私の万葉集 巻第四

難波天皇なにはのてんわういろも大和やまといま皇兄すめいろせ奉上たてまつ御歌みうた一首
484

一日ひとひこそ 人も待ちき 長きを かくし待たえば ありかつましじ

この歌は万葉集の中でも、古い時代のものと推定されている。そのせいか、いささかも飾ることなく、素朴で率直な趣があるのです。
484
ありかつましじ―アリはこのままの状態でいる、生きている、の意。カツは耐える意の下二段動詞。マシジは中古語マジの古形、打消し推量を表す助動詞。「生きていられそうにありません」。
額田王ぬかたのおほきみ近江あふみの天皇をしのひて作る歌一首
488

君待つと が恋ひれば 屋戸やどの すだれ動かし 秋の風吹く

やはりこの歌は、幾多の歌の中にあって、光っているのである。品がいいのです。それにしても、額田王という女性は、よほど魅力的で本人も多感であったようだ。巻第一では、天智天皇が催す狩のときに、大海人皇子(後の天武天皇)と野で会い、ここでは天智天皇を思っている。つまり兄と弟、二人の天皇を愛した。
448
近江天皇―天智天皇のこと。
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コラム 本歌取り

巻第四の中に、本歌取りと思われる歌を二つ見つけました。
伊勢の海の磯もとどろに寄する波恐き人に恋渡るかも(600 笠郎女)
おほうみの磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも(源実朝)
月読の光に来ませあしひきの山きへなりて遠くならなくに(670 湯原王)
月読みの光を待ちて帰りませ山路は栗のいがの多きに(良寛)
いずれもあとの歌のほうが、格段にいいと思いませんか。「恐き(かしこき)」と読み、畏れ多い人の意味。「へなりて」は、隔たるの意で、山が隔てて邪魔になるの意味。「き」は語義不明。この歌もいい歌ですが。実朝も良寛も万葉集をよく読んでいます。

巻第四終了。2首採集―全309首。

更新2007年7月27日