源氏物語 44 竹河 たけかわ

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原文 現代文
44.1 鬚黒没後の玉鬘と子女たち
これは、源氏の御族にも離れたまへりし、 後の大殿わたりにありける悪御達わるごたちの、落ちとまり残れるが、問はず語りしおきたるは、紫のゆかりにも似ざめれど、かの女どもの言ひけるは、「源氏の御末々に、ひがことどもの混じりて聞こゆるは、我よりも年の数積もり、ほけたりける人のひがことにや」などあやしがりける。いづれかはまことならむ。
尚侍ないしのかみの御腹に、故殿の御子は、男三人、女二人なむおはしけるを、さまざまにかしづきたてむことを思しおきてて、年月の過ぐるも心もとながりたまひしほどに、 あへなく亡せたまひにしかば、夢のやうにて、いつしかといそぎ思しし御宮仕へもおこたりぬ。
人の心、時にのみよるわざなりければ、さばかり勢ひいかめしくおはせし大臣の御名残、うちうちの御宝物、領じたまふ所々のなど、その方の衰へはなけれど、おほかたのありさま引き変へたるやうに、殿のうちしめやかになりゆく。
尚侍の君の御近きゆかり、そこらこそは世に広ごりたまへど、なかなかやむごとなき御仲らひの、もとよりも親しからざりしに、故殿、情けすこしおくれ、むらむらしさ過ぎたまへりける御本性にて、心おかれたまふこともありけるゆかりにや、誰れにもえなつかしく聞こえ通ひたまはず。
六条院には、すべて、なほ昔に変らず数まへきこえたまひて、亡せたまひなむ後のことども書きおきたまへる御処分の文どもにも、中宮の御次に加へたてまつりたまへれば、右の大殿などは、なかなかその心ありて、さるべき折々訪れきこえたまふ。
これは、源氏一族から離れて、後の太政大臣の髭黒に仕えていたおしゃべりな女房のなかで、生き残った者たちが、問わず語りしたもので、紫の上の話に似ていないが、彼女たちが言うには、「源氏の一族については、間違ったことが混じっているのは、年寄りの女房がぼけて喋ったものです」などと言っている。どちらが本当なのか。
玉鬘の子は、髭黒との間に、男三人、女二人いたが、髭黒が立派に育てようと思って、年月が経つのも待ち遠しくしていたが、髭黒があっけなく亡くなってしまったのが、夢のようで、一日も早くと考えていた姫の入内も沙汰やみになってしまった。
人の心は、ただもう権勢になびくものなので、あれほど羽振りのよかった大臣の名残り、家の内の宝物、所領の荘園など、そういう面での衰えはないが、一家全体の様子は手のひらを返したように、邸の中はひっそりしてゆく。
尚侍ないしのかみの玉鬘の結縁の兄弟は、大勢が世に栄えているが、なまじ身分の高い方の付き合いで、もとから親しくはなかったので、故太政大臣は情味に欠け、とてもむらっけの強いお方で、どちらかというと煙たがられる性格だったので、 兄弟の誰とも親しく付き合ってはいなかった。
六条院にあっては、すべて、昔に変わらず玉鬘を家族の一員として扱っていて、亡くなった後のことも書置きして遺産相続も文にして、中宮の次に残してあり、右大将の夕霧などは、実の兄弟のように思っていたので、しかるべき折々に尋ねていた。
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44.2 玉鬘の姫君たちへの縁談
男君たちは、御元服などして、おのおのおとなびたまひにしかば、殿のおはせでのち、心もとなくあはれなることもあれど、おのづからなり出でたまひぬべかめり。「姫君たちをいかにもてなしたてまつらむ」と、思し乱る。
内裏にも、かならず宮仕への本意深きよしを、大臣の奏しおきたまひければ、おとなびたまひぬらむ年月を推し量らせたまひて、仰せ言絶えずあれど、中宮の、いよいよ並びなくのみなりまさりたまふ御けはひにおされて、皆人無徳にものしたまふめる末に参りて、遥かに目を側められたてまつらむもわづらはしく、また人に劣り、数ならぬさまにて見む、はた、心尽くしなるべきを思ほしたゆたふ。
冷泉院よりは、いとねむごろに思しのたまはせて、尚侍かむの君の、昔、本意なくて過ぐしたまうし辛さをさへ、とり返し恨みきこえたまうて、
「今は、まいてさだ過すぎ、すさまじきありさまに思ひ捨てたまふとも、うしろやすき親になずらへて、譲りたまへ」
と、いとまめやかに聞こえたまひければ、「いかがはあるべきことならむ。みづからのいと口惜しき宿世にて、思ひの外に心づきなしと思されにしが、恥づかしうかたじけなきを、この世の末にや御覧じ直されまし」など定めかねたまふ。
玉鬘の子息たちは、元服などして、それぞれが成長して、髭黒亡き後、昇進のことなどで心もとなく悲しい思いをすることもあったが、それぞれが成長した。「姫君たちをどう縁つかせるか」と玉鬘は思い悩んでいた。
内裏にも、ぜひとも娘を宮仕えさせたい意向を亡き大臣が奏上していたので、成長した年月を推し量って、帝から折々にお言葉があるけれど、明石中宮の並ぶべきものない権勢に気圧されて、どなたも面目なく末席に連なって、中宮にかなたから睨まれるように様でお仕えするのではないか、また他の妃に劣り数ならぬ様になるのではないか、など様々に物思いするのであった。
冷泉院からは、たいそう丁寧な申し出があって、昔、尚侍かむの君が、後宮に入らずに辛かった事情さえ、繰り返し恨みがましく仰って、
「今は年も取り、何の栄えない身になりましたが見限ることなく、安心できる親のようなつもりで、姫君を預けてください」
と、院が熱心に懇願されたので、「どうしたらよいだろう。自分の残念な宿世で、心ならずも嫌な女と思われただろうが、恥ずかしく恐れ多いが、娘を入内させたら、年をとってもご機嫌を直していただけるものか」と思いあぐねた。
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44.3 夕霧の息子蔵人少将の求婚
容貌いとようおはする聞こえありて、心かけ申したまふ人多かり。右の大殿の蔵人少将とかいひしは、三条殿の御腹にて、兄君たちよりも引き越し、いみじうかしづきたまひ、人柄もいとをかしかりし君、いとねむごろに申したまふ。
いづ方につけても、もて離れたまはぬ御仲らひなれば、この君たちの睦び参りたまひなどするは、気遠くもてなしたまはず。女房にも気近く馴れ寄りつつ、思ふことを語らふにも便りありて、夜昼、あたりさらぬ耳かしかましさを、うるさきものの、心苦しきに、尚侍の殿も思したり。
母北の方の御文も、しばしばたてまつりたまひて、「いと軽びたるほどにはべるめれど、思し許す方もや」となむ、大臣も聞こえたまひける。
姫君をば、さらにただのさまにも思しおきてたまはず、中の君をなむ、今すこし世の聞こえ軽々しからぬほどになずらひならば、さもや、と思しける。許したまはずは、盗みも取りつべく、むくつけきまで思へり。こよなきこととは思さねど、女方の心許したまはぬことの紛れあるは、音聞きもあはつけきわざなれば、聞こえつぐ人をも、「あな、かしこ。過ち引き出づな」などのたまふに、朽たされてなむ、わづらはしがりける。
姫たちの顔立ちが大そうよいと評判で、熱心に申し込む若君たちが多かった。夕霧の子の蔵人少将という方が、母は雲居の雁で、兄たちよりずっと大事に育てられていて、人柄もよく風情もあり、熱心に申し込んでいた。
両親のどちら側にも、近い血筋なので、夕霧の子息たちが睦まじく参上するのを、他人行儀の扱いにせず、女房にも親しく近づき、思いを伝えるのも便利で、夜昼、側を離れぬのを、うるさいと思うものの、気の毒だと、玉鬘も思うのだった。
母の雲居の雁からの文も、玉鬘にしばしばあって、「まことに若輩の身でございますが、許される点もございましょう」と、夕霧も申し上げた。
玉鬘は上の姫を、臣下に縁づけようとは思っておらず、次の妹を、蔵人少将がもう少し世間の評価が釣り合いが取れるほどになったら、許そう、と思っていた。蔵人少将は、許されなかったら、盗んでも取ると、思いつめていた。玉鬘は、まるで不相応な縁とは思っていなかったが、娘が承諾しないまま間違いがあっては、世間の聞こえも悪く、女房にも「ゆめ、過ちがあってはならぬ」と言うので、取り次ぎも面倒がった。
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44.4 薫君、玉鬘邸に出入りす
六条院の御末に、朱雀院の宮の御腹に生まれたまへりし君、冷泉院に、御子のやうに思しかしづく四位侍従、そのころ十四、五ばかりにて、いときびはに幼かるべきほどよりは、心おきておとなおとなしく、めやすく、人にまさりたる生ひ先しるくものしたまふを、尚侍の君は、婿にても見まほしく思したり。
この殿は、かの三条の宮といと近きほどなれば、さるべき折々の遊び所には、君達に引かれて見えたまふ時々あり。心にくき女のおはする所なれば、若き男の心づかひせぬなう、見えしらひさまよふ中に、容貌のよさは、この立ち去らぬ蔵人少将、なつかしく心恥づかしげに、なまめいたる方は、この四位侍従の御ありさまに、似る人ぞなかりける。
六条院の御けはひ近うと思ひなすが、心ことなるにやあらむ、世の中におのづからもてかしづかれたまへる人、若き人びと、心ことにめであへり。尚侍の殿も、「げにこそ、めやすけれ」などのたまひて、なつかしうもの聞こえたまひなどす。
「院の御心ばへを思ひ出できこえて、慰む世なう、いみじうのみ思ほゆるを、その御形見にも、誰れをかは見たてまつらむ。右の大臣は、ことことしき御ほどにて、ついでなき対面もかたきを」
などのたまひて、兄弟のつらに思ひきこえたまへれば、かの君も、さるべき所に思ひて参りたまふ。世の常のすきずきしさも見えず、いといたうしづまりたるをぞ、ここかしこの若き人ども、口惜しうさうざうしきことに思ひて、言ひなやましける。
源氏の晩年になって、朱雀院の三の宮の腹で生まれた薫は、冷泉院が実の子のように大事に世話をして今は四位の侍従となっていた。そのころ十四五才位で、幼いはずの年齢にしては心構えもしっかりしていて、好もしく、人に優れた将来がはっきり見えるので、玉鬘は、婿としてお世話したいと思っていた。
玉鬘の邸は、薫の住む三条の宮とすぐ近くなので、何かと折々の遊び場、玉鬘の子息たちに誘われて来ることがあり、世評も高い姫君がおられる邸なので、若い男で心遣いせぬ者はなく、これ見よがしに出入りする中に、美男という点では、例のここを立去らぬ蔵人少将が、優美な点では、この四位侍従である薫に比肩できる人はなかった。
源氏に近く血を引いている方と、ことさらに思うせいだろうか、世間の人からも自然と大切にされていて、若い女房たちからも人気があった。玉鬘も「本当に感じがよい」などと言って、薫とは打ち解けて話をするのであった。
「源氏の心ばえを思い出して、気持ちの晴れる間なく、ただもう悲しく思われるのを、その形見にどなたを思ったらいいだろう。右大臣の夕霧はたいそうな御身分なので、気軽な面会は難しい」
などと言って、薫を実の兄弟のように思っているので、薫の方も、姉君同様に思って、邸にくるのであった。貴公子によくある色好みなところも見えず、ひどく落ち着いているので、あちこちの若い女房たちは、残念だ物足りないと思った。
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44.5 正月、夕霧、玉鬘邸に年賀に参上
睦月の朔日ころ、尚侍の君の御兄弟の大納言、「高砂」謡ひしよ、藤中納言、故大殿の太郎、真木柱の一つ腹など参りたまへり。右の大臣も、御子ども六人ながらひき連れておはしたり。御容貌よりはじめて、飽かぬことなく見ゆる人の御ありさまおぼえなり。
君たちも、さまざまいときよげにて、年のほどよりは、官位過ぎつつ、何ごと思ふらむと見えたるべし。世とともに、蔵人の君は、かしづかれたるさま異なれど、うちしめりて思ふことあり顔なり。
大臣は、御几帳隔てて、昔に変らず御物語聞こえたまふ。
「そのこととなくて、しばしばもえうけたまはらず。年の数添ふままに、内裏に参るより他のありき、うひうひしうなりにてはべれば、いにしへの御物語も、聞こえまほしき折々多く過ぐしはべるをなむ。
若き男どもは、さるべきことには召しつかはせたまへ。かならずその心ざし御覧ぜられよと、いましめはべり」など聞こえたまふ。
「今は、かく、世に経る数にもあらぬやうになりゆくありさまを、思し数まふるになむ、過ぎにし御ことも、いとど忘れがたく思うたまへられける」
と申したまひけるついでに、院よりのたまはすること、ほのめかし聞こえたまふ。
「はかばかしう後見なき人の交じらひは、なかなか見苦しきをと、思ひたまへなむわづらふ」
と申したまへば、
「内裏に仰せらるることあるやうに承りしを、いづ方に思ほし定むべきことにか。院は、げに、御位を去らせたまへるにこそ、盛り過ぎたる心地すれど、世にありがたき御ありさまは、古りがたくのみおはしますめるを、よろしう生ひ出づる女子はべらましかばと、思ひたまへよりながら、恥づかしげなる御中に、交じらふべき物のはべらでなむ、口惜しう思ひたまへらるる。
そもそも、女一の宮の女御は、許しきこえたまふや。さきざきの人、さやうの憚りにより、とどこほることもはべりかし」
と申したまへば、
「女御なむ、つれづれにのどかになりにたるありさまも、同じ心に後見て、慰めまほしきをなど、かの勧めたまふにつけて、いかがなどだに思ひたまへよるになむ」
と聞こえたまふ。
これかれ、ここに集まりたまひて、三条の宮に参りたまふ。朱雀院の古き心ものしたまふ人びと、六条院の方ざまのも、かたがたにつけて、なほかの入道宮をば、えよきず参りたまふなめり。この殿の左近中将、右中弁、侍従の君なども、やがて大臣の御供に出でたまひぬ。ひき連れたまへる勢ひことなり。
正月の三が日が過ぎて、玉鬘の兄弟の按察使大納言と、あの「高砂」を謡った、藤中納言、故髭黒の長男、真木柱と同腹の兄弟、が参上した。右大臣夕霧も子息たち六人を連れて年賀に来た。夕霧は、顔立ちをはじめ非の打ちどころのない人柄であり声望であった。
子息たちもそれぞれに美しく、年齢よりは、官位も高く、何の悩みがあろうと見えるのだった。蔵人少将は、格別に大事にされていたが、物思いに沈んだ顔をしていた。
夕霧は、几帳を隔てて、昔に変わらず話をするのだった。
「これという用事もなくて、たびたびお話に伺うこともできずにいます、年をとると、内裏へ参上するより他の外出は、億劫になりますので、お話したい昔話もそのままになってしまいます。
息子たちは、何かの時は呼んで使ってください。必ずお前たちの誠意を見ていただきなさい、と言い聞かせております」などと言った。
「今はこうして世間の人数にも入らぬようになっていきまして、気にかけてくださるにつけて、亡くなった源氏の君のことも、忘れがたく思います」
と玉鬘が申し上げるついでに、冷泉院の求婚のことを、それとなく相談する。
「しっかりした後見がなくて宮仕えするのは、かえって見苦しいので、思いあぐねています」
と言うと、
「冷泉院から内意があったと聞いておりますが、どのように決められたのですか。院は、実際、退位していて、盛りが過ぎたように思われますが、世にまたとない立派な様子は、いつまでも年をとらないように見えますが、わたしにしかるべき年頃の娘がいましたらと願っていますが、立派な妃たちの中でやって行けるほどの娘がいないのがとても残念です。
そもそも、弘徽殿女御は承知しているのでしょうか。これまでも、あの女御に遠慮して、話が進まなかったことがありました」
と申し上げれば、
「女御の方は、今は所在なくのんびり暮らしていて、院と同じ心で、お世話することで慰めとしたいと、あちらからの勧めもあり、どうしたものか思いあぐねています」
と申し上げるのだった。
あれこれの方々が玉鬘邸に集まって、女三の宮邸に参上した。朱雀院に昔から縁のある人々や、六条院の側の方々も、それぞれに、今も入道宮を素通りできずに参上した。玉鬘邸の左近中将、右中弁、侍従の君なども夕霧にお供して出た。皆を引き連れたのは夕霧の勢いだった。
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44.6 薫君、玉鬘邸に年賀に参上
夕つけて、四位侍従参りたまへり。そこらおとなしき若君達も、あまたさまざまに、いづれかは悪ろびたりつる。皆めやすかりつる中に、立ち後れてこの君の立ち出でたまへる、いとこよなく目とまる心地して、例の、ものめでする若き人たちは、「なほ、ことなりけり」など言ふ。
「この殿の姫君の御かたはらには、これをこそさし並べて見め」
と、聞きにくく言ふ。げに、いと若うなまめかしきさまして、うちふるまひたまへる匂ひ香など、世の常ならず。「姫君と聞こゆれど、心おはせむ人は、げに人よりはまさるなめりと、見知りたまふらむかし」とぞおぼゆる。
尚侍の殿、御念誦堂におはして、「こなたに」とのたまへれば、東の階より昇りて、戸口の御簾の前にゐたまへり。御前近き若木の梅、心もとなくつぼみて、鴬の初声もいとおほどかなるに、いと好かせたてまほしきさまのしたまへれば、人びとはかなきことを言ふに、言少なに心にくきほどなるを、ねたがりて、宰相の君と聞こゆる上臈の詠みかけたまふ。
折りて見ばいとど匂ひもまさるやと
すこし色めけ梅の初花

