7 銀河は遠ざかっている ハッブル
二十世紀に入ると分光器のテクニックもすっかり成熟し、新しく建設された巨大望遠鏡や高感度の感光板と組み合わせて
使えるようになった。望遠鏡、写真、分光器という三位一体のテクノロジーは、星は何でできているのか、星はどんな速度で
運動しているのかを探る空前の機会を天文学者にもたらした。どんな星の光にも抜け落ちた波長はたくさんある。抜け落ちた
波長から星の成分を調べたところ、星の主成分は水素とヘリウムであることが明らかになった。さらに、抜け落ちた波長が
どれだけずれているかを測定したところ、星たちはさまざまな速度で運動していることもわかった。星のなかには、地球に
近づいてくるものもあれば遠ざかっていくものもあり、秒速数キロメートルでゆっくり動いている星もあれば、秒速五十キロ
メートルという猛烈なスピードで飛ばしている星もあったのだ。秒速五十キロメートルというのはかなりの速度で、もし
飛行機がこの速度で飛べるとすると、太西洋を越えるにはほんの二分ほどしかかからないだろう。
1912年には元外交官のヴェスト・スライファーという天文学者が、測定速度のレベルを前代未聞の高さまでに引き上げた。
スライファーは、星雲のドップラー偏移を初めて測定した天文学者になったのだ。そのために彼が使ったのは、アリゾナ州
フラッグスタッフにあるローウェル天文台のクラーク望遠鏡だった。・・・
スライファーは、アンドロメダ星雲(のちに星雲ではなく銀河であることが立証された)からやってくるかすかな光を捉える
ために、幾晩もかけて合計四十時間露光し、秒速三百キロメートルの速度に相当する青方偏移を得た。この速度はほかの星の速度
よりも六倍ほど大きかった。1912年の段階ではまだ、アンドロメダはわれわれの天の川銀河の内部にあるというのが大方の意見
だったので、天文学者たちにとって、天の川銀河の内部にある天体がそれほど大きな速度をもつというのは信じられないことだった。
スライファー自身でさえもその測定結果を疑い、ミスを犯していないかどうかを確かめるために、今日ではソンブレロ銀河の名で
知られる星雲に望遠鏡を向けてみた。すると今度は、青方偏移ではなく赤方偏移が検出され、しかもドップラー偏移による波長の
ずれはさらに大きかった。ソンブレロの赤方偏移を説明するには、秒速千キロメートルという非常に大きな速度で遠ざかっている
と考えなければならなかったのだ。この速度は光速の一パーセントのオーダーにせまるものである。もしも飛行機にこれだけの
速度が出せるなら、ロンドンからニューヨークまでは六秒で飛べるだろう。
スライファーはそれからの数年間につぎつぎと銀河の速度を測定していき、銀河はたしかに驚くべき速度で運動している
ことが明らかになった。しかし新たな謎も生まれた。はじめに測定した二つの銀河では、一方はこちらに近づき(青方偏移)、
他方は遠ざかっていた(赤方偏移)。ところがその後、十二の銀河について測定を行ったところ、近づいてくる銀河よりも
遠ざかっていく銀河の方がずっと多かったのだ。スライファーは1917年までに二十五の銀河について測定を行ったが、そのうち
遠ざかっていくものは二十一、近づいてくるものは四つだけだった。その後の十年間に、彼はさらに二十の銀河について測定を
行ったが、そのずべてが遠ざかっていた。ほとんどすべての銀河が、猛烈なスピードで天の川銀河から遠ざかっているらしかった。
あたかもわれわれの住む天の川銀河がたまらない悪臭でも発しているように。
・・・
そんなわけで、赤法偏移を示す銀河のほうが圧倒的に多いというスライファーの結果を聞いたハッブルはこの大騒ぎに
踏み込んで謎を解かなければなるまいと考えた。逃げていく銀河の謎を解明するのは、当代一の天文学者が果たすべき当然の
義務のように思われたのだ。ハッブルはウィルソン山で仕事に取りかかった。この天文台の百インチ望遠鏡は、ローウェル
天文台でスラーファーが使った望遠鏡より十七倍も大きな集光力をもっていた。暗闇の中で幾晩も仕事を続けるうちに、ハッブルは
夜空の闇の中でも目が利くようになった。天文台の大きなドームの下、のっぺりとした黒の色調を破るものは、ハッブルの
プライアー・パイプからときおり覗く穏やかな赤い光だけだった。
ハッブルの助手を務めたミルトン・ヒューメイソンは、しがない身の上から世界最高の天文写真家にまで上り詰めた人物
である。ヒューメイソンは十四歳のときに学校をやめ、客員天文学者の宿泊施設だったウィルソン山ホテルでベルボーイとして
働きはじめた。その後彼は天文台のラバ追いとなり、食料や装置類を山頂まで運ぶ手伝いをするようになった。次に天文台の
