私の万葉集 巻第七

旋頭歌せどうか

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君がため 手力疲たぢからつかれ りたるきぬぞ 春さらば いかなる色に りてばけむ

・・・
1281
・・・
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梯立はしたての 倉椅山くらはしやまに 立てる白雲しらくも 見まくり がするなへに 立てる白雲

・・・
1282
梯立の―枕詞。地名クラハシのクラ(倉)を導く。ハシタテは梯子。高床式の倉の梯子の階段。
我がするなへに―ナヘニは・・すると同時に。
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春日はるひすら 田に立ちつかる 君はかなしも 若草の 妻なき君は 田に立ち疲る

右の二十三首、柿本朝臣人麻呂の歌集に出ず。

注釈の説明から、「旋頭歌とは、五七七・五七七の音数句の歌。『万葉集』全体で六十ニ首ある。『古今集』以後にもまれに一部試みられたが、その数は少ない。元来は、記紀歌謡の「はしけやし我家の方よ雲居立ち来も」などの五七七の形を持つ片歌(かたうた)を二人で唱和した形から出発したともいいわれる。頭を旋(めぐ)らす、すなわち第四句で初めから出直して同じ韻律形式を繰返す、という意味で旋頭歌と名づける。やがて口承的性格を離れてしだいに衰えていった。」
旋頭歌とはどういうものか、二十三首のなかから三首採ってみた。柿本人麻呂の歌集にある、とあるので柿本人麻呂の作であろうか、あるいは収集しただけだろうか。短歌とは少し趣が違う。短歌は詠う調子だが、旋頭歌は問答風に相手に語りかける調子か。
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若草の―ツマの枕詞。
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コラム 良寛の旋頭歌

良寛の旋頭歌を二首挙げます。
いほにきて、かへるひと、みおくるとて
山かげの 真木まきの板屋に 雨も降りね さすたけの 君がしばしと 立ちどまるべく
やまたづの 向ひの岡に さを鹿たてり 神無月かみなづき しぐれの雨に ぬれつつ立てり
良寛は、長歌・短歌そして旋頭歌まで沢山残しています。およそ1300余首あるようです。良寛は万葉集をよく読み、それに学んで、良寛独自の言葉で歌を詠みました。自然な流れるような歌が多い。
良寛は、越後の出雲崎の名主の長男に生まれ、18歳で名主見習いになってまもなく、突然禅寺に入り、22歳の時、縁あって備中玉島(岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚のもとで得度し、33歳で印可の偈をもらいます。しかし、寺住まいにはならず、全国行脚の旅に出かけ、39歳の時越後に帰郷します。その後74歳でなくなるまで、国上山の五合庵など、郷里で庵住まいをしました。

巻第七終了。3首採集―全350首。

更新2007年8月1日