そのとき文殊師利王子菩薩は、釈尊に問うた。
「ありうべからざることです。実に困難なことをこれら菩薩たちは誓願しました。世尊よ、菩薩たちは、後の悪世に
おいて、どのようにしてこの経を説いたらよいのでしょうか」
釈尊は文殊師利に答えた。
「菩薩が後の悪世にこの経を説かんとするときは、四つの法に安住して行うのである。
一つには、菩薩の行処
と親近処
に安住する。菩薩の行いは、本来、菩薩に適い、
菩薩に相応しいのである。忍耐強く、穏やかで、怒らず、動揺しない。また、諸法は如実の相なりと観じて、
浅知恵であれこれ詮索しない。これを菩薩の行処という。
また、菩薩の付き合いは菩薩に適い、菩薩に相応しいのである。これを菩薩の親近処という。
菩薩は、国王、王子、大臣、官長に近づかない。外道の思想家、世俗の小説家、詩人、また小乗の学者に近づかない。
これらの人々と親しくならない。
また遊興で身を立てるもの、芸人、役者、相撲取りに近づかない。また賎民、屠殺や狩猟や漁を生業
とするものに近づかない。
ただし時よろしく、これらの人々に請われれば、法を説くであろう。また声聞乗を求める男女の出家・在家に近づかず、
長居しない。また女人の歓心を買おうとせず、見ることを願わず、会釈を返さない。
常に座禅を好み、静かな処で心を修める。これを初めの親近処という。また菩薩は、一切の法は空なり、
如実の相なりと観じて、ただ因縁により仮象として存在していると見るのである。菩薩はここに住す、これを菩薩の第二の親近処という。
二つには、菩薩は人や経の咎を責めず、悪口を言わず、異教を説くものを非難しない。また名指しで人の欠点をあげつらわず、
人の美点を誉めそやさない。菩薩として安らかに住しているからである。
三つは、菩薩は一切の衆生を見て大悲の心を起こし、諸々の如来を父のように思い、諸々の菩薩を師のように敬う。
また一切衆生を差別せず、平等に法を説く。
四つは、菩薩は、衆生は信薄く、知浅く、気まぐれで、無関心であると知っていても、
衆生をして必ず阿耨多羅三藐三菩提を得させると誓って行うのである。
文殊師利よ、多くの国においては、この経の名さえ聞かず、まして、この経を見、信じ、読み、誦すことなど思いもよらない
のである。
文殊師利よ、たとえば王がいて、権勢並ぶべきものなく、諸国を支配しているとしよう。王の命に従わないものには、 兵を起こして征伐するだろう。その戦いで勲功があったものには、田地、城邑、人民、金銀、珍品等々諸々の褒賞を与えるが、 髻の明珠だけは与えないだろう。これは 唯一王の頭上にあるべきものであり、王の印であるからである。如来もまたこのようである。法の国土において、如来は三界の王である。 だが従わない諸々の魔王たちがおり、それゆえ如来の将兵たる菩薩たちは魔王の軍と戦うのである。この戦いで勲功あるものには、 法を説いて歓ばせ、禅定、解脱また涅槃の城を与えるが、この法華経だけは与えなかったのである。文殊師利よ、 だが髻の明珠を与えなかったかの大王が、大功に歓び、それを与える時があるように、如来もまたそうするのである。 魔王たちを撃退した大功に歓び、信じ難く未だかって説いたことがないこの経を、今こうして説くのである。 この法華経は如来の第一の法であり、諸経のなかで最も奥が深いのである。みだりに説いたことがない この法を、今日初めて説くのである」
釈尊は重ねてこれを語らんとして詩句をもって唱えた。その詩句のなかで、釈尊は告げるのである。
如来の入滅ののちにこの経を読み、説くものは、憂いも悩みもなく、病もなく、貧困にならず、醜い身体に生まれないだろう。
衆生は慕い来て、天の童子が給仕するだろう。刀杖も毒も害することができないだろう。憎み罵る人の口は閉ざされるだろう。
夢の中で、仏を見るだろう。夢の中で、金色に輝く諸仏の説法を聴き、合掌している自分を見出すであろう。
夢の中で、最正覚を得ると受記され、無量の衆生に法を説く自分を見るだろう。夢の中で、山林の中にいて、深く禅定に入り、
十方の諸仏を見る自分を見るであろう。夢の中で、王位を捨てて出家し、菩提樹下で成道し、衆生のために無漏の法を説き、無量の
衆生を救い、そして灯火が消えるように涅槃に入る自分を見るだろう」
後の悪世のなかでこの最高の法を説くものは、このように大いな功徳を得るであろう。
— 要約法華経 安楽行品 第十四 完 —
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