物理の窓

5 小マゼラン星雲に二十五個のセファイドを発見する: リーヴィット

そんななか、1877年ハーバード・カレッジ天文台の台長になったエドワード・ピッカリングは、天体写真を徹底的に整備する ためのプロジェクトに乗り出した。この天文台はそれから十年間に、五十万枚もの感光板に空を写し取ることになるため、写真解析 を大々的に進めるための体制作りはピッカリングの優先課題のひとつだった。一枚の感光板には何百という星が写り込んでおり、 そのすべてについて明るさを評価し、位置を特定しなければならない。ピッカリングは若い男性の一団を「コンピューター」として 雇い入れた―もともとコンピューターという言葉は、データを操作したり計算を行ったりする人たちを指していたのである。
残念ながらこのチームは集中力に欠け、細部への注意力も足りなかったので、ピッカリングはしだいにいらいらしはじめた。 ある日のこと、堪忍袋の緒が切れたピッカリングは、「うちのスコットランド人のメイドのほうがずっとましな仕事をする」と 言い放ってしまった。彼はその言い分を説明するために、男ばかりのこのチームを解雇し、女性のコンピューターを雇い入れて、 彼のメイドを主任に据えた。その女性ウィリアミナ・フレミングは、アメリカに来る前はスコットランドで教師をしていたが、 アメリカで妊娠中に夫に捨てられ、家政婦として働かなければならなくなった。しかしいまや彼女は、「ピッカリングのハーレム」 と渾名のついたチームを率い、世界最大の天体画像の集積を精査していくことになったのである。
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ウィリアミナ・フレミングの女性コンピューターチームは、男性天文学者が研究を進められるように、写真からデータを取る という苦労の多い仕事に専念するはずだった。しかしまもなく彼女たちは、独自の成果を上げはじめた。延々と感光板を見つめて 過ごす日々のおかげで、彼女たちは対象となる天体を熟知するようになったのだ。
たとえばアニー・キャノンは1911年から1915年にかけて一ヶ月ごとにおよそ五千枚の星をカタログにし、それぞれの星の 位置と明るさと色を計算した。彼女はこの直接的な経験から、星を七つのタイプ(O,B,A,F,G,K,M)に分ける分類体系の構築に 大きく貢献することになった。今日でも天文学を専攻する学部学生は、この分類体系を学び、たいていは次のように記憶する。 「Oh, Be A Fine Guy - Kiss Me!(おお、いい男ね―私にキスして!)」1925年、キャノンは骨身を惜しまず成し遂げた洞察力 ある仕事を認められて、女性としては初めてオックスフォード大学から名誉博士号を授与された。1931年には、アメリカでもっとも 偉大な十二人の女性の一人に選ばれ、同年、米国科学アカデミーから栄誉あるドレーバー・ゴールド・メダルを授与された。
キャノンは子ども時代にかかったしょう紅熱のせいで、セファイドの先駆者ジョン・グッドリックと同様ほとんど耳が 聞こえなかった。この二人はともに、聴覚を埋め合わせるように鋭い視覚をもち、ほかの人たちならば見落としたであろう 細部に気づくことができたようだ。ピッカリングのチームでもっとも名を知られるようになるヘンリエッタ・リーヴィットもまた 重い難聴だった。大論争にきっぱり決着をつけることになる感光板の特徴に気づいたのが、このリーヴィットである。そのおかげで 天文学者たちは星雲までの距離を測れるようになり、彼女の発見はそれから数十年にわたって宇宙論に影響を及ぼし続けることに なった。
ヘンリエッタ・リーヴィット

