往生要集を読む 

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        、
原文 訓み下し
往生要集 巻上   尽第四問半
        天台首楞厳院沙門源信撰
往生要集 巻上     大文第四の途中まで
           天台首楞厳院沙門源信撰   
往生極楽之教行、濁世末代之目足也、道俗貴賎、誰不帰者、但顕密教法、其文一非、事理業因、其行惟多、利智精進之人、未為難、如予頑魯之者、豈敢矣、 極楽往生の教行きょうぎょうは、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰かせざる者あらん。但し、顕密の教法は、そのもん一に非ず、事理の業因、その行これ多し。利智精進の人は、いまだ難しと為さざらん、予が如き頑魯の者あにあえてせんや。
是故依念仏一門、聊集経論要文、披之修之、易覚易行、惣有十門、分為三巻、一厭離穢土、二欣求浄土、三極楽証拠、四正修念仏、五助念方法、六別時念仏、七念仏利益、八念仏証拠、九往生諸業、十問答料簡、置之座右、備於廃忘矣  この故に、念仏の一門に依りて、いささか経綸の要文を集む。これをひらいてこれを修るに、覚り易く行い易からん。すべて十門あり。分ちて三巻となす。一には厭離穢土おんりえど、二には欣求浄土ごんぐじょうど、三には極楽の証拠、四には正修しょうじゅ念仏、五には助念の方法、六には別時念仏、七には念仏の利益、八には念仏の証拠、九には往生の諸業、十には問答料簡なり。これを座右に置いて、廃忘はいもうに備えん。
大文第一、厭離穢土者、夫三界無安、最可厭離、今明其相、惣有七種、一地獄、二餓鬼、三畜生、四阿修羅、五人、六天、七惣結、 第一、地獄亦分為八、一等活、二黒縄、三衆合、四叫喚、五大叫喚、六焦熱、七大焦熱、八無間、 大文第一に、厭離穢土おんりえどとは、それ三界は安きことなし、最も厭離すべし。今その相を明かさば、惣べて七種あり。一には地獄、二には餓鬼がき、三には畜生、四には阿修羅あしゅら、五にはにん、六には天、七には惣結なり。第一に、地獄にもまた分かちて八となす。一には等活とうかつ、二には黒縄こくじょう、三には衆合っしゅうごう、四には叫喚きょうかん、五には大叫喚、六には焦熱しょうねつ、七には大焦熱、八には無間むけんなり。
(1.1等活地獄)  
第一 地獄初、等活地獄者、在於此閻浮提之下一千由旬、縦広一万由旬、此中罪人、互常懐害心、若適相見、如猟者逢鹿、各以鉄爪、而互爴裂、血肉既尽、唯有残骨、或獄卒、手執鉄杖鉄棒、従頭至足、遍皆打築、身体破砕、猶如沙揣、或以極利刀、分々割肉、如厨者屠魚肉、涼風来吹、尋活如故、欻然復起、如前受苦、或云、空中有声云、此諸有情、可還等活、或云、獄卒以鉄叉打地、唱云活々、如是等苦、不可具述、<已上、依智度論瑜伽論諸経要集撰之>
初に等活地獄とは、この閻浮提えんぶだいの下、一千由旬にあり。縦広一万由旬なり。この中罪人は、互いに常に害心を懐けり。もしたまたま相見れば、漁者の鹿に逢へるが如し。おのおの鉄爪を以って互につかみ裂く。血肉すでに尽きて、ただ残骨のみあり。或るは獄卒、手に鉄杖・鉄棒を執り、頭より足に至るまで、あまねく皆打ちくに身体破れ裂くること、なお沙揣しゃだんの如し。或るは極めて するどき刀を以って分々ぶんぶんに肉を割くこと、厨者の魚肉をほふるがごとし。涼風来りて吹くに、いでよみがへることもとの如し、欻然くつねんとしてまた起きて、前の如く苦を愛く。或は云く、空中に声ありて云く、「このもろもろの有情、また等しくよみがへるべし」と。或は云く、獄卒、鉄叉を以って地を打ち、唱えて「活々かつかつ」と云うと。かくの如き等の苦、つぶさに述ぶべからず。(以上は、智度論ちどろん瑜伽論ゆがろん諸経要集に依りて之を撰ぶ)
以人間五十年、為四天王天一日一夜、其寿五百歳、以四天王天寿、為此地獄一日一夜、其寿五百歳、殺生之者、此堕中<已上寿量依倶舎、業因依正法念経、下六亦同之>優婆塞z戒経、以初天一年、為初地獄日夜、下去准之 人間の五十年を以って、四天王天の一日一夜となして、その寿いのち五百歳なり。四天王天の寿を以って、この地獄一日一夜となして、その寿五百歳なり。殺生する者、この中に堕つ。<以上の寿量じゅりょうは倶舎に依り、業因は正法念経に依る。下の六もまた之に同じ>優婆塞戒経には、初天の一年を以って、初地獄日夜となす。下去しもは之に准ず。
此地獄四門之外、復有十六眷属別、処一屎泥処、謂有極熱屎泥、其味最苦、金剛嘴虫、充満其中、罪人在中、食此熱屎、諸虫聚集、一時競食、破皮噉肉、折骨唼髄、昔殺鹿殺鳥之者、堕此中、 この地獄の四門の外に、また十六の眷属の別処あり。
一には、屎泥処しでいしょいわく、極熱の屎泥あり。その味、最も苦し。金剛のくちばしの虫、その中に充ち満てり。罪人、中にありて、この熱屎を食らう。もろもろの虫、あつまり集りて、一時に競い食う。皮を破りて肉をむ。骨をくじいて髄を唼う。昔、鹿を殺し、鳥を殺せし者、この中に堕つ。
二刀輪処、謂鉄壁周帀、高十由旬、猛火熾然、常満其中、人間之火、比此如雪、纔触其身、砕如芥子、又雨熱鉄、猶如盛雨、復有刀林、其刃極利、復有雨両刃如而下、衆苦交至、不可堪忍、昔貪物殺生之者、堕此中、 二には刀輪処とうりんしょ。謂わく、鉄の壁、周りめぐりて、高さ十由旬なり。猛火熾然しねんして、常にその中に満てり。人間の火は、これに比ぶるに雪の如し。わずかにその身に触るるに、砕くること芥子けしのごとし。また熱鉄を雨らすこと、なおし盛んなる雨のごとし。また刀林あり。その刃極めて利し。また両刃ありて、雨のごとく下る。衆苦こもごも至りて、堪え忍ぶべからず。昔、貪物を貪りて殺生せる者、この中に堕つ。
