源氏物語 54 夢浮橋 ゆめのうきはし

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原文 現代文
54.1 薫、横川に出向く
山におはして、例せさせたまふやうに、経仏など供養ぜさせたまふ。またの日は、横川におはしたれば、僧都驚きかしこまりきこえたまふ。
年ごろ、御祈りなどつけ語らひたまひけれど、ことにいと親しきことはなかりけるを、このたび、一品の宮の御心地のほどにさぶらひたまへるに、「すぐれたまへる験ものしたまひけり」と見たまひてより、こよなう尊びたまひて、今すこし深き契り加へたまひてければ、「重々しうおはする殿の、かくわざとおはしましたること」と、もて騷ぎきこえたまふ。御物語など、こまやかにしておはすれば、御湯漬など参りたまふ。
すこし人びと静まりぬるに、
「小野のわたりに、知りたまへる宿りやはべる」
と、問ひたまへば、
「しかはべる。いと異様なる所になむ。なにがしが母なる朽尼のはべるを、京にはかばかしからぬ住処もはべらぬうちに、かくて籠もりはべるあひだは、夜中、暁にも、あひ訪らはむ、と思ひたまへおきてはべる」
など申したまふ。
「そのわたりには、ただ近きころほひまで、人多う住みはべりけるを、今は、いとかすかにこそなりゆくめれ」
などのたまひて、今すこし近くゐ寄りて、忍びやかに、
「いと浮きたる心地もしはべる、また、尋ねきこえむにつけては、いかなりけることにかと、心得ず思されぬべきに、かたがた、憚られはべれど、かの山里に、知るべき人の隠ろへてはべるやうに聞きはべりしを。確かにてこそは、いかなるさまにて、なども漏らしきこえめ、など思ひたまふるほどに、御弟子になりて、忌むことなど授けたまひてけり、と聞きはべるは、まことか。まだ年も若く、親などもありし人なれば、ここに失ひたるやうに、かことかくる人なむはべるを」
などのたまふ。
薫は、叡山に上って、いつものように、経仏など供養する。翌日、横川に立ち寄って、僧都を驚かせ恐縮させた。
年ごろ、祈祷などを依頼することなどはあったが、格別親しいということはなかったが、今回の一品の宮の病気治癒に奉仕されたことで、「優れた効験があった」と知って、この上なく尊く思えて、もう少し深い知遇をを得たいと思っていたのだが、「右大臣ともあろう重々しい身分の方が、わざわざお越しになった」と僧都は懸命にご挨拶される。薫がねんごろに話をされている間、湯漬などさしあげなさる。
家来たちが休憩に下がった頃合いを見はからって、
「小野のあたりに知っている宿はありますか」
と問えば、
「はいございます。まことに貧相な家です。わたしの母が朽尼くちあまでおりますが、京にこれといった住処もございませんで、夜中、暁でも見舞える、と思いまして住まわしています」
などと申し上げる。
「その辺りは、最近まで、人が多く住んでいましたが、今は、寂しくなりました」
などと薫は言って、今少し近くに寄って、秘かに、
「まことにつかぬ話ですが、また貴僧に訊ねるのも、どんな事情なのかと、不審に思われるでしょうし、申し上げにくいのですが、その山里に、わたしが面倒を見なくてはならぬ人が隠れているとお聞きしました。確かめて、事情を打ち明けようと思っているうちに、貴僧の弟子になって、五戒を授けられたことを聞きまして、本当なのか。まだ年も若く親もいる人なので、わたしが死なせてしまったかのように言う人もいるものですから」
などと言うのだった。
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54.2 僧都、薫に宇治での出来事を語る
僧都、「さればよ。ただ人と見えざりし人のさまぞかし。かくまでのたまふは、軽々しくは思されざりける人にこそあめれ」と思ふに、「法師といひながら、心もなく、たちまちに容貌をやつしてけること」と、胸つぶれて、いらへきこえむやう思ひまはさる。
「確かに聞きたまへるにこそあめれ。かばかり心得たまひて、うかがひ尋ねたまはむに、隠れあるべきことにもあらず。なかなかあらがひ隠さむに、あいなかるべし」など、とばかり思ひ得て、
「いかなることにかはべりけむ。この月ごろ、うちうちにあやしみ思うたまふる人の御ことにや」とて、
「かしこにはべる尼どもの、初瀬に願はべりて、詣でて帰りける道に、宇治の院といふ所に留まりてはべりけるに、母の尼の労気にはかに起こりて、いたくなむわづらふと告げに、人の参うで来たりしかば、まかり向かひたりしに、まづ妖しきことなむ」
とささめきて、
「親の死に返るをばさし置きて、もて扱ひ嘆きてなむはべりし。この人も、亡くなりたまへるさまながら、さすがに息は通ひておはしければ、昔物語に、魂殿に置きたりけむ人のたとひを思ひ出でて、さやうなることにや、と珍しがりはべりて、弟子ばらの中に験ある者どもを呼び寄せつつ、代はり代はりに加持せさせなどなむしはべりける。
なにがしは、惜しむべき齢ならねど、母の旅の空にて病重きを助けて、念仏をも心乱れずせさせむと、仏を念じたてまつり思うたまへしほどに、その人のありさま、詳しうも見たまへずなむはべりし。ことの心推し量り思うたまふるに、天狗木霊などやうのものの、欺き率てたてまつりたりけるにや、となむ承りし。
