『パンセ』を読む

第ニ章 神なき人間の惨めさ

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アレクサンドロスの貞潔の模範は、彼の酒癖の模範が不節制な人間をたくさんつくったほどには、 貞潔な人間をつくらなかった(1)。彼と同じように品行方正でないことは 恥にはならないが、彼以上にひどい悪徳でなければ許されるように見える。人はこれらの偉人の悪徳に おちこんでいるときには、普通の人たちの悪徳のなかにすっかりおちこんでいるわけではないと考える。 しかしながら、偉人たちだって悪徳においては普通の人間と同じなのだということに注意していない。 人は、偉人たちが民衆に結びついているほうの端で、彼らに結びついているのである。なぜなら、 彼らがいくら高くなっていても、どこかでは最低の人間たちと一つになっているのである。 彼らは、われわれとの交わりからすっかり引き離れて、宙に浮いているのではない。否、否、彼らの 丈がわれわれより高いのは、彼らの頭がわれわれより高いところにあるからなのであって、彼らの 足のほうは、われわれのと同じように低いところにあるのである。彼らはみな同じ水準にあって、 同じ地上に立っている。そしてこの末端では、彼らもわれわれや、最低な者や、子供や、動物などと 同じように低くなっているのである。

(1)モンテーニュ『エセー』2の19、2の1などによる。

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公開日2008年1月24日