雑用係に採用されたヒューメイソンは、天文学者が夜ごと何をしているか知るようになり、天文学者たちの使う写真の技術を
学んでいった。学生の一人に頼み込んで、数学を教えてもらったこともあった。ウィルソン山天文台では、すさまじい勢いで
天文学の知識を身につけている好奇心いっぱいの雑用係のことが話題になった。天文台に来てから三年後、ヒューメイソンは
写真部門のスタッフに任命された。そしてさらに二年後、彼は一人前の助手になっていた。
ハッブルはそんなヒューメイソンが気に入り、あまりお似合いとはいえない協力関係を結んだ。ハッブルのほうは相変わらず
気品のある英国紳士で通していたのに対し、ヒューメイソンのほうは、雲の出た夜にはトランプ遊びをしたり、「パンサージュース」
と呼ばれる密造酒を飲んだりして過ごした。この二人の関係を成り立たせていたのは、「天文学の歴史とは、地平線が後退していく
歴史である」というハッブルの信念だった。ヒューメイソンのもたらしてくれる画像のおかげで、ハッブルは世界中の誰よりも
遠い宇宙をみることができたのだ。ヒューメイソンは銀河の写真を撮る際は、銀河が望遠鏡の視界からはずれないようにする
トラッキング機構のエラーに備え、望遠鏡を駆動するボタンの上に指をずっと置きっぱなしにしていた。ハッブルはそんな
ヒューメイソンの忍耐力と、細部まで行き届く注意力を高く買っていた。
スライファーの赤方偏移の謎を解くために、このペアは分担して仕事に取り組んだ。ヒューメイソンは多数の銀河について
ドップラー赤方偏移を測定し、ハッブルはその銀河までの距離を求めた。望遠鏡には新しいカメラと分光器を取り付け、以前ならば
幾晩もかけて露光しなければならなかった写真を、わすか二、三時間で撮れるようにした。二人はまずはじめに、スライファーが
最初に測定した銀河の赤方偏移を確認したのち、1929年までに四十六の銀河について赤方偏移と距離を求めた。あいにく、このとき
得られた結果のほぼ半数は、誤差の生じる余地が大きすぎることが判明した。慎重になったハッブルは、十分に自身のもてる測定
結果だけを使い、横軸に距離、縦軸に速度をとってグラフにしてみた。
ハッブルの距離と後退速度の関係グラフ
このグラフにプロットされているのは、銀河のドップラー偏移を示すハッブルの最初のデータ(1929年)である。横軸は
距離、縦軸は後退速度。各点は1つの銀河に対する測定値である。点のすべてが直線上に乗っているわけではないが、一般的な
傾向は見て取れる。このことから、銀河の速度は距離に比例することが示唆される。
(注追記)1 parsec(パーセク)は約3.26光年にあたる。横軸(距離)に書かれた106 parsecs は約326万光年にあたり、
2×106 parsecsはその倍の約652万光年にあたる。いずれも天の川銀河(直径約10万光年)よりはるか遠い。
縦軸(速度)の単位はkm/s(秒速)である。
ほとんどすべての銀河は赤方偏移を示し、これは銀河が後退していることをほのめかしていた。またグラフの上の点を見ていくと、
銀河が後退する速度と、地球からその銀河までの距離とにあいだに強い相関がありそうだった。ハッブルはデータ点のあいだに
一本の線を引いてみた―銀河の速度は、地球からその銀河までの距離に比例するのではないかと考えたのだ。つまり、ある銀河
より二倍遠くある銀河は、おおよそ二倍の速度で遠ざかっていくように見え、三倍遠くにある銀河は、おおよそ三倍の速度で
遠ざかっていくように見えるということだ。
・・・
ハッブルはデータを集めはしたが、自らビッグバンを声高に唱導したり、宣伝したり、積極的に支持したりすることはなかった。
ハッブルはこの結果を、「銀河系外星雲の距離と視線速度との関係」という地味なタイトルをつけた六ページの論文の中で発表した。
堅実なハッブルは、宇宙の始まりについて思弁をめぐらせたり、哲学的な宇宙論の大問題に首を突っ込んだりする気はなかった。
彼はただ優れた観測をして、精度の高いデータを手に入れたかっただけなのだ。前回の大躍進を遂げたときもこれと同じだった。
ハッブルは、星雲のいくつかは天の川銀河のはるかかなたにあることを証明はしたが、それらの星雲が別個の銀河だという結論を
出すことは他人に任せた。ハッブルは一種病的なまでに、自らのデータの深い意味に向き合うことができなかったようである。
そんなわけで、銀河の速度と距離に関するハッブルのグラフを解釈したのも、同僚の天文学者たちだった。
しかし誰にせよ、ハッブルの観測結果について本気であれこれ考え出す前に、まずは彼の測定が正確だと考えなければならなかった。