助けて、京に率てたてまつりて後も、三月ばかりは亡き人にてなむものしたまひけるを、なにがしが妹、故衛門督の北の方にてはべりしが、尼になりてはべるなむ、一人持ちてはべりし女子を失ひて後、月日は多く隔てはべりしかど、悲しび堪へず嘆き思ひたまへはべるに、同じ年のほどと見ゆる人の、かく容貌いとうるはしくきよらなるを見出でたてまつりて、観音の賜へると喜び思ひて、この人いたづらになしたてまつらじと、惑ひ焦られて、泣く泣くいみじきことどもを申されしかば。
後になむ、かの坂本にみづから下りはべりて、護身など仕まつりしに、やうやう生き出でて人となりたまへりけれど、『なほ、この領じたりけるものの、身に離れぬ心地なむする。この悪しきものの妨げを逃れて、後の世を思はむ』など、悲しげにのたまふことどものはべりしかば、法師にては、勧めも申しつべきことにこそはとて、まことに出家せしめたてまつりてしになむはべる。
さらに、しろしめすべきこととは、いかでかそらにさとりはべらむ。珍しきことのさまにもあるを、世語りにもしはべりぬべかりしかど、聞こえありて、わづらはしかるべきことにもこそと、この老い人どものとかく申して、この月ごろ、音なくてはべりつるになむ」
と申したまへば、
僧都は、「やはりそうか。普通の人には思えなかった。それほどに仰せになるのなら、軽々しくは思っておられない人に違いない」と思い、「法師の身とはいえ、分別もなく、あわただしく尼にしたのは」と胸がつぶれて、どう返事をしたものか思案される。
「確かなことをお聞きになったに違いない。事情をよくご存じで、様子を知ろうとしているので、隠すのはよくないだろう。強いて隠しても具合が悪いことになろう」などとしばし思案して腹を決めて、
「どういうことでございましたのでしょうか。この月ごろ内々に不審に思っていた人のことだ」と思って、
「あそこにいる尼たちが、初瀬に願いごとがあって、詣でた帰りの道で、宇治の院という所に泊まりましたときに、母の尼の疲れがたまったせいでしょうか、たいそう苦しいと告げるので、使いが来ましたので、わたしが出向きましたが、まず奇怪なことがありました」
と声をひそめて、
「親があわや死のうというのを差し置いて、妹尼がその人の介護に一心でした。その人は亡くなってしまいそうでしたが、息はあったので、昔物語にいう、魂殿たまどのに置いた人の例を思い出して、そういうことがあったのだ、と珍しく思い、弟子たちの中で験のある者たちを呼び寄せて、代わる代わる加持をさせました。
母は命が惜しい歳ではありませんが、わたしは、母の旅路の空で重い病を助けて、念仏を心乱れずにさせようと、仏を一心に念じておりましたので、その人の様子は、詳しくは見ておりません。事情を推察して思うに、天狗木霊の類が、女をだましてお連れしたのではないか、皆の話から存じられました。
助けて、京に連れて来た後も、三か月ばかりは死んだ人のような有様でしたが、わたしの妹は、故衛門督の北の方でありましたが、尼になってから、一人いた娘を失って後、長い月日は経ちましたが、悲しみが堪えずいつも嘆いていましたが、同じ年頃と思われたのて、このような美しい容貌の若い女を見つけて、観音様が賜ったのだと喜んで、この人を死なせてはならないと一生懸命になり、泣く泣くたっての願いを言って寄こしまして、わたしに祈祷するようにとても熱心に頼んできました。
後で、その小野に自分が下りて、護身の祈祷などを行って、ようやく生きかえって普通の人になりましたが、『まだ物の怪がこの身に憑いて離れぬ心地がします。若い女は、この悪しき魔物を防いで、後の世の安楽を得たい』などと、悲し気にかさねて言いますので、法師の身としては、かえってこちらから勧めるべきことなので、確かに願い通り出家おさせ申した次第です。
それに、薫様に関わりのあるお方と、どうして知ることができましょう。珍しいことで、噂の種にもしたいようなことなので、世間に知れたら面倒なことになる、とこの老い人たちはあれこれ申して、この月頃は、口外しないようにしているようです」
と申せば、
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54.3 薫、僧都に浮舟との面会を依頼
「さてこそあなれ」と、ほの聞きて、かくまでも問ひ出でたまへることなれど、「むげに亡き人と思ひ果てにし人を、さは、まことにあるにこそは」と思す、ほど、夢の心地してあさましければ、つつみもあへず涙ぐまれたまひぬるを、僧都の恥づかしげなるに、「かくまで見ゆべきことかは」と思ひ返して、つれなくもてなしたまへど、「かく思しけることを、この世には亡き人と同じやうになしたること」と、過ちしたる心地して、罪深ければ、
「悪しきものに領ぜられたまひけむも、さるべき前の世の契りなり。思ふに、高き家の子にこそものしたまひけめ、いかなる誤りにて、かくまではふれたまひけむにか」
と、問ひ申したまへば、
