『パンセ』を読む

第六章 哲学者たち

377
謙虚さについての論議も、うぬぼれた人たちには、高慢の種となり、謙虚な人たちには謙虚さの種となる。同様に懐疑論についての 論議も肯定的な人たちには肯定の種となる。謙虚さについて謙虚に話す人は少なく、貞潔について貞潔に話す人は少なく、懐疑論について 疑いながら話す人は少ない。われわれは、嘘(うそ)、二心、矛盾だらけである。そして、自分に自分を隠し、自分を偽るのである。

頁をめくる
次頁
頁をめくる
前頁
公開日2008年2月23日