第六章 哲学者たち
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A.P.R .(1)偉大さと惨めさ。
惨めさは偉大さから結論され、偉大さは惨めさから結論されるので、ある人たちは、偉大さを証拠として用いたために、
それだけ多く惨めさを結論し、他の人たちは、惨めさそのものから結論したので、それだけいっそう強力に偉大さを結論したのである。
一方の人たちが偉大さを示すために言いえたすべてのことは、他方の人たちが惨めさを結論する論拠に役立つばかりであった。
なぜなら、人はいっそう高いところから堕ちれば堕ちただけ、それだけもっと惨めだからである。そして、他の人たちの場合は、
その逆である。彼らは、果てしのない輪を描いて、互いに立ち向かっていった。たしかに人間は、光を多く持つにつれて、
人間のうちに、偉大さも惨めさも見いだすものである。要するに、人間は自分が惨めであることを知っている。だから、
彼は惨めである。なぜなら、事実そうなのだから。だが、彼は、実に偉大である。なぜなら惨めであることを知っているから。
(1) A Port-Royal (ポール・ロワイヤルにおいて)の略であろうと推測される。
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