エルサレムはユダヤ人にとって特別な町である。そこは古来ユダヤ民族の都であり、ユダヤの神に祈りと燔祭(はんさい) を捧げるための神殿の町であった。エルサレムは、ユダヤ地方の中央部を南北に走る高い丘陵地帯にあって、小さな二つの丘の上に 作られていた。東側にキドロンの谷があり、南側はヒンノムの谷があってそれが西側の谷へと続いており、天然の要害をなしていた。 キドロンの谷をはさんで東にオリーブ山があり、エルサレムの町の全体が眼前に一望できた。イエスが最後の日々に立ち寄って、 弟子たちに最後の教えを説いたところである。パレスティナの地方のユダヤ人たちがエルサレムに行くには、 およそ30km東のヨルダン川の流域から来た人たちは、標高差およそ1200mほどの道を登ってこなければならないことになる。 またおよそ60km西側の地中海沿岸の道から来ると、エルサレムの標高800mの山道を登ってこなければならない。 ダビデが都としてから千年の間ユダヤ人たちの都であったが、その間拡張されたとはいえ、イエスの当時でも城壁の周囲は およそ四キロ✽1ほどで、 居住地はそうとうに狭かった。そのなかに神殿の丘があり、神殿の境内は南北五百メートル東西三百メートル を占めていた。当時のエルサレムの人口は、ある推計によると、五万人ほどであったという。すでに人口過密状態である。 さらに三大巡礼祭の時期になると、パレスティナ全土からまたエジプト・パビロン・シリア・カッパドキア等々の デアスポラのユダヤ人たちがエルサレムにやって来たので、ある推計によれば、エルサレムを訪れる巡礼者たちは 十万人を越えるときもあったという。
イエスの在世当時、神殿はまだ拡張工事中であった。ヘロデ王は、治世第18年(紀元前20年)に神殿の大改築工事を開始し、 神殿の丘を埋め立てて境内を二倍に広げ、その規模の壮大なこととまた壮麗なことは、当時のローマ世界の「七つの驚異」の一つ にあげられている。これはヘロデの神殿と呼ばれるようになった。ヨセフスは書いている。「聖所の正面の外側はただただ見る者の 肝や目を驚かせるばかりであった。すべての側面が厚い板金でおおわれていたため、太陽が昇ると燃え盛る炎のような輝きを反射させた。 そのためそれをむりに見ようとする者は、太陽の光線から眼をそらさざるを得ず、直視はできなかった。神殿にやってくる外国人が それを遠くから見ると、頂に雪をかぶった山のように見えた。金の板金でおおわれていない箇所が純白だった からである」✽2。イエスが 神殿を訪れた時すでに着工して46年✽3が経っていたが、 献堂式はヘロデ王生前に終わっていたので、 神殿の主要な部分は出来ていたであろうと思われます。イエスの一行が神殿の境内を出て行くとき、弟子の一人が思わずこう言っている。 「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」 ✽4。 しかしイエスの言動を見ていると、当時の神殿の建物の素晴らしさや神殿の丘を支える壮大な壁などは全く眼中になかったらしい。 「神殿よりも偉大なものがここにある」✽5 とイエスは思っていたのである。もちろん自分のことである。人間が成し遂げた現実と、天の国のこれからなすべき業(わざ)と、 その想像を絶した乖離を、イエスは容易に飛び越えてしまうのである。
神殿は、神殿税によって維持されていた。これは20歳以上のユダヤ人男子は、全員が納めるようになっていた。 パレスティナのみならずデアスポラのユダヤ人からも徴収して、神殿の維持改修費用に充てられていた。神殿税は年間 一人当たり半シェケル(銀貨)であった。これは金持ちも貧しい人も等しく、半シェケルと定められていました ✽6。 当時一日の農業労働者の賃金が一デナリオン(デナリの単数形、ドラクマと同価格)といわれており、デナリオン銀貨もありました。 これが二つで半シェケルになるそうです✽7。 したがって四つでシェケル銀貨一枚相当になります。ユダは銀貨30枚でイエスを売りましたが、これでおよその金額が計算できます。 そして、イエスのところにも神殿税の徴収に来ています。そのときの応答は次のように書かれています。
1724 一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」 と言った。 25 ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。 地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」 26 ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。 27 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、 銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」 (『マタイ伝』17:24-27)
銀貨一枚で、二人分の神殿税です。シェケル銀貨一枚ないしデナリオン銀貨四枚分です。 ここでもイエスは、神殿の建物の見事さに全く関心を示さなかったとのと同様な立場から、 イエス独特の論理で皮肉っぽく一言述べています。 「では、子供たちは納めなくてよいわけだ」とは、イエスは何を意味しているのだろうか。地上の王は領民からは税を取るが、 自分の子供たちからは税を取ることはしない、それなら天なる父は、子である私からは神殿税を取るはずがない、 と言っているのである。しかし彼らをつまずかせないために、税を納めよう と付け加えます。ここでは、天なる父とその子としての自分の関係を、暗示的だがはっきりと述べています。このような 反応がすぐ口をついて出てくるのは、イエスが四六時中天なる父と子との関係のなかで生きていたということでしょう。 神殿とか神殿税とか、地上の既存の体制の現実は、イエスの眼中には全くありません。 弟子たちもここでイエスが何を言っているのか、理解に苦しんだと思います。 イエスは、弟子たちや神殿を司る祭司たちやユダヤの地の民たち(アム・ハ・アレツ)やまたヘロデ・アンティパスのような 地上の治世者たちと同じ地上に立って語っているのではないのである。
公開日2009年9月13日
更新2010年1月2日