私の万葉集 巻第ニ

大津皇子おほつのみこひそかに伊勢神宮いせのかむみやくだりてのぼる時に、大伯皇女おほくのひめみこの作らす歌二首
105

背子せこを 大和やまとると さふけて 暁露あかときつゆに が立ちれし

・・・
105
藤原宮ふぢはらのみやの世。持統天皇(在位686-697)の世。
竊かに―万葉集の題詞・左注でこの字を用いてある場合、必ず男女の秘事に関する記述が見られる。
我が背子―夫や恋人に用いることが多い
106

二人行ふたりゆけど 行く過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり超ゆらむ

大伯皇女と大津皇子は天武天皇の子で、同母の姉・弟の関係にある。母は天智天皇の皇女、大田皇女(持統天皇の同母姉)。当時も近親婚で、異母兄弟・姉妹間の婚姻は認められていたが、同母間のそれは禁じられていた。この姉・弟は明らかに、秘すべき禁忌の恋愛関係にある。
解説によれば、「『日本書記』に、九月九日天武天皇崩御、同二十四日大津皇子謀反、十月二日逮捕、翌三日処刑、とある。この伊勢下向はその九日間のこと・・・」とあります。大津皇子が何故謀反を起こしたのか、あるいはその嫌疑をかけられただけなのか分からないが、そのような身に危険が押し迫っている中で皇子は、大伯皇女に会いに伊勢へ行ったのである。皇子が大和へ帰るのは死を意味する。出立するその朝、大伯皇女の弟に対する愛情に満ちたこの二首の歌は、秀逸である。
・・・
大津皇子おおつのみここうぜし後に、大伯皇女おおくのひめみこ伊勢いせ斎宮いつきのみやよりみやこのぼる時に作らす歌二首
163

神風かむかぜの 伊勢いせの国にも あらましを なにしかけむ 君もあらなくに

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163
神風の―伊勢にかかる枕詞。
伊勢の国にもあらましを―いた方がよかったのに、の意。伊勢での暮らしもつらく悲しかったが、大津皇子のいない大和国にいるよりはよほどましだ、と言う気持ちを表す。
164

見まくり がする君も あらなくに なにしか来けむ 馬つかるるに

大津皇子の居ない都に、埋葬に参列するために、大伯皇女が帰ってくる。「なにしか来けむ 君もあらなくに」「なにしか来けむ 馬つかるるに」と歌う。大事な人を失って、ぽっかり空いた虚ろな気持ち、自分にとってまったく無意味になった都に来てしまった。
164
この歌の次に、大伯皇女の歌が二首あり、その題詞に「大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に、大伯皇女の哀傷して作らす歌二首」とある。皇子の埋葬に来たのである。
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巻第ニ終了。4首採集―全150首。

更新2007年7月25日