源氏物語  5 若紫 わかむらさき

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原文 現代文
5.1 三月晦日、加持祈祷のため、北山に出向く
瘧病わらはやみにわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など参らせたまへど、しるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある人、「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人おこないびとはべる。去年の夏も世におこりて、人びとまじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき。ししこらかしつる時はうたてはべるを、とくこそ試みさせたまはめ」など聞こゆれば、召しに遣はしたるに、「老いかがまりて、室の外にもまかでず」と申したれば、「いかがはせむ。いと忍びてものせむ」とのたまひて、御供おんともにむつましき四、五人ばかりして、まだ暁におはす
やや深う入る所なりけり。三月のつごもりなれば、京の花盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて、入りもておはするままに、霞のたたずまひもをかしう見ゆれば、かかるありさまもならひたまはず、所狭き御身にて、めづらしう思されけり。
寺のさまもいとあはれなり。峰高く、深き巖屋の中にぞ、聖入りゐたりける。登りたまひて、誰とも知らせたまはず、いといたうやつれたまへれど、しるき御さまなれば、
「あな、かしこや。一日、召しはべりしにやおはしますらむ。今は、この世のことを思ひたまへねば、験方げんがたの行ひも捨て忘れてはべるを、いかで、かうおはしましつらむ」
と、おどろき騒ぎ、うち笑みつつ見たてまつる。いと尊き大徳なりけり。さるべきもの作りて、すかせたてまつり、加持など参るほど、日高くさし上がりぬ。
源氏は、瘧病わらはやみをわずらって、いろいろなまじないや加持祈祷をやってもらったが、効き目がなく、たびたび起こるので、ある人が言うに、「北山のなんとかいう寺に、かしこい修行者がいます。去年の夏も流行って、まじないが利かずに困っている時に、ただちに病が治った例がたくさんありました。こじらせる場合がしばしばありますので、すぐに祈祷してもらった方がいい」などと言われ、使いを出したが「寄る年波に、部屋の外にも出られない」と申したので、「どうしよう。人目を忍んで行こう」と仰って、気心の知れた四五人ばかり供に連れて、まだ暁のうちに出かけた。
やや深く山に入ると、三月の末なので、京の花盛りはみな過ぎてしまった。山の桜はまだ盛りで、どんどん入っていくと、霞がかかって風情があり、こんな情景にも慣れておらず、気軽に出歩きできない身なので、めずらしく思った。
寺のたたずまいも、尊い雰囲気である。峰高く、深い巌の中に、聖はいた。登って、源氏は誰とも知らせず、ひどく粗末な身なりをしていたが、自ずと高貴な身分がはっきり分かる風采なので、
「ああ、貴い。先日人を遣わされたお方でしょうか。今はこの世のことを思わないので、修験の行法もすっかり忘れたのに、どうしてお越しくださったか」
と驚いたふうで、笑いながら見ている。実に尊い大徳なのであった。さるべき護符などを作って、それを飲ませて、加持をするうちに、日は高く上がった。
2017.4.30 / 2021.6.3/ 2023.1.5 ◎
5.2 山の景色や地方の話に気を紛らす
すこし立ち出でつつ見渡したまへば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる、ただこのつづら折の下に、同じ小柴なれど、うるはしくし渡して、清げなる屋、廊など続けて、木立いとよしあるは、
「何人の住むにか」
と問ひたまへば、御供おんともなる人、
「これなむ、なにがし僧都の、二年籠もりはべる方にはべるなる」
心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ。あやしうも、あまりやつしけるかな。聞きもこそすれ」などのたまふ。
清げなる童などあまた出で来て、閼伽あかたてまつり、花折りなどするもあらはに見ゆ。
「かしこに、女こそありけれ」
「僧都は、よも、さやうには、据ゑたまはじを」
「いかなる人ならむ」
と口々言ふ。下りて覗くもあり。
「をかしげなる女子ども、若き人、童女なむ見ゆる」と言ふ。
君は、行ひしたまひつつ日たくるままに、いかならむと思したるを、
「とかう紛らはさせたまひて、思し入れぬなむ、よくはべる」
と聞こゆれば、後への山に立ち出でて、京の方を見たまふ。はるかに霞みわたりて、四方の梢そこはかとなう煙りわたれるほど、
「絵にいとよくも似たるかな。かかる所に住む人、心に思ひ残すことはあらじかし」とのたまへば、
「これは、いと浅くはべり。人の国などにはべる海、山のありさまなどを御覧ぜさせてはべらば、いかに、御絵いみじうまさらせたまはむ。富士の山、なにがしのだけ
など、語りきこゆるもあり。また西国のおもしろき浦々、磯の上を言ひ続くるもありて、よろづに紛らはしきこゆ。
「近き所には、播磨の明石の浦こそ、なほことにはべれ。何の至り深き隈はなけれど、ただ、海のくおもてを見わたしたるほどなむ、あやしく異所ことどころに似ず、ゆほびかなる所にはべる。
かの国の前のかみ新発意しぼちの、女かしづきたる家、いといたしかし大臣の後にて、出で立ちもすべかりける人の、世のひがものにて、交じらひもせず、近衛の中将を捨てて、申し賜はれりける司なれど、かの国の人にもすこしあなづられて、『何の面目にてか、また都にも帰らむ』と言ひて、頭も下ろしはべりにけるを、すこし奥まりたる山住みもせで、さる海づらに出でゐたる、ひがひがしきやうなれど、げに、かの国のうちに、さも、人の籠もりゐぬべき所々はありながら、深き里は、人離れ心すごく、若き妻子の思ひわびぬべきにより、かつは心をやれる住まひになむはべる。
先つころ、まかり下りてはべりしついでに、ありさま見たまへに寄りてはべりしかば、京にてこそ所得ぬやうなりけれそこらはるかに、いかめしう占めて造れるさま、さは言へど、国の司にてし置きけることなれば、残りの齢ゆたかに経べき心構へも、二なくしたりけり。後の世の勤めも、いとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむはべりける」と申せば、
「さて、その女は」と、問ひたまふ。
けしうはあらず、容貌、心ばせなどはべるなり。代々の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず。『我が身のかくいたづらに沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさまことなり。もし我に後れてその志とげず、この思ひおきつる宿世違はば、海に入りね』と、常に遺言しおきてはべるなる」
と聞こゆれば、君もをかしと聞きたまふ。人びと、
「海龍王の后になるべきいつき女ななり」
「心高さ苦しや」とて笑ふ。
かく言ふは、播磨守の子の、蔵人より、今年、かうぶり得たるなりけり
「いと好きたる者なれば、かの入道の遺言破りつべき心はあらむかし」
「さて、たたずみ寄るならむ
と言ひあへり。
「いで、さ言ふとも、田舎びたらむ。幼くよりさる所に生ひ出でて、古めいたる親にのみ従ひたらむは」
「母こそゆゑあるべけれ。よき若人、童など、都のやむごとなき所々より、類にふれて尋ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ」
情けなき人なりて行かば、さて心安くてしも、え置きたらじをや
など言ふもあり。君、
「何心ありて、海の底まで深う思ひ入るらむ。底の「みるめ」も、ものむつかしう
などのたまひて、ただならず思したり。かやうにても、なべてならず、もてひがみたること好みたまふ御心なれば、御耳とどまらむをや、と見たてまつる。
「暮れかかりぬれど、おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ。はや帰らせたまひなむ」
とあるを、大徳、
「御もののけなど、加はれるさまにおはしましけるを、今宵は、なほ静かに加持など参りて、出でさせたまへ」と申す。
「さもあること」と、皆人申す。君も、かかる旅寝も慣らひたまはねば、さすがにをかしくて、
「さらば暁に」とのたまふ。
すこし外に出て見渡せば、高い所で、あちこちに僧坊がはっきり見下ろされる。足下のつづら折りの下に、同じ小柴垣をきれいに渡して、こざっぱりした家屋や渡しなどがあり、木立も由ありげでなので、
「誰の住いか」
と源氏が問えば、供の者が、
「これはなんとかいう僧都が二年も籠っているのです」
「高潔な人が住んでいるのか。わたしはあまりにも粗末ななりをし過ぎたかなあ。聞きつけたらどうしよう」などと仰る。
清らかな童女がたくさん出て来て、仏に水をやり花を手折るなどするのがはっきり見える。
「あそこに女の姿も見える」
「まさか、僧都がかこっているわけではないだろう」
「どういう人なのだろう」
と口々に言う。下りて覗く者もいる。
「きれいな娘や若い女房や童女たちが見える」と言う。
源氏は、行をしながら、日が高くなるにつれ、病が心配だったが、
「なんとか気持ちを紛らせ、気を使わぬのがよいでしょう」
と言われるので、後ろの山に出かけて、京の方をご覧になる。はるかに霞わたって、四方の梢がぼうっと煙っているので、
「絵のようだね。このような所に住む人は、自然の美しさをたんのうするでしょうな」と仰ると、
「これは、それほどではありません。地方にある海や山など景色をご覧になれば、絵はもっとずっと上手になるでしょう。富士の山、なになにだけなど」
などと供人が言う。また西国のおもしろい浦々や磯のことなど言うものがあって、なにかと君の気をまぎらわせる。
「近い所では、播磨の国の明石の浦こそ、やはり別格です。人に知られぬ奥深い所はありませんが、ただ海の面を見渡せば、すばらしく他にはない広々とした大らかさがあります。
その国の前の国守が、出家して娘を育てている邸があって、なんとも立派なものです。大臣の末裔で、出世もできた人ですが、変わっていて、宮中の交じらいもよくせず、近衛の中将を返上して、受け賜った国守になったが、その国の人びとにも侮られて、『今更どの面さげて都に返れますか』と言って、頭もおろしたのですが、奥に入って山里に住むわけでもなく、海辺で暮らし、ひねくれ者のようですが、実際あの国には人が籠ってもよさそうな所がたくさんありますが、深い里は人家もなくもの寂しくて、若い妻子には辛いだろうが、自分が心安く住める所でもあります。
先ごろ、下りましたついでに、様子を見に立ち寄りましたが、京でこそ恵まれぬようでしたが、広々としてどっしり造った邸の様や、やはり国守の威光でやったことですから、余生は十分に過ごすことができる余裕も比べようもありません。来世への勤めもよくし、かえって法師になってから、できた人物になった人なのです」と供人の良清が申せば、
「さてその女は」と、源氏が問う。
「容貌も気だても悪くないようです。代々の国の司などが、それぞれに品を工夫して、求婚を申し出たが、いっこうに受けつけません。『我が身の零洛が無念であるのに、この子はひとり娘だ、思いの深さが違う。もしわたしに後れて、その心ざしを遂げられず、思い込んだ宿世が違ったら、海に入水せよ』とすでに遺言してある」
と申し上げると、君もおもしろい話とお聞きになる。
「海龍王の后にでもなるのか、玉の娘だね」供人たちは、
「心ざしの高さは恐れ入るね」と言って笑う。
このように語るのは、播磨守の子で、今年蔵人から叙爵された者である。
「あれも好き者だから、入道の遺言を破ろうと思っているんだろう」
「その辺りをうろついているんだろう」
と皆が言いあった。
「さあ、そうは言っても、田舎くさいのだろう。小さいころからこんな所で育ち、頑固な親に従っているのだから」
「母親は由緒ある出らしいよ。良い侍女や童女など、都の由緒ある所から、縁故で探し求めて、まばゆく遇しているようだ」
「ひどいのが国守に来たら、安心して、家に置いとけないだろう」
などと言うものある。源氏は、
「どんな気持ちで、海の底まで思い入るのか。底の「海松布みるめ」もうっとうしいだろう」
などと仰って、ただならぬ気持ちである。すべて、普通でなく、ちょっと変わったことを好むみ心であれば、源氏の耳にとまったのだろう、と供人ともびとには思われた。
「暮れかかってきましたが、瘧病わらはやみは起こりませんでした。早く帰りましょう」
供人ともびとが申し上げると、大徳は、
「物の怪がついておりましたので、今宵は、なお静かに加持をしてから、お帰りになっては」と申し上げる。
「それがいい」と皆申す。源氏もこのような旅寝は慣れていないので、興味を覚え、
「それでは明朝に」と仰る。
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5.3 源氏、若紫の君を発見す
人なくて、つれづれなれば、夕暮のいたう霞みたるに紛れて、かの小柴垣のほどに立ち出でたまふ。人びとは帰したまひて、惟光朝臣と覗きたまへば、ただこの西面にしも、仏据ゑたてまつりて行ふ、尼なりけり。簾すこし上げて、花たてまつるめり。中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。四十余ばかりにて、いと白うあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなと、あはれに見たまふ。
清げなる大人二人ばかり、さては童女ぞ出で入り遊ぶ。中に十ばかりやあらむと見えて、白き衣、山吹などのえたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひさき見えて、うつくしげなる容貌かたちなり。髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり
「何ごとぞや。童女わらべと腹立ちたまへるか」
とて、尼君の見上げたるに、すこしおぼえたるところあれば、「子なめり」と見たまふ。
「雀の子を犬君いぬきが逃がしつる。伏籠ふせごのうちに籠めたりつるものを」
とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、
「例の、心なしの、かかるわざをして、さいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる。いとをかしう、やうやうなりつるものを。烏などもこそ見つくれ」
とて、立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母とこそ人言ふめるは、この子の後見うしろみなるべし。
尼君、
「いで、あな幼や。言ふかひなうものしたまふかな。おのが、かく、今日明日におぼゆる命をば、何とも思したらで、雀慕ひたまふほどよ。罪得ることぞと、常に聞こゆるを、心憂く」とて、「こちや」と言へば、ついゐたり
つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶりいはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。「ねびゆかむさま ゆかしき人かな」と、目とまりたまふ。さるは、「限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるるなりけり」と、思ふにも涙ぞ落つる。
尼君、髪をかき撫でつつ、
けづることをうるさがりたまへど、をかしの御髪や。いとはかなうものしたまふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿に後れたまひしほど、いみじうものは思ひ知りたまへりしぞかし。ただ今、おのれ見捨てたてまつらば、いかで世におはせむとすらむ」
とて、いみじく泣くを見たまふも、すずろに悲し。幼心地にも、さすがにうちまもりて、伏目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。
生ひ立たむありかも知らぬ若草を
おくらす露ぞ消えむそらなき