「なま王家流わかむどおりなどいふべき筋にやありけむ。ここにも、もとよりわざと思ひしことにもはべらず。ものはかなくて見つけそめてははべりしかど、また、いとかくまで落ちあふるべき際と思ひたまへざりしを。珍かに、跡もなく消え失せにしかば、身を投げたるにやなど、さまざまに疑ひ多くて、確かなることは、え聞きはべらざりつるになむ。
罪軽めてものすれば、いとよしと心やすくなむ、みづからは思ひたまへなりぬるを、母なる人なむ、いみじく恋ひ悲しぶなるを、かくなむ聞き出でたると、告げ知らせまほしくはべれど、月ごろ隠させたまひける本意違ふやうに、もの騒がしくやはべらむ。親子の仲の思ひ絶えず、悲しびに堪へで、訪らひものしなどしはべりなむかし」
などのたまひて、さて、
「いと便なきしるべとは思すとも、かの坂本に下りたまへ。かばかり聞きて、なのめに思ひ過ぐすべくは思ひはべらざりし人なるを、夢のやうなることどもも、今だに語り合はせむ、となむ思ひたまふる」
とのたまふけしき、いとあはれと思ひたまへれば、
「容貌を変へ、世を背きにきとおぼえたれど、髪鬚かみひげを剃りたる法師だに、あやしき心は失せぬもあなり。まして、女の御身はいかがあらむ。いとほしう、罪得ぬべきわざにもあるべきかな」
と、あぢきなく心乱れぬ。
「まかり下りむこと、今日明日は障りはべり。月たちてのほどに、御消息を申させはべらむ」
と申したまふ。いと心もとなけれど、「なほ、なほ」と、うちつけに焦られむも、さま悪しければ、「さらば」とて、帰りたまふ。
薫は、「これこれらしい」と、ちらっと耳にして、ここまで聞き当てたことなのだが、「死んだと諦めた人を、それでは本当に生きているのだ」と思うと、夢のようで驚くべきことだったので、隠せずに、涙ぐまれたが、僧都が立派な人なので、 「こんな気弱ところを見せてはならぬ」と思い返して、平静をよそおったが、「これほど思っていらっしゃるのに、この世では死人と同じ尼にしてしまった」と、僧都は過ちをおかした気がして、罪深く感じ、
「物の怪に憑かれたのも、そうなる前世の定めなのだ。身分の高い家の子に生まれたのでしょう。どんな過ちがあって、これほどひどい身になったのでしょう」
と、僧都が問えば、
「一応は皇族の血筋とでもいえるほどの人でした。わたしとしても、元々特別に重く扱うつもりはなかった。ふとしたことから、関りを持つようになったのだが、これほどひどい境遇になっているとは思わなかった。跡形もなく消えたので、身投げしたのだろうか、とさまざまに不審なことも多くて、確かなことは、聞き出せなかった次第です。
罪障を軽くする境涯にいると聞いて、安心しますが、わたし自身はそう思いますが、母なる人が、ひどく恋いて悲しんでいるので、このような事態を聞くと、知らせたいと思いますが、それでは隠すようにしているあなた方の本意に違えますし、厄介なことになるかも知れません。親子の情愛に、母は悲しみに堪えず、訪れようとするでしょう」
など言って、その上で、
「はなはだ不都合な案内になりますが、その小野に下りてください。ここまで聞き出して、そのままにしておけるような ひととも思っておりませんので、夢のような今までのことどもを、せめて語り合いたい」
と言う気色が、あわれと感じて、
「容貌を変え、世に背いた積りでも、髪鬚かみひげを剃った法師でも、怪しい心は失せぬ者もいます。まして女の身ではどうでしょう。困った、罪作りになるかも知れません」
と、僧都はつまらないことになったと心が乱れた。
「山を下りるのは、今日明日は都合が悪いです。月が経って後に、消息をしましょう」
と申すのだった。心もとなかったが、「それでも是非に」と、露骨に頼むのも体裁が悪いので、「それでは」と、お帰りになった。
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54.4 僧都、浮舟への手紙を書く
かの御弟の童、御供に率ておはしたりけり。異兄弟どもよりは、容貌もきよげなるを、呼び出でたまひて、
「これなむ、その人の近きゆかりなるを、これをかつがつものせむ。御文一行賜へ。その人とはなくて、ただ、尋ねきこゆる人なむある、とばかりの心を知らせたまへ」
とのたまへば、
「なにがし、このしるべにて、かならず罪得はべりなむ。ことのありさまは、詳しくとり申しつ。今は、御みづから立ち寄らせたまひて、あるべからむことはものせさせたまはむに、何の咎かはべらむ」
と申したまへば、うち笑ひて、
「罪得ぬべきしるべと思ひなしたまふらむこそ、恥づかしけれ。ここには、俗の形にて、今まで過ぐすなむいとあやしき。
いはけなかりしより、思ふ心ざし深くはべるを、三条の宮の、心細げにて、頼もしげなき身一つをよすがに思したるが、避りがたきほだしにおぼえはべりて、かかづらひはべりつるほどに、おのづから位などいふことも高くなり、身のおきても心にかなひがたくなどして、思ひながら過ぎはべるには、またえ避らぬことも、数のみ添ひつつは過ぐせど、公私に、逃れがたきことにつけてこそ、さもはべらめ、さらでは、仏の制したまふ方のことを、わづかにも聞き及ばむことは、いかで過たじと、慎しみて、心の内は聖に劣りはべらぬものを。
まして、いとはかなきことにつけてしも、重き罪得べきことは、などてか思ひたまへむ。さらにあるまじきことにはべり。疑ひ思すまじ。ただ、いとほしき親の思ひなどを、聞きあきらめはべらむばかりなむ、うれしう心やすかるべき」