これは大きな壁だった。というのも、多くの天文学者はハッブルのグラフに納得しなかったからだ。そもそも少なからぬデータ点は、
彼の引いた直線からだいぶ離れていた。点は、実は直線ではなく曲線に乗っているのではないだろうか?あるいは直線でも曲線でも
なく、単にランダムに分布しているだけではないのか?このグラフは途方もなく重大な意味をもちかねなかっただけに、証拠は
確実でなければならなかった。ハッブルはより精度の高い測定をもっとたくさん行う必要があった。
ハッブルとヒューメイソンはそれから二年のあいだ望遠鏡のそばで過酷な夜を過ごし、観測のテクノロジーをぎりぎりまで
磨き上げた。その努力は実り、1929年の論文で取り上げたどの銀河よりも、二十倍も遠くにある銀河まで測定できるようになった。
1931年、ハッブルは新しいグラフを含む論文を発表した。このたびのグラフでは、点はハッブルが引いた直線上にきれいに並んでいた。
もはやデータの意味するところから逃れるすべはなかった。宇宙はたしかに膨張しており、しかも規則正しく膨張していたのだ。
銀河の速度と距離は比例するというこの関係は、のちに「ハッブルの法則」として知られるようになった。法則とはいっても、
たとえば重力法則が二つの物体間に働く重力の大きさを精密の教えてくれるのと同様な意味で厳密に成り立つわけではない。むしろ
この法則は、ほとんどの場合に成り立つが例外も認めるという、事実にもとづく大まかな規則というべきものである。
たとえば、ヴェスト・スライファーが初期に調べた銀河のなかには青方偏移を示すものがいくつかあったが、これはハッブルの
法則に真っ向から反している。これらの銀河は天の川銀河に近くにあったから、もしも銀河の速度が距離に比例するというなら、
小さな後退速度をもつはずだった。しかし、予想される速度が十分に小さければ、天の川銀河や、その他近隣の銀河からの重力に
引っ張られるせいで、速度の向きが逆転されることもありうる。要するに、小さな青方偏移を示す銀河は、ハッブルの法則に合わない
局所的な異常として無視できたのである。したがって一般には、銀河は距離に比例する速度でわれわれから遠ざかっていくと言って
よい。ハッブルの法則は簡単な式で表すことができる。
v = H0×d
この式の意味するところは、一般に銀河の速度(v )は、地球からの距離(d )と「ハッブル定数」として知られている定数
(H0)との積に等しいということだ。ハッブル定数の値は、距離と
速度にどんな単位を用いるかのよって変わる。普通、速度の単位としては「一秒間に何キロメートル進むか(km/s)が使われるが、
距離の単位としては専門的な理由により、天文学ではメガパーセク(Mpc)が使われることが多い。一メガパーセクは326万光年、
あるいは同じことだが3090京キロメートルである。ハッブルは距離の単位としてメガパーセクを用い、ハッブル定数の値を558km/s/Mpc
とした。
ハッブル定数の値には二つの意味がある。ひとつは距離と速度の関係である。地球から一メガパーセクの距離にある銀河は
秒速五百五十八キロメートルほどで運動し、十メガパーセクの距離にある銀河は秒速五千五百八十キロメートルほどで運動している
ということだ。したがってハッブルの法則が正しければ、どんな銀河に対しても、距離を測定すれば速度がわかることになる。
またそれとは逆に、速度がわかれば距離を推定することができる。
・・・
元ラバ追いのヒューメイソンにしてみれば、そんな大層な議論はどうでもよかった。彼の仕事は赤方偏移を測定するところまで
で、その結果をどう解釈するかなど知ったことではなかったのだ。「私はこの仕事の中で自分が果たした役割が、いわば基本的な部分
だったことをいつもありがたく思ってきました。それは永遠に変わらない部分です―それが意味することについて、どんな判断が
下されようとも。私が測定したスペクトル線は、永遠に私が測定した位置にあります。速度も、赤方偏移と呼ばれようが、最終的に
どんな名前で呼ばれることになろうが、変化することはありません」
ここでふたたび強調しておくべきことは、ハッブルはまたしてもいっさいの思弁を避けたことだ。彼は測定結果こそ提供した
ものの、宇宙論の論争にはまったく関与しなかった。ハッブルとヒューメイソンの論文には次の一文が見える。「筆者らは、
”見かけの速度変位”(赤方偏移のこと)にやむなく言及するが、その解釈および宇宙論的意味に立ち入るものではない」
6 星雲は銀河系外の銀河だ: ハッブル
星までの距離を測定する 目次
完