『パンセ』を読む

第六章 哲学者たち

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人間の偉大さ。
人間の偉大さは、その惨めさからさえ引き出されるほどに明白である。なぜならわれわれは、獣においては自然なことを、 人間においては惨めさと呼ぶからである。そこで、人間の本性が今日では獣のそれと似ている以上、人間は、かっては彼にとって 固有なものであったもっと善い本性から、堕ちたのであるということを認めるのである。
なぜなら、位を奪われた王でないかぎり、だれがいったい王でないことを不幸だと思うだろう。パウルス・エミリウス (1)がもはや 執政官でないことを、人は気の毒だと思っただろうか。反対に、だれもかれも、かって彼が執政官であったことをしあわせな人だ と思ったのである。なぜなら、彼の身分は、常に執政官であることはなかったからである。ところが、人は、ペルセウス (2)が王で なくなったのを、非常に不幸なことだと思った。なぜなら、彼の身分は常に王であることだったので、彼がおめおめと生きている のを不思議に思ったくらいだからである。自分に口が一つしかないからといって、だれが不幸だと思うだろう。そして、目が一つ しかないことを、だれが不幸と思わないでいられようか。目が三つないといって悲しむ気になった人は、おそらく今までに ないだろうが、自分に目が一つもなかったなら、なんとしても慰められることはないだろう。

(1)紀元前182年と168年とにローマの執政官となった将軍。
(2)紀元前168年、パウルス・エミリウスの軍に敗れた、マケドニア最後の王。

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公開日2008年3月2日