またゐたる大人、「げに」と、うち泣きて、
初草の生ひ行く末も知らぬまに
いかでか露の消えむとすらむ

と聞こゆるほどに、僧都、あなたより来て、
「こなたはあらはにやはべらむ。今日しも、端におはしましけるかな。この上の聖の方に、源氏の中将の瘧病わらはやみまじなひにものしたまひけるを、ただ今なむ、聞きつけはべる。いみじう忍びたまひければ、知りはべらで、ここにはべりながら、御とぶらひにもまでざりける」とのたまへば、
「あないみじや。いとあやしきさまを、人や見つらむ」とて、簾下ろしつ。
「この世に、ののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の憂へ忘れ、齢延ぶる人の御ありさまなり。いで、御消息聞こえむ
とて、立つ音すれば、帰りたまひぬ。
人もおらず、することもなく、夕暮れの立ちこめた霞にまぎれて、あの小柴垣の辺りに出かけた。供人ともびとは自邸に帰して、惟光と覗いてみると、ちょうどこの西向きの間に仏像を据えて、勤行する尼の姿があった。簾を少し上げて、花を捧げていた。中央の柱に寄って、脇息の上に経典を置き、つらそうに読んでいた尼君が、ただ者ではないと見えた。 四十余歳くらいで、肌は白く気品があり、痩せていたが、顔はふっくらして、眉などや髪を切りそろえたあとも美しく、長い髪よりよっぽど今風に感じて、相当な気品があった。
美しい女房二人ばかりいて、童女は出入りして遊んでいる。その中に十歳位だろうか、白い下着に山吹色の着なれた単衣を着て、走ってくる童女は、たくさんいる子たちとは比べようもなく、生い先のすばらしさを思わせる、美しい器量であった。髪は扇を広げたようにゆらゆらし、顔は泣きはらしてこすって赤くなっている。
「どうしたの。仲たがいでもしたの」
と言って、見上げた尼君の面に、少し似た処があり、「尼君の子のようだ」と見た。
「雀の子を犬君いぬきが逃がしたの。伏籠のなかに入れてあったのに」
と言って、子供が口惜しそうしている。そばにいた女房が、
「あのいたずらっ子が、こんなことをして、叱られるとは困ったことだ。雀の子はどこへ行ったの。やっと、可愛くなったのに。烏に見つけられたら大変だ」
と言って、立って行く。髪はゆったりと長く、感じの良い女だ。少納言の乳母というのは、この人のことで、この子の世話役である。
尼君は、
「なんて、幼い。しょうがないね。わたしが、今日明日にも逝こうとするのに、何とも思わず、雀を飼うとは。動物を飼うのは罪なことよ、いつも言っているのに、困ったものね」とて、「おいで」と言えば、子はひざまずく。
顔は実に可愛らしく、眉のあたりも、子供らしくかきあげた額も、髪の具合もすごく美しい。「成長したあとで見てみたい人だ」と目にとまった。このような気持ちは、「自分が心から思い慕う人に、良く似ているので、目が離せないのだ」と思うと、涙が落ちるのであった。
尼君は髪をかき撫でつつ、
「櫛でとくのを嫌がるのですが、いい髪ですこと。頼りなげな子であるから、後のことがとても気になります。この年ごろになれば、もっとわかってもいいものを。亡くなった姫君は、十くらいで父に先立たれましたが、よく物事を理解していました。今わたしが逝ってしまったら、この子はどうやって世に暮らしていけるだろう」
としみじみ泣くのを見ると、君も無性に悲しくなる。少女は、幼心にもさすがにじっと見つめて、伏し目になってうつ伏したので、こぼれかかった髪がつやつやして美しい。
(尼君)「どのように成長するかわからぬ子を残して、
わが身だけ露と消えることができようか」
そばの女房が、「本当に」と泣いて、
(少納言)「この幼子が成長する行方も知らずに
露の命と消えていいものでしょうか」
と申し上げると、僧都があちらから来て、
「外から丸見えではありませんか。今日に限って端の方にいらっしゃるのですね。この上の聖の所に、源氏の中将が瘧病のまじないを受けに来ておられると、ただ今お聞きしました。厳重なお忍びですので、知らないで、ここに居ながらお見舞いにも参上していないのです」と僧都が言えば、
「あら大変だ。不様な処を人に見られたのかしら」とすだれをおろした。
「今、世評の高い光る源氏を、この機会に拝見されたらいかがでしょう。見れば、世を捨てた法師ですら、世の憂いを忘れ、命が伸びるほどのお人です。さあ、ご挨拶申し上げよう」
と僧都が言って、立つ音がしたので、源氏は帰った。
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5.4 若紫の君の素性を聞く
あはれなる人を見つるかな。かかれば、この好き者どもは、かかる歩きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり。たまさかに立ち出づるだに、かく思ひのほかなることを見るよ」と、をかしう思す。「さても、いとうつくしかりつるちごかな。何人ならむ。かの人の御代はりに、明け暮れの慰めにも見ばや」と思ふ心、深うつきぬ。
うち臥したまへるに、僧都の御弟子、惟光を呼び出でさす。ほどなき所なれば、君もやがて聞きたまふ。
よぎおはしましけるよし、ただ今なむ、人申すに、おどろきながら、さぶらべきを、なにがしこの寺に籠もりはべりとは、しろしめしながら、忍びさせたまへるを、うれはしく思ひたまへてなむ。草の御むしろも、この坊にこそ設けはべるべけれ。いと本意なきこと」と申したまへり。
「いぬる十余日のほどより、瘧病にわづらひはべるを、度重なりて堪へがたくはべれば、人の教へのまま、にはかに尋ね入りはべりつれど、かやうなる人の験あらはさぬ時、はしたなかるべきもただなるよりはいとほしう思ひたまへつつみてなむ、いたう忍びはべりつる。今、そなたにも」とのたまへり。
すなはち、僧都参りたまへり。法師なれど、いと心恥づかしく人柄もやむごとなく、世に思はれたまへる人なれば、軽々しき御ありさまを、はしたなう思す。かく籠もれるほどの御物語など聞こえたまひて、「同じ柴の庵なれど、すこし涼しき水の流れも御覧ぜさせむ」と、せちに聞こえたまへば、かの、まだ見ぬ人びとにことことしう言ひ聞かせつるを、つつましう思せど、あはれなりつるありさまも いぶかしくて、おはしぬ。
げに、いと心ことによしありて、同じ木草をも植ゑなしたまへり。月もなきころなれば、遣水やりみず篝火かがりびともし、灯籠なども参りたり。南面みなみおもていと清げにしつらひたまへり。そらだきもの、いと心にくく薫り出で、名香みょうごうの香など匂ひみちたるに、君の御追風いとことなれば、内の人びとも心づかひすべかめり。
僧都、世の常なき御物語後世のちのよのことなど聞こえ知らせたまふ。我が罪のほど恐ろしう、「あぢきなきことに心をしめて、生ける限りこれを思ひ悩むべきなめり。まして後の世のいみじかるべき」。思し続けて、かうやうなる住まひもせまほしうおぼえたまふものから、昼の面影心にかかりて恋しければ、
「ここにものしたまふは、誰れにか。尋ねきこえまほしき夢を見たまへしかな。今日なむ思ひあはせつる」
と聞こえたまへば、うち笑ひて、
「うちつけなる御夢語りにぞはべるなる。尋ねさせたまひても、御心劣りせさせたまひぬべし。故按察使大納言こあぜちのだいなごんは、世になくて久しくなりはべりぬれば、えしろしめさじかし。その北の方なむ、なにがしが妹にはべる。かの按察使あぜちかくれて後、世を背きてはべるが、このごろ、わづらふことはべるにより、かく京にもまかでねば、頼もし所に籠もりてものしはべるなり」と聞こえたまふ。
「かの大納言の御女みむすめ、ものしたまふと聞きたまへしは。好き好きしき方にはあらで、まめやかに聞こゆるなり」と、推し当てにのたまへば、
「女ただ一人はべりし。亡せて、この十余年にやなりはべりぬらむ。故大納言、内裏にたてまつらむなど、かしこういつきはべりしを、その本意ほいのごとくもものしはべらで、過ぎはべりにしかば、ただこの尼君一人もてあつかひはべりしほどに、いかなる人のしわざにか、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやなむ、忍びて語らひつきたまへりけるを、本の北の方、やむごとなくなどして、安からぬこと多くて、明け暮れ物を思ひてなむ、亡くなりはべりにし。物思ひに病づくものと、目に近く見たまへし」
など申したまふ。「さらば、その子なりけり」と思しあはせつ。「親王みこ御筋おんすじにて、かの人にもかよひきこえたるにや」と、いとどあはれに見まほし。「人のほどもあてにをかしう、なかなかのさかしら心なく、うち語らひて、心のままに教へほし立てて見ばや」と思す。
「いとあはれにものしたまふことかな。それは、とどめたまふ形見もなきか」
と、幼かりつる行方の、なほ確かに知らまほしくて、問ひたまへば、
亡くなりはべりしほどにこそ、はべりしか。それも、女にてぞ。それにつけて物思ひのもよほしになむ、齢の末に思ひたまへ嘆きはべるめる」と聞こえたまふ。
「さればよ」と思さる。
「あやしきことなれど、幼き御後見に思すべく、聞こえたまひてむや。思ふ心ありて、行きかかづらふ方もはべりながら、世に心の染まぬにやあらむ、独り住みにてのみなむ。まだ似げなきほどと常の人に思しなずらへて、はしたなくや」などのたまへば、
「いとうれしかるべき仰せ言なるを、まだむげにいはきなきほどにはべるめれば、たはぶれにても、御覧じがたくや。そもそも、女人は、人にもてなされて大人にもなりたまふものなれば、詳しくはえとり申さず、かの祖母に語らひはべりて聞こえさせむ」
と、すくよかに言ひて、ものごはきさましたまへれば、若き御心に恥づかしくて、えよくも聞こえたまはず。
阿弥陀仏あみだほとけものしたまふ堂に、することはべるころになむ。初夜そや、いまだ勤めはべらず。過ぐしてさぶらはむ」とて、上りたまひぬ。
君は、心地もいと悩ましきに、雨すこしうちそそき、山風ひややかに吹きたるに、滝のよどみもまさりて、音高う聞こゆ。すこしねぶたげなる読経の絶え絶えすごく聞こゆるなど、すずろなる人も、所からものあはれなり。まして、思しめぐらすこと多くて、まどろませたまはず。初夜と言ひしかども、夜もいたう更けにけり。内にも、人の寝ぬけはひしるくて、いと忍びたれど、数珠の脇息に引き鳴らさるる音ほの聞こえ、なつかしううちそよめく音なひあてはかなりと聞きたまひて、ほどもなく近ければ、外に立てわたしたる屏風の中を、すこし引き開けて、扇を鳴らしたまへば、おぼえなき心地すべかめれど、聞き知らぬやうにやとて、ゐざり出づる人あなり。すこし退きて、
「あやし、ひが耳にや」とたどるを、聞きたまひて、
仏の御しるべは、暗きに入りても、さらに違ふまじかなるものを」
とのたまふ御声の、いと若うあてなるに、うち出でむ声づかひも、恥づかしけれど、
「いかなる方の、御しるべにか。おぼつかなく」と聞こゆ。
「げに、うちつけなりとおぼめきたまはむも、道理なれど、
初草の若葉の上を見つるより
旅寝の袖も露ぞ乾かぬ

と聞こえたまひてむや」とのたまふ。
「さらに、かやうの御消息しょうそこ、うけたまはりわくべき人もものしたまはぬさまは、しろしめしたりげなるを。誰れにかは」と聞こゆ。
おのづからさるやうありて聞こゆるならむと思ひなしたまへかし
とのたまへば、入りて聞こゆ。
「あな、今めかし。この君や、世づいたるほどにおはするとぞ、思すらむ。さるにては、かの『若草』を、いかで聞いたまへることぞ」と、さまざまあやしきに、心乱れて、久しうなれば、情けなしとて、
「枕結ふ今宵ばかりの露けさを
深山の苔に比べざらなむ
乾がたうはべるものを」と聞こえたまふ。
「かうやうのついでなる御消息は、まださらに聞こえ知らず、ならはぬことになむ。かたじけなくとも、かかるついでに、まめまめしう聞こえさすべきことなむ」と聞こえたまへれば、尼君、
「ひがこと聞きたまへるならむ。いとむつかしき御けはひに、何ごとをかは答へきこえむ」とのたまへば、
「はしたなうもこそ思せ」と人びと聞こゆ。
「げに、若やかなる人こそうたてもあらめ、まめやかにのたまふ、かたじけなし」
とて、ゐざり寄りたまへり。
「うちつけに、あさはかなりと、御覧ぜられぬべきついでなれど、心にはさもおぼえはべらねば。仏はおのづから」
とて、おとなおとなしう、恥づかしげなるにつつまれて、とみにもえうち出でたまはず。
「げに、思ひたまへ寄りがたきついでに、かくまでのたまはせ、聞こえさするも、いかが」とのたまふ。
「あはれにうけたまはる御ありさまを、かの過ぎたまひにけむ御かはりに、思しないてむや。言ふかひなきほどの齢にて、むつましかるべき人にも立ち後れはべりにければ、あやしう浮きたるやうにて、年月をこそ重ねはべれ。同じさまにものしたまふなるを、たぐひになさせたまへと、いと聞こえまほしきを、かかる折はべりがたくてなむ、思されむところをも憚らず、うち出ではべりぬる」と聞こえたまへば、
「いとうれしう思ひたまへぬべき御ことながらも、聞こしめしひがめたることなどやはべらむと、つつましうなむ。あやしき身一つを頼もし人にする人なむはべれど、いとまだ言ふかひなきほどにて、御覧じ許さるる方もはべりがたげなれば、えなむうけたまはりとどめられざりける」とのたまふ。
「みな、おぼつかなからずうけたまはるものを、所狭う思し憚らで、思ひたまへ寄るさまことなる心のほどを、御覧ぜよ」
と聞こえたまへど、いと似げなきことを、さも知らでのたまふ、と思して、心解けたる御答へもなし。僧都おはしぬれば、
「よし、かう聞こえそめはべりぬれば、いと頼もしうなむ」とて、おし立てたまひつ。
暁方になりにければ、法華三昧ほけざんまい行ふ堂の懺法せんぽうの声、山おろしにつきて聞こえくる、いと尊く、滝の音に響きあひたり。
吹きまよふ深山おろしに夢さめて
涙もよほす滝の音かな

