末尾に(坂本)(岩本)とあるのは、『法華経(上)(中)(下)』坂本幸男・岩本裕訳 岩波文庫ワイド版の注からの引用です。
坂本氏は漢訳読み下しを担当し、岩本氏はサンスクリット原典からの訳を担当した。(中村)は『現代語訳法華経(上)(下)』
(中村瑞隆訳 春秋社)からの引用です。(中村元)とあるのは、『浄土三部経』中村元・早島鏡正・紀野一義訳注 岩波文庫ワイド版
からの引用です。その他の引用は、出典を付記しました。
阿逸多 あいった
アジタAjita。マイトレーヤ(弥勒)の別名。(岩本)
阿迦尼吨天 あかにたてん
akanisiha。色究竟と訳される。物質的制約を受ける最高の住処なるが故にこの名を得。
即ち色界の十八天中最高の天(世界)。(坂本)
仏教の世界観のよれば、世界は三種の世界に分かたれ、下から欲界Kamadhatu(食欲、淫欲、睡眠欲のあるものの世界)、
色界Rupadhatu(特殊な四種の瞑想を修めた者が死後に生まれる世界で、清浄で美妙な物質から成るとされる)、無色界
Arupyadhatuと名づけられる。これを一般に「三界(さんがい)」というが、この三者の中で無色界は特別な果報をえた者が
死後に生まれる世界であり、物質を超越した世界であるとされるから、この世界は存在(これを「有(う)」という)の
外にある世界と理解される。その故に、色界の最高にあるアカニシュタが存在するものの世界最高位にあるわけで、「有頂天」
とも呼ばれる。すなわち、われわれの概念からすれば「宇宙の頂」となる。
同書の口語訳では「宇宙の頂」と訳している。(岩本)
阿私仙 あしせん
阿私は法華玄賛(九本)に「無比という」と説かれている。正法華及び梵本にはこの名が
見えない。(坂本)
阿闍世王 あじゃせ
アジャータ・シャトゥルAjatasatru。マガダMagadha国(現在のビハール州南部)の
ビンビサーラBimbisara王とヴァイデーヒーVaidehi皇后の王子。前六世紀の後半に、隣辺の強敵コーサラKosala(現在のドアーブ
地域)・カーシーKasi(現在のベナーレス地域)両国を撃破し、またヴリジVrji国(現在のデリーおよびアーグラの西方地域)
を併合して、ヒンドゥスタン平原の覇者となった。仏典の記述によると、王は父王を獄死さすという非道な行いを敢えてしたが、
ブッダの説法を聴いて改心し、後半生には仏教の熱烈な保護者になったといわれる。漢訳仏典に『阿闍世王』というのは、
この王のことである。(岩本)
アジャータ・シャトゥルAjatasatruの音訳。訳して未生怨(みしょうおん)、異名を折指(Balaruci)という。『涅槃経』などの伝えによれば、
父王は王子のないのを心配し占師に尋ねたところ、ある仙人がやがて死んで王子として生まれるだろうと予言した。父王は仙人の死をまちきれず殺させた
ところが、王妃韋提希(いだいけ)はただちに懐妊した。占師は、いつかは生まれ出る王子すなわち阿闍世王が仇を報ずるだろうといったため、出産のとき
高楼から生み落して殺そうと夫婦が相談した。しかしながら、王子は手の指を折っただけで一命をとりとめたという。これは阿闍世王が父王を幽閉する
動機となったという。阿闍世王はブッダの晩年ごろ、マガダ国の王として権勢を振るった。ことに、サンガ(仏教教団)の破壊者として有名なデーヴァダッタ
(堤婆達多)にそそのかされたことは有名。パーリ文の『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)によれば、ヴァッジ族を滅亡させようと企てたが、
大臣ヴァッサカーラがブッダにより「衰亡を来さない七つの法」を守るヴァッジ族のすがたを説示され、思い止まったという(中村『ゴータマ・
ブッダ - 釈尊伝- 』参照)。大乗の『大般涅槃経』は、王が父を殺害したために、心に悔熱が生じ、それが原因で身体全体に瘡を生じ臭穢を発したが、
名医ジーヴァカ(耆婆・ぎば)に導かれてブッダの教えを仰ぎ、瘡癒えて菩提心を発(おこ)したという。親鸞は『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)
信巻末に右の記事を長々と引用し、謗大乗(ぼうだいじょう)・五逆罪・一闡堤(いっせんだい)の難治の機の代表として阿闍世王をあげ、
もって如来の大悲に背きつつある愚悪の凡夫の救われゆくすがたを暗示している。(中村)
阿僧祇劫 あそうぎこう
asamkhya-kalpa。阿僧祇は無数と訳され、非常に多い数の単位。倶舎論は第五十二桁の数の名
とす。劫は劫波の音写の略で、極めて長い時間を量る単位。「
劫」の項を参照。
(坂本)
阿那含 あなごん
原語アナーガーミン anagamin の音訳。阿羅漢(あらかん)より一段低い聖者の境地で、この聖者は欲界の
煩悩を断ちつくしていて、死後には色界、無色界に生じ欲界には二度と戻らない位であるから、不還(ふげん)・不来(ふらい)ともいう。
(中村)
阿㝹楼駄 あぬるだ・あどろだ
大谷派は「あどろだ」と読む。阿那律(あなりつ)などと漢訳する。ブッダの従弟。十大弟子の一人で天眼第一
といわれた。かってブッダの説法中、いねむりをして、なんのために出家したかとブッダに叱られた。以来、ブッダの面前では日夜眠らないことを誓い、
遂に眼病にかかり失明した。しかしながら、これによって、かれは天眼(知恵の眼)を獲得した。ある日、阿那律が衣を縫うべく針の穴に糸を通さんとして
難渋しているのを見たブッダが、代わって阿那律をたすけてやった話は有名である。(中村)
阿難陀 あなんだ
略して阿難(あなん)といい、十大弟子の一人で、多聞(たもん)第一と称せられる。ブッダの従弟であり、
ブッダの晩年二十五年間ブッダの侍者となってよく仕えた。ブッダの入滅の折、阿羅漢でなかったので、大迦葉らに励まされてさとりを開き、結集に参加して
経典の誦出を行った。(中村)
阿若憍陳如 あにゃきょうじんにょ
Ajnata-Kaundinya 阿若憍陳如と音写される。
「最初にブッダの教えを了解したカウンディヌヤ姓の男」の意で、ブッダが鹿野苑(ろくやおん)ではじめて教えを説いたとき、
最初に仏弟子となった五人の修行者の一人。仏典には、しばしば、「最初悟道梵行第一」とか「弟子第一上首」などと記されるが、
大乗仏典では次第に影の薄くなっていることが注目される。(岩本)
阿耨多羅三藐三菩提 あのくたらさんみゃくさんぼだい
アヌッタラ・サムヤク・サンボーディanuttara·samyaksambodhiの音訳で、
「無上正等正覚」と意訳され、真理において知らざるところなく、世間において無上なる仏の智慧をいう。(坂本)
阿耨多羅(anuttara)は無上、三藐(samyak)は正しく完全なもの、三菩提(sambodhi)は悟り。
この上なく正しいさとり。ほとけのさとりをあらわす言葉で、原語 anuttarasamyaksambodhi の音訳語。
無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)とも無上正遍道(むじょうしょうへんどう)などとも訳す。(中村)
阿鼻地獄 あびじごく
avici。無間(むげん)(無間地獄)、あるいは無救とも訳され、五逆(殺父、殺母、殺阿羅漢、出
仏心血:仏身を傷つける、破和合僧:教団を乱す)等の重罪を犯した者の堕る最下の地獄。(坂本)
阿弥陀 あみだ
梵本(チベット訳も同じ)は無量寿という如来・応供・正等覚者とする。玄奘訳は
「無量寿および無量光如来、応供、正等覚」とする。玄奘訳は阿弥陀仏の二大性格である無量寿と無量光(無限の時間と空間、
はかりなき慈悲と知恵をいう)を正しく出しているが、羅什訳は単に「無量」に当たる原語 Amita を音写して「阿弥陀」としたもののごとく、
