源氏物語 24 胡蝶 こちょう

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原文 現代文
24.1 三月二十日頃の春の町の船楽
弥生の二十日あまりのころほひ、春の御前のありさま、常よりことに尽くして匂ふ花の色、鳥の声、ほかの里には、まだ古りぬにやと、めづらしう見え聞こゆ。山の木立、中島のわたり、色まさる苔のけしきなど、若き人びとのはつかに心もとなく思ふべかめるに、唐めいたる舟造らせたまひける、急ぎ装束そうぞ かせたまひて、下ろし始めさせたまふ日は、雅楽寮うたづかさの人召して、舟の楽せらる。親王たち上達部など、あまた参りたまへり。
中宮、このころ里におはします。かの「春待つ園は」と励ましきこえたまへりし御返りもこのころやと思し、大臣の君も、いかでこの花の折、御覧ぜさせむと思しのたまへど、ついでなくて軽らかにはひわたり、花をももてあそびたまふべきならねば、若き女房たちの、ものめでしぬべきを舟に乗せたまうて、南の池の、こなたに通しかよはしなさせたまへるを、小さき山を隔ての関に見せたれど、その山の崎より漕ぎまひて、東の釣殿に、こなたの若き人びと集めさせたまふ。
龍頭鷁首りょうとうげきしゅを、唐のよそひにことことしうしつらひて、楫取かじとりさおさす童べ、皆みづら結ひて、唐土もろこしだたせて、さる大きなる池の中にさし出でたれば、まことの知らぬ国に来たらむ心地して、あはれにおもしろく、見ならはぬ女房などは思ふ。
中島の入江の岩蔭にさし寄せて見れば、はかなき石のたたずまひも、ただ絵に描いたらむやうなり。こなたかなた霞みあひたる梢ども、錦を引きわたせるに、御前の方ははるばると見やられて、色をましたる柳、枝を垂れたる、花もえもいはぬ匂ひを散らしたり。ほかには盛り過ぎたる桜も、今盛りにほほ笑み、廊をめぐれる藤の色も、こまやかに開けゆきにけり。まして池の水に影を写したる山吹、岸よりこぼれていみじき盛りなり。水鳥どもの、つがひを離れず遊びつつ、細き枝どもを食ひて飛びちがふ、鴛鴦おしの波の綾に紋を交じへたるなど、ものの絵やうにも描き取らまほしき、まことに斧の柄も朽たいつべう思ひつつ、日を暮らす。
風吹けば波の花さへ色見えて
こや名に立てる山吹の崎

春の池や井手の川瀬にかよふらむ
岸の山吹そこも匂へり

亀の上の山も尋ねじ舟のうちに
老いせぬ名をばここに残さむ

春の日のうららにさしてゆく舟は
棹のしづくも花ぞ散りける

などやうの、はかなごとどもを、心々に言ひ交はしつつ、行く方も帰らむ里も忘れぬべう、若き人びとの心を移すに、ことわりなる水の面になむ。
三月二十日頃になって、春の御前の庭が、いつもよりもっと匂う花の色、鳥の声、他の御殿の人たちはまだ盛りは過ぎていないのかと、珍しがって見たり話したりするのであった。築山の木立、中島の渡り、色鮮やかな苔の様子など、若い女房たちがもっとよく見たいと思っているので、唐めいた舟を作らせて、急いで艤装させて、池に浮かべる日は、雅楽寮うたづかさの人を呼んで、舟の楽をした。親王や上達部たちがたくさん来た。
秋好中宮がこのころ里に帰っていた。あの「春待つ園は」と歌でいどみかけられた御返事の時期も、紫の上はこの頃かと思い、源氏の君も、どうかしてこの花の時期にお見せしたいと思っていたが、中宮は気軽にやってきて花を愛でることもできないご身分だから、見たがっている若い女房たちを舟に乗せて、南の池でこちらに向かって来くるのを、小山を隔てて関に見立てて、その山の崎から漕いで、東の釣り殿に、若い女房たちを集めた。
龍頭鷁首りょうとうげきしゅを、唐風に大げさに仕立てて、楫取かじとりの掉さす童は、皆みづら結いをさせて唐風にして、大きな池のなかに漕ぎ出せば、実に知らない国に来たようか気持ちがして、 たいへん面白く、見たことのない女房たちは思った。
中島の入江の岩陰に寄せて見れば、何でもない石の具合も、まるで絵に書いたようであった。あちこちに霞がかかった梢なども、錦を引いたようで、紫の上の御殿の方もすっかり見わたせて、色濃くなった柳が枝をたれ、花もえもいわれぬ匂いを散らしていた。他では盛り過ぎた桜も、ここでは今が盛りと咲き、廊下をめぐる藤の色も、色濃く咲いていた。さらに池の水に影をうつした山吹も、岸からこぼれて今が盛りと咲いていた。水鳥たちも、つがいを離れずに遊び、細い枝をくわえて飛び交い、鴛鴦おしどりがつくる波のときどきの模様などが、何かの文様に絵に描きとりたいほどで、まったく時間のたつのも忘れて、日を暮すのであった。
(中宮方の女房)「風が吹けば波の花に色を映して
これが名にしおう山吹の崎でしょうか」
(中宮方の女房)「春の池は井手の川瀬に通っているのか
岸の山吹は水底まで映っています」
(中宮方の女房)亀の上の蓬莱山を尋ねることもないでしょう
不老の名をここに残しましょう」
(中宮方の女房の歌)「春の日のうららのなかをゆく舟は
棹の雫も花が散るようです」
などなど、思いついたことどもを、歌に詠み合って、行く先も帰る里も忘れんばかりの、若い女房たちを夢中にさせたのは、当然水の面だった。
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24.2 船楽、夜もすがら催される
暮れかかるほどに、「皇じやう」といふ楽、いとおもしろく聞こゆるに、心にもあらず、釣殿にさし寄せられて下りぬ。ここのしつらひ、いとこと削ぎたるさまに、なまめかしきに、御方々の若き人どもの、われ劣らじと尽くしたる装束、容貌、花をこき交ぜたる錦に劣らず見えわたる。世に目馴れずめづらかなる楽ども仕うまつる。舞人など、心ことに選ばせたまひて。
夜に入りぬれば、いと飽かぬ心地して、御前の庭に篝火ともして、御階みはしのもとの苔の上に、楽人召して、上達部、親王たちも、皆おのおの弾きもの、吹きものとりどりにしたまふ。
物の師ども、ことにすぐれたる限り、双調吹きて、上に待ちとる御琴どもの調べ、いとはなやかにかき立てて、「安名尊あなとうと」遊びたまふほど、「生けるかひあり」と、何のあやめも知らぬ賤の男も、御門のわたり隙なき馬、車の立処に混じりて、笑みさかえ聞きにけり。
空の色、物の音も、春の調べ、響きは、いとことにまさりけるけぢめを、人びと思し分くらむかし。夜もすがら遊び明かしたまふ。返り声に「喜春楽きしゅんらく」立ちそひて、兵部卿宮、「青柳」折り返しおもしろく歌ひたまふ。主人の大臣も言加へたまふ。
暮れゆく程に、「皇じょう」という楽が、楽しそうに聞こえてきたので、残念であったが、釣り殿に寄せられて下りることになった。この造りは、実に簡素で、風情があり、双方の若い女房たちが、負けまいと尽くした装束、容貌など、花をまぜた錦に劣らないと見えた。世間に知られていない珍しい楽どもを演奏する。舞人も特別に選んだ者たちだった。
夜になっても、飽き足らない気持ちで、前庭に篝火をともして、階段の元の苔の上に楽人の席を作って、上達部や親王たちも、それぞれの弾き物、吹き物を手に取って奏するのだった。
楽の師たちは、ことにすぐれた者たちが双風を吹いて、上の階で待っている琴の調べに合わせて、はなやかに合奏し、「安名尊」を合奏すると、「生きた甲斐があった」と何の筋もわからぬ下賎の男も、門の辺りの馬、車に立ち交じって、満面の笑みを浮かべて聞いていた。
空の色も、楽の音も、春の調べや響きは格別にすぐれていることを、人びとは分かっただろう。夜通し遊び明かした。律の調子が変わって「喜春楽」が始まって、兵部卿の宮、「青柳」を折り返し趣き深く歌った。源氏も加わって歌った。
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24.3 蛍兵部卿宮、玉鬘を思う
夜も明けぬ。朝ぼらけの鳥のさへづりを、中宮はもの隔てて、ねたう聞こし召しけり。いつも春の光を籠めたまへる大殿なれど、心をつくるよすがのまたなきを、飽かぬことに思す人びともありけるに、西の対の姫君、こともなき御ありさま、大臣の君も、わざと思しあがめきこえたまふ御けしきなど、皆世に聞こえ出でて、思ししもしるく、心なびかしたまふ人多かるべし。
わが身さばかりと思ひ上がりたまふ際の人こそ、便りにつけつつ、けしきばみ、言出で聞こえたまふもありけれ、えしもうち出でぬ中の思ひに燃えぬべき若君達などもあるべし。そのうちに、ことの心を知らで、内の大殿の中将などは、好きぬべかめり。
兵部卿宮はた、年ごろおはしける北の方も亡せたまひて、この三年ばかり、独り住みにてわびたまへば、うけばりて今はけしきばみたまふ。
今朝も、いといたうそら乱れして、藤の花をかざして、なよびさうどきたまへる御さま、いとをかし。大臣も、思ししさまかなふと、下には思せど、せめて知らず顔をつくりたまふ。
御土器のついでに、いみじうもて悩みたまうて、
思ふ心はべらずは、まかり逃げはべりなまし。いと堪へがたしや
すまひたまふ
紫のゆゑに心をしめたれば
淵に身投げむ名やは惜しけき