さしぐみに袖ぬらしける山水に
澄める心は騒ぎやはする

耳馴れはべりにけりや」と聞こえたまふ。
「美しい児を見つけた。こんな風にして、あの好き者たちはあちこち歩きまわって、掘り出し物を見つけているのだ。たまに出歩くだけでも、思いの外に見つかるのだから」と興味深く思う。「それにしても美しい児だなあ。誰だろう。あのひとの代わりに、朝晩の慰めに手元において見ていたいものだ」と思う心が深まった。
横になっていると、僧都の弟子が、惟光を呼び出す。距離も近いので、源氏にも聞こえた。
「君がお越しになりましたよし、いまお聞きまして、急ぎ伺候すべきところですが、拙僧がこの寺に籠っていることは、お知りになりながら、忍んでこられたこと、至極嘆かわしく思います。旅寝の宿も、拙僧の坊にこそお泊りいただきたかった。至極残念です」と申し上げた。
「去る十余日前から、瘧病わらはやみを患い、度重なって堪えがたいので、人の教えるままに思い立ってきましたが、このように霊験あらたかな人が祈祷して、効果が出なかったらお気の毒であるし、普通の人よりもっとお困りになると気を使いまして、ひそかに参ったのです。そのうちそちらへ伺いましょう」と源氏は仰った。
すぐに僧都がやって来た。法師であるが、大変立派なお方で、世間から尊敬されている人であるから、自分の軽装をはしたない、と源氏は思う。こうして籠っている話などを申し上げて「同じ柴の庵ですが、少しは涼しい水の流れもお見せできるでしょう」と、熱心に言うので、源氏を見たことのない人にあのようにおおげさに言われたことも、気恥ずかしかったが、あの可愛らしい児の様子も気になって、出かけた。
確かに、風流の心があって、同じ草木でも風情があった。月もない頃であれば、遣り水に篝火を配し、灯籠も明かりがともっていた。南面の部屋は涼しげにしつらえていた。空薫物もそれとなく香っていて、仏前の香もみちて、さらに源氏の衣の薫物がただようので、中にいる人たちも緊張しただろう。
僧都は、世が無常である説話を語り、来世のことなども語って教える。源氏は、自分の罪が恐ろしく、「色恋沙汰に熱中して、生きている限り思い悩むのであろうか。まして来世のことなど空恐ろしい」。と考え続けて、このような出家生活をしたいものと思い、また昼に見た児の面影が心にかかって恋しいので、
「ここにいらっしゃるひとは、どなたですか。素性を尋ねる夢で見たことがあります。それが今日思い当たりました」
と申すと、笑って、
「また突然の夢物語ですね。お尋ねになっても、がっかりなさるでしょう。故按察使大納言は亡くなって久しいので、ご存じないかもしれませんな。その北の方が、わたしの妹です。あの按察使あぜちが亡くなってから、妹は出家しましたが、このごろ患うことがあって、わたしは山に籠っていて京に出ないので、妹もわたしを頼りにして一緒に籠っているのですよ」と僧都は言った。
「あの大納言に娘がいたとお聞きしていますが。好き心ではなく、まじめに聞いているのですが」と、当てずっぽうに言ってみると、
「娘ひとりおりました。亡くなって十余年になりますでしょうか。故大納言は、入内させようとして、大事に育てていましたが、その本懐を果たすことなく亡くなりましたので、この尼君ひとりで育てていましたが、誰が手はずしたのでしょうか、兵部卿宮が忍んで通うようになりまして、宮の北の方が大層高貴なご身分の方でして、心やすからぬことが多く、明け暮れ思い悩んでいるうちに、亡くなりました。物思いが高じると病になるのを、目の前で見た次第です」
など言う。「ならば、その子だろう」と思い合せたのだった。「親王の御筋ならば、あの人に似通っているのではないか」と、よりいっそう欲しくなった。「人柄も上品で美しく、生半可に小賢しいところもなく、よく言って聞かせて、思いのままに教えて育てたいものだ」と源氏は思う。
「とてもかわいそうなお話ですな。その娘が残した形見はおられるのですか」
と幼い子の行方を、もっと確かに知りたくて思い、源氏が問えば、
「娘が亡くなった時には、生まれていました。それも女です。それが、物思いの種でして、年老いてからの妹の嘆きでございます」と僧都が申し上げる。
「やはりそうだったのか」と思う。
「突然ですが、わたしがあの子の後見に、と申し伝えていただきたい。思うところがあって、通っている女もいるのですが、まったく意に染まず、独り住まい同然でおります。まだ幼すぎる年頃などと、世の好き者と同列に思って、恥をかかせないでくれれば」など仰せになれば、
「まことにうれしいお話ですが、まだ幼い子供ですので、御冗談でもお相手は難しいでしょう。そもそも、女人は人の世話になって大人になるのでして、拙僧があれこれ申すよりも、あの祖母に話してご返事させましょう」
ときっぱり言って、どこか頑な様子でしたので、若い源氏は恥かしくて、それ以上言えなかった。
「阿弥陀仏のお堂で、お勤め時間です。初夜の勤行はまだですので。すましてからまた参ります」と言ってお堂に入った。
源氏は悩ましい心地がして、雨も少し降りはじめ、山風も冷たく吹き、滝のよどみの音も高くなったようだ。すこし眠たげな読経が絶え絶えに凄く聞こえ、日頃無関心な人にも、場所柄あわれを感じるのだった。まして、思いめぐらすことも多く、寝られない。初夜といっても、夜はすっかり更けた。奥の部屋も人の寝る気配がして、ひっそりしているが、数珠が脇息に当たる音がかすかに聞こえ、人が動く衣擦れの音もなつかしく、高貴なさまが感じられ、そこはすぐ近くなので、外に立てた屏風をすこし開けて、(源氏が)扇を鳴らすと、女房は空耳かなとも思ったようだったが、聞かなかった風もできず、いざり寄ってくる人がいた。誰もいないので、また少し戻ってから、
「何だろう、聞き違えか」と惑うのを聞いて、
「仏の導きは、暗い中でも、誤ることがないのだが」
と仰る声が、あまりに若く上品なので、女房は自分の出す声が恥かしかったが、
「どういうご案内をしたらよろしいのでしょうか」と女房が申す。
「突然のことなので、ご不審に思われるかもしれませんが、
(源氏)初草の若葉のようなかわいらしい子を見てからは、
旅寝の身ではあるが恋しくて袖の露も乾きません
とお取り次ぎください」と源氏が仰るのであった。
「それに、このような言伝を、お受けするお方もおられないのは、ご存じのはずですが。お取次ぎはどなたに」と申し上げる。
「自ずと、然るべき理由があって、申すのだ、とお察しください」
と仰ったので、入って伝言する。
「なんと今風ですこと。この子が、男女の仲を知っていると思っているのか。それにしても、あの『若草』をどうして聞いたのか」と、あれこれと不思議で心乱れて、返事が遅くなると、失礼と思って、
(尼君の歌)「あなたがここで枕するのは今宵一夜だけなのに
深山に籠って勤めているわれらと同じではありません
涙の乾く暇もありません」と申し上げる。
「このような人伝ひとづてで取次されるのは、経験がなく慣れていないのです。恐れ多いことですが、この際、まじめに申し上げたいことがあります」と源氏が仰れば、尼君は、
「何かお聞き違いされましたのでしょう。ご立派なお方に、何とお答えしたらよろしいのでしょうか」と尼君が言うと、
「ご返事せねば、失礼に思われます」と人々が言う。
「まことに、若い人なら気恥ずかしくもありましょうが、まじめなお話とのことで、もったいないです」
と言っていざり寄った。
「突然のことで、あさはかなと思われるでしょうが、心は軽い気持ちではありません。仏は自ずからお見通しで」
と源氏は言い始めたが、相手の落ち着いた立派な態度に気おされて、言い続けられない。
「実に、思いも寄らない折りに、これほどまでに仰っていただいて、どうして浅いお心ざしと言えましょう」と尼君が 仰せになる。
「お気の毒な境涯をお聞きしまして、わたしをお亡くなりになったお方の代わり、と思っていただけないでしょうか。わたしは幼少の頃、母と祖母に先立たれましたので、何か浮いたような状態で、年月を重ねてきました。同じ境涯ですので、同類の仲間として遇してくれるように言いたかったのですが、このような機会がなく、何とお思いなさるかよく考えもせず、申し出た次第です」と源氏が仰りますと、
「大変うれしいお言葉ですが、何かお聞き違いされているのではないかと、憚られます。心もとないわたしを頼りにしております娘はおりますが、未だ頑是なく幼い子でして、まだ大目に見ていいところもございませんので、とてもお聞きして承諾することはできません」と言われる。
「みな詳しく承知したのですから、窮屈にお考えにならず、わたしの思い寄る様が尋常でないのをお考えください」
と申したが、尼君はまったく不釣り合いなことをそうとも知らずに言っているのだと思って、色よい返事をしない。僧都が戻ってきたので、
「まあよい。こうして申し上げたのだから、糸口はできたのだ」と言って、屏風を閉めた。
明け方になり、法華三昧の懺法の声が、山おろしにのって聞こえてくるのが、たいへん尊く、滝の音と響き合った。
(源氏)「深山おろしに懺法の声が交って煩悩の夢が覚めた
滝の音も響いてありがたく涙がこぼれる」
(僧都)「はじめてあなたが山水に袖を濡らしていますが
ここに住んで修行している身には心騒ぐことはありません
耳に馴れてしまったのです」と僧都が申し上げる。
2017.5.23/ 2021.6.5/ 2023.1.6◎
5.5 翌日、迎えの人々と共に帰京
明けゆく空は、いといたう霞みて、山の鳥どもそこはかとなうさへづりあひたり。名も知らぬ木草の花どもも、いろいろに散りまじり、錦を敷けると見ゆるに、鹿のたたずみ歩くも、めづらしく見たまふに、悩ましさも紛れ果てぬ。
聖、動きもえせねど、とかうして護身参らせたまふ。かれたる声の、いといたうすきひがめるも、あはれに功づきて、陀羅尼だらに誦みたり。
御迎への人びと参りて、おこたりたまへる喜び聞こえ、内裏よりも御とぶらひあり。僧都、世に見えぬさまの御くだもの、何くれと、谷の底まで堀り出で、いとなみきこえたまふ。
「今年ばかりの誓ひ深うはべりて、御送りにもえ参りはべるまじきこと。なかなかにも思ひたまへらるべきかな」
など聞こえたまひて、大御酒参りたまふ。
山水やまみずに心とまりはべりぬれど、内裏よりもおぼつかながらせたまへるも、かしこければなむ。今、この花の折過ぐさず参り来む。
宮人に行きて語らむ山桜
風よりさきに来ても見るべく

とのたまふ御もてなし、声づかひさへ、目もあやなるに、
優曇華うどんげの花待ち得たる心地して
深山桜に目こそ移らね

と聞こえたまへば、ほほゑみて、「時ありて、一度開くなるは、かたかなるものを」とのたまふ。
聖、おん土器かわらけ賜はりて、
奥山の松のとぼそをまれに開けて
まだ見ぬ花の顔を見るかな

と、うち泣きて見たてまつる。聖、御まもりに、独鈷とこたてまつる。見たまひて、僧都、聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子数珠ずずの、玉の装束したる、やがてその国より入れたるはこの、唐めいたるを、透きたる袋に入れて、五葉の枝に付けて、紺瑠璃の壺どもに、御薬ども入れて、藤、桜などに付けて、所につけたる御贈物ども、ささげたてまつりたまふ。
君、聖よりはじめ、読経しつる法師の布施ども、まうけの物ども、さまざまに取りにつかはしたりければ、そのわたりの山がつまで、さるべき物ども賜ひ、御誦経などして出でたまふ。
内に僧都入りたまひて、かの聞こえたまひしこと、まねびきこえたまへど
「ともかくも、ただ今は、聞こえむかたなし。もし、御志あらば、いま四、五年を過ぐしてこそは、ともかくも」とのたまへば、「さなむ」と同じさまにのみあるを、本意なしと思す
御消息、僧都のもとなる小さき童して、
夕まぐれほのかに花の色を見て
今朝は霞の立ちぞわづらふ

