またほのかにも聞こえむこと難くなりぬるを、ゆかしう思ふことは添ひにたり、御容貌も変りておはしますらむが、さまざま悲しきことを、陸奥紙五、六枚に、つぶつぶと、あやしき鳥の跡のやうに書きて、
目の前にこの世を背く君よりも
よそに別るる魂ぞ悲しき

また、端に、
「めづらしく聞きはべる二葉のほども、うしろめたう思うたまふる方はなけれど、
命あらばそれとも見まし人知れぬ
岩根にとめし松の生ひ末

書きさしたるやうに、いと乱りがはしうて、「小侍従の君に」と上には書きつけたり。
紙魚といふ虫の棲み処になりて、古めきたる黴臭さながら、跡は消えず、ただ今書きたらむにも違はぬ言の葉どもの、こまごまとさだかなるを見たまふに、「げに、落ち散りたらましよ」と、うしろめたう、いとほしきことどもなり。
「かかること、世にまたあらむや」と、心一つにいとどもの思はしさ添ひて、内裏へ参らむと思しつるも、出で立たれず。宮の御前に参りたまへれば、いと何心もなく、若やかなるさましたまひて、経読みたまふを、恥ぢらひて、もて隠したまへり。「何かは、知りにけりとも、知られたてまつらむ」など、心に籠めて、よろづに思ひゐたまへり。
京に帰って、まずその袋を見ると、唐の浮線綾ふせんりょう文様を縫って、「上」という文字を上に書いてある。細い組紐で、口の方を結んで、あの方の御名の封がついている。開けるのも恐ろしく覚えた。
さまざまな色の紙に、たまにやりとりされた文の返事が、五つ、六つある。自筆で、病は重くこれが最後になるであろうこと、再び短い文も書くことが難しくなったが、会いたい気持ちは募るばかり、尼僧に姿を変えられておわしますのも、あれもこれも悲しいと、陸奥紙五、六枚に、つぶつぶと鳥の足跡のような字で書いて、
(柏木)「目の前で出家姿のあなたよりも
お目にかかれずにこの世を去るのが悲しい」
その端に、
「おめでたいと承ります幼い子のことも、後の心配することはありませんが、
(柏木)命あればわが子と見るでしょう人知れず
岩根に残した松の成長を」
書きさしのように、ひどく乱れた筆跡で、「小侍従の君に」と上に書いてあった。
紙魚という虫の棲み処になって、古くなって黴臭かったが、筆跡は消えず、たった今書いたような言の葉が、こまごまとはっきり見えるので、「「なるほど、落として人目にふれたら大へんだ」と、心配でお気の毒になった。
「このようなことが世にまたとあろうか」と自分の心ひとつに思って、内裏へ参上しようと思うが、出立せず、母宮の御前に参ると、宮は何心もなく若やかに、経典を読んでいたが、恥じらって経典を隠した。「何であれ、母宮に知らせよう」など胸の奥に秘めめて、あれこれと物思いにふけるのであった。
2020.9.28/ 2022.6.10
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読書期間2020年9月17日 - 2020年9月28日