とて、大臣の君に、同じかざしを参りたまふ。いといたうほほ笑みたまひて、
淵に身を投げつべしやとこの春は
花のあたりを立ち去らで見よ

と切にとどめたまへば、え立ちあかれたまはで、今朝の御遊び、ましていとおもしろし。
夜も明けた。朝ぼらけの鳥のさえずりを、中宮は築山を隔てて、うらやましく聞いた。いつも春の光にみちた御殿であるが、心を寄せる姫君がいないのを、物足りないと思う殿方もあったが、西の対の玉鬘が、どこと言って欠点もなく、源氏もことさら大切に世話している様子など、みな世間に知れ渡っていて、予想通り、心をなびかせる人も多かった。
自分は相応しいと思いあがった身分の人は、つてを頼って、意中をほのめかし、文を出す方もおられたが、とても言い出せないで胸を焦がしている若者たちもいるだろう。:そのなかで、事の真相を知らないで、内大臣の息子の柏木などは、思いを寄せているようだ。
兵部卿の宮は、長く連れ添った北の方が亡くなって三年ばかり経ち、独り住みでわびしいので、はりきってその気になっている。
今朝も、たいそう酔ったふりをして、藤の花をかざして、しなを作ってふざけている様子がおかしかった。源氏も、思ったとおりだと心の中で思ったが、知らぬ顔をしていた。
源氏から盃を頂いて、たいそう苦しそうにして、
「内心思うところがなければ、退出しているところです。堪えがたい」
と盃を辞退するのだった。
(兵部卿宮)「紫のゆかりのある方に心を奪われています
淵に身投げしても名は惜しくありません」
と言って、源氏の君に、同じ飾りを差し上げた。君はにっこりお笑いになり、
(源氏)「淵に身を投げる価値があるかどうか今年の春は
この花を立ち去らずにご覧ください」
と源氏が切に留めたので、立ち去ることなく、今朝の管弦の遊びは一段と面白くなった。
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24.4 中宮、春の季の御読経主催す
今日は、中宮の御読経みどきょうの初めなりけり。やがてまかでたまはで、休み所とりつつ、日の御よそひに替へたまふ人びとも多かり。障りあるは、まかでなどもしたまふ。
午の時ばかりに、皆あなたに参りたまふ。大臣の君をはじめたてまつりて、皆着きわたりたまふ。殿上人なども、残るなく参る。多くは、大臣の御勢ひにもてなされたまひて、やむごとなく、いつくしき御ありさまなり。
春の上の御心ざしに、仏に花たてまつらせたまふ。鳥蝶に装束き分けたる童べ八人、容貌などことに整へさせたまひて、鳥には、銀の花瓶に桜をさし、蝶は、金の瓶に山吹を、同じき花の房いかめしう、世になき匂ひを尽くさせたまへり。
南の御前おまえの山際より漕ぎ出でて、御前に出づるほど、風吹きて、瓶の桜すこしうち散りまがふ。いとうららかに晴れて、霞の間より立ち出でたるは、いとあはれになまめきて見ゆ。わざと平張ひらばりなども移されず、御前に渡れる廊を、楽屋のさまにして、仮に胡床あぐらどもを召したり。
童べども、御階みはしのもとに寄りて、花どもたてまつる。行香ぎょうごうの人びと取り次ぎて閼伽 あかに加へさせたまふ。
今日は、中宮の御読経の初日であった。すぐに帰らず、場所をかりて、日の装いに着替える人たちがたくさんいた。用事があるひとは、お帰りになった。
うまの時になって、みな中宮の御殿へ参上した。源氏の君をはじめとして、みな席についた。殿上人なども、みんな来た。多くは源氏の君の御威光に押されたのだろう、格別に、すばらしい威儀に満ちた法会であった。
紫の上の心ざしで、仏に花を奉った。鳥蝶の装束に分けた童八人、容貌などとりわけ整えさせて、鳥の童たちには銀の花瓶に桜をさし、蝶の童たちには金の花瓶に山吹をさして、同じ花でも房のすばらしく、またとなく美しいのを用意させた。
南の御前の山際から漕ぎ出して、中宮の御前にゆくまでに、風が吹いて、瓶の桜が少し散った。うららかに晴れて、霞のなかから童たちが現れてくる様子は、ほんとうに心にしみて美しく見えた。仮小屋なども設けず、御前にゆく廊を楽屋にして、椅子などを用意した。
童たちは、階段のところに寄って、花を奉った。行香ぎょうごうの人びとが取り次いで、閼伽あかに加えた。
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24.5 紫の上と中宮和歌を贈答
御消息、殿の中将の君して聞こえたまへり。
花園の胡蝶をさへや下草に
秋待つ虫はうとく見るらむ

