妻問婚について
巻第十四には、採りたい歌が一首もなかったので、ここでは妻問婚について知識を仕入れておこう。
万葉集には相聞歌が多い。女が家に居て男が来るのを待つ、あるいは男が女の家に行く。夕方あるいは夜中に女の家に行き、朝帰る。これは妻問婚といわれている万葉時代の婚姻の形態である。それを頭に入れて読まなければ、現代風に浮気をしているような印象を受けるが、これが古代の通常の夫婦関係である。
これは母系社会と言われている。夫婦を『女男(めおと)』と読み、父母は『母父(おもちち)』、男女は『妹兄(いもせ)』と読んでいた。大和言葉では女の順位が先なのです。古来『親』とは母のみを指す言葉でした。老女の敬称である『刀自(とじ)』とは本来『戸主(とし)』、つまり戸主のことです。古くは女が社会や家の中にいたことは言葉から推測されます。(この項
こけぐまノォトを参照す)
また歌垣(うたがき・かがひ)と呼ばれる古代の風習があった。春と秋の特定の日に、若い男女が野外に集まり、歌を詠み、飲み食いし、野合が行なわれたようです。これは近代まで行なわれていて、地方によっては、戦後まで残っていたようです。高橋連虫麻呂の歌集にある歌として、万葉集巻第九に次の歌があります。
筑波嶺に登りて 歌会を為る日に作る歌
9-1759
鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率ひて 未通女壮士の 行き集ひ かがふかがひに 人妻に 我も交はらむ 我が妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より 禁めぬ行事ぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな
注 かがひ―人々が祭りの日に山や市などの定められた場所に集まり、飲食・歌舞し、乱婚した遊びをいう。歌垣とも呼ばれ、本来は農作物の豊饒を予祝して行なう性的解放の儀式であった。率いて―誘い合う。かがふ―乱婚の意か。
古代では、男女交際の機会を祭日等公に設けて、同じ共同体のなかでは、かなり自由におおらかにされていたようです。また妻問婚といっても、男性が女性の家を訪れるのが常ですが、逆のケースもつまり女性の妻問婚も行なわれていたようです。
11-2655
紅の 裾引く道を 中におきて 我や通はむ 君か来まさむ
注 紅の裾引く道―作者(女性)が赤裳の裾を引きずって行く道。
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巻第十四終了。0首採集―全230首。