三瓮熟処、謂執罪人入鉄瓮中、煎熟如豆、昔殺生煮食之者、堕此中、 三には瓮熟処おうじゅくしょ。謂く、罪人を執りて鉄のもたいの中に入れ、煎り熟すること豆の如し。昔、殺生して煮て食へる者、この中に堕つ。
四多苦処、謂此地獄、有十千億種無量楚毒、不可具説、昔以縄縛人、以杖打人、駈人行於遠路、従嶮処落人、薫煙悩人、令怖小児、如是等、種々悩人之者、皆堕此中、 四には、多苦処たくしょ。謂く、この地獄には、十千億種の無量の楚毒そどくあり。つぶさに説くべからず。昔、縄を以って人を縛り、杖を以って人を打ち、人を駆りて遠き路を行かしめけわしき処より人を落とし、煙をふすべて人を悩まし、小児を怖れしむ。かくの如き等の、種々に人を悩ませる者、皆この中に堕つ。
五闇冥処、謂在黒闇処、常為闇火所焼、大力猛風、吹金剛山、合磨合砕、猶如散沙、熱風所吹、如利刀割、昔掩羊口鼻、二塼 中置亀押殺者、堕此中、 五つには、闇冥処あんみょうしょわく、黒闇の処にありて、常に闇火やみびの為に焼かる。大力の猛風、金剛の山を吹き、合せ磨り合せ砕くこと、猶し沙を散らすが如し。熱風に吹かるること、利き刀の割くが如し。昔、羊の口・鼻をふさぎ、二つのかわらの中に亀を置きて押し殺せる者、この中に堕つ。
六不喜処、謂有大火炎、昼夜焚焼、熱炎嘴鳥、狗犬野干、其声極悪、甚可怖畏、常来食噉、骨肉狼藉、金剛嘴虫、骨中往来、而食其髄、昔吹貝打鼓、作可畏声、殺害鳥獣之者、堕此中、 六には不喜処ふきしょ。謂く、大火炎ありて、昼夜焚焼ふんしょうす。熱炎嘴の鳥、狗犬・野干ありて、その声、極悪にして、甚だ怖畏すべし。常に来りて食いみ、骨肉狼藉たり。金剛の嘴の虫、骨の中に往来して、その髄を食う。昔、ばい吹き、鼓を打ち、畏るべき声を作して、鳥獣を殺害せる、野の中に堕つ。
七極苦処、謂在嶮岸下、常為鉄火所焼、昔放逸殺者、堕此中、<已上依正法念経、自余九処、経中不説> 七には、極苦処ごくくしょ、謂く、嶮しき岸の下にありて、常に鉄火の為に焼かる。昔、放逸にして殺生せる者、この中に堕つ。<已上は正法念経に依る。自余の九処は、経の中に説かず>(等活地獄には十六の眷属があると上に述べているので、七つまできて、あとの九つは、経典に説かれていない、と言っているのである。・・・管理人追記)
 二、黒縄地獄者、在等活下、縦広同前、獄卒執罪人、臥熱鉄地、以熱鉄縄縦横絣身、以熱鉄斧、随縄切割、或以鋸解、或以刀屠、作百千段処々散在、又懸熱鉄縄、交横無数、駈罪人令入其中、悪風暴吹、交絡其身、焼肉焦骨、楚毒無極<已上、瑜伽論智度論>  二に黒縄地獄とは、等活の下にあり。縦広、前に同じ。獄卒、罪人をとらへて熱鉄の地に臥せ、熱鉄の縄を以って縦横に身にすみなわをひき、熱鉄の斧を以って、縄に随いて切り割く。或は鋸を以ってさきわけ、或は刀を以ってほふり、百千段と作して処々に散らし在く。また熱鉄の縄を懸けて、交え横たえること無数、罪人を駈りてその中に入らしむるに、悪風にわかに吹いて、その身に交え絡まり、肉を焼き骨を焦して、楚毒極まりなし。<以上は、瑜伽論智度論>
又左右有大鉄山、山上各建鉄幢、幢頭張鉄縄、縄下多熱鑊、駈罪人、令負鉄山従縄上行、遥落鉄鑊、摧煮無極<観仏三昧経>等活地獄、及十六処、一切諸苦十倍重受、 また、左右に大いなる鉄の山あり。山上におのおの鉄の幡を建て、幡の頭に鉄の縄を張り、縄の下には多くの熱き鑊あり。罪人を駈り、鉄の山を負いて縄の上より行かしめ、遙かに鉄のかなえに落としてくだき煮ること極りなし。<観仏三昧経>等活地獄及び十六処の、一切の諸苦を十倍にして重く受く。
獄卒呵嘖罪人云、心是第一怨、此怨最為悪、此怨能縛人、送到閻羅処、汝独地獄焼、為悪業所食、妻子兄弟等親眷不能救<乃至広説> 獄卒、罪人を呵責して云く、「心はこれ第一の怨なり。この怨最も悪となす。この怨、能く人を縛り、送りて閻羅えんちの処に到らしむ。汝、独り地獄に焼かれ、悪業の為に食わる。妻子・兄弟等親眷しんけんも救う能わず。<乃至ないし広く説く>
以人間一百歳、為忉利天一日夜、其寿一千歳 以忉利天寿、為一日夜、此地獄寿、一千歳、殺生偸盗之者、堕此中 人間の一百歳を以って、忉利天の一日夜となして、その寿いのち一千歳なり、忉利天の寿を以って、一日夜となし、この地獄の寿いのち、一千歳なり。殺生・偸盗せる者、この中に堕つ。
 復有異処、名等喚受受苦処、謂挙在嶮岸無量由旬、熱炎黒縄束縛、繋已、然後推之、堕利鉄刀熱地之上、鉄炎牙狗之所噉食、一切身分、分々分離、唱声吼喚、無有救者、昔説法依悪見論、一切不実、不顧一切、投岸自殺者、堕此、  また異処いしょあり。等喚受苦処とうかんじゅくしょと名づく。謂く、嶮しき岸の無量由旬なるに挙げき、熱炎の黒縄にて束ね縛り、繋ぎおわりて、しかして後にこれを推して、利き鉄刀の熱地之の上におとす。鉄炎の牙のいぬみ食われ、一切の身分しんぶん、分々に分離す。声を唱えて吼えよばえども、救う者あることなし、昔。法を説くに悪見の論に依り、一切不実にして一切、岸に投げて自殺せるを顧みざる者、ここに堕つ。
復有異処、名畏熟処、謂く、獄卒怒杖急打、昼夜常走、手執火炎鉄刀、挽弓弩箭、随後走逐、斫打射之、昔貪物故、殺人縛人奪食之者、堕此<正法念経略抄> また異処あり、畏熟処いじゅくしょと名づく。謂く、獄卒、杖を怒らせて急に打ち、昼夜に常に走り、手に火炎の鉄刀を執り、弓を挽き、つがへ、後に随いて走り逐い、り打ちてこれを射る。昔、物を貪るが故に、人を殺し縛人を奪りて、食を奪える者、ここに堕つ<正法念経略抄>