宮、「かの紅葉の御返りなりけり」と、ほほ笑みて御覧ず。昨日の女房たちも、
「げに、春の色は、え落とさせたまふまじかりけり」
と、花におれつつ聞こえあへり。鴬のうららかなる音に、「鳥の楽」はなやかに聞きわたされて、池の水鳥もそこはかとなくさへづりわたるに、「急」になり果つるほど、飽かずおもしろし。「蝶」は、ましてはかなきさまに飛び立ちて、山吹の籬のもとに、咲きこぼれたる花の蔭に舞ひ出づる。
宮のりょうをはじめて、さるべき上人ども、禄取り続きて、童べに賜ぶ。鳥には桜の細長、蝶には山吹襲賜はる。かねてしも取りあへたるやうなり。物の師どもは、白き一襲、腰差など、次ぎ次ぎに賜ふ。中将の君には、藤の細長添へて、女の装束かづけたまふ。御返り、
「昨日は音に泣きぬべくこそは。
胡蝶にも誘はれなまし心ありて
八重山吹を隔てざりせば

とぞありける。すぐれたる御労どもに、かやうのことは堪へぬにやありけむ、思ふやうにこそ見えぬ御口つきどもなめれ
まことや、かの見物の女房たち、宮のには、皆けしきある贈り物どもせさせたまうけり。さやうのこと、くはしければむつかし。
明け暮れにつけても、かやうのはかなき御遊びしげく、心をやりて過ぐしたまへば、さぶらふ人も、おのづからもの思ひなき心地してなむ、こなたかなたにも聞こえ交はしたまふ。
紫の上は文を夕霧に託した。
(紫上) 「春に美しく舞う胡蝶を見ても、下草で秋を待つ松虫は
春はお嫌いというのでしょうか」
中宮は「あの紅葉の歌のお返しね」とほほえんでご覧になる。昨日の女房たちも、
「ほんとうに、春の色を負かすことはできないでしょう」
と花に負けて口々に言うのだった。鶯のうららかな鳴き声に、「鳥の楽」の演奏がはなやかに響いて、池の水鳥もどことなくさえずり、楽の調子が早くなって終わるのも、おもしろかった。「蝶」は、いっそうはかなく飛びかって、山吹の籬のもとに、咲きほこる花の陰に憩うのだった。
中宮の亮をはじめ、しかるべき上人たちは、禄をとりついで、童に賜った。鳥には桜襲さくらがさねの細長、蝶には山吹襲を賜った。かねてから用意していたものだ。楽人たちには、白い襲一張、腰差しなどを次々に賜った。夕霧には藤の細長を添えて、女の装束を賜った。返歌に、
「昨日はお伺いしたくて泣きそうでした。
(中宮)胡蝶に誘われてそちらに行きたかった
山吹が幾重にも隔てなければ
と返しにあった。、経験豊かなお二人に、このようなことは不向きなのか、期待した詠みぶりではありませんね。
そうそう、中宮方の見物した女房たちにも、皆に趣向をこらした贈り物があった。そうしたことは、煩雑なので、やめましょう。
明けても暮れても、このようなたわいもない遊びをし、満足して過ごしていたので、仕える人たちも、自ずから心配ごともなく、お互いに文をやりとりした。
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24.6 玉鬘に恋人多く集まる
西の対の御方は、かの踏歌の折の御対面の後は、こなたにも聞こえ交はしたまふ。深き御心もちゐや、浅くもいかにもあらむけしきいと労あり、なつかしき心ばへと見えて、人の心隔つべくもものしたまはぬ人ざまなれば、いづ方にも皆心寄せきこえたまへり。
聞こえたまふ人いとあまたものしたまふ。されど、大臣、おぼろけに思し定むべくもあらず、わが御心にも、すくよかに親がり果つまじき御心や添ふらむ、「父大臣にも知らせやしてまし」など、思し寄る折々もあり。
殿の中将は、すこし気近く、御簾のもとなどにも寄りて、御応へみづからなどするも、女はつつましう思せど、さるべきほどと人びとも知りきこえたれば、中将はすくすくしくて思ひも寄らず。
内の大殿の君たちは、この君に引かれて、よろづにけしきばみ、わびありくを、その方のあはれにはあらで、下に心苦しう、「まことの親にさも知られたてまつりにしがな」と、人知れぬ心にかけたまへれど、さやうにも漏らしきこえたまはず、ひとへにうちとけ頼みきこえたまふ心むけなど、らうたげに若やかなり。似るとはなけれど、なほ母君のけはひにいとよくおぼえて、これはかどめいたるところぞ添ひたる。
西の対の玉鬘は、あの踏歌のときに対面したあとは、紫の上とも文を交換した。深い心配りという点では、足らないところもあろうが、落ち着いた感じがする。やさしい性格らしく、人に用心させるような気色もないので、誰もが皆心を寄せるのであった。
玉鬘に文を寄せる人はたくさんいた。しかし源氏は、簡単には相手を決めようとはしないで、自分でもしっかり親代わりをやり通す自信がないのか、「父の大臣に知らせてやろうか」などと折々に思うときもあった。
夕霧は、気安く、御簾の近くに寄って、直接言葉を交わすので、女は恥ずかしく思うけれど、二人はそれが当然と女房たちも知っているので、夕霧は真面目一方で他人とは思っていない。
内大臣の子息たちは、夕霧について来て、何かと気色ばんで思い悩むが、玉鬘はその気にはならず、内心苦しく、「まことの親にこうしていることを知っていただきたい」と、人知れず思っていたのだが、そのようなことはおくびにも出さず、源氏に心を許して頼りにする気持ちが、かわいらしく初々しかった。母に似ているというのではないが、気配はそっくりで、ちょっと才気が加わっていた。
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24.7 玉鬘へ求婚者たちの恋文
更衣ころもがえの今めかしう改まれるころほひ、空のけしきなどさへ、あやしうそこはかとなくをかしきを、のどやかにおはしませば、よろづの御遊びにて過ぐしたまふに、対の御方に、人びとの御文しげくなりゆくを、「思ひしこと」とをかしう思いて、ともすれば渡りたまひつつ御覧じ、さるべきには御返りそそのかしきこえたまひなどするを、うちとけず苦しいことに思いたり。
兵部卿宮の、ほどなくられがましきわびごとどもを書き集めたまへる御文を御覧じつけて、こまやかに笑ひたまふ。
「はやうより隔つることなう、あまたの親王たちの御中に、この君をなむ、かたみに取り分きて思ひしに、ただかやうの筋のことなむ、いみじう隔て思うたまひてやみにしを、世の末に、かく好きたまへる心ばへを見るが、をかしうもあはれにもおぼゆるかな。なほ、御返りなど聞こえたまへ。すこしもゆゑあらむ女の、かの親王よりほかに、また言の葉を交はすべき人こそ世におぼえね。いとけしきある人の御さまぞや」
と、若き人はめでたまひぬべく聞こえ知らせたまへど、つつましくのみ思いたり。
右大将の、いとまめやかに、ことことしきさましたる人の、「恋の山には孔子くじの倒ふれ」まねびつべきけしきに愁へたるもさる方にをかしと、皆見比べたまふ中に、唐のはなだの紙の、いとなつかしう、しみ深う匂へるを、いと細く小さく結びたるあり。
「これは、いかなれば、かく結ぼほれたるにか」
とて、引き開けたまへり。手いとをかしうて、
思ふとも君は知らじなわきかへり
岩漏る水に色し見えねば