御返し、
まことにや花のあたりは立ち憂きと
霞むる空の気色をも見む

と、よしある手の、いとあてなるを、うち捨て書いたまへり。
御車にたてまつるほど、大殿より、「いづちともなくて、おはしましにけること」とて、御迎への人びと、君達などあまた参りたまへり。頭中将、左中弁、さらぬ君達も慕ひきこえて、
「かうやうの御供には、仕うまつりはべらむ、と思ひたまふるを、あさましく、おくらさせたまへること」と恨みきこえて、「いといみじき花の蔭に、しばしもやすらはず、立ち帰りはべらむは、飽かぬわざかな」とのたまふ。
岩隠れの苔の上に並みゐて、土器参る。落ち来る水のさまなど、ゆゑある滝のもとなり。頭中将、懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり。弁の君、扇はかなううち鳴らして、「豊浦の寺の、西なるや」と歌ふ。人よりは異なる君達を、源氏の君、いといたううち悩みて、岩に寄りゐたまへるは、たぐひなくゆゆしき御ありさまにぞ、何ごとにも目移るまじかりける。例の、篳篥しちりき吹く随身ずいじんしょうの笛持たせる好き者などあり。
僧都、琴をみづから持て参りて、
「これ、ただ御手一つあそばして、同じうは、山の鳥もおどろかしはべらむ」
と切に聞こえたまへば、
乱り心地、いと堪へがたきものを」と聞こえたまへど、けに憎からずかき鳴らして、皆立ちたまひぬ。
飽かず口惜しと、言ふかひなき法師、童べも、涙を落としあへり。まして、内には、年老いたる尼君たちなど、まださらにかかる人の御ありさまを見ざりつれば、「この世のものともおぼえたまはず」と聞こえあへり。僧都も、
「あはれ、何の契りにて、かかる御さまながら、いとむつかしき日本の末の世に生まれたまへらむと見るに、いとなむ悲しき」とて、目おしのごひたまふ。
この若君、幼な心地に、「めでたき人かな」と見たまひて、
「宮の御ありさまよりも、まさりたまへるかな」などのたまふ。
「さらば、かの人の御子になりておはしませよ」
と聞こゆれば、うちうなづきて、「いとようありなむ」と思したり。雛遊びにも、絵描いたまふにも、「源氏の君」と作り出でて、きよらなる衣着せ、かしづきたまふ。
明けゆく空は一面に霞んで、山の鳥のさえずり合う声がはっきりと聞こえる。名も知らぬ草木の花が、とりどりに散って、錦を敷いたようで、鹿の歩く様子も珍しく、見ているうちに悩ましい気持ちも忘れてしまうのだった。
聖は動くのも大儀であったが、何とかやってきて、護身の法を行った。かれた声が、歯の隙間からもれて、ありがたい陀羅尼を朗誦した。
お迎えの人々が来て、快方に向かった喜びのお祝いを申し上げ、内裏からもお見舞いがあった。僧都は、谷底までいって珍しい果実を掘り出し、熱心に説明される。
「今年いっぱいの山籠りの誓いをしてますので、お見送りもできません。お名残りおしゅうございます。」
など申し上げて、お神酒をさし上げる。
「山水の風景が心残りですが、内裏から催促がありまして、恐れ多いです。今、この花が散る前に参内します。
(源氏)大宮に戻ってこの山桜を宮人に語りましょう
風が来て花を散らす前に来てご覧なさいと」
と仰る君の所作が、声までが、あでやかに美しく、
(僧都)「優曇華うどんげの花に出合った心地がします
深山の桜には目移りしません」
と僧都が申し上げたので、源氏は微笑んで、「時にあって、一度だけ咲くというその花は、出会うのが難しいそうですね」と仰る。
聖が、素焼きの杯を賜って、
(聖)「奥山の松の扉をたまに開けてみると
見たこともない花のようなお顔を拝見できました」
と泣きながらご覧になっている。聖はお守りに、独鈷をさし上げる。それを見て、僧都は、聖徳太子が頂いた百済渡来の金剛子の数珠の玉で装飾してあるのを、到来したままの唐めいた箱に、透いた袋に入れて、五葉松の枝につけて、さらに紺瑠璃の壷に薬を入れて、藤や桜の枝につけ、場所柄にふさわしい贈り物と一緒にして、さし上げるのだった。
源氏は、聖をはじめ読経してくれた法師たちに対する布施や、用意した品や、それぞれ京に取りにやって、付近の住人にまで賜って、なおも読経を頼む布施などを置いてお発ちになる。
僧都は中に入り、源氏が仰ったことを尼君にそのままに申し上げたが、
「ともかく今は申し上げる術もない。もしお志があるならば、四五年経ってから、ともかくも」と尼君が言うので、「そうだな」と僧都が同意するのを、源氏は残念に思った。
源氏は手紙を僧都の使いの童子に託して、
(源氏)「夕暮れ時ちらりと美しい花を見ましたので
今朝はここを立ち去り難いです」
返事に、
(尼君)「本当でしょうか、花から去りがたいとおっしゃるのは
あなたのお気持ちを見ていましょう」
と風情のある筆跡で、品があるが無造作に書きなぐってあった。
牛車にお乗りになるところへ、左大臣のお邸から、「どこへとも仰らずにお出かけになった」とて、お迎えの人々や子息たちもたくさん来られた。頭中将、左中弁、その他の君たちも後を追ってきて
「このようなお供にはお仕えしようと決めていたのですが、無念にも置いていかれました」と残念がって、「すばらしい花の陰に、しばしも安らわず帰ってしまうのは、心残りでございましょう」と子息たちは申し上げる。
岩陰の苔の上に並んで、酒が配られる。落ちくる水の様子など、風情ある滝の近くである。頭中将は懐から笛を取り出して、澄んだ音色で吹いた。左中弁の君は、扇で軽く調子をとって、「豊浦の寺の、西なるや」と謡う。衆に優れた若君たちのなかで、源氏の君が、悩んだ風情で岩に寄り添っている姿は、目を離せないほどの、群を抜いたすばらしさであった。例のよって、篳篥しちりきを吹く者もあり、笙を出す者もあった。
僧都は、自ら琴を持ってきて、
「これは、ただ一曲弾いていただいて、同じことなら、山の鳥も驚かせてください」
と切に申し上げると、
「病み上がりで辛いのだが」と仰せになったが、不愛想にならぬ程度にかき鳴らして、一同出立した。
名残り惜しく残念だ、と並みの法師たちや召使の童たちも、涙した。内にいる年老いた尼君たちや、まだこのような人たちを見たことがない者たちは、「この世のものとも思われない」と口々に言い合った。僧都も、
「あわれ、どんな前世の契りがあって、このような美しい方が、難しい日本の末の世に生まれたのだろうと思うと、ひどく悲しい」と目をぬぐった。
当の姫君は、幼いながら、「すばらしいお方だ」と見て、
「父の宮様よりご立派だ」と言っている。
「ならば、あの方の御子になったらどうですか」
と女房が言うとうなずいて、御子は「そうなればいいわ」と思った。雛遊びにも絵を描くにも、「源氏の君」を作って、清らかな衣を着せて、大事にした。
2017.5.27/ 2021.6.5/ 2023.1.6◎
5.6 内裏と左大臣邸に参る
君は、まづ内裏に参りたまひて、日ごろの御物語など聞こえたまふ。「いといたう衰へにけり」とて、ゆゆしと思し召したり。聖の尊かりけることなど、問はせたまふ。詳しく奏したまへば、
「阿闍梨などにもなるべき者にこそあなれ。行ひの労は積もりて、朝廷にしろしめされざりけること」と、尊がりのたまはせけり。
大殿、参りあひたまひて、
「御迎へにもと思ひたまへつれど、忍びたる御歩きに、いかがと思ひ憚りてなむ。のどやかに一、二日うち休みたまへ」とて、「やがて、御送り仕うまつらむ」と申したまへば、さしも思さねど、引かされてまかでたまふ。
我が御車に乗せたてまつりたまうて、自らは引き入りてたてまつれり。もてかしづききこえたまへる御心ばへのあはれなるをぞ、さすがに心苦しく思しける。
殿にも、おはしますらむと心づかひしたまひて、久しく見たまはぬほど、いとど玉のうてなに磨きしつらひ、よろづをととのへたまへり。
女君、例の、はひ隠れて、とみにも出でたまはぬを、大臣、切に聞こえたまひて、からうして渡りたまへり。ただ絵に描きたるものの姫君のやうに、し据ゑられて、うちみじろきたまふこともかたく、うるはしうてものしたまへば思ふこともうちかすめ、山道の物語をも聞こえむ、言ふかひありて、をかしういらへたまはばこそ、あはれならめ、世には心も解けず、うとく恥づかしきものに思して、年のかさなるに添へて、御心の隔てもまさるを、いと苦しく、思はずに
「時々は、世の常なる御気色を見ばや。堪へがたうわづらひはべりしをも、いかがとだに、問ひたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほうらめしう」
と聞こえたまふ。からうして、
† 「問はぬは、つらきものにやあらむ」
と、後目しりめに見おこせたまへるまみ、いと恥づかしげに、気高ううつくしげなる御容貌なり。
「まれまれは、あさましの御ことや。訪はぬ、など言ふ際は、異にこそはべるなれ。心憂くものたまひなすかな。世とともにはしたなき御もてなしを、もし、思し直る折もやと、とざまかうさまに試みきこゆるほど、いとど思ほしうとむなめりかし。よしや、命だに」
とて、夜の御座に入りたまひぬ。女君、ふとも入りたまはず、聞こえわづらひたまひて、うち嘆きて臥したまへるも、なま心づきなきにやあらむ、ねぶたげにもてなして、とかう世を思し乱るること多かり
この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを、「似げないほど と思へりしも、道理ぞかし。言ひ寄りがたきことにもあるかな。いかにかまへて、ただ心やすく迎へ取りて、明け暮れの慰めに見む。兵部卿宮は、いとあてになまめいたまへれど、匂ひやかになどもあらぬを、いかで、かの一族ひとぞうにおぼえたまふらむ。ひとつ后腹きさきばらなればにや」など思す。ゆかりいとむつましきに、いかでかと、深うおぼゆ。
源氏はまず内裏に参上して、最近の出来事をご報告する。「だいぶんやつれたね」と、帝がご心配なされる。聖の貴かったことなどをお尋ねになる。源氏が詳しくご報告されると、
「阿闍梨などにもなるべき者だね。修行の功がありながら、朝廷には知られていなかったのだね」と、尊がってのたまう。
左大臣も来あわせて、
「お迎えにと思いましたが、お忍びですので、憚っておりました。のんびり一二日お休みください」と言って、「ただちにお送りいたします」と申したので、そのつもりはなかったが、ほだされて左大臣邸へ行くことになった。
左大臣は源氏を自分の牛車の上席に乗せ、大臣自らは末席に座った。君を大事にお仕えする心ばえにあわれを感じ、源氏はさすがに心苦しく思う。
左大臣邸にも、源氏が来られる心づかいがされて、久しく行かなかったので、立派な御殿に磨きをかけ、万事調えていた。
女君は、例によって奥に隠れて、すぐには出て来ないのを、大臣が切に説得して、ようやく渡ってきたのである。ただ絵に描いた姫君のように、据えられたようで身じろぎもせず、端正な美しさではあったが、源氏が思うことを少し語ったり、山道の様子を話しても、言う甲斐があって、うまい答えが返ってきたら、面白いのだが、葵の上は心が打ち解けず、源氏を疎ましく気づまりに思って、年を重ねるにつれて、心が離れていくのが、源氏は苦しく、心外で、
「時々は、世の普通の夫婦でありたいね。堪えがたい病を患っているのに、お加減はいかがですか、と問うてもくれないのはいつものことですが、残念ですね」
と源氏が仰る。かろうじて、
「問われないのは、辛いものですか」
と葵の上が言って、後目で顔を向けた目元は、気づまりになるほどに気高く美しい容貌であった。
「たまに言えば、ひどいことを言われる。わぬ、などと言うのは、夫婦の仲とは異なるとき言うものです。がっかりすることを仰いますね。いつもの不愛想な態度も、いつか直ることもあると、様々にやってみたが、ますます疎ましくなる。よし、命さえ永らえれば」
と言って、夜の御座に入った。女君は、すぐには入らず、君は言うべき言葉も見つからず、嘆いて臥していたが、何か気に入らないことでもあるのか、眠そうにして、あれこれと悩むことが多いのである。
あの少女がどのように育つかを見たいが、「まだ不似合いな年頃と尼君たちが言われたのも、もっともだ。交渉しにくいなあ。何か手立てをして、安心して迎え入れ、一緒に暮らしたい。兵部卿宮は身分も貴く品もあるが、匂うような美しさでもないのに、どうして、あの少女はあの一族のあの方に似ているのだろう。ひとつ后腹だからか」などと源氏は思う。縁故はまことに親しみを感じ、何とかしたい、と深く思う。
2017.5.27/2021.6.6/ 2023.1.6 ◎
5.7 北山へ手紙を贈る
またの日御文おんふみたてまつれたまへり。僧都にもほのめかしたまふべし。尼上には、
もて離れたりし御気色のつつましさに、思ひたまふるさまをも、えあらはし果てはべらずなりにしをなむ。かばかり聞こゆるにても、おしなべたらぬ志のほどを御覧じ知らば、いかにうれしう」
などあり。中に、小さく引き結びて
面影は身をも離れず山桜
心の限りとめて来しかど

夜の間の風も、うしろめたくなむ
とあり。御手などはさるものにて、ただはかなうおし包みたまへるさまも、さだすぎたる御目どもには、目もあやにこのましう見ゆ。
「あな、かたはらいたや。いかが聞こえむ」と、思しわづらふ。
ゆくての御ことは、なほざりにも思ひたまへなされしを、ふりはへさせたまへるに、聞こえさせむかたなくなむ。まだ「難波津」をだに、はかばかしう続けはべらざめれば、かひなくなむ。さても、
嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を
心とめけるほどのはかなさ

いとどうしろめたう」
とあり。僧都の御返りも同じさまなれば、口惜しくて、二、三日ありて、惟光をぞたてまつれたまふ。
「少納言の乳母と言ふ人あべし。尋ねて、詳しう語らへ」などのたまひ知らす。「さも、かからぬ隈なき御心かな。さばかりいはけなげなりしけはひを」と、まほならねども、見しほどを思ひやるもをかし。
わざと、かう御文あるを、僧都もかしこまり聞こえたまふ。少納言に消息して会ひたり。詳しく、思しのたまふさま、おほかたの御ありさまなど語る。言葉多かる人にて、つきづきしう言ひ続くれど、「いとわりなき御ほどを、いかに思すにか」と、ゆゆしうなむ、誰も誰も思しける。
御文にも、いとねむごろに書いたまひて、例の、中に、「かの御放ち書きなむ、なほ見たまへまほしき」とて、
あさか山浅くも人を思はぬに
など山の井のかけ離るらむ

御返し、
汲み初めてくやしと聞きし山の井の
浅きながらや影を見るべき

惟光も同じことを聞こゆ。
「このわづらひたまふことよろしくは、このごろ過ぐして、京の殿に渡りたまひてなむ、聞こえさすべき」とあるを、心もとなう思す。
翌日、北山に手紙を出した。僧都にもそれとなくお伝えした。尼君には、
「受け入れてくれなかったので気おくれして、思いの丈を十分言えませんでした。こうして申し上げていることからも、並々ならぬわたしの志をお分かりいただければ、うれしいです」
などと書かれていた。中に小さく結び文で、
(源氏)「山桜の面影がこの身から離れません
心のすべてをそちらに置いてきたつもりですが
夜風で山桜が散らぬか心配ですが」
とあった。筆跡は見事なもので、無造作に包んださまにも、盛りを過ぎた尼君たちには、目にも鮮やかに好ましく見えた。
「あら、どうしよう、なんとご返事をしたものか」と尼君は思い惑った。
「行きずりのことでしたら、等閑に付しますが、わざわざお手紙をいただいては、ご返事しないわけには参りますまい。まだ難波津の歌も崩して書けないのでは、どうにもなりません。さらに、
(尼君)嵐吹く峰の桜が散らない一時のこと
心をとどめた行きずりの気持ちでしょう
後が気がかりです」
とあった。僧都の返事も同じだったので、口惜しくて、二三日して惟光を使者として呼び出した。
「少納言という乳母がいる。その人を尋ねて詳しくわけを話せ」などと指図する。「なんと細かい心配りだろう、あんなに幼い子なのに」と、ほんのちょっと、一緒に見たことを思いだして、おかしくなった。
わざわざお手紙を、僧都はかしこまって受け取った。惟光は少納言に面会した。源氏の思いを詳しく語り、また普段の様子なども話した。惟光は口が達者だったので、あれこれと語ったが、「まったく無理な年頃なのにどうするのか」と誰もがとても心配して思った。
源氏は、手紙も心をこめて丁寧に書き、例の「放ち書きを見たいものです」と書いて、
(源氏)「決して浅い心ではありません
それなのにどうして受け入れてくださらないか」
返歌に、
(尼君)「汲んでみて浅いとわかった山の井に
どうして大切な姫をさしあげられましょう」
惟光も同じ趣旨を源氏に報告する。
「尼君の病がよくなって、今少し過ごして、京の邸に帰りましてから、ご返事申し上げます」との少納言の返事を、源氏はもどかしく思う。
2017.6.1/2021.6.6/ 2023.1.6◎
5.8 夏四月の短夜の密通事件
藤壺の宮、悩みたまふことありて、まかでたまへり。 上の、おぼつかながり、嘆ききこえたまふ御気色も、 いといとほしう見たてまつりながら、かかる折だにと、心もあくがれ惑ひて、 何処いづくにも何処にも、まうでたまはず、内裏にても里にても、昼はつれづれと眺め暮らして、暮るれば、 王命婦おうみょうぶを責め歩きたまふ。
いかがたばかりけむいとわりなくて見たてまつるほどさへ、 現とはおぼえぬぞ、わびしきや。宮も、 あさましかりしを思し出づるだに世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと深う思したるに、いと憂くて、いみじき御気色なるものから、 なつかしうらうたげにさりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを、 「などか、なのめなることだにうち交じりたまはざりけむ」と、つらうさへぞ思さるる。何ごとをかは聞こえ尽くしたまはむ。 くらぶの山に宿りも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましう、なかなかなり
見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに
やがて紛るる我が身ともがな