ヘンリエッタ・リーヴィット
ハーバード・カレッジ天文台で無給のボラ
ンティアから出発し、20世紀の天文学でも
っとも重要な進展のひとつを成し遂げた。

リーヴィットは1868年に、会衆派の牧師の娘としてマサチューセッツ州ランカスターに生まれた。ハーバード・カレッジ 天文台時代の彼女をよく知るソロン・ベイリー教授は、当時を振り返り、彼女の人柄が宗教的な家庭環境の中でかたちづくられた 事情を次のように書いている。
彼女は強い絆に結ばれた家庭を大切にし、友人には無私な思いやりがあり、自らの主義はどこまでも貫き、 深く良心に従い、宗教と教会への愛着には二心がなかった。他人の良さや愛すべき部分に気づくという幸せな能力に恵まれ、 その人柄は陽光のように明るかった。彼女にとって人生のすべては美しく、意味に満ちていた。
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1892年、リーヴィットは、当時「女子大学教育協会」と呼ばれていたハーバード大学ラドクリフ・カレッジを卒業した。 しかしそれに続く二年のあいだ、彼女は家から出ることができなかった。おそらくは髄膜炎と思われる病気にかかり、回復に 努めていたのである。この病気のせいで、リーヴィットの聴覚は失われてしまった。やがて体力を回復した彼女は、ハーバード・ カレッジ天文台でボランティアとして働くようになり、感光板を次から次へと精査しては変光星を探り出し、カタログに記載 していくという仕事を始めた。写真は変光星の研究を一変させた。別の晩に撮影された二つのガラス板を重ね、直接比較する ことができたので、明るさの変化を見つけるのが大幅に楽になったからだ。リーヴィットは急速に発展しつつあったこのテクノロジー を駆使して、最終的に二千四百以上もの変光星を発見した。これは当時知られていた変光星の約半数である。プリンストン 大学のチャールズ・ヤング教授はこの偉業に感銘を受け、彼女を「変光星の魔人」と呼んだ。
さまざまなタイプの変光星の中で、リーヴィットがとくに情熱を傾けたのがセファイドだった。セファイドを測定してカタログに する作業を何ヶ月か続けるうちに、彼女は変動のリズムを決めているのは何かを知りたくてたまらなくなった。この謎を解くために、 彼女はどのセファイドについても得られるたった二つの確実な情報に注意を向けた。その二つとは、周期と明るさである。理想を 言えば、周期と明るさのあいだに何か関係があるのかを知りたかった―たとえば、明るい星は暗い星よりも周期が長いとか、その 逆といったことだ。しかし残念ながら、明るさのデータからは何も引き出せなかった。というのも、たとえあるセファイドが見かけ は明るくとも、実際には近くにあるだけの暗い星かもしれないし、逆に、見かけは暗くとも、実際には遠くにある明るいセファイド かもしれないからだ。
天文学者たちはずっと以前から、われわれに知りうるのは星の実際の明るさではなく、見かけの明るさだということに気づいて いた。この状況はどうやっても打開できそうになく、ほとんどの天文学者たちは諦めていた。しかしリーヴィットは忍耐力と集中力 のおかげで、すばらしく巧妙なアイディアを思いついた。彼女が大きな一歩を踏み出したのは、小マゼラン星雲の名前で知られる 星の集まりに注目したときのことだった。この名前は、地球一周の旅で南洋を航海した際にこの星雲を記録した十六世紀の探検家、 フェルディナンド・マゼラン(フェルナン・デ・マガリャンイス)にちなんで名づけられたものである。小マゼラン星雲は南半球 からしか見えないため、リーヴィットは、ペルーのアレキバにあるハーバードの南半球観測所で撮影された写真に頼るしかなかった。 彼女は苦労のすえに、小マゼラン星雲に二十五個のセファイドを見出した。地球から小マゼラン星雲までの距離はわからなかったが、 リーヴィットは、この星雲は比較的遠くにあり、星雲内のセファイドは互いに接近しているだろうと考えた。つまり、二十五個の セファイドは地球からほぼ等距離にあると考えたのだ。突然、リーヴィットは求めているものを手に入れた。もしも小マゼラン星雲 内にあるセファイドがほぼ等距離になるなら、そしてそれらの明るさに違いがあるなら、それは本来持っている固有の明るさが違う のであって、見かけの明暗の問題ではない。
小マゼラン星雲内の星はどれも地球からほぼ等距離にあるという仮定は一種の賭けだったが、しかしきわめて妥当な仮定だ とも言えた。リーヴィットの思考の道筋は、二十五羽の鳥が群れになって空を飛んでいるのを見たとき、鳥同士の距離は、 群れと観察者との距離よりも小さいと考えるのに似ている。そのとき一羽の鳥が他の鳥より小さく見えるなら、その鳥はおそらく 本当に小さいのだろう。それに対して、もしも二十五羽の鳥が空のあちこちに散らばっていたなら、小さく見える鳥が本当に 小さいのか、それとも単に遠くにいるせいで小さく見えるのか、たしかなことはわからない。
小マゼラン星雲内の25個の変光星の見かけの明るさと周期との関係

小マゼラン星雲内の25個の変光星の見かけの明るさと周期との関係
ここに挙げる2つのグラフは、小マゼラン星雲内のケフェウス型 変光星(セファイド)に関するヘンリエッタ・リーヴィットの観察であ る。図Fig1は周期に対して光度(等級)をプロットしたもので、周期 の単位は日(横軸)。グラフの黒点はそれぞれ1個のセファイドの 明るさの最大値または最小値を表している。グラフには2本の線 が引かれており、一方は個々の変光星の明るさの最大値を、他 方は明るさの最小値をつないだものである。
このグラフを理解しやすくするために説明すると、約65日の周期をもつセファイドの明るさは、11.4から12.8のあいだで 変化する。データ点をつなぐように2組のなめらかな曲線を引くことができる。すべての点がこの曲線上に乗るわけではないが、 しかし誤差を見込めば、この曲線はまずまずデータに合っている。
星の明るさは等級で表されるが、等級という測定単位にはちょっと変わった性質がある。星の明るさが大きくなるにつれて 等級は小さくなるのだ。縦軸が16から11へと小さくなっていくのはそのためである。また、等級は「対数目盛」で測定される。 本書の目的のためには「対数目盛」の定義を述べる必要はない。われわれが知っておくべきは、明るさと変化の周期の関係は、 図Fig2のように周期も対数目盛にすれば、いっそう明らかになるということだけである。こうするとすべての点は2本の直線上 にほぼ乗り、セファイドの変更周期と明るさのあいだには簡単な数学的関係があることがわかる。