書きざま今めかしうそぼれたり。
「これはいかなるぞ」
と問ひきこえたまへど、はかばかしうも聞こえたまはず。
更衣ころもがえがはなやかに改められる時節、空の模様も何となく風情があって、出仕する必要もないので、あれこれの遊びをして過ごしているうち、西の対の玉鬘に、人びとの文がたくさん集まりはじめたので、「予想どおり」とうれしく思って、何かとお越しになって文を見て、しかるべき人には返事を書くように勧めるのだが、玉鬘は煩わしくつらく感じた。
兵部卿の宮が、さっそくじれったそうにし恨み言を書き綴って出された文をご覧になって、にこやかにお笑いになった。
「昔からこの宮とは仲良く、たくさんの親王たちのなかでも、互いに特別に思っておりましたが、このような色の道は、お互いにまったくの秘密を通してきましたが、この年になって、こうした好き心を見るのは、おかしくもあわれにも思います。お嫌でも、ご返事はお出しなさい。少しでも物の分かる女なら、あの親王より他に文を交わすべき価値のある人がいるとはとても思われない。たいへん趣きのある人ですよ」
と、若い女ならよろこびそうなことを仰せになったが、玉鬘はただつつましかった。
髯黒の大将の、ひどく真面目で、重々しい風采の人が、「恋路には孔子も倒れる」を地でいっている程嘆いて、それなりに趣があったが、見比べているうちに、唐の縹色の紙に感じが良く、香りが深くしみて、細かく結んでいるのがあった。
「これはどうして結んだままなのか」
と仰せになって開いた。筆跡は見事で、
(柏木)「私がこんなに思っていてもあなたは知らないでしょう
湧きかえる水のようにこの思いに色はないですから」
書き方も今風で、しゃれている。
「これはどうしたのだ」
と問うたが、はっきりした答えが返ってこない。
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24.8 源氏、玉鬘の女房に教訓す ††††
右近を召し出でて、
「かやうに訪づれきこえむ人をば、人選りして、応へなどはせさせよ。好き好きしうあざれがましき今やうの人の、便ないことし出でなどする、男の咎にしもあらぬことなり。
我にて思ひしにも、あな情けな、恨めしうもと、その折にこそ無心むじんなるにや、もしはめざましかるべき際は、けやけうなどもおぼえけれ、わざと深からで、花蝶につけたる便りごとは、心ねたうもてないたるなかなか心立つやうにもありまた、さて忘れぬるは、何の咎かはあらむ
ものの便りばかりのなほざりごとに、口疾う心得たるもさらでありぬべかりける、後の難とありぬべきわざなり。すべて、女のものづつみせず、心のままに、もののあはれも知り顔つくり、をかしきことをも見知らむなむ、その積もりあぢきなかるべきを、宮、大将は、おほなおほななほざりごとをうち出でたまふべきにもあらず、またあまりもののほど知らぬやうならむも、御ありさまに違へり
その際より下は、心ざしのおもむきに従ひて、あはれをも分きたまへ。労をも数へたまへ」
など聞こえたまへば、君はうち背きておはする、側目いとをかしげなり。撫子の細長にこのころの花の色なる御小袿、あはひ気近う今めきてもてなしなども、さはいへど、田舎びたまへりし名残こそ、ただありに、おほどかなる方にのみは見えたまひけれ、人のありさまをも見知りたまふままに、いとさまよう、なよびかに、化粧なども、心してもてつけたまへれば、いとど飽かぬところなく、はなやかにうつくしげなり。他人と見なさむは、いと口惜しかべう思さる。
右近を呼び出して、
「このように文を出してくる人を、選んで、返事をさせなさい。好き心で浮気っぽい今風の女が、不都合なことをしでかしたりするのも、必ずしも男が悪いわけでもない。
わたしの経験からしても、薄情で恨めしいとその当座は思い、あわれを解さぬ女とか、また身分の低い女なら生意気だとも思い、軽い気持ちで花だ蝶だと浮かれてだす文に、返事をしないでくやしがらせるのは、かえって男心を誘うものだ。また返事をしないで男の方が忘れてしまうのは何の咎もない。
物のついでに文をおくる程度のものに、すぐ返事を出すものと心得るのも、そんな必要はないし、あとで非難の的にもなる。何事によらず女が慎みを忘れ、思いのままに、もののあわれも知ったかぶりをし、趣あることも知っている積りになるのは、結局は味気ないものだが、宮や大将は、軽々しくいい加減なことを言う方でもないし、また女としてあまりものを知らぬのも、あなたに相応しくないのです。
下の身分の者なら、相手の思いの程度に応じて愛情の程を判断し、熱心さもかってあげなさい」
などと源氏が仰せになるが、玉鬘はあちらを向いていて、横顔が実に美しかった。撫子襲の細長に、今の季節の卯の花襲の小袿との、近いとりあわせが今風で、物腰なども何と言っても田舎風なところが残っていて、平凡で、のんびりした感じがしたが、六条の邸で婦人方の有様を見知るに及んで、着こなしもよく、しとやかで、化粧などにも気を使っているので、欠点がなくなり、はなやかに美しかった。他人のものにしてしまうのは残念だと源氏は思う。
2019.6.29/ 2021.9.20/ 2023.4.22◎
24.9 右近の感想
右近も、うち笑みつつ見たてまつりて、「親と聞こえむには、似げなう若くおはしますめり。さし並びたまへらむはしも、あはひめでたしかし」と、思ひゐたり。
「さらに人の御消息などは、聞こえ伝ふることはべらず。先々も知ろしめし御覧じたる三つ、四つは、引き返し、はしたなめきこえむもいかがとて、御文ばかり取り入れなどしはべるめれど、御返りは、さらに。聞こえさせたまふ折ばかりなむ。それをだに、苦しいことに思いたる」
と聞こゆ。
「さて、この若やかに結ぼほれたるは誰がぞ。いといたう書いたるけしきかな」
と、ほほ笑みて御覧ずれば、
