第ニ章 神なき人間の惨めさ
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われわれは決して、現在の時に安住していない。われわれは未来を、それがくるのがおそすぎるかのように、
その流れを早めるかのように、前から待ちわびている。あるいはまた、過去を、それが早く行きすぎるので、
とどめようとして、呼び返している。これは実に無分別なことであって、われわれは自分のものでない
前後の時のなかをさまよい、われわれのものであるただ一つの時について少しも考えないのである。
これは実にむなしいことであって、われわれは何ものでもない前後の時のことを考え、存在するただ一つの
時を考えないで逃がしているのである。というわけは、現在というものは、普通、われわれを傷つけるからである。
それがわれわれを悲しませるので、われわれは、それをわれわれの目から隠すのである。そして、もしそれが
楽しいものなら、われわれはそれが逃げるのを見て残念がる。われわれは、現在を未来によって支えようと努め
、われわれが到達するかどうかについては何の保証もない時のために、われわれの力の及ばない物事を
按配しようと思うのである。
おのおの自分の考えを検討してみるがいい。そうすれば、自分の考えがすべて過去と未来によって占められている
のを見いだすであろう。われわれは、現在についてはほとんど考えない。そして、もし考えたにしても、それは
未来を処理するための光をそこから得ようとするためだけである。現在は決してわれわれの目的ではない。
過去と現在とは、われわれの手段であり、ただ未来だけがわれわれの目的である。このようにしてわれわれは、
決して現在生きているのではなく、将来生きることを希望しているのである。そして、われわれは幸福になる
準備ばかりいつまでもしているので、現に幸福になることなどできなくなるのも、いたしかたがないわけである。
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