など、昔より深かりし方の心を語りたまふ。
僧都も、げにと、うなづきて、
「いとど尊きこと」
など聞こえたまふほどに、日も暮れぬれば、
「中宿りもいとよかりぬべけれど、うはの空にてものしたらむこそ、なほ便なかるべけれ」
と、思ひわづらひて帰りたまふに、この弟の童を、僧都、目止めてほめたまふ。
「これにつけて、まづほのめかしたまへ」
と聞こえたまへば、文書きて取らせたまふ。
「時々は山におはして遊びたまへよ」と「すずろなるやうには思すまじきゆゑもありけり
と、うち語らひたまふ。この子は心も得ねど、文取りて御供に出づ。坂本になれば、御前の人びとすこし立ちあかれて、「忍びやかにを」とのたまふ。
あの弟の童を供に連れていた。他の兄弟よりも、容貌も美しいのを、呼び出して、
「この子は近い血筋に当たりますので、とりあえず遣わせましょう。どうか一言書いてください。わたしの名は伏せて、ただ探している人がいる、とだけ知らせてください」
と頼めば、
「わたしは、この案内で、必ず罪作りになりましょう。ことの次第は詳しく申しました。今度は、ご自分で小野に立ち寄って、いかようにも然るべき処置を取るについては、何の咎がありましょう」
と僧都が申して、笑うので、
「罪作りになる案内と思われたのは、身のすくむ思いです。今まで俗人の姿で過ごして来たのがおかしいのです。
わたしは、幼い頃から、仏への願いは深かったのですが、母三条の宮が、心細げに、頼りにならないわたしを寄る辺に思って、それが出家の妨げになり、ぐずぐずしておりましたところ、自ずから位なども高くなり、身の処置も思うにまかせぬようになりまして、出家を望みながらそのままになってしまい、そのほかよんどころない事情も重なり、公私にやむを得ない事情で出家せずにいますが、それ以外では、仏が禁じていることで、わずかでも聞き及んでいることは、犯すまいと、身を慎んで、心の内では聖に劣らないと思っています。
まして、はかない男女の仲についても、重い罪になることは、どうして望みましょう。絶対にあってはならぬことです。お疑いなさいますな。ただ今は、かわいそうなあの女の母の思いなど、聞いて慰めてやるばかりです。うれしく心休まることでしょう」
などと、昔からの深い志を語るのだった。
僧都も、なるほど、とうなずいて、
「尊いことです」
などと答えるほどに、日が暮れたので、
「途中小野に一泊するのも好都合だが、気持ちが定まらないで行くのも、具合が悪い」
と思い悩んで、そのまま帰ることにしたが、弟の童に、僧都が目を止めてほめた。
「この子に託して、とりあえず近況を知らせては」
と薫が言うので、僧都は文を書いて預けた。
「時々は横川に来て気晴らしなさい」と「縁がないわけでもないのですから」
などと親し気に僧都は言う。この子はその事情は分からないまま、文を預かって、供についた。小野に近くなって、前駆の人々は少し離れて、「目立たぬように」と薫が注意する。
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54.5 浮舟、薫らの帰りを見る
小野には、いと深く茂りたる青葉の山に向かひて、紛るることなく、遣水の蛍ばかりを、昔おぼゆる慰めにて眺めゐたまへるに、例の、遥かに見やらるる谷の軒端より、前駆心ことに追ひて、いと多う灯したる火の、のどかならぬ光を見るとて、尼君たちも端に出でゐたり。
「誰がおはするにかあらむ。御前などいと多くこそ見ゆれ」
「昼、あなたに引干し奉れたりつる返り事に、『大将殿おはしまして、御饗応のことにはかにするを、いとよき折なり』と、こそありつれ」
「大将殿とは、この女二の宮の御夫にやおはしつらむ」
など言ふも、いとこの世遠く、田舎びにたりや。まことにさにやあらむ。時々、かかる山路分けおはせし時、いとしるかりし随身の声も、うちつけにまじりて聞こゆ。
月日の過ぎゆくままに、昔のことのかく思ひ忘れぬも、「今は何にすべきことぞ」と心憂ければ、阿弥陀仏に思ひ紛らはして、いとどものも言はでゐたり。横川に通ふ人のみなむ、このわたりには近きたよりなりける。
小野では、深く茂った青葉の山に向かって、気が紛れることなく、遣水の蛍ばかりを、昔を偲ぶ慰めで眺めていると、あの遙か先まで見える谷の際から、前駆の声が重々しくしてたくさんの松明が、忙しそうに動いているのを見ようと、尼たちも端に出てきた。
「どなたがおいでなのでしょう。前駆の人もたくさん見えるが」
「昼、横川に、引干しをお届けした返事に、『大将殿がお越しになって、急に饗応することになって、ちょうどよかった』とありました」
「大将殿とは、今上の女二の宮の婿殿でしたか」
などと言うのも、いかにも浮世離れして、田舎びていた。本当にそうなのかも知れない。時々、こんな宇治の山路を分け入ったときの、特徴のある随身の声が交って聞こえる。
月日の過ぎるままに、昔のことが思われ忘れていないのも、「今さらどうなるものでもない」と情けなく、阿弥陀仏への思いに紛らして、黙っていた。横川に行き来する人だけが、この辺りでは親しく目にする人だった。