 三、衆合地獄者、在黒縄下、縦広同前、多有鉄山、両々相対、牛頭馬頭等諸獄卒、手執器仗、駈令入山間、是時両山迫来合押、身体摧砕、血流満地、或有鉄山、従空而落、打於罪人、砕如沙揣、或置石上、以巌押之、或入鉄臼、以鉄杵擣、極悪獄鬼、并熱鉄師子虎狼等諸獣、烏鷲等鳥、競来食噉<瑜伽大論> 又鉄炎嘴鷲、取其腸已、掛在樹頭、而噉食之 三に、衆合地獄しゅうごうじごくとは、黒縄の下にあり。縦広、同前に同じ。多く鉄の山ありて、両々相対す。牛頭ごず馬頭めず等のもろもろの獄卒、手に器仗きじょうを執り、駈りて山の間に入らしむ。この時両の山、迫り来りて合せ押すに、身体摧け砕くこと、血流れて地に満つ。或は鉄の山ありて、空より落ち、罪人を打ちて砕くこと、沙揣しゃだんの如し。或は石の上に置き、巌を以って之を押し、或は鉄の臼入れて、鉄の杵を以ってく。極悪の獄鬼、并びに熱鉄の師子・虎・狼等のもろもろの獣、烏・鷲等の鳥、競いて来りて食いむ。<瑜伽大論> また鉄炎の嘴の鷲、その腸を取りおわりて、樹の頭に掛け置き、これをみ食う。
彼有大江、中有鉄鉤、皆悉火燃、獄卒執罪人、擲彼河中、堕鉄鉤上、又彼河中、〔有〕熱赤銅汁、㵱彼罪人,或有身如日初出者、有身沈没如重石者、有挙手向天而号哭者、有共相近而号哭者、久受大苦、無主無救  かしこに大いなるかわあり。中に鉄のつりばりありて、皆悉く火に燃ゆ。獄卒、罪人を執りて、かの河の中に擲げ、鉄の鉤の上に墜とす。またかの河の中に、熱き赤銅の汁ありて、かの罪人を、ただよわす。或は身、日の初めて出づる如き者あり。身沈没すること重き石の如き者あり。手を挙げ天に向かいてさけなくく者あり。共に相近づいて号び哭く者あり。久しく大苦を受くれども、よるべなく救うものなし。
 又復獄卒、取地獄人、置刀葉林、見彼樹頭、有好端正厳飾婦女、如是見已、即上彼樹、樹葉如刀、割其身肉、次割其筋、如是劈割一切処、已得上樹已、見彼婦女、復在於地、以欲媚眼、上看罪人、作如是言、念汝因縁、我到此処、汝今何故、不来近我、何不抱我、罪人見已、欲心熾盛、次第復下、刀葉向上、利如剃刀、如前遍割、一切身分、既到地已、而彼婦女復在樹頭、罪人見已、而復樹上、如是無量百千億歳、自心、彼地獄中、如是転行、如是被焼、邪欲為因<乃至広説>獄卒呵嘖罪人、説偈曰、 またふたたび獄卒、地獄の人を取りて、刀葉の林に置く。かの樹の頭を見れば、好き端正厳飾たんじょうごんじきの婦女あり。かくの如く見已りて、即ちかの樹に上るに、樹の葉刀の如くその身の肉を割き、次いでその筋を割く。かくの如く一切の処をり割いて、已に樹に上ることを得已りて、かの婦女を見れば、また地にあり。以欲のびたる眼を以て、かみざまに罪人を看て、かくの如きの言を作す。「念汝を念う因縁もて、我、この処に到れり。汝いま何故ぞ、来りて我に近づかざる。何ぞ我を抱かざる」と。罪人見已りて、欲心熾盛しじょうにして、次第にまた下るに、刀葉上を向きて、利きこと剃刀の如し。前の如く遍く一切の身分を割く。既に地に到りおわるに、かの婦女はまた樹の頭にあり。罪人見已りて、また樹に上る。かくの如く無量百千億歳、自心にたぶらかされて、かの地獄の中に、かくの如く転り行きて、かくの如く焼かるること、、邪欲を因となす。<乃至ないし広く説く>獄卒、罪人を呵嘖して、偈を説いて曰わく、
異人作悪 異人受苦報、自業自得果、衆生皆如是<正法念経> 以人間二百歳、為夜摩天一日夜、其寿二千歳、以彼天寿、為此地獄一日夜、其寿二千歳、殺生偸盗邪婬之者、堕此中、 他人の作れる悪もて、他人が、苦の報を受くるにあらず、自業自得の果なり、衆生皆かくの如し。<正法念経>人間の二百歳を以って、夜摩天の一日夜となし、その寿二千歳なり。かの天の寿を以って、この地獄の一日夜となし、その寿二千歳なり。殺生・偸盗・邪婬の者、この中に堕つ。
 此大地獄、復有十六別処、謂有一処、名悪見処、取他児子、強逼邪行、令号哭者、堕此受苦、謂罪人見自児子、在地獄中、獄卒、若以鉄杖、若以鉄錐、刺其陰中、若以鉄鉤、釘其陰中、既見自子如是苦事、愛心悲絶、不可堪忍、此愛心苦、於火焼苦、十六分中、不及其一、彼人如是心苦逼已、復受身苦、謂頭面在下、盛熱銅汁、潅其糞門、入其身内、焼其熟蔵大小腸等、次第焼已、在下而出、具受身心二苦、無量百千年中不止、 この大地獄に、また十六の別所あり。謂く、一処あり。悪見処あくけんしょと名づく。他人の児子じしを取り、強いて邪行をせまり、さけかしめたる者、ここに堕ちて苦を受く。謂く、罪人おのれの児子を見るに、地獄の中にあり。獄卒、もしは鉄杖を以って、もしは鉄錐てっすいを以って、その陰中を刺し、もしは鉄の鉤を以って、その陰中にくぎうつ、既に自の子のかくの如きの苦事を見て、愛心悲絶して、堪え忍ぶべからず。この愛心の苦は、(自分が焼かれる苦しみに較べれば)火焼の苦においては、十六分の中、その一に及ばず。かの人かくの如く心の苦にせまられおわりて、また(今度は自分の)身の苦を受く。謂く、頭面を下にき、熱き銅の汁を盛りて、その糞門にそそぎ、その身の内に入れて、その熟蔵・大小腸等を焼く。次第に焼き已れば、、下にありて出づ。具に身心の二苦を受くること、無量百千年の中に止まず。
又有別所、名多苦悩、謂男於男行邪行者、堕此受苦、謂見本男子、一切身分、皆悉熱炎、来抱其身、一切身分、皆悉解散、死已復活、極生怖畏、走避而去、堕於嶮岸、有炎嘴烏炎口野干、而噉食之  また、別所あり。多苦悩たくのうと名づく。謂く、男の、男においてに邪行を行ぜし者、ここに堕ちて苦を受く。謂く、(かって関係をもった)もとの男子を見れば、一切の身分、皆悉く熱炎あり、来りてその身を抱くに、一切の身分、皆悉く解け散る。死し已りてまたよみがえり、極めて怖畏を生じ、走り避けて去るに、嶮しき岸に堕ち、炎の嘴の烏、炎の口の野干ありて、罪人をみ食う。
