私の万葉集 巻第十六

古歌とは

巻第十六には、採りたい歌が一首もなかった。
万葉集の詞書の中に、古(いにしえ)のとか古歌という言葉が時々出てくる。古歌とは何だろう、と不思議に思った。古歌と特定されている歌を読んでも、特に古いものとも思われなかった。万葉集の時代にすでに古歌と呼ぶ感覚はどのようなものであったのだろうか。
奈良時代(710年-794年)は、大伴 家持(718年-785年)の生きた時代とほぼ重なる。万葉集の成立は諸説があるようだが、奈良朝中期の750年頃には15巻はほぼ出来上がり、最後に家持が晩年に編集して20巻にしたとされている。16巻目は東歌をまとめたもので、17巻から20巻までは、家持の私家歌集のようになっている。
奈良朝以前は天皇が変わるたびに皇宮が遷都された時代で、飛鳥地方に皇宮がほぼ集中していたので飛鳥時代(592頃-709頃)といわれている。この時代は幾多の政争を経て、天皇に権力が集中してゆく時代である。また仏教が伝来し、新しい文化が吸収された時代でもある。奈良朝になって、ようやく政治が安定したのである。
俳人中村草田男(明治34年- 昭和58年)が、「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは、明治が終わってから30年も経っていない昭和11年のことである。時代の流れはわれわれが一般に思っている以上に速いのである。特に変化の激しい時代にあってはなおのこと、時の過ぎるのは速く感じるのである。われわれにしても、幼児の頃を思い返してみるとは別の時代に感じるであろう。
こう考えてみると、万葉集が編纂された時代は、ようやく安定した時代であり、それ以前の飛鳥時代は古(いにしえ)の話になってしまってもおかしくはない。当時にあっても、時代の流れは速く感じたであろう。柿本人麻呂(662頃-720頃)が近江大津宮(667-672)の跡に立ち、
3-266
近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ
と詠んだのは、それほど遠い昔のことではなく、ほぼ同時代といってもいいくらいであるが、しかし充分懐古の情が生じる時代感覚なのであると思う。

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巻第十六終了。0首採集―全104首。

更新2007年8月16日