4 セファイド(ケフェウス型変光星)の発見: ピゴットとグッドリック
エドワード・ピゴットは二十代のときに、十代のジョン・グッドリックと親しくなった。科学に強い興味をもつグッドリックは
聴覚と発声に障害があったが、教育が歴史上はじめて聴覚障害児の教育に取り組むようになった時期に成長した。・・・
グッドリックは十四歳のときにプレードウッド学園からウォリントン学園に移り、耳の聞こえる生徒とともに学ぶようになった。
教師たちは彼の成績を、「古典はまあまあ、数学はきわめて優秀」と評した。イングランド北東部の町ヨークの家に戻ってからは
エドワード−・ピゴットの指導の下で勉強を続け、ピゴットはグッドリックに天文学、とくに変光星の重要さを教えた。
グッドリックは傑出した天文学者になった。彼は、他に例をみない高い視力と鋭い感性を発揮して、変光星の明るさが夜ごと
にどれぐらい変化するかを高い精度で評価することができた。十分に高い精度を得るためには、大気の影響や月の明るさの変化まで
も考慮に入れる必要があることを考えれば、これがいかに困難な仕事かがわかるだろう。変光星の明るさを判定する助けとして、
グッドリックは明るさの変化しない周囲の星と比較した。彼が初期に行った研究のひとつに、1782年11月から1783年5月にかけて、
アルゴルのかすかなウインクを観測するというものがあった。68時間50分ごとに明るさが最小になることを示した。・・・
グッドリックの頭脳もまた、その視力に劣らず鋭かった。彼はアルゴルの明るさが変化するパターンを調べることにより、
アルゴルはひとつの星ではなく、連星であるという結論を引き出したのだ。連星とは、二つの星が互いのまわりを回っている状態で、
星のタイプとしてはめずらしくないことが今日ではわかっている。グッドリックは、アルゴルの二つの星は明るさが大きく異なり、
全体として明るさが変化するのは、暗い星が明るい星の前を横切るときに光を遮蔽するためだという説を提唱した。つまりアルゴル
の明るさが変化するのは、食のせいだというのである。
弱冠十八歳のグッドリックによるアルゴルの解析は正しかった。明るさは対称的なパターンで変化し、食はたしかに対称的
に進行するプロセスである。アルゴル連星系は、ほとんどの時期は明るく、ひととき暗くなるだけだったが、これもまた食を起こす
系に典型的に見られるパターンだ。実際、多くの変光星の変更パターンはこのメカニズムにより説明できるのである。グッドリック
の仕事は王立協会に認められ、その年になされたもっとも重要な科学上の発見に贈られるコプリー・メダルを受賞した。それより
三年前にはウィリアム・ハーシェルがこのメダルを受賞しており、のちには周期表を作り上げた業績に対して、ドミトリー・
メンデレーエフが、さらに相対性理論の仕事に対してアインシュタイン、DNAの謎を解明したことに対してフランシス・クリックと
ジェイムズ・ワトソンがこのメダルを受賞することになる。
連星系の食という現象は天文学史上の大発見だったが、星雲をめぐるドラマの中では何の役割を演じるわけでもない。
後年の大論争に決着をつけたのは、グッドリックとピゴットが1784年に行った一連の観測のほうだった。この年の9月10日夜、
ピゴットは鷲座エータ星の明るさが変化するのを認めた。それから一ヵ月後の10月10日、今度はグッドリックがケフェウス座
デルタ星の明るさも変化することに気づいた。これらの星の明るさが変化することにはそれまで誰も気づかなかったが、
ピゴットとグッドリックには、微小な明るさの変化を検出する高い技術があったのだ。グッドリックが二つの星の変化の
ようすをグラフにしてみたところ、鷲座エータ星は七日ごとに、ケフェウス座デルタ星は五日ごとに同じパターンを繰り返す
ことがわかった。つまりどちらの星も、アルゴルにくらべて変光周期が長かったのである。鷲座エータ星とケフェウス座
デルタ星をいっそう驚くべきものにしたのは、グラフの全体としての形だった。
ケフェウス座デルタ星の明るさの変化
変化は非対称的で、明るさはすみやかに増大し、ゆっくりと減少する。
図はケフェウス座デルタ星の明るさの変化をグラフにしたものである。もっとも驚くべき特徴は、グラフの形が対称的に
なっていないことだ。アルゴルのグラフでは細い谷が対称的に現れるのに対して、ケフェウス座デルタ星のグラフは、一日
のうちに明るさが増大してピークに達し、その後四日をかけて元に戻っている。鷲座エータ星もこれとよく似たノコギリ歯
ないしフカのヒレ形のパターンを示した。このパターンは、食のメカニズムによってはどうしても説明できないため、二人の
若者は、これら二つの星で明るさが変化するのには、何か特有の原因があるに違いないと考えた。そして二人は、鷲座エータ
星とケフェウス座デルタ星は、新しい部類の変光星に属すると判断したのである。今日このタイプの変光星は、「ケフェウス
型変光星(Cepheid variables)」、または単に「セファイド」と呼ばれている。セファイドのなかには地球からもっとも近い
セファイドである北極星のように、ごくわすかしか明るさが変化しないものもある。ウィリアム・シェイクスピアは北極星