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54.6 薫、浮舟のもとに小君を遣わす
かの殿は、「この子をやがてやらむ」と思しけれど、人目多くて便なければ、殿に帰りたまひて、またの日、ことさらにぞ出だし立てたまふ。睦ましく思す人の、ことことしからぬ二、三人、送りにて、昔も常に遣はしし随身添へたまへり。人聞かぬ間に呼び寄せたまひて、
「あこが亡せにし姉の顔は、おぼゆや。今は世に亡き人と思ひ果てにしを、いと確かにこそ、ものしたまふなれ。疎き人には聞かせじと思ふを、行きて尋ねよ。母に、いまだしきに言ふな。なかなか驚き騒がむほどに、知るまじき人も知りなむ。その親の御思ひのいとほしさにこそ、かくも尋ぬれ」
と、まだきにいと口固めたまふを、幼き心地にも、姉弟は多かれど、この君の容貌をば、似るものなしと思ひしみたりしに、亡せたまひにけりと聞きて、いと悲しと思ひわたるに、かくのたまへば、うれしきにも涙の落つるを、恥づかしと思ひて、
「を、を」
と荒らかに聞こえゐたり。
かしこには、まだつとめて、僧都の御もとより、
「昨夜、大将殿の御使にて、小君や参うでたまへりし。ことの心承りしに、あぢきなく、かへりて臆しはべりてなむ、と姫君に聞こえたまへ。みづから聞こえさすべきことも多かれど、今日明日過ぐしてさぶらふべし」
と書きたまへり。「これは何ごとぞ」と尼君驚きて、こなたへもて渡りて見せたてまつりたまへば、面うち赤みて、「ものの聞こえのあるにや」と苦しう、「もの隠ししける」と恨みられむを思ひ続くるに、いらへむ方なくてゐたま給へるに、
「なほ、のたまはせよ。心憂く思し隔つること」
と、いみじく恨みて、ことの心を知らねば、あわたたしきまで思ひたるほどに、
「山より、僧都の御消息にて、参りたる人なむある」
と言ひ入れたり。
薫は、「この小君をこのまま遣ろうか」と思ったが、人目が多く不都合なので、邸に帰ってから、翌日に、小野に遣わしたのだった。信頼している家来で、身分のあまり高くない者二、三人に、昔もいつも遣わしていた随身を加えた。人が聞いていない間に、小君を呼び寄せて、
「お前の亡くなった姉さんの顔は、覚えているか。死んだと思っていたが、確かに生きているのだ。めったに人に知らせまいと思うが、行って確かめなさい。母には、まだ言うな。かえって驚き騒いで、知る必要もない人にまで知られてしまう。その親がお気の毒なので、こうして確かめるのだ」
今から厳しく口止めされるのを、幼い心にも、姉弟は多いが、この姉さんの容貌は、似る者もなく美しいと思っていたので、亡くなったと聞いて、悲しかったのだが、このように言われると、嬉しさに涙が落ちるのが、きまり悪く、
「ええ」
と荒っぽく答える。
あちらでは、まだ早朝に、僧都から、
「昨夜は、大将殿の使いで、小君が行かれましたか。事情をお聞きしまして、出家させたことを、悔いております、と姫君に言ってください。自分から申しあげたいことが多々あり、今日明日を過ぐしてから参りたい」
と書いてある。「これは何ごとか」と尼君は驚いて、浮舟の処に来て見せると、浮舟は、顔を赤らめて、「自分のことが知れたのだろうか」とつらく思い、「隠し立てしていた」と恨まれると思い、答えようもなくしていると、
「ぜひ、仰ってください。他人行儀なしで」
とひどく恨みがましく思って、事情が分からないでは、何も手につかぬと思っていると、
「山から僧都の使いで、来た人があります」
と告げるのだった。
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54.7 小君、小野山荘の浮舟を訪問
あやしけれど、「これこそは、さは、確かなる御消息ならめ」とて、
「こなたに」
と言はせたれば、いときよげにしなやかなる童の、えならず装束きたるぞ、歩み来たる。円座わらふださし出でたれば、簾のもとについゐて、
「かやうにては、さぶらふまじくこそは、僧都は、のたまひしか」
と言へば、尼君ぞ、いらへなどしたまふ。文取り入れて見れば、
「入道の姫君の御方に、山より」
とて、名書きたまへり。あらじなど、あらがふべきやうもなし。
いとはしたなくおぼえて、いよいよ引き入られて、人に顔も見合はせず。
「常にほこりかならずものしたまふ人柄なれど、いとうたて、心憂し」
など言ひて、僧都の御文見れば、
「今朝、ここに大将殿のものしたまひて、御ありさま尋ね問ひたまふに、初めよりありしやう詳しく聞こえはべりぬ。御心ざし深かりける御仲を背きたまひて、あやしき山賤の中に出家したまへること、かへりては、仏の責め添ふべきことなるをなむ、承り驚きはべる。
いかがはせむ。もとの御契り過ちたまはで、愛執の罪をはるかしきこえたまひて、一日の出家すけの功徳は、はかりなきものなれば、なほ頼ませたまへとなむ。ことごとには、みづからさぶらひて申しはべらむ。かつがつ、この小君聞こえたまひてむ」
と書いたり。
変だ、と思ったが、「この人の持って来たのが確かなのだろう」と思い、
「こちらにどうぞ」
と取り次ぎに言わせると、とても小奇麗で行儀のよい童が、美しい装束を着て、入って来た。丸い敷物が出されたが、簾の元に跪いて、