以下本経では六方段の西方世界の一仏として無量寿仏の訳語を出すのみで、他はすべてこの語
を使っている。玄奘訳は以下すべて「無量寿」とする。(中村元)
阿羅漢 あらかん
原語はアルハットarhatで、元来は「世の人々の尊敬を受けるに値する者」の意である。
漢訳仏典では、一般に「阿羅漢」と音写される。小乗仏教においては「最高のさとりを得た者」を意味し、修行する者の
最高の理想とされ、従ってアルハットは仏教の僧としての修行の理想の段階である。また、如来(タターガタ)の十号
(十種の尊称)の一つで、その場合は仏に対する尊称である。なお、漢訳仏典に於いては、阿羅漢に三義があるとして、
応供・不生・殺賊の三つを挙げるが、「応供」は「供養を受けるに相応しい者」の意で、arhatの原義を一応表している
としても、「不生」は「さとりの世界に入って再び迷いの世界に生を受けない」という意味であり、「殺賊」に至っては
arhanの語源をari-han(「敵を殺す者」の意)とし、「煩悩という賊敵を殺した者」と解した牽強付会の説であり、いずれも
原語の意味に即したものではない。(岩本)
阿梨樹 ありじゅ
阿梨樹の枝。阿梨はarjakaの音写で蘭香と訳される樹の名。学名Ocimum Gratissimum。枝は
恐らくmanjari(花の集団あるいは房)の訳であろうか。道生の法華経疏は「此の樹の枝は地に堕つれば即ち破れて七分となる。
正法華には華菜を剖くと云へり」と説いている。(坂本)
阿練若 あれんにゃ
aranyaの音写で、山林、荒野、空閑処などと訳され、比丘が居住して修行する
に適当な人里離れた静かな場所をいう。(坂本)
韋提希 いだいけ
ヴァイデーヒーVaidehi。摩掲陀国Magadhaの頻婆娑羅王(びんばしゃら)Bimbisaraの后妃。(坂本)
ヴィーデーハ Videha の女という意味。普通ヴィーデーハ国の王女と解されている。嫁してビンビサーラ王の王妃となる。ただし若干の仏典によると、
ビンビサーラ王はコーサラ国から Madda という妃をめとり、その間にアジャータシャトル(阿闍世)が生まれたという。・・・(中村)
一切智 いっさいち
重要な言葉であると思われるが、そのものずばりの注がありません。これに関連した項目から
抜粋しました。(管理人)
一切種智:諸法の総相を知る声聞・縁覚の一切智と諸法の差別を知る菩薩の智とに対して、平等と差別とを合わせ知る
仏の智慧をいう。(坂本)
一切智・・・:真理を照らす空智は一切智。一切種の法に通達する一切種智は仏智。特別の意識を用いないで、自然に衆生
救済に赴く智は自然智。師無くして自覚による智であるから無師智という。(坂本)
一切智地:真実を知る智慧が基盤とするところの真理、すなわち実相をいう。(坂本)
一切を知る者:諸法の平等を知る一切智と差別を知る道種智と平等と差別を合わせて知る一切種智とを有する人。(坂本)
一切種智 いっさいしゅち
諸法の総相を知る声聞・縁覚の一切智と諸法の差別を知る菩薩の智に対して、平等と差別
とを合わせ知る仏の智慧をいう。
(坂本)
仏の有する智慧。三智の一つ。一切を知了する声聞・縁覚の一切智と、一切法の個別相を知了する菩薩の道種智とを
統合した仏の最高の智慧。(広辞苑)
一味 いちみ
同じ味。『妙法蓮華経』には、ここに該当する箇所に、「如来の説法は、一相、一味なり」
とあり、また後には、「雲より出ずる所の一味の水に、草木・叢林は分に随って潤いを受く」とか、また「大衆のために
甘露の浄法を説くに、その法は一味にして・・・」などと記され、ここから「一味」という語が生じた。「仏の説くところは、
場合に応じて、種々さまざまに説かれているが、その本旨は同じである」という意味であるが、転じて「味方」とか「同志」
の意。一味徒党ともいう。顔はそれぞれ異なっていても、中身(すなわち、「志」)は同じという意である。
(岩本)
一仏乗 いちぶつじょう
一乗、仏乗ともいい、一切衆生を平等に仏とならしむることを教える教法。(坂本)
有頂天 うちょうてん
アカニシュクAkanisthaの訳。仏教の世界観によれば、色界(物質界)の最高にありとされる天で、
「有頂天」といわれる。「有」とは物質のこと。(岩本)
優曇華 うどんげ
優曇は梵語ウドゥンバラudumbara(樹木の名)の音写の省略形。ウドゥンバラの樹の花は
三千年に一度ひらくといわれ、この花のひらくときには仏または転輪聖王が世に出現すると説かれた。優曇華はそのまま
「ウドゥンバラの樹の花」を意味するが、一般に優曇華でもって樹木の名と解し、「優曇華の花咲く・・・」などと言われる。
(岩本)
縁起 えんぎ
「縁起」paticca-samuppadaとは、釈尊の正覚の内容をいう述語である。釈尊がブッダ(Buddha、覚者)
と称せられるにふさわしい者となったのは、その正覚を成就したその時からのことであり、その正覚を源泉として、そこから、
仏教と称せられるもののことごとくが流れ出てくるのである。「縁起」とは「縁(よ)りて」(paticca=grounded on)ということばと、
「起こること」(samuppada=arising)ということばが結合して成った言葉である。つまり、なんらかの先行する条件があって生起する
こと、というほどの言葉であって、それを翻訳して中国の訳経者たちは」、「縁起」なる術語を造成したのである。それは、一切の
存在を関係性によって生成もしくは消滅するものとして捉える存在論である。(『阿含経典』第一巻、増谷文雄訳)
すべての存在は種々の条件(これを因縁(いんねん))という)によって、そのようなもの
として成立しているという教説。ブッダはこの教説を具体的に説明するために、この世に存在する者の生活を構成し規制する
要素を十二種とした。これを十二因縁または十二縁起といい、前項の四諦と並記して、四諦・十二因縁は根本仏教の最も基本的な
教義とされる。(岩本)
ブッダの世界観は「人生は苦なり」ということであったが、ブッダは人生の苦悩の第一の課題は老と死にあるとし、
ここから人間生存の基本的構造を明らかにしようとした。こうして、その根拠・理由を探り求めて、老死から次第に遡っていって、
遂に人間の根本的無知(無明(むみょう))に到達した。それを逆に組み立てて「十二縁起」の教説が成立した。(岩本)
(以下管理人追記)縁起の法は、釈迦の菩提樹下の悟りの内容そのものであり、おそらく仏教を理解するのに最も
根本的はものであろう思う。阿含経に繰り返し語られており、
縁と題された教説はその一つである。
また
汝のものにあらずという教説もおもしろい。
また初めから十二支に分析されたものでもないようです。
閻浮檀金 えんぶだ(ん)ごん
原語ジャンブーナダjambunada の音訳。閻浮樹(えんぶじゅ)の下を流れる河中に産出する砂金。紫金(しこん)
のこと。(中村)
王舎城の耆闍崛山・霊鷲山 おうしゃじょうのぎじゃくせん・りょうじゅせん
「王舎城すなわちラージャグリハ Rajagrha の中インドのマガダ国の首都。この都をとりまく峰のひとつが
耆闍崛山(霊鷲山・りょうじゅせん・ともいい Grdhrakuta の音訳)である。『無量寿経』や『法華経』もこの山を説法の会座(えざ)としている。
過去七仏 かこしちぶつ
ブッダはみずから教えを説くときにも「如来の説いた教え」という表現を用いる。(釈迦は
自分のことを指して「如来」という。イエスは自分を「人の子」というに類する。 管理人注)それは、「如来」(タターガタ
tathagata)という語が「そのように来た人」の意で、過去に理想像を描き、自分はその人のようにこの世に現われた者であるとし、
みずからを権威づけるための表現であった。そこから、過去仏の思想と信仰が生まれ、ブッダ以前に六仏が出たとするようになった。