「口はやし」と聞きて、
よそにてはもぎ木なりとや定むらむ
下に匂へる梅の初花

さらば袖触れて見たまへ」など言ひすさぶに、
「まことは色よりも」と、口々、引きも動かしつべくさまよふ。
尚侍の君、奥の方よりゐざり出でたまひて、
「うたての御達や。恥づかしげなるまめ人をさへ、よくこそ、面無けれ」
と忍びてのたまふなり。「まめ人とこそ、付けられたりけれ。いと屈じたる名かな」と思ひゐたまへり。主人の侍従、殿上などもまだせねば、所々もありかで、おはしあひたり。浅香せんこうの折敷、二つばかりして、くだもの、盃ばかりさし出でたまへり。
「大臣は、ねびまさりたまふままに、故院にいとようこそ、おぼえたてまつりたまへれ。この君は、似たまへるところも見えたまはぬを、けはひのいとしめやかに、なまめいたるもてなししもぞ、かの御若盛り思ひやらるる。かうざまにぞおはしけむかし」
など、思ひ出でられたまひて、うちしほたれたまふ。名残さへとまりたる香うばしさを、人びとはめでくつがへる。
夕方、四位侍従の薫がやって来た。大勢いた成人した若君たちも、みなそれぞれの人柄で、誰が劣っているなどと言えようか。みな美しく立派な中で、後れて現れたこの君は、本当に際立っていて、例の熱しやすい若い女房たちは「やはり他の人と違うわ」などと言った。
「この邸の大君の側に、この方を並べて見たいわ」
調子に乗って言う。なるほど、薫は、若々しく優雅な姿をして、あたりに放つ香りなど、尋常ではない。「深窓の姫君でも、ものの分かった人なら、なるほど薫は人より勝っていると、納得するに違いない」と思うのだった。
尚侍かむの殿の玉鬘は、御念誦堂にいて、「どうぞ」と招じたので、薫は、東の階から登って戸口の御簾の前にいた。御前近くの若木の梅、少し蕾になって、鶯の初音もたどたどしく、色めかしい一言も言いたいような薫の姿だったので、女房たちが戯言を言ったが、落ち着いて相手にしないので、口惜しがって、宰相の君という上臈がさっそく歌を詠みかけた。
(宰相の君)「手折って見ればいっそう香りも勝ると思います
少しは愛嬌を振りまいてください、梅の初花さん」
「素早いな」と感心して、
(薫の歌)「わたしを枯木のようだと思っているね
心の内では色香に匂う梅の初花なのに
それでは袖を触れて見て」などと冗談を言っている
「本当は色よりも香りですわ」と、口々に薫の袖を引っ張らんばかり。
玉鬘が奥からいざり出て、
「しょうがない女房たち、たいそうお堅い方も、形無しだわ」
と小声で仰る。「堅物などとあだ名がついてしまった。まったく情けない」と薫は思う。この家の侍従が、まだ殿上などもしていないので、あちこちの年賀に行かず邸にいたのだった。浅香せんこうの角盆二つに、くだもの、盃が供された。
「夕霧は、年を召されるままに、源氏にそっくりの所作や顔立ちになっていた。薫は似たところがないが、たいそう奥ゆかしく物静かでとても優雅な所作をしていて、若い盛りが思いやられる。源氏の君も若い頃はきっとこんな風だったのか」
などと玉鬘は、亡き源氏を思い出して、涙した。帰ったあとも残った香りの香ばしさを女房たちは褒めそやした。
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44.7 梅の花盛りに、薫君、玉鬘邸を訪問
侍従の君、まめ人の名をうれたしと思ひければ、二十余日のころ、梅の花盛りなるに、「 匂ひ少なげに取りなされじ。好き者ならはむかし」と思して、 藤侍従の御もとにおはしたり。
中門入りたまふほどに、同じ直衣姿なる人立てりけり。隠れなむと思ひけるを、ひきとどめたれば、この常に立ちわづらふ少将なりけり。
「寝殿の西面に、琵琶、箏の琴の声するに、心を惑はして立てるなめり。苦しげや。人の許さぬこと思ひはじめむは、罪深かるべきわざかな」と思ふ。琴の声もやみぬれば、
「いざ、しるべしたまへ。まろは、いとたどたどし」
とて、ひき連れて、西の渡殿の前なる紅梅の木のもとに、「梅が枝」をうそぶきて立ち寄るけはひの、花よりもしるく、さとうち匂へれば、妻戸おし開けて、人びと、東琴をいとよく掻き合はせたり。女の琴にて、呂の歌は、かうしも合はせぬを、いたしと思ひて、今一返り、をり返し歌ふを、琵琶も二なく今めかし。
ゆゑありてもてないたまへるあたりぞかし」と、心とまりぬれば、今宵はすこしうちとけて、はかなしごとなども言ふ。
内より和琴さし出でたり。かたみに譲りて、手触れぬに、侍従の君して、尚侍の殿、
「故致仕の大臣の御爪音になむ、通ひたまへる、と聞きわたるを、まめやかにゆかしうなむ。今宵は、なほ鴬にも誘はれたまへ」
と、のたまひ出だしたれば、「あまえて爪くふべきことにもあらぬを」と思ひて、をさをさ心にも入らず掻きわたしたまへるけしき、いと響き多く聞こゆ。
「常に見たてまつり睦びざりし親なれど、世におはせずなりにきと思ふに、いと心細きに、はかなきことのついでにも思ひ出でたてまつるに、いとなむあはれなる。
おほかた、この君は、あやしう故大納言の御ありさまに、いとようおぼえ、琴の音など、ただそれとこそ、おぼえつれ」
とて泣きたまふも、古めいたまふしるしの、涙もろさにや。
薫は、堅物と言われて情けなく思い、二十余日ころ、梅の盛りのとき、「風流を解さないと見られた。洒落者の真似をしてみよう」と思って、藤侍従の君の所に行った。
中門を入ろと、同じ直衣姿の人が立っていた。相手が隠れようとするのを、引き止めると、この邸に出入りしている蔵人少将だった。
「寝殿の西面に、琵琶、筝の琴の音がするので、心をときめかして立っていたのだな。辛そうだな。まわりが許さぬ恋に身を焦がすのは、罪深い」と薫は思う。琴の音も止んだので、
「さあ、案内してください。勝手が分かりませんので」
と連れ立って、西の渡殿の前の紅梅の木のもとへ、薫が「梅が枝」を謡いながら近づいてゆくと、梅の香よりもはっきり匂った。女房たちは妻戸を押し開けて、和琴を合奏していた。女の琴は、呂の歌は合わせにくいのだが、上手に奏していたので、今一度繰り返し謡うと、琵琶もうまく合わせる。
「高貴な趣味で暮らしている邸なのだ」と感じがよかったので、薫は今宵は少しうちとけて、冗談を言った。
御簾の中から和琴が差し出された。互いに譲り合って、手を出さぬので、子息の藤侍従を取りつがして、玉鬘が、
「故致仕の大臣に爪音に似ていると噂に聞きましたが、ぜひお聞きしたいです。鶯に誘われた気でお弾きください」
と仰せになるので、「はにかんで気後れする場でもない」と薫は思って、別に張り切るわけでもなく何気なく掻き鳴らすと、情感のこもった音に聞こえる。
「この子の親はいつもお会いして親しかったわけでもないが、もうこの世にいないと思うと、心細く、はかない楽の音にも思いを馳せて、たいそうあわれだ。
大体この君は、不思議と故大納言の柏木の様子によく似ていて、琴の音など、まったくそっくりだ」
とて泣いてしまうのも、年をとった涙もろさか。
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44.8 得意の薫君と嘆きの蔵人少将
少将も、声いとおもしろうて、「さき草」謡ふ。さかしら心つきて、うち過ぐしたる人もまじらねば、おのづからかたみにもよほされて遊びたまふに、主人の侍従は、故大臣に似たてまつりたまへるにや、かやうの方は後れて、盃をのみすすむれば、「寿詞をだにせむや」と、恥づかしめられて、「竹河」を同じ声に出だして、まだ若けれど、をかしう謡ふ。簾のうちより土器さし出づ。
「酔のすすみては、忍ぶることもつつまれず。ひがことするわざとこそ聞きはべれ。いかにもてないたまふぞ」
と、とみにうけひかず。小袿重なりたる細長の、人香なつかしう染みたるを、取りあへたるままに、被けたまふ。「何ぞもぞ」などさうどきて、侍従は、主人の君にうち被けて去ぬ。引きとどめて被くれど、「水駅にて夜更けにけり」とて、逃げにけり。
少将は、「この源侍従の君のかうほのめき寄るめれば、皆人これにこそ心寄せたまふらめ。わが身は、いとど屈じいたく思ひ弱りて」、あぢきなうぞ恨むる。
「人はみな花に心を移すらむ
一人ぞ惑ふ春の夜の闇」

