私の万葉集 巻第十五

中臣阿朝臣宅守なかとみのあそみやかもり狭野弟上妹子さののおとがみをとめとが贈答ぞうたふせる歌

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君がく 道の長手ながてを たたね 焼き滅ぼぼさむ あめの火もがも

女性の恋心を、直接ぶっつけるように表現している。万葉集にもこれほどの直截な激しい感情を詠ったものは、他にあまり例がない。思い出すのは、次の歌である。
2-85
君が行き 日(け)長くなりぬ 山訪ね 迎えかゆかむ 待ちにかまたむ
2-86
かくばかり 恋ひつつあらずは 高山(たかやま)の 岩根(いはね)しまきて 死なまし物を
この歌も女性の激しい感情表現を直接的に詠っているが、比べてみると狭野弟上妹子の歌は更に激しいようである。妹子の他の歌には、比較的穏やかなのもたくさんあるのであるが。
解説によると、二人とも伝不詳であるが、「中臣朝臣宅守は蔵部の女嬬の狭野弟上娘子を娶った時に、勅断によって越前国に配流された。そこで夫婦は、再会が困難なことを嘆き、悲しみの心を詠み交わした。その歌が63首ある。年代は不明だが、天平十年(938)頃か。・・・」ここで勅断(天皇の裁定)とあるが、詳しい理由は解っていない。
中臣宅守は気になる歌を一首残している。
15-3758
さすたけの 大宮人は 今もかも 人なぶりのみ 好みたるらむ
人なぶりとは、からかう、いじめる、意地悪する、の意である。何か配流の原因に関係があるらしいことが推定されるが、事情は何も分からない。
その後、宅守は許されたらしいが、いつ頃許されたのか、また二人の夫婦の関係はその後どうなったのか、不明である。二人の相聞歌は63首残されているが、夫婦になったばかりの相思相愛の若い二人が、予期せぬ出来事で離れて暮さなくてはならなくなって交わした一連の歌は、万葉集の中でも貴重な例である。後年再会したときどうだったのだろうか、若い頃の情熱が再燃したのであろうか、それとも、歳月を経ることによって二人の心境にそれぞれ変化が生じたのであろうか。
3724
道の長手―長い道のり。
繰り畳ね―手繰り寄せて折りたたむ。
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巻第十五終了。1首採集―全208首。

更新2007年8月14日