復有別所、名忍苦処、取他婦女者、堕此受苦、謂獄卒懸之樹頭、頭面在下、足在於上、下燃大炎、焼一切身分、焼尽復生、唱喚開口、火従口入、焼其心肺生熟蔵等、余如経説<已上、正法念経略抄> また別処あり。忍苦処にんくしょと名づく。他人の婦女を取れる者が、ここに堕ちて苦を受く。謂く、獄卒これを樹の頭に懸けて、頭面を下にき、足を上に在き、下に大いなる炎を燃やして、一切の身分を焼く。焼け尽きてまた生く。唱え喚ばはらんとして口を開けば、火は口より入りて、その心・肺・生熟の蔵等を焼く。余は経に説くが如し。<以上は、正法念経略抄>
 
 四、叫喚地獄者、在衆合下、縦広同前、獄卒頭黄如金、眼中火出、著赭色衣、手足長大、疾走如風、口出悪声、而射罪人、罪人惶怖、叩頭求哀、願垂慈愍、少見放捨、雖有此言、弥増瞋怒<大論> 四に叫喚きょうかん地獄とは、衆合の下にあり。縦広、前に同じ。獄卒の頭、黄なること金の如く、眼の中より火が出で、赭色しゃしきの衣を著たり。手足長大にして、疾く走ること風の如し。口より悪声を出して、罪人を射る。罪人、おそれ怖れて、頭を叩き哀れみを求む。「願はくは慈愍じみんを垂れて、少しくゆるかれよ」と。この言ありといえども、、いよいよ瞋怒しんぬを増す。<大論
或以鉄棒打頭、従熱鉄地令走、或置熱鏊、反覆炙之、或擲熱鑊 而煎煮之、或駈入猛炎鉄室、或以鉗開口而潅洋銅、焼爛五蔵、従下直出<瑜伽論大論> 或は鉄棒を以って頭を打ち、熱鉄の地より走らしめ、或は熱きごうに置き、反覆して之をあぶり、或は熱きかなえに擲げてこれを煎じ煮る。或は駈りて猛炎の鉄の室に入らしめ、或はかなばしを以って口を開いて洋銅を濯ぎ、五蔵を焼きただらせて、下より直ちに出だす。<瑜伽論大論>
 罪人説偈、傷恨閻羅人言汝何無悲心、復何不寂静、我是悲心器、於我何無悲、時閻羅人答罪人曰、己為愛羂誑、作悪不善業、今受悪業報、何故瞋恨我、又云、汝本作悪業、為欲痴所誑、彼時何不悔、今悔何及所<正法念経> 罪人、偈を説き、<閻羅人を傷み恨んで言う。汝、なんぞ悲心なき、またなんぞ 寂静ならざる、我はこれ悲心の器 我においてなんぞあわれみなきやと。 時に閻羅人、罪人に答えて曰く、おのれ愛羂あいぎょうたばかられて、悪・不善の業を作り、今受悪業の報を受く。何が故ぞ我を瞋り恨むると。また云く、 汝、もと悪業作り、欲痴の為に誑らる、かの時なんぞいざる、今悔ゆとも何の及ぶ所ぞと。<正法念経>
以人間四百歳、為覩率天一日夜、其寿四千歳、以都率寿、為此獄一日夜、其寿四千歳、殺盗婬飲酒者、堕此中 人間の四百歳を以って、覩率とそつ天の一日夜となし、その寿四千歳なり。都率の寿を以って、この獄の一日夜となして、その寿四千歳なり。殺・盗・婬・飲酒おんじゅの者、この中に堕つ。
 復有十六別所、其中有一処、名火末虫、昔売酒加益水者、堕此中具四百四病<風黄冷雑、各有百一病、合有四百四> 其一病力、於一日夜、能令四大洲若干人皆死、又自身虫出、破其皮肉骨髄飲食、 また十六の別所あり。その中に一処あり。火末虫かまつちゅうと名づく。昔、酒を売るに、水を加えせる者、この中に堕ち、四百四病を具す。<風と黄と冷と雑と、おのおの百一の病あり、合わせて四百四あり> その一の病の力は、一日夜において、能く四大洲の若干そこばくの人を皆死せむ。また身より虫出でて、その皮・肉・骨・髄を破りて飲み食う。
復有別所、名雲火霧、昔以酒与人令酔已、調戯弄之、令彼羞恥之者、堕此受苦、謂獄火満厚二百肘、獄卒捉罪人、令行火中、従足至頭、一切洋消、挙之還生、如是無量百千歳、与苦不止、余如経文、 また別所あり。雲火霧うんかむと名づく。昔、酒を以て人に与え、酔わしめ已りて、調あざけたわむもてあそび、かれをして羞恥せしめし者、ここに堕ちて受を苦く。謂く、獄火の満つること厚さ二百ちゅうなり。獄卒罪人を捉えて、火の中に行かしむるに、足より頭に至るまで、一切き消え、これを挙ればまた生く。かくの如く無量百千歳、苦を当与うること止まず。余は経文の如し。
又獄卒呵嘖罪人説偈云、於仏所生痴、壊世出世事、焼解脱如火、所謂酒一法<正法念経> また獄卒、罪人を呵嘖し、偈を説いて云く、仏のみもとにおいて、痴を生じ、世・出世事を壊り、解脱を焼くこと如火の如くなるは、いはゆる酒の一法なりと。<正法念経>
 五、大叫喚地獄者、在叫喚下、縦広同前、苦相亦同、但前四地獄、及諸十六別所、一切諸苦十倍重受、 五に大叫喚地獄とは、叫喚の下にあり、縦広前に同じ、苦の相もまた同じ。ただし前の四の地獄、及びもろもろの十六の別処の、一切の諸苦を十倍して重く受く。
以人間八百歳、為化楽天一日夜、其寿八千歳、以彼天寿、為此獄一日夜、其寿八千歳、殺盗婬飲酒妄語者堕此中、獄卒前呵嘖罪人説偈云、妄語第一火、尚能焼大海、況焼妄語人、如焼草木薪 人間の八百歳を以て、化楽天の一日夜となして、その寿八千歳なり。かの天寿を以て、この獄の一日夜となして、その寿八千歳なり。殺・盗・婬・飲酒・妄語の者この中に堕つ。獄卒、前に罪人を呵嘖し、偈を説いて云わく、妄語は第一の火なり なお能く大海を焼く いわんや妄語の人を焼くこと 草木の薪を焼くが如しと。
 復有十六別処、其中一処、名受鋒苦、熱鉄利針口舌倶刺、不能啼哭、復有別処、名受無辺苦、獄卒以熱鉄鉗、抜出其舌、抜已復生、生則復抜、抜眼亦然、復以刀削其身、刀甚薄利、如剃頭刀、受如是等異類諸苦、皆是妄語之果報也、余如経説<正法念経略抄> また十六の別処あり。その中の一処を受鋒苦じゅふくと名づく。熱鉄の利き針にて口舌ともに刺され、啼き哭ぶことあたわず。
 また別処あり、受無辺苦じゅむへんくと名づく。獄卒、熱鉄のかなばしを以て、その舌を抜き出す。抜き已ればまた生じ、生ずれば則ちまた抜く。眼を抜くこともまた然り。また刀を以てその身を削る。刀の甚だ薄く利きこと、剃頭の刀の如し。かくの如き等の異類の諸苦を受くること、皆これ妄語の果報なり。余は経の説くが如し。<正法念経略抄>