すなわち、ヴィパシインVipasyin(毘婆尸仏 びばしぶつ)・シキンSikhin(尸棄仏 しきぶつ)・ヴィシュヴァ・ブジュ
Visvabhuj(毘舎浮仏 びしゃふぶつ)・クラカスンダKrakasunda(倶留孫仏 くるそんぶつ)・カナカムニKanakamuni(倶那含仏 くなごんぶつ)
・カーシャパKasyapa(迦葉仏 かしょうぶつ)の六仏で、これにシャーキャ・ムニSakya-muni(釈迦牟尼仏 しゃかむにぶつ)を加えて
一般に「過去七仏」という。
(岩本)
伽耶城 がやじょう
Gayaは現在ベンガル州パトナ市の西南六十マイルの地にある古代マガダ国の都城。付近の尼連禅河
Nairanjanaのほとりの菩提樹下で釈尊は成道した。(坂本)
Gaya。ビハール州南部にある町。ブッダはこの町の近郊においてさとりをえたと伝えられ、それにちなんでその地を
ブッダガヤBodhi Gayaという。現在、大塔が建立され、菩提樹が植えられている。(岩本)
迦留陀夷 かるだい
黒光、黒身などと訳す。カピラヴァストゥ国の大臣の子で、ブッダと同日に誕生したが、その容貌が悪いため
「黒きウダーイン」と名づけられたという。あるいは路上で毒蛇を切り、その毒気にあてられて身体が黒色に変じたから、その名を得たともいう。
のちに、ブッダ成道のとき、使者となってブッダを故郷に迎え、仏弟子となる。ブッダ在世中、しばしばayaは問題を起こして叱責されたラールダーイン
もウダーインと呼ばれ、迦留陀夷と混同して伝えられている。(中村)
憍曇弥 きょうどんみ
Gautamiの音写。釈迦族の瞿曇Gautama族の女の意味で、摩訶波闍波提 を指す。
(坂本)
憍梵波堤 きょうぼんはだい
牛主(ごしゅ)、牛相(ごそう)などと漢訳する。舎利弗を師とし、解律第一といわれる。
過去世の罪業によって五百生の間、牛身をうけ、今世に人間に生まれてもなおその余習を残したという。ブッダの入滅を聞いて、身を焼き入寂した。(中村)
鳩摩羅什 くまらじゅう
クマーラジーヴァ(Kumarajiva, 344- 413 または 409年)の音訳、略して羅什。
中央アジアの亀茲(きじ)(現名クッチャKucha)に生まれ、父はインド人の国師で、母は亀茲国の王妹であった。インドのカシミールやその他に
地方に遊学して、帰国後は盛んに大乗仏教を弘めた。前秦の符堅王が亀茲国を攻略したとき、請われて連れ出された。前秦が滅びると、姚秦の国王姚興に国師として
迎えられ、弘始3年(401年)12月に長安に入った。それ以後死ぬまでの12年間に、般若・法華・中論・大智度論など35部300余巻を漢訳した。その間、経典の
講読も行い、三論の学説を弘めたから、後世、三論宗の祖師と仰がれる。門下に三千人、なかでも道生(どうしょう)・僧肇(そうじょう)・道融(どうゆう)・
僧叡(そうえい)を関中(かんちゅう)の四傑と称する。(中村)
350年 インドの名門貴族出身でカシミール生まれの鳩摩炎(英語版)(サンスクリット:Kumārāyana)を父に、
亀茲国王の妹のジーヴァカ(サンスクリット:Jīva)を母として亀茲国に生まれる。
356年 母と共に出家。
360年代 原始経典や阿毘達磨仏教を学ぶ。
369年 受具し、須利耶蘇摩と出会って大乗に転向。主に中観派の論書を研究。
384年 亀茲国を攻略した後涼の呂光の捕虜となるも、軍師的位置にあって度々呂光を助ける。以降18年、呂光・呂纂の下、涼州で生活。
401年 後秦の姚興に迎えられて長安に移転。
402年 姚興の意向で女性を受け入れて(女犯)破戒し、還俗させられる。以降、サンスクリット経典の漢訳に従事。
409年 逝去。
臨終の直前に「我が所伝(訳した経典)が無謬ならば(間違いが無ければ)焚身ののちに舌焦爛せず」と言ったが、まさに外国の方法に随い火葬したところ、
薪滅し姿形なくして、ただ舌だけが焼け残ったといわれる(『高僧伝』巻2)。のちの玄奘と共に二大訳聖と言われる。また、真諦と不空金剛を含めて
四大訳経家とも呼ばれる。(from Wikipedia)
化生 けしょう
仏教では衆生の生まれ方に、母胎から生まれる胎生と、卵から生まれる卵生と、水気のある所から
生まれる湿生と、託する所無くして突如として生まれる化生との四種を説き、地獄或いは天上に生まれるものは、この化生の方法
によるという。(坂本)
現一切色身三昧 げんいっさいしきしんざんまい
sarvarupasamdarsanasamadhiの訳。普現色身三昧ともいい、一切衆生の形体を自由に現わす
ことのできる三昧。(坂本)
賢劫 けんごう
成、住、壊、空の四劫(しこう)の中の住劫の中で、過去の住劫を荘厳劫、未来の住劫を星宿劫、
現在の住劫を賢劫と名づける。これは二十中劫の間つづき、その中に千仏が現われるので、賢劫bhadrakalpaと名づけられる。
尚、異説がある。(坂本)
バドラ・カルパBhadra-kalpa。「賢劫」と訳され、過去七仏の中の(4)倶留孫仏、(5)倶那含仏、(6)迦葉仏、(7)釈迦牟尼仏、
の四仏と未来仏としての弥勒Maitreyaの五仏の出現する「劫」とされるが、また、千仏が出現すると記す経典もある。ここでは「将来、
九百九十六名の仏が現われるであろう」と記されるが、これは「弥勒を含めて将来現われる仏の数は、賢劫に出現すべき千仏の中から
過去四仏を差し引いた残り九百九十六名である」との意である。(岩本)
原典から岩本氏は次のように訳している。
「さらにまた、このバドラ・カルパにおいて、将来、九百九十六名の仏が現われるであろう。」
四劫については、
崩壊する地獄の
ページの説明が分かりやすい。(管理人)
極楽 ごくらく
『無量寿経』上巻によれば、法蔵菩薩が四十八願をたてて衆生の救済と浄土の建立を発願し、その修行が成就して、
みずから阿弥陀仏となり、建立した西方の極楽浄土に住して説法し続けていること、今に十劫であるという。極楽の原語 Sukhavati, 楽しみを有する者の意味。
楽有とか安楽、安養(あんにょう)などと訳す。梵本は「極楽という世界」(Sukhavati nama lokadhatub)とする。われわれの住む穢土(えど)における
苦・楽相対の楽ではなくして、浄土の楽とは絶対の楽をさすから、羅什訳も玄奘訳もみな極楽とする。この極楽は阿弥陀仏の浄土として十万億の諸仏の国土を
へだてて西方に存在し、かつ清浄華麗な具体的な相(すがた)を有する有相(うそう)の国土であるという点で、古来、善導の『観経疏(かんぎょうしょ)』
に基づいて、指方立相(しほうりっそう)の浄土とよぶ。かかる考え方から、極楽浄土を実在とみる浄土宗の立場が出てくる。一方、実在の浄土を信じつつも
表現としては、真理の具体的な象徴として極楽が説かれているのであって、それは有相的相対的表現をもって、無相的絶対的な真理を凡夫に信知させる
阿弥陀仏の善巧方便(ぜんぎょうほうべん)(大悲のはたらき)とする真宗の立場もある。(中村元)
劫 こう
カルパを音写した劫波の略。「長時」「分別」「時節」と訳される。上下四方とも四十里の城に
芥子粒を満たし、百年ごとに一粒を取り出し、すべての芥子を取り尽すに要する時間を一劫とし、芥子劫という。また、上下四方
四十里の大盤石を天人が天衣をもって百年に一度ずつ払拭して、その大盤石が摩滅し尽すに至る間を一劫とし、盤石劫というのである。
劫には小・中・大がある。(1)小劫:上述のように四十里四方の城と石をもって表されたのが小劫。(2)中劫:八十里四方の城と石。
(3)大劫:百二十里四方の城と石をもって表される。(中村)
カルパkalpa。空想的な時間を単位とする期間。ヒンドゥ教の世界観では、人間の四十三億二千万年を一カルパとするが、
仏教徒の間では単に「想像も計算も超越した極めて長い期間」という漠然とした概念を示す。(岩本)
五濁の世 ごじょく