と、むせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、
世語りに人や伝へむたぐひなく
憂き身を覚めぬ夢になしても

思し乱れたるさまも、いと道理にかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣おんなおしなどは、かき集め持て来たる。
殿におはして、泣き寝に臥し暮らしたまひつ。御文なども、例の、御覧じ入れぬよしのみあれば、常のことながらも、 つらういみじう思しほれて、内裏へも参らで、二、三日籠もりおはすれば、また、「いかなるにか」と、 御心動かせたまふべかめるも、恐ろしうのみおぼえたまふ。
藤壺の宮は、病を得て内裏を辞した。帝がおろおろして嘆く有様を、源氏は気の毒に思いながら、今がチャンスとばかり、心はすっかり上の空で、どこの女のところへも出かけようとせず、内裏でも自邸でも、昼はぼんやりして眺め暮らし、夕方になれば、王命婦を追い回して会う手配をするようせっついた。
どう謀ったのか、無理な首尾の末にやっと逢えた間も、源氏にはうつつに思えず、辛いひとときだった。藤壺も、思いがけない悪夢のような密会を思い出す度に、いつも後悔し、逢うのはやめようと深く決意するのであるが、何か情けなく、とてもつらそうな様子で、源氏にはかえって、慕わしくかわいらしく思われ、また藤壺は気安く打ち解けず、心の深いところでは恥ずかしげな気配であれば、並々の人ではなく、「どうして欠点がないのだろう」と、かえってつらく思われた。思いを言い尽くすことはできない。くらぶの山に宿をとりたいが、あいにくの短夜で、かえって思いが募った。
(源氏)「いつまた逢える夜が来るがくるのか
この身は夢のなかへ消えてしまいたい」
と、むせび泣いているのも、さすがにお気の毒なので、
(藤壺)「世間にうわさがたつでしょうか、
つらい憂き身が覚めぬ夢のなかにあっても」
藤壺の思い乱れるさまも、もっともで恐れ多い。命婦は、君の直衣などを集めて持ってくる。
源氏は二条院に帰って、泣き伏して暮らしていた。御文も例によって、見てくれないので、いつもながら、ひどくつらい気持ちで、内裏にも参内せず、二三日こもっていたら、また「どうしたか」と帝が言ってくるのも、ただ恐ろしく思っていた。
2017.6.17/2021.6.6/ 2023.1.7◎
5.9 妊娠三月となる
宮も、なほいと心憂き身なりけりと、思し嘆くに、悩ましさもまさりたまひて、とく参りたまふべき御使、しきれど、思しも立たず。
まことに、御心地、例のやうにもおはしまさぬは、いかなるにかと、人知れず思すこともありければ、心憂く、「いかならむ」とのみ思し乱る。
暑きほどは、いとど起きも上がりたまはず。三月になりたまへば、いとしるきほどにて、人びと見たてまつりとがむるに、あさましき御宿世のほど、心憂し。人は思ひ寄らぬことなれば、「この月まで、奏せさせたまはざりけること」と、驚ききこゆ。我が御心一つには、しるう思しわくこともありけり。
御湯殿などにも親しう仕うまつりて、何事の御気色をもしるく見たてまつり知れる、御乳母子おんめのとごの弁、命婦などぞ、あやしと思へど、かたみに言ひあはすべきにあらねば、なほ逃れがたかりける御宿世をぞ、命婦はあさましと思ふ。
内裏には、御物の怪の紛れにて、とみに気色なうおはしましけるやうにぞ奏しけむかし。見る人もさのみ思ひけり。いとどあはれに限りなう思されて、御使などのひまなきも、そら恐ろしう、ものを思すこと、ひまなし。
中将の君も、おどろおどろしうさま異なる夢を見たまひて、合はする者を召して、問はせたまへば、及びなう思しもかけぬ筋のことを合はせけり。
「その中に、たがひ目ありて、慎しませたまふべきことなむはべる」
と言ふに、わづらはしくおぼえて、
「みづからの夢にはあらず、人の御ことを語るなり。この夢合ふまで、また人にまねぶな」
とのたまひて、心のうちには、「いかなることならむ」と思しわたるに、この女宮の御こと聞きたまひて、「もしさるやうもや」と、思し合はせたまふに、いとどしくいみじき言の葉尽くしきこえたまへど、命婦も思ふに、いとむくつけう、わづらはしさまさりて、さらにたばかるべきかたなし。はかなき一行の御返りのたまさかなりしも、絶え果てにたり。
藤壺もまた、心憂き身になった、と思い嘆き、気分も悪くなって、早く参内するようにと、しきりにお使いがくるが、その気になれない。
実際、気分がいつもと違うのは、どうしてか、人知れず思うところもあったが、気が重く、「どうしたのだろう」とのみ思い乱れるのだった。
暑いときは、さらに起き上がりることもしない。三月ほどたつと、それと知れるほどになり、女房たちが見て取りざたするようになり、情けない宿世のほどを思い、気分が沈んだ。思いもよらぬことゆえ、「この月まで帝に奏上しなかった」と人びとは驚いた。宮ご自身には、はっきり源氏の子と思い当たることもあった。
湯殿などにも親しくお仕えしてに、どんな気色の変化もすぐわかる乳母子の弁や王命婦などは、あやしいと思ったが、互いに言い合わすべきものでもないので、逃れがたい宿世の怖さに、王命婦は驚きを隠せなかった。
内裏には、物の怪が紛れてすぐにはご懐妊の兆候も表れなかった、と奏上した。周りの人たちもそう思った。帝は限りなくあわれを感じて、しきりに御使いをよこしたので、藤壺は空恐ろしくなり、すっかり物思いに沈んだ。
源氏の君も、驚くべき異様な夢を見たので、夢解きをする者を呼んで問い合わせると、想像だにできない筋のことが現れているとのことだった。
「その中に、逆境の目があって、謹慎しなければならない時期がある」
と言うので、面倒なことになりそうだと思い、
「これは自分の夢ではない。他人のことを語ったのだ。事実となるまでは、他言してはならぬ」
と源氏は仰って、心のうちでは「どういうことだろう」と思っているうちに、宮の懐妊のことを聞いて、「もしや自分の子ではないか」と思い合わせると、たいそう言葉を尽くした文を託けるが、命婦は、恐ろしくなり、面倒なことになると思って、もう取り次いでくれない。たまにはただ一行ばかりの返事もあったが、それも絶えた。
2017.6.18/ 2021.6.7/ 2023.1.7◎
5.10 初秋七月に藤壺宮中に戻る
七月になりてぞ参りたまひける。めづらしうあはれにて、いとどしき御思ひのほど限りなし。すこしふくらかになりたまひて、うちなやみ、面痩せたまへる、はた、げに似るものなくめでたし。
例の、明け暮れ、こなたにのみおはしまして、御遊びもやうやうをかしき空なれば、源氏の君も暇なく召しまつはしつつ、御琴、笛など、さまざまに仕うまつらせたまふ。いみじうつつみたまへど、忍びがたき気色の漏り出づる折々、宮も、さすがなる事どもを多く思し続けけり。
七月になって、藤壺は参内した。帝は、ことのほかお喜びで、ご寵愛は限りなかった。少しふっくらして、病み上がりで、面痩せた風情が、またいっそう美しかった。
帝は、例によって、朝に晩に、藤壺の部屋にやって来て、お遊びも興に乗る秋の空になってくれば、源氏も暇なく召しだされ、御琴や笛など、さまざまに奏してお仕えする。君はしっかり隠していたが、ふとした気色に表れる折々、宮も、さすがに忘れられないあれこれを思った。
2017.6.18/2021.6.7/ 2023.1.7◎
5.11 紫の君、六条京極の邸に戻る
かの山寺の人は、よろしくなりて出でたまひにけり。京の御住処尋ねて、時々の御消息などあり。同じさまにのみあるも道理なるうちに、この月ごろは、ありしにまさる物思ひに、異事ことごとなくて過ぎゆく。
秋の末つ方、いともの心細くて嘆きたまふ。月のをかしき夜、忍びたる所にからうして思ひ立ちたまへるを、時雨めいてうちそそく。おはする所は六条京極わたりにて、内裏よりなれば、すこしほど遠き心地するに、荒れたる家の木立いともの古りて木暗く見えたるあり。例の御供に離れぬ惟光なむ、
故按察使大納言こあぜちのだいなごんの家にはべりて、もののたよりにとぶらひてはべりしかば、かの尼上、いたう弱りたまひにたれば、何ごともおぼえず、となむ申してはべりし」と聞こゆれば、
「あはれのことや。とぶらふべかりけるを。などか、さなむとものせざりし。入りて消息せよ」
とのたまへば、人入れて案内せさす。わざとかう立ち寄りたまへることと言はせたれば、入りて、
「かく御とぶらひになむおはしましたる」と言ふに、おどろきて、
いとかたはらいたきことかな。この日ごろ、むげにいと頼もしげなくならせたまひにたれば、御対面などもあるまじ」
と言へども、帰したてまつらむはかしこしとて、南の廂ひきつくろひて、入れたてまつる。
「いとむつかしげにはべれど、かしこまりをだにとて。ゆくりなう、もの深き御座所になむ」
と聞こゆ。げにかかる所は、例に違ひて思さる。
「常に思ひたまへ立ちながら、かひなきさまにのみもてなさせたまふに、つつまれはべりてなむ。悩ませたまふこと、重くとも、うけたまはらざりけるおぼつかなさ」など聞こえたまふ。
乱り心地は、いつともなくのみはべるが、 限りのさまになりはべりて、いとかたじけなく、立ち寄らせたまへるに、みづから聞こえさせぬこと。のたまはすることの筋、たまさかにも思し召し変はらぬやうはべらば、かくわりなき齢過ぎはべりて、かならず数まへさせたまへいみじう心細げに見たまへ置くなむ、願ひはべる道のほだしに思ひたまへられぬべき」など聞こえたまへり。
いと近ければ、心細げなる御声絶え絶え聞こえて、
「いと、かたじけなきわざにもはべるかな。この君だに、かしこまりも聞こえたまつべきほどならましかば」
とのたまふ。あはれに聞きたまひて、
「何か、浅う思ひたまへむことゆゑ、かう好き好きしきさまを見えたてまつらむ。いかなる契りにか、見たてまつりそめしより、あはれに思ひきこゆるも、あやしきまで、この世のことにはおぼえはべらぬ」などのたまひて、「かひなき心地のみしはべるを、かのいはけなうものしたまふ御一声、いかで」とのたまへば、
「いでや、よろづ思し知らぬさまに、大殿籠もり入りて」
など聞こゆる折しも、あなたより来る音して、
上こそ、この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ。など見たまはぬ
とのたまふを、人びと、いとかたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞こゆ
いさ、『見しかば心地の悪しさなぐさみき』とのたまひしかばぞかし」
と、かしこきこと聞こえたりと思してのたまふ。
いとをかしと聞いたまへど、人びとの苦しと思ひたれば、聞かぬやうにて、まめやかなる御とぶらひを聞こえ置きたまひて、帰りたまひぬ。「げに、言ふかひなのけはひや。さりとも、いとよう教へてむ」と思す。
またの日も、いとまめやかにとぶらひきこえたまふ。例の、小さくて、
いはけなき鶴の一声聞きしより
葦間になづむ舟ぞえならぬ