 六、焦熱地獄者、在大叫喚之下、縦広同前、獄卒捉罪人、臥熱鉄地上、或仰或覆、従頭至足、以大熱鉄棒、或打或築、令如肉摶、或置極熱大鉄鍪上、猛炎炙之、左右転之、表裏焼薄、或以大鉄串、従下貫之、徹頭而出、反覆炙之、令彼有情諸根毛孔、及以口中悉皆炎起、或入熱鑊、或置鉄楼、鉄火猛盛徹於骨髄<瑜伽論大論> 六に焦熱地獄とは、大叫喚の下にあり。縦広、前に同じ。
獄卒、罪人を捉えて、熱鉄の地の上に臥せ、或はあおむけ、或はうつぶせ、頭より足に至るまで、大いなる熱鉄の棒を以て、或は打ち或はいて、肉摶の如くならしむ。或は極熱の大いなる鉄鍪てつごうの上に置き、猛き炎にてこれを炙り、左右にこれを転がして、表裏より焼きうすむ。或は大いなる鉄の串を以て、下よりこれを貫き、頭をとおして出し、反覆してこれを炙り、かの有情の諸根・毛孔、及以および口の中に悉く皆炎を起さしむ。或は熱きかなえに入れ、或は鉄のたかどのに置くに、鉄火猛く盛んにして骨髄に徹る。<瑜伽論・大論>
若以此獄豆許之火、置閻浮提、一時焚尽、況罪人之身、耎如生蘇、長時焚焼、豈可忍哉、此地獄人、望見前五地獄之火、猶如霜雪<正法念経> もしこの獄の豆ばかりの火を以て、閻浮提に置かば、一時に焚け尽さん。いわんや罪人の身は、やわらかなること生蘇しょうその如し。長時に焚焼せば、あに忍ぶべけんや。この地獄の人、前の五の地獄の火を望みみること、なおし霜雪の如し。<正法念経>
 以人間千六百歳、為他化天一日夜、其寿万六千歳、以他化天寿、為日夜、此獄寿亦然、殺盗婬飲酒妄語邪見之者、堕此中、 人間の千六百歳をもって、他化天たけてんの一日夜となして、その寿万六千歳なり。他化天の寿、を以て日夜となして、この獄の寿もまた然り。殺・盗・婬・飲酒・妄語・邪見の者、この中に堕つ。
 四門之外、復有十六別処、其中有一処、名分荼離迦、謂彼罪人一切身分、無芥子許無火炎処、異地獄人如是説言、汝疾速来、汝疾速来、此有分荼離迦池、有水可飲、林有潤影、随而走趣、道上有坑、満中熾火、罪人入已、一切身分、皆悉焼尽、焼已復生、生已復焼、渇欲不息、便前進入、既入彼処、分荼離迦炎燃、高五百由旬、彼火焼炙、死而復活、若人自餓死、望得生天、復教他人、令住邪見者、堕此中 四門の外に、また十六別処あり。、その中に一処あり。分荼離迦ふんだりかと名づく。謂く、かの罪人の一切の身分に、芥子ばかりの火炎なき処なし。異の地獄の人、かくの如く説いて言く。「汝、疾く速かに来れ。汝、疾く速かに来れ。ここに分荼離迦の池あり。水ありて飲むべく、林に潤える影あり」と。 随いて走り趣くに、道のほとりあなありて、中にさかんなる火満てり。罪人、入り已りて、一切の身分、皆悉く焼け尽く。焼け已ればまた生じ、生じ已ればまた焼く。渇欲かつよくやまず。便すなわち前に進み入る。既にかの処に入れば、分荼離迦の炎の燃ゆること、高さ五百由旬なり。かの火に焼かれ炙られ、死してまたよみがえる。もし人、自ら餓死して、天に生ずることを得んと望み、また他人に教えて、邪見にとどまらしめたるものし者、この中に堕つ。
復有別所、名闇火風、謂彼罪人、悪風所吹、在虚空中、無所依処、如輪疾転、身不可見、如是転已、異刀風生、砕身如沙、分散十方、散已復生、生已復散、恒常如是、若人作如是見、一切諸法、有常無常、無常者身、常者四大、彼邪見人、受如是苦、余如経説<正法念経> また別処あり。闇火風あんかふうと名づく。謂くかの罪人、悪風に吹かれ、虚空の中にありて、所依の処なし。輪の如く疾く転じて、身見るべからず。かくの如く転じ已るに、異る刀風生じて、身を砕くこと砂の如く、十方に分散す。散り已りてまた生じ、生じ已ればまた散ず。恒常つねにかくの如し。もし人かくの如きの見をさん、「一切の諸法には、常と無常とあり。、無常のものは身なり、常のものは四大しだいなり。かの邪見の人、かくの如き苦を受く。余は如経に説くが如し。<正法念経>
七、大焦熱地獄者、在焦熱下、縦広同前、苦相亦同<大論瑜伽論>但前六地獄根本別所一切諸苦、十倍具受、不可具説、 其寿半中劫、殺盗婬飲酒妄語邪見、并汙浄戒尼之者、堕此中、 七に大焦熱地獄とは、焦熱の下にあり、縦広、前に同じ。 >苦の相もまた同じ。<大論瑜伽論>ただし前の六の地獄の根本と別所との、一切の諸苦を、十倍してつぶさに受く。具さに説くべからず。 その寿、半中劫なり、殺・盗・婬・飲酒・妄語・邪見、ならびに浄戒の尼をけがせる者、この中に堕つ。
此悪業人、先於中有、見大地獄相、有閻羅人、面有悪状、手足極熱、捩身怒肱、罪人見之、極大恾怖、其声如雷吼、罪人聞之、恐怖更増、其手執利刀、腹肚甚大、如黒雲色、眼炎如燈、鉤牙鋒利、臂手皆長、揺動作勢、一切身分、皆悉麁起、如是種々畏形状、堅繋罪人咽、如是将去、過六十八百千由旬地海洲城、在海外辺、復行三十六億由旬、漸々向下十億由旬 この悪業の人は、まづ中有において、大地獄の相を見るに、閻羅人えんらにんありて、面に悪しき状あり。手足極きわめて熱くして、身をじ肱を怒らす。罪人これを見て、極めて大いに恾怖もうふす。その声、雷の吼ゆるが如し。罪人これを聞くに、恐怖更に増す。その手に利き刀を執り、腹肚ふくと甚だ大にして、黒雲の色の如し。眼の炎は燈の如く、まがえる牙はほこさきのごとく利し。ひじ・手皆長く、揺り動かして勢をすに、一切の身分しんぶん、皆悉くあらく起つ。かくの如き種々の畏るべき形状にて、堅く罪人の咽をとらへ、かくの如くしてひきいて去るに、六十八百千由旬の地海洲城を過ぎて、海の外辺にあり。また行くこと三十六億由旬にして、漸々に下に向いて十億由旬なり。
