そのとき弥勒菩薩は、釈尊に問うた。
「世尊よ、もし人あってこの法華経を聴いて随喜すれば、その人にどのくらいのご利益がありますか」
釈尊は答えた。
「阿逸多
よ、わたしの入滅ののちに、男女の僧および在家のものたち、知恵あるもの、
または年長者及び幼きものが
この経を聞き終わって、随喜して聞いたことを、たとえば僧坊で、静かな処で、都で、巷で、村落で、父母に、親戚に、
また友人に、知識人に、自分の力に応じてこの法を説けば、それを聞いた人はまた他所に行って随喜して法を説き、
それを聞いた人がまた他所で随喜して法を説くとしよう。こうして順番に五十回に及んだとしよう。阿逸多よ、
この五十番目の人が随喜して聞いた功徳を教えよう。よく聴きなさい。
今、四十万阿僧祇
の世界があり、そのなかに六趣
、四生
の衆生がいる。
六種すなわち、地獄、餓鬼、畜生、
阿修羅、人間、天上界にいる衆生がおり、四生すなわち、卵生のもの、胎生のもの、湿生のもの、化生のものがいる。
また形のあるもの、形のないもの、良心のあるもの、良心のないもの、良心の呵責から離れた天の神々、天の神々にあらざるもの、
足のないもの、二足のもの、四足のもの、多足のものら、ありとあらゆる種類の衆生がいる。ある人、功徳を積むことを求めて、
好みにしたがって、あらゆる衆生の一人一人に、この世にある様々な宝玉、象や馬の車、七宝の宮殿を与えたとしよう。
この大いなる施主は、このような布施を続けて八十年に及んだ。そしてこう思ったのである。『衆生の好みに応じて布施してきたが、
齢八十を過ぎて、みな老衰し、白髪になり、顔に皺がより、死が近くなった。今度は仏法でこれらの衆生を導こう』こうして
大施主は衆生を教化し、瞬く間にことごとくの衆生をして阿羅漢果を得さしめた。
お前はどう思うか、この大施主の功徳は如何ばかりであろうか」
弥勒は、釈尊に答えた。
「世尊よ、衆生に好みのものを施すだけでも、その功徳は限りないものでしょう。まして阿羅漢果に導いたのですから」
釈尊は弥勒に告げた。
「わたしは今、はっきり言おう。この大施主の功徳は、五十番目の人が随喜して聞いた功徳に及ばないだろう。その
百分の一、千分の一、万分の一、百億分の一にも及ばないだろう。阿逸多よ、このように五十人の人びとがめぐりめぐって
法華経を聞いて随喜して得る功徳は、限りなく大きいのである。まして、最初に聞いて随喜したものの功徳にいたっては、
比べようもなく大きい。
また、阿逸多よ、もし人がこの経のために僧坊に行き、あるいは坐し、あるいは立って、片時でも聴けば、
この功徳により生まれ変わって、象、馬の美しい車を得て、天の宮に上るだろう。またもし人あって、法を講ずる処にあって
来る人に座を分かち、勧めて聴かせるならば、この人の功徳は生まれ変わって帝釈天や梵天や転輪聖王の座に坐ることになるだろう。
阿逸多よ、またもし人が、他人に法華経を勧めて一緒に聴きに行こうと言い、片時でも聴くことあれば、この人は
生まれ変わって陀羅尼を得た菩薩たちと一緒に住むようになるだろう。
この人は、転生して、賢く、智慧があり、目鼻立ちは美しく、
面差しには気品があるだろう。阿逸多よ、一人に勧めて行かせ法を聴かせる功徳は、このように大きいのである。まして、
熱心に聴き、説き、読み、誦し、しかも修行するものの功徳においてをや」
釈尊はこれらのことを、重ねて詩句をもって唱えた。
— 要約法華経 随喜功徳品第十八 完 —
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