「こんなふうには遇されないと、僧都は言っておりましたが」
と小君が言うので、尼君が応接する。文を取って見ると、
「入道の姫君に、山から」
と書いて、署名がしてある。人違いだなどと、抗弁する余地もない。
浮舟はきまりが悪く覚えて、いっそう奥に引っ込んしまい、顔も見せない。
「いつも控え目なお人柄ですので、本当に何と情けない」
などと尼君は言って、僧都の文を見れば、
「今朝、こちらに大将殿が来られて、あなた様の状況を訊ねられましたので、初めから事情を詳しく述べました。愛情の深かった御方に背を向けて、あやしい山がつの中で出家したことは、かえって仏の責めを受けかねないと思い、承って驚きました。
仕方ないことです。元の夫婦の契りを損なわずに、大将殿の愛執の罪を晴らして、一日の出家の功徳は、はかり知れないので、還俗しても安んじてその功徳にあずかることができましょう。詳しくはそちらに赴いて申し上げます。とりあえず、この小君に託しました」
と書いてあった。
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54.8 浮舟、小君との面会を拒む
まがふべくもあらず、書き明らめたまへれど、異人は心も得ず
「この君は、誰れにかおはすらむ。なほ、いと心憂し。今さへ、かくあながちに隔てさせたまふ」
と責められて、すこし外ざまに向きて見たまへば、この子は、今はと世を思ひなりし夕暮れに、いと恋しと思ひし人なりけり。同じ所にて見しほどは、いと性なく、あやにくにおごりて憎かりしかど、母のいとかなしくして、宇治にも時々率ておはせしかば、すこしおよすけしままに、かたみに思へり。
童心を思ひ出づるにも、夢のやうなり。まづ、母のありさま、いと問はまほしく、「異人びとの上は、おのづからやうやうと聞けど、親のおはすらむやうは、ほのかにもえ聞かずかし」と、なかなかこれを見るに、いと悲しくて、ほろほろと泣かれぬ。
いとをかしげにて、すこしうちおぼえたまへる心地もすれば、
「御兄弟にこそおはすめれ。聞こえまほしく思すこともあらむ。内に入れたてまつらむ」
と言ふを、「何か、今は世にあるものとも思はざらむに、あやしきさまに面変りして、ふと見えむも恥づかし」と思へば、とばかりためらひて、
「げに、隔てありと、思しなすらむが苦しさに、ものも言はれでなむ。あさましかりけむありさまは、珍かなることと見たまひてけむを、うつし心も失せ、魂などいふらむものも、あらぬさまになりにけるにやあらむ。いかにもいかにも、過ぎにし方のことを、我ながらさらにえ思ひ出でぬに、紀伊守とかありし人の、世の物語すめりし中になむ、見しあたりのことにやと、ほのかに思ひ出でらるることある心地せし。
その後、とざまかうざまに思ひ続くれど、さらにはかばかしくもおぼえぬに、ただ一人ものしたまひし人の、いかでとおろかならず思ひためりしを、まだや世におはすらむと、そればかりなむ心に離れず、悲しき折々はべるに、今日見れば、この童の顔は、小さくて見し心地するにも、いと忍びがたけれど、今さらに、かかる人にも、ありとは知られでやみなむ、となむ思ひはべる。
かの人、もし世にものしたまはば、それ一人になむ、対面せまほしく思ひはべる。この僧都の、のたまへる人などには、さらに知られたてまつらじ、とこそ思ひはべりつれ。かまへて、ひがことなりけりと聞こえなして、もて隠したまへ」
とのたまへば、
「いと難いことかな。僧都の御心は、聖といふなかにも、あまり隈なくものしたまへば、まさに残いては、聞こえたまひてむや。後に隠れあらじ。なのめに軽々しき御ほどにもおはしまさず」
など言ひ騷ぎて、
世に知らず心強くおはしますこそ
と、皆言ひ合はせて、母屋の際に几帳立てて入れたり。
僧都は、はっきり書いているが、浮舟以外には分からない。
「この小君は誰ですか。情けない。今になっても、どこまでもお隠しになる」
と尼君に責められて、浮舟が外を向いて見れば、この小君は、これがこの世の見納めと思った夕暮れに、なつかしく思い出された人だった。同じ家に住んでいたころは、やんちゃで憎らしかった、母がとてもかわいがって、宇治にも時々連れて来たので、少し大きくなって、互いに仲良くなった。
子供の頃を思っても、夢のようだ。何よりも、母がどうしているか、まず聞きたい、「ほかの人々の様子は、自然と耳に入ってくるが、親の様子は、少しも聞くことがない」と、なまじ小君の姿を見ると、とても悲しくて、はらはらと泣くのであった。
小君がとてもかわいらしく、少し似ている心地がするので、
「兄弟なのだろう。お話したいこともありましょう。中に入ってもらいましょう」
と尼君が言うのを、「いいえ、この世に生きていると思ってないだろうし、おかしな尼姿になって、会うるのも嫌だ」と浮舟は思って、
「確かに仰せの通り、隠し立てしていると思われているのがつらくて、何も言えません。情けない姿でおりました時は、浅ましい姿を見られたでしょうが、そのように正体もなくなっていました。どうしても、過ぎた昔のことは、思い出せないでいる時に、紀伊守とかいう人が、世間の物語する中で、知っていた人のことを、かすかに思い出したような心地がしたのです。
