物理の窓

6 星雲は銀河系外の銀河だ ハッブル

エドウィン・ハッブル

エドウィン・ハッブル
トレードマークのパイプをふかすハッブル。同世
代の中でもっとも偉大な観測天文学者だった。

ウィルソン山天文台に来てから四年後の1923年10月4日の夜、ハッブルは百インチ(2.5m)望遠鏡を使って観測していた。 観測条件は、もうこうなったらドームを閉めるしかないという最低ランクの「1」だったが、彼はどうにか四十分間露光して、M31、 すなわちアンドロメダ星雲の写真を撮ることができた。この写真を現像して昼の光の下で調べてみたところ、新しいシミのような ものが見つかった。きっと写真の不具合か、さもなければ新星だろう、とハッブルは考えた。翌晩、観測を終えようというときに、 空が前夜よりずっときれいに晴れていたこともあり、ハッブルは例のシミが新星であることを確認できるかもしれないと考えて、 五分間露光時間を延ばしたうえで、もう一度その領域の写真を撮った。例のシミはやはり前夜と同じところにあり、さらに二つの 新星らしきものが見つかった。彼は感光板上の新星とおぼしきシミのそばに新星(Nova)の頭文字「N」を書き込んだ。観測が 終わるとハッブルは研究室と感光板資料室のあるパサデナのサンタバーバラ通りに戻った。
ハッブルはこのたびの観測で撮影した写真と、同じ星雲の以前の写真と比較してみたかった。そうすれば、新星らしき シミが本当に新星なのかどうかがわかると思ったからだ。ウィルソン山天文台の感光板はすべて、耐震性のある倉庫に保管され、 画像はひとつずつ注意深くカタログに整理されていたので、必要な感光板を見つけ出して新星かどうかを確認するのには何の 苦労もなかった。嬉しいことに、シミのうち二つは確かに新星だった。そしていっそう嬉しいことに、三つ目のシミは新星ではなく、 セファイドだったのだ。古い感光板には、三つ目の星が写っているのもあれば写っていないものもあり、この星が 変光星であることを示していた。ハッブルは、それまでの研究者人生で最大の発見をしたのである。彼はすぐさま「N」の 文字を×で消すと、勝ち誇ったように変光星(variable star)を略して「VAR!」と書き込んだ。・・
アンドロメダ星雲にセファイドを見つける ネガ写真 アンドロメダ星雲にセファイドを見つける ポジ写真
ハッブルは百インチ望遠鏡で撮影されたこの写真のなかに、 初めてアンドロメダ星雲内に星を見つけた。 そのひとつが変光星であることを認めると、ネガに直接メモ書きした。
この画像及び説明の出典はTelescopes From The Ground Up。
この写真は望遠鏡で実際に銀河がどのように見えるかを示している。多くの天文学者たちは より詳しい観察のために、写真のネガのプリントを使う。ネガのプリントでは、通常白く見えるものが黒く写る。天文学者たちは 個々の星をもっと詳細に鮮明に見るためにネガのプリントをよく使うのである。
星雲内に見つかったセファイドは、(天の川銀河のすぐ近くにある大小のマゼラン星雲を別にすれば)これが初めてだった。 この発見がそれほど重要なのは、セファイドを使えば距離を測定できるからである。ハッブルはアンドロメダ星雲までの距離を測り、 大論争に決着をつけられるようになったのだ。星雲は天の川銀河の内部にあるのだろうか?それとも天の川銀河のはるかかなたにある 別個の銀河なのだろうか?新しく見つかったセファイドは、31.415日の周期で明るさを変化させていた。リーヴィットの研究から 絶対光度を求めると、このセファイドは太陽よりも七千倍明るいことがわかった。絶対光度と見かけの明るさを比較して、ハッブルは このセファイドまでの距離を引き出した。
結果は驚くべきものだった。このセファイドは―したがって、このセファイドを含むアンドロメダ星雲は―地球からざっと 九十万光年のかなたにあるらしいのだ。
天の川銀河の直径はおよそ十万光年だから、アンドロメダ星雲が天の川銀河の内部にないことは明らかだった。そして、それほど 遠くにあるにもかかわらず肉眼ででも見えるのだから、信じられないほど明るいはずだ。それほど明るいからには、何億個もの星を 含んでいるのだろう。アンドロメダ星雲は別個の銀河だと考えるしかなかった。大論争に決着がついたのである。
