すぐれたる御労どもに、かやうのことは堪へぬにやありけむ、思ふやうにこそ見えぬ御口つきどもなめれ お二人とも立派に年功をつまれたお方だが、こうした春秋の争いといった、先例の多いはなやかなお歌のやり取りは、荷が勝ちすぎたのでしょうか、思ったほどでもない詠みぶりでいらっしゃるようです。草子地。/ ご立派なご身分の方々だが、お歌のほうはあまりお上手ではないのかしら、想像したほどでもない詠みっぷりです。/div>
深き御心もちゐや、浅くもいかにもあらむ 深いお心用意のある方と言うには足りないところもあるかもしれない。深いお心くばりという点では、至らぬとかそのほか難もあろうが。
けしきいと労あり 人柄から受ける感じが、いかにもしっかりしていて。「労」は、年功のこと。
人の心隔つべくもものしたまはぬ人ざまなれば 気のおけるところもおありでない人柄なので。人に用心させるようか気色もないので。人に警戒心を抱かせる気配でもないので。
内の大殿の君たちは 内大臣のlご子息たち。玉鬘の実の兄弟。柏木たち。
更衣の今めかしう改まれるころほひ 更衣(ころもがえ)で、はなやかに衣装も改まったころ。陰暦四月一日と十月一日に季節の衣服を改める。ここは四月、冬服を夏服に替える。
右大将の 髯黒の大将のこと。右近衛大将。従三位相当。承香殿(しょうきょうでん)の女御(朱雀院の女御。春宮の母)の兄。
「恋の山には孔子の倒ふれ」まねびつべきけしきに愁へたるも 恋の山には「孔子(くじ)の倒れ」(孔子ほどの賢人も失敗する)という諺をそっくり実演しそうな様子で、手紙に恨み言をならべているのも。
さる方にをかしと これはこれでまた趣がある。
思ふとも君は知らじなわきかへり岩漏る水に色し見えねば 私がこんなにお慕いしているとも、あなたはご存知ないでしょう。湧きかえって溢れる水には色がありませんから-湧きかえる熱い思いも外からは分かりませんから。この後で内大臣の長子の柏木の手紙と分かる。(新潮)/ これほどに想ってもあなたはご存知ないでしょうね。わきかえって岩間を漏れる水のように私の心も色は見えませんから。(玉上)
あざれがましき 「あざれがまし」浮気っぽい。ふざけた様子である。
便ないことし出でなどする 「べんない」つまらない、甲斐がない。
あな情けな、恨めしうもと、その折にこそ 何と風情を知らぬ、冷たいことだなと、(手紙をもらえなかった)その当座は。
無心なるにや、もしはめざましかるべき際は、けやけうなどもおぼえけれ 情趣を解さぬ女ではないかとか、あるいは、身の程わきまえぬ低い身分の女なら、生意気ななどと思ったものだが。「めざまし」身の程知らず、無礼なの意。「けやけし」異常だの意。
心ねたうもてないたる 男をくやしがらせるように返事をしないでおくのは。「心ねたし」しゃくに思うの意。
なかなか心立つやうにもあり かえって男が熱を上げてくるものであり。
また、さて忘れぬるは、何の咎かはあらむ また、返事をしないからといって、男の方が忘れてしまうのは、何の構うことがあろう。
ものの便りばかりのなほざりごとに、口疾う心得たるも 何かの折にふと思いついた程度のいい加減な恋文に、すぐに返事をするものと心得ているのも。
さらでありぬべかりける、後の難とありぬべきわざなり そのようなことはせずともよい、あとで世間の非難の的になる。
おほなおほな 軽々しく。うっかり。
御ありさまに違へり あなたとしては相応しくないことです。玉鬘の身分、年齢にふさわしくない、の意。
その際より下は 兵部卿や右大将より下の見分の者には。
撫子の細長に 撫子襲(なでしこがさね)表紅梅、裏寿の細長。「細長」は貴婦人の表着。おくみがなく、身頃の裾先が分かれている。
このころの花の色なる御小袿、あはひ気近う今めきて 卯の花襲(表紅梅、裏青)。今の季節すなわち四月の卯の花。小袿は婦人の敬礼装。細長の上に重ねている。(撫子襲と卯の花襲の)色合いが親しみやすく現代的で。
もてなしなども、さはいへど、田舎びたまへりし名残こそ、ただありに、おほどかなる方にのみは見えたまひけれ 「もてなし」所作。物腰。物腰なども、なんと言っても田舎くさいところが残っていらした間は、平凡で、ただのんびりした感じではいらっしゃったが。
さし並びたまへらむはしも、あはひめでたしかし ご夫婦としていらしたほうが、お似合いで結構なことだ。
公卿といへど 上達部。三位以上。柏木は近衛の中将であるから、従四位下。
掲焉にはあらで 掲焉 目立つ様。あらわなさま。
かう何やかやと聞こゆるをも こう何やかやとご忠告申すのを。
思すところやあらむと、ややましきを ご不快にお思いになることもあろうかと、気になりますが。「ややまし」心ぐるしい。
かの大臣に知られたてまつりたまはむことも 内大臣に実の子と知って預かれることにしても。/ 「知られたてまつりたまはむ」「れ」は受身。「たてまつり」は内大臣に対する受手尊敬。「たまは」は玉鬘に対する為手尊敬。あちらの大臣に(こうと)知られなさるにしても。(玉上)
まだ若々しう何となきほどに まだ経験も浅く、何の後ろ楯もな身の上で。
ここら年経たまへる御仲にさし出でたまはむことは 長年別々でいらっしたごきょうだいの中に入ってゆかれるということは。