うち嘆きて立てば、内の人の返し、
をりからやあはれも知らむ梅の花
ただ香ばかりに移りしもせじ

朝に、四位侍従のもとより、主人の侍従のもとに、
「昨夜は、いと乱りがはしかりしを、人びといかに見たまひけむ」
と、見たまへとおぼしう、仮名がちに書きて、
竹河のはしうちいでし一節に
深き心の底は知りきや

と書きたり。寝殿に持て参りて、これかれ見たまふ。
「手なども、いとをかしうもあるかな。いかなる人、今よりかくととのひたらむ。幼くて、院にも後れたてまつり、母宮のしどけなう生ほし立てたまへれど、なほ人にはまさるべきにこそあめれ」
とて、尚侍の君は、この君たちの、手など悪しきことを恥づかしめたまふ。返りこと、げに、いと若く、
「昨夜は、水駅をなむ、とがめきこゆめりし。
竹河に夜を更かさじといそぎしも
いかなる節を思ひおかまし

げに、この節をはじめにて、この君の御曹司におはして、けしきばみ寄る。少将の推し量りしもしるく、皆人心寄せたり。侍従の君も、若き心地に、近きゆかりにて、明け暮れ睦びまほしう思ひけり。
夕霧の子の蔵人少将も、声が大変よく、「さき草」を謡った。分別くさいおせっかいな年配の人もここにいないので、いつしか互いに気分もはずんで、主人役の藤侍従は、故髭黒大臣に似ていて、管弦の方は疎くて、お酒ばかり飲んでいたので、「祝い歌でも謡え」となじられて、皆に合わせて「竹河」を、上手ではなかったが、謡った。簾の中から盃が出される。
「酔ってしまっては、隠している心の内も、隠しきれなくなる。わたしをどうするおつもりか」
と、薫はすぐには盃を受けない。小袿を重ねた細長を、人の香が染みたのを、有り合わせで被けられる。「これは何のつもり」とはしゃいで、主人の藤侍従の君に預けて、退去した。引き止めたが、「水駅で夜も更けた」と言って逃げてしまった。
蔵人少将は、「薫が出入りするようになれば、こちらの邸の方々は皆薫が好きになるだろう、わたしは駄目だ」とがっかりして元気がなく、恨みごとを言う。
(蔵人少将)「人は皆花に心を奪われて
わたし一人が春の夜の闇にさ迷っている」
嘆いていると、内の人から返歌があり、
(女房)「あわれは時と場合によるのです
香りばかりに心が引かれるのではありません」
朝に、薫から、主人の藤侍従のもとに、
「昨夜は酔って乱れて失礼しました。皆さまは何とご覧になったか」
姫たちもご覧くださいとのつもりか、仮名書きを多くして、
(薫)「竹河の一節を汲み取って
わたしの思いを分かってくれましたか」
と書いてあった。寝殿にいって玉鬘や姫君に見せた。
「筆跡も大そう感じがいいこと。どういう人が、この若さで何もかも立派になるのでしょう。幼くして源氏に先立たれ、女三の宮が厳しくもなく育てたのに、やはり人より勝れた定めなのでしょう」
とて、玉鬘は、子息たちの筆跡が悪いことなど恥ずかしく思うのだった。返事はなるほど下手な字で、
「昨夜は水駅などと言って、早くお帰りになりましたね。
(藤侍従)竹河を謡って夜更かしをしないで帰られたのは
どういうおつもりと考えたらいいのでしょう」
まことに、この竹河からはじまって、この部屋に薫が来て、意中をほのめかす。少将の推測通り、この邸の皆は薫が好きになった。藤侍従も、近い縁者として、明け暮れ薫と親しくしたいと思った。
2020.9.6/ 2022.5.17/ 2023.8.14
44.9 三月、花盛りの玉鬘邸の姫君たち
弥生になりて、咲く桜あれば、散りかひくもり、おほかたの盛りなるころ、のどやかにおはする所は、紛るることなく、端近なる罪もあるまじかめり。
そのころ、十八、九のほどやおはしけむ、御容貌も心ばへも、とりどりにぞをかしき。姫君は、いとあざやかに気高う、今めかしきさましたまひて、げに、ただ人にて見たてまつらむは、似げなうぞ見えたまふ。
桜の細長、山吹などの、折にあひたる色あひの、なつかしきほどに重なりたる裾まで、愛敬のこぼれ落ちたるやうに見ゆる、御もてなしなども、らうらうじく、心恥づかしき気さへ添ひたまへり。
今一所は、薄紅梅に、桜色にて、柳の糸のやうに、たをたをとたゆみ、いとそびやかになまめかしう、澄みたるさまして、重りかに心深きけはひは、まさりたまへれど、匂ひやかなるけはひは、こよなしとぞ人思へる。
碁打ちたまふとて、さし向ひたまへる髪ざし、御髪のかかりたるさまども、いと見所あり。侍従の君、見証けんぞしたまふとて、近うさぶらひたまふに、兄君たちさしのぞきたまひて、
「侍従のおぼえ、こよなうなりにけり。御碁の見証許されにけるをや」
とて、おとなおとなしきさましてついゐたまへば、御前なる人びと、とかうゐなほる。中将、
「宮仕へのいそがしうなりはべるほどに、人に劣りにたるは、いと本意なきわざかな」
と愁へたまへば、
「弁官は、まいて、私の宮仕へおこたりぬべきままに、さのみやは思し捨てむ」
など申したまふ。碁打ちさして、恥ぢらひておはさうずる、いとをかしげなり。
「内裏わたりなどまかりありきても、故殿おはしまさましかば、と思ひたまへらるること多くこそ」
など、涙ぐみて見たてまつりたまふ。二十七、八のほどにものしたまへば、いとよくととのひて、この御ありさまどもを、「いかで、いにしへ思しおきてしに、違へずもがな」と思ひゐたまへり。
御前の花の木どもの中にも、匂ひまさりてをかしき桜を折らせて、「他のには似ずこそ」など、もてあそびたまふを、
「幼くおはしましし時、この花は、わがぞ、わがぞと、争ひたまひしを、故殿は、姫君の御花ぞと定めたまふ。上は、若君の御木と定めたまひしを、いとさは泣きののしらねど、やすからず思ひたまへられしはや」とて、「この桜の老木になりにけるにつけても、過ぎにける齢を思ひたまへ出づれば、あまたの人に後れはべりにける、身の愁へも、止めがたうこそ」
など、泣きみ笑ひみ聞こえたまひて、例よりはのどやかにおはす。人の婿になりて、心静かにも今は見えたまはぬを、花に心とどめてものしたまふ。
三月になり、咲く桜もあり散るのもあり、総じて花の盛りで、静かに暮らしている邸は、さしたる用もなく、姫君たちが端に出ても人目につかない。
そのころ十八、九ほどになっていて、顔立ちも心ばえも、それぞれによい。大君は、あざやかで品があり、はなやかな様子で、とても臣下の身分の者と結婚さすのは似つかわしくないと思われた。
桜襲さくらがさねの細長、山吹襲の袿、季節にあった、親しみにもてる重ねで裾まで愛嬌がこぼれ落ちたように見える て、身のこなしなども、利発らしく、気圧されるような感じがする。
中の君は、薄い色目の紅梅襲に、髪は柳の糸のようにつやつやとして、たおやかに見える。しっとりした物越し、落ち着いた考え深い感じは勝っているが、匂うような美しさでは、大君に及ばないと女房たちは思っている。
碁を打つため、二人が差し向っている髪がかかっている様子なども、見所があった。藤侍従の君は、勝負の判定をするため近くに侍っていたが、兄君たちも覗きにきて、
「侍従の信用はたいしたものだ。碁の立ち合いを許されたのだから」
といっぱしの殿方という風で膝まずいていたので、女房たちも居ずまいを正す。中将は、
「宮仕えが忙しいので、あまりこちらに来れず、侍従に出し抜かれたのは、まったく残念だ」
と口惜しがったので、
「弁官をしていますので、自邸での奉仕はどうしてもおろそかになってしまいます」
と言う。碁を打って、姫たちが恥ずかしそうにしている様子は、たいそう美しい。
「内裏の中を歩き回っていても、もし父上が生きておられたら、と思うことが多いです」
など、涙ぐんで見るのであった。二十七、八くらいなので、たいそう恰幅もよく、この姫君たちを、「どうかして、かって父君が思っていた通り宮仕えに出したいものだ」と思っていた。
御前の花の木の中にも、匂いがよくて枝ぶりのいい桜を手折らせて、「他のと違う」などと愛でているのを、
「幼いころ、この花はわたしのだ、わたしのだと争ったことがあったが、故父君は、大君の花だ、と決めたのだった。母は中の君の木と決められたのだが、大泣きしたわけではないが、不満に思ったものです」とて、「この桜の老木にしましても、過ぎてしまった年月を思えば、多くの人に先立だたれましたので、この身の嘆きを申せば、きりがありません」
など、泣き笑いで申し上げるので、いつもよりのんびりしている。中将は、人の婿になって、こちらでゆっくりできないが、今日は花を愛でていた。
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44.10 玉鬘の大君、冷泉院に参院の話
尚侍の君、かくおとなしき人の親になりたまふ御年のほど思ふよりは、いと若うきよげに、なほ盛りの御容貌と見えたまへり。冷泉院の帝は、多くは、この御ありさまのなほゆかしう、昔恋しう思し出でられければ、何につけてかはと、思しめぐらして、姫君の御ことを、あながちに聞こえたまふにぞありける。院へ参りたまはむことは、この君たちぞ、
「なほ、ものの栄なき心地こそすべけれ。よろづのこと、時につけたるをこそ、世人も許すめれ。げに、いと見たてまつらまほしき御ありさまは、この世にたぐひなくおはしますめれど、盛りならぬ心地ぞするや。琴笛の調べ、花鳥の色をも音をも、時に従ひてこそ、人の耳もとまるものなれ。春宮は、いかが」
など申したまへば、
「いさや、はじめよりやむごとなき人の、かたはらもなきやうにてのみ、ものしたまふめればこそ。なかなかにて交じらはむは、胸いたく人笑へなることもやあらむと、つつましければ。殿おはせましかば、行く末の御宿世宿世は知らず、ただ今は、かひあるさまにもてなしたまひてましを」
などのたまひ出でて、皆ものあはれなり。
玉鬘は、このように一人前の方々の親になってそんな年の割には、たいそう若く美しく、なお女ざかりと見えるのだった。冷泉院の帝は、玉鬘を今も心にかかって、思い出されて、何につけても、昔のことを恋しく思いめぐらして、大君の姫のことを、ただ一途に申し入れるのであった。冷泉院へ入内するのは、中将や右中弁の君たちが、
「やはり、何とも張り合いのない気がします。何ごとも、時の勢いにそったやり方を世間もよしとされます。確かに、いつも見ていたい冷泉院のお姿は、この世に類なくおわしますが、盛りが過ぎた心地がします。琴笛の調べ、花鳥の色も音も、時に合ってこそ、人の耳にも残るものです。春宮は如何ですか」
と申せば、
「さあ、それが最初からたいそうなお方が、傍らに並ぶべき人もないようにおりますので、その中で交らうのは、気が重く人の笑い者になるようなこともあろうかと心配されます。殿がおられましたら、行く末の運は分かりませんが、今のことでしたら、栄えある支度をされることでしょう」
など申して、皆しんみりするのだった。
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44.11 蔵人少将、姫君たちを垣間見る
中将など立ちたまひてのち、君たちは、打ちさしたまへる碁打ちたまふ。昔より争ひたまふ桜を賭物にて、
「三番に、数一つ勝ちたまはむ方には、なほ花を寄せてむ」
と、戯れ交はし聞こえたまふ。暗うなれば、端近うて打ち果てたまふ。御簾巻き上げて、人びと皆挑み念じきこゆ。折しも例の少将、侍従の君の御曹司に来たりけるを、うち連れて出でたまひにければ、おほかた人少ななるに、廊の戸の開きたるに、やをら寄りてのぞきけり。
かう、うれしき折を見つけたるは、仏などの現れたまへらむに参りあひたらむ心地するも、はかなき心になむ。夕暮の霞の紛れは、さやかならねど、つくづくと見れば、桜色のあやめも、それと見分きつ。げに、散りなむ後の形見にも見まほしく、匂ひ多く見えたまふを、いとど異ざまになりたまひなむこと、わびしく思ひまさらる。若き人びとのうちとけたる姿ども、夕映えをかしう見ゆ。右勝たせたまひぬ。「高麗の乱声、おそしや」など、はやりかに言ふもあり。
「右に心を寄せたてまつりて、西の御前に寄りてはべる木を、左になして、年ごろの御争ひの、かかれば、ありつるぞかし」
と、右方は心地よげにはげましきこゆ。何ごとと知らねど、をかしと聞きて、さしいらへもせまほしけれど、「うちとけたまへる折、心地なくやは」と思ひて、出でて去ぬ。「また、かかる紛れもや」と、蔭に添ひてぞ、うかがひありきける。
中将たちが立去った後も、姫たちは、途中だった碁を打ち続けた。昔から競った桜を賭けにして、
「三番勝負でひとつ勝ち越せば、花を差し上げましょう」
と遊びに夢中になっている。暗くなり、端近いところで、碁は打ち終わる。御簾を上げて、女房たちがそれぞれ応援している。折しも例の蔵人少将が、藤侍従の君の部屋に来ていて、兄弟は出かけて、邸は人が少なく、廊下の戸が開いていたので、そっと寄って覗き見た。
こんな好機を見つけたのは、仏に巡り会った心地がするのも、あわれな恋心であった。夕暮れの霞がかかって、はっきりしないが、よく見れば桜の色目も見分けられた。桜が散った後の形見にも見ていたいほど華やかに見えて、もし他の人のものになってしまったら、つらい気持ちになるだろう、若い女房たちの打ち解けた姿も夕映えに映えて美しい。右の中の君が勝った。「高麗楽の大声が遅いわね」などと、はしゃいで騒ぐ女房たちもいた。
「右を応援していたのに、西の御前の前の木を、左に寄せたので、年来の争いが、そんなわけで、あったのです」
と右方は楽しそうに応援していた。事情は分からなかったが、おもしろいと思って、口出ししたかったが「くつろいでいるところへ、心ないことは止そう」と思って、そっと離れた。「またこんな機会がないものか」と隠れてうかがっていた。
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44.12 姫君たち、桜花を惜しむ和歌を詠む
君達は、花の争ひをしつつ明かし暮らしたまふに、風荒らかに吹きたる夕つ方、乱れ落つるがいと口惜しうあたらしければ、負け方の姫君、
桜ゆゑ風に心の騒ぐかな
思ひぐまなき花と見る見る

