紫式部集 注釈

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 歌の作者の記載について・・・歌の末尾に括弧付きでその歌の詠者をつけました。いろいろ評釈書を漁りましたが、詠者を書いている書は見つかりませんでした。しかし紫式部集を読んで、その歌が誰の歌か分からず戸惑いました。評釈を見ても意見が分かれています。詞書から他人の歌だろうと思っていても、『千載和歌集』に紫式部の歌と出ていると、作者を(式部)としたケースも再三ありました。このサイトにのせたものは管理人の私見で詠者をつけましたので、間違っている場合は、お手数ですが、ご指摘願います。・・・管理人

 

0001 めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜はの月かな (式部)
(状況)『新古今和歌集』『百人一首』に所収。/幼い頃から友達だった人に何年かたって出会ったところが、この女友達は親が国司で、親と共に地方へ行き、親の任期が終わって上京したので、お互い再会できた。/ めぐりあいて 「月」の縁語。// 七月十日は当時でいえば初秋、今の暦なら八月中旬になろう。十日の月は夜半に入る。友だちはもちろん女友だちで、当時の女の人は姿を見られないように夜になってから外出することもあったらしく、この人も暮れるのを待って出かけてきたのであろう。すぐ辞去している様子から察して、夜も更けてから来たのであろうか(この項『紫式部』清水好子著より)
// 久しぶりでやっとお目にかかりましたのに、あなたなのかどうか見分けられないうちにお帰りになり、夜中の月が雲に隠れたように心残りでした(新潮)/ 久しぶりに出逢ってお会いしたのに、昔のままのあなたであったかどうであったか見分けのつかないうちに急いで姿を隠してしまった夜半の月影のようなあなたでしたね(渋谷)/久しぶりにめぐりあって、やっとのことで会えたのに、確かに昔のあなただと、友情を確認する余裕もなくて、あなたは私の前からすぐに姿を消してしまった。まるで雲に隠れる月のように(全釈)
0002 鳴きよわるまがきの虫もとめがたき 秋の別れや悲しかるらむ  (式部)
(状況)『千載和歌集』に所収。
// まがきに力なくなく鳴く虫も、遠くへ行くあなたを引きとめられない秋の果てのこの別れが、私と同様悲しいのでしょうか(新潮)/ 鳴き弱った垣根の虫も行く秋を止めがたいようにわたしもあなたが遠い国へ下って行くのを止められません 秋の別れは何と悲しいことなのでしょう(渋谷)/ 鳴き弱る、籬の虫も、私と同様、止めることができない、秋という季節との別れが、悲しいのだろうか(全釈)
0003 露しげきよもぎが中の虫の音を おぼろけにてや人の尋ねむ  (式部)
(状況)『千載和歌集』に所収。
//露いっぱいの蓬の中で鳴いている虫の声を、並一通りの思いで人は聞きに来るでしょうか。こんなあばらやへ、私などに琴を習いに来ようとは酔狂な方ですね(新潮)/ 露がしとどにおいた草深い庭の虫の音のようなわたしの琴の奏法を 並み大抵の人は訪ねて来ないでしょう、まことにご熱心なこと/ 露いっぱいの、蓬生の中の、虫の音を、聞くためにわざわざ訪ねてくる人などいないでしょう。お申し出は有難く感謝しますが、わびしい暮らしの中で慰めに爪弾いているだけの私の琴を聴きに来られても、きっと無駄足になると思いますよ(全釈)(渋谷)       
0004 おぼつかなそれかあらぬか明けぐれの そらおぼれする朝顔の花  (式部)
(状況)『続拾遺和歌集』に所収。0004・0005とも解釈が難しい歌。
「なまおぼおぼしきこと」真意の分りかねる言動。歌から推定するなら、作者と姉のいる部屋へやってきて、二人のどちらに対してともなく色めいたことを語りかけたのであろう。
// どうも解しかねます。昨夜のあの方なのか別の方なのかと。お帰りの折、明けぐれの空の下でそらとぼけをなさった今朝のお顔では(新潮)/ はっきりしませんね。そうであったのか、そうではなかったのか、まだ朝暗いうちにぼんやりと咲いている朝顔のような、今朝の顔は(渋谷)/ よく分からないことです。あなたが帰ってしまわれたのは、あなたのおっしゃった「よそよそしいこと」が理由なのか、それとも別な理由があるのでしょうか。夜がまだ明けきらない薄暮い空のもと、あなたは朝早くにそらとぼけた顔で帰ってゆかれましたけれど、私たちの関係はそんな」儚いものだったのでしょうか。この朝顔の花のように(全釈)
0005 いづれぞと色分くほどに朝顔のあるかなきかになるぞわびしき  (素性のわからぬある男)
(状況) 「手を見わかぬにやありけむ」誰の筆跡か見分けがつかなかったのだろうか。紫式部には姉がいて早くに亡くなったと思われる・この歌は姉が生きていた幼少期のことで、方違えに訪問した男が姉妹になにかよからぬいたずらをしたと想像されるが、状況はよくわからぬまま、謎のうたのようです。
//ご姉妹のどちらから贈られた花かと筆跡を見分けようとしているうちに、朝顔の花があるかなきかにしおれてしまって切ない思いです(新潮)/ どちらからの筆跡かと見分けているうちに、朝顔の花のように萎れてしまいそうになるのが辛いことです(渋谷)/ (全釈)
0006 西の海を思ひやりつつ月見れば ただに泣かるるころにもあるかな (筑紫へ行く人の娘)
//これから行く遠い西の海のことをおもいやりつつ月を見ると、ただ泣けてくるこの頃です。(新潮)/ 西の海を思ひやりながら月を見ているとただ泣けてくる今日このごろです(渋谷)/ 都から遠く離れた九州のことを、ずっと思い続けて、月をながめていると、ただもう自然と泣けてくる、この頃です(全釈)
0007 西へ行く月の便りにたまづさの かき絶えめやは雲のかよひぢ  (式部)
(状況)「たまづさ」手紙。「雲のかよひじ」雲の中にあると見たてられた通路。
// 月は雲の中の通路を西へ行きますが、その西へ行く好便にことづけるあなたへのお手紙が絶えるようなことがありましょうか。(新潮)/ 西へ行くあなたへの手紙は毎月のようにけっして書き絶えることはしません、空の通路を通して(渋谷)/ 雲の中の通路を西へ」進んで行く、月にことづけるので、あなたと音信不通になることがどうしてありましょうか。ありません。手紙は雲の通い路でとどけます(全釈)
0008 露深く奥山里のもみぢ葉に かよへる袖の色を見せばや (遠くへ赴任する人の妻か娘)
(状況)木の葉が紅葉するのは、露や時雨が色を染めるからとされ、袖が血の涙にねれて、紅葉の色に似ているというのは、悲しみの極みに達すると血の涙出るという故事によっている。
//しっとりと露のおいている奥山里のもみじ葉はこのように色濃いことですが、涙に染まってこのもみじ葉の色に似た私の袖の色をお見せしたいものです(新潮)/ 露が深く置いている奥山里のもみぢ葉に似かよった袖の色をお見せしたいですね(渋谷)/ 露が深く置いて真赤に紅葉した、この奥山の山里の、紅葉の葉の色に、よく似通っている血の涙に染まった私の袖の、色をあなたに見せたいものです(全釈)
0009 嵐吹く遠山里のもみぢ葉は 露もとまらむことのかたさよ (式部)
//嵐の吹く遠い山里のもみじの葉は、少しの間でも木に止まっていることはむつかしいでしょう。そのようにあなたを連れてゆこうとする力が強くては、都に留まることは困難でしょう(新潮)/ 烈しい風が吹く遠くの山里のもみぢ葉は露を少しの間でも留まらせることが難しいように、あなたも都に留まることは難しいのでしょうね(渋谷)/ 嵐が吹く、遠山の山里の、紅葉の葉は、わずかでも枝にとどまることがなく、露で紅葉が進むこともないでしょう。ですから、血の涙であなたの袖の色が染まることもないのではないですか。結局は、あなたも都にとどまるのは難しいとおもいますよ。(そんなに悲しまないで、付いてゆくことに心をお決めなさい)(全釈)
0010 もみぢ葉を誘ふ嵐は早けれど 木の下ならで行く心かは  (遠くへ赴任する人の妻か娘)
//もみじ葉を誘って散らせる嵐は、速く吹きますが、木の下でない所へ行く気になれるものですか。私を連れてゆこうとする力は強いのですが、都以外の所へは行き気になれません。(新潮)/ もみぢ葉を誘う嵐は疾いけれど木の下でなくては散り行く気持ちにもなれません(渋谷)/ 紅葉の落葉を、誘う嵐は激しいけれど、紅葉は散りたくないでしょう。私もあなたのいるこの都から旅立ってゆくことなど考えたくありません(全釈)
0011 霜氷り閉ぢたるころの水茎は えも書きやらぬ心地のみして  (式部)
(状況)『玉葉和歌集』に所収。「水茎」川の堤や池の堰から漏れてくる細流。また筆のこと。
//凍てついた霜が流れをとざしているこの頃のような私の筆ではお慰めの手紙を書けない思いがするばかりでして(新潮)/ 霜や氷りが閉ざしているころの筆は十分に書ききれない気持ちばかりがしています(渋谷)/ 霜で凍てついたこの頃の筆ではすらすらと書けない感じがして、お慰めすべき筆が進みません(全釈)
0012 行かずともなほ書きつめよ霜氷り 水の上にて思ひ流さむ (式部)
(状況)返事に二首(0011・0012)詠んだ事になる。「ゆかず」筆が進まない。「水のそこ」み水くきの流れの下で、すなわち便りによって。
//たとい筆が進まなくても、やはりお考えをいろいろ書いてお聞かせください。そうしたら、凍てついた霜のようにとざされた胸の思いも、あなたのお便りで晴らしましょう(新潮)/ たとい筆が進まなくても今まで同様に便りを書き集めて送ってくださいね、霜や氷に閉ざされたわたしの心もあなたの便りによってもの思いを流せましょうから(渋谷)/ たとえ筆が凍てついてうまく書けなくとも、それでもやはり、あなたのお考えをいろいろと書いて、かき集めて届けてください。凍てついた霜を水面に流すように、あなたのお考えを参考にして私の悩みの解決策を思いめぐらしたいです(全釈)
0013 ほととぎす声待つほどは片岡の 森の雫に立ちや濡れまし (式部)
(状況)『新古今和歌集』に所収。
//「ほととぎす鳴かなむ」時鳥が鳴いてほしいわね。時鳥の鳴くのを待つ間は、片岡の森の中に立って、木々のしたたる露にぬれようかしら(新潮)/ ほととぎすの鳴く声を待つ間は、車の外に立って、片岡の森の雫に濡れましょうかしら(渋谷)/ ホトトギスの声を待つ間は、片岡杜の森の、朝霧の雫に立ったまま濡れていようかしら(全釈)
0014 祓へどの神のかざりのみてぐらに うたてもまがふ耳はさみかな (式部)
「ついたち」は、河原に出て祓えをする。祓は陰陽師が執行するものだが、法師も内職に陰陽師の役をはたした。紙冠は紙を三角に折って額につける。「耳はさみ」紙冠は三角に折った神の底辺を額につけ、その両端を耳にはさむのでこういった。
//祓戸の神の神前に飾った御幣に、いやに似通っている耳にはさんだ紙冠だこと(新潮)/ 祓へどの神の前に飾った御幣にいやに似通った紙冠ですこと(渋谷)
0015 北へ行く雁の翼に言伝てよ 雲の上がきかき絶えずして  (式部)
(状況)『新古今和歌集』に所収。作者には一人の姉がいた。その死亡年月は不明だが、詞書からすれば、長徳二年(996)父為時が越前守となる以前だったことがわかる。また、妹を亡くした人とは、父為時の姉妹で、肥前守平維将の妻となった人の娘であろうといわれる。「雁」に手紙を託すのは、漢の武が雁の脚に手紙をつけて送った故事による。「雲の上書き」手紙の表書きのこと。
// 北へ飛んでゆく雁の翼にことづけてください。今まで通り手紙の上書きを絶やさないで(新潮)/ 北へ飛んで行く雁の翼に便りを言伝てください雁が雲の上を羽掻きするように、手紙を書き絶やさないで(渋谷)/ 北へ帰って行く雁の、雲の上を飛んでいく翼に伝言してください。お手紙をこれからも書き絶やすことなく(全釈) /