末法において発生する社会的・精神的・生理的な五種の禍悪を五濁という。すなわち(1)劫濁
kalpa-kasaya (この時代に生ずる天災・人災をいう)、(2)見濁drsti-kasaya (種々の邪悪な思想が栄えること)、(3)
煩悩濁klesa-kasaya (種々の精神的な悪徳が栄えること)(4)衆生濁sattva-kasaya(心身両面において人間の資質の低下すること)、
(5)命濁ayus-kasaya(人間の寿命が短くなること)の五種をいう。(岩本)
三悪趣 さんあくしゅ
次にでる三悪道と同じ。地獄・餓鬼・畜生の悪処。(中村)
三界 さんがい
衆生の生存する全世界のこと。これは三種に分かれる。第一は婬・食のニ欲を有する衆生の住所
である欲界。第二は二欲を離れても、尚、物質の制約を受ける者の住所である色界。第三は物質の制約を受けない精神的存在者
の住所である無色界である。(坂本)
traidhatuka。仏教の世界観によれば、世界は三種の世界に分かたれ、下から欲界Kamadhatu(貪欲、
婬欲、睡眠欲のあるものの世界)、色界Rupadhatu(特殊な四種の瞑想を修めた者が死後に生まれる世界で、清浄で美妙な物質から成る
とされる)、無色界Arupyadhatuと名づけられる。これを一般に「三界」というが、この三者の中で無色界は特別な果報をえた者が
死後に生まれる世界であり、物質を超越した世界であるとされるから、この世界は存在(これを「有(う)」という)の外にある
世界と理解される。(岩本)
三乗 さんじょう
声聞(しょうもん)乗と辟師仏(びゃくしぶつ)乗と菩薩乗とを指す。
阿羅漢、辟師仏、菩薩(或いは仏)の各々の智慧(悟り)に到達するための乗物、すなわち経で、一般には初の二を小乗といい、
後の一を大乗という。これに対してすべての人に皆仏の智慧を得せしめる経を一乗、或いは一仏乗という。(坂本)
菩薩が乗る「偉大な乗物」(マハー・ヤーナ、すなわち「大乗」)と、仏弟子たちが乗る「声聞の乗物」
(シュラーヴァカ・ヤーナ、すなわち「声聞乗」)と、独覚の乗る「独覚の乗物」(プラティエーカ・ヤーナ、すなわち
「独覚乗」または「縁覚乗」この二つを辟師仏乗と称する)の三乗をいう。(岩本)
三千大千世界 さんぜんだいせんせかい
トゥリ・サーハスラ・マハー・サーハスラ・ローカダートゥTrisahasramahasahasra-lokadhatuの訳。
仏教の世界観の用語で、「ありとあらゆる世界」の意。三千はあらゆるものの総称。大千世界については、教典の記述によれば
「須弥山(しゅみせん)」を中心に、日・月・四大州・四大海・欲界の六天などを含めた広大な範囲を一世界とし、その一千倍
を小千世界、さらに小千世界の一千倍を中千世界、さらに中千世界の一千倍を大千世界という」と記される。想像もできない
ような広大な範囲を表現した語である。(岩本)
三昧 ざんまい
三昧はsamadhiの音写で、「心をただ一つの対象に集中して、心が散り乱れるのを防ぎ、心が
安らかで静かな状態」を意味する。そして、心がこの状態に達したとき、正しい智慧がおこり、真理をさとることができる
と説かれた。仏典の記述によると、仏は随時に三昧に入り、三昧から立ち上がると、新しい教えを説くとされる。大乗仏典では
実に数百にのぼる種々の三昧が説かれており、しかもそのシテュエイションに従って、それぞれの三昧に名前がつけられている。
例えば、『法華経』巻一には無量義処三昧の名を挙げ、『華厳経』巻六などには華厳三昧・海印三昧・獅子奮迅三昧などが
説かれる。さらに、経典の名に三昧をつけたものがあらわれた。『般舟(はんじゅ)三昧経』とか『首 厳(しゅりょうごん)三昧経』
などがそれで、経名に示す三昧について詳しく説いている。(岩本)
四生 ししょう
生物をその生まれ方ににより分類したもので、卵生、胎生、湿生、化生(けしょう)といい、
「四生」と総称する。「卵生」は卵から生まれた鳥、・蛇・魚の類、「胎生」は人間および獣の類、「湿生」とは
蚊・蛾・蛆虫の類、「化生」とは天人・地獄の鬼などの類をいう。(岩本)
舎衛城の 祇樹給孤独園 しゃえいじょうのぎじゅぎっこどくおん
ブッダ在世時代、憍薩羅(カウシャラ kausala)国の首都舎衛は、他の都市同様、城壁で囲まれていたから、
舎衛城と音写されているが、いま羅什は国名を省いたので舎衛国としたと考えられる。舎衛城は北インド第一の繁栄を誇っていた。周囲三マイル余
の城壁の南側に接して、祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)がある。現在は、いずれも荒廃に帰し、練瓦の礎石を残すのみである。バルランプール駅
から西に十一マイルの地点にあり、舎衛城と祇樹給孤独園を一括して、サヘート・マヘートと呼んでいる。祇樹給孤独園は略して祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)
といい、ブッダ在世中、舎衛城にすむスダッタ(須達多)という資産者が王舎城に商用で旅行したとき、ブッダの教えを聞いて帰依し、自国への
招待を申し出るとともに、精舎の寄進を約束した。舎衛城に戻った長者はプラセーナジット王(波斯匿王)の太子ジェータの所有する園林(Jetavana, 祇陀林、
略して祇園)を買い取った。そのとき、太子がなかなか手放さないので園林に金貨を敷きつめて買ったという話は有名である。そして、ここに精舎を建て、
仏弟子たちの止宿を願った。スダッタ(よく施した人の意)長者は慈善の心に富んでいたから、世人はかれを「孤独な人々に食を給する人」(給孤独長者)
とも呼んだ。その後、ブッダは二十四回の雨安居(うあんご)をここで過ごされ、プラセーナジット王を初め多くの人々を教化し、諸堂も次々と建てられた。
今日、ここを訪れる者は、往時の繁栄を偲ぶには余りにも荒れ果てた姿に驚くことであろう。「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」の平家物語の一節を
思い出すことである。(中村)
沙弥 しゃみ
sramaneraの音写。悪を息め慈を行い涅槃を求めるものという意味の「息慈」、或は「求寂」
と意訳される。出家して十戒を持ち、具足戒を受けるまでの男子をいう。今、王子は童子で未だ具足戒を受け得る年齢に達していない
からである。(坂本)
娑婆 しゃば
saha。サハーとは元来は「大地」を意味するが、「世界」lokadhatuという語とともに用いられて
「人間の住む世界」を意味する。わが国で一般に「しゃば」と読まれて特殊な意味に用いられる「娑婆」はこの語の音写と
される。(岩本)
舎利弗 しゃりほつ
Sariputra, パーリー語名 Sariputta 舎利子とも訳す。・・・ブッダの十大弟子の一人で、知恵第一といわれる。王舎城外にすむ
バラモンの子に生まれ、六師外道の一人サンジャヤの弟子となったが親友摩訶目犍連(目連)をさそってサンジャヤの徒二百五十人とともにブッダに帰依した。
ブッダの入滅に先立って死んだ。目連とならんでブッダの上足に二大弟子。(中村)
周利槃陀伽 しゅりはんだか
周利槃特(しゅりはんどく)などと音写し、小路と訳す。兄をマハーパンダカ(大路)といい、
道路で産みおとされたから、その名を得た。兄が出家して阿羅漢となってから、すすめられて弟のかれも仏門に入ったが、生来愚鈍のため、
一詩句を四ヶ月かかっても覚えられなかった。兄はかれを教団から逐って還俗(げんぞく)させようとした。ブッダは涙にくれた周利槃陀伽をはげまし、
白布をなでてそれがすぐに汚れてくるのを示して、無上の理を知らしめ、遂に暗愚のかれをして阿羅漢果に達せしめられた。一説では、革履
の塵を掃除せしめて、やがて自身の心中の汚れを捨離することを思い至らせたともいう。(中村)