同じ人にや
と、ことさら幼く書きなしたまへるも、いみじうをかしげなれば、「やがて御手本に」と、人びと聞こゆ。少納言ぞ聞こえたる。
「問はせたまへるは、今日をも過ぐしがたげなるさまにて、山寺にまかりわたるほどにて。かう問はせたまへるかしこまりは、この世ならでも聞こえさせむ」
とあり。いとあはれと思す。
秋の夕べは、まして、心のいとまなく思し乱るる人の御あたりに心をかけて、あながちなるゆかりも尋ねまほしき心もまさりたまふなるべし。「消えむ空なき」とありし夕べ思し出でられて、恋しくも、また、見ば劣りやせむと、さすがにあやふし。
手に摘みていつしかも見む紫の
根にかよひける野辺の若草
あの山寺の尼君は、病がよくなって山を出た。京の住まいを探して、源氏は時々手紙を出した。尼君のご返事は相変わらずで、源氏はこの月頃は、いっそう物思いに沈み、余事を思う間もない。
秋の末ころは、心細くて嘆きがちであった。月の良い夜、ようやく思い立って忍んで通う気になると、時雨がしとしとふってきた。向かう所は六条京極のあたりで、内裏からは少し遠かったが、荒れた家の木立が古びて暗く見えるあたりがあった。例によっていつもお供する惟光が、
故按察使大納言あぜちのだいなごんの家にお伺いして、ついでにお見舞い申し上げましたが、あの尼上は、大変弱っておいででして、何事も手につかない、と少納言が申しておりました」申し上げると、
「あわれなことだ。お見舞すべきであった。どうして教えてくれなかったのだ。入って挨拶せよ」
と源氏が仰ったので、人をやって案内させる。わざわざ見舞いに立ち寄ったと使いに言わせると、供の者が入って、
「こうして君がお見舞いに参りました」と言うと、女房たちは驚いて、
「これはどうしたことか、困りました。このところ、まったく尼君の具合が悪く、お会いすることもできないのでは」
と言うが、お帰りになってもらうのも恐れ多く、南の廂の間をかたずけて、お入り願う。
「むさ苦しいところですが、せめてお見舞いのお礼だけでもと申しまして。奥まった御座所でございますが」
と言う。このような場所は、普段と違った感じがした。
「いつもお見舞いに伺わなければと思いながら、つれないご返事を受けました者として、遠慮しておりました。ご病気が重いことも知らなかった、迂闊なことで」などと源氏は仰せになる。
「気分がすぐれないのは、いつものことですが、死も間近になって、かたじけなくも立ち寄っていただいて、じかにご挨拶ができないのは残念でございます。お申し出のあの件は、万が一にもお気持ちにお変わりなければ、こんな幼い年頃を過ぎたら、きっと人並みの数に加えていただきたい。孫娘をたいそう心細い状態で、残して逝くのは、極楽浄土を願う足かせになるでしょう」などと尼君は仰る。
近くなので、心細い声が絶え絶えに聞こえて、
「大変、おそれ多いことでございます。この姫君がせめてお礼のご挨拶を申し上げられるほどの年頃でしたら」
と仰る。源氏はあわれを覚えて
「何か、わたしが軽い気持ちでしたら、尼君に好き者と見られるような行動をとるでしょうか。いかなる前世の因縁か、見初めて、あわれを覚えたのも不思議で、この世だけの縁とも思われません」など仰って、「お伺いした甲斐もありませんので、あの幼子の一声でも聞かせてくだされば」と仰ると、
「いえ、何も知らないまま、お休みになっておりますので」
など言っている先から、あちらから来る音がして、
「お祖母様ばあさま、源氏の君がお越しになって。どうしてご覧にならないのですか」
と言うのを、人々はたいそう具合が悪いと思って、「しーっ、静かに」と言っている。
「あら、『ご覧になったら、気分が良くなった』と仰っていましたよ」
と、賢いこと言ったのだと思って言う。
源氏はかわいらしいと聞いていたが、女房たちの面目を保って、聞かぬようにして、丁重なお見舞いを申し上げて、お帰りになった。「なるほど、まるで子供だ。だから、よく教え育てたい」と思う。
その翌日も、丁寧にお見舞いを差し上げる。例によって、小さく結び、
(源氏)「あどけない鶴の一声を聞いてから
葦の間を行く悩む舟はただならぬ思いです
同じ人を慕っています」
と、ことさら子供らしく書いた文字が、大変興があって面白いので「そのままお手本に」と人びとが言っている。少納言が返事をする。
「尼君は、今日一日もつかどうかですので、すぐにも山寺にお移ししたい程です。このお見舞の御礼は、あの世からでも申し上げることになるでしょう」
とあり。まことにあわれと思う。
秋の夕べは、さらに、恋焦がれる藤壺のことが心から離れず、強いてその人と縁続きの子を尋ねたい気持ちが強くなったのだろう。「死にきれない」と詠んだ夕べも思い出されて、恋しいが、また期待外れではないか、と心配もあった。
(源氏)「この手に摘んで早く見たい、
紫の根に連なる野辺の若草を」
2017.6.22/2021.6.7/ 2023.1.7◎
5.12 尼君死去し寂寥と孤独の日々
十月に朱雀院の行幸あるべし。舞人など、やむごとなき家の子ども、上達部、殿上人どもなども、その方につきづきしきは、みな選らせたまへれば、親王達、大臣よりはじめて、とりどりの才ども習ひたまふ、いとまなし。
山里人にも、久しく訪れたまはざりけるを、思し出でて、ふりはへ遣はしたりければ、僧都の返り事のみあり。
立ちぬる月の二十日のほどになむ、つひに空しく見たまへなして、世間の道理なれど、悲しび思ひたまふる」
などあるを見たまふに、世の中のはかなさもあはれに、「うしろめたげに思へりし人もいかならむ。幼きほどに、恋ひやすらむ。故御息所に後れたてまつりし」など、はかばかしからねど、思ひ出でて、浅からずとぶらひたまへり。少納言、ゆゑなからず御返りなど聞こえたり。
など過ぎて京の殿になど聞きたまへば、ほど経て、みづから、のどかなる夜おはしたり。いとすごげに荒れたる所の、人少ななるに、いかに幼き人恐ろしからむと見ゆ。例の所に入れたてまつりて、少納言、御ありさまなど、うち泣きつつ聞こえ続くるに、あいなう、御袖もただならず。
宮に渡したてまつらむとはべるめるを、『故姫君の、いと情けなく憂きものに思ひきこえたまへりしにいとむげに児ならぬ齢の、まだはかばかしう人のおもむけをも見知りたまはず中空なかぞらなる御ほどにて、あまたものしたまふなる中の、 あなづらはしき人にてや交じりたまはむ』など、過ぎたまひぬるも、世とともに思し嘆きつること、しるきこと多くはべるに、かくかたじけなきなげの御言の葉は、後の御心もたどりきこえさせず、いとうれしう思ひたまへられぬべき折節にはべりながら、すこしもなぞらひなるさまにもものしたまはず、御年よりも若びてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる」と聞こゆ。
「何か、かう繰り返し聞こえ知らする心のほどを、つつみたまふらむ。その言ふかひなき御心のありさまの、あはれにゆかしうおぼえたまふも、契りことになむ、心ながら思ひ知られける。なほ、人伝てならで、聞こえ知らせばや。
あしわかの浦にみるめはかたくとも
こは立ちながらかへる波かは

めざましからむ」とのたまへば、
「げにこそ、いとかしこけれ」とて、
寄る波の心も知らでわかの浦に
玉藻なびかむほどぞ浮きたる

わりなきこと
と聞こゆるさまの馴れたるに、すこし罪ゆるされたまふ。「なぞ越えざらむ」と、うちじたまへるを、身にしみて若き人びと思へり。
君は、上を恋ひきこえたまひて泣き臥したまへるに、御遊びがたきどもの、
直衣なおし着たる人のおはする、宮のおはしますなめり」
と聞こゆれば、起き出でたまひて、
「少納言よ。直衣着たりつらむは、いづら。宮のおはするか」
とて、寄りおはしたる御声、いとらうたし。
「宮にはあらねど、また思し放つべうもあらず。こち」
とのたまふを、恥づかしかりし人と、さすがに聞きなして、悪しう言ひてけりと思して、乳母にさし寄りて、
「いざかし、ねぶたきに」とのたまへば、
「今さらに、など忍びたまふらむ。この膝の上に大殿籠もれよ。今すこし寄りたまへ」
とのたまへば、乳母の、
「さればこそ。かう世づかぬ御ほどにてなむ」
とて、押し寄せたてまつりたれば、何心もなくゐたまへるに、手をさし入れて探りたまへれば、なよらかなる御に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに探りつけられたる、いとうつくしう思ひやらる。手をとらへたまへれば、うたて例ならぬ人の、かく近づきたまへるは、恐ろしうて、
「寝なむ、と言ふものを」
とて、強ひて引き入りたまふにつきてすべり入りて、
「今は、まろぞ思ふべき人。な疎みたまひそ」
とのたまふ。乳母、
「いで、あなうたてや。ゆゆしうもはべるかな。聞こえさせ知らせたまふとも、さらに何のしるしもはべらじものを」とて、苦しげに思ひたれば、
「さりとも、かかる御ほどをいかがはあらむ。なほ、ただ世に知らぬ心ざしのほどを見果てたまへ」とのたまふ。
霰降り荒れて、すごき夜のさまなり。
「いかで、かう人少なに心細うて、過ぐしたまふらむ」
と、うち泣いたまひて、いと見棄てがたきほどなれば、
御格子参りね。もの恐ろしき夜のさまなめるを、宿直人とのいびとにてはべらむ。人びと、近うさぶらはれよかし」
とて、いと馴れ顔に御帳みちょうのうちに入りたまへば、あやしう思ひのほかにもと、あきれて、誰も誰もゐたり。乳母は、うしろめたなうわりなしと思へど、荒ましう聞こえ騒ぐべきならねば、うち嘆きつつゐたり。
若君は、いと恐ろしう、いかならむとわななかれて、いとうつくしき御肌つきも、そぞろ寒げに思したるを、らうたくおぼえて、単衣ばかりを押しくくみて、わが御心地も、かつはうたておぼえたまへどあはれにうち語らひたまひて、
いざ、たまへよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」
と、心につくべきことをのたまふけはひの、いとなつかしきを、幼き心地にも、いといたう怖ぢず、さすがに、むつかしう寝も入らずおぼえて、身じろき臥したまへり。
夜一夜、風吹き荒るるに、
「げに、かう、おはせざらましかば、いかに心細からまし」
「同じくは、よろしきほどにおはしまさましかば」
とささめきあへり。乳母は、うしろめたさに、いと近うさぶらふ。風すこし吹きやみたるに、夜深う出でたまふも、ことあり顔なりや
いとあはれに見たてまつる御ありさまを、今はまして、片時の間もおぼつかなかるべし。明け暮れ眺めはべる所に渡したてまつらむ。かくてのみは、いかが。もの怖ぢしたまはざりけり」とのたまへば、
「宮も御迎へになど聞こえのたまふめれど、この御四十九日 なななぬか過ぐしてや、など思うたまふる」と聞こゆれば、
「頼もしき筋ながらも、よそよそにてならひたまへるは、同じうこそ疎うおぼえたまはめ。今より見たてまつれど、浅からぬ心ざしはまさりぬべくなむ」
とて、かい撫でつつ、かへりみがちにて出でたまひぬ。
いみじう霧りわたれる空もただならぬに、霜はいと白うおきて、まことの懸想もをかしかりぬべきに、さうざうしう思ひおはすいと忍びて通ひたまふ所の道なりけるを思し出でて、門うちたたかせたまへど、聞きつくる人なし。かひなくて、御供に声ある人して歌はせたまふ。
朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも
行き過ぎがたき妹が門かな