御方の宰相の君、
咲くと見てかつは散りぬる花なれば
負くるを深き恨みともせず

と聞こえ助くれば、右の姫君、
風に散ることは世の常枝ながら
移ろふ花をただにしも見じ

この御方の大輔の君、
心ありて池のみぎはに落つる花
あわとなりてもわが方に寄れ

勝ち方の童女おりて、花の下にありきて、散りたるをいと多く拾ひて、持て参れり。
大空の風に散れども桜花
おのがものとぞかきつめて見る

左のなれき、
桜花匂ひあまたに散らさじと
おほふばかりの袖はありやは

心せばげにこそ見ゆめれ」など言ひ落とす。
姫君たちは、桜の争いなどをしながら日々を暮らしていた、風の強く吹く夕方、桜の花が乱れ落ちるのがとても惜しかったので、負け方の大君が、
(大君)「桜の花が風に散ってゆくのは心が騒ぎます
思いやりのない花ですね」
大君の方の宰相の君、
(宰相の君)「咲いてはすぐ散る花ですから
負けても深く恨まないでしょう」
と詠えば、勝ち方の中の君、
(中の君)「花が風に散るのは世の常ですが
枝ごとこちらのものになった桜は平気でご覧になれないでしょう」
中の君付の女房の大輔の君、
(大輔の君)「こちらに味方の水際に落ちる花よ
泡となってもこちらに寄りなさい」
勝ち方の童女が庭に下りて、花の下に、散った桜をたくさん拾って、持ってきた。
(勝ち方の童女)「大空の風に散っても桜花
自分のものと思ってかき集めました」
負け方の童女馴れの君、
(負け方の童女)「桜の花を散らさないように、
大空を覆うばかりの袖はありましょうか
気が小さいですね」などと、悪口を言う。
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44.13 大君、冷泉院に参院決定
かくいふに、月日はかなく過ぐすも、行く末のうしろめたきを、尚侍の殿はよろづに思す。院よりは、御消息日々にあり。女御、
「うとうとしう思し隔つるにや。上は、ここに聞こえ疎むるなめりと、いと憎げに思しのたまへば、戯れにも苦しうなむ。同じくは、このころのほどに思し立ちね」
など、いとまめやかに聞こえたまふ。「さるべきにこそはおはすらめ。いとかうあやにくにのたまふもかたじけなし」など思したり。
御調度などは、そこらし置かせたまへれば、人びとの装束、何くれのはかなきことをぞいそぎたまふ。これを聞くに、蔵人少将は、死ぬばかり思ひて、母北の方をせめたてまつれば、聞きわづらひたまひて、
「いとかたはらいたきことにつけて、ほのめかし聞こゆるも、世にかたくなしき闇の惑ひになむ。思し知る方もあらば、推し量りて、なほ慰めさせたまへ」
など、いとほしげに聞こえたまふを、「苦しうもあるかな」と、うち嘆きたまひて、
「いかなることと、思うたまへ定むべきやうもなきを、院よりわりなくのたまはするに、思うたまへ乱れてなむ。まめやかなる御心ならば、このほどを思ししづめて、慰めきこえむさまをも見たまひてなむ、世の聞こえもなだらかならむ」
など申したまふも、この御参り過ぐして、中の君をと思すなるべし。「さし合はせては、うたてしたり顔ならむ。まだ、位などもあさへたるほどを」など思すに、男は、さらにしか思ひ移るべくもあらず、ほのかに見たてまつりてのちは、面影に恋しう、いかならむ折にとのみおぼゆるに、かう頼みかからずなりぬるを、思ひ嘆きたまふこと限りなし。
そうこうして、月日はいたずらに過ぎて、玉鬘はあれこれと考える。院から、毎日のように催促の文が来る。院の女御からは、
「よそよそしくお考えなのでしょうか。院はわたくしが邪魔をしているのではないか、と憎らしそうに仰せになり冗談としてもつらいです。どうか、早くご決心ください」
などと、本当に心から申される。「そうなる宿世なのでしょう。かえって丁寧にお勧めくださるのも恐れ多い」と玉鬘は思うのだった。
輿入れの調度類なども、たくさん作らせていたので、女房たちの装束、こまごましたことを用意なさる。これを聞いて、蔵人少将は、死ぬばかりに思って、母の雲居の雁にせがんで、困らせる、
「まことにお恥ずかしいですが、少々お願い申し上げるのも、愚かな親心でございます。同情のお気持ちがございましたら、どうか安心させてください」
などと、不憫でならぬように言われるのを、「困ったわ」と玉鬘は嘆いて、
「どうしたらよいか、決心がつきかねまして、院からもむやみに催促されて、思案にくれています。本心から娘をとの心あらば、今回は辛抱されて、院が慰められるのをご覧になってから、お考えくだされば、世間の聞こえも穏やかでしょう」
などと申すのも、大君の参院をすませてから、中の君をと思っているのだろう。「それが同時になっては、得意顔になってしまう。まだ位なども浅いので」など思うのだが、蔵人少将は、一向に気持ちを移すつもりはなく、ちょっと垣間見てからは、面影が恋しく、また機会があればとのみ思っていて、頼みの綱が切れたので、嘆くこと限りない。
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44.14 蔵人少将、藤侍従を訪問
かひなきことも言はむとて、例の、侍従の曹司に来たれば、源侍従の文をぞ見ゐたまへりける。ひき隠すを、さなめりと見て、奪ひ取りつ。「ことあり顔にや」と思ひて、いたうも隠さず。そこはかとなく、ただ世を恨めしげにかすめたり。
つれなくて過ぐる月日をかぞへつつ
もの恨めしき暮の春かな

「人はかうこそ、のどやかにさまよくねたげなめれ、わがいと人笑はれなる心焦られを、かたへは目馴れて、あなづりそめられにたる」など思ふも、胸痛ければ、ことにものも言はれで、例、語らふ中将の御許の曹司の方に行くも、例の、かひあらじかしと、嘆きがちなり。
侍従の君は、「この返りことせむ」とて、上に参りたまふを見るに、いと腹立たしうやすからず、若き心地には、ひとへにものぞおぼえける。
あさましきまで恨み嘆けば、この前申しも、あまり戯れにくく、いとほしと思ひて、いらへもをさをさせず。かの御碁の見証せし夕暮のことも言ひ出でて、
「さばかりの夢をだに、また見てしがな。あはれ、何を頼みにて生きたらむ。かう聞こゆることも、残り少なうおぼゆれば、つらきもあはれ、といふことこそ、まことなりけれ」
と、いとまめだちて言ふ。「あはれとて、言ひやるべき方なきことなり。かの慰めたまふらむ御さま、つゆばかりうれしと思ふべきけしきもなければ、げに、かの夕暮の顕証なりけむに、いとどかうあやにくなる心は添ひたるならむ」と、ことわりに思ひて、
「聞こしめさせたらば、いとどいかにけしからぬ御心なりけりと、疎みきこえたまはむ。心苦しと思ひきこえつる心も失せぬ。いとうしろめたき御心なりけり」
と、向ひ火つくれば、
「いでや、さはれや。今は限りの身なれば、もの恐ろしくもあらずなりにたり。さても負けたまひしこそ、いといとほしかりしか。おいらかに召し入れてやは。目くはせたてまつらましかば、こよなからましものを」など言ひて、
いでやなぞ数ならぬ身にかなはぬは
人に負けじの心なりけり

