『パンセ』を読む
第六章 哲学者たち
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謙虚さについての論議も、うぬぼれた人たちには、高慢の種となり、謙虚な人たちには謙虚さの種となる。同様に懐疑論についての 論議も肯定的な人たちには肯定の種となる。謙虚さについて謙虚に話す人は少なく、貞潔について貞潔に話す人は少なく、懐疑論について 疑いながら話す人は少ない。われわれは、嘘(うそ)、二心、矛盾だらけである。そして、自分に自分を隠し、自分を偽るのである。
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公開日2008年2月23日