0016 行きめぐり誰れも都に鹿蒜山かえるやま 五幡いつはたと聞くほどのはるけさ  (西の海の人)
//お互いに遠く別れて国々をめぐって、時が来れば、誰もみな都へ帰ってくるのですが、あなたの行かれる所には、かえる山や五幡という所があると伺いますと、遠く離れることが思われて、一体いつまたお目にかかれるのかと心細いことです(新潮)/ 遠くへ行っても廻って都に、鹿蒜山かへるやまではありませんが、帰ってきますがまた五幡いつはたありませんが、何時のことかと聞くだけでもはるか先に思われます(渋谷)/ あなたの行かれる越前には、再び時期がめぐってきて誰も都へ帰るという「帰(鹿蒜)山」がありますが、それが「いつ又」という「五幡」という地名もあると聞きますと、再会はほんとうに遙か先のことと思われて、悲しくなります(全釈)
0017 難波潟群れたる鳥のもろともに 立ち居るものと思はましかば  (式部)
(状況)『続拾遺和歌集』に所収。詞書から、友人が詠った歌のように思えるが、『続拾遺和歌集』にも『歌枕名寄』にも紫式部の歌としているので、それに従う他なし。式部は津の国へ行っていないはず。「津の国」大阪府でここから船に乗ったのだろう。
//ここ難波の干潟に群れている水鳥のように、あなたと起居を共にしているのだと思えたら、どんなに嬉しいでしょう(新潮)/ 難波潟に群れている水鳥のようにあなたと一緒に暮らしていられるものと思えたらいいのですが(渋谷)/ 難波の干潟に、群がっている鳥のように、あなたと共に起居できると、思えるのであれば・・・(どんなにうれしいでしょうに)(全釈)
0018 あひ見むと思ふ心は松浦なる 鏡の神や空に見るらむ  (式部)
(状況)『新千載和歌集』に所収。
// あなたに逢いたいと思う私のこの心は、そちらの松浦に鎮座まします鏡の神様が空からご覧になっているでしょう(新潮)/ あなたにお逢いしたいと思うわたしの心は、松浦に鎮座する鏡の神が空からお見通しくださることでしょう(渋谷)/ 会いたいと思う私の心を、(あなたのいらっしゃる肥前の国の)松浦の郡に鎮座する鏡明神は、いまごろ空から御照覧になっているでしょうか(全釈)
0019 行きめぐり逢ふを松浦の鏡には 誰れをかけつつ祈るとか知る  (肥前へ行った友人)
//遠い国をめぐりめぐって都で再び逢えるように待ち望む私は、ここ松浦の鏡神社の神様に、誰のことを心にかけてお祈りしているか、おわかりでしょうか(新潮)/ めぐり逢うことを待つという、松浦の鏡の神に対して誰を心にかけつつ祈っているとあなたはお分かりでしょうか(渋谷)/ 再び時期がめぐってきて、あなたに会える日を待っているのに、(こんなに長い間、会えないなんて)松浦に鎮座する鏡明神におかれては、誰のことを私がずっと心にかけて祈っているか、ご存じなのか。ご存じないのではないでしょうか(全釈) 
0020 三尾の海に網引く民の手間もなく 立ち居につけて都恋しも  (式部)
(状況)「三尾が崎」琵琶湖の西岸、滋賀県高島郡安曇川町三尾里付近一帯。長徳二年(996)、父為時が越前へ赴任する。20・21・22・23・24は式部が越前へ下向した時の歌。
// 三尾が崎で網を引く漁民が、手を休めるひまもなく、立ったりしゃがんだりして働いているのを見るにつけて、都が恋しい(新潮)/ 三尾の海で漁民がせわしなく網を引いて働いているその立ち居を見るにつけても都が恋しいことよ(渋谷)/ 三尾の海で網を引く漁民の手を休めるひまもなく、立ち働く様子を見るにつけて、都が恋しいことだ(全釈)
0021 磯隠れ同じ心に田鶴ぞ鳴く なに思ひ出づる人や誰れそも  (式部)
(状況)「磯の浜」は琵琶湖の北、坂田郡米原町磯の浜。
(状況)越前下向は夏に琵琶湖西岸を辿り、帰路は、0072の詞書によれば冬で、琵琶湖東岸を通っている。
//磯の浜のものかげで、私と同じようにせつなさそうに鶴が鳴いている。一体お前の思い出しているのは誰なのか(新潮)/ 磯の隠れた所でわたしと同じ気持ちで鶴が鳴いているが何を思い出し誰を思ってなのだろうか(渋谷)/ 湖岸の岩陰に隠れて、私と同じ心で鶴が鳴いていることだ。おまえが思い出しているひとは、いったい誰なのか(全釈)
0022 かき曇り夕立つ波の荒ければ 浮きたる舟ぞしづ心なき  (式部)
『新古今和歌集』に所収。
// 空一面が暗くなり、夕立を呼ぶ波が荒いので、その波に浮いている舟は不安なことだ(新潮)/ 空がかき曇って夕立ちのために波が荒くなったので浮いている舟の上で落ち着いていられない(渋谷)/ 空が急に暗くなり、夕方に起こり立つ浪が荒いので、湖に浮いている舟は揺れて落ち着かないことだ (全釈)
0023 知りぬらむ行き来にならす塩津山 世にふる道はからきものぞと  (式部)
(状況)『続古今和歌集』に所収。塩津山「伊香保郡西浅井町塩津付近の山。塩津は琵琶湖の北端にあり、北陸へ向かうときの要港であった。
//お前たちもわかったでしょう。いつも行き来して歩き馴れている塩津山も、世渡りの道としてはつらいものだということが(新潮)/ 知っているのだろう、行き来に慣れた塩津山の古くからある世渡りの道は辛く塩辛いものだと(渋谷) / あなたたちはどうして知ったのでしょうね。往ったり来たりと歩き馴れている塩津やまで、この世を暮らし過ごす道がつらいものだと(全釈)
0024 おいつ島島守る神がやいさむらむ 波も騒がぬわらはべの浦  (式部)
(状況)帰路の歌である。
//おいつ島を守っている神様が、静かにするよういさめたためだろうか、わらわべの浦は波も立たずきれいだこと(新潮) / おいつ島を守る神様は静かになさいと諌めるのでしょう波も騒がないわらわべの浦ですこと(渋谷)/ 老つ島を守る神が諫めるからだろうか、波も騒がない静かな童の浦よ(全釈)
0025 ここにかく日野の杉むら埋む雪 小塩の松に今日やまがへる  (式部)
「日野岳」越前の国府のあった武生市の東南にあっる標高800メートルの山/「小塩山」は京都市西京区大原野南春日町の西部にあり、都の近くで歌に詠まれなじみのある山である。
//こちらでは、日野岳に群立つ杉をこんなに埋める雪が降っているが、都でも今日は小塩山の松に入り乱れて降っているのだろうか(新潮)/ ここ越前の国府にこのように日野山の杉むらを埋める雪は都で見た小塩山の松に今日は見まちがえることです(渋谷)/ ここでこのように、日野山の杉林を埋めている雪は、都で見ていた小塩山の松に、今日どうして見間違えることがありましょうか。全く異なる風景ですね(全釈)
0026 小塩山松の上葉に今日やさは峯の薄雪花と見ゆらむ (式部)
//小塩山の松の上葉に、今日はおっしゃるように初雪が降って、峯の薄雪は花の咲いたように見えることでしょう(新潮)/ 小塩山の松の上葉に今日はおっしゃるように雪が降って、その峯の薄雪は花と見えるのでしょう(渋谷)/ ここでこのように、日野山の杉林を埋めている雪は、都で見ていた小塩山の松に、今日どうして見間違えることがありましょうか(全釈)
0027 ふるさとに帰る山路のそれならば 心やゆくと雪も見てまし  (式部)
//故郷の都へ帰るという名のあるあの鹿蒜山(かえるのやま)の雪の山ならば、気が晴れるかと出かけて行って見もしましょうが(新潮)/ 故郷に帰るという鹿蒜山の雪ならば気も晴れるかと出て見ましょうが (渋谷)/ 故郷に帰る山路にある帰(鹿蒜)山ならば、心が晴々するかと、出かけてゆき、その雪山を見ることもしましょうが・・・(全釈)
0028 春なれど白根の深雪いや積もり解くべきほどのいつとなきかな  (式部)
(状況)作者らが越前へ下った前年の長徳元年(995)九月に、宋人が七十余人若狭国に漂着し、越前国に移されていた。その宋人を見にゆこうといっていた人とは父の友人であり、作者の夫となった人(宣孝)であろう。「春はとく来るものと、いかで知らせたてまつらむ」春には氷がとけるもの。あなたの心も私に打ち解けるものだと知らせたい。
// 春になりましたが、こちらの白山の雪はいよいよ積もって、おっしゃるように解けることなんかいつのことかしれません(新潮)/ 春とはなりましたが、白山の深雪はますます降り積もっていつ雪解けとなるかは分かりませんわ(渋谷)/  もう春だけれど、まるで季節を知らないかのように、白山の深い雪はますます降り積り、雪が解けるのは、いつになるかまったくわからないですね(全釈)
0029 湖の友呼ぶ千鳥ことならば八十の湊に声絶えなせそ  (式部)
(状況)近江の守の娘に言い寄っている男とは、作者に「二心ない」と求婚する宣孝だろう、と推定されている。
//近江の湖に友を求めている千鳥よ、いっそのこと、あちこちの湊に声を絶やさずかけなさい。あちこちの人に声をおかけになるといいわ(新潮)/ 湖の友を呼ぶ千鳥よ、同じことならばたくさんの湊に声をかけなさい (渋谷)/ 湖の友を求めている千鳥よ、いっそのこと、あちこちの湊に、声を絶やさずかけなさい(全釈)
0030 四方の海に塩焼く海人の心から 焼くとはかかる投げ木をや積む (式部)
(状況)『続千載和歌集』に所収。歌の状況がわかりずらい。絵を描いてそれを送ってきた男が宣孝だという意見が多い。恋の嘆きと塩焼く火の薪(投げ木)を掛けている。29・30が同じ男だとする意見も多い。
// あちこちの海辺で藻塩を焼く海人が、せっせと投木を積むように、方々の人に言い寄るあなたは、自分から好きこのんで嘆きを重ねられるのでしょう(新潮)/ あちこちの海で塩を焼く海人のように自分から焦がれているとはこのような嘆きを重ねているのでしょうか(渋谷)/ 四方の海辺で塩焼く海人が投げ木を積むように、あなたは自分から求めて、ひたすらこのような嘆きを重ねていらっしゃるのですか(全釈)
0031 紅の涙ぞいとど疎まるる 移る心の色に見ゆれば  (式部)
(状況)『続古今和歌集』に所収。「もとより人の女を得たる人なりけり」もとより、確かな親の娘を妻に得ている人なのだ。これは 夫となる宣孝のことか・・・管理人
// あなたの紅の涙だと聞くと一層うとましく思われます。移ろいやすいあなたの心がこの色でははっきり分かりますので(新潮)/ 紅の涙がますます疎ましく思われます心変わりする色に見えますので(渋谷)/ 紅の涙はいっそう疎まれることです。移り気なあなたの心の色に見えますので(全釈)
0032 閉ぢたりし上の薄氷解けながらさは絶えねとや山の下水  (宣孝)
(状況)夫宣孝と式部の夫婦喧嘩の歌。「文散らしけり」わたしの出した手紙を他の人に見せた。「ありし文ども取りまとめておこせずば」今までにわたしが出した手紙を全部返してくれなければ」「言葉のみにていひやりたれば」使いに口上で伝えさせた。「みなおこす」手紙を全部返すというので、これでは絶交だねとひどく恨んでいたので。/ 多分宣孝は、式部を得て、彼女の教養と知性を自慢したかったのだろう、と想像されます。
//氷に閉ざされていた谷川の薄氷が春になって解けるように、折角打ち解けましたのに、これでは、山川の流れも絶えるようにあなたとの仲が切れればよいとお考えなのですか(新潮)/ 春になって閉ざされていた谷川の薄氷もせっかく解け出したというのにそれでは川の水のように絶えてしまえとおっしゃるのですか(渋谷)/張っていた水面の氷は春がきて解けるのに、私たちの関係は融けることなく、こののま絶えてしまえというのですか。山の麓を流れる川は雪解け水で溢れて、流れが途切れることはありません(あなたへの私のわだかまりは)
0033 東風に解くるばかりを底見ゆる石間の水は絶えば絶えなむ (宣孝)
(状況)「すかされて」わたしの言葉(歌)になだめられて。③ なぐさめて、気持を変えるようにする。なだめる。機嫌をとる。① あおりたてて誘う。うまく相手の気持をそそる。おだてる。(精選版日本国語大辞典)(気持ちを)言い当てられて。