一切風中、業風第一、如是業風、将悪業人去、到彼処、既到彼已、閻魔羅王種々呵嘖、呵嘖既已、悪業羂縛、出向地獄、遠見大焦熱地獄普大炎燃、又聞地獄罪人啼哭之声、悲愁恐魄、受苦無量、如是無量百千万億、無数年歳、聞啼哭声、十倍恐魄、心驚怖畏、閻羅人呵嘖之言、 一切の風の中には、業風を第一とする。かくの如き業風、悪業の人をひきい去りて、かの処に到る。既にかしこに到り已れば、閻魔羅王、種々に呵嘖す。呵嘖既に已れば、悪業のなわにて縛られ、出でて地獄に向う、遠く大焦熱地獄のあまねく大炎の燃ゆるを見る。また地獄の罪人の啼き哭ぶ声を聞く。悲しみ愁え恐るるたましいもて、無量の苦を愛く。かくの如く無量百千万億の年歳の間啼き哭ぶ声を聞き、十倍にして魄を恐れしめ、心驚き怖畏す。閻羅人、これを呵嘖して言く、
汝聞地獄声、已如是怖畏、何況地獄焼、如焼乾薪草、火焼非是焼、悪業乃是焼、火焼則可滅、業焼不可滅 汝  地獄の声を聞いて 已にかくの如く怖畏す いかにいはんや地獄に焼かるること  乾ける薪草を焼くがごとくなるをや 火の焼くはこれ焼くにあらず  悪業すなわちこれ焼くなり  火の焼くはすなわち滅すべし 業の焼くは滅すべからず
云々、如是苦呵嘖已、将向地獄、有大火聚、其聚挙高五百由旬、其量寛広二百由旬、炎燃熾盛、彼人所作悪業勢力、急擲其身、堕彼火聚、如大山岸推在険岸<已上、正法念経略抄> と云々。かくの如くねんごろに呵嘖し已りて、ひきいて地獄に向うに、大いなる火聚かじゅあり。そのあつまりあがれる高さ五百由旬なり、その量、ひろく広がれること二百由旬なり。炎燃えて熾盛しじょうなるは、かんも人の所作の悪業の勢力なり。すみやかにその身を擲げて、かの火聚に墜すこと、大いなる山の岸より推して険しき岸にくがごとし。<已上、正法念経略抄>
此大焦熱地獄四門之外、有十六別処、其中一処、一切無間、乃至虚空、皆悉炎燃、無針孔許不炎燃処、罪人火中発声唱喚、無量億歳、常焼不止、犯清浄優婆夷之者、堕此中 この大焦熱地獄の四門の外に、十六別処あり。その中の一処は、一切ひまなく、乃至ないし虚空まで皆悉く炎の燃えて、針の孔ばかりも炎の燃えざる処なし。罪人、火の中にて声を発し、唱え喚べども、無量億歳、常に焼かるること止まず。清浄の優婆夷うばいを犯せる者、此の中に堕つ。
復有別処、名普受一切苦悩、謂炎刀剥割一切身皮、不侵其肉、既剥其皮、与身相連、敷在熱地、以火焼之、以熱鉄沸、潅其身体、如是無量億千歳、受大苦也、比丘以酒、誘誑持戒婦女、壊其心已、然後共行或与財物之者、堕此中、余如経説<正法念経略抄> また別処あり、普受一切苦悩ふじゅいっさいくのうと名づく。謂く、炎の刀にて一切の身の皮を剥ぎ割いて、その肉を侵さず。既にその皮を剥げば、身と相連ねて、熱き地に敷きき、火を以てこれを焼き、熱鉄の沸けるを以て、その身体に潅ぐ。かくの如く無量億千歳、大苦を受くるなり。比丘にして酒を以て、持戒の婦女を誘い誑らかし、その心を破り已りて、しかる後、共にぎょう、或は財物を与えたる者、この中に堕つ。余は経に説くが如し。<正法念経略抄>
 八、阿鼻地獄者、在大焦熱之下欲界最低之処、罪人趣向彼時、先中有位、啼哭説偈言、 八に阿鼻地獄とは、大焦熱の下、欲界の最低の処にあり。罪人、かしこに趣き向かう時、まず中有の位にして、啼き哭び偈を説いて言わく、
一切唯火炎、遍空無中間、四方及四維、地界無空処、一切地界処、悪人皆遍満、我今無所帰、孤独無同伴、在悪処闇中、入大火炎聚、我於虚空中、不見日月星、一切はただ火炎なり 空に偏して中間なし 四方及四維 地界にも空しき処なし 一切の地界の処に 悪人皆遍満せり 我、今帰する所なく 孤独にして同伴なし 悪処の闇の中にありて 大火炎聚に入る 我、 虚空の中において 日月星を見ざるなり
時閻羅人以、瞋怒心答曰 と。時に閻魔人、瞋怒しんぬの心を以て答えて曰く、
或増劫或減劫 大火焼汝身、痴人已作悪、今何用生悔、非是天修羅、健達婆竜鬼、業羅所繋縛、無人能救汝、如於大海中、唯取一掬水、此苦如一掬、後苦如大海 或るは増劫ぞうごう或いは減劫げんごう 大火、汝が身を焼く 痴人已に悪を作る 今何を用いてか悔いを生ずる これ天・修羅・健達婆けんだっぱ・竜・鬼のなせるにあらず 業のあみ繋縛けばくされたるなり 人の能く汝を救うものなし 大海の中において、ただ一掬いっすいの水を取るが如し この苦一掬の如し 後の苦は大海の如し
既呵嘖已、将向地獄、去彼二万五千由旬、聞彼地獄啼哭之声、十倍悶絶、頭面在下、足在於上、逕二千年、皆向下行<正法念経略抄> と。既に呵嘖しおわりて、ひきいて地獄に向かう。かれを去ること二万五千由旬にして、かの地獄の啼き哭ぶ声を聞き、十倍に悶絶す。頭面は下にあり、足は上にありて、二千年をて、皆下に向かいて行く。<正法念経略抄>
 彼阿鼻城、縦広八万由旬、七重鉄城、七層鉄網、下有十八隔、刀林周帀、四角有四銅狗、身長四十由旬、眼如電、牙如剣、歯如刀山、舌如鉄刺、一切毛孔、皆出猛火、其烟臭悪、世間無喩、有十八獄卒、頭如羅刹、口如夜叉、有六十四眼、迸散鉄丸、鉤牙上出、高四由旬、牙頭火流、満阿鼻城、頭上有八牛頭、一々牛頭、有十八角、一々角頭、皆出猛火、又七重城内、有七鉄幢、幢頭火踊、猶如沸泉、其炎流迸、亦満城内、四門閫上、有八十釜、沸銅涌出、亦満城内、一々隔間、有八万四千鉄蟒大蛇、吐毒吐火、身満城内、其蛇哮吼、如百千雷、雨大鉄丸、亦満城内、有五百億虫、有八万四千嘴、嘴頭火流、如雨而下、此虫下時、獄火弥盛、遍照八万四千由旬、又八万億千、苦中苦者、集在此中<観仏三昧経略抄> かの阿鼻城は、縦広八万由旬、七重の鉄城、七層の鉄網あり。下に十八のありて、刀林周りめぐる。