の明るさが変化することを知らず、『ジュリアス・シーザー』の中でシーザーにこう言わせている。「おれは北極星のごとく
不変だ」北極星はつねに北を指しているという点ではたしかに不変だが、明るさは変化し、およそ四日の周期でわずかながら
明暗を繰り返しているのである。
今日では、セファイドの内部で何が起こっているのか、また、非対称的な変化を引き起こしているものは何なのか、そして、
セファイドは他の星とどこが違うのかがわかっている。たいていの星は安定した平衡状態にある。ここで「安定な平衡状態にある」
というのは、おおよそ次のようなことだ。星は大きな質量をもつため、重力の作用で潰れようとするが、星が潰れれば内部の物質
が圧縮されて温度が上がり、外向きの圧力が生じる。これら二つの作用が釣り合って、星は安定した状態にあるのだ。この状況は、
ちょっと風船に似たところがある。風船の場合、ゴムは収縮しようとするが、内部の気圧は外向きにゴムを押し返そうとする。
風船を一晩冷蔵庫に入れておけば、風船内部の空気が冷えて圧力が減少し、風船は収縮して新しい平衡状態に落ち着くだろう。
しかしセファイドは安定した平衡状態にはなく、状態が揺れ動く。セファイドの温度が比較的下がっているときには、星は
重力に抗しきれずに収縮する。星が収縮すると内部の物質は圧縮されて、中心部のエネルギー生産を促し、新たに生じたエネルギー
のために温度が上がり、星は膨張する。膨張しているあいだはエネルギーが放出されるため、温度が下がって星は収縮に転じる。
このプロセスがいつまでも続くのだ。ここで重要なのは、収縮すると星の外側の層が圧縮されて透明度が落ち、その結果そして
セファイドの暗い時期が生じることである。
グッドリックは、セファイドの明るさが変化する理由は知らなかったが、しかし新しいタイプの変光星を発見したことは、
それ自体として大きな功績でだった。弱冠二十一歳のグッドリックは、この発見によりまたしても栄誉を受けた。彼は王立協会の
フェローに選ばれたのである。ところがそのわずか四日後に、聡明なる若き天文学者は世を去った。冷え込みのきつい長い夜、
星を見つめて過ごしたせいでかかった肺炎が、彼の命を奪ったのである。友人であり共同研究者でもあったピゴットは嘆いた。
「尊敬すべきこの青年はもはやこの世にいない。彼の死は、多くの友人たちから惜しまれるだけでなく、相次いで行った発見が
示しているようの、天文学にとっても損失となるであろう」わずか数年間研究しただけで、グッドリックは天文学に目覚しい貢献を
した。彼は知る由もなかったが、セファイドの発見は、後年の大論争と宇宙論の発展にとってきわめて重要な役割を果たすことに
なるのある。
次の百年間に、セファイド・ハンターたちはフカのヒレ型の変光パターンを示す星を三十三個発見した。それらのセファイド
の変光周期は、一週間に満たないこともあれば、一ヶ月を越えることもあった。しかしセファイドの研究はひとつの問題に苦しんでいた。
その問題とは、観測者の主観が入り込んでしまうことだった。実を言えば、これは天文学のあらゆる領域に共通する大きな問題だった。
観測者が空に何かを見出すとき、その解釈に多少のバイアスがかかることは避けられない。その現象が一時的なもので、解釈を
記憶に頼らざるをえないときはなおさらである。また、観測は言葉やスケッチで記録するしかなかったが、記録もスケッチも
完全には当てにならないからだ。
そんななかで、1839年ルイ・ダゲールが「ダゲレオタイプ(銀板写真)」の詳細を明らかにした。これは金属板上に、
化学変化によって像を刻むという方法である。・・・
写真というテクノロジーは、観測を正確かつ客観的に記録するうえで計り知れない価値をもつことが明らかになったが、
それと同じくらい重要なのは、それまでは見えなかった天体を検出する力があったことだ。星が非常に遠ければ、大きな口径を
もつ望遠鏡を使ったとしても、光が弱すぎて人間の眼には見えないこともある。だが、人間の目の代わりに写真の感光板を
使えば、何分間でも、それどころか何時間でも露光させることにより、たくさんの光を受けることができる。人間の目は
一瞬のうちに光を吸収し、反応して処分したのち、そのプロセスを最初から繰り返すが、写真の感光板は光をため込むため、
時間が経つにつれて画像はくっきりと強まっていくのだ。
ここで話をまとめておこう。人間の目の感度はそれほど高くないが、口径の大きな望遠鏡を使うことで感度を補強する
ことができる。さらに写真の感光板を使えば、望遠鏡の感度はいっそう高まるということだ。たとえば、プレアデス星団
(すばる、英語では「七人姉妹」と言う)には肉眼で見える星が七つ含まれているが、望遠鏡を使ったガリレオはそこに
四十七個の星を見ることができた。1880年代末にはフランスのポール・アンリとプロスペル・アンリの兄弟が長時間露光して
写真に撮ったところ、その領域に写し出された星はなんと二千三百二十六個にのぼった。
3 星雲を観測する: メシエ
5 小マゼラン星雲に二十五個のセファイドを発見する: リーヴィット
星までの距離を測定する 目次