中将、うち笑ひて、
わりなしや強きによらむ勝ち負けを
心一つにいかがまかする

といらふるさへぞ、つらかりける。
あはれとて手を許せかし生き死にを
君にまかするわが身とならば

泣きみ笑ひみ、語らひ明かす。
蔵人少将は愚痴でもこぼそうと、例の、藤侍従の部屋に来ると、薫の文を見つけた。隠そうとするのを、さてはと思い、取った。「意味ありげに思われるのも」と思って、しいて隠そうとしない。文には、ただ大君を恨めしくほのめかしている。
(薫)「つれなく過ぎてゆく月日を数えてみれば
恨めしい春の終わりになった」
「あの薫は、かくも悠然と体裁よく振舞っている。自分はなんと見っともない焦っているのか。ひとつには見馴れて、軽く見られている」と思うも、つらいので、黙っている。いつも仲良くしている女房の中将の許へ行くが、例のように駄目だろうと思ってため息をついている。
藤侍従は、「この返事を書こう」として、母玉鬘の所に行くのを見ると、少将は心中穏やかではなく、若い心地で、一途に思い込んでいた。
中将の処でひどく恨み言を言って、中将は冗談もできず、気の毒に思って、黙っている。あの囲碁の判定をした夕暮れのことをまた言い出して、
「あのような夢を、また見たいものだ。ああ、何を頼りに生きていたらいいのか。こんな風にお願いするのも、そう長くないと思います、つれない仕打ちも懐かしく思うのは、本当だね」
とまじめに言う。「あわれと思っても、もうどうしようもないことだ。玉鬘が慰めようとするが、少将は少しもうれしいと思っていないので、実に、あの夕暮れに見た光景で、いよいよどうにもならない思いが生じたのだ、無理もない、と中将は思って、
「それを姫君のお耳に入れたら、いよいよ怪しからん人と、かえって疎んじられそうです。お気の毒と思う心も消えました。油断のならない方ですね」
逆に文句を言うと、
「いや、それならそれでいい。今はいずれ死ぬこの身だから、怖いものはなくなった。それにしても負けたのは、残念だ。目立たぬように。わたしを呼び入れてくださったら。目配せなどしてくれたら、よかったのに」などと言って、
(少将)「ああ、どうしたことか。数ならぬこの身なのに、
負けず嫌いが抑えられないのとは」
中将は、笑って、
(中将)「困りましたね。強い方が勝つのが勝負事です
あなたの心ひとつでどうなるもんでもないでしょう」
と返事をするのも、薄情に思えるのだった。
(少将)「可哀そうと思って、手を差し伸べてください
生き死にはあなた次第のこの身ですから」
泣いたり笑ったりして語り明かした。
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44.15 四月一日、蔵人少将、玉鬘へ和歌を贈る
またの日は、卯月になりにければ、兄弟の君たちの、内裏に参りさまよふに、いたう屈じ入りて眺めゐたまへれば、母北の方は、涙ぐみておはす。大臣も、
「院の聞こしめすところもあるべし。何にかは、おほなおほな聞き入れむ、と思ひて、くやしう、対面のついでにも、うち出で聞こえずなりにし。みづからあながちに申さましかば、さりともえ違へたまはざらまし」
などのたまふ。さて、例の、
「花を見て春は暮らしつ今日よりや
しげき嘆きの下に惑はむ」
と聞こえたまへり。
御前にて、これかれ上臈だつ人びと、この御懸想人の、さまざまにいとほしげなるを聞こえ知らするなかに、中将の御許、
「生き死にをと言ひしさまの、言にのみはあらず、心苦しげなりし」
† など聞こゆれば、尚侍の君も、いとほしと聞きたまふ。大臣、北の方の思すところにより、せめて人の御恨み深くはと、取り替へありて思すこの御参りを、さまたげやうに思ふらむはしも、めざましきこと、限りなきにても、ただ人には、かけてあるまじきものに、故殿の思しおきてたりしものを、院に参りたまはむだに、行く末のはえばえしからぬを思したる、折しも、この御文取り入れてあはれがる。御返事、
「今日ぞ知る空を眺むるけしきにて
花に心を移しけりとも」
「あな、いとほし。戯れにのみも取りなすかな」
など言へど、うるさがりて書き変へず。
翌日は、四月になり、夕霧の子息たちが内裏に参上したが、蔵人少将は、物思いに沈んでいて、母の雲居の雁は、ひどく涙ぐんでいた。夕霧も、
「院がお耳にされれば不快に思われるだろう。何も真剣に取り上げることもあるまい、と思って、玉鬘にお会いした時も、話に出さなかった。わたしが無理を押して申していたら、いくら何でも断らなかったろう」
などと言うのだった、さて例の、
(蔵人少将)「美しい花を見て春は過ごしましたが今日よりは
深い嘆きに惑うことでしょう」
と詠った。
姫の御前にて、上席の女房たちが、この懸想人の、様々に可哀そうな有様をお知らせする中で、中将の御許は、
「生きるか死ぬかと、口だけではなく、本当に苦しそうでした」
などと申し上げれば、玉鬘は、可哀そうにとお聞きになる。夕霧、雲居の雁のお気持ちを思って、どうしても少将の恋の恨みが深いのなら、代わりに中の君をと考えていた折、院への入内を邪魔しようとしているのも気にさわり、いくら立派な人でも、臣下には娘をやらぬ髭黒の遺言だったので、冷泉院に入内するのも、退位後の帝では行く末栄えないだろうし、折しも、この文をあわれに思った。返事は、
(中将)「今日知りました空を眺める風をして
花に心を奪われていたのですね」
「まあ可哀そう。冗談にしてしまうのね」
など言うが、うるさがって書き直さない。
2020.9.9/ 2022.5.22/ 2023.8.16
44.16 四月九日、大君、冷泉院に参院
九日にぞ、参りたまふ。右の大殿、御車、御前の人びとあまたたてまつりたまへり。北の方も、恨めしと思ひきこえたまへど、年ごろさもあらざりしに、この御ことゆゑ、しげう聞こえ通ひたまへるを、またかき絶えむもうたてあれば、被け物ども、よき女の装束ども、あまたたてまつれたまへり。
「あやしう、うつし心もなきやうなる人のありさまを、見たまへ扱ふほどに、承りとどむることもなかりけるを、おどろかさせたまはぬも、うとうとしくなむ」
とぞありける。おいらかなるやうにてほのめかしたまへるを、いとほしと見たまふ。大臣も御文あり。
「みづからも参るべきに、思うたまへつるに、慎む事のはべりてなむ。男ども、雑役にとて参らす。疎からず召し使はせたまへ」
とて、源少将、兵衛佐など、たてまつれたまへり。「情けはおはすかし」と、喜びきこえたまふ。大納言殿よりも、人びとの御車たてまつれたまふ。北の方は、故大臣の御女、真木柱の姫君なれば、いづかたにつけても、睦ましう聞こえ通ひたまふべけれど、さしもあらず。
藤中納言はしも、みづからおはして、中将、弁の君たち、もろともに事行ひたまふ。殿のおはせましかばと、よろづにつけてあはれなり。
四月九日、大君は院に参上する。夕霧は車、前駆の人々を大勢さし上げた。雲居の雁も恨めしいと思ったが、今までさほど親しい姉妹付き合いではなかったが、このことがあって、文を交わすようになった。改めて疎遠になるのもおかしいので、禄や立派な女の装束をたくさん用意した。
「あやしく、気の抜けた少将を見ているので、かねてから承ったこともございませんが、御用を言いつけてくださいませんのも、他人行儀のなさりよう」
と文にあった。穏やかな調子で恨み言をほのめかすのも、お気の毒と玉鬘は思う。夕霧からも文があり。
「自分が参列しようと思っていましたが、物忌がありました。息子たちを手伝いにやるので、思う存分使ってください」
とて、源少将、兵衛佐など、つかわせた。「気持ちは行き届いている」とお礼をさしあげる。紅梅大納言からも女房たちの車が用意された。北の方は、故髭黒の娘の真木柱なので、どちらからみても、親しく交際するはずであったが、そうでもなかった。
藤中納言は、自ら参列して、子息の中将、弁の君らと一緒に行事を執り行う。髭黒が在世であったならと、何ごとにもあわれであった。
2020.9.10/ 2022.5.22/ 2023.8.16
44.17 蔵人少将、大君と和歌を贈答
蔵人の君、例の人にいみじき言葉を尽くして、
「今は限りと思ひはべる命の、さすがに悲しきを。あはれと思ふ、とばかりだに、一言のたまはせば、それにかけとどめられて、しばしもながらへやせむ」
などあるを、持て参りて見れば、姫君二所うち語らひて、いといたう屈じたまへり。夜昼もろともに慣らひたまひて、中の戸ばかり隔てたる西東をだに、いといぶせきものにしたまひて、かたみにわたり通ひおはするを、よそよそにならむことを思すなりけり。
心ことにしたて、ひきつくろひたてまつりたまへる御さま、いとをかし。殿の思しのたまひしさまなどを思し出でて、ものあはれなる折からにや、取りて見たまふ。「大臣、北の方の、さばかり立ち並びて、頼もしげなる御なかに、などかうすずろごとを思ひ言ふらむ」とあやしきにも、「限り」とあるを、「まことや」と思して、やがてこの御文の端に、
あはれてふ常ならぬ世の一言も
いかなる人にかくるものぞは

ゆゆしき方にてなむ、ほのかに思ひ知りたる」
と書きたまひて、「かう言ひやれかし」とのたまふを、やがてたてまつれたるを、限りなう珍しきにも、折思しとむるさへ、いとど涙もとどまらず。
立ちかへり、「誰が名は立たじ」など、かことがましくて、
生ける世の死には心にまかせねば
聞かでややまむ君が一言

塚の上にも掛けたまふべき御心のほど、思ひたまへましかば、ひたみちにも急がれはべらましを」
などあるに、「うたてもいらへをしてけるかな。書き変へでやりつらむよ」と苦しげに思して、ものものたまはずなりぬ。
蔵人少将は、中将に大げさな言葉の限りを、書きならべて、
「いよいよ最後と覚悟の命ですが、さすがに悲しい。あわれと思う、と一言でもかけてくだされば、その言葉を胸にしまって、しばしも命を長らえられます」
などとあるのを、持ってきたので、姫君二人で語らって、たいそうふさいでいらっしゃる。夜昼ご一緒の暮らしに馴染んでいて、西東を隔てる中の戸だけでも邪魔に感じられて、互いに行き来して暮らしているのを、離れ離れになることを悲しんでいる。
念入りに身づくろいをする様子は、本当に美しい。父髭黒の生前の思惑なども思い出して、あわれを感じる時だったのか、少将の文を手に取って見た。「大臣、北の方、立派にお揃いで、恵まれた境遇にあるのに、どうしてわけの分らぬことを言うのかと不思議に思い、「今は限り」とあるのを、「本当だろうか」と思って、そのまま少将の文の端に、
(大君の歌)「あわれという無常の世の一言を
どんな人にかけたらいいのでしょう
この世の無常という点では少しは分かります」
と書いて、「こう言っておやり」と言うのを、中将がそのまま渡す、全く珍しく、今日院に参る日ということを思い、少将は涙がとどまらない。
折り返し、「わたしが恋死にしたら、あなたの名が立つ」などと言訳し、
(少将の歌)「生きるこの世で死ぬのはままなりませんから
あなたのあわれの一言を聞かずに終わってしまうのでしょうか。
塚の上にでもあわれをかけてくれるもみ心がございますなら、死出の旅も急ぎましょう」
などとあるに、「うかつにも返事をしてしまった、書き換えないで」と困って、もう何も喋らない。
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44.18 冷泉院における大君と薫君 〇  この辺りで全体の7割まできた。もう少しだ。頑張りましょう。
大人、童、めやすき限りをととのへられたり。おほかたの儀式などは、内裏に参りたまはましに、変はることなし。まづ、女御の御方に渡りたまひて、尚侍の君は、御物語など聞こえたまふ。夜更けてなむ、上にまう上りたまひける。
后、女御など、みな年ごろ経てねびたまへるに、いとうつくしげにて、盛りに見所あるさまを見たてまつりたまふは、などてかはおろかならむ。はなやかに時めきたまふ。ただ人だちて、心やすくもてなしたまへるさましもぞ、げに、あらまほしうめでたかりける。
尚侍の君を、しばしさぶらひたまひなむと、御心とどめて思しけるに、いと疾く、やをら出でたまひにければ、口惜しう心憂しと思したり。
源侍従の君をば、明け暮れ御前に召しまつはしつつ、げに、ただ昔の光る源氏の生ひ出でたまひしに劣らぬ人の御おぼえなり。院のうちには、いづれの御方にも疎からず、馴れ交じらひありきたまふ。この御方にも、心寄せあり顔にもてなして、下には、いかに見たまふらむの心さへ添ひたまへり。
夕暮のしめやかなるに、藤侍従と連れてありくに、かの御方の御前近く見やらるる五葉に、藤のいとおもしろく咲きかかりたるを、水のほとりの石に、苔を蓆席にて眺めゐたまへり。まほにはあらねど、世の中恨めしげにかすめつつ語らふ。
手にかくるものにしあらば藤の花
松よりまさる色を見ましや