正法と像法 しょうほう ぞうほう
正法。正しい教法。一般には正・像・末の三時の一で、仏滅後五百年、或いは千年の間、正しい
教法と修行と証りとが具わり、成仏するもののある時期と言われる。
像法。像は似の意。一般には正法の世が過ぎて、五百年、或いは千年の間は正法に似た教法が世に行われるために像法と名づく。
教法と修行とはあるが、如実の修行がないために証る者なし。
(坂本)
像法。仏教で、正法に似た仏法のことをいう。「像」とは「似」の意味である。
また、釈迦の入滅後の500年から1,000年の間(又は1000年から2000年の間)の時期のことをいう。
前の時代を正法、後の時代を末法という。正・像・末の三時のひとつである。像法の時代には、仏法と修行者は存在するが、
この時代には、悟りを開く者は存在しないとされる。また、日本では、1051年(永承6年)で像法の時代が終了したとされ、
その年限の接近に従って、次第に末法の世の到来への危機意識が高まることとなった。
三時の数え方には諸説あり。一説には、
正法500年、
像法1,000年、
末法10,000年、
とされており、多くは、この説をとっている。(はてなダイアリー)
授記 じゅき
vyakarana。仏が弟子達に将来成仏するであろうと予言を与えること。記別に同じ。(坂本)
四諦 したい
チャトゥル・アーリヤ・サトヤcatur-arya-satyaの訳。漢訳では「四諦」あるいは
「四聖諦(ししょうたい)」と訳される。仏教の根本的教義の大綱をまとめたもので、苦(duhkha)、集(duhkha-samudaya)、
滅(duhkha-nirodha)、道(duhkha-nirodhagamini)の四者である。(岩本)
仏成道後の最初の説法と伝えられる仏教の根本の教である苦集滅道(く、じゅう、めつ、どう)の四つの真理。
(1)苦諦とは現実世界を指し、現実世界は無常なるが故に苦とせられる。(2)集諦とは苦である現実世界を生起せしめる
原因をいい、主として煩悩・業を指す。(3)滅諦とは煩悩・業を滅して無常苦を離れた安穏な涅槃をいい、(4)道諦とは涅槃に
達する方法としての八正道をいう。苦集は迷の果と因、滅道は悟の果と因である。後世では四諦を説くを小乗とし、これによって
悟るものを声聞(しょうもん)と名づけた。(坂本)
衆生 しゅじょう
サットヴァsattva。「この世に存在する者」の意。一切の生物。(岩本)
声聞 しょうもん
シュラーヴァカsravaka。「教えを聴聞する者」の義。もとはブッダ在世中の弟子をさした。
大乗経典では一般に「小乗の信奉者」を貶(けな)して指す。(岩本)
声聞とは、もともと釈尊の説法の音声をじかに聞いた仏弟子、信者たちのことを指して言った。彼らは迷いの三界を解脱する
ために、あらゆる煩悩を滅尽した寂静の境地である涅槃を得ることをめざして、釈尊の説かれた苦滅の道である「四つの聖なる
真理—四諦(したい)または四聖諦(ししょうたい)」の実践に努め励んだ。しかし後には、「四聖諦」の実践に励み、
煩悩を絶ち尽くす自己修行のみに精進する者すべてを声聞というようになる。(中村)
善男子 ぜんなんし
クラ・プトラkulaputraの訳。「良家の息子」。「良家の娘」は同じくクラ・プトリーkulaputrl。
『妙法華』では「善男子(ぜんなんし)」「善女人(ぜんにょにん)」と訳し、『正法華』では「族姓子」と訳す。ブッダが
ベナーレス郊外の鹿野苑で最初の説法をしたとき、「良家の息子を誘って出家させ・・・」という言葉を述べており、またそののち
ベナーレスの富豪の息子ヤサを出家させたのち、富豪、名門、良家の子弟を数多く出家させたようである。仏典を見ると、ブッダが
弟子たちを呼びかけるとき、「僧たちよ」と言う場合とならんで、「善男子(良家の息子)らよ」と呼びかける場合が多い。
本経にも、仏は求法者(菩薩)たちにこの言葉で呼びかけている。これはブッダが弟子たちや求法者たちをおだてて言っている
言葉ではなく、ブッダの教団の構成から見るとき、仏弟子の多くが実際に良家の子弟であったからこそ、このように呼んだと
考えられる。(『仏教入門』参照)(岩本)
旋陀羅尼 せんだらに
教法を円満に具足して出没無碍なる念慧をいう。天台ではこれを空観に配する。(坂本)
遠心力により比重を異にするものを分離させるように、旋転して数多くの煩悩を分離させ、仏の徳を顕揚しようとする
精神力をいう。陀羅尼ダラーニdharaniを念力と訳す。「幾千万億回も回る念力を得た」(岩本)
「百千億那由他回も回転する陀羅尼(旋陀羅尼)を得た」(中村)
「百千万億・無量の教えを円満にそなえて自由自在な能力を得た」(三枝)
つぎに、また非常に多くの菩薩摩訶薩が、無量無限の「旋陀羅尼を得」るとあります。「旋」というのは「めぐらす」
という意味で、悪を止め善をすすめる力(陀羅尼)を、太郎から次郎へ、次郎から三郎へ、三郎から花子へと、無限にめぐり
伝えるその大本になる力を得られるということです。無数の菩薩が、こういう無限に延びひろがる布教・伝道の原動力になることが
できるというのですから、じつにたいへんな功徳といわなければなりません。(庭野)
私には意味不明語に思われる。(管理人)
提婆達多 だいばだった
Devadattaの音写。天授と意訳され、仏の従兄で、青年時代から仏の競争者であった。
仏の弟子となったが、仏に代わって僧団を指導せんとして許されず、遂に五百人の弟子を率いて伽耶(Gaya)山に住み、
厳格な五戒を制定した。阿闍世(あじゃせ)太子をそそのかして頻婆沙羅(びんびさら)王を殺さしめ、或いは大石を投じて
仏足を傷つけ、又蓮華色比丘尼を殺し、更に自ら毒を十指の爪に盛り仏を害せんとしたが、却って生きながら地獄に堕ちたと
伝えられる。本品は以上のような悪行の提婆達多と、障り多き竜女とが法華経受持の功徳によって成仏することを説く章である。
正法華ではこの品を梵志品と名づけ、添品法華は梵本と同じく見宝塔品の後半としている。(坂本)
デーヴァダッタDevadatta。パーリ語文献ではブッダの太子時代の妃の弟と記され、漢訳仏典ではブッダの従弟で、
阿難(アーナンダ)尊者の兄であるとされ、所伝が一致しないが、ブッダの近親者として教団内で重きをなしていたと思われる。
ブッダの晩年に五ケ条の教団改革案(所伝により内容に出入りあり)をかかげてブッダに反逆したことから、教団を分裂させた
極悪な人間として、さまざまなエピソードが生まれた。しかし、その教団改革案は今日に伝えられているかぎりでは、むしろ
教団に属する人々の生活を厳格に規制しようとした粛正案であり、デーヴァダッタの改革案は教団を本来の姿に立ちかえらせようと
したものであることが知られる。従って、デーヴァダッタの思想を継承する一派は細々ながらもかなり後代まで存続したのであって、
五世紀の法顕(ほっけん)も七世紀における玄奘(げんじょう)も、そのインド旅行記の中に、東インドにデーヴァダッタの
教団が存在したことを記し、特殊な礼拝形式を保ち特殊な戒律を遵奉していたことを伝える。本経におけるブッダとデーヴァダッタ
との関係は他の経典と全く異なり、極めて親密であるが、このことは『法華経』の成立がデーヴァダッタの教団と親密な間柄の
教団(または教派)においてであり、その結果、このような背景の下に成立した本章が、後に『法華経』に組み入れられた
と考えられる。(岩本)
帝釈天 たいしゃくてん
Sakra devanam indra サックロを釈と音訳したものに、デヴァーナームを天と意訳して後部に付け足し、
インドラを帝と意訳して冠したもの(ウィキペデアから)。須弥山の頂にある情利天(とうりてん)の主。(坂本)
四天王などを配下とし、天界を治めている。注、情の左偏は刀、fontが無いための代替。
