第五章 正義と現象の理由
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「私」とは何か。
一人の男が通行人を見るために窓に向かう。もし私がそこを通りかかったならば、彼が私を見るために
そこに向かったといえるだろうか。いな。なぜなら、彼は特に私について考えているのではないからである。
ところが、だれかその美しさのゆえに愛している者は、その人を愛しているのだろうか。いな。なぜなら、
その人を殺さずにその美しさを殺すであろう天然痘は、彼がもはやその人を愛さないようにするだろうから
である。
そして、もし人が私の判断、私の記憶のゆえに私を愛しているなら、その人はこの「私」を愛している
のだろうか。いな。なぜなら、私はこれらの性質を、私自身を失わないでも、失いうるからである。このように
身体のなかにも、魂のなかにもないとするなら、この「私」というものはいったいどこにあるのだろう。
滅びうるものである以上、「私」そのものを作っているのではないこれらの性質のためではなしに、いったい
どうやって身体や魂を愛することができるのだろう。なぜなら、人は、ある人の魂の実体を、そのなかに
どんな性質があろうともかまわずに、抽象的に愛するだろうか。そんなことはできないし、また正しくもない
からである。だから人は、決して人そのものを愛するのではなくその性質だけを愛しているのである。
したがって公職や役目のゆえに尊敬される人たちを、あざけるべきではない。なぜなら、人は、
だれもその借り物の性質ゆえにしか愛さないからである。
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