とて、花を見上げたるけしきなど、あやしくあはれに心苦しく思ほゆれば、わが心にあらぬ世のありさまにほのめかす。
紫の色はかよへど藤の花
心にえこそかからざりけれ

まめなる君にて、いとほしと思へり。いと心惑ふばかりは思ひ焦られざりしかど、口惜しうはおぼえけり。
お付きの女房、童、などは見栄えのいい者ばかりをそろえた。院に参内する儀式は、内裏に入内する時と変わりなかった。まず女御の御方の許に行って、尚侍の君は、挨拶をなさった。夜も更けてから、上皇の御殿に参上した。
后、女御など、長年仕えて年老いているので、大君は大そう可愛らしく、年頃の見栄えのする様子をご覧になって、どうして並みのご寵愛ですむだろうか、はなやかで今風の美しさがあった。冷泉院が、普通の身分のように、気楽に暮らしているのが、好ましかった。
尚侍の君は、しばらく院の御所にいると、思っていたのだが、すぐに、そっと退出したので、院は残念に思った。
明け暮れ、薫を御前に召して、本当に、昔の光源氏が成長するに劣らぬ程のご寵愛であった。院の御殿のなかでは、どなたにも親しく、馴れ交らっていた。この大君にも心を寄せている風をよそおって、内心は、自分をどんな風にご覧になっているのかと気にする気持ちもあった。
夕暮れのしめやかな時分、藤侍従と連れ立って歩くと、大君は御前近くの五葉の松に藤が趣ある風で咲いているのを、遣り水のほとりの石に、苔をむしろに愁い顔で眺めていた。それとなく、恋の思いの叶い難い嘆きを語り合った。
(薫)「手に取れるものなら藤の花よ
松よりも鮮やかな色とただ眺めているだけで満足でしょうか」
とて、花を見上げた気色など、藤侍従にはえもいえず切なく気の毒に思われたので、自分でも思い通りにはいかないとほのめかす。
(藤侍従)姉上とは同じ血筋ですが
思い通りにはなりませんでした」
藤侍従は純情なので、薫を気の毒に思った。薫は心を惑わす程ではなかったが、残念とは思った。
2020.9.11/ 2022.5.24/ 2023.8.17
44.19 失意の蔵人少将と大君のその後
かの少将の君はしも、まめやかに、いかにせましと、過ちもしつべく、しづめがたくなむおぼえける。聞こえたまひし人びと、中の君をと、移ろふもあり。少将の君をば、母北の方の御恨みにより、さもやと思ほして、ほのめかし聞こえたまひしを、絶えて訪れずなりにたり。
院には、かの君たちも、親しくもとよりさぶらひたまへど、この参りたまひてのち、をさをさ参らず、まれまれ殿上の方にさしのぞきても、あぢきなう、逃げてなむまかでける。
内裏には、故大臣の心ざしおきたまへるさまことなりしを、かく引き違へたる御宮仕へを、いかなるにか、と思して、中将を召してなむのたまはせける。
「御けしきよろしからず。さればこそ、世人の心のうちも、傾きぬべきことなりと、かねて申しし事を、思しとるかた異にて、かう思し立ちにしかば、ともかくも聞こえがたくてはべるに、かかる仰せ言のはべれば、なにがしらが身のためも、あぢきなくなむはべる」
と、いとものしと思ひて、尚侍の君を申したまふ。
「いさや。ただ今、かう、にはかにしも思ひ立たざりしを。あながちに、いとほしうのたまはせしかば、後見なき交じらひの内裏わたりは、はしたなげなめるを、今は心やすき御ありさまなめるに、まかせきこえて、と思ひ寄りしなり。誰れも誰れも、便なからむ事は、ありのままにも諌めたまはで、今ひき返し、右の大臣も、ひがひがしきやうに、おもむけてのたまふなれば、苦しうなむ。これもさるべきにこそは」
と、なだらかにのたまひて、心も騒がいたまはず。
「その昔の御宿世は、目に見えぬものなれば、かう思しのたまはするを、これは契り異なるとも、いかがは奏し直すべきことならむ。中宮を憚りきこえたまふとて、院の女御をば、いかがしたてまつりたまはむとする。後見や何やと、かねて思し交はすとも、さしもえはべらじ。
よし、見聞きはべらむ。よう思へば、内裏は、中宮おはしますとて、異人は交じらひたまはずや。君に仕うまつることは、それが心やすきこそ、昔より興あることにはしけれ。女御は、いささかなることの違ひ目ありて、よろしからず思ひきこえたまはむに、ひがみたるやうになむ、世の聞き耳もはべらむ」
など、二所ふたところして申したまへば、尚侍の君、いと苦しと思して、さるは、限りなき御思ひのみ、月日に添へてまさる。
七月よりはらみたまひにけり。「うち悩みたまへるさま、げに、人のさまざまに聞こえわづらはすも、ことわりぞかし。いかでかはかからむ人を、なのめに見聞き過ぐしてはやまむ」とぞおぼゆる。明け暮れ、御遊びをせさせたまひつつ、侍従も気近う召し入るれば、御琴の音などは聞きたまふ。かの「梅が枝」に合はせたりし中将の御許の和琴も、常に召し出でて弾かせたまへば、聞き合はするにも、ただにはおぼえざりけり。
あの蔵人少将は、本気でどうしようか、と無茶なこともしかねない気持ちを、抑えきれなかった。求婚していた人々は、中の君へ移る人もあった。母北の方のお恨みの言葉があったので、玉鬘は中の君の婿にもと思って、文を遣わしたが、少将から全く音沙汰なかった。
院には夕霧の子息たちも親しく出入りしていて、大君の入内の後は、少将は全く来なくなった。まれに殿上の間に顔を見せても、情けない思いで、逃げるように退出した。
今上帝は、故髭黒大臣の思惑と異なり、このように故人の意志に反した宮仕えをどうしたものか、兄の中将を召して苦情を申されるのだった。
「帝のご機嫌がよろしくない。それで、世間の人もおかしいと思い、前から奏上していたことと、母上の考えは異なって、このようの決められたのですから、もはやあれこれ申し上げられません、帝がこのように仰せになりましたので、私どもにはおもしろくないです」
と中将は大そう不服に思って尚侍の君を責めるのだった。
「いえそれがね、今急に思い立ったのではないのです。院が熱心においたわしいほど仰せになるので、内裏の交じらいでは後見がなくては、心細いので、今は院は気軽な立場のようですので、お任せしようと思ったのです。誰もが都合の悪いことは、ありのまま助言しないで、今頃むしかえして、右大臣の夕霧も間違っていたと仰せになっているようで、苦しいです。でもこれは前世の因縁でしょう」
とおだやかに仰って、気にしていない。
「昔の宿世は、目に見えないので、院からこうまで熱心に求められれば、これは前世の契りが異なるなどと、どうしてお答えできましょう。内裏の中宮を憚ったと言っても、院にも女御がいるでしょうし、後見とか何とか以前は親しかったとしても、そうはうまくいかないでしょう。
よろしい、拝見していましょう。よく考えますと、中宮がおられるから、誰も宮仕えしなくなるのでしょうか。帝に仕えるということは、それが安心できる点で、興あることなのです。弘徽殿女御とは、ちょっとした行き違いが生じて、不興に思われましたら、うまくいっていないと世間も思うでしょう」
などと、二人から言われると、尚侍の君は、苦しくなって、とは言え、院のご寵愛は限りなく、月日が経つにつれて勝った。
七月に大君は懐妊した。「苦しそうにしている様子は、実に、様々な男たちが求婚して煩わせたのも、もっともだった。どうしてこのような美しい方を普通に見過ごすことができようか」と思われる。明け暮れ、管弦の遊びをして、侍従の薫も側に召されるので、大君の琴の音を聞いていた。あの「梅が枝」に合わせた中将の女房の和琴も、いつも召し出されて弾くので、それと聞いていても、平静ではいられなかった。
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44.20 正月、男踏歌、冷泉院に回る
その年かへりて、男踏歌おとこどうかせられけり。殿上の若人どもの中に、物の上手多かるころほひなり。その中にも、すぐれたるを選らせたまひて、この四位の侍従、右の歌頭なり。かの蔵人少将、楽人の数のうちにありけり。
十四日の月のはなやかに曇りなきに、御前より出でて、冷泉院に参る。女御も、この御息所も、上に御局して見たまふ。上達部、親王たち、ひき連れて参りたまふ。
「右の大殿、致仕の大殿の族を離れて、きらきらしうきよげなる人はなき世なり」と見ゆ。内裏の御前よりも、この院をばいと恥づかしう、ことに思ひきこえて、「皆人用意を加ふる中にも、蔵人少将は、見たまふらむかし」と思ひやりて、静心なし。
匂ひもなく見苦しき綿花も、かざす人がらに見分かれて、様も声も、いとをかしくぞありける。「竹河」謡ひて、御階のもとに踏みよるほど、過ぎにし夜のはかなかりし遊びも思ひ出でられければ、ひがこともしつべくて涙ぐみけり。
后の宮の御方に参れば、上もそなたに渡らせたまひて御覧ず。月は、夜深くなるままに、昼よりもはしたなう澄み上りて、いかに見たまふらむとのみおぼゆれば、踏む空もなうただよひありきて、盃も、さして一人をのみとがめらるるは、面目なくなむ。
年が改まって、男踏歌おとこどうかが行われた。殿上の若人たちの中に、芸達者な者が多かった頃であった。その中でも、すぐれたのを選んで、四位の侍従である薫が右の歌頭であった。あの蔵人少将は楽人の中にいた。
十四日の月があざやかに空に出て、帝の前から冷泉院にまわる。女御も御息所の大君も、上皇に臨席しておられた。上達部や親王たちも連れ立って来た。
「右大臣の夕霧と致仕の大殿の一族の他には、うつくしい貴公子はいないご時世だ」と見える。内裏の御前よりも、院 の方が、格別の所と思って、「誰もが挙動に気をつける中でも、蔵人少将は、大君が見ておられる」と思って、平静ではなかった。
ただ白いだけの見栄えがしない綿花も、かざす人によってかなり違いがあり、姿形も、趣があった。「竹河」謡って、御階の元に踏みよると、あの過ぎた夜のはかない遊びも思い出されて、少将は間違いそうになって涙ぐんだ。
秋好む中宮の宮に行けば、冷泉院も一緒に移って、見学された。月は夜深くなるにつれ、昼よりも明るく澄みわたって、御息所はどう見ているだろうと少将は思っていて、宙を踏む心地で浮ついていて、盃も名指しで飲みっぷりが悪いと咎められて、おもしろくない。
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44.21 翌日、冷泉院、薫を召す
†夜一夜、所々かきありきて、いと悩ましう苦しくて臥したるに、源侍従を、院より召したれば、「あな、苦し。しばし休むべきに」とむつかりながら参りたまへり。御前のことどもなど問はせたまふ。
歌頭かとうは、うち過ぐしたる人のさきざきするわざを、選ばれたるほど、心にくかりけり」
とて、うつくしと思しためり。「万春楽ばんすらく」を御口ずさみにしたまひつつ、御息所の御方に渡らせたまへば、御供に参りたまふ。物見に参りたる里人多くて、例よりははなやかに、けはひ今めかし。
渡殿の戸口にしばしゐて、声聞き知りたる人に、ものなどのたまふ。
† 「一夜の月影は、はしたなかりしわざかな。蔵人少将の、月の光にかかやきたりしけしきも、桂の影に恥づるにはあらずやありけむ。雲の上近くては、さしも見えざりき」
など語りたまへば、人びとあはれと、聞くもあり。
「闇はあやなきを、月映えは、今すこし心異なり、と定めきこえし」などすかして、内より、
竹河のその夜のことは思ひ出づや
しのぶばかりの節はなけれど

と言ふ。はかなきことなれど、涙ぐまるるも、「げに、いと浅くはおぼえぬことなりけり」と、みづから思ひ知らる。
流れての頼めむなしき竹河に
世は憂きものと思ひ知りにき