なほ世の人のあめる方に定まりてこそは やはり世間の人が落ち着く方向に落ち着いてこそ。普通に結婚してこそ。
召人とか、、憎げなる名のりする人どもなむ、数あまた聞こゆる (ご家庭には)召人とか、かわいらしげのない名乗りをする女房たちが、大勢いるということです。「召人」は、主人の寵をうけて妻室に準ずる特殊な地位を占める女房。
人びとしう 一人前のひとらしく。
ませのうちに根深く植ゑし竹の子のおのが世々にや生ひわかるべき 邸の奥で大切に育てた娘も、それぞれ伴侶を得て出てゆくわけか。(玉上)/ 籬(ませ)のうちにしっかり植えた筍ー邸のうち深く大切に育てた娘が、それぞれよすがを定めて別れてゆくのであろうか。(新潮)/div>
今さらにいかならむ世か若竹の生ひ始めけむ根をば尋ねむ 今になって、どんな場合に、生みの親を探したりなどいたしましょう。(玉上)/ 今さら、どんな場合に、若竹の生いそめたもとの根を探したりいたしましょう。(新潮)
なかなかにこそはべらめ (私が)かえって困るでしょう。
心と知られたてまつらむことはかたかるべう、思す 「心と」自分からすすんで。「知られたてまつらむ」内大臣に」知ってもらうこと。以上、難しいと思う。
ただにしも思すまじき御心ざまを見知りたまへれば 無事にすまされようもない源氏の性格を知っているので。
いでや、われにても、また忍びがたう、もの思はしき折々ありし御心ざまの、思ひ出でらるるふしぶしなくやは いえ、私のことを振り返ってみましても、本当に耐えがたく、悲しいときが何度かあったあなたご性分について、思い出されるあれこれがないと申せましょうか。
うたても思し寄るかな。いと見知らずしもあらじ いやなことを邪推なさる。(万一私に好色心があれば)玉鬘は見抜かずにはおかぬでしょう。
和してまた清し 「四月の天気和してまた清し 緑槐陰合うて沙堤平らかなり」『白氏文集』巻十九。
匂ひやかげさ におうばかりの美しさ。
橘の薫りし袖によそふれば変はれる身とも思ほえぬかな なつかしい昔の夕顔(ひと)と思ってみると、別の人とはとても思えなくなる。(玉上)/ あなたを、昔なつかしい亡き母君と思ってみれば、とても別人とは思えません。(新潮){橘のかをりし袖」は「五月待つ花橘の香をかげば、昔の人の袖の香ぞする」(『古今集』巻三夏、題しらず、読み人しらず)
袖の香をよそふるからに橘の身さへはかなくなりもこそすれ なつかしい母とお思い下さるなら、わたしの身まで同じように、はかなくいなりませんでしょうか。(玉上)/ 亡き母にそっくりだとのことですので、わが身も母と同じようにはかなく終わるのではないかと存じます。(新潮)
浅くも思ひきこえさせぬ心ざしに、また添ふべければ g(もともと亡き人の形見として)一通りにはお思い申さぬ心寄せの上に、あらたな恋の思いがまた加わるのですから、私の気持ちは、世にも稀なものと思われます。(新潮)
/ (今までも)大事に思っていた(親子の)愛に、さらに(夫婦の愛が)加わることになるのだから。(玉上)
いと心憂く、人の思はむこともめづらかに、いみじうおぼゆ 玉鬘はとても情けなく、女房たちもこれを知ったらどんなに変なことと思うだろうと、大層つらく思われる。
まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ちたまふとも、かくざまの憂きことはあらましや まことの親の側にいたならば、粗略に扱われることがあっても、これほどのつらい目にあうことがあろうか。
ゆくりかにあはつけきこと 自制心のない軽はずみなこと。「ゆくりか」思いがけないさま。突然。何心ないさま。不用意な様。「あわつけし」うわついている。軽薄である。
よその人は、かうほれぼれしうはあらぬものぞよ これが他人なら、こんなにぼんやりしてはいませんよ。手出しをしない事をこういう。(新潮)/ ほかの人はこれほど夢中にはならないものですよ。(玉上)/ 他の人は、こんなに夢中にはなりませんよ。(渋谷源氏)/ 「ほれぼれ」ぼんやりしたさま。放心したさま。心を奪われうっとりするさま。
兵部なども 玉鬘の乳母の娘。
うちとけて寝も見ぬものを若草のことあり顔にむすぼほるらむ 共寝をしたわけでもありませんのに、どうしてあなたは、いかにも事ありげに思い悩んでいらっしゃるのでしょう。(新潮)/ 許しあって寝たのでもないのに、若草はどうして意味ありげにふさいでいるのだろう。(玉上)/「むすぼむすぼれる」③気がふさいで晴れ晴れしない。ふさぐ。
恨みどころある心地したまふ、うたてある心かな< 口説きがいのある気持ちがする、困った性分です。「うたてある心かな」草子地(作者の直接のつぶやき)。
太田の松の (もういっそうはっきり言ってしまおうか)と、ためらっていると思わせることなく。「恋ひわびぬ太田の松の大方は色に出でてや逢はむと言はまし」(書陵部蔵『躬恒集』光俊本ほか)
疎きも親しきも、むげの親ざまに思ひきこえたるを 世間の者もまわりの人も、すっかり実の親とお思い申しているのに。
宮、大将などは 兵部卿の宮や右大将(髭黒)などは、源氏の意向が全然問題にならぬでもないと伝え聞いて。仲介の女房から聞くのである。
公開日2019年7月7日