//春の東風によって氷が解けたくらいの仲なのに、底の見える石間の浅い流れのように、浅い心のお前との仲は切れるものなら切れるがいいんだよ(新潮)/ 春の東風で解けるくらいの氷ならば石間の水は絶えるなら絶えればいいのだ(渋谷)/ 東風に薄氷が解けただけで、私へのわだかまりが完全に融けたわけではないでしょう。底が見えるような浅い石の間を流れる谷川の水は、どうせ途絶えるのなら、いっそぼこときっぱりと途絶えてほしいものです(全釈)
0034 言ひ絶えばさこそは絶えめなにかそのみはらの池を包みしもせむ  (式部)
(状況) 「今は物も聴こえじ」もうお前には何も言うまい。この言葉は0033の歌に続く言葉である。「はらの池」があったとする説があるが実在したかは不明。「腹立ち」の腹にかける。「つつみ」池の堤をかけ、「池」の縁語。遠慮すること。// もう手紙も出さないとおっしゃるなら、そのように絶交するのもいいでしょう。どうしてあなたのお腹立ちに遠慮なんかいたしましょう(新潮)/ 絶交するならばおっしゃるとおり絶交しましょう、なんでそのみはらの池の堤ではありませんが、腹立ちを包んでいられましょう(渋谷)
0035 たけからぬ人数なみはわきかへりみはらの池に立てどかひなし  (宣孝)
「たけからぬ」「たけし」は、強い、すぐれている、などの意。「人かずなみ」「なみ」は「なし」の語幹に接尾語「み」のついたもので、「波」をかけている。
// 立派でもなく人かずの身分でもなく、腹の中では、波が湧きかえり波立つに腹が立つが、お前には勝てないよ(新潮)/ 立派でもなく人数にも入らぬわたしは、沸き返らせて、みはらの池の腹を立てましたが、あなたには負けましたよ(渋谷)/ 気弱な私は、人並みの器でないので、腹を立てるけれど効果がありません。(結局はあなたに降参するしかないようです)(全釈)
0032~0035にわたる贈答歌の相手は、夫の宣孝ではないか、性格が闊達で明るかった・・・管理人
0036 折りて見ば近まさりせよ桃の花思ひ隈なき桜惜しまじ (式部)
(状況)「思ひ隈なし」思慮分別がない、一方的だ、思いやりがない。桃を作者、桜を夫と関係のあった女にたとえたようです。身勝手な桜(夫の女)より、桃(わたし)のほうがよい。
//折って近くで見たら、見まさりしておくれ、桃の花よ。瓶にさした私の気持ちも思わずに散ってしまう桜なんかに決して未練はもたないわ(新潮)/ 手折ったら近まさりしてください、桃の花わたしの気持ちを理解しない桜など惜しみません(渋谷) / 折って近くで見たら、遠くで見ているより見映えする花でありなさい、桃の花よ。そうしたら、思いやりなく散ってしまう桜など、惜しみますまい。(全釈)
0037 桃といふ名もあるものを時の間に散る桜にも思ひ落とさじ  (宣孝)
//桃は百(もも)百年という名を持っているんだもの。いくら桜であろうと、すぐ散ってしまう花より見落とすようなことはしないよ(新潮)/ 桃という名があるのですもの、わずかの間に散ってしまう桜より思ひ落とすまい(渋谷)/ 桃には数の多いことを示す百(もも)という名もあるのですから、ほんの少しの間に散る桜に比べて、桃の花をこれからは見くびるまいと思います(全釈)/これは(0036・0037)夫宣孝との贈答歌のようです・・・管理人
0038 花といはばいづれか匂ひなしと見む散り交ふ色の異ならなくに   (式部)
(状況)『続後拾遺和歌集』に所収。
// 桜も梨も花という以上は、どれが美しくない梨の花と見ようか。風に散り乱れる花の色は違っていないだもの(新潮)/ 花といったら桜と梨とどちらが色つやがないと見ようか散りかう色はどちらも違わないのだから(渋谷) /  花というのなら、どの花が見映えがしないなどということがあろうか、どの花も美しい。乱れ散る色が何も変わらないのですから(全釈)
0039 いづかたの雲路と聞かば訪ねまし列離れけむ雁がゆくへを (式部)
 (状況)亡くなったのは、0015の詞書の作者と姉妹の約束をした友達らしい。「つらはなれけん」列を離れた。
// どちらの雲路だったと聞きましたら、探しに行きましょうに。親子の列から離れて行ったあの雁の行方を(新潮)/ どちらの雲路へ行ったと聞いたなら、訪ねもしましょうものを一羽だけ列を離れて行った雁の行方を(渋谷)/ どの方角の空だと、もし聞いていたら尋ねて行くのに。列を離れたという雁の行方を(全釈)
0040 雲の上ももの思ふ春は墨染めに霞む空さへあはれなるかな  (式部)
(状況)『玉葉和歌集』『新千載和歌集』に所収。「去年の夏より薄鈍色着たる人」去年の夏から薄墨色の喪服を着ていた人、作者である。夫宣孝(のぶたか)は長保三年(1001)四月二十五日に亡くなり、その喪中のこと。「女院かくれ」長保三年閏十二月二十五日崩御の東三条院詮子(一条天皇の母、道長の姉)。「人のさしおかせたる」ある人が使者に持たせて置かせた歌。「式部が使者に歌を置かせた」と読むの註あり。「雲の上」宮中。ここは帝。
// 帝が喪に服して悲嘆にくれていらっしゃる今年の春の、この夕暮れは、喪服の色に霞んでいる空までも悲しく感じられます。それにつけても、あなたはいかばかりかとお見舞い申し上げます(新潮)/ 宮中でも悲しみに沈んでいる諒闇の春は薄鈍色に霞んでいる空までがしみじみと思われます(渋谷)
0041 なにかこのほどなき袖を濡らすらむ霞の衣なべて着る世に  (式部)
(状況)『新千載和歌集』に所収。「返し」となっているが、0040も式部の歌、0041も式部の歌、自作自演の歌。
//取るにたりない私ごとき者が、どうして夫の死のみ悲しんで袖を濡らしているのでしょう。国中の方が喪服をつけていらっしゃる時ですのに(新潮)/ どうして取るに足りないわたしごときが夫の死を悲しんで泣いていられましょうか国母が崩御されて国中が薄鈍色の喪に服しているときに(渋谷)
0042 夕霧にみ島隠れし鴛鴦おしの子の跡を見る見る惑はるるかな (ある人の娘)
(状況)詞書からすると、宣孝の他の妻の娘が贈ってきた歌のように思えるが、式部の歌とされている。娘の歌とする人と。式部の歌とする人と解釈が分かれているらしい。『夫木和歌集』という歌集に式部の歌と出ている。次の歌詞に「同じ人」とあるので、「ある人の娘」としておく。
//夕霧のたちこめる島陰に姿をかくした鴛鴦の跡を見て途方にくれている子のように、亡くなった父の筆跡を見ながら悲嘆にくれています(新潮)/夕霧のために島蔭に隠れた鴛鴦の子のように父の筆跡を見ながら悲嘆に暮れています (渋谷)/  夕霧のために、島かげに姿を隠した親鳥の行方を見ながら道に迷う鴛鴦の子のように、亡くなった父の筆跡を見ていると、ついつい途方に暮れてしまいます(全釈)
0043 散る花を嘆きし人は木のもとの寂しきことやかねて知りけむ  (ある人の娘)
(状況)「おなじ人」前歌の詞書にある「亡くなりし人のむすめ」。「同じ人」は、通説では父宣孝を亡くした継娘。しかし根拠があるわけではない。/ 左注は、「咲けば散る咲かねば恋し山桜思ひたえせぬ花のうへかな」(『拾遺集』巻一春、中務)
//桜の散るのを嘆いていたあの方は、花の散ったあとの子供の寂しさを、生前からご存じだったのでしょうか(新潮)/ 散る花を嘆いていたのは散った後の木のもとの寂しいことをかねて御存じでいたのでしょうか(渋谷)/ 生前、散る花を嘆いていた人は、落花によって木の下が寂しくなるように、自分の死後の子どもの寂しさを、あらかじめ知っていたのでしょうか(全釈)
0044 亡き人にかごとはかけてわづらふもおのが心の鬼にやはあらぬ  (式部)
(状況)誰の歌かはっきりわからないので、式部の歌とする。
//妻に憑いた物の怪を、夫が亡くなった先妻のせいにして手こずっているというのも、実際は、自分自身の心の鬼に苦しんでいるということではないでしょうか(新潮)/ もののけにかこつけて手こずっているというが実は自分の心の鬼に責められているのではないでしょうか(渋谷)/ 死者にうらみごとを言って病気で苦しんでいるが、実は自分自身の疑心暗鬼のせいではないでしょうか(全釈)
0045 ことわりや君が心の闇なれば鬼の影とはしるく見ゆらむ (絵を一緒に見ていた人)
(状況)0044・0045とも歌の詠者がはっきり知れているわけではない。この歌の詠者が明確ではない。式部の侍女の註もある。女友だちとする説もある。宣孝の説もある。もちろん式部ということもある。
//なるほど言われる通りです。それにしても、あなたの心があれこれ迷って闇のようだから、この物の怪が疑心暗鬼の鬼の影だとはっきりおわかりになるのでしょう(新潮)/  ごもっともですね、夫君の心が迷っているので心の鬼の影をはっきりと見えるのでしょう(渋谷)/ ごもっともです。あなたの心が煩悩の闇に迷っているので、鬼の姿のようにはっきりとみえるのでしょう(全釈)
0046 春の夜の闇の惑ひに色ならぬ心に花の香をぞ染めつる (式部)
(状況)絵の中の「さだすぎたるおもと」の心を詠んだもの。
//春の夜の闇にまぎれて花の美しさは見えないが、色気をもたない心に梅の香は深く味わったことである(新潮) / 春の夜の闇に梅の花の色は見えないが心のうちに花の香を染めたことである(渋谷)/ 春の夜の闇のように、深い闇に迷って感受性を失っていた心に、梅の花の香を深く染み込ませたことです(全釈)
0047 さ雄鹿のしか慣らはせる萩なれや立ちよるからにおのれ折れ伏す (式部)
(状況)『玉葉和歌集』に所収。萩を鹿が妻として慕い寄るという種類の歌が古くからあり、その発想によっている。
// 雄鹿が、へいせいからそのようにならしているためか、童が傍に立ち寄るとすぐに、萩が自分で折れ曲がって頭をさげているよ(新潮)/ 雄鹿がいつもそのように慣らしている萩なのでしょうか童女が近付くと同時に自然と萩が折れ伏すことよ (渋谷)/ 牡鹿がそのように教え込んだ萩だからであろうか、立ち寄るだけで、すぐに自分から折れ曲がって倒れることです(全釈)
0048 見し人の煙となりし夕べより名ぞ睦ましき塩釜の浦 (式部)
(状況)『新古今和歌集』に所収。「世のはかなきことを嘆くころ」夫の死後間もない頃だろう。煙は火葬にした夫を思い出すよすがである。塩釜には塩焼く煙が連想され、親しみが感じられるのである。/悲しみをかみしめつつ、世の無常として感じていた諦めの淋しさが、塩焼く煙と共に立ち上がっていくようである。彼女は物心ついてより母や姉を失っているが、切実な死の悲しみを味わったのは夫の死であり、生涯癒し難い痛手となった。(『紫式部集評釈』竹内美千代著)
// 連れ添った人が、荼毘の煙となったその夕べから、名に親しさが感じられる塩釜の浦よ(新潮)/ 連れ添った人が火葬の煙となった夕べからその名前が親しく思われる、塩釜の浦よ (渋谷)/ かって愛した人が火葬されて煙となった夕べ以来、藻塩焼く煙がいつも昇っているという塩竃の浦、その地名が慕わしい(全釈)
0049 世とともに荒き風吹く西の海も磯辺に波は寄せずとや見し (式部に言い寄ろうとした男)
(状況)式部の家の門をたたきあぐねて帰った人。歌の配列からすると、夫の死後言い寄った男のようである。この男がかって九州の国司(受領)だったことにもとづく表現なのであろう。/ 宣孝の子・隆光は、継母である紫式部に思いこがれていたという説がある。男が翌朝、紫式部に寄こした歌。
//いつも荒い風の吹く西の国の海辺でも、風が磯辺に波を寄せつけないのをみたろうか(新潮)/ いつも荒い風が吹く西の海にもその磯辺に波の寄せないことがありましょうか(渋谷)/ 絶えず暴風が吹く西の海でも、磯部に波が寄せないなんて見たことはありません。(言い寄る男を女は少しは寄せつけるものです)(全釈)
0051 誰が里の春の便りに鴬の霞に閉づる宿を訪ふらむ   (式部)