ものあはれなるけしきを、人びとをかしがる。さるは、おり立ちて人のやうにもわびたまはざりしかど、人ざまのさすがに心苦しう見ゆるなり。
「うち出で過ぐすこともこそはべれ。あな、かしこ」
とて、立つほどに、「こなたに」と召し出づれば、はしたなき心地すれど、参りたまふ。
「故六条院の、踏歌の朝に、女楽にて遊びせられける、いとおもしろかりきと、右の大臣の語られし。何ごとも、かのわたりのさしつぎなるべき人、難くなりにける世なりや。いと物の上手なる女さへ多く集まりて、いかにはかなきことも、をかしかりけむ」
など思しやりて、御琴ども調べさせたまひて、箏は御息所、琵琶は侍従に賜ふ。和琴を弾かせたまひて、「この殿」など遊びたまふ。御息所の御琴の音、まだ片なりなるところありしを、いとよう教へないたてまつりたまひてけり。今めかしう爪音よくて、歌、曲のものなど、上手にいとよく弾きたまふ。何ごとも、心もとなく、後れたることはものしたまはぬ人なめり。
容貌、はた、いとをかしかべしと、なほ心とまる。かやうなる折多かれど、おのづから気遠からず、乱れたまふ方なく、なれなれしうなどは怨みかけねど、折々につけて、思ふ心の違へる嘆かしさをかすむるも、いかが思しけむ、知らずかし。
一晩中あちらこちら歩き回って、ひどく疲れて臥しいたが、院が薫を呼び出されたので、「ああ、疲れた、しばらく休みたい」とぐずぐず言いながら、御前に参じた。院は宮中での様子を問うた。
歌頭かとうは、経験の積んだ人が勤めるものだが、選ばれたのは、大したものだ」
と院はほめて、薫を可愛くてならぬと思うのだった。「万春楽ばんすらく」を口ずさみながら、御息所の方に行かるので、お供した。見物の女房の里人が多く、御所のなかは、いつもより華やかで、賑やかだった。
渡殿の戸口で、声を知っている女房に話して見る。
「昨夜の月影は明るすぎて困りました。蔵人少将が月の光で輝いて見えました、月影の中で堂々としてましたね。さすがに内裏では、かしこまっていましたが」
などと話しかけると、女房の中にはあわれと言う者もいた。
「闇はどうにもなりません。月影に映える姿は、あなた方が美しかった」などとお世辞を言って、簾の中から、
(女房)「竹河を謡ったあの夜をおぼえておりますか
思い出すほどのことでもないのですが」
と言う。何気ない歌だけれど、涙ぐまれるのを、「なるほど、御息所への思いは浅くはなかった」と自ら思い知るのだった。
(薫)「先行きの希望もなくなって
世は憂きものと知りました」
薫のしんみり気落ちした気色を、女房たちは気にとめている。とはいえ、少将のように嘆かない薫の人柄が女房たちの同情をひくのであった。
「長居してお喋りが過ぎるといけません、失礼しよう」
と言って、辞去しようとすると、「こちらに」と院が召されたので、きまり悪かったが、入った。
「故六条院の在世時、男踏歌の朝、女楽を催されて遊んだのが、たいそう趣があったと、右大臣の夕霧が言っていた。何ごとにつけ、あの方の後を継ぐのは、難しいでしょう。上手の夫人が多く集まっていたから、ささやかな催しでも、興があったでしょう」
など思いやって、琴を調律して、筝の琴は御息所に、琵琶は薫に賜った。院は和琴を弾いて、「この殿」など合奏なさる。御息所の琴の音がまだ未熟なところがあったが、院は丁寧に教えておられる。今めかしくはなやかな爪音を鳴らして、歌、曲のものなど、それぞれに上手に弾いた。御息所は何ごとも、こころもとなく、人に劣ったところはない人だ。
顔立ちもとても美しいだろうと想像する。このような機会は多かったが、無遠慮に、我を忘れることはなく、馴れ馴れしく恨みごとを言ったこともないが、折につけて、叶わぬ思いをほのめかすのを、御息所はどう思ったかは、知るところではない。
2020.9.13/ 2022.5.26/ 2023.8.21
44.22 四月、大君に女宮誕生
卯月に、女宮生まれたまひぬ。ことにけざやかなるものの、栄もなきやうなれど、院の御けしきに従ひて、右の大殿よりはじめて、御産養うぶやしないしたまふ所々多かり。尚侍かむの君、つと抱き持ちてうつくしみたまふに、疾う参りたまふべきよしのみあれば、五十日のほどに参りたまひぬ。
女一の宮、一所おはしますに、いとめづらしくうつくしうておはすれば、いといみじう思したり。いとどただこなたにのみおはします。女御方の人びと、「いとかからでありぬべき世かな」と、ただならず言ひ思へり。
正身の御心どもは、ことに軽々しく背きたまふにはあらねど、さぶらふ人びとの中に、くせぐせしきことも出で来などしつつ、かの中将の君の、さいへど人のこのかみにて、のたまひしことかなひて、尚侍の君も、「むげにかく言ひ言ひの果ていかならむ。人笑へに、はしたなうもやもてなされむ。上の御心ばへは浅からねど、年経てさぶらひたまふ御方々、よろしからず思ひ放ちたまはば、苦しくもあるべきかな」と思ほすに、内裏には、まことにものしと思しつつ、たびたび御けしきありと、人の告げ聞こゆれば、わづらはしくて、中の姫君を、公ざまにて交じらはせたてまつらむことを思して、尚侍を譲りたまふ。
朝廷、いと難うしたまふことなりければ、年ごろ、かう思しおきてしかど、え辞したまはざりしを、故大臣の御心を思して、久しうなりにける昔の例など引き出でて、そのことかなひたまひぬ。この君の御宿世にて、年ごろ申したまひしは難きなりけり、と見えたり。
四月に女宮が生まれた。特別晴れがましいこともないのだが、院のご意向もあり、右大臣の夕霧はじめ、産養うぶやしないをする方々がたくさんいた。尚侍かむの君が、ずっと抱いてあやしているので、早く戻ってきなさいと院からの催促があり、五十日くらいで戻った。
女一の宮の母女御がいたのに、本当に久しぶりであって可愛らしいので、院は御息所の御方にのみ来るのだった。女御方の女房たちは、「本当にこんなことはあってほしくない」と不満を言った。
ご本人たち、格別仲たがいすることはなかったが、お付きの者たちの中には、意地の悪いことも起こって、御息所の兄の右近中将の君が、何といっても長兄なので、言ったことが的中して、尚侍かむの君も「あんな風に言いたいように言って、最後はどうなるのだろう。世間の笑い者になって、体裁の悪いことになるだろう。院のご寵愛は浅くはないが、長年仕えて来た方々が、不興に思って、見放されたら、困ったことになるだろう」と思うに、帝がけしからぬことと思って、時々立腹される、と人が告げることがあり、煩わしくなって、中の君を、一般の女官として宮仕えさせようと思って、尚侍かむの職を譲ったのだった。
重責なので、簡単に認められないことだったので、長年辞職しようと思ってたが、辞められなかったのを、故髭黒の御心を尊重して、遠い昔の判例を引き出して、ようやく叶うのだった。中の君の宿世で、長年辞職が難しかったのだと納得するのだった。
2020.9.14/ 2022.5.26/ 2023.8.21
44.23 玉鬘、夕霧へ手紙を贈る
「かくて、心やすくて内裏住みもしたまへかし」と、思すにも、「いとほしう、少将のことを、母北の方のわざとのたまひしものを。頼めきこえしやうにほのめかし聞こえしも、いかに思ひたまふらむ」と思し扱ふ。
弁の君して、心うつくしきやうに、大臣に聞こえたまふ。
† 「内裏より、かかる仰せ言のあれば、さまざまに、あながちなる交じらひの好みと、世の聞き耳もいかがと思ひたまへてなむ、わづらひぬる」
と聞こえたまへば、
「内裏の御けしきは、思しとがむるも、ことわりになむ承る。公事につけても、宮仕へしたまはぬは、さるまじきわざになむ。はや、思し立つべきになむ」
と申したまへり。
また、このたびは、中宮の御けしき取りてぞ参りたまふ。「大臣おはせましかば、おし消ちたまはざらまし」など、あはれなることどもをなむ。姉君は、容貌など名高う、をかしげなりと、聞こしめしおきたりけるを、引き変へたまへるを、なま心ゆかぬやうなれど、これもいとらうらうじく、心にくくもてなしてさぶらひたまふ。
「気楽に宮仕えをしたらよい」と玉鬘は思うが、「少将のことはお気の毒だ、母北の方から文もあったのに。お心に添うように中の君をほのめかしたが、何と思っているだろう」と気にされる。
右中弁の君を使いに出して、他意のないことを夕霧に伝えた。
「帝が、ご不興を申されたとお聞きしまして。あちらにこちらにと、むやみに高望みの宮仕えをしたがる、と世間の手前もあって悩んでおります」
と仰せになって、
「帝が不興で、お咎めなさるのも、ごもっともと思われます。公の職としても、宮仕えしないのは、よくないことです。早く決心されるのがよろしいです」
と夕霧は申すのであった。
今度は、明石の中宮のご機嫌を伺って参上した。「故髭黒の殿がおられたら、中の君をないがしろにはしないだろう」と思うと悲しかった。大君は顔立ちなど美人の誉れ高く、美しい方と帝はお聞きしていて、代わりに中の君を出したのは、ご不満のようであったが、中の君も大そう才気があり、奥ゆかしくお仕えした。
2020.9.15/ 2022.5.27/ 2023.8.22
44.24 玉鬘、出家を断念
前の尚侍の君、容貌を変へてむと思し立つを、
「かたがたに扱ひきこえたまふほどに、行なひも心あわたたしうこそ思されめ。今すこし、いづ方も心のどかに見たてまつりなしたまひて、もどかしきところなく、ひたみちに勤めたまへ」
と、君たちの申したまへば、思しとどこほりて、内裏には、時々忍びて参りたまふ折もあり。院には、わづらはしき御心ばへのなほ絶えねば、さるべき折も、さらに参りたまはず。いにしへを思ひ出でしが、さすがに、かたじけなうおぼえしかしこまりに、人の皆許さぬことに思へりしをも、知らず顔に思ひて参らせたてまつりて、「みづからさへ、戯れにても、若々しきことの世に聞こえたらむこそ、いとまばゆく見苦しかるべけれ」と思せど、さる罪によりと、はた、御息所にも明かしきこえたまはねば、「われを、昔より、故大臣は取り分きて思しかしづき、尚侍の君は、若君を、桜の争ひ、はかなき折にも、心寄せたまひし名残に、思し落としけるよ」と、恨めしう思ひきこえたまひけり。院の上、はた、ましていみじうつらしとぞ思しのたまはせける。
「古めかしきあたりにさし放ちて。思ひ落とさるるも、ことわりなり」
と、うち語らひたまひて、あはれにのみ思しまさる。
玉鬘は、尼になろうと思うが、
「院にも帝にもお世話になっている折から、勤行も気ぜわしいことと思われます。もう少し、どちらの側も落ち着くのを確かめてから、心置きなく、専念して勤行に励まれてはいかがですか」
と中将や弁の君が言うので。出家のことは思いとどまり、内裏には時々忍んでいくが、院の方は、厄介な懸想の気持ちをまだ持っているので、用事がある時でも、めったに行かなかった。昔のことを思い出して、さすがに恐れ多かったお詫びに、世間が皆けしからぬことと思っても、知らん顔をして大君を院にさしあげて、「自分も、戯れにも、年甲斐もなく、浮名をながしたら、本当に顔向けできぬ見苦しいことになろう」と思うが、そうした憚りがあるとは、御息所にも明かせないので、「昔から故大臣の父上はわたしをとりわけ大事にしてくださったのに、母上は中の君との桜争いのようなちょっとしたことでも、贔屓にして、わたしをあまり思ってくださらない」と御息所は恨めしく思った。院はいっそう玉鬘をつれない人だと思い仰せになる。
「年寄りのわたしに、あなたを放っておいて、わたしを軽んずるのも無理はない」
と院はしんみり語らい、思いはいよいよ深まるのだった。
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44.25 大君、男御子を出産
年ごろありて、また男御子産みたまひつ。そこらさぶらひたまふ御方々に、かかることなくて年ごろになりにけるを、おろかならざりける御宿世など、世人おどろく。帝は、まして限りなくめづらしと、この今宮をば思ひきこえたまへり。「おりゐたまはぬ世ならましかば、いかにかひあらまし。今は何ごとも栄なき世を、いと口惜し」となむ思しける。
女一の宮を、限りなきものに思ひきこえたまひしを、かくさまざまにうつくしくて、数添ひたまへれば、めづらかなる方にて、いとことにおぼいたるをなむ、女御も、「あまりかうてはものしからむ」と、御心動きける。
ことにふれて、やすからずくねくねしきこと出で来などして、おのづから御仲も隔たるべかめり。世のこととして、 数ならぬ人の仲らひにも、もとよりことわりえたる方にこそ、あいなきおほよその人も、心を寄するわざなめれば、院のうちの上下の人びと、いとやむごとなくて、久しくなりたまへる御方にのみことわりて、はかないことにも、この方ざまを良からず取りなしなどするを、御兄の君たちも、
「さればよ。悪しうやは聞こえおきける」
と、いとど申したまふ。心やすからず、聞き苦しきままに、
「かからで、のどやかにめやすくて世を過ぐす人も多かめりかし。限りなき幸ひなくて、宮仕への筋は、思ひ寄るまじきわざなりけり」
と、大上は嘆きたまふ。
大君は何年かたって、また男子を産んだ。たくさんお側に仕えている女御たちも、長い間にこのような慶事はなく、並でない宿世に世間は驚いた。まして院はこの上なく珍しいこととこの今宮を思うのだった。「もし退位していなかったら、どんなに張り合いがあったであろう。今は晴れがましいことがないのでとても残念だ」と思った。
女一の宮を、無上のものと思っていたのを、このように皇女皇子が美しくそろって、次々お生まれになったので、格別に寵愛が深まるのを、女御も「あまりにこうでは穏やかではないだろう」と、気をつかった。
ことあるごとに、思いがけない意地の悪いことが起こって、自ずと女御との仲に隔たりが生じた。世の常として、身分の低い者たちの間でも、元からの妻に事情の知らない世間の人も味方するものらしいから、院に仕える上下の人たちは、歴とした身分の人々も、長年仕えた方に道理があるとして、些細なことも、御息所の方をよくないように取りざたするのを、兄弟たちも、
「それご覧。間違ったことは言ってないでしょう」
と母上を責めるのだった。心配で、聞くのもつらく、