四の角に四の銅の狗あり、身のたけ四十由旬なり。眼はいなずまの如く、牙は剣の如く、歯は刀の山の如く、舌は鉄のとげの如し。一切の毛孔より、皆猛火を出し、その烟、臭悪にして、世間にたとうるものなし。十八の獄卒あり。頭は羅刹らせつの如く、口は夜叉の如し。六十四の眼ありて、鉄丸をほとばしり散らし、まがれる牙は上に出でて、高さ四由旬、牙の頭より火流れて、阿鼻城に満つ、頭の上には八の牛頭ごずあり、一々の牛頭に、十八の角ありて、一々の角の頭より、皆猛火を出す。また七重の城の内には、七つの鉄幢てつどうあり。幢の頭より火の踊ること、猶したぎれる泉の如し。その炎流れ迸りて、また城の内に満つ。四門のしきみの上に、八十の釜あり。沸れる銅、涌き出で出でて、また城の内に満つ。一々の隔の間に、八万四千の鉄のおろち・大蛇ありて、毒を吐き、火を吐いて、城の内に満つ。その蛇の哮び吼ゆること、百千の雷の如し。大いなる鉄丸をらして、また満城の内に満つ。五百億の虫あり。八万四千の嘴ありて、嘴の頭より火流れ、雨の如く下る。この虫下る時、獄火いよいよ盛んにして、遍く八万四千由旬を照らす。また八万億千の苦の中の苦は、集りてこの中にあり。<観仏三昧経略抄>
 瑜伽の第四云、従東方多百踰繕那三熱大鉄地上、有猛熾火騰焔而来、刺彼有情、穿皮入肉、断筋破骨、復徹其髄、焼如脂燭、如是挙身、皆成猛焔、従如東方、南西北方、亦復如是、由此因縁、彼諸有情、与猛焔和雑、唯見火聚従四方来、火焔和雑、無有間隙、所受苦痛、亦無間隙、唯聞苦逼号叫之声、知有衆生、又以鉄箕、盛満三熱鉄炭、而簸揃之、復置熱鉄地上、令登大熱鉄山、上而復下、下而復上、従其口中、抜出其舌、以百鉄釘、而張之令無皺𧚥、如張牛皮、復更仰臥熱鉄地上、以熱鉄鉗、鉗口令開、以三熱鉄丸、置其口中、即焼其口及以咽喉、於徹府蔵、従下而出、又以洋銅而潅其口、焼喉及口、徹於府蔵、従下流出<已上、瑜伽、言三熱、焼燃極焼燃、遍極焼燃> 瑜伽の第四云く、東方の多百踰繕那ゆぜんな、三熱の大鉄地の上より、猛く熾りなる火ありて焔をあげて来たり。かの有情を刺す。皮を穿ちて肉に入り、筋を断ちて骨を破り、またその髄に徹り、焼くこと脂燭すしそくの如し。かくの如く身を挙げて、皆猛焔と成る。東方よりするが如く、南・西・北方もまたかくの如し。この因縁に由りて、かのもろもろの有情、猛焔と和しまじり、ただ火聚の、四方より来るを見るのみ。火焔、和し雑り、間隙あることなく、受くる所の苦痛もまた間隙なし。ただ苦に逼られてき叫ぶ声を聞くのみにて、衆生あるを知る。また鉄の箕を以て、三熱の鉄・炭を盛り満たしてこれをあぶり揃え、また熱鉄の地の上に置いて、令登大いなる熱鉄の山に登らしむ。上りてはまた下り、下りてはまた上る。その口中より、抜その舌を抜き出し、百の鉄釘を以て、しかもこれを張、令無皺𧚥すすいなからしむること。如張牛の皮を張る如し。また更に熱鉄の地の上に仰ぎ臥せ、熱鉄の鉗を以て、口をはさみて開かしめ、三熱の鉄丸を以て、その口中に置くに、即ちその口及以および咽喉を焼き、府蔵をとうりて、下より出ず。また洋銅を以てその口に濯ぐに、喉及び口を焼き、府蔵を徹りて下より流れ出ず。と。<以上、瑜伽に三熱と言うは、焼燃しょうねん極焼燃ごくしょうねん遍極焼燃へんごくしょうねんなり>
 七大地獄、并及別処、一切諸苦、以為一分、阿鼻地獄一千倍勝、如是阿鼻地獄之人、見大焦熱地獄罪人、如見他化自在天処、四天下処、欲界六天、聞地獄気、即皆消尽、何以故、以地獄人極大臭故、地獄臭気、何故不来、有二大山、一名出山、二名没山、遮彼臭気、若人聞一切地獄所有苦悩、皆悉不堪、聞此則死、如是阿鼻大地獄処、於千分中、不説一分、何以故、不可説尽、不可得聴、不可譬喩、若有人説、若有人聴、如是之人、吐血而死<正法念経略抄> 七大地獄と并及ならびに別処の一切の諸苦を、以って一分とせんに、阿鼻地獄は一千倍して勝れり。かくの如くなれば阿鼻地獄の人は、大焦熱地獄の罪の人を見ること、他化自在天の処を見るが如し、四天下してんげの処、欲界の六天も、地獄の気を聞かば、即ち皆消え尽きなん。何を以っての故に、地獄の人は極めてはなはだ臭きを以ての故に、地獄の臭気、何が故に来らずとならば、有二の大ありて、一を出山しゅっせんと名づけ、二を名没山もつせんとな名づけ、かの臭気を遮ればなり。もし人、一切の地獄の所有の苦悩を聞かば、皆悉く堪えざらん。これを聞かば則ち死せん。かくの如くなれば、阿鼻大地獄の処は、千分の中に於て、一分をも説かず、何を以っての故に。説き尽すべからず、聴くことも得べからず、譬喩すべからざればなり。もし人ありて説き、もし人ありて聴かば、かくの如き人は、血を吐いて死せん。<正法念経略抄>
此無間地獄、寿一中劫<倶舎論> 造五逆罪、撥無因果、誹謗大乗、犯四重、虚食信施者、堕此中<依観仏三昧経> この無間獄は寿一中劫なり。<倶舎論> 五逆罪を造り、因果を撥無はつむし、大乗を誹し、四重を犯し、虚しく食信施を食える者、この中に堕つ。<観仏三昧経に依る>
 此無間地獄四門之外、亦有十六眷属別処、其中一処、名鉄野干食処、謂罪人身上、火燃十由旬量、諸地獄中、此苦最勝、又雨鉄塼、如盛夏雨、身体破砕、猶如乾脯、炎牙野干、常来食噉、於一切時、受苦不止、昔焼仏像焼僧房焼僧臥具之者、堕此中、 この無間獄の四門の外にもまた十六の眷属の別処あり。その中の一処を、鉄野干食処てつやかんじきしょと名づく。謂く、罪人の身の上に、火の燃ゆること十由旬量なり。もろもろの地獄の中に、この苦最も勝れり。また雨鉄の塼をらすこと、盛夏の雨の如く、身体の破れ砕くること、猶し乾脯ほじしの如し、炎の牙ある野干、常に来りて食い噉み、一切の時に於て、苦を受くること止まず、昔、仏像を焼き僧房を焼き僧の臥具がぐを焼きし者、この中に堕つ。