帝釈天の瓶 たいしゃくてんのかめ
帝釈天の所持する宝瓶。求めに応じていかなるものでも湧き出るという瓶。(中村)
大乗と小乗 だいじょう しょうじょう
「大乗」は梵語マハー・ヤーナMahayanaの訳で、マハーとヤーナの二語の複合語である。マハーは
まず第一に、物理的に「大きい」という意味であり、第二には「立派な」とか「素晴らしい」とか「豪奢な」という意味である。
すなわち、具体的な意味と抽象的な意味の二つの場合が考えられるが、「大乗」という場合、そのいずれに該当するのであろうか。
「大乗」と対比される「小乗」という語のあることは、周知の事実である。これは梵語ヒーナ・ヤーナHinayanaの訳であるので、
マハー・ヤーナのマハーはヒーナ・ヤーナのヒーナに対応して理解されねばならない。ところで、ヒーナという語は元来「捨てられた」
とか「脇に置かれた」という意味で、それから転じて「劣っている」とか「粗悪な」とか、あるいは「下等な」という意味を持つ語
であって、ヒーナ・ヤーナの訳語「小乗」の「小」から考えられる「小さい」という意味はない。したがって、この意味のヒーナに
対応するマハーという語は、当然に「立派な」という意味に解釈されるべきである。
次に、ヤーナという語は「乗」と漢訳されているが、いうまでもなく「乗物」という意味である。大乗・小乗という場合の
「乗」は、一般に「さとりの彼岸に渡るための乗物」と説明され、彼岸という言葉に引きずられて船を連想しがちであるが、ヤーナ
という語は「車」もしくは交通機関としての馬・駱駝などの獣畜を意味して、「船」を意味することはない。
よく知られているように『法華経』譬喩品第三における記事を見ると、大乗は牛の車で、小乗は鹿の車もしくは羊の車
であるというほどの差しか認めていない。それと同時に、ヒーナ・ヤーナという語も、それほど悪い意味には用いられていない。
『法華経』方便品第二に、
仏たちは劣悪な乗物で人々を導くことはない。
と記されているに過ぎない。この箇所に対応する『妙法華』方便品第二では、
唯、一乗の法のみありて、二も無く、亦、三も無し。仏の方便の説をば除く。
と訳され、ヒーナ・-ヤーナとは「仏の方便の説」と理解されているのである。
したがって、大乗と小乗との対象といっても、「大」と「小」という字から感ぜられるような対立ではないことが知られる。
それでは、この二者の関係をどのように理解したらよいかというと、わたしは現代的な言葉で表現すれば、小乗が保守的であるのに対し、
大乗は進歩派であると考えたならば、一番わかり易いのではないかと思う。
・・・(岩本)
陀羅尼 だらに
陀羅尼 (だらに)、梵名ダーラニー (dhaaraNii)とは、仏教において用いられる呪文の一種で、
比較的長いものをいう。通常は訳さず(不翻)サンスクリット語原文を漢字に音写したものを唱える。
意訳して総持、能持、能遮等ともいう。ダーラニーとは「記憶して忘れない」という意味で、本来は仏教修行者が覚える
べき教えや作法などを指した。 やがてこれが転じて「暗記されるべき呪文」と解釈される様になり、一定の形式を満たす
呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった。
本来、陀羅尼は暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事を目的とした。
「能遮」という意訳は雑念妄想を「能く遮る」という意味である。その構成は、多くの場合まず仏や三宝などに帰依する
事を宣言する句で始まり、次にタド・ヤター(『即ち、この尊の肝心の句を示せば以下の通り』の意味。
一般には『タニャター』『トニヤト』『トジト』等と音写される)と続き、本文に入る。本文は多くの場合、神や仏、
菩薩や仏頂尊などへの呼びかけや賛嘆、願い事を意味する動詞の命令形等で、思想上あまり深い意味は無い。
そして最後に成功を祈る聖句「スヴァーハー」(『ソワカ』『ソモコ』等と音写される)で終わる。
陀羅尼の本文が意味希薄な言葉なのは、これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、
あまり具体的な意味のある言葉だと日常的な連想が働いて却って雑念を呼び起こしてしまうからである。
しかしそのあまりに神秘的な響きから、やがてこれを唱えたり書写したり、また暗記する事で様々な霊験が現れるという信仰が生まれた。
(ウィキペディアから)
得大勢菩薩 とくだいせいぼさつ
Mahasthamapraptaの訳で、大勢至とも訳され、極楽世界の智慧第一の菩薩で、阿弥陀仏の弟子
とせられる。(坂本)
兜率天 とそつてん
Tusitaの音写。欲界の六天の中、上から三番目の天で、この天に弥勒菩薩が住するといわれる。(坂本)
那由他 なゆた
nayutaの音写。数の一千億を指す。その他、一兆或いは十万の五乗を掛けた数を指すという
説がある。(坂本)
難陀 なんだ
ブッダの異母弟。ブッダ出家後のカピラヴァストゥ(Kapilavastu 迦毘羅衛)国の皇太子となった。摩耶夫人(まやぶにん)
の妹であるマハープラジャーパティーの子。ブッダが成道ののち、初めて故国に帰った第三日目、難陀の結婚式であったが、ブッダは強いて出家せしめた。
かれはスンダラーナンダ(美わしき難陀)とも呼ばれ、容姿端麗にして、ブッダと見間違えるほどであったが、生来、愛欲の心が強く、比丘となった難陀は
それを自制するのに苦心した。ブッダはかれを諸根調伏(しょこんちょうぶく)第一と賞(め)でた。(中村)
如意宝珠 にょいほうじゅ
チンターマニ cintaamaNiとは、仏教において様々な霊験を表すとされる宝の珠のこと。サンスクリット語でチンターとは「思考」、
マニは「珠」を指す言葉で、「意のままに様々な願いをかなえる宝」という意味である。如意宝、如意珠、または単に宝珠(ほうじゅ、ほうしゅ)とも呼ばれる。
日本では一般的に、下部が球形で上部が円錐形に尖った形で表されるが、チベット仏教の宗教画などでは円柱形で上部が円錐形に尖った細長い形で描かれる。
また、3つの宝珠が積み重なり(一般には下に2個横に並び、その上に1個乗った形)一つの火炎に包まれた物もあり、これは三弁宝珠と呼ばれる。
仏や仏の教えの象徴とされ、地蔵菩薩や虚空蔵菩薩、如意輪観音をはじめとする仏の持物、三昧耶形とされる。無限の価値を持つものと信じられ、
増益の現世利益を祈る対象となる。通常、仏塔の相輪の最上部に取り付けられ、そのほかの仏堂の頂上に置かれることもある。
また、橋の欄干など寺院以外の建造物の装飾として取り付けられる擬宝珠はこれを模したものとする説がある。(Wikipedia)
如来 にょらい
タターガタtathagata。「そのように来た人」の意。古来「如来(にょらい)」と訳され、本訳
に於いても便宜上この訳語を用いた。理想化された過去仏のように「この世に現われた人」を意味し、歴史上のブッダすなわち
シャーキヤ・ムニに対する尊称であったが、後には仏の観念が拡大されたのに伴い、すべての仏に対する尊称となった。(岩本)
涅槃 ねはん
ニルヴァーナnirvana。元来「吹き消された」、「消えた」を意味する語で、仏教では
「燃えさかる欲望の火焔を完全に消滅して、さとりの智慧に入ることを完成した境地」とされ、仏教の究極的な実践目的である。
小乗仏教ではニルヴァーナ(涅槃、さとりの境地)に二種ありとして、肉体がこの世にあるまま、さとりの境地に到達した
場合を有余涅槃(うよねはん)といい、心・身を完全に滅した(すなわち死亡した)場合を無余涅槃(むよねはん)という。
(岩本)
薄拘羅 はっくら
出家して少欲知足の簡素な生活をなし、無病にして長寿を保ったから、長寿第一といわれる。