「かれは、執念しうねうとどめてまかりにけるにこそ。内の大殿の中将の、このさぶらふみるこをぞ、もとより見知りたまへりける、伝へにてはべりける。また見入るる人もはべらざりしにこそ」
と聞こゆれば、
「いとらうたきことかな。下臈なりとも、かの主たちをば、いかがいとさははしたなめむ。公卿といへど、この人のおぼえに、かならずしも並ぶまじきこそ多かれ。さるなかにも、いとしづまりたる人なり。おのづから思ひあはする世もこそあれ。掲焉けちえんにはあらでこそ、言ひ紛らはさめ。見所ある文書きかな」
など、とみにもうち置きたまはず。
右近も微笑んで二人をご覧になって、「親というには、似合わないほどお若い。ご夫婦でいらしたほうが、お似合いで結構なことだ」と思うのだった。
「殿方の文などは、決して取り次いではおりません。先にお伝えしご覧になった三つ四つは、つき返すして、失礼な思いをさせてもどうかと思い、文はお預かりいたしましが、ご返事はまだです。殿様が仰せになった時だけです。それも玉鬘はつらそうにしています」
と右近は言うのだった。
「さてこの若い風に結んだのは誰の文かな。実に細かく連綿と書いておるな」
と微笑みながらご覧になると、
「使いがしつこく置いていったのです。内大臣の中将の柏木で、ここにおります童女のみるこを元から知っていて、その子が取り次いだものです。他に取り次ぐ者もいなかったようですから」
とお答えすれば、
「実にいじらしいことだ。今は身分は低くても、あの人たちにどうしてそんなことができようか。公卿たちだって、この人の声望に並ぶことのできない者も多いだろう。その中でも、落ち着いた人物だ。今に事情を知って分かるときがあろう。今ははっきりせずに、言い紛らしておけ。見所のある文だな」
など仰せになって、すぐには下に置かなかった。
2019.6.30/ 2021.9.20/ 2023.4.22
24.10 源氏、求婚者たちを批評
かう何やかやと聞こゆるをも思すところやあらむと、ややましきをかの大臣に知られたてまつりたまはむこともまだ若々しう何となきほどにここら年経たまへる御仲にさし出でたまはむことは、いかがと思ひめぐらしはべる。なほ世の人のあめる方に定まりてこそは人びとしう、さるべきついでもものしたまはめと思ふを。
宮は、独りものしたまふやうなれど、人柄いといたうあだめいて、通ひたまふ所あまた聞こえ、召人とか、憎げなる名のりする人どもなむ、数あまた聞こゆる
さやうならむことは、憎げなうて見直いたまはむ人は、いとようなだらかにもて消ちてむ。すこし心に癖ありては、人に飽かれぬべきことなむ、おのづから出で来ぬべきを、その御心づかひなむあべき。
大将は、年経たる人の、いたうねび過ぎたるを、厭ひがてにと求むなれど、それも人びとわづらはしがるなり。さもあべいことなれば、さまざまになむ、人知れず思ひ定めかねはべる。
かうざまのことは、親などにも、さはやかに、わが思ふさまとて、語り出でがたきことなれど、さばかりの御齢にもあらず。今は、などか何ごとをも御心にいたまはざらむ。まろを、昔ざまになずらへて、母君と思ひないたまへ。御心に飽かざらむことは、心苦しく」
など、いとまめやかにて聞こえたまへば、苦しうて、御応へ聞こえむともおぼえたまはず。いと若々しきもうたておぼえて、
「何ごとも思ひ知りはべらざりけるほどより、親などは見ぬものにならひはべりて、ともかくも思うたまへられずなむ」
と、聞こえたまふさまのいとおいらかなれば、げにと思いて、
「さらば世のたとひの、後の親をそれと思いて、おろかならぬ心ざしのほども、見あらはし果てたまひてむや」
など、うち語らひたまふ。思すさまのことは、まばゆければ、えうち出でたまはず。けしきある言葉は時々混ぜたまへど、見知らぬさまなれば、すずろにうち嘆かれて渡りたまふ。
「こう何やかやと申し上げると、ご不快な思いをさせていないかと気になりますが、かの内大臣に知られては、あなたは経験も浅くしっかりした後ろ楯もなく、長年別々に過ごしたきょうだいの中に入ってゆくのは、どうかと考えました。世間の女が落ち着く結婚が決まってから、人並みに、大臣と会う機会も出来ると思うが。
兵部卿の宮は、今は独り者のようですが、人柄はすごく浮気で、通うところがたくさんあって、召人とか、いやな名のついた人もたくさんいるという。
夫の浮気沙汰については、不機嫌な顔をせず大目に見ることのできる人は、上手に穏便にすませるだろう。しかし性格に少し角がある人は、夫に飽きられることもあるでしょうから、その心使いは必要です。
髭黒の大将は、長年連れ添った北の方が年老いて、嫌になったので申し込むそうだが、それをよく言わない人もいます。それももっともなことですが、わたしもあれこれと悩んでいます。
このようなことは、親などにもはっきりと自分の思いを言えないものですが、あなたはもうそんな年でもないでしょう。今は、何でも自分で分別できるでしょう。わたしを、昔に返ったつもりで、母君と思ってください。お気持ちに添えない事があっては心苦しいのですが」
など、真面目に仰せになるので、苦しくなって、返事もできなかった。あまりに子どもっぽい対応も嫌だったので、
「物心がついた頃から、親はいないものと思い込んでおりましたので、どのように思案したらいいのかわかりません」
と返事なさる様子が実におっとりしていて、もっともと思い、
「それでは俗にいうように、わたしを実の親と思って、わたしの並々ならぬ気持ちを、最後まで見届けてください」
などと語らうのだった。自分の本心は、面はゆくて、きちんと言えなかった。それなりの言葉を時々織り交ぜらけれど、玉鬘が見知らぬ風だったので、思わず嘆息してお帰りになった。
2019.7.2/ 2021.9.21/ 2023.4.22
24.11 源氏、玉鬘と和歌を贈答
御前近き呉竹の、いと若やかに生ひたちて、うちなびくさまのなつかしきに、立ちとまりたまうて、
ませのうちに根深く植ゑし竹の子の
おのが世々にや生ひわかるべき