(状況)『千載和歌集』に所収。「年かへりて」夫の死の翌年、長保四年(1002)の春である。前の歌に続いて、夫の喪中に言い寄ってきた男を拒否した歌である。浮気な男を鶯になぞらえている。「霞に閉づる宿」喪中であることを比喩的にいったもの。妻の夫に対する裳は一年。夫の死は長保三年四月二十五日であった。
//鶯は、どなたの春の里を訪れたついでに、霞の中に閉じこもっているこの喪中の家を訪ねてくるのでしょうか(新潮)/ どなたの春の里を訪れたついでに、鴬は霞に閉ざされたわたしの宿を訪ねるのでしょうか(渋谷)/ かえってお悟りになったのではないですか。ご自分が岩戸に浮いた心で打ち寄せる岸にあだ浪であることを(全釈)
陽明0001   をりからを ひとへにめづる 花の色は うすきをみつつ うすきともみず (作者不明/ 式部or ある人)
(状況)誰が詠んだ歌かで、解釈が別れている、と解説にあり。式部説と他人説がある。陽明本から0051・0052の間に挿入されている。その理由がわからないが、そのまま載せます。詞書から「紫式部が八重の山吹を折ってある高貴な人物に贈り、その人物は歌を添えて散らずに残っていた一重の山吹を贈り返してきた。/ 山吹は、くちなしの異名があり「いわで思うぞ」に通じる話が枕草子にある。
「不幸なことが重なって起こり、ふさぎ込んでいる様子だと聞く人を、使者を立てて見舞った時の歌。「をりからを」ちょうどよい折に。・・・何を詠った歌かわからない、山吹は八重でなくても一重でも美しい、と詠んだのか。(管理人)
//ちょうどよい折をひたすらすばらしいと思う花の色あいは、八重山吹に比べて一重の山吹は薄い黄色ではありますが、愛情の薄さは感じらえれません(全釈)
0052 消えぬ間の身をも知る知る朝顔の露と争ふ世を嘆くかな (式部)
(状況)「世の中の騒がしきころ」世間が疫病などで落ち着かない頃。夫宣孝に死別し、しかも世情は疫病流行で騒然たる頃すなわち長保三年(1001)であろう、とある註にあり。
//わが身だって死ぬまでのはかない命であることを知っていながら、この朝顔と露とが消えるのを競うように人の亡くなって行くこの世のはかなさを嘆いていることでございます(新潮)/ 死なない間のわが身を知りつつ朝顔のようにはかない露と先を競う世を嘆くことよ(渋谷)/ 露の消えない間の短命なわが身ということも知りながら、このアサガオの露と儚さを争うような無常な世を嘆くことです(全釈)
0053 若竹の生ひゆく末を祈るかなこの世を憂しと厭ふものから  (式部)
(状況)「世を常なしなど思ふ人の」世ははかなく無常だと思うひとが。 歌の作者紫式部自身のこと。「をさなき人のなやみけるに」作者の一人娘が病気になって。漢竹、呪いのようである。/ 「未亡人になった式部を覆う気持ちと言えば、家集に見る限り、「世を憂し」という一語に尽きる。夫の死後の基調をなすものであり、それ以前にはなかったものである」(『紫式部』清水好子著)
//若竹のような幼いわが子の成長してゆく末を、無事であるようにと祈ることだ。自分はこの世を住みずらい所だといとわすく思っているのに(新潮)/ 若竹が成長してゆく先を祈っていることよわたしはこの世を厭わしく思っているのに(渋谷)/ 若竹のように成長してゆく幼子の将来を祈ることだ。この世を憂しと厭わしく思っているけれど(全釈)
0054 数ならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり (式部)
(状況)『千載和歌集』詞書の意味。「おもわずなり」期待外れ、思うにまかせない、不如意だ。「なのめ」当たり前であるさま。不遇だと嘆くことが、だんだんと常のことになり、一途なありさまになっていくのを思った歌(渋谷)「ひたぶるなり」いちずに、ひたすら行う・思う。
//人数でもないわが身の願いは、思い通りにすることはできないが、身の上の変化に従っていくものは心であることだ(新潮)/ 人数にも入らないようなわたしの心のままに身の境遇を合わせることはできないが身の境遇に従って変わるのは心なのであったわ(渋谷)/ とるに足りない我が「身」は、「心」のままに自由には振舞えないけれど、そんな不自由な我が「身」に従っているものがまた、我が「心」であったなあ(全釈)
0055 心だにいかなる身にかかなふらむ思ひ知れども思ひ知られず (式部)
(状況)『続古今和歌集』に所収。
//私のような者の心でさえ、どのような身の上になったら満足する時があるだろうか、どんな境遇になっても満足することはないものだと解ってはいるのだが、諦めきれないことだ(新潮)/ せめて心だけでもどのような身の上に満足するのだろうか分ってはいるけれどもなかなか悟ることができないことよ(渋谷)/ 幸福な身の上はかなわなくても、せめて「心」だけでもこの身の上に静かに落ち着かせたいが、どのような身の上になれば、それがかなうのだろうか。どんな身の上であろうとも精神的な安寧を得るのは困難なことは理解しているつもりだけれども、なかなか悟りきれない(全釈)
0056 身の憂さは心のうちに慕ひきていま九重ぞ思ひ乱るる (式部)
(状況)初出仕の時の歌。寛弘三年(1006)十二月二十九日とされる。寛弘二年説もあり。
//宮仕えに出ても、わが身の嘆きは、心の中についてきて、今宮中であれこれと心が幾重にも乱れることだ(新潮)/ 身の嫌なことは、心の中では宮中を慕ってきたがいま宮中を見て、幾重にも物思いに心が乱れることよ(渋谷)/ 我が身の憂さは、わが心の内まで離れず付いて来て、出仕した今、この宮中で幾重にも思い乱れることです(全釈)
0057 閉ぢたりし岩間の氷うち解けばをだえの水も影見えじやは  (式部)
(状況)「まだいと初々しきさまにて」宮仕えに出てまだ全くの新参者で有様で。「ほのかに語らひける人に」わずかに話し合った同僚に/ わずかに話し合った人に。
// 岩間の閉ざしていた氷が春になって解けましたら、途絶えていた水も流れ出し、そこに影がうつらないことがありましょうか(新潮)/ 閉ざしていた岩間の氷がわずかに解け出すように春になったら途絶えていた水も姿を現さないでしょうか、わたしもきっとまた出仕しましょうよ(渋谷)/ 凍っていた岩間の水が(春になって)溶けたら、途絶えていた水も(流れ出して)また必ず姿を見せるように、私も、あなたが心優しく接してくださるのなら、また宮仕えに出ます(全釈)
0058 深山辺の花吹きまがふ谷風に結びし水も解けざらめやは (式部の同僚)
//山辺の花を散り乱す谷風に固く閉ざしていた氷も解けないことがありましょうかー中宮様のご慈愛であなたの心も打ち解けるに違いありません(新潮)/ 深山のあたりの花が散りまがう谷風に凍っていた川も解けないでしょうか、解けましょう(渋谷)/ み山べの花が咲き乱れる谷風に、凍っていた水もきっと溶けるでしょう(全釈)
0059 み吉野は春のけしきに霞めども結ぼほれたる雪の下草 (式部)
(状況)『後拾遺和歌集』に所収。56・57・58・59の四首は実践女子大本・陽明本とも連続して配列されている点、寛弘三年末から四年初めにかけて短期間に詠まれたものと考えられている。「 まだ出で立ちもせぬ隠れがにて」とは、里に下がったまま、まだ出仕せず身をひそめている隠れ家で。
//雪のよく降る吉野山も、今は春らしく霞がかかっていますのに、私は雪に埋もれて芽も出せない下草同様でございます(新潮)/ み吉野は春の景色に霞んでいるけれども依然としてかじかんでいる雪の下草です(渋谷)/ 中宮の御前には春が訪れ、春霞がたなびいているけれども 取りに足りない私の雪深い隠れ家には、吉野でもないのにまだ春の陽差しは届かず、雪の下で凍てつく草のように、私は晴れない気持ちで暮らしています(全釈)
0060 憂きことを思ひ乱れて青柳のいと久しくもなりにけるかな (宮のおもと)
(状況)作者の宮仕えは寛弘三年(1006)十二月二十九日と考えられ、ここはその翌年の三月実家に帰っていた時のことである。「宮のおもと」中宮の女房、素性不詳。「青柳」はいとにかかる枕詞。
//いやな事を思い悩まれて、お里下がりのずい分長くなったことですね(新潮)/  / 嫌なことに思い悩まれて青柳のようにたいそう久しくなってしまいましたね (渋谷)/ 憂鬱なことを思い、あれこれと心が乱れて(里下がりなさったまま、里下がりの期間が)たいそう久しくなってしまいましたね(そろそろ参内なさってはいかがですか)(全釈)
0061 つれづれと長雨降る日は青柳のいとど憂き世に乱れてぞ経る  (式部)
(状況)歌本になし、と記され写筆した者の本には歌がなかったと註される。定家本に0060の返歌として、「つれづれとながめふる日は青柳のいとどうき世にみだれてぞふる」というのがある、とする。
//うち続く長雨に物思いする日は、常よりも一層いやになるこの世に、思い悩んで過ごしています(新潮)/ 所在なく長雨が降るのを眺めながら送る日は青柳のようにますます嫌な世の中に悩まされて日を送っています(渋谷)/ 長々と春雨が降り続き、所在なく物思いに沈んで過ごす日は、いっそう憂鬱なこの世で心乱れたまま暮らすことです(まだしばらく参内できそうにありません)(全釈)
0062 わりなしや人こそ人と言はざらめみづから身をや思ひ捨つべき  (式部)
(状況)『続古今和歌集』に所収。「かばかり思ひ屈しぬべき身を」これほど思いくずおれている私なのに、「ひどく上臈ぶった振舞だわね」と女房たちが言ったと聞いて。宮仕えに出てすぐ実家に戻ったための批判である。「人こそ人といわざらめ」他人は私のことをこれからも立派な人物なんていわないだろうが。
//しかたのないことだ。あの人達は私を人並みの者とはいわないだろうが、駄目な者と自分で自分を見捨てられようか(新潮)/ しかたないことだわ、あの人たちはわたしを一人前の人と思わないでしょうが自分自身からわが身を見捨てることができましょうか(渋谷)/ やむを得ないなあ。他人は私をこれからも評価しないでしょうが、自ら自身を見捨てるつもりはありません(全釈)
0063 忍びつる根ぞ現はるる菖蒲草言はぬに朽ちてやみぬべければ (同僚の女房)
(状況)「薬玉」菖蒲やよもぎなどを、五色の糸にで貫き玉にしたものらしいが、製法など明らかではない。五月五日にこれをかけると邪気を払い長寿になるので人に贈り、肘にかけたり、柱や簾にもかけた。
//かくれて菖蒲の根が今日は引き抜かれて姿を現しました。そのように私も今まで好意をあらわさずにきましたが、このままでは何も言わずに朽ちてしまいそうですので、今日はあなたへの思いをお見せする次第です。(新潮)/ 隠れていた根が引かれて現れ出たように今日は菖蒲の節供にちなんでわたしの心根を表します何も言わないうちに朽ちて終わってしまいそうなので(渋谷)/ 隠れていた菖蒲の根が(引きぬかれ)姿を現します。そのままだと、沼で腐って形を失ってすっかり消え失せるにちがいありません。何も言わないまま朽ち果ててしまいそうなので、言わずに我慢してきた私の本音をあなたに伝えます(全釈)
0064 今日はかく引きけるものを菖蒲草わがみ隠れに濡れわたりつる (式部)
(状況)五月五日は菖蒲の根を人に贈る風習があった。菖蒲の根が水底に隠れているように、私は家に籠って涙にぬれております。
//今日は菖蒲の根を引いてお言葉をいただきましたのに、菖蒲の根が水底に隠れてぬれているように、私は家に籠って涙にぬれています(新潮)/ 今日はこのように菖蒲草を引き抜いてお言葉をかけてくださったのにわが身は水隠れに家に籠って涙に濡れています(渋谷)/ 今日はこのように菖蒲の根を引いて、私を引き立てていただいnたのに・・・(期待に応えられるか分かりません)。確かに我が身はこれまで、菖蒲の根が水中にかけれたままずっと濡れてきたように、隠れて涙に濡れ続けてきました(全釈)
0065 妙なりや今日は五月の五日とて五つの巻のあへる御法も (式部)