リーヴェットはいよいよ、セファイドの明るさと、明るさが変化する周期との関係を調べられるようになった。彼女はまず、 「小マゼラン星雲にの含まれる各セファイドの見かけの明るさは、星雲内の他のセファイドとの関係において、実際の明るさを知る ための正しい目安になる」と仮定した。そして二十五のセファイドについて横軸に周期、縦軸に見かけの明るさをとってグラフ を作ってみた。結果は驚くべきものだった。図fig1が示すように、周期の長いセファイドのほうが一般に明るく、さらに重要な ことは、データ全体が全体としてなめらかな曲線上に乗りそうだったのだ。図fig2は、同じデータ点を、周期の目盛りを変えて プロットしたもので、明るさと周期との関係がさらにはっきりしている。1912年、リーヴェットはこの結論を発表した。 「明るさの最大値に対応する点の組をつなぎ、また最小値に対応する点の組をつなげば、それぞれ直線が得られる。このことは、 変光星の明るさと周期とのあいだに簡単な関係があることを示している」
リーヴィットは、セファイドの実際の光度と、見かけの明るさの変動周期とのあいだに厳密な数学的関係があることを見出した のである。セファイドの光度が大きければ大きいほど、変動周期は長くなるのだ。リーヴィットはこの規則が宇宙のどのセファイド に対してもあてはまり、彼女のグラフは周期がきわめて長いセファイドまで拡張できると確信していた。これはまったく途方もない 結果であり、宇宙全体に波及する重大な内容をはらんでいたが、発表された論文には「小マゼラン星雲内の二十五個の変光星の周期」 という地味なタイトルがつけられた。
リーヴィットの発見の威力は、任意の二つのセファイドを比較して、地球からの相対距離を求めることができるという点だった。 たとえば空の離れた場所に、変更周期がほぼ等しい二つのセファイドが見つかったとすると、それら二つのセファイドはおおよそ 同じ明るさで輝いていることがわかる。なぜなら図からわかるように、セファイドの周期が等しければ、固有の明るさも等しいと 予測できるからだ。したがって、周期が等しい二つのセファイドがあり、一方の明るさが他方の九分の一だったら、暗いほうの セファイドは明るいほうのセファイドよりもずっと遠くにあるはずである。実は、明るさが九分の一なら、距離はちょうど三倍になる。 明るさは距離の二乗に反比例して弱まり、32=9だからだ。同様に、あるセファイドが、ほぼ周期の等しい別のセファイド の百四十四分の一の明るさだったなら、122=144だから、暗いほうのセファイドは12倍遠くにあると考えられる。
天文学者たちはリーヴィットのグラフからセファイドの等級を知り、それらの相対距離を求めることはできた。しかし 絶対距離はひとつとしてわからないままだった。あるセファイドが他のセファイドより、たとえば十二倍遠くにあることは示せたが、 できたのはそこまでだった。どれかひとつでもセファイドまでの距離がわかりさえすれば、リーヴィットの目盛りに具体的な値を与え、 すべてのセファイドまでの距離を測ることができるのだが―。
この壁がついに突破され、セファイドまでの距離の目盛りに具体的な数字が与えられたのは、ハーロウ・シャプリーとデンマーク のエイナー・ヘルツスプルングら天文学者チームの一致協力した努力の賜物だった。彼らは視差などのテクニックを組み合わせて、 あるひとつのセファイドまでの距離を測定し、リーヴィットの研究を宇宙への究極の里程標にしたのである。こうしてセファイドは 宇宙のものさしになった。
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スウェーデン科学アカデミーのイエスタ・ミターク=レフラーは、リーヴィットという人物と、その彼女が見出したセファイドの ものさしに感銘を受け、1924年、彼女をノーベル賞にノミネートすべく書類作りに取りかかった。しかしリーヴィットが現在どんな 研究をしているかを調べはじめたミターク=レフラーは、彼女が三年前の1921年12月12日、五十三歳にしてガンのために死んでいる ことを知ってショックを受けた。リーヴィットは世界各地を訪れてセミナーを行うような著名な天文学者ではなく、写真の感光板を 黙々と調べていく地味な研究者だったため、ヨーロッパでは彼女が亡くなったことをほとんど誰も知らなかったのだ。彼女は受けるべき 評価を受けないまま死んだばかりか、自分の研究が、星雲の本性をめぐる大論争に決定的な影響を与えるのを見ることもなかった。

4 ケフェウス型変光星(セファイド)の発見: ピゴットとグッドリック

6 星雲は銀河系外の銀河だ: ハッブル

星までの距離を測定する 目次

更新2009年6月14日