それから、あれこれと考えてみましたが、一向に昔を思い出せないので、たった一人の人が、一心にわたしを心配していまして、その人はまだ生きているでしょうか、とそればかり心を離れず、悲しい折々がありまして、今日見ればこの童の顔は、小さい頃に見た気がして、なつかしいですが、今は、このような人にも、わたしが生きているとは知られたくない、と思います。
その人がもし生きていますれば、その方ひとりにお会いしたく思います。この僧都が仰せになっている大将殿などには、どうしても知られたくない、と思います。何とかお考えになって、間違いだった、とお伝えして隠してください」
と浮舟が言うので、
「そんなことはできません。僧都の御心は、聖の中でも、あまりに真っ正直の人なので、何もかもすっかり申し上げたに違いありません。あとで、分かってしまいます。いい加減な身分の方ではございますまい」
と言い合って、
「見たこともない強情な方だ」
と、皆言い合わせて、母屋の際に几帳を立てて小君を入れた。
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54.9 小君、薫からの手紙を渡す
この子も、さは聞きつれど、幼ければ、ふと言ひ寄らむもつつましけれど、
「またはべる御文、いかでたてまつらむ。僧都の御しるべは、確かなるを、かくおぼつかなくはべるこそ」
と、伏目にて言へば、
「そそや。あな、うつくし」
など言ひて、
「御文御覧ずべき人は、ここにものせさせたまふめり。見証の人なむ、いかなることにかと、心得がたくはべるを、なほのたまはせよ。幼き御ほどなれど、かかる御しるべに頼みきこえたまふやうもあらむ」
など言へど、
「思し隔てて、おぼおぼしくもてなさせたまふには、何事をか聞こえはべらむ。疎く思しなりにければ、聞こゆべきこともはべらず。ただ、この御文を、人伝てならで奉れ、とてはべりつる、いかでたてまつらむ」
と言へば、
「いとことわりなり。なほ、いとかくうたてなおはせそ。さすがにむくつけき御心にこそ」
と聞こえ動かして、几帳のもとに押し寄せたてまつりたれば、あれにもあらでゐたまへるけはひ、異人には似ぬ心地すれば、そこもとに寄りて奉りつ。
「御返り疾く賜はりて、参りなむ」 と、かく疎々しきを、心憂しと思ひて急ぐ。
尼君、御文ひき解きて、見せたてまつる。ありしながらの御手にて、紙の香など、例の、世づかぬまでしみたり。ほのかに見て、例の、ものめでのさし過ぎ人、いとありがたくをかしと思ふべし。
「さらに聞こえむ方なく、さまざまに罪重き御心をば、僧都に思ひ許しきこえて、今はいかで、あさましかりし世の夢語りをだに、と急がるる心の、我ながらもどかしきになむ。まして、人目はいかに」
と、書きもやりたまはず。
法の師と尋ぬる道をしるべにて
思はぬ山に踏み惑ふかな

この人は、見や忘れたまひぬらむ。ここには、行方なき御形見に見る物にてなむ」
など、こまやかなり。
小君は、浮舟がここにいるのは聞いていたが、声をかけるのも気がひけて、
「もう一通ある文を、さしあげたい。僧都のお導きは確かなのに、このようにはっきりしませんと」
と伏目で言うと、
「それそれ。まあ、お利口なこと」
などと言って、
「文をご覧になる人は、ここにおります。わたしどもは第三者、どうしたらいいのか、ぜひ仰ってください。お若いですが、このような使いに大将殿がお頼みするのですから」
などと尼君は言うが、
「他人行儀に扱われては、何を申し上げられましょう。他人のように思われては、言いたいことも申し上げられない。この文を直接に手渡しするように言われていますので、ぜひにもさし上げたい」
と小君が言えば、
「まことにごもっともです。どうかそんなに強く仰らないでください。恐い位です」
とうながして、几帳の側に押し寄せたので、浮舟は人ごこちもない気配で座っていて、小君は、他人ごとでない心地がして、側に寄って渡した。
「返事を早く頂いて、帰参したい」と、こんなによそよそしいのを、情けないと思う。
尼君は、文を開いて、浮舟に見せた。昔のままの筆跡で、紙の香など、いつものように、すごく焚き込んである。ちらっと見て、すぐ感心する人たちは、ありがたいと思うだろう。
「何とも申し上げようもなく、さまざまに罪多いあなたの行状は、僧都に免じて許していただくことにして、今はぜひ、あなたの思いも寄らない夢物語を聞きたく、我ながら急がれますが。人に何と思われるか」
と、思いを書き切れない。
(薫)「仏法の師として尋ねたのですが、
思わぬ山道に迷いました
この子を、覚えておりますか。わたしは行方不明のあなたの形見にしてます」
など細やかに書いている。
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54.10 浮舟、薫への返事を拒む △ almost limited
かくつぶつぶと書きたまへるさまの、紛らはさむ方なきに、さりとて、その人にもあらぬさまを、思ひの外に見つけられきこえたらむほどの、はしたなさなどを思ひ乱れて、いとど晴れ晴れしからぬ心は、言ひやるべき方もなし。