思へば恨めしかべいことぞかし」
と、御簾を引き上げて聞こえたまへば、ゐざり出でて、
今さらにいかならむ世か若竹の
生ひ始めけむ根をば尋ねむ

なかなかにこそはべらめ
と聞こえたまふを、いとあはれと思しけり。さるは、心のうちにはさも思はずかし。いかならむ折聞こえ出でむとすらむと、心もとなくあはれなれど、この大臣の御心ばへのいとありがたきを、
「親と聞こゆとも、もとより見馴れたまはぬは、えかうしもこまやかならずや」
と、昔物語を見たまふにも、やうやう人のありさま、世の中のあるやうを見知りたまへば、いとつつましう、心と知られたてまつらむことはかたかるべう、思す
前庭の手前に植えた呉竹が若々しく成長して、風にそよぐ様子にふと心惹かれて立ち止まり、
(源氏)「邸の奥で大事に育てた姫君も
おのがじし伴侶を見つけて去ってゆくのか
思えば恨めしいことです」
と御簾を引き上げて仰せになれば、いざりでて、
(玉鬘)「今さら若竹が生い育った
元の親を探してどうなりましょう
かえってわたしが困りましょう」
と返歌するのを、じつにあわれと思った。しかし、玉鬘は心のうちではそう思っていなかった。いつ実の父のことを言い出したらいいかと、気がかりだったが、源氏のお気持ちがありがたかったので、
「実の親でも、幼少から育てていない子に、これ程細かな気配りをするだろうか」
と昔物語を見ても、ようやく人の有様や、世の中の様子も分かってきたので、遠慮して、自分から実の父のことを言い出すのは難しいと思った。
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24.12 源氏、紫の上に玉鬘を語る
殿は、いとどらうたしと思ひきこえたまふ。上にも語り申したまふ。
「あやしうなつかしき人のありさまにもあるかな。かのいにしへのは、あまりはるけどころなくぞありし。この君は、もののありさまも見知りぬべく、気近き心ざま添ひて、うしろめたからずこそ見ゆれ」
など、ほめたまふ。ただにしも思すまじき御心ざまを見知りたまへれば、思し寄りて、
「ものの心得つべくはものしたまふめるを、うらなくしもうちとけ、頼みきこえたまふらむこそ、心苦しけれ」
とのたまへば、
「など、頼もしげなくやはあるべき」
と聞こえたまへば、
いでや、われにても、また忍びがたう、もの思はしき折々ありし御心ざまの、思ひ出でらるるふしぶしなくやは
と、ほほ笑みて聞こえたまへば、「あな、心疾」とおぼいて、
うたても思し寄るかな。いと見知らずしもあらじ
とて、わづらはしければ、のたまひさして、心のうちに、「人のかう推し量りたまふにも、いかがはあべからむ」と思し乱れ、かつは、ひがひがしう、けしからぬ我が心のほども、思ひ知られたまうけり。
心にかかれるままに、しばしば渡りたまひつつ見たてまつりたまふ。
源氏は玉鬘をとてもかわいいと思った。紫の上にも言うのであった。
「妙に人をひきつけるところのある姫君ですね。亡くなった母君は、あまり明るいところがなかったのです。この姫は、世間のことも分かっているようだし、気安いところもあって、心配なところはないな」
などと誉めた。無事にはすまない源氏の性格を知っているので、思いあたって、
「世間のことはご存知のようですが、すっかり打ち解けて、頼りにしておられるのは、お気の毒です」
と言えば、
「なんでわたしが頼りにならないことがあろうか」
と仰せになると
「さあ、わたしも耐えがたく悩ましいときが折々ありまして、そんなあなたのご性分、思い出すこともありますから」
と微笑んで言えば、「なんと察しのいい」と感じて、
「嫌なことを邪推なさる。もしそうなら玉鬘が見抜いているでしょう」
と言って、ことが面倒なので、話を切り上げて、心のなかで、「紫の上がこんな邪推をしている、どうしたものだろうか」と思い乱れ、また道に外れたけしからぬ自分の心の程を、思い知るのだった。
心惹かれるままに、しばしば渡って玉鬘に会いに行った。
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24.13 源氏、玉鬘を訪問し恋情を訴える
雨のうち降りたる名残の、いとものしめやかなる夕つ方、御前の若楓、柏木などの、青やかに茂りあひたるが、何となく心地よげなる空を見い出したまひて、
和してまた清し
とうち誦じたまうて、まづ、この姫君の御さまの、匂ひやかげさを思し出でられて、例の、忍びやかに渡りたまへり。
手習などして、うちとけたまへりけるを、起き上がりたまひて、恥ぢらひたまへる顔の色あひ、いとをかし。なごやかなるけはひの、ふと昔思し出でらるるにも、忍びがたくて、
「見そめたてまつりしは、いとかうしもおぼえたまはずと思ひしを、あやしう、ただそれかと思ひまがへらるる折々こそあれ。あはれなるわざなりけり。中将の、さらに昔ざまの匂ひにも見えぬならひに、さしも似ぬものと思ふに、かかる人もものしたまうけるよ」
とて、涙ぐみたまへり。箱の蓋なる御果物の中に、橘のあるをまさぐりて、
橘の薫りし袖によそふれば
変はれる身とも思ほえぬかな