と、二返りばかり歌ひたるに、よしある下仕ひを出だして、
立ちとまり霧のまがきの過ぎうくは
草のとざしにさはりしもせじ

と言ひかけて、入りぬ。また人も出で来ねば、帰るも情けなけれど、明けゆく空もはしたなくて殿へおはしぬ。
をかしかりつる人のなごり恋しく、独り笑みしつつ臥したまへり。日高う大殿籠もり起きて、文やりたまふに、書くべき言葉も例ならねば、筆うち置きつつすさびゐたまへり。をかしき絵などをやりたまふ。
かしこには、今日しも、宮わたりたまへり。年ごろよりもこよなう荒れまさり、広うもの古りたる所の、いとど人少なに久しければ、見わたしたまひて、
「かかる所には、いかでか、しばしも幼き人の過ぐしたまはむ。なほ、かしこに渡したてまつりてむ。何の所狭きほどにもあらず。乳母は、曹司ぞうしなどしてさぶらひなむ。君は、若き人びとあれば、もろともに遊びて、いとようものしたまひなむ」などのたまふ。
近う呼び寄せたてまつりたまへるに、かの御移り香の、いみじう艶に染みかへらせたまへれば、「をかしの御匂ひや。御衣はいと萎えて」と、心苦しげに思いたり。
「年ごろも、あつしくさだ過ぎたまへる人に添ひたまへるよ、かしこにわたりて見ならしたまへなど、ものせしを、あやしう疎みたまひて、人も心置くめりしを、かかる折にしもものしたまはむも、心苦しう」などのたまへば、
「何かは。心細くとも、しばしはかくておはしましなむ。すこしものの心思し知りなむにわたらせたまはむこそ、よくははべるべけれ」と聞こゆ。
「夜昼恋ひきこえたまふに、はかなきものもきこしめさず
とて、げにいといたう面痩せたまへれど、いとあてにうつくしく、なかなか見えたまふ。
「何か、さしも思す。今は世に亡き人の御ことはかひなし。おのれあれば」
など語らひきこえたまひて、暮るれば帰らせたまふを、いと心細しと思いて泣いたまへば、宮うち泣きたまひて、
「いとかう思ひな入りたまひそ。今日明日、渡したてまつらむ」など、返す返すこしらへおきて、出でたまひぬ。
なごりも慰めがたう泣きゐたまへり。行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず、ただ年ごろ立ち離るる折なうまつはしならひて、今は亡き人となりたまひにける、と思すがいみじきに、幼き御心地なれど、胸つとふたがりて、例のやうにも遊びたまはず、昼はさても紛らはしたまふを、夕暮となれば、いみじくしたまへば、かくてはいかでか過ごしたまはむと、慰めわびて、乳母も泣きあへり。
君の御もとよりは、惟光をたてまつれたまへり。
「参り来べきを、内裏より召あればなむ。く心苦しう見たてまつりしも、しづ心なく」とて、宿直人たてまつれたまへり。
あぢきなうもあるかな。戯れにても、もののはじめにこの御ことよ
「宮聞こし召しつけば、さぶらふ人びとのおろかなるにぞさいなまむ」
あなかしこ、もののついでに、いはけなくうち出できこえさせたまふな」
など言ふも、それをば何とも思したらぬぞ、あさましきや。
少納言は、惟光にあはれなる物語どもして、
あり経て後や、さるべき御宿世、逃れきこえたまはぬやうもあらむ。ただ今は、かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを、あやしう思しのたまはするも、いかなる御心にか、思ひ寄るかたなう乱れはべる。今日も、宮渡らせたまひて、『うしろやすく仕うまつれ。心幼くもてなしきこゆな』とのたまはせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかる御好き事も思ひ出でられはべりつる」
など言ひて、「この人もことあり顔にや思はむ」など、あいなければ、いたう嘆かしげにも言ひなさず。大夫も、「いかなることにかあらむ」と、心得がたう思ふ。
参りて、ありさまなど聞こえければ、あはれに思しやらるれど、さて通ひたまはむも、さすがにすずろなる心地して、「軽々しうもてひがめたると、人もや漏り聞かむ」など、つつましければ、「ただ迎へてむ」と思す。
御文はたびたびたてまつれたまふ。暮るれば、例の大夫をぞたてまつれたまふ。「障はる事どものありて、え参り来ぬを、おろかにや」などあり。
「宮より、明日にはかに御迎へにとのたまはせたりつれば、心あわたたしくてなむ。年ごろの蓬生よもぎうを離れなむも、さすがに心細く、さぶらふ人びとも思ひ乱れて」
と、言少なに言ひて、をさをさあへしらはず、もの縫ひいとなむけはひなどしるければ、参りぬ。
十月に朱雀院の行幸が予定されていた。舞人など、高貴な出の子どもたちや、上達部、殿上人など、その方面にそれ相応な人びとは、皆選ばれたので、親王や大臣たちはそれぞれの技の練習に余念がなかった。
尼君にも、久しく消息していなかったのを思い出し、人を遣わしたのだが、僧都の返事だけがあった。
「先月の二十日になりますか、ついに亡くなりまして、この世の習いですが、悲しみにひたっています」
などとあるのを見ると、世の中のはかなさも感じられて、「残されて心配された子はどうしているだろう。まだ幼いから、恋しかろう。わたしも母の故御息所に先立たれたから」など、おぼろげながら思い出して、心をこめてお見舞いした。少納言から趣のある返事がきた。
忌中が過ぎて、京の邸にいると聞いていたので、他に用事がない夜、源氏自ら出かけた。ひどく荒れた所で、人が少なく、幼子には恐ろしく感じるだろうと思われる。例の廂の間に通されて、少納言が、尼君の最後の様子などを、泣きながら細々と話すると、源氏ももらい泣きするのだった。
「父宮のお邸にお連れしようとしていますが、『亡くなった姫君が、宮の北の方は情が薄く嫌なお方と、話してお られましたので、かわいい盛りの稚児でもなく、大人の思惑がわかるでもなく、中途半端な年頃なので、先様のお子様がたくさんいる中で、いじめられはしないか』など、亡くなった尼君も日頃から心配しておりましたし、その証も多々ありましたので、口先だけでも、このようなもったいないお言葉は、後々の御心は分かりませんが、今は大変うれしくありがたいのですが、とても幼すぎてお似合いの相手にはなれませんし、さらに年齢よりも子どもっぽいので、困ってます」と少納言が申し上げる。
「繰り返し申し上げているのですが、まともに受け取ってもらえませんね。その言うかいなき御子のことも、あわれを感じ由あることと覚えたのも、前世の因縁が特別だから、と心から思います。では、人を介せずに、直接お話したい。
(源氏)葦の若芽が生える浦で海松布みるめに逢うのは難しいが
返す波のように、このまま会わずに帰れようか、
あんまりでしょう」と仰ると、
「いかにも、畏れ多いことです」とて、
(少納言)「寄り来る波の本心も知らないで和歌の浦に
玉藻がなびくのは軽率なことです、
しかたがありません」
と言うのが心得た様子だったので、少し機嫌をなおした。「どうして逢わずに帰れよう」と、口ずさむと、若い女房たちは感じ入った。
姫君は亡き尼君を恋しがって、泣き伏していたが、遊び仲間の誰かが、
「直衣を着た人がいるよ、宮がおいでになったのでしょう」
と言うので、起きだして、
「少納言よ。直衣着た人はどこにいるの。宮が来ているのか」
と言って寄ってくる声が、かわいらしい。
「宮ではないが、まったくの他人でもないよ。こちらへおいで」
と仰ると、あの立派な人だと、さすがに、いけないことを言ってしまったと思って、乳母に寄って、
「さあ、行きましょう、眠たいよ」と言うと、
「今さらどうして逃げるの。この膝の上で寝たらどうですか。もっと寄りなさい」
と源氏が仰ると、乳母の、
「ほら、まったく子どもですので」
と言って、押しやると、何心なく座ったので、手を簾の下から入れて探れば、着慣れたやわらか衣に、髪がつややかにかかって、端がふさやかにまといつくさまは、美しくなるだろうと思いやられた。手をとると、びくっとして、いつもはいない人がこんなに近くいるので、幼子は恐くなって、
「寝ると言っているのに」
とて、強いて御簾の中に引っ込もうとするのを、一緒に滑り込んで、
「今はわたしがお世話する人ですよ。嫌わないで」
と源氏が仰る。乳母は、
「あら、困ったこと。大変なことをなされる。いくら言って聞かせても、その甲斐もない何も分からない年頃なのに」とて、苦しげに思ったが、
「そうですが、こんなに幼いのではどうしようもない。だがわたしの人並み以上愛情を、しかと見てください」と源氏は仰る。
霰が降って、荒れてぞっとする夜だった。
「人が少なく心細いのに、どうやって夜をすごすのか」
と源氏は言って、泣いてしまい、見捨てられなかったので、
「格子を下ろしなさい。今夜は恐ろしい夜になるので、わたしが宿直人になろう。みんな、近くに寄りなさい」
と言って、慣れた様子で御帳の中に入るので、女房たちはとんでもないと思い、皆あきれてしまった。 乳母は、困ったことになったと思ったが、声を荒げて騒ぐほどでもないので、ただ嘆いている。
姫君は、恐ろしくて、どうなることかと震えて、美しい肌も鳥肌が立つような感じになり、源氏は、それをかわいらしいと思い、単衣だけにおし包んだが、自分でも馬鹿なことをしていると思う一方、やさしく声をかけながら、
「さあ、いらっしゃい。家には絵がたくさんあるし、雛遊びもできますよ」
と、幼い心にうれしいことを仰る様子が、やさしいので、幼い心にも、それほど怖がらず、さすがに、落ち着かないで、寝付けず、もじもじして伏している。
一晩中、風が吹き荒れて、女房たちは、
「君がいらっしゃらなければ、どんなに心細かっただろう」
「どうせなら、姫君がお似合いであらせられたら」
とささやき合っている。乳母は、心配で、すぐ近くに控えている。風が少し吹き止んで、夜更けに出たが、何か朝帰りの風情である。
「すごく可愛いと思って見ているので、今はかえって、気にかかって片時も安心できない。明け暮れ眺められる所に連れ行きたい。こんな状態でどうするのか。わたしを怖がってなかった」と源氏が仰れば、
「父宮がお迎えに来ると言うことですが、この四十九日を過ぎてから、と思っております」と乳母が申し上げれば、
「頼もしい筋ですが、日ごろ別々に暮らしているので、疎遠なのはわたしと同じでしょう。今からお世話しますが、愛情の深さではこちらが勝っています」
とて、姫君の髪をかきなでつつ、後ろ髪を引かれる思いで出た。
ひどく霧がかかった空も風情があったが、霜が真っ白におりて、これがまことの恋なら興ある風情だが、今は物足りなく思う。忍んで通っていた道なのを思い出し、門を叩かせたが、聞きつける人はいない。仕方なく、供のなかで声のいいのを選んで歌わせる。
(源氏)「明け方の霧立つ空に迷っても、
行き過ぎがたい妹の門は分かります」
と二度ほど歌ったが、物の分かった下使いが出てきて、
(女)「霧深いまがきが行き過ぎづらければ
草の閉ざした門など容易でしょう」
と言いかけて入る。また人も出て来ず、帰るのは情けないが、空が明けてからではみっともないので、邸に帰った。
いとおしかった姫君の余韻にひたり、ひとり微笑んで伏した。日が高くなってから起きて、文を用意したが、書くべきこともいつもと違うので、筆を置いては考え熱心に書いた。面白い絵も同封した。
あちらでは、今日、父宮がお見えになる。最近とみに邸は荒れて、広く古くなった所に、久しく来訪者もいなかったので、宮はあたりを見渡して、
「このような所に、どうして、幼い子が少しでも過ごせようか。やはり、あちらに来てもらおう。どうして気詰まりなことがあろうか。乳母には、部屋を用意する。姫君は、北の方の小さい子どもたちがいるのだから、一緒に遊んだりできるだろう」などと父宮は仰る。
父宮は、姫君を近くに呼び寄せると、源氏の移り香がすごく艶っぽく染みた衣から匂ったので、「いい匂いだ。衣は着慣れたものを着ているが」と心苦し気に思った。
「長年、老いたる病人と暮らしていたので、一度あちらに来て、見てなじんではどうか、と言ったのだが、尼君に断られて、北の方も気にかけていたのだが、こんな状態になってからでは、かわいそう」と宮が仰せなので、
「いいえ。心細くとも、しばらくはこうしていたいのです。少し物の心を知れる年頃になってから、行かせたほうがいいでしょう」と少納言が言う。
「夜も昼も尼君を慕って、ほとんどお召し上がりになりません」
とて、若姫の顔はだいぶ痩せていたが、かえって品があり、かなりの美しさであった。
「どうして、そう悲しむ。亡くなった人のことは仕方ない。わたしがい る」
などと語らって、日が暮れたので帰ろうとしたが、姫君はひどく心細く感じて泣き出したので、父宮も泣いて、
「そんなに思い込んではいけません。今日明日にも、連れて行きましょう」など何度もなだめて、(父宮は)帰った。
父宮が帰ったあとも、慰めがたく泣いている。この先、自分の身がどうなるかもしらず、ただ年来離れずそばにいて、今は亡き人になったと思う、そのことがつらく、幼い心の胸ふさがり、いつものように遊ぶこともなく、昼はまだしも紛れることもあるが、夕暮れになれば、すっかり気がふさぎ、このようではどうやって日を過ごしたらいいか、慰めもできず、乳母も泣いてしまうのであった。
源氏の元からは惟光が使いでやって来た。
みずから来るべきですが、内裏からお召しがありまして。お気の毒な様子が、気がかりです」とて、宿直人 を差し向けた。
「情けない。ご冗談でも、そもそもの初めからこんな調子では」
「父宮が聞きつけたら、付き添い人たちの怠慢で非難されましょう」
「いいこと、物のはずみで、絶対にこのことを口に出してはいけません」
など言っているが、それをなんとも思わない、幼さであった。
少納言は、惟光にあわれな話をあれこれして、
「月日が経つうちに、君が思っている宿命から逃れられないこともあるでしょう。ただ今は、少しも似つかわしくないのに、君が異常に思い込むお気持ちに、たいへん戸惑っております。今日も父宮が来られて、『後の心配がないようにお仕えしなさい。軽々しく遇しないように』と仰りましたが、それも気になりまして、以前よりも、あのような好色めいたお振舞が気になります」
など語って、「惟光もことの次第を知っているのか」など、部外者なので、ひどく嘆きを訴えるわけにもいかない。惟光も、「どういうことだろうか」と、得心がゆかない。
帰って、あちらの様子を報告するに、君はあわれを感じ、やはり通うのは、やりすぎの心地がして、「軽率な行いだ、と批判され世間で噂する」など気にして、やめたのだが、「ただ連れてくるだけにしよう」と思った。
文はたびたび出した。暮れになると、例の惟光を使わした。「都合のわるいことがあり、行けない。疎かにしているのではない」などと書いている。
「宮から、明日急にお迎えに行くと言ってきたので、あわただしくしています。年来の古い舘も離れるとなると、さすがにしんみりして、侍女たちも困っていて」
と少納言は言葉少なに言うが、はっきり返答もできず、物を縫ったりする気配がしたので、惟光は早々に退出した。
2017.7.2/2021.6.8/ 2023.1.8◎
5.13 源氏、紫の君を盗み取る
君は大殿におはしけるに、例の、女君とみにも対面したまはず。ものむつかしくおぼえたまひて、あづまをすががきて、「常陸には田をこそ作れ」といふ歌を、声はいとなまめきて、すさびゐたまへり。
参りたれば、召し寄せてありさま問ひたまふ。しかしかなど聞こゆれば、口惜しう思して、「かの宮に渡りなば、わざと迎へ出でむも、好き好きしかるべし。幼き人を盗み出でたりと、もどきおひなむ。そのさきに、しばし、人にも口固めて、渡してむ」と思して、
「暁かしこにものせむ。車の装束さながら。随身一人二人仰せおきたれ」とのたまふ。うけたまはりて立ちぬ。
君、「いかにせまし。聞こえありて好きがましきやうなるべきこと。人のほどだにものを思ひ知り、女の心交はしけることと推し測られぬべくは、世の常なり。父宮の尋ね出でたまへらむも、はしたなう、すずろなるべきを」と、思し乱るれど、さて外してむはいと口惜しかべければ、まだ夜深う出でたまふ。
女君、例のしぶしぶに、心もとけずものしたまふ。
「かしこに、いとせちに見るべきことのはべるを思ひたまへ出でて、立ちかへり参り来なむ」とて、出でたまへば、さぶらふ人びとも知らざりけり。わが御方にて、御直衣などは たてまつる。惟光ばかりを馬に乗せておはしぬ。
門うちたたかせたまへば、心知らぬ者の開けたるに、御車をやをら引き入れさせて、大夫、妻戸を鳴らして、しはぶけば、少納言聞き知りて、出で来たり。
「ここに、おはします」と言へば、
「幼き人は、御殿籠もりてなむ。などか、いと夜深うは出でさせたまへる」と、もののたよりと思ひて言ふ。
「宮へ渡らせたまふべかなるを、そのさきに聞こえ置かむとてなむ」とのたまへば、
「何ごとにかはべらむ。いかにはかばかしき御答へ聞こえさせたまはむ」
とて、うち笑ひてゐたり。君、入りたまへば、いとかたはらいたく
「うちとけて、あやしき古人どものはべるに」と聞こえさす。
「まだ、おどろいたまはじな。いで、御目覚ましきこえむ。かかる朝霧を知らでは、寝るものか」
とて、入りたまへば、「」とも、え聞こえず。
君は何心もなく寝たまへるを、抱きおどろかしたまふに、おどろきて、宮の御迎へにおはしたると、寝おびれて思したり。
御髪かき繕ひなどしたまひて、
「いざ、たまへ。宮の御使にて参り来つるぞ」
とのたまふに、「あらざりけり」と、あきれて、恐ろしと思ひたれば、
「あな、心憂。まろも同じ人ぞ」
とて、かき抱きて出でたまへば、大輔、少納言など、「こは、いかに」と聞こゆ。
「ここには、常にもえ参らぬがおぼつかなければ、心やすき所にと聞こえしを、心憂く、渡りたまへるなれば、まして聞こえがたかべければ。人一人参られよかし」
とのたまへば、心あわたたしくて、
「今日は、いと便なくなむはべるべき。宮の渡らせたまはむには、いかさまにか聞こえやらむ。おのづから、ほど経て、さるべきにおはしまさば、ともかうもはべりなむを、いと思ひやりなきほどのことにはべれば、さぶらふ人びと苦しうはべるべし」と聞こゆれば、
「よし、後にも人は参りなむ」とて、御車寄せさせたまへば、あさましう、いかさまにと思ひあへり。
若君も、あやしと思して泣いたまふ。少納言、とどめきこえむかたなければ、昨夜縫ひし御衣どもひきさげて、自らもよろしき衣着かへて、乗りぬ。
二条院は近ければ、まだ明うもならぬほどにおはして、西のたいに御車寄せて下りたまふ。若君をば、いと軽らかにかき抱きて下ろしたまふ。
少納言、
「なほ、いと夢の心地しはべるを、いかにしはべるべきことにか」と、やすらへば
「そは、心ななり。御自ら渡したてまつりつれば、帰りなむとあらば、送りせむかし」
とのたまふに、笑ひて下りぬ。にはかに、あさましう、胸も静かならず。「宮の思しのたまはむこと、いかになり果てたまふべき御ありさまにか、とてもかくても、頼もしき人びとに後れたまへるがいみじさ」と思ふに、涙の止まらぬを、さすがにゆゆしければ、念じゐたり。
こなたは住みたまはぬ対なれば、御帳みちょうなどもなかりけり。惟光召して、御帳、御屏風みびょうぶなど、あたりあたり仕立てさせたまふ。御几帳みきちょう帷子かたびら引き下ろし、御座おましなどただひき繕ふばかりにてあれば、東の対に、御宿直物おんとのいもの召しに遣はして、大殿籠もりぬ。
若君は、いとむくつけく、いかにすることならむと、ふるはれたまへど、さすがに声立ててもえ泣きたまはず。
「少納言がもとに寝む」
とのたまふ声、いと若し。
「今は、さは大殿籠もるまじきぞよ」
と教へきこえたまへば、いとわびしくて泣き臥したまへり。乳母はうちも臥されず、ものもおぼえず起きゐたり。
明けゆくままに、見わたせば、御殿の造りざま、しつらひざま、さらにも言はず、庭の砂子も玉を重ねたらむやうに見えて、かかやく心地するに、はしたなく思ひゐたれど、こなたには女などもさぶらはざりけり。け疎き客人などの参る折節の方なりければ、男どもぞ御簾の外にありける。
かく、人迎へたまへりと、聞く人、「誰れならむ。おぼろけにはあらじ」と、ささめく。御手水みちょうず御粥おんかゆなど、こなたに参る。日高う寝起きたまひて、
「人なくて、悪しかめるを、さるべき人びと、夕づけてこそは迎へさせたまはめ」
とのたまひて、対に童女召しにつかはす。「小さき限り、ことさらに参れ」とありければ、いとをかしげにて、四人参りたり。
君は御衣おんぞにまとはれて臥したまへるを、せめて起こして、
「かう、心憂くなおはせそ。すずろなる人は、かうはありなむや。女は心柔らかなるなむよき」
など、今より教へきこえたまふ。
御容貌は、さし離れて見しよりも、清らにて、なつかしううち語らひつつ、をかしき絵、遊びものども取りに遣はして、見せたてまつり、御心につくことどもをしたまふ。
やうやう起きゐて見たまふに、鈍色にびいろのこまやかなるが、うち萎えたるどもを着て、何心なくうち笑みなどしてゐたまへるが、いとうつくしきに、我もうち笑まれて見たまふ。
東の対に渡りたまへるに、立ち出でて、庭の木立、池の方など覗きたまへば、霜枯れの前栽、絵に描けるやうにおもしろくて、見も知らぬ四位、五位こきまぜに、隙なう出で入りつつ、「げに、をかしき所かな」と思す。御屏風どもなど、いとをかしき絵を見つつ、慰めておはするもはかなしや。
君は、二、三日、内裏へも参りたまはで、この人をなつけ語らひきこえたまふ。やがて本にと思すにや、手習、絵などさまざまに書きつつ、見せたてまつりたまふ。いみじうをかしげに書き集めたまへり。「武蔵野と言へばかこたれぬ」と、紫の紙に書いたまへる墨つきの、いとことなるを取りて見ゐたまへり。すこし小さくて、
ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の
露分けわぶる草のゆかりを