「こんな苦労をしないで、のどかに世を過ごす人も多いのに。この上なく幸運に恵まれた人でなければ、宮仕えはやってはいけないのだ」
と玉鬘は嘆くのだった。
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44.26 求婚者たちのその後
††聞こえし人びとの、めやすくなり上りつつ、さてもおはせましに、かたはならぬぞあまたあるや。その中に、源侍従げんじじゅうとて、いと若う、ひはづなりと見しは、宰相の中将にて、「匂ふや、薫るや」と、聞きにくくめで騒がるなる、げに、いと人柄重りかに心にくきを、 やむごとなき親王たち、大臣の、御女を、心ざしありてのたまふなるなども、聞き入れずなどあるにつけて、「そのかみは、若う心もとなきやうなりしかど、めやすくねびまさりぬべかめり」など、言ひおはさうず。
少将なりしも、三位中将とか言ひて、おぼえあり。
「容貌さへ、あらまほしかりきや」
など、なま心悪ろき仕うまつり人は、うち忍びつつ、
「うるさげなる御ありさまよりは」
など言ふもありて、いとほしうぞ見えし。この中将は、なほ思ひそめし心絶えず、憂くもつらくも思ひつつ、左大臣の御女を得たれど、をさをさ心もとめず、「道の果てなる常陸帯の」と、手習にも言種にもするは、いかに思ふやうのあるにかありけむ。
御息所、やすげなき世のむつかしさに、里がちになりたまひにけり。尚侍かむの君、思ひしやうにはあらぬ御ありさまを、口惜しと思す。内裏の君は、なかなか今めかしう心やすげにもてなして、世にもゆゑあり、心にくきおぼえにて、さぶらひたまふ。
大君に懸想していた人々が、順調に昇進して、もし婿になったとしても、不似合いでない人がたくさんいる。その中で、源侍従げんじじゅうの薫は、たいそう若く、弱弱しく見えたが、宰相の中将になり、「匂宮よ、薫よ」と盛んにもて囃されていて、確かに、人柄も重厚で奥ゆかしく、高貴な親王たちや、大臣が娘を結婚させたいとの申し出を、薫は断っていると聞いて、「あの頃は、若く心もとなかったが、立派に一人前になった」などと、玉鬘は話し合っている。
蔵人少将は、三位の中将になり、評判がいい。
「顔立ちだって、申し分ない」
など、いささかねじけた心根の侍女たちは、ひそひそ話で、
「窮屈な院の暮らしよりは臣下がいいかも」
など言うのもいて、気の毒であった。この中将は、今なお御息所への思慕を捨てられず、憂くもつらくも思いながら、左大臣の娘をもらったが、全く大切に思わず、「道の果てなる常陸帯の」と手習いの時にも口癖に言うのは、どう思っているのだろうか。
御息所は気苦労の多い宮仕えの煩わしさに、実家に帰ることが多くなった。玉鬘は、思うようにゆかない様子に、残念に思うのだった。内裏の中の君は、かえって気楽そうに暮らしていて、とてもたしなみも深く、奥ゆかしいという評判だった。
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44.27 薫、玉鬘邸に昇進の挨拶に参上
左大臣亡せたまひて、右は左に、藤大納言、左大将かけたまへる右大臣になりたまふ。次々の人びとなり上がりて、この薫中将は、中納言に、三位の君は、宰相になりて、喜びしたまへる人びと、この御族より他に人なきころほひになむありける。
中納言の御喜びに、前の尚侍の君に参りたまへり。御前の庭にて拝したてまつりたまふ。尚侍の君対面したまひて、
「かく、いと草深くなりゆく葎の門を、よきたまはぬ御心ばへにも、まづ昔の御こと思ひ出でられてなむ」
など聞こえたまふ、御声、あてに愛敬づき、聞かまほしう今めきたり。「古りがたくもおはするかな。かかれば、院の上は、怨みたまふ御心絶えぬぞかし。今つひに、ことひき出でたまひてむ」と思ふ。
「喜びなどは、心にはいとしも思うたまへねども、まづ御覧ぜられにこそ参りはべれ。よきぬなどのたまはするは、おろかなる罪にうちかへさせたまふにや」と申したまふ。
「今日は、さだすぎにたる身の愁へなど、聞こゆべきついでにもあらずと、つつみはべれど、わざと立ち寄りたまはむことは難きを、対面なくて、はた、さすがにくだくだしきことになむ。
院にさぶらはるるが、いといたう世の中を思ひ乱れ、中空なるやうにただよふを、女御を頼みきこえ、また后の宮の御方にも、さりとも思し許されなむと、思ひたまへ過ぐすに、いづ方にも、なめげに心ゆかぬものに思されたなれば、いとかたはらいたくて、宮たちは、さてさぶらひたまふ。この、いと交じらひにくげなるみづからは、かくて心やすくだにながめ過ぐいたまへとて、まかでさせたるを、それにつけても、聞きにくくなむ。
上にもよろしからず思しのたまはすなる。ついであらば、ほのめかし奏したまへ。とざまかうざまに、頼もしく思ひたまへて、出だし立てはべりしほどは、いづ方をも心やすく、うちとけ頼みきこえしかど、今は、かかること誤りに、幼うおほけなかりけるみづからの心を、もどかしくなむ」
と、うち泣いたまふけしきなり。
左大臣が亡くなって、右大臣の夕霧が左大臣へ、藤大納言は、左近衛の大将を兼任の右大臣になる。その下の人々も昇進して、薫中将は、中納言に、三位の中将の君は、宰相になり、この一族以外には人にあらずというご時世であった。
中納言になった挨拶に、玉鬘の君の邸に来た。御前の庭に面してお会いした。尚侍かむの君が対面して、
「このように草深い葎の門の家に、避けずに来られた心ばえにも、まず昔のことが思い出されます」
など仰って、その声、気品があって愛らしくほれぼれするほど晴れやかである。「年をとらないのだ。こうだから、院の上は恨めしい思いが消えないのだ。今にきっと色恋沙汰を起こすだろう」と思った。
「昇進の喜びなどは、わたしにはありませんが、まずご報告と思って参りました。避けずになどと仰るのは、日ごろのご無沙汰を、皮肉に申されたのでしょうか」と薫は言う。
「今日は、年寄りの繰り言など申し上げる折ではない、気が引けますが、わざわざお立ち寄りくださることは滅多にないので、対面でなくては、話しにくいことなのです。
冷泉院に仕えている大君が、宮仕えに思い悩み、宙に浮いたように里にも戻ったりしてますが、一の宮の女御を頼りまた秋好む中宮にもお許しいただけると、思っておりましたが、どちらにも、礼儀知らずで堪忍できぬ者と思われて、具合いが悪いことになり、宮たちは院のところにおります。こうした宮中の交じらいがうまくゆかず、こうしてのんびり過ごせばと思って、里帰りさせたのであるが、それにつけて、聞き苦しい噂が立った。
院までが好ましくないと仰せになる。ついでがあったら、院にそれとなく取りなしてください。中宮といい女御といい、頼りにしてまして、出仕の当座は、どちらも気安く、打ち解けて頼みにしてましたが、今は、こうした誤りに、身の程知らずだったわたくしの料簡がいけなかった」
と、泣いている気色であった。
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44.28 薫、玉鬘と対面しての感想
「さらにかうまで思すまじきことになむ。かかる御交じらひのやすからぬことは、昔より、さることとなりはべりにけるを、位を去りて、静かにおはしまし、何ごともけざやかならぬ御ありさまとなりにたるに、誰れもうちとけたまへるやうなれど、おのおのうちうちは、いかがいどましくも思すこともなからむ。
人は何の咎と見ぬことも、わが御身にとりては恨めしくなむ、あいなきことに心動かいたまふこと、女御、后の常の御癖なるべし。さばかりの紛れもあらじものとてやは、思し立ちけむ。ただなだらかにもてなして、ご御覧じ過ぐすべきことにはべるなり。男の方にて、奏すべきことにもはべらぬことになむ」
と、いとすくすくしう申したまへば、
「対面のついでに愁へきこえむと、待ちつけたてまつりたるかひなく、あはの御ことわりや」
と、うち笑ひておはする、人の親にて、はかばかしがりたまへるほどよりは、いと若やかにおほどいたる心地す。「御息所も、かやうにぞおはすべかめる。宇治の姫君の心とまりておぼゆるも、かうざまなるけはひのをかしきぞかし」と思ひゐたまへり。
尚侍ないしのかみも、このころまかでたまへり。こなたかなた住みたまへるけはひをかしう、おほかたのどやかに、紛るることなき御ありさまどもの、簾の内、心恥づかしうおぼゆれば、心づかひせられて、いとどもてしづめめやすきを、大上は、「近うも見ましかば」と、うち思しけり。
「そこまで深刻になることはありません。こうした後宮の交じらいが楽ではないことは、昔から、当たり前のことなので、院は退位して、ひっそりお暮しで、何ごともはなやかにならぬ日常になったので、どなたも気楽にお過ごしのようですが、それぞれの胸の内では、どうしかして人に勝とうと思っておるものです。
人から見れば、何の過ちもないことでも、自分にとっては、恨めしく、些細なことにもお腹立ちをするのは、女御、后の常です。その程度の小さないざこざも起こらぬものとして、宮仕えに出したのでしょう。たださりげなく素直に振舞って、何ごともなく過ごすのがよいのです。男のわたしが奏すべき問題でもございません」
と全くとりつくしまもなく申されるので、
「お目にかかったついでに愚痴も聞いていただこうと、待っていたのに気のないご意見ですこと」
と苦笑しておられる、玉鬘の様子は、子を持つ親として、てきぱきと処理している割には大そう若々しくおっとりしている。「御息所も、このように様子なのだろう。宇治の姫君に心を寄せるのも、こういうところがいいのだ」と思うのだった。
中の君も、里に下がってた。お二人がこちらあちらと住んでいる気配ははなやかだった、すべてのんびりして、雑事に煩わされることないご様子で、御簾の中は、こちらが気後れするような気配なので、玉鬘は、「これが婿として世話するのだったら」とちらっと思う。
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44.29 右大臣家の大饗
大臣の殿は、ただこの殿の東なりけり。大饗の垣下の君達など、あまた集ひたまふ。兵部卿宮、左の大臣殿の賭弓のりゆみ還立かえりだち相撲すもう饗応あるじなどには、おはしまししを思ひて、今日の光と請じたてまつりたまひけれど、おはしまさず。
心にくくもてかしづきたまふ姫君たちを、さるは、心ざしことに、いかで、と思ひきこえたまふべかめれど、宮ぞ、いかなるにかあらむ、御心もとめたまはざりける。源中納言の、いとどあらまほしうねびととのひ、何ごとも後れたる方なくものしたまふを、大臣も北の方も、目とどめたまひけり。
隣のかくののしりて、行き違ふ車の音、先駆追ふ声々も、昔のこと思ひ出でられて、この殿には、ものあはれにながめたまふ。
「故宮亡せたまひて、ほどもなく、この大臣の通ひたまひしほどを、いとあはつけいやうに、世人はもどくなりしかど、かくてものしたまふも、さすがなる方にめやすかりけり。定めなの世や。いづれにか寄るべき」などのたまふ。
右大臣の邸は、玉鬘邸の東にあった。任官披露の祝宴には、相伴役の君達など、大勢が集まった。兵部卿宮が、左大臣家の賭弓のりゆみ還立かえりだち相撲すもう饗応あるじに参列したので、今日の花となるべく招待したが、参列しなかった。
大切に育てた姫君たちを、実は、心積もりがあり、是非もらってくれないかと思っているのだが、匂宮は、どういうわけか、心に留めないのだった。それでは、源中納言の薫が、年とともに立派に成長されて、何ごとも人に劣ったところがなく、大臣も北の方も、婿の候補にと目をつけていた。
隣の邸が騒がしく、行き交う車の音、先駆追う声々など、昔のことだ思い出され、玉鬘邸はしんみりと物思いに沈んでいる。
「蛍兵部卿宮が亡くなってから、ほどなく、この右大臣が真木柱のもとに通い始めたのを、軽薄なことと、世間は悪く言っていたが、こうして落ち着いているところを見ると、さすがに立派なもの。定めなき世、女の運は分からない。誰を頼ったらいいのか」と玉鬘は思う。
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44.30 宰相中将、玉鬘邸を訪問
左の大殿の宰相中将、大饗のまたの日、夕つけてここに参りたまへり。御息所、里におはすと思ふに、いとど心げさう添ひて、
「朝廷のかずまへたまふ喜びなどは、何ともおぼえはべらず。私の思ふことかなはぬ嘆きのみ、年月に添へて、思うたまへはるけむ方なきこと」
と、涙おしのごふも、ことさらめいたり。二十七、八のほどの、いと盛りに匂ひ、はなやかなる容貌したまへり。
「見苦しの君たちの、世の中を心のままにおごりて、官位をば何とも思はず、過ぐしいますがらふや。故殿のおはせましかば、ここなる人びとも、かかるすさびごとにぞ、心は乱らまし」
とうち泣きたまふ。右兵衛督、右大弁にて、皆非参議なるを、うれはしと思へり。侍従と聞こゆめりしぞ、このころ、頭中将と聞こゆめる。年齢のほどは、かたはならねど、人に後ると嘆きたまへり。宰相は、とかくつきづきしく
左大臣夕霧の子蔵人少将から昇進した宰相中将は、大饗の翌日、夕方玉鬘を尋ねた。御息所が里帰りしているので、大そう気遣いして、
「帝から人数の加えられrた昇進の喜びなどは、何とも思いません。わたしの思いが叶わぬ嘆きだけが、年月を経ても、思いを晴らせないので」
涙を拭うのも、わざとらしい。二十七、八ほどの、男盛りで人目をひく立派な顔立ちをしている。
「困ったお坊ちゃんが、世の中を軽んじて、官位を何とも思わず暮らしている。故髭黒殿がいましたら我が家の息子たちも、こんな遊びに心を悩ましていただろう」
と玉鬘は、嘆くのだった。子供たちは、右衛門督、右大弁になり、皆非参議なのを、情けないと思っている。藤侍従と呼ばれた三男は、頭中将となった。年齢からすれば遅くはないが、昇進が人より遅いと嘆いた。宰相は、何やかやとうまいこと言ってきて。
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読書期間2020年9月1日 - 2020年9月17日