ブッダ成道の以前コーサンビー国の資産者の家に生まれ、ある日、ヤムナー河に水浴中、大魚に呑まれた。その魚がベナレスの長者の妻に買われて、かれは
不思議に救われた。そこで二人の婦人がたがいに自分の子であると王に訴え、王は両家共有の子であると裁定したから、Ba-kula と呼ばれたという。
(中村)
波羅蜜 はらみつ
六波羅蜜。菩薩がこれを実践して、悟りに到達すべき六種の修行の徳目で、
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧をいう。因みに波羅蜜とはparamitaの音写で、到彼岸、事究竟などと訳され、
ものごとが完成した状態を表す言葉である。(坂本)
paramitaの音写。「迷いの世界から、さとりの彼岸(param)到達した状態」を意味する。
「到彼岸」「度」などと訳される。大乗仏教における最も重要な術語の一つで、菩薩が実践修行すべき行為として、一般に
「布施(ふせ)」dana(物質的・精神的なめぐみ)、「持戒(じかい)」sila(仏教的な実践の根本となる行為を守ること)、
「忍辱(にんにく)」ksanti(完全な忍耐)、「精進(しょうじん)」virya(ひたむきにつとめ励むこと)、「禅定(ぜんじょう)」
dhyana(心を一つの対象に専ら注ぐこと)、「智慧(ちえ)」prajna(すべての道理を明らかに見ぬく深い智慧)の六種を挙げて
六波羅蜜という(岩本)
般若は智慧の意味。(管理人)
辟支仏 びゃくしぶつ
プラティエーカ・ブッダpratyekabuddhaの音写。「各自にさとった者」の意。「独覚」と訳され、
またプラティヤヤ・ブッダpratyayabuddhaと同義とされ「縁覚(えんがく)」とも訳される。「仏の指導によらないで独りで悟り、
孤独の生活をして、人に説法をしたり教化したりしない聖者」とされ、大乗経典ではしばしばシュラーヴァカ(小乗の信奉者)
とボーディ・サットヴァ(大乗の信奉者)の中間に置かれる。
恐らくは、仏教のなかの異端者で、信者などのない孤立した人を指したものと思われる。しかし、それに関する資料は
全くなく、当時のインド社会における意義は全く不明である。(岩本)
賓頭盧頗羅堕 びんずるはらだ
ブッダの弟子中、獅子吼(ししく)第一といわれたが、しばしば神通力(じんずうりき)をもてあそんだため、
ブッダの叱責をうけた。そのため南インドの摩利山に住し、仏滅後の衆生を済度することを命ぜられた。それで、在世の阿羅漢ともいわれる。
わが国では、この像を伽藍(がらん)の前に安置し、これを撫でて悪病を除く俗信がある。(中村)
富楼那 ふるな
満願子(まんがんじ)ともいう。ブッダの十大弟子の一人で、説法第一と称せられた。(中村)
菩薩 ぼさつ
ボーディ・サットヴァbodhisattvaの音写で、「覚り」(bodhi)と「衆生」(sattva)の合成語。
「覚りを求める人」)
と「悟りを具えた人」の二つの意味で呼ばれる。(ウィキペディア)
「さとり(bodhi)を求めて、宗教的な実践を修行し、他の人々を精神的に救済することによって
恩恵を与え、その功徳により未来において仏のさとりをひらこうとする者」の意。この場合、将来仏になることが予定されている。
後に、大乗仏教が展開すると、ボーディ・サットヴァとは特に「大乗の修行者」を指し、本書では「求法者」と訳した。
なお、仏教に於ける神観の展開に伴って、ある特定のボーディ・サットヴァが出現し、固定した。文殊菩薩、
観世音菩薩などがそれである。また、後には竜樹、世親のごとき教学の巨匠を尊んで「菩薩」と呼んでいる。(岩本)
菩薩はサンスクリット語の“ボーディサットバ”の音写である菩提薩捶(ぼだいさった)
の略語である。菩提は“覚り”とか“仏智”のこと、薩捶は“衆生”の意であるから、菩薩とは、
自ら誓願を起こし仏陀の智慧を得ることに努める人、また、仏陀の説かれた教えの道を実践する人のことで、要するに、
他の人々の幸せを願い、そのために身命を捧げて惜しまない人のことである。
菩薩は、もとは仏陀の前世における修行時代の呼び名であったが、後には釈尊が覚りを求めて修行されていたころの名称に
用いられた。さらに大乗仏教においては、一般に自覚(自己の迷いを断って覚りをひらく)、覚他(他者に法を説いて悟らせる)
の修行をなす者すべてを菩薩と呼ぶようになる。
菩薩の修行道は「六波羅蜜行」である。波羅蜜とはサンスクリット語“パーラーミター”の音写で、「度」「彼岸」
「到彼岸」などと訳され、菩薩が彼岸(娑婆世界の此岸に対する語で、仏の覚りの世界)に到達するための次の六種の実践行のことである。
①布施(財物の施し、教法の施与、ならびに人びとの恐怖をとり除き、心の平安のために尽くす“無畏施(むいせ)”の
三種の施しの行)
②持戒(戒律を守り、節度ある生活を営むこと)
③忍辱(何事も耐え忍び、心を安らかに保つこと)
④精進(正しい目的の実践や善行を積むことに努力すること)
⑤禅定(あれこれ散乱する心を捨て去り、いつも平静な心で物事に集中すること)
⑥般若(=智慧。この世のあらゆる現象の真実の姿を見極める智慧をそなえる行のこと)
したがって、菩薩とは、自ら功徳を積み重ね、他者に利益をもたらすことに精進し、覚りを得ることに努める修行者を
指すのである。菩薩乗とは、菩薩に対する教え、菩薩のいそしむべき道のことである。さて、大乗仏教の時代になって菩薩の名が
一般化するに及ぶと、従来からの仏道修行者である声聞や辟支仏の二乗に菩薩乗が並列的に加えられ、合わせて三乗と呼ばれる
ようになった。しかしその一方では、声聞・辟支仏の二乗と菩薩乗との間に覚りの内容、修行法などが区別されるようになる・・・(中村)
仏の乗物
「偉大な乗物」(マハー・ヤーナ一、大乗)は求法者(菩薩)の乗物であり、求法者(菩薩)は
長い修行を実践した後に仏になるのであるから、「偉大な乗物」を仏の乗物といった。(岩本)
梵天王 ぼんてんおう
梵Brahmanは奥義書時代には宇宙創造の原理であったが、次第に人格化され、釈尊当時には
天界の最高処(色界初禅天)に住して一切衆生を生成し、世界を統領するものとなった。
(坂本)
帝釈天は天界を、梵天王は地上世界を治め、代表的な仏法の守護神となっている。
摩訶波闍波提 まかはじゃはだい
マハー・プラジャーパティー・ガウタミーMahaprajapati Gautami。ブッダの母マーヤMaya(摩耶)
の妹で、マーヤー夫人の死後に年少時代のブッダを養育した義母である。最初に仏教団に入り、尼僧となった。(岩本)
摩訶目犍連 まかもっけんれん
大目犍連、目連などともいう。十大弟子の一人で、神通(じんずう)第一と称される。舎利弗とともにサンジャヤの徒であったが、
仏教に帰依した。『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』によれば雨安居(うあんご)の終わった七月十五日に、衆僧に供養して、飢餓道に苦しむ亡母を救ったという。
執杖梵志(しゅうじょうぼんし)の恨みをうけて悲惨な最期をとげた。(中村)
摩訶迦葉 まかかしょう
大迦葉ともいう。十大弟子の一人で、衣食住のすべてにわたって少欲知足(しようよくちそく)の修行生活に
徹したから頭陀第一といわれる。ブッダが入滅されるや、教団の上首として五百人の比丘を集め、三蔵を結集した(第一結集)。
鶏足山(けいそくさん)に入り入寂した。(中村)
摩訶迦旃延 まかかせんねん
大迦旃延(だいかせんねん)、または迦旃延ともいう。十大弟子の一人で、論議第一といわれる。(中村)
摩訶倶絺羅 まかくらち
十大弟子の一人で、問答第一といわれる。舎利弗の外伯父。はじめ外道の出家となり、一切の学成るまでは
爪を切るまいとの誓いを守ること十数年、世人名づけて、彼を長爪梵志(ちょうそうぼんし・長い爪をつけたバラモン)と呼んだ。