とあり。
「いで、君も書いたまへ」とあれば、
「まだ、ようは書かず」
とて、見上げたまへるが、何心なくうつくしげなれば、うちほほ笑みて、
「よからねど、むげに書かぬこそ悪ろけれ。教へきこえむかし」
とのたまへば、うちそばみて書いたまふ手つき、筆とりたまへるさまの幼げなるも、らうたうのみおぼゆれば、心ながらあやしと思す。「書きそこなひつ」と恥ぢて隠したまふを、せめて見たまへば、
かこつべきゆゑを知らねばおぼつかな
いかなる草のゆかりなるらむ

と、いと若けれど、生ひ先見えて、ふくよかに書いたまへり。故尼君のにぞ似たりける。「今めかしき手本習はば、いとよう書いたまひてむ」と見たまふ。
ひひななど、わざと屋ども作り続けて、もろともに遊びつつ、こよなきもの思ひの紛らはしなり。
かのとまりにし人びと、宮渡りたまひて、尋ねきこえたまひけるに、聞こえやる方なくてぞ、わびあへりける。「しばし、人に知らせじ」と君ものたまひ、少納言も思ふことなれば、せちに口固めやりたり。ただ、「行方も知らず、少納言が率て隠しきこえたる」とのみ聞こえさするに、宮も言ふかひなう思して、「故尼君も、かしこに渡りたまはむことを、いとものしと思したりしことなれば、乳母の、いとさし過ぐしたる心ばせのあまり、おいらかに渡さむを、便なし、などは言はで、心にまかせ、率てはふらかしつるなめり」と、泣く泣く帰りたまひぬ。「もし、聞き出でたてまつらば、告げよ」とのたまふも、わづらはしく。僧都の御もとにも、尋ねきこえたまへど、あとはかなくてあたらしかりし御容貌など、恋しく悲しと思ったのであった。
北の方も、母君を憎しと思ひきこえたまひける心も失せて、わが心にまかせつべう思しけるに違ひぬるは、口惜しう思しけり。
やうやう人参り集りぬ。御遊びがたきの童女わらわべちごども、いとめづらかに今めかしき御ありさまどもなれば、思ふことなくて遊びあへり。
君は、男君のおはせずなどして、さうざうしき夕暮などばかりぞ、尼君を恋ひきこえたまひて、うち泣きなどしたまへど、宮をばことに思ひ出できこえたまはず。もとより見ならひきこえたまはでならひたまへれば、今はただこの後の親を、いみじう睦びまつはしきこえたまふ。 ものよりおはすれば、まづ出でむかひて、あはれにうち語らひ、御懐に入りゐて、いささか疎く恥づかしとも思ひたらず。 さるかたに、いみじうらうたきわざなりけり。
さかしら心あり、何くれとむつかしき筋になりぬればわが心地もすこし違ふふしも出で来やと、心おかれ、人も恨みがちに、思ひのほかのこと、おのづから出で来るを、いとをかしきもてあそびなり。女などはた、かばかりになれば、心やすくうちふるまひ、隔てなきさまに臥し起きなどは、えしもすまじきを、これは、いとさまかはりたるかしづきぐさなりと、思ほいためり。
源氏は左大臣邸にいて、例によって、葵の上はすぐには対面しようとしない。源氏はおもしくない思いで、東琴あずまごとをかきならして、「常陸には田をこそ作れ」という歌を、なまめかしい声で、すさびに歌った。
惟光が来たので、招じてあちらの様子を問う。しかじかと申し上げると、口惜しく思って、「あちらの宮に行ってしまえば、わざわざ迎えに行っても、好き者と言われる。幼い子を盗んだと非難されるだけだ。その前に、人の口止めして、連れて来よう」と思って、
「明け方にあちらに行こう。車の装束はそのままで。随身一二人来るように言っておけ」と仰る。惟光は承って辞した。
源氏は、「さて、どうしよう。世間に漏れたら、好き者のうわさが立つだろう。女に、物を思い知る一人前の分別もあり、女と情が通じてると想像するのは、世間に普通のことだ。父宮がこのことを知ったら、軽率な振舞いと見られよう」と思い乱れるが、この機会を逃したら、取り返しがつかないので、深夜のうちに出かけた。
葵の上は、例によって気が進まない様子で、ご機嫌が良くない。
「あちらに、ぜひともやらなければならない用事を思い出したので、すぐ戻ってくるから」と言って、出かけたので、侍女たちは出かけたのが気がつかなかった。源氏は自室で、直衣などをお召しになった。惟光だけ馬に乗せて出かけた。
邸に着いて、門を叩かせれば、事情の知らぬ者が開けて、車をゆっくり引き入れさせ、惟光が妻戸を鳴らして咳払いをすれば、少納言が聞き知って出てきた。
「源氏の君は、ここに来ております」と言えば、
「幼い人はお休みになっております。どうしてこんな夜更けにお寄りになりますか」と、ついでに寄ったと思って言う。
「父宮の所へ行ってしまうので、その前に言って置きたいことがある」と(源氏が)仰れば、
「どんな事でしょうか。姫君は、はきはきしたご返事を申し上げるでしょうよ」
と言って、笑った。源氏が廂に入ってきたので、少納言はあわてて、
「みっともない姿で、古女房たちがいますので」と申し上げる。
「まだ目覚めていないな。さあ、わたしが起こそう。こんな朝霧を知らないで寝込んでいるとは」
と言って帳台に入れば、「あれ」と制する間もない。
君は、無心に寝込んでいる姫君を抱き起こすと、姫君はおどろいて、父宮のお迎えが来たのだと、寝ぼけて思った。
源氏は髪をなでたりしながら、
「さあ、行きましょう。父宮の使いで参りました」
と源氏が仰ると、「父宮ではない」と、びっくりして、恐ろしくなり、
「ああ、残念だ。わたしも父宮と同じ人間だよ」
とて、抱いたまま出たので、惟光、少納言など、「これは、どうするつもりか」と言う。
「ここには、いつもは来られないので心配ですから、安心できる所にと申していたのに、残念にも宮邸へ行ってしまえば、さらに話もできなくなる。誰かひとりお供せよ」
と仰ると、少納言はあわただしくなり、
「今日は、特に都合が悪うございます。父宮がお越しになったら、どのように言ったものでしょう。自然と月日がたって、自ずからあるべき状態になるのでしたら、いいでしょうが、あまりに突然のことなので、ひかえている侍女たちも困るでしょう」と申し上げると、
「それなら、後からでも人を寄越しなさい」といって、車を寄せさせたので、驚き、どうしようと思った。
姫君も、不安になり泣いた。少納言は、止めることができないと見て、昨夜縫った衣などをひきさげて、見栄えのする着物に着替えて、車に乗った。
二条院は近かったので、まだ明るくなる前に着いて、西の対屋に車を寄せて降りた。姫君をいとも軽々と抱きかかえて下ろした。
少納言は、
「まだ夢を見ている気持ちがするのを、どうしたものだろう」と戸惑っていると、
「それは、あなた次第ですよ。姫君本人が来たのですから、お帰りとあればお送りしますよ」
と仰って、笑って降りた。あまりにも突然で、驚き、胸の動機も止まらない。「父宮がなんと思い仰るだろうか、姫君はどうなってしまうのだろう、ともかくも、頼みとなる人びとに先立たれたのが運のつき」と思うと涙が止まらず、さすがにはばかられて、堪えた。
こちらは住んでいない対屋なので、御帳なども置いてない。惟光を呼んで、御帳、御屏風など、あちこちから用意した。御几帳の帷子をおろし、御座などをすぐ使えるように用意して、東の対屋から寝具をもってきて、お休みになった。
姫君は、すごく気味が悪く、どうするのだろうと震えていたが、さすがに声を立てて泣くことはしなかった。
「少納言と寝る」
と言った声が、すごく幼い。
「今はもうそんな風におやすみできませんよ」
と教えさとしたので、わびしくなって泣き伏してしまった。乳母は横にもなれず、わけもわからず起きていた。
明けゆくにつれて、見わたせば、御殿の造りや造作の様子は言うに及ばず、庭の白砂も玉を重ねたように見えて、輝くような気持ちがするが、少納言は気後れしたが、こちらには女などは控えていなかった。稀にくる客が来たとき招じ入れる所なので、男どもが御簾の外に控えている。
こうして、女を迎えると聞いた邸の人たちは、「誰だろう。並みの人ではあるまい」とひそひそ話す。手水や粥などが運ばれてくる。日が高くなってから起きてきて、
「人手がなくて、不便だろうから、しかるべき人びとを、夕方に迎えに行きなさい」
と仰って、東の対屋に童女を呼びにやる。「小さい者だけ、来るように」と仰せになると、じつにかわいらしいのが、四人やって来た。
姫君は衣にくるまれて伏していたが、むりに起こして、
「もう、機嫌を直しなさい。並みの男はこんなに親切にしないぞ。女は素直なのがいいのだ」
などと、今から教えている。
姫君の容貌は、離れてみているより気品があって美しく、源氏はやさしく語らって、面白い絵や遊び物を取りに遣わせて、見せてあげて、姫君の気を引こうとする。
ようやく起きだしたのを見ると、濃い灰色の喪服で着なれたのを着て、無心に笑っている様が、すごく美しく、源氏もおのずと微笑んで見てしまうのであった。
源氏が東の対屋に行っている間、姫君は立ち出でて、庭の木立や池の方を見てみると、霜枯れの前菜など絵に描いたように面白く、見たこともない四位五位の人たちが交じって、ひまなく出入りし、「本当に面白い所だ」思う。屏風などの見事な絵を見ながら、楽しんでいるのも、何といっても子供だ。
源氏は二三日内裏にも参内せず、姫君をなつかせ、話をするのであった。やがて手本にでもと思ったのか、手習いや絵などいろいろ書いて、見せた。実に上手に書いてためていく。「武蔵野と言へばかこたれぬ」と、紫の紙に書いた墨つきの濃淡の、格別に見事なのを手にとって見ていた。少し小さい字で、
(源氏)「露を分け入っても逢いがたい武蔵野の
紫の草のゆかりのあなたには」
とあった。
「さあ、あなたもお書きなさい」と言えば、
「まだうまく書けません」
と言って見上げる様が、無心で美しく見えたので、源氏は微笑んで、
「下手だから、書かないのはもっといけないよ。教えてあげよう」
と仰ると、書く手つきや筆をとる様子が幼げであったが、ただむやみにかわいいとばかり思うので、自分の心ながら少しおかしいのではないか、と思った。「書きそこなった」と恥じて隠すのを、見ると、
(姫君)「わたしはどなたの草のゆかりなのでしょうか、
その故を知らないので不安です」
と幼いが、この先上達する筋も見えてきて、それは肉太に書いている。故尼君のによく似ている。「今めかした手本を習えば、きっと上手になるだろう」と見る。
雛なども、人形の家を作ったり、一緒に遊びながら、こよなき物思いをまぎらしていた。
あの尼君邸に残った人びとは、父宮が来て、尋ねることに、答えることができず、困り果てた。「しばし、人に言うな」と源氏にも言われて、少納言も同意しているので、口固めの伝言があった。ただ、「どこへ行ったか分かりません、少納言が連れ出して隠しました」とばかり言うので、父宮も仕方なく思い、「故尼君も、宮の本邸に引き渡すことに、いい返事をしなかったことを思い、乳母の出すぎた気性から、穏やかに渡すのは嫌です言わずに、自分だけの了見で連れ出して行方をくらましたのだ」 と、泣く泣く帰った。「もし、行方を聞き出したら、知らせよ」と仰るのも、女房たちにはわずらわしかった。僧都の元にも問い合わせしたが、手がかりはなく、姫君の惜しかった容貌などを思い出し宮は悲しく思った。
北の方も、母君を憎いと思った気持ちも消えて、自分の思い通りにできる思惑が外れて、口惜しく思った。
ようやく女房たちが集まってきた。遊び仲間の童女や稚児たちは、珍しい今風のしつらいに喜んで、思いっきり遊びあった。
姫君は、源氏が出かけて、ものさびしい夕暮れになると、尼君を慕って泣いたりしたが、父宮のことは特に思い出すこともなかった。もともと一緒に住んでいたわけではなく、いつも会っていたわけでもなく、今はこの新しい親に、すごく親しくつきまとっている。源氏が外出先からお帰りになれば、まず出迎えにでて、親しく語り合い、君の懐に入り込んできて、いささかも嫌がったり恥ずかしがったりしなかった。その点では、まこと可愛い相手だった。
女に、世間知がつき、夫婦間にも何かと面倒なことが生じるようになれば、夫の気持ちにも少し変化が出て、それを女が感じ、夫を恨みがちになって、思わぬ事態になったりするが、それを思うと、姫君はまったく手ごろな遊び相手であった。女もこの位になれば、気安くふるまったり、気にせずに一緒に寝起きするなど、決してしないものだが、まったく変わった秘蔵っ子だ、と思った。
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読書期間2017年4月29日 - 2017年7月8日