(状況)法華経は八巻で二十八品である。これに開教と結教を加えて三十巻とする。一日に一巻ずつ、または二巻ずつ講ずること。法華経の第五巻は、提婆達多・勧持品・安楽行品・従地涌出品からなる。法華経のなかでも提婆品が最も尊ばれ、それの講じられる日は盛大であった。「阿私仙あしせん」釈尊に法華経を説いた仙人で提婆達多のこと。釈尊は法華経を得るために、木の実を採り、水を汲み、薪を拾うなどして阿私仙に仕えたと提婆品にあり、提婆品を講じる日はそれに因んだ行事が行われる。土御門殿の今日の日の盛大な行事のために、釈尊は木の実を拾っておかれたのかと思われる、というのである。
//すばらしく尊いことだ。今日は五月五日ということで、丁度第五巻が講じられることになった法華経の教えも、今日の行事も(新潮)/ 素晴しく尊いことだわ、今日は五月五日に第五巻が重なったこの御法会よ(渋谷)/ ほんとうに霊妙で素晴らしいですね。法華経第五巻にめぐりあったわが身も。今日は五月五日ということで、第五巻がこの日に巡り合わせた法華三十講も(全釈)
0066 篝火の影も騒がぬ池水にいく千代澄まむ法の光ぞ (式部)
(状況)篝火と御灯明が光りあって、法華三十講が行われたのは、土御門殿の西中門のある御堂で、池に臨んでいた。篝火は池のほとりに立てられたもので、御灯明は仏前のものであろう。
//篝火の光も静かに映っている池の水に、仏法の光は、幾千年も清らかに澄んで宿ることでしょうか(新潮)/ 篝火の影も騒がない池の水にいく千代までも澄んで宿ることでしょう、御法会の光は(渋谷)/ 篝火の光も、ざわめくことのない池の水に、幾千夜にわたり、静かに映って池を住み処とするように、われわれは、これから幾千年この世で、仏法の光をたよりに住みつづけていくのでしょうか(全釈)
0067 澄める池の底まで照らす篝火のまばゆきまでも憂きわが身かな  (式部)
(状況)五巻日の盛事を讃嘆する表向きの歌を詠んで、涙ぐまれる私事の述懐をかくしたのである。「大納言の君」中宮の上臈の女房。
//澄みきった池の底まで照らす篝火が明るくて、まぶしく恥ずかしいまでに思われる不仕合せなわが身です(新潮)/ 澄んでいる池の底まで照らす篝火がまぶしく恥ずかしい嫌なわが身ですこと(渋谷)/ 澄んでいる池の底まで照らす篝火がまぶしいように、思わず顔をそむけたくなるつらい我が身であるよ(全釈)
0068 影見ても憂きわが涙落ち添ひてかごとがましき滝の音かな (式部)
(状況)『続後撰和歌集』に所収。法華三十講か、彰子出産の行事だろうか、土御門殿での行事で遅くなったのであろう。その時に詠ったものか。
//遣水にうつる姿を見るにつけても、つらいわが身の上を思って流れる涙が遣水に加わって、この涙のせいだと恨むかのような滝の音よ(新潮)/ 遣水に映る姿を見ても嫌なわたしの涙が落ち加わって恨みがましい滝の音ですこと(渋谷)/ 遣水に映る自分の姿を見ても、身の憂さに流す私の涙が遣水に落ちて加わって、大きな滝の音になっているわけでもないのに、嘆き悲しんでいるように聞こえる滝の音よ(全釈)
0069 一人居て涙ぐみける水の面に浮き添はるらむ影やいづれぞ (小少将)
(状況)わたしが参照している新潮日本古典集成『紫式部日記・紫式部集』(これは陽明文庫本を底本としている)にこの歌がない。付録で付いている実践女子大学本にはあるが、歌の解説はない。
//一人で涙ぐんでいらっしゃった遣水の面に映り加わっている姿はあなたとわたしのどちらでしょうか(渋谷)/ ひとり座って涙ぐんでいた人を映す水面に、浮いて加わり、いっそう憂さを添えるという人影は、あなたとわたしのどちらなのでしょう(全釈)
0070 なべて世の憂きに泣かるる菖蒲草(あやめぐさ)今日までかかる根はいかが見る (小少将)
(状況)『新古今和歌集』に贈答歌とも所収。昔の人は、ショウブには邪気を払う力があると考え煎じて飲んだり、根を漢方薬として、胃腸の調子を整えたり傷口を治したりするのに使いました。 端午の節句にあたる旧暦の5月5日頃といえば、ちょうど梅雨時。 蒸し暑さが増して、食べ物や水などが傷みやすくなる時期です。 病を遠ざけるため、貴族の間ではショウブを使って丸く編んだ玉を飾ったり、それを贈り合ったりする風習があった。(Wikipedia)/5月5日の端午の節句(菖蒲の節句)には、菖蒲の長い根を贈り合う風習があったそうです。 端午の節句は、旧暦5月5日に行われた邪気払いの風習に由来があり、奈良~平安時代の頃に古代中国から伝わったとみられています。うき「憂き」が、泥土(うき)を連想させ「あやめ草」の縁語、
//私は、すべて世のつらさに泣けて、菖蒲草(あやめぐさ)の行事の過ぎた今日まで残ったこの根のように、今日も泣く音がたえませんが、あなたはこの根をどうご覧になりますか(新潮) / 世間一般の嫌さに涙ぐまれる菖蒲草今日までこのような長い根はどうして見たことがありましょうか(渋谷)/ 総じて、この世が辛くてつい泣いてしまう私ですが、泥の中で流れている菖蒲の、節供の終わった六日の今日まで簾に掛けられていた、この長い根のように、こうして泣き明かす私の声をどう思いますか(すこしは憐れに思ってくださるでしょうか)(全釈)
0071 何ごとと菖蒲(あやめ)は分かで今日もなほ袂にあまる根こそ絶えせね (式部)
(状況)『新古今和歌集』に贈答歌とも所収。「あやめはわかで」筋目のたつ判断ができないで。「あやめ」は条理・筋目の意「あやめ」「ね」は「菖蒲」の縁語。ね「根」と「音」の掛詞。
//私は頂戴した菖蒲の根が長くて袂に包みきれないように、今日もまた何のためだか分からずに、涙を袂でおさえきれず、泣く音がたえません(新潮)/ どのようなことと、菖蒲ではないが、ものの条理は分かりませんで、今日もやはり袂にあまる長い根の泣く音が絶えません(渋谷)/私も何事かと分別がつかないまま、今日もやはり、袂に余る菖蒲の長い根のように、袂で覆いきれないほどの声をあげて泣き続けています (全釈)
0072 天の戸の月の通ひ路鎖さねどもいかなる方に叩く水鶏ぞ (小少将)
(状況)『新勅撰和歌集』に贈答歌とも所収。「天の戸の月の通ひ路」空にある月の通路。宮中を天上界になぞらえ、宮中の人の通路をいったもの。「たたく水鶏」水鶏は交尾期になると雄が戸をたたくような鳴き声を鳴くので、水鶏の鳴くのを「たたく」という。
//この夕月のさす宮中では戸もしめてないのだけれど、一体水鶏はどちらで戸をたたいているのでしょう。/ 宮中の通路は閉ざしてないのにどちらで戸を叩く水鶏なのでしょうか(渋谷)/ 天空の月の通路は閉ざされていないので月はまもなく西山に隠れてしまいますのに、どんな干潟で水鶏は戸を叩くように鳴いているのでしょうか。(あなたはどこにいらっしゃるの。宮中の私の部屋の戸は閉ざしていません。私の部屋で一緒に夕月夜を眺めましょう)(全釈)
0073 槙の戸も鎖さでやすらふ月影に何を開かずと叩く水鶏ぞ
(状況) 『新勅撰和歌集』に贈答歌とも所収。
//この夕月のもとに、私達は寝ようかどうしようかと、槙の戸も閉ざさずにいますのに、水鶏は、何が開かないで不満だといって鳴くのでしょう(新潮)/ 槙の戸も閉ざさないで休んでいる月光のもと何を開かないで不満だといって鳴く水鶏なのでしょうか(渋谷)/ 真木の戸も閉ざさず私は月を眺め、寝るのを躊躇しています、そんな美しい月の光に対して、何をいまさらいつまで見ていても飽きない、戸が開かないと、水鶏は戸を叩くように鳴いているのでしょうか。(私の部屋の戸は開いていますから、訪ねて来てくださっても構いません。私の部屋で一緒に夕月夜を眺めましょう)(全釈)
関連解説
0074 夜もすがら水鶏よりけに泣く泣くぞ槙の戸口に叩き侘びつる (道長)
(状況)『新勅撰和歌集』に贈答歌とも所収。道長の歌と考えられる。『新勅撰集』では道長の歌としているが異見もある。 日記にもこの歌を挙げているが誰の歌とは書いていない。
//昨夜は、水鶏にまして泣く泣く槙の戸口を夜通し叩きあぐねたことだ(新潮)/ 一晩中水鶏よりもはっきりと泣きながら槙の戸口を叩きあぐねました(渋谷)/ 一晩中水鶏よりいっそう激しく泣きながら、あなたの部屋の戸口で、戸を叩きつづけましたが、開けてもらえなくて困ったことでした(全釈)
紫式部と藤原道長の関係について
0075  ただならじ戸ばかり叩く水鶏ゆゑ開けてはいかに悔しからまし (式部)
(状況)『新勅撰和歌集』に贈答歌とも所収。 
//ただごとではあるまいと思われるほどに戸を叩く水鶏なのに、戸を開けては、どんなに悔しい思いをしたことでしょう(新潮)/ ただ事では済まないことと、戸ばかりを叩く水鶏ゆえに戸を開けたらどんなに悔しい思いをしたことでしょう(渋谷)/ ただ事とは思われない激しさで戸を叩く水鶏のため、もし、夜明けまで我慢できず、戸を開けていたならば、どんなに悔しい思いをしたことでしょう(全釈)
陽明0002 よのなかを なになげかまし 山桜 花みる程の こゝろなりせば (式部)
(状況)『後拾遺和歌集』にだいしらずとして所収。/ ここに陽明本から載せた理由として、前の0074・0075の贈答歌と並んで陽明文庫本に「日記歌」として、家集の末尾に置かれているから、とのこと。確かに陽明本の最後の歌です。
// 山桜の花を見ている時の心のように、物思いのない心であったなら、この世の中をどうして嘆こう(新潮)/世の中を、どうして嘆くだろう。山桜の、花を見る時の、心もちであったなら(全釈)
0076 女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ (式部)
(状況)『新古今集』に贈答歌とも所収。
//露に美しく染められた女郎花の盛りの色を見ますと、分けへだてして露の置いてくれない私のみにくさが身にしみて感じられます(新潮)/ 女郎花の花盛りの色を見ると同時に露が分け隔てしているようにわが身の上が思われます(渋谷)/ 女郎花の花盛りの様子を見ると、露が別け隔てをして、その恵みに漏れたこの身の程が知られることです(全釈)
0077 白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染むらむ (道長)
(状況)『新古今和歌集』に贈答歌とも所収。
//白露は、そなたのいうように、分けへだてして置いてはいないだろう。女郎花は美しくなろうとする自分の心で美しく染まっているのだろう(新潮)/ 白露は分け隔てをしないでしょう、女郎花は自分から色を染めたのではないでしょうか(渋谷)/ 白露は別け隔てをして置くまい。女郎花は自分から色づいているのだろうか(全釈)
0078 忘るるは憂き世の常と思ふにも身をやる方のなきぞ侘びぬる (式部)
(状況)『千載和歌集』所収。「久しくおとづれぬ人を思い出でたるをり」夫、宣孝であろうと註があり。夫の夜離れの歌と一般に解されている。ただ、年代的にかなり後に置かれているので、違った解釈もあり、「忘れることは憂き世の常」なのにと、忘却を望みながら忘却し得ない我が身の業のようなものの自覚を表明している歌、と見る解釈もあり。
// 人を忘れるということは、憂き世の常だと思うにつけても、忘れられた身のやり場がなく切ない思いで泣いたことです(新潮)/ 人を忘れることは嫌な世の常と思うにつけてもわが身のやり場がないのが寂しく泣き暮らしています(渋谷)/ あなたが私のことを忘れるのは憂き世の常と思うにつけても、忘れられるわが身のつらさを晴らす術がないことがわびしく思われ泣けてくることです(全釈)
0079 誰が里も訪ひもや来るとほととぎす心のかぎり待ちぞ侘びにし (式部)
(状況)『新古今和歌集』所収。「返し」とあるが、贈歌が欠落していると見えます。前の何首かが破れてしまっていて、詞書がなく作歌事情が不明であるが、『新古今集』では「題しらず」として夏の部に入っているが、時鳥を多情な男にたとえた。
