イエスが布教を急いだという記述はどこにも書かれていないし、イエスの言動にもそのような様子は見られない。 しかし、イエスの宣教のそもそもの初めから、天の国はもうそこまで来ているという認識は、イエスの心を大きく占めていたのである。 それをユダヤ全土の人々に伝えるには、とても時間が足りないと思っていたはずです。そして、最後はエルサレムだ、という 意識は、片時もイエスの心を離れたことはなかったでしょう。なぜエルサレムなのか、どうしてエルサレムなのか、 エルサレムでなにが起きるのか、これはイエスが投げかけた最大の謎です。
それにしてもイエスは、ガリラヤの熱狂的な群集から離れて、身を隠すようにして異邦人の地方に出かけています。 イエスは異邦人に宣教するつもりは全くなかったから、これはイエスが息抜きのためか、あるいは一時的に身を隠すためであったろうと思われます。 訪れた各地とは、ガリラヤの北西のフェニキア地方のティルスやシドン、ガリラヤ湖の南東に当たるデカポリプス地方のガダラ、 さらにフィリポの領地にあるフィリポ・カイサリアにも行っています。ティルスもシドンも地中海に面した港町で、 古来カナン人の貿易港として栄え、ギリシャ人も多く住む処であった。またガダラは、アレキサンダー大王以降に建てられた デカポリス(デカ=十、ポリス=都市。十の都市連合)地方の中心的なヘレニズムの都市であった。 フィリポ・カイザリアには、ギリシャの牧神パンを祀る神殿があった。これらの足跡をたどると、 ガリラヤ湖をぐるりと大円をかくように周るような旅程で旅をしています。これらの地はどれもヘロデ・アンティパスの領地の外である。 ヘレニズム嫌いのイエスが、宣教の対象でもない異邦の地にどうして旅をしたのであろうか。
ガリラヤはそれほど広い地域ではない。イエスのように病人を治す奇跡を行うと、うわさは瞬く間に広がって、 ガリラヤ以外の異邦人の住む地方からも民衆が群がって来た。 一方それはイエスの身にとって危険なことでもあった。洗礼者ヨハネの先例があったからである。ヨハネが捕らえられて処刑されたのは、 ヨハネの周りにあまりに多くの群集が集まって来たためであった。領主のヘロデ・アンティパスは群集が騒乱を起こすことを恐れた のである。今回もイエスのうわさを知ったヘロデ・アンティパスは、「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から 生き返ったのだ」✽1 と恐れ、民衆が不穏な動きをしないか警戒し、いざとなったらイエスを捕らえようと思っていました。ある意味では、 治世者として当然の予防策であろう。 ファリサイ派はイエスが徹底的に弾劾している体制派であるが、そのなかにもイエスを信奉する人々がいて、 「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そう としています」✽2と 心配してくれるファリサイ人たちもいた。この時イエスは、ヘロデ・アンティパスを指して、「あの狐に言っておけ」 ✽3と 平然と言い放つのである。まったく恐れを知らない口調であるが、イエスは洗礼者ヨハネのことを忘れていたわけではなかった。 自分の予定外の処で、予定外の状況で、つまりエルサレム以外の地で獄死あるいは首をはねられるなどして死ぬことを恐れたのである。 イエスが異邦人の地方を巡り歩いたのは、そのような時期であったと思われます。ひとつには身の危険を感じて一時的に避難し、 もう一つはエルサレムへ行く時期、つまり過越しの祭りの季節が来るのを待っていたのだと思われます。
こうして 「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を 固められた」✽4のである。
1333 だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、 ありえないからだ。 (『ルカ伝』13:33)
もちろんイエスがエルサレムへ行くのは、これが初めてではない。イエスはエルサレムには何度も行っていたと思われます。 ルカではイエスの少年の頃のエピソードを語り、「両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした」と述べている。イエスも何度か 同行していたと思われます。また、イエスの修行時代と言っていいか、無名の時代に、ひとりで何度も エルサレムに来ていたと思われます。それでエルサレムあるいはその近郊には知人もできていたようです。ひとりでエルサレムに行って、 イエスは何を思っていたのだろうか。聖書に語り伝えられた王たちや預言者たちの活動の跡を、どのように思い描いていたのであろうか。 自分が全く別の目的でここに来ると考えたことがあっただろうか。無名の時代にエルサレムを歩いたイエスと、 「天の国」の到来を宣言し、まったく常人が考えもしない特別な目的でエルサレムに来るイエスとの間に、 どんな覚醒あるいは飛翔があったのだろうか。 イエスが最後の時にエルサレムを目指すのは、もちろんイエスが根本的にユダヤの伝統に生きたユダヤ人だったからです。 「預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」とイエスが言う時、たとえばローマ人やその他のヘレニズム世界に 生きている異邦人たちがその意味するところを理解できたはずがない。まったくユダヤ人だけの世界であった。
ガリラヤの宣教が一段落したある時期から、イエスはこれから自分の身に起こるはずの運命を弟子たちに語り始めている。 そのことを繰返して都合三回、弟子たちに語ったと記述されている。弟子たちは、師の言っていることが分からない。 師の身に何か恐ろしいことが起こるのを感じるのであるが、一方では、師はメシアではないかとの思いが弟子たちの心を占める ようになっていた。ユダヤの民をローマのくびきから解放し、ユダヤの栄光を取り戻すメシア像です。 それとこれと、どう関係しているのだろう。次の引用はマルコにおけるイエスの三度目の予告の場面である。
1032一行がエルサレムへ上って行く途中、 イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び 十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。 33「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者 たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。34異邦人は人の子 を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」 (『マルコ伝』10:32-10:34)
一行はエルサレムへ向かっているのであるが、そのエルサレムで何か恐ろしいことが起きそうな予感を弟子たちは 感じていた。しかしイエスは先頭に立って進んで歩いて行くのである。イエスの気持ちは高揚していた。これはなにかリアル なものを感じさせる描写である。しかし何故だろう。エルサレムに行けば殺されるのである。そこへイエスは進んで 向かっているのである。どんな熱情が、どんな論理が、どんな使命感がイエスを突き動かしていたのだろう。 常人の考えうる範疇にはない状況である。
公開日2009年9月22日
更新2010年1月2日