世とともの心にかけて忘れがたきに、慰むことなくて過ぎつる年ごろを、かくて見たてまつるは、夢にやとのみ思ひなすを、なほえこそ忍ぶまじけれ。思し疎むなよ」
とて、御手をとらへたまへれば、女、かやうにもならひたまはざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさまにてものしたまふ。
袖の香をよそふるからに橘の
身さへはかなくなりもこそすれ

むつかしと思ひてうつぶしたまへるさま、いみじうなつかしう、手つきのつぶつぶと肥えたまへる、身なり、肌つきのこまやかにうつくしげなるに、なかなかなるもの思ひ添ふ心地したまて、今日はすこし思ふこと聞こえ知らせたまひける。
女は、心憂く、いかにせむとおぼえて、わななかるけしきもしるけれど、
「何か、かく疎ましとは思いたる。いとよくも隠して、人に咎めらるべくもあらぬ心のほどぞよ。さりげなくてをもて隠したまへ。浅くも思ひきこえさせぬ心ざしに、また添ふべければ、世にたぐひあるまじき心地なむするを、この訪づれきこゆる人びとには、思し落とすべくやはある。いとかう深き心ある人は、世にありがたかるべきわざなれば、うしろめたくのみこそ」
とのたまふ。いとさかしらなる御親心なりかし。
雨が降った名残で、しっとりとして落ち着いた感じがする夕方、前庭の若い楓や柏の木などが、青々と茂って、何とはなしに心地よい空を見上げて、
「和してまた清し」
と誦じて、まず姫君がおられる様子、そのにおうばかりの美しさを思い浮かべて、例によって、ひそかに渡って行った。
手習いなどして、くつろいでいた姫は、体を起こして、恥らうような顔の色合いが、実に美しかった。もの柔らかな気配に、ふとかっての夕顔を思い出して堪えがたく、
「初め見たときは、これほど似ていると思いませんでしたが、不思議なほどに、まったく母君かと思い違うことが時々ございます。驚きです。夕霧が母君にさほど似ていないので、それほど似るものではないと思っていたが、こんなに似ている人もいるものだ」
とて、涙ぐむのであった。箱の蓋の果物の中にあった、蜜柑を手にとって、
(源氏)「袖に薫る橘の香をかぎ、亡き母のことを思し、
別人とはとても思えません
常日頃、心にかけて忘れがたく、慰むことなく年月が過ぎてから、こうしてお会いするのは、夢のように思われますので、堪えられません。嫌わないでください」
と言って、手を取ると、玉鬘はこんな扱いを受けたことがなかったので、嫌な気持ちになったが、何気ない風をよそおって申し上げた。
(玉鬘)「亡き母にそっくりとのことですから
わたしもはかなく終わる身なのでしょうか」
面倒なことになったと思って顔を伏せている様は、かわいらしく、手つきのふっくらと肥えた様子、身なり、肌つきの細やかな美しさは、かえって新たに気持ちの高ぶりが加わって、今日は日頃思っていることをすこし打ち明けた。
玉鬘は嫌がって、どうしたらいいのか、体が震えているのが分かるので、
「そうしてそんなに嫌いますか。隠して、人に見られないように気をつけているのに。あなたも何気ないふりをしていなさい。もともと親代わりの浅からぬ心ざしに、新たな思いを加えているので、世に類稀な気持ちでおりますので、この文を使わした者たちに思いが劣ることがあろうか。これほど深い思いの人は、世にいないはずですから、心配なのです」
と仰せになる。なんと身勝手な親心であろう。
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24.14 源氏、自制して帰る
雨はやみて、風の竹に生るほど、はなやかにさし出でたる月影、をかしき夜のさまもしめやかなるに、人びとは、こまやかなる御物語にかしこまりおきて、気近くもさぶらはず。
常に見たてまつりたまふ御仲なれど、かくよき折しもありがたければ、言に出でたまへるついでの、御ひたぶる心にや、なつかしいほどなる御衣どものけはひは、いとよう紛らはしすべしたまひて、近やかに臥したまへば、いと心憂く、人の思はむこともめづらかに、いみじうおぼゆ
まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ちたまふとも、かくざまの憂きことはあらましや」と悲しきに、つつむとすれどこぼれ出でつつ、いと心苦しき御けしきなれば、
「かう思すこそつらけれ。もて離れ知らぬ人だに、世のことわりにて、皆許すわざなめるを、かく年経ぬる睦ましさに、かばかり見えたてまつるや、何の疎ましかるべきぞ。これよりあながちなる心は、よも見せたてまつらじ。おぼろけに忍ぶるにあまるほどを、慰むるぞや」
とて、あはれげになつかしう聞こえたまふこと多かり。まして、かやうなるけはひは、ただ昔の心地して、いみじうあはれなり。
わが御心ながらも、「ゆくりかにあはつけきこと」と思し知らるれば、いとよく思し返しつつ、人もあやしと思ふべければ、いたう夜も更かさで出でたまひぬ。
「思ひ疎みたまはば、いと心憂くこそあるべけれ。よその人は、かうほれぼれしうはあらぬものぞよ。限りなく、そこひ知らぬ心ざしなれば、人の咎むべきさまにはよもあらじ。ただ昔恋しき慰めに、はかなきことをも聞こえむ。同じ心に応へなどしたまへ」
と、いとこまかに聞こえたまへど、我にもあらぬさまして、いといと憂しと思いたれば、
「いとさばかりには見たてまつらぬ御心ばへを、いとこよなくも憎みたまふべかめるかな」
と嘆きたまひて、
「ゆめ、けしきなくてを」
とて、出でたまひぬ。
女君も、御年こそ過ぐしたまひにたるほどなれ、世の中を知りたまはぬなかにも、すこしうち世馴れたる人のありさまをだに見知りたまはねば、これより気近きさまにも思し寄らず、「思ひの外にもありける世かな」と、嘆かしきに、いとけしきも悪しければ、人びと、御心地悩ましげに見えたまふと、もて悩みきこゆ。
「殿の御けしきの、こまやかに、かたじけなくもおはしますかな。まことの御親と聞こゆとも、さらにかばかり思し寄らぬことなくは、もてなしきこえたまはじ」
など、兵部ひょうぶなども、忍びて聞こゆるにつけて、いとど思はずに、心づきなき御心のありさまを、疎ましう思ひ果てたまふにも、身ぞ心憂かりける。
雨はやんで、風が竹に鳴り、鮮やかに照らす月影が、風情がある夜もしめやかに、女房たちは親子の親しい話をしているのだろうと気をきかして遠慮して、近くにはいなかった。
いつも几帳を隔てず会っていたが、このような絶好の機会はめったにないので、一旦口に出してしまったので、気持ちが高ぶったのだろう、着慣れた衣のきぬ擦れの音を紛らわして脱いで、側に添い臥したので、玉鬘は実に嫌で、女房たちもあやしむだろうと思い、ひどく悲しかった。
「まことの親だったら、粗略に扱われることはあっても、こんなつらい目にあうことはないだろう」と悲しく、袖に隠そうとするが涙がこぼれでて、実に苦し気な気色なので、
「そう思われるのがつらい。見知らぬ男にさえ、男女の仲の習いとして、女は皆身を任せるのに、このように年を重ねて親しくしているのに、このぐらいのことで何の嫌がることがあろう。これ以上に無理強いしません。我慢しきれない気持ちを晴らすだけなのに」
とて、しみじみとやさしくあれこれと話すのであった。まして、近くで見ると、ただ昔の夕顔をみる心地して、感無量であった。
自分の心でありながら、「自制心がなく軽はずみだ」と思ったので、よく思い返して、女房たちにあやしまれると思って、夜も更ける前にお返りになった。
「お嫌いなら、つらいだけでしょう。他の人なら、こんなに夢中にはならないでしょう。限りなく底知れぬ愛情なので、人が咎めるようなことはしません。ただ昔なつかしい慰めに、とりとめのない心を慰める話でもしましょう。そのつもりで、応じてください」
と大層気を使って仰せになったが、玉鬘は度を失って、実につらい気持ちだったので、
「それほどに疎まれているとは思いませんでした、ずいぶんと嫌われましたね」
源氏は嘆いて、
「決して人に気づかれぬように」
と言って出て行かれた。
玉鬘も、年こそかなりになっていたが、男女の仲を知らぬだけでなく、いくらかでも男女の仲を経験した人の様子を知らないので、これ以上近づきになることなど思いもよらず、「思いもかけぬ目にあう定めなのか」と嘆いていたら、気分もすぐれず、女房たちはご気分が悪そうだ、と困っているようだ。
「殿様のお心遣いが、行き届いているのは、たいへんありがたいことです。まことの親であっても、これほどの世話をやかれることはないでしょう」
など、兵部などがひそひそ言うにつけても、玉鬘は、思いがけない殿の浅ましい下心を、すっかり嫌だと思い込み、わが身が情けなかった。
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24.15 苦悩する玉鬘
またの朝、御文とくあり。悩ましがりて臥したまへれど、人びと御硯など参りて、「御返りとく」と聞こゆれば、しぶしぶに見たまふ。白き紙の、うはべはおいらかに、すくすくしきに、いとめでたう書いたまへり。
「たぐひなかりし御けしきこそ、つらきしも忘れがたう。いかに人見たてまつりけむ。
うちとけて寝も見ぬものを若草の
ことあり顔にむすぼほるらむ