//時鳥は誰の里へも訪れるものだから、私の所へも来るかと一心に待ちあぐねたことです(新潮)/ 誰の邸にも訪れ来るのだろうかと、ほととぎすを心のかぎりを尽くして待ち侘びていました(渋谷)/ 誰が住む里にも別け隔てなく訪ねて来るかとホトトギスを一心に待って、待ちくたびれてしまったことです。(全釈)
0080 ましもなほ遠方人の声交はせわれ越しわぶるたごの呼坂 (式部)
(状況)以下0080・0081・0082は越前から都へ帰路の歌である。長徳三年(997)の冬と考えられる。
// 猿よ、お前もやはり遠方人として声をかけ合っておくれ。私の越えあぐねているこの谷の呼坂で(新潮)/ 猿よ、おまえもやはり遠方人として声を掛け合えよわたしが越えかねているたごの呼坂で(渋谷)/ 猿よ、おまえもやはり、遠方人として声を交わして、声援しておくれ。私を運ぶのに苦労して輿の担ぎ手が助けを呼ぶような、この険しい坂で(全釈)
0081 名に高き越の白山雪なれて伊吹の岳を何とこそ見ね (式部)
(状況)「越の白さん」越前・越中・越後・加賀・能登等北陸一体を越の国といった。白山は加賀国にあり、標高2702m。
//名高い越の国の白山へ行き、その雪を見馴れたので、伊吹山の雪など何ほどのものともおもわれないことだ(新潮) / 名高い越の白山に行き、その雪を見慣れているので伊吹山の雪は何とも思わないことだ(渋谷)/ 越前の国に行き、名高い越の白山に積もる雪は見馴れたので、白く雪化粧している伊吹山を見ても何とも思わないけれど・・・(往路であれば、この景色に感激したでしょうね)(全釈)
0082 心あてにあなかたじけな苔むせる仏の御顔そとは見えねど (式部)
(状況)これも帰京時の歌か。わたしにはわからない。・・・管理人
// 足に踏まれている石の中から、あて推量にこれが卒塔婆なのだろうと思うと、ああもったいない。苔むしていて、仏のお顔がそれとはわからないけれど(新潮)/ あて推量に、ああ畏れ多い、苔のむした仏の御顔を卒塔婆に、それとは見えないけれども(渋谷)/ 当て推量にそうかと思う。なんとまあ、勿体ないことよ。苔むした卒塔婆の仏の御顔、それとははっきり見えないけれど(全釈)
0083  け近くて誰れも心は見えにけむ言葉隔てぬ契りともがな (宣孝)
(状況)次の歌との贈答は、結婚の近づいた頃の宣孝とのもの。/ 贈答の時期は、結婚前・結婚後と意見が分かれるようです。これは宣孝が贈った歌。「け近くて」親しくなって、うちとけて。
// 親しく話すようになって、二人は互に心がわかったでしょう。この上は、同じことなら、隔てをおかない仲となりたいものです(新潮)/ 近しくなってお互いに心は見えたでしょう人伝てでない仲となりたいものですね(渋谷)/ 親しくなって、あなたも私の心のうちはわかったでしょう。どうせなら隔てのない夫婦になりたいものです(全釈)
0084 隔てじとならひしほどに夏衣薄き心をまづ知られぬる (式部)
(状況)こちらが「へだてじ」と思っているのもわからずに、「へだてぬちぎり」をもちたいというのは薄情さを示すものとなじったのである。
//私は心の隔てをもたないようにと思っていつもお返事をしていますのに、「へだてぬちぎり」をもちたいとおっしゃるお言葉で、まずあなたのお心の薄さがわかったことです(新潮)/ わたしは隔て心を持ちませんと常に思っているのに、「人伝てでなく」とおっしゃるとは、夏衣のようなあなたの薄い心がまっ先に知られました(渋谷)/ 心の隔てをおくまいと、親しくして参りましたが、そうしているうちに、夏衣のように薄情なあなたの心が早くもわかってしまったことです(全釈)
0085 峯寒み岩間凍れる谷水の行く末しもぞ深くなるらむ (宣孝)
(状況)詞書がないが、おそらく脱落したもので宣孝の歌であろう。長徳四年の冬の作であろう。
// 峯が寒くて、岩間の氷っている谷川の流れは、春になって氷がとければ、行く末には深い流れとなるでしょう。そのように私達の仲も将来はきっと深くなるでしょう(新潮)/ 今は峯が寒いので岩間で凍っている谷水のように浅い水ですが行く末は水嵩も増して深くなっていくでしょう(渋谷)/ 山の頂は寒いので(冬の間は)岩間で凍っている谷川の水が将来(春になれば氷が解けて)深い流れとなるように、今は頑なあなたの心も将来はきっとうちとけて、私に深い愛情を注ぎかけてくださることでしょう(全釈)
0086 めづらしき光さしそふ盃はもちながらこそ千世をめぐらめ (式部)
(状況)『後拾遺和歌集』所収。中宮彰子に第一子(皇子・敦成親王)が生まれ、その産養いの祝いが、盛大に行われた。その折の歌。寛弘五年(1008)九月十一日に生まれた。
// 今宵の望月に清新な光が加わったような若宮御誕生祝いの盃は、望月同様かけることもなく皆の手に渡されて、千代もお祝い申し上げることでしょう(新潮)/ 新しい光がさし加わった盃は持ちながら満月のまま千年もめぐっていくことでしょう(渋谷)/ 皇子誕生という素晴らしい出来事に、望月の光が差し加わって、お祝いの盃がここに参集した人々の手から手へと巡ってゆくように、欠けるところのない望月さながらの、この栄光は、きっと永遠に巡り続いてゆくことでしょう(全釈)
0087 曇りなく千歳に澄める水の面に宿れる月の影ものどけし (式部)
(状況)『新古今和歌集』に所収。寛弘五年九月十六日の夜のことである。若宮誕生の産養いの祝いが続く。
//濁りなく千歳に澄む水面に月影もおだやかだ(新潮)/ 翳りなく千年も澄んでいる水の面に宿っている月の光ものどかなこと(渋谷)/ 曇りなく千年にもわたって澄んでいる池の水面に、映っている月の光も穏やかで静ずかです(全釈)
0088 いかにいかが数へやるべき八千歳のあまり久しき君が御世をば (式部)
(状況)『続古今和歌集』他に所収。十一月一日の行われた若宮の五十日の祝い。
// 今日は五十日のお祝いですが、これからの幾千年もというあまりに長い御齢を、一体、どのようにして数えつくすことができましょうか(新潮)/ 五十日のお祝に、いかにしていかほどと数えやったらよいのでしょうか、八千年ものあまりに久しい若君の御寿命を(渋谷)/ この五十日のお祝いの日に、いったいどのようにしたら数えつくすことができましょうか。今後八千年にもわたるあまりに久しい若宮の御歳をば(全釈)
0089 葦田鶴の齢しあらば君が代の千歳の数も数へとりてむ (道長)
(状況)『万代和歌集』に所収。「あしたづ」鶴の別名。道長の返歌。
// 鶴のような千年の寿命が私にあったら、若宮の千年の御齢も数えとって、遠い将来をお見届けできるだろう(新潮)/ 鶴のような長寿があったならば若君の年齢の千年の数も数え取ることができよう(渋谷)/ もし私に鶴のような長寿があるならば、その遠い行末をも見届けるのだが(全釈)
0090 折々に書くとは見えてささがにのいかに思へば絶ゆるなるらむ (ある男の歌)
(状況)『続古今和歌集』に贈答歌とも所収。「たまさかに返り事したりける人、後に又も書かざりけるに」は式部自身と見られる。夫宣孝死後の寡居時代と察せられる。0090・0091は夫の死後交際したが深い仲にならなかった男性との贈答である(新潮)と解釈するものと、式部の創作だ、詞書に男とあるのは、式部自身のこと見る解釈がある。(式部が)「時たま返事をしていたが、ある時から後はもう返事を書かなくなったところが」(新潮)「ささがにの」は蜘蛛、また、蜘蛛の糸。「い」(巣・網)という音を語頭に含む「いかに」「いかさま」「いかなり」「いづこ」「命」「今」などを導く枕詞。
//事あるその折ごとに返事を下さるものと思っていましたのに、どういうお考えから、お返事が途絶えたのでしょう(新潮)/ 折々に返事を書くとは見えたが、ささがにのようにどのように思えば絶えることになるのでしょう(渋谷)/ そのつど蜘蛛が架けていた糸がある時から見られなくなるように、あなたには時々返事を書いてくださっていたのに、どのようにお考えになって返事を下さらなくなったのでしょうか(全釈)
0091 霜枯れの浅茅にまがふささがにのいかなる折に書くと見ゆらむ (式部)
(状況)『続古今和歌集』に贈答歌とも所収。『夫宣孝の死別後の寡居時代の作と察せられる。詞書の「「かく」巣を掛く(巣を作る)「書く」の掛詞。
// 霜枯れの浅茅のなかにまぎれ込んでかすかに生きている小さな蜘蛛が、どんな折に巣を作るとお思いなのでしょう。-寡婦の私がどんな折にお返事を書くとお思いでしょう。でしょうか/ 霜枯れの浅茅に見まぎれるささがにの蜘蛛の巣はどのような折に掛くと見えたのでしょうか(渋谷)/ 霜枯れの浅茅に紛れ込んだ蜘蛛は糸を架けることもないと思いますが、あなたの冷たく浅い愛情に戸惑う私がどのような折にあなたに返事を書くのを御覧になったというのでしょう(全釈)
0092 入る方はさやかなりける月影を上の空にも待ちし宵かな (式部)
(状況)92・93・94は夫の夜離れを嘆いた頃の贈答である、とする。
//入って行く方角ははっきりわかっていた月の姿を、昨夜は上の空でまったことでした(新潮)/ 月の入る方角ははっきりしていた月光をぼうっと上の空で待っていた夕べでしたわ(渋谷)
0093 さして行く山の端もみなかき曇り心も空に消えし月影 (宣孝)
// 月の目ざして行く山の端も、あたりの空もみな一面暗く曇っていたので、心も上の空になり、月は上空で姿をかくしてしまったのだよ(新潮)/ 目指して行く山の端もみなすっかり曇って心も上の空に消えてしまった月光です(渋谷)
0094 おほかたの秋のあはれを思ひやれ月に心はあくがれぬとも (式部)
(状況)結婚生活二年余りの間には、こんな夜離れをうらやむこともあったことがわかる。「秋」「飽く」を掛ける。
//あなたに飽きられた晩秋のこの頃の悲しみを思ってみてください。今夜の月のように美しい方にあなたの心が奪われているにしても(新潮)/ 世間一般の秋の情趣を思いやってください月に誘われて心は浮かれ出たとしても(渋谷)
0095 垣ほ荒れ寂しさまさる常夏に露置き添はむ秋までは見じ (式部)
(状況)95・96・97・98は夫の死後、病気になった頃の歌である、と註にあり。夜離れのさびしさを詠んだとも見られるが、夫の歿後のある年の六月、病気をして心細い思いになったものと思われる、と註にあり。「撫子」幼子・賢子のこと/ 「常夏」なでしこの古名。春から秋まで咲いている花。多く床を掛ける。男が来ないさびしさ。「秋までは見じ」秋までは見ないつもりだ。「秋」「飽き」を掛ける。あなたに飽きられるまでは夫婦でいたくない。「じ」打消しの意志。「つゆおきそはん」涙で濡れている上に、露が置きそう『源氏物語』に「いにしへの秋さえいまの心ちしてねれにし袖に露ぞおきそふ」(御法・1396)/ 結局、この歌は、何を謡っているのか分からないのである。諸説あり。紫式部は重い病気になった、秋までは生きられないだろう、という説には組しない。何か決意をしている歌だ。
//夫が亡くなり、垣が荒れてさびしさのつのっているわが家の撫子に、秋には涙をそそる露が更に加わるであろうが、そんな秋までは私は生きてみることはできないであろう(新潮)/ 垣根は荒れて寂しさがまさる常夏に露が置き加わる秋までは見ることができないでしょう(渋谷)/ 垣根が(あなたの来訪が途絶え、庭の手入れもさせないので)荒れ、さびしさがまさる常夏の花(独り寝の床)に、涙に加えて、露が置き添うことになる秋まで、このまま見ていたくありません(全釈)
管理人私見・ある解釈・・・紫式部の決意が見て取れる歌。撫子の花を見て(生まれた賢子のことも心配だが)庭の垣根も荒れたままで夫が来ない日が続くなら、秋までには離婚しよう。 長保2年(1000)6月の歌か。/ 式部は内省的な人だが、頭はよく、表に出さないが、とてもプライドの高い女性だった、と見ます。