さすがにうち泣きて、ひれ臥したまへれば、「いと世づかぬ御ありさまかな」と、見わづらひぬ。
「いかが聞こえむ」
など責められて、
「心地のかき乱るやうにしはべるほど、ためらひて、今聞こえむ。昔のこと思ひ出づれど、さらにおぼゆることなく、あやしう、いかなりける夢にかとのみ、心も得ずなむ。すこし静まりてや、この御文なども、見知らるることもあらむ。今日は、なほ持て参りたまひね。所違へにもあらむに、いとかたはらいたかるべし」
とて、広げながら、尼君にさしやりたまへれば、
「いと見苦しき御ことかな。あまりけしからぬは、見たてまつる人も、罪さりどころなかるべし」
など言ひ騒ぐも、うたて聞きにくくおぼゆれば、顔も引き入れて臥したまへり。
主人ぞ、この君に物語すこし聞こえて、
「もののけにやおはすらむ。例のさまに見えたまふ折なく、悩みわたりたまひて、御容貌も異になりたまへるを、尋ねきこえたまふ人あらば、いとわづらはしかるべきこと、と見たてまつり嘆きはべりしも、しるく、かくいとあはれに、心苦しき御ことどもはべりけるを、今なむ、いとかたじけなく思ひはべる。
日ごろも、うちはへ悩ませたまふめるを、いとどかかることどもに思し乱るるにや、常よりもものおぼえさせたまはぬさまにてなむ」
と聞こゆ。
このように細々書いてある様子は、紛れもないものだが、そうはいっても、昔の自分とうって変わった尼姿を、思いがけず見られてしまった時の、立つ瀬もない恥ずかしさは、ふさぎ込んだ心には、言いようもなかった。
さすがに泣いて、ひれ伏すと、「ほんとに、変わったお方だ」と扱いかねている。
「どうご返事しましょう」
などと尼君に責められて、
「たいそう気分が悪いので、それが治ってから、いずれ、ご返事します。昔のことを思い出そうとしても、何も心に浮かばず、怪しくて、どんな夢を見ていたのか、分かりません。少し気持ちが落ち着いてから、この文も分かるようになるでしょう。今日は、持って帰ってください。宛先違いでしたら、具合が悪いでしょう」
と言って、広げながら、尼君に差し戻すので、
「ほんとに困ったことです。あまりに失礼ですと、お側のわたしたちまで、お咎めされます」
と言い騒ぐので、嫌で聞きたくもないので、顔も引っ込めて伏してしまった。
尼君は、小君に少し話をして、
「物の怪のせいでしょうか。普通の様子に見える時がなく、ずっと病気がちで、尼になってしまいましたが、尋ねて来る人がいれば、本当に面倒なことになる、と思って嘆いていましたが、案の定、このように、ほんとうにあわれで、お気の毒なことがあったのだと、今も恐れ多いことと思っております。
近頃も、病気がちで、このような文などで気持ちが乱れてしまうようで、いつもより正体もない様子です」
と尼君は言うのだった。
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54.11 小君、空しく帰り来る
所につけてをかしき饗応などしたれど、幼き心地は、そこはかとなくあわてたる心地して、
「わざと奉れさせたまへるしるしに、何事をかは聞こえさせむとすらむ。ただ一言をのたまはせよかし」
など言へば、
「げに」
など言ひて、かくなむ、と移し語れど、ものものたまはねば、かひなくて、
「ただ、かく、おぼつかなき御ありさまを聞こえさせたまふべきなめり。雲の遥かに隔たらぬほどにもはべるめるを、山風吹くとも、またもかならず立ち寄らせたまひなむかし」
と言へば、すずろにゐ暮らさむもあやしかるべければ、帰りなむとす。人知れずゆかしき御ありさまをも、え見ずなりぬるを、おぼつかなく口惜しくて、心ゆかずながら参りぬ。
いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰り来たれば、すさまじく、「なかなかなり」と、思すことさまざまにて、「人の隠し据ゑたるにやあらむ」と、わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。
山里なりに、しゃれたお膳などを用意したが、幼い心地に、何となく腑に落ちないので、
「わざわざわたしを遣わせたしるしに、何と報告したらよろしいでしょうか。ただ一言でも言ってください」
などと小君が言えば、
「ごもっともだ」
と言って、これこれとそのまま伝えるが、ものも言わないので、仕方なく、
「ただ、このようにはっきりしない様子をそのままお伝えするべきでしょう。ここは都から雲も遙かに遠い所でもないですから、山風が吹いても、また必ずお立ち寄りください」
と言えば、用もなく日暮れまで長居するのもおかしいので、帰ろうとする。ひそかにお会いしたいと思っていた姿も、見れなかったので、残念に思い帰参した。
薫は、いつ帰るか、と心待ちにしていたが、わけも分からぬままに帰って来たので、期待外れで、「遣らない方がましだった」とあれこれ思って、「男がかくまっているのか」とか、あれこれ考えたと、宇治に放置した経験からと、もとの本にあったとか。
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読書期間2021年5月3日 - 2021年5月10日