私の万葉集 巻第五

太宰帥大伴卿だざいのそちおほとものきょう凶問きょうもんこたふる歌一首

禍故重畳くわこちょうでふし、凶問累集るいしふす。なが崩心ほうしんの悲しびをむだき、ひと断腸だんちょうなみだを流す。ただし、両君のおほき助けにりて、かたぶけるいのちをわずかにぐのみ。筆の言を尽くさぬは、古に今に嘆く所なり。
793

世の中は むなしきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり

大伴旅人は、大宰府の時の歌を沢山残しているが、その中に妻が大宰府で亡くなった歌もある。その他色々な不幸が重なったのだろう。自身も病を患っている。今が楽しければ、来世は虫にも鳥にもならんと詠んだ人だが、このような感慨もあったのだろう。率直な心情が出ている。
793
太宰帥―大宰府の長官。ここでは大伴旅人。
凶問―凶事の知らせ。その内容は不明。
禍故重畳―不幸な出来事が重なる。
両君―二人。誰をさすか不明。
子等こらを思ふ歌一首 并せて序

釈迦如来しゃかにょらい金口こんくまさしくきたまわく、「衆生しゅしょうひとしく思うこと、羅 羅らごらのごとし」と。また説きたまはく、「うつくしびは子に過ぎたりといふことなし」と。至極しごくの大聖すらに、なほし子をうつくしびたまふ心あり。いはむや、世間よのなか蒼生あをひとくさたれか子をうつくしびざらめや
802

瓜食うりはめば 子ども思ほゆ くり食めば ましてしぬはゆ いづくより きたりしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠やすいしなさぬ

802
山上憶良の歌。憶良は当時筑紫国守(つくしのみちのくちのかみ)で、大宰府の長官であった大伴旅人と親交があった。筑紫の国は、筑前・筑後をさし、合わせて現在の福岡県の大部分にあたる。元来は九州全体の古称。
ラゴラ―釈迦の実子。釈迦はこの子が生まれてからすぐ出家した。成道後帰郷した時、ラゴラを出家させた。釈迦十大弟子のひとりとなる。
まなかひ―現前。カヒは交差する意の四段動詞カフの名詞形
もとなかかりて―モトナは、いたずらに、むやみに。
反歌
803

しろかねも  くがねも玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも

憶良は大いなる常識人であった。別の長歌・反歌(800番)で、妻子を顧みず、出家して空しく修行の道の甲斐なくなるよりも、家に帰って家業に精を出しなさいと、誡める歌も残している。その歌の題詞に「自ら倍俗先生(世俗に背を向けた隠遁者)と称く。意気は青雲の上に揚がれども、身体は塵俗の中に在り。未だ得道に修行するの聖に験あらず、・・・」と書き、その反歌で「ひさかたの 天路(あまじ)は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)をしまさな」と詠っている。
803
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巻第五終了。3首採集―全114首。

更新2007年7月28日