0096 花薄葉わけの露や何にかく枯れ行く野辺に消え止まるらむ (式部)
(状況)詞書の「人」は誰を指すのか、分からない。敬語を使っているので高貴の人か。「花すすき」すすきの穂のこと。「葉わけの露」葉の間を分けて下葉に置く露。「消え止まるらむ」消えないで、残りとどまる。「露」が消えずにのこることと、「はかない命」が死なずに生き残ること、を掛ける。/ この世を「枯れ行く野辺」と表現し「露」を命と示唆して詠んだ歌を贈れるのは、相当親密な人と思われるが。とても理屈っぽい歌です。・・・管理人
//すすきの葉の間を分けて下葉に置いた露が、草木の枯れてゆく野べに消えずに残っていますが、その露同様の私の命が、どうして今日まで生きながらえているのでございましょう(新潮)/ 花薄の葉ごとに分けて置く露はどうしてこのように枯れて行く野辺に消え止まっているのでしょう(渋谷)/ 穂の出た薄の(風になびく)一枚一枚の葉に置く露が、なぜこのように枯れてゆく野辺で、消えずに残るのでしょうか(全釈)
0097 世にふるになぞ貝沼のいけらじと思ひぞ沈む底は知らねど (式部)
「貝沼のいけ」所在不明。『枕草子』ではこひ沼の池とある。「心みに」どんな結果になるか、ためしに。「いけらじと」生きてはゆけまいと。「ら」は存続の助動詞、「じ」は打消し意志。
//世に生きていて何の甲斐があろう、生きているまいと思って、「かい沼の池」に私なら身を沈めます。その池はどこにあり、池の底はどんなところか知りませんが(新潮)/ 世の中に生きているなかでどうして貝沼ではないが、生きる甲斐がないと思い沈むことだ、どこそこと池の底は知らないけれど(渋谷)/ この世に生きながらえて何の甲斐(意味)があろう。「かい沼の池」に身を沈めて死んでしまおうと、悩みを抱えた私は気が滅入ることです。「かい沼の池」の底にどんな世界があるのか分りませんが(全釈)
0098 心ゆく水のけしきは今日ぞ見るこや世に経つる貝沼の池 (式部)
//心のはればれとする池の景色を今日は見ました。これが捨てた世に立ちかえってくる甲斐のある「かい沼の池」でしょうか(新潮)/ 心が晴れ晴れとする水の様子は今日見ましたこれがこの世に生きる甲斐があると伝わった貝沼の池でしょうか(渋谷) / ふさいでいた気持ちが晴れる水辺の光景を、今日初めて見たことです。これがまあ、女の世で過ごす甲斐があるという、あのかい沼の池ですね(全釈)
0099 多かりし豊の宮人さしわきてしるき日蔭をあはれとぞ見し (式部)
// 豊明節会に奉仕した大勢の人々の中で、ひときわ目立つ日陰の鬘のあなたを感慨深く拝見しました/ 大勢の豊の明りの節会に参集した宮人の中から取り分けてはっきりと日蔭の鬘を着けたあなたをしみじみと見ました(渋谷)/ 大勢いらっしゃった豊明の節会に奉仕する大宮人のなかでも、とりわけ目立つあなたのお姿を、しみじみと懐かしく拝見したことです(全釈)
0100 三笠山同じ麓をさしわきて霞に谷の隔てつるかな (隣の中将の君)
// 三笠山の同じ麓なのに区別して、霞が谷を隔てられたことです。中将も少将も同じ近衛府の仲間なのに、あなたにわけへだてをされました(新潮)/ 三笠山の同じ麓なのに区別して霞が谷を隔てるように分け隔てしていますね(渋谷)/ 中将と少将は同じ近衛府の官職、同じ三笠山の麓なのに区別して、霞によって谷が隔てられるように、私を隔てなさるのですね(全釈)
0101 さし越えて入ることかたみ三笠山霞吹きとく風をこそ待て (式部)
(状況)「さしこえて」順番をふみこえて。人をさしおいて先に出て。
// 霞の覆った谷の越えて三笠山に入って行くことは困難なので、風が霞を吹き散らすのを、あなたが打ち解けてくださるのを私の方こそ待っているのです(新潮)/ 谷を越えて入ることが難しいので三笠山の霞を吹き晴らす風を待っているのです (渋谷)/ 霞に閉ざされている谷を越えて三笠山に入ることは難しいので、霞を吹き飛ばす風を私は待っているのです。近衛府の官職は、少将、中将を昇進していくもの。まずは少将と会い、次に中将のあなたに会いに行くつもりです。あなたを隔てるつもりなどありません(全釈)
0102 埋もれ木の下にやつるる梅の花香をだに散らせ雲の上まで (式部)
// 人目にもふれず、みすぼらしく咲いた梅の花よ、せめて香りだけは宮中まで散らしておくれ(新潮)/ 埋もれ木のように目立たずに咲いている梅の花よせめて薫りだけでも散らしておくれ宮中までも (渋谷)/ 拙宅で目立たぬさまで咲いた梅の花です。せめて香りだけでも、雲居まで届きますように(全釈)/
0103 九重に匂ふを見れば桜がり重ねて来たる春の盛りか (式部)
(状況)寛弘四年(1007)四月のこと、八重桜の開花は遅く、春の盛りが再び来たかとなる。『伊勢大輔集』によれば、奈良から八重桜が献上された時、伊勢大輔が取り入れるに当たり、「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」と詠んだのに対する中宮の返歌となっている。式部が中宮の代作をしたと思われる。
//今、宮中で美しく咲いている八重桜を見ますと、桜見物の春の盛りが再びやってきたのかしらと思われることです(新潮)/  八重桜が九重の宮中で咲いているのを見ると、桜のもとに重ねてやって来た春の盛りでしょうか(渋谷)/ 宮中で美しく咲くのを見ると、この桜のところへ春の盛りがもう一度めぐってきたかと思います(全釈)
0104 神代にはありもやしけむ山桜今日の挿頭に折れるためしは (式部) 
(状況)加賀神社の祭りは、寛弘四年四月十九日。この年は閏五月があり、祭りが例年より早い季節で、桜が残っていたのであろう。祭りの勅使のかざしは、桂と葵であるが、ここは中宮から特別に下賜されたもの。「葉に書く」の「葉」は何の葉か。「葉に直接かくのではなく、紙に書いて、桜の葉茎に結び付けた」説や、実際に花や葉に書くこともあったらしい。
//神代にはありもしたでしょうか。山桜を今日のかざしに折り取るというこんなめずらしい例は(新潮)/ 神代には有ったのでしょうか山桜を今日の祭の挿頭のために折り取った例は(渋谷)/ 神代にはあったのでしょうか。山桜を賀茂祭の今日のかざしに折ったという例は(全釈)
0105 改めて今日しもものの悲しきは身の憂さやまたさま変はりぬる (式部)
// とりわけ新年の今日、今までとはちがって何だか悲しいのは、わが身の嘆かわしさが以前とは変わったのであろうか(新潮)/ 新年になった今日、何となく悲しい気持ちがするのはわが身の嫌さがまた様変わりしたのであろうか(渋谷)/ この上なく塵が積り、ますます荒れてしまったのを、不吉な言葉を忌み避けることもできず、年が改まって(新年を祝うべき)今日という日、あらためて物悲しく思うのは、この身の憂愁がまた様変わりしたのだろうか(全釈)
0106 めづらしと君し思はば着て見えむ摺れる衣のほど過ぎぬとも (式部)
(状況)「五節」十一月中の卯の月の新嘗会しんじょうえの前後四日間、五節の舞姫の奉仕する公事。  五節の頃に出仕しない紫式部に、弁の宰相の君(藤原豊子)が「残念・・・」と言ってきたときに式部が詠んだ歌。「摺れる衣」山藍の汁で白布に草木や小鳥の模様を摺ったものを青摺といい、五節の行事にたずさわる人がそれを着る。なお、新嘗会の神事にたずさわる人が着るものは小忌衣おみごろもという。
//摺衣は、見なれず新鮮な感じがするとあなたがお思いになるなら、摺衣の時期は過ぎましても、それを着てお目にかかりましょう(新潮)/ 素晴しいとお思いになりますならば、摺衣を着てお目にかかりましょう五節のころは過ぎたとしましても(渋谷)/ 長い間見ることもない、あるいは、私の小忌衣が讃美する価値があるとあなたがお思いなら、私は宮中まで行ってあなたにお会いし、私の小忌衣姿をお見せいたしましょう。時期的にも年齢的にも、小忌衣にふさわしい時期がたとえ過ぎてしまったとしても(全釈)
0107 さらば君山藍の衣過ぎぬとも恋しきほどに着ても見えなむ (弁宰相の君)
//それならあなた、山藍の摺衣の時期は過ぎましても、お会いしたいと思っておりますので、それを着て見せてください(新潮)/ それではあなた山藍の摺衣を着る時期は過ぎたとしましても恋しいと思っているうちにそれを着てお見せください(渋谷) / それならあなた、小忌衣を着る時期がたとえ過ぎてしまったとしても、私があなたを恋しく思うとき宮中にもどってきて姿を見せてほしいと思います。(全釈)
0108 うち忍び嘆き明かせばしののめのほがらかにだに夢を見ぬかな (ある人・宣孝)
(状況)0108・0109・0110・0111の四首は訪れなかった夫のいいわけによる贈答である、の註あり。
//お前に逢えずに、昨夜は人しれず嘆きあかしたので、夢の中で晴れやかにあうことさえもできなかった(新潮)/ ため息をつきながら一夜を明かすと、明け方になってもはっきりとあなたの夢を見ることができませんでした(渋谷) / 離れているあなたのことを慕い、逢えないことを嘆いて夜を泣き明かしましたので、明け方の東の空が晴々と明けてゆくように、せめてはっきりとあなたの夢を見たかったのに、それさえもかないませんでした(全釈)
0109 しののめの空霧りわたりいつしかと秋のけしきに世はなりにけり (式部)
(状況)(詞書の)この一文は前の歌の左注の働きもしている。旧暦では七月から秋になる。
//夜明けの空は、一面霧がたちこめ、早くもこの世は秋の景色ー私たちの仲も飽かれることになったことです(新潮)/ 明け方の空が霧りわたっており、早くも秋の様子に世の中は、あなたもわたしに飽きておしまいになったようですわ(渋谷)/  明け方の東の空に一面霧が立ちこめ、気がつけば、早くも、秋の景色に世間はなってしまったことです。あなたはもう、私に飽きてしまわれたようですね(全釈)
0110 おほかたに思へばゆゆし天の川今日の逢ふ瀬はうらやまれけり (式部)
//一年の中の全体の日々の事を考えると、一年に一度しか逢えないという七夕の運命そのものはいまわしいが、お前に逢えない今日、七夕の逢瀬がうらやましく思われることです(新潮)/ 普通に思うと縁起でもないが、天の川の年に一度の今日の逢う瀬は羨ましく思われます(渋谷) / 普通に考えれば、一年に一度の逢瀬は忌まわしいものです。しかし、あなたの来訪の可能性が全くない私にとって、彦星が天の川を渡って織姫に会いにやって来る、今日の逢瀬は、羨ましく思われることです(全釈)
0111 天の川逢ふ瀬はよその雲井にて絶えぬ契りし世々にあせずは (ある人・宣孝)
//天の川の逢う瀬を雲の彼方のよそごとと思って、今夜逢えなくても、切れることのない私どもの仲が、末長く変わらないのであればよいがと思われます/ 天の川の逢う瀬は他人の雲井のことです絶えないあなたとの夫婦の仲は世々に褪せなければ永遠です(渋谷)
/ 天の川を渡るという逢瀬は、雲の上の別世界の話であって、永遠に途切れない私たちの契り、それが三世に渡って色褪せなければよいのです(全釈)
0112 なほざりのたよりに訪はむ人言にうちとけてしも見えじとぞ思ふ (式部)
//いいかげんな通りすがりに訪れるような人の言葉には、心を許してお目にかかることは決してするまいと思っています(新潮)/ 何でもない折に訪ねようという人の言葉にうちとけた様子はけっして見せまいと思っています(渋谷)/ いいかげんな、ついでに物をいわれても、誰もうちとけてなんか、あなたに会わないでしょう。そう思いますよ(全釈)
0113 横目をもゆめと言ひしは誰れなれや秋の月にもいかでかは見し (式部)
(状況)0113・0119 は夫の夜離れをなじり嘆く返歌である、と註にあり。月を見ていたその翌朝、何と言ってきたのだったか。夫が昨夜来られなかった言い訳であったのだろう、註釈のまま記す。「よこめ」横目、他に目を奪われ、心を移すこと。浮気。