甥の舎利弗が阿羅漢果をえたのを聞いて仏教に帰し、弁才に長じた。(中村)
魔訶劫賓那 まかこうひんな
十大弟子の一人で、天文暦数に長じたから、知星宿第一といわれる。クックタという辺土の王族の子で、父に継いで即位した。
ブッダが祇園精舎におられると商人から聞いて、教えを仰ぐべく東にくだり、途中、チャンダバーガー河でブッダに会い、出家したという。一説では、金地国
(ビルマの沿岸地方)カッピナ王であったが、コーサラ国王プラセーナジット王にすすめられてブッダの弟子になったともいう。(中村)
無生法忍 むしょうほうにん
原語アヌトパッティカ・クシャーンティanutpattika-dharma-kusanti の訳。「存在するものには自性というものが
なく、不生不滅であるという真理を把握し、認証すること」の意。善導は無生法忍とは喜忍(きにん)・悟忍(ごにん)・信忍(しんにん)の三忍をいうと説明する。
真宗では浄土は真如そのものとみ、信心の知恵で無生の生たる浄土往生を決定することを「無生法忍を得る」という。本経でこの語は以下数か所に出るが、
現生において無生法忍をうるとするのは、ここと正宗分の末の二か所である。・・・
(中村)/ 無生忍。(無生忍の略)生滅を越えた絶対不変の真理を悟って心が安んずること。(広辞苑)
もろもろの苦しみ・・・
玄奘訳に「諸有情類 無有一切身心憂苦 唯有無量清浄喜楽」とあるごとく、梵本もチベット訳も、
すべて「身と心の苦しみ」としている。あらゆる煩悩の苦しみなき境地に達した阿羅漢や仏にとって、身・心の感覚的苦しみがまったくない
とされたことは、原始仏教聖典以来説かれている。その際、たとい心の苦しみを超えているかれらに身体的苦痛が襲って悩ましても、
それはかれらの心にとってなんら苦痛を与えるものではないから、身・心の苦しみが滅している(事実は、苦しみの超克をいう)
と説明するのである。極楽世界があらゆる苦しみのない安楽のみの世界と表現されているのは、さとりの境地ないしは涅槃(ねはん)
の世界であることを示そうとしているからである。(中村元)
耶輸陀羅 やしゅだら
Yasodharaの音写。持誉・持称と訳され、釈尊出家以前の正妃で、羅護羅Rahulaの生母。
摩訶波闍波提が出家するに及んで、妃も亦、出家して比丘尼になった。(坂本)
ブッダが出家する以前に従妹のヤショーダラーYasodharaを迎えて妃とし、王子ラーフラRahulaが生まれた。ヤショーダラーは
後年に出家して尼僧になったというが、その運命は明確ではない。なお、ラーフラも出家して、後には長老になった。(岩本)
由旬 ゆじゅん
ヨージョナの音写。距離の単位。一由旬は約15キロ。(中村)
ヨージャナyojana。古代インドの距離の単位。実距離は不明確であるが、マガダ尺で大体七・三キロメートルという。
(岩本)
四つの法
四法。身、口、意、誓願の四つの安楽行。(坂本)
一般に「四安楽行」といい、求法者(菩薩)が悪世に『法華経』を弘めるために心がけるべき行法をいう。すなわち、
(一)身・(二)口・(三)意の三業についての過誤を離れることと、(四)衆生を導くための誓願を立てることの四者である。
(岩本)
四大洲 よんだいしゅう
四洲とも、須弥(しゅみ)四洲とも、四天下(てんげ)ともいう。世界に中心であるスメール
Sumeru(須弥山)の四方にある四大海の中にある四つの島といい、仏教の世界観の中心をなす世界である。われわれの住む
ジャンブ・ドゥヴィーパJambudvipa(閻浮提(えんぶだい)、南瞻部(なんせんぶ)洲)は、須弥山の南にありとされる。(岩本)
羅喉羅 らごら
ブッダの実子、出家前に妃ヤショーウダラーとの間に生まれる。成道ののち初めて帰城したブッダは九歳の羅喉羅を
舎利弗にあずけて出家せしめ、沙弥(しゃみ)とした。戒律を綿密にたもち、父ブッダにそむかぬ行儀の正しい比丘となったから、諸弟子中、密行第一と
いわれた。(中村)
羅刹 らせつ
羅刹天(らせつてん)は、仏教の天部の一つ十二天に属する西南の護法善神。
羅刹(らせつ)とも言う。ヒンドゥー教に登場する鬼神ラークシャサが仏教に取り入れられたものである。
羅刹とは鬼神の総称であり、羅刹鬼(らせつき)・速疾鬼(そくしつき)・可畏(かい)とも訳される。
また羅刹天は別名涅哩底王(Nirrti-rajaの音写、ラージャは王で、ねいりちおう、にりちおう)ともいわれる。
破壊と滅亡を司る神。また、地獄の獄卒(地獄卒)のことを指すときもある。四天王の一である多聞天に夜叉と共に仕える。
身に鎧をつけ左手を剣印の印契を結び右手に刀を持つ姿で描かれる。全身黒色で、髪の毛だけが赤い鬼とされる。
羅刹の男は醜く、羅刹の女は美しいとされる。
男と女があり、男を羅刹娑・羅刹婆(ラクシャーサ、ラークシャサ、ラクシャス、ラクシャサ、ラクササ)、
女を羅刹斯・羅刹私(ラークシャシー)・羅刹女(らせつにょ)と呼ばれる。また羅刹女といえば法華経の陀羅尼品
に説かれる十羅刹女が知られるが、これとは別の十大羅刹女や八大羅刹女、十二大羅刹女として、
それぞれ名称が挙げられており、さらに孔雀経では72の羅刹女の名前が列記されている。
(ウィキペディアから)
離婆多 りはた
離波多、離曰などと音写する。舎利弗の末弟。カディラ林に住し、困苦に堪えて、さとりを開いてから、
Revata-khadira-vaniya (カディラ林に住むレーヴッタ)と名づける。独り禅定を好み、少欲知足の修行を行った。
六師外道 ろくしげどう
釈迦と同時代のインドには、ヴェーダ学派を否定する自由な思想家が多数輩出し、
ヴェーダの権威を否定する諸学説を提唱して盛んに議論していた。原始仏典ではその諸学説を六十二見にまとめ、
その中で主要なものを六師外道と総称した。(ウィキペディア)
六趣 ろくしゅ
六道ともいい、衆生の生まれゆく所である地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上をいう。(坂本)
六波羅蜜 ろくはらみつ
シャット・パーラーミターsat-paramita。パーラーミターとは「迷いの此岸から、さとりの
彼岸に(param)到達した状態」を意味し、波羅蜜(はらみつ)と音写され、「到彼岸」、「度」などと訳される。大乗仏教に於いて
最も重要な述語の一つで、ボーディ・サットバ(求法者)が実践修行すべき行為として、一般に「布施(ふせ)」dana(物質的・
精神的なめぐみ)、「持戒(じかい)」sila(仏教的な実践の根本となる行為を守ること)、「忍辱(にんにく)」ksanti(完全な
忍耐)、「精進(しょうじん)」virya(ひたむきにつとめ励むこと)、「禅定(ぜんじょう)」dhyana(心を一つの対象に専ら
注ぐこと)、「智慧」prajana(すべての道理を明らかに見ぬく深い智慧)の六種を挙げて六波羅蜜という。(岩本)
わたしは常に思っている・・・毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身
毎(つね)に自らこの念を作す 『何をもってか衆生をして 無上道に入り
速(すみやか)に仏身を成就することを得せしめん』と。・・・妙法蓮華経の訓み下し文より(管理人)
この偈は、仏の大慈悲の誓願を顕す重要な偈で、如来加持の文とも、破地獄の文とも呼ばれている。
日本では、代代の天皇即位の時、関白家(一説には伊勢の神主)は、この文をもって天子に授け奉ると伝えている。尚この偈を
「自らこの念を作すごとに(毎)いかにしても(以何)衆生をして無上道に入ることを得て、速かに仏身を成就せしめん」と読む
のは始覚の訓点。「つねに(毎)自らこの念を作す、いかなる(以何)衆生をしても、無上の道に入るを得て、速かに仏身を成就
せん」と読むのは本覚の点であって、この場合の・・・(坂本)