幼くこそものしたまひけれ」
と、さすがに親がりたる御言葉も、いと憎しと見たまひて、御返り事聞こえざらむも、人目あやしければ、ふくよかなる陸奥紙に、ただ、
「うけたまはりぬ。乱り心地の悪しうはべれば、聞こえさせぬ」
とのみあるに、「かやうのけしきは、さすがにすくよかなり」とほほ笑みて、恨みどころある心地したまふ、うたてある心かな
色に出でたまひてのちは、「太田の松の」と思はせたることなく、むつかしう聞こえたまふこと多かれば、いとど所狭き心地して、おきどころなきもの思ひつきて、いと悩ましうさへしたまふ。
かくて、ことの心知る人は少なうて、疎きも親しきも、むげの親ざまに思ひきこえたるを
「かうやうのけしきの漏り出でば、いみじう人笑はれに、憂き名にもあるべきかな。父大臣などの尋ね知りたまふにても、まめまめしき御心ばへにもあらざらむものから、ましていとあはつけう、待ち聞き思さむこと」
と、よろづにやすげなう思し乱る。
宮、大将などは、殿の御けしき、もて離れぬさまに伝へ聞きたまうて、いとねむごろに聞こえたまふ。この岩漏る中将も、大臣の御許しを見てこそ、かたよりにほの聞きて、まことの筋をば知らず、ただひとへにうれしくて、おりたち恨みきこえまどひありくめり。
次の朝、文が早速あった。気分が悪く臥していたが、女房たちが硯などを用意し、「早くご返事を」と言うので、しぶしび見た。白い紙に、見た目はおっとりして生真面目な風で、見事な筆跡で書いてある。
「つれない仕打ちが、忘れられない。女房たちはどんな風に見ているか
(源氏)共寝したわけでもないのに若いあなたは
どうしてことありげに塞いでいるのですか
幼いのですね」
と、さすがに親がかりの言葉に、実に憎らしいと感じて、返事をお出ししないのも、人目に疑われそうなので、厚手の陸奥紙に、ただ
「お便り拝見。気分がすぐれないので、お返事は失礼します」
とだけあるのを、「こういうやり方は、さすがにしっかりしている」と微笑み、口説き甲斐があると思うのだった、困った性分である。
一度口に出してからは、「太田の松の」よろしくためらうことなく、あれこれとうるさく言われることが多く、玉鬘は切羽詰った気持ちになり、どうしらた良いか分からず、ほんとうに病気になった。
こうして、ことの真相を知る人は少なく、世間の人も周りの者も、ほんとうの親と思っているのを、
「こうした事情が世間に漏れ出でたら、たいへんな物笑いの種になるし、情けない評判もたつだろう。父大臣が尋ねきてこれを知ったら、親身に娘を世話する人でもなさそうなので、軽はずみな女だと、伝え聞くだろう」
とあれこれ思い悩むのだった。
兵部卿や髭黒の右大将などは、源氏の内諾を得たように伝え聞き、実に熱心に言い寄るのであった。岩漏るの中将ならぬ柏木も、源氏の許しを得たとみるこから伝え聞いて、ほんとうの事情は知らずに、ただうれしくて、恋の恨みを訴えてうろうろしていた。
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読書期間2019年6月18日 - 2019年7月7日