//他の女に心を移すなど決してとおっしゃったのはどなたでしょう。昨夜の秋の月に対しても、どのようにしてご覧になっていたのかしら(新潮)/ 他の女性に関心を寄せることなどけっしてしませんと言ったのは誰でしょうか昨夜の秋の月見もどのようにして見たのでしょうか(渋谷)/ 浮気を決してするなとわたしに仰ったのはだれでしたか。そう仰っていたあなたが私に飽きて、浮気をなさるなんて、今後、普段はもちろん、秋の月夜においても、一切あなたにお会いするつもりはありません(全釈)
0114 菊の露若ゆばかりに袖触れて花のあるじに千代は譲らむ (式部)
(状況)九月八日から九日にかけて菊の花を真綿でおおって露と香を移し、その真綿で身体を拭くと老いが除けると考えられ人にも贈った。「上の御方」道長の妻倫子。
//着せ綿の菊の露で身を拭えば千年も寿命が延びるということですが、私は若返る程度にちょっと袖を触れさせていただき、千年の寿命は、花の持ち主であられるあなたさまにお譲り申しましょう(新潮)/ 菊の露で若返るほどに袖を拭ってこの花の主人に千代の齢はお譲り申し上げましょう(渋谷)/ (いただいた着せ綿に移った)菊の露には、ほんの少し若やぐ程度に、袖を触れさせていただき、花のあるじであるあなた様に、千年の寿命はお譲り申したく存じます(全釈)
陽明0003 水どりを みづのうへとや よそにみむ われもうきたる 世をすぐしつゝ (式部)
(状況)「日記」からとられたもの。『千載和歌集』『続詞花和歌集』にも題知らず紫式部の歌として掲載。
// そんな水鳥を、いかにも物思いのなさそうな様子で、ともに楽しそうに動き回っているのを、そんな水鳥を、水の上のことだといって、自分とは無関係の世界として見ることがどうしてできようか。この私も、浮ついた不安定で憂鬱な日々を過ごしているのに(全釈)
0115 雲間なく眺むる空もかきくらしいかにしのぶる時雨なるらむ (小少将の君)
// たえまなくもの思いに沈んで眺めている空をも、雲の切れ目もなくまっくらにして降るのは、今までどれほどこらえていた時雨なのでしょう。それはあなたが恋しくてたえきれない涙のようです(新潮)/ 物思いに雲の切れ間なく眺める空もわたしの心同様にかき曇ってどのように堪えて降る時雨なのでしょうか(渋谷)
/ 雲の切れ目がなく、絶えず物思いに沈んで眺める空も、空を暗くして、(今日の時雨は)気持ちをどのように抑えたことが原因で降る時雨なのでしょう(全釈)
0116 ことわりの時雨の空は雲間あれど眺むる袖ぞ乾く世もなき (式部)
//季節柄降るのが当然の時雨の空には、雲の絶え間もありますが、あなたを思ってもの思いする私の袖は、乾く折もありません(新潮)/ ごもっともな時雨の降る空は雲間はありますが眺めているわたしの袖は乾く間もありません(渋谷) / 時雨れという雨の降り方からして、当然、時雨の空は、雨のあがる時がありますが、物思いに沈む私の袖はあなたを恋しく思う涙で濡れて乾く時がありません(全釈)
 
0117浮き寝せし水の上のみ恋しくて鴨の上毛にさえぞ劣らぬ  (大納言の君)
// 中宮様の御前で、あなたと御一緒に仮寝した折がしきりに恋しくて、一人いる里の霜夜の冷たさは、鴨の上毛のそれにも劣りません(新潮)/ 浮き寝をした水の上ばかりが恋しく思われて鴨の上毛の冷たさにも負けない侘しさです(渋谷) / 水鳥が浮き寝をする水の上ではないが、かってつらい思いで過ごした宮中のことばかりが今では恋しくて、独り寝で冷えきった我が身は、鴨の羽に冷たさが劣らぬことです(全釈)
0118 うち払ふ友なきころの寝覚めにはつがひし鴛鴦ぞ夜半に恋しき (式部)
// 上毛の霜を互に払い合うように語り合う友もなく、独りさびしい夜中に目が覚めると、おしどりのように離れずに過ごしたあなたが恋しいことです(新潮)/ 毛の霜をうち払い合う友のいないころの夜半の寝覚めにはつがいのように親しく過ごしたあなたを恋しく思われます(渋谷)/ かってつがいだったのに、今は羽の霜を互に払い合う友もいない鴛鴦のように、友のいないこの頃の私は、夜半の寝覚めにつけて、あなたのことが恋しく思われます(全釈)
陽明0004 としくれて わがよふけゆく 風の音に 心のうちの すさまじき哉 (式部)
寛弘五年(1008)の暮れである。式部の初出仕は寛弘二年(2005 寛弘三年説もあり)だから、3年たっている。『日記』、『玉葉和歌集』に所収。
// 今年も暮れて私も老けてゆく。夜更けの風の音に、この内裏で宮仕えする私の心のうちは寒々として寂しいことだ。(全釈)
陽明0005 すき物と なにしたてれば みる人の をらですぐれば あらじとぞ おもふ  (道長)
道長のような立場の男にとっては、あいさつ代わりで女房と冗談でいったもので、この贈答はただそれだけのもので、前後どう想像を発展させようもないものです(今井・叢書)
// 色好み、と評判が立っているので、そなたに会う人で、口説かないですませる人は、いないだろうと思うことです(全釈)
陽明0006 人にまだ をられぬ物を たれかこの すき物ぞとは くちならしけん (式部)
陽明0005・0006とも『日記』から取られたもの。
// 人にまだ、口説かれたこともございませんのに、誰がこのように、色好みなどと、評判を 立てたのでございましょう(全釈)
0119 なにばかり心尽くしに眺めねど見しに暮れぬる秋の月影 (式部)
(状況)夫の夜離を嘆く歌、と註にある。「心尽くし」様々に物を思うこと。
// 昨夜は何ほども心を砕いて眺めていたわけではありませんのに、見ているうちに、美しい秋の月が涙でくもってしまったことでした(新潮)/ どれほどの物思いを尽くして眺めたわけではないが見ていたうちに涙に暮れてしまった秋の月であった(渋谷)/ さほどひどく、いろいろと気をもんで、物思いに沈んだわけではないけれど、先ほどまで見ていたのに涙で目がくもって見えなくなった、秋の月の姿であるよ。(全釈)
0120 たづきなき旅の空なる住まひをば雨もよに訪ふ人もあらじな (式部 ?)
(状況)毎年七月の末、諸国から集めた力士の相撲を宮中で天皇がご覧になる。雨で相撲が延期となり、夜わびしさに友を求めたもの、注にあり。
// 家から遠く離れてよるべのない力士同様に、さびしい宮中の私の所へ、今夜の雨の中を訪ねて来てくれる人はまさかいないでしょうね(新潮)/ よるべない旅の空のようなわたしの住まいを雨の中を訪ねて来る人もいないでしょうね(渋谷)/ 心を慰める手段のない、旅先の住まいを、こんな雨が間断なく勢いよく降る時に訪ねてくる、人はいないでしょうね(全釈)
0121  挑む人あまた聞こゆる百敷の相撲憂しとは思ひ知るやは (同僚の女房 ?)
(状況)「相撲」と「住まひ」の掛詞。
// 宮中では相撲を競う人がたくさんいるとのことですが、同様に張り合う人がたくさんいる宮中の生活は、住みづらいものとおわかりになりましたか(新潮)/ 相撲に挑む人が大勢いると聞こえた宮中の相撲が中止になって、どんなに残念なことかと分っていただけるでしょうか、宮仕え生活の辛さも思い知られましょう(渋谷)/ 言い寄る人が、多いと聞いている、あなたの宮中の住まいがつらいとは、ほんとうは身にしみて感じておられないでしょう(全釈)
0122 恋ひわびてありふるほどの初雪は消えぬるかとぞ疑はれける (同僚の女房 ?)
(状況)同僚の女房からの歌と思われる。「ありふるほど」生き長らえるうちに。
// あなたを恋しく思って過ごしていますので、そんな折から降った初雪は、私の知らぬ間に消えてしまったのではないかと疑ったことです(新潮)/ あなたを恋しく思っている折に降って来た初雪は積もる間もなく消えてしまわぬかと心配されました (渋谷)/ 恋の悩みに苦しみながらも、私はこうして何とか生き長らえてきました。しかし、今日降った初雪が儚く消えるように、私は恋に疲れて消えてしまうかと、疑われることです(全釈)
0123 経ればかく憂さのみまさる世を知らで荒れたる庭に積もる初雪 (式部)
初雪にことよせて尋ねてくれた友人へ二首の返歌をした。
// 生きていると、こんなにも住づずらさが加わるばかりの世の中であることを知らずに、荒れたわが家の庭に美しく初雪が降り積もったことです(新潮)/ 生きているとこのように辛さばかりが増える世の中なのを知らずに荒れたわが庭に積もる初雪よ(渋谷)/ 時間が経つと必ずこのように、つらさばかりがつのる、男女の仲であることを知らないで、私は日々を積み重ねてきました。降ってきてはこのように(あなたの来訪が途絶えて)荒れた庭に、積もる初雪のように(全釈)
陽明0007 いづくとも 身をやるかたの 知られねば うしとみつつも ながらふるかな (式部)
(状況)『千載和歌集』に載る。この歌は古本にのみある。陽明本131首のなかにあり、実践女子大本の126首のなかにはない。初雪にことよせて尋ねてくれた友人へ、二首の返歌をしたと思われる。定家本にはない歌とのこと。00123とのセットで観照するのがよいと思われますので、ここに挿入した。
// どこへこの身をやったらよいともわからないので、住みずらいと思いながらも、この世に生きながらえていることです(新潮) /どこへとも、わが身を置く場所が、分からないので、つらいと思いながらも、この世に生きながらえていることです(全釈)
0124 いづくとも 身をやるかたの 知られねば うしとみつつも ながらふるかな
(状況)この歌は古本にのみある。陽明本131首のなかにあり、実践女子大本の126首のなかにはない。初雪にことよせて尋ねてくれた友人へ、二首の返歌をしたと思われる。定家本にはない歌とのこと。00123とのセットで観照するのがよいと思われますので、ここに挿入した。
// どこへこの身をやったらよいともわからないので、住みずらいと思いながらも、この世に生きながらえていることです(新潮)/ どこへとも、わが身を置く場所が、分からないので、つらいと思いながらも、この世に生きながらえていることです(全釈) /渋谷訳なし
0124 暮れぬ間の身をば思はで人の世の哀れを知るぞかつは悲しき  (式部)
// わが身は今日のくれぬ間だけの命で、明日はどうなるかわからないことも考えずに、あの方の生涯のはかなさを知るのは悲しいことです(新潮)/ 日が暮れない間のはかない身であることを考えないで、人の寿命の悲哀を知るとは一方では悲しいことです(渋谷)/ 日がまだ暮れないだけの、束の間の余命しかない我が身のことは考えないで、人の世の、無常を知るというのも、これまた一方では、悲しいことです(全釈)
0125  誰れか世に永らへて見む書き留めし跡は消えせぬ形見なれども (式部)
// 誰が今後生き永らえて、あの方の手紙を見ることでしょう。書き残されたこの筆の跡は消えずに残る形見ですけれど(新潮)/ いったい誰が世に永らえて見るのでしょう、書き留めた筆跡は消えない故人の形見ではありますが(渋谷)/ 誰がこの世に、生きながらえて見続けるでしょうか。亡き人が書き留めた、筆跡は消えることのない、形見ではありますけれど(全釈)
0126 亡き人を偲ぶることもいつまてぞ今日のあはれは明日のわが身を (加賀少納言)
// 亡き人を悲しみ慕うこともいつまで続くことでしょう。今日人の死を無常だと思っていることが、明日はわが身に訪れることですのに(新潮)/ 亡くなった人を悲しみ慕うこともいつまででしょう今日の無常は明日のわが身の上でしょうよ(渋谷) / おっしゃる通り、亡き人を偲ぶとことも、いつまで続くことでしょう。今日の小少将君に対する悲しみは、明日のわが身への悲しみとなるかもしれませんから(全釈)

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公開日2024年//月//日