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アンドロメダまでの距離がこれほど大きいことに衝撃を受けたハッブルは、さらなる証拠が得られるまで発表を指し控える ことにした。ウィルソン山天文台では、ハッブルの周囲の天文学者たちはみんな単一銀河説を信じていたので、物笑いの種になることを 警戒したのである。彼は恐るべき克己心と忍耐力を発揮して、アンドロメダの写真を撮り続け、第二の、もっと暗いセファイドを 発見した。このセファイドも、ハッブルの最初の結論を確証するものだった。
1924年2月、彼はついに沈黙を破り、単一銀河説のスポークスマンだったシャプリーへの手紙の中で観測結果を明らかにした。 シャプリーはかってリーヴィットがセファイドの距離スケールを定めるのに力を貸したことがあったが、これが大論争での自分の 立場を崩壊させることになったわけだ。シャプリーはハッブルの手紙を読んでこう言った。「この手紙によって、私の宇宙は 打ち砕かれた」
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ハッブルの発見のニュースが広まると、天文学者たちは長年の懸案を解決した彼に喝采を送りはじめた。プリンストン天文台 の台長だったヘンリー・ノリス・ラッセルはハッブルにこんな手紙を送った。「このすばらしい仕事には絶大な賞賛が寄せられる でしょうし、あなたはまさしく賞賛に値する仕事をなさいました。詳細はいつ発表されるおつもりですか?」
ハッブルがこの結果を正式には発表したのは、ワシントンで開催された1924年の米国科学振興協会の会議でだった。彼はこの 会議で、もっとも優れた論文に贈られる一千ドルの賞金を、シロアリの腸内原生生物を研究した生物学者レミュエル・クリーヴランド と分け合った。アメリカ天文学会の委員会が起草した文書には、ハッブルの仕事の意義が力強く述べられていた。「(ハッブルの仕事は) これまで研究の手の及ばなかった深宇宙への扉を開き、近い将来にさらなる大きな躍進が起こることを約束するものである。またこの 研究は、物理的世界についてそれまで知られていた容積を百倍にも拡大し、銀河のひとつひとつは天の川銀河に匹敵する広がりをもつ、 膨大な数の星の集まりであることを示すことによって、長年未解決であった(渦巻き)銀河の本性をめぐる問題に決着をつけたことは 明らかである」
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ハッブルの測定はまさしくセンセーショナルな意味があり、まもなくハッブル当人も世間の論議や新聞記事のネタになった。 ある新聞は彼のことを「天文学の巨人」と呼んだ。彼はアメリカの内外から数々の賞を受け、同僚の天文学者たちも彼をを褒め称えた。 オックスフォード大学サヴィル教授職にあったハーバート・ターナーは次のように述べた。「エドウィンが自分の仕事の大きさを 理解できるようになるまでには長い年月がかかるだろう。そんな経験はできたとしても生涯に一度きりだし、経験できたものは幸運 である」
しかしハッブルは、これよりさらに革命的な観測を行うことにより、天文学をいま一度揺さぶることを運命づけられていた のである。その観測のために宇宙論研究者たちは、宇宙は永遠で静的だという仮説を見直さざるをえなくなる。ハッブルが次の 大躍進を遂げるためには、望遠鏡の威力と写真の感度を結びつける新たなテクノロジーが必要だった。「分光器」の名で知られる その装置のおかげで、天文学者は巨大な望遠鏡に届いたかすかな光の情報をとことん搾り取れるようになったのである。分光器― それは十九世紀科学の夢と希望から生まれた装置だった。

5 小マゼラン星雲に二十五個のセファイドを発見する: リーヴィット

7 銀河は遠ざかっている: ハッブル

星までの距離を測定する 目次

更新2009年6月17日