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立山連峰は昔から修験道の行場として知られていたようであるが、歌に詠まれたのはおそらくこれが初めてなのではないだろうか。万年雪をたたえた立山は、遠くから見ても美しく忘れられない、見たことのない人はうらやましいだろう、と詠うのだが、言葉の連なりが美しいのです。
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立山―立山連峰。主峰の大汝峰は富山県中新川郡にあり、高さ3015m。万葉集に詠まれたそれはその北の剣岳(2998m)を中心とした一帯をさす。 新川―越中国の旧郡名。富山県の東部、神通川以東の地をいう。 名かかす―名を冠する。有名な。つまり、鄙として有名な。 しじにあれども―シジニは、隙間なく。びっしりと。 さはに―数多く。 うしはき―神がある地域を占領支配すること。統括する。 帯ばせる―帯のように、川が山裾を巡って流れている。この句から「立つ霧の」までの五句は霧が消え行く意によって過グを起こす序。 片貝川―立山連峰の北部、毛勝山(2998m)に発して富山県魚津市の北部で富山湾に入る川。ここではあくまでも、景観ではなく修飾として使っている。 思い過ぎめや―思イ過グは、は思わなくなること。反語。 あり通ひ―アリは継続を示す接頭語。 いや年のはに―イヤは、重ねて、の意。年ノハは毎年。 外のみも―国庁付近などの遠方からでも。 ともしぶるがね―羨ましがるだろう。 |
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あゆの |
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あゆの風―越の俗の語に東の風をあゆのかぜといふ(原注)。 奈呉―富山県新湊市の放生津潟の名称。 |
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湊風―射水川(小矢部川)河口を吹く風。あゆの風と実質的に同じ。 |
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鵜坂川―神通川の富山市西南部を流れる辺りの呼び名か。 奈呉―富山県新湊市の放生津潟の名称。 |
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全部大伴家持の歌です。家持は746年(天平18年、28歳?)越中の国守に任ぜられる。ここの五年の間の体験は、家持の作風に大きな変化をもたらしたようである。
大伴氏は武門の家系であるが、大伴旅人を父にもち、大伴坂上郎女を叔母にもち、歌人として恵まれた環境に育った家持は、それまで、都に居て相聞歌ばかりを歌っていた。恋の歌は実体験に基づいたものとはいえ、所詮は、歌会や部屋の中にいて心理の綾を詠んだものである。すでに定型化された心理描写のやり取りである。
越中に赴任して、領内を旅し、新しい風物に接して、自然朗詠をはじめている。風光明媚な土地柄であったことも幸いしていると思われる。立山連峰をはじめ、富山湾また奈呉の浦や布勢の水海(ふせのうみ)と呼ばれていた美しい入江(現在の富山県氷見市南部、残念ながら埋めたてられて今はない)もあり、歌の題材には事欠かなかったようである。何よりもこの体験自体が、家持に大きな影響を与えたようである。
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延槻川―早月川。剣岳に発し、富山県滑川・魚津両市の境をなして富山湾に入る。 |