復有別処、名黒肚処、謂飢渇身焼、自肉其食、食已復生、生已復食、有黒肚蛇、繞彼罪人、始従足甲、漸々齧食、或入猛火焚焼、或在鉄鑊煎煮、無量億歳、受如此苦、昔取仏財物、食用之者、堕此中、 また別処あり。黒肚処こくとしょと名づく。謂く、飢渇身を焼き、自らその肉を食う。食い已ればまた生じ、生じ已ればまた食う。黒きはらの蛇ありて、かの罪人にまとい、始め足の甲より漸々にみ食う。或は猛火に入れて焚焼し、或は鉄のかなえいて煎り煮る。無量億歳、かくの如き苦を受く。昔、仏の財物を取りて、食い用いたる者、この中に堕つ。
復有別処、名雨山聚処、謂一由旬量鉄山、従上而下、打彼罪人、砕如沙揣、砕已復生、生已復砕、又有十一炎、周遍焼身、又獄卒以刀、遍割身分、極熱白鑞汁、入其割処、四百四病、具足常有、長久受苦、無有年歳、昔取辟支仏之食、自食不与之者、堕此、 また別処あり。、雨山聚処うせんじゅしょと名づく。謂く、一由旬量の鉄山、上より下りて、かの罪人を打ち、砕くること沙揣しゃだんの如し。砕け已ればまた生じ、生じ已ればまた砕く。また十一の炎あり。めぐめぐりて身を焼く。また獄卒、刀を以て遍く身分を割き、極熱の白鑞の汁を、その割たる処に入る。四百四病、具足して常にあり。長久に苦を受けて年歳あることなし。昔、 辟支仏びゃくしぶつの食を取り、自ら食いて与えざりし者、ここに堕つ。
復有別処、名閻婆度処、有悪鳥、身大如象、名曰閻婆、嘴利出炎、執罪人遥上空中、東西遊行、然後放之、如石堕地、砕為百分、砕已復合、合已復執、又利刃満道、割其足脚、或有炎歯狗、来齧其身、於長久時、受大苦悩、昔決断人用之〔河〕、令人渇之死者、堕此、余如経説<已上、正法念経> また別処あり。閻婆度処えんばどしょと名づく。悪鳥あり、身の大きさ象の如し。名づけて閻婆と曰う、嘴利くして炎を出す。罪人を執りて遥かに空中に上り、東西に遊行し、しかる後にこれを放つに、石の地に堕つるが如く、砕けて百分となる。砕け已ればまた合し、合し已ればまた執る。また利き刃、道に満ちて、その足脚を割く。或は炎の歯ある狗あり、来りてその身をむ。長久の時に於いて大いなる苦悩を受く。昔、人の用いる〔河を〕決断して、人をして渇死せしめたる者、ここに堕つ。余は経に説くが如し。<已上、正法念経>
 瑜伽第四、通説八大地獄近辺別処云、謂彼一切諸大那落迦、皆有四方四岸四門、鉄墻囲遶、従其四方四門出已、其一々門外、置四出園、謂煻煨斉膝、彼諸有情、出為求舎宅、遊行至此、下足之時、皮肉及血、並即消爛、挙足還生、次此煻煨無間、即有死屍糞泥、此諸有情、為求舎宅、従彼出已、漸々遊行、陥入其中、首足倶没、又屍糞泥内、多有諸虫、名嬢矩吒、穿皮入肉、断筋破骨、取髄而食、次屍糞泥無間、有利刀剣仰刃為路、彼諸有情、為求舎宅、従彼出已、遊行至此、下足之時、皮肉筋血、悉皆消爛、挙足之時、還復故如 次刀剣刃路無間、有刃葉林、彼諸有情、為求舎宅、従彼出已、往趣彼陰、纔坐其下、微風逐起、刃葉堕落、斫截其身一切支節、便即躃地、有黒黧狗、揸掣背胎、而噉食之、従此刃葉林無間、有鉄設柆末梨林、彼諸有情、為求舎宅、便来趣之、遂登其上、当登之時、一切刺鋒、悉廻向下、欲下之時、一切刺鋒、復廻向上、由此因縁、貫刺其身、遍諸支節、尓時便有鉄、嘴大烏、上彼頭上、或上其髆、探啄眼精、而噉食此、従鉄設柆末梨林無間、有広大河、沸熱灰水、弥満其中、彼諸有情、尋求舎宅、従彼出已、来堕此中、猶如以豆置大鑊、燃猛熾火而煎煮之、随湯騰湧、周旋廻復、於河両岸、有諸獄卒、手執杖索及以大網、行列而往、遮彼有情、不令得出、或以索羂、或以網漉、復置広大熱鉄地上、彼仰有情、而問之言、汝等今者、欲何所須、如是答言、我等今者、竟無覚知、然為種々飢苦所逼、時彼獄卒、即以鉄鉗、鉗口令開、便以極熱焼燃鉄丸、置其口中、余如前説、若彼答言我今唯為渇苦所逼、尓時獄卒、便即洋銅以潅其口、由是因縁、長時受苦、乃至先世造所一切〔悪業〕、能感那落迦、悪不善業未尽、未出此中、若刀剣刃路、若刃葉林、若鉄設柆末梨林、摠之為一、故有四園<已上、瑜伽并倶舎意、一々地獄四門之外、各有四園、合為十六、不同正法念経、八大地獄十六別処名相各別> 復有頞部陀等八寒地獄、具如経論、不遑述此 瑜伽の第四に、通じて八大地獄の近辺の別処を説いて云く謂く、かの一切のもろもろの大那落迦ならかには、皆、四方に四の岸と四の門ありて、鉄墻てつぞう囲いめぐる。その四方の四門より出で已れば、その一々の門の外に、四の 出園しゅつおんを置く。謂く、 煻煨とうえありて膝にひとし。かのもろもろの有情、出でて舎宅を求めんが為に、遊行してここに至る。足を下す時、皮肉及び血、ともに即ちただる。足を挙ぐればまた生ず。次にこの煻煨ひまなくして、即ち死屍糞泥ししふんでいあり。このもろもろの有情、舎宅を求めんが為に、かしこより出で已りて、漸々に遊行し、その中に陥ち入るに、首足ともに没す。また屍糞泥の内に、多くもろもろの虫あり。嬢矩吒ひくたと名づく。皮を穿ちて肉に入り、筋を断ちて骨を破り、髄を取りて食う。次に屍糞泥より間なくして、利き刀剣の刃を仰けて路となすあり。かのもろもろの有情、求舎宅を求めんが為に、かしこより出で已りて、遊行してここに至る。足を下ろす時、皮肉筋血、悉く皆け爛る。挙足を挙ぐる時、また復することもとの如し。
 次に刀剣の刃の路より間なくして、刃の葉の林あり。かのもろもろの有情、舎宅を求めんが為に、かしこより出で已りて、往いてかの陰に趣き、わずかにその下に座るに、微風逐い起りて、刃の葉堕落し、その身の一切支節を斫り截つに、便即すなわ地にたおる。 黒黧こくらいの狗あり。背・はらつかいて、これを噉み食らう。
 この刃の葉の林より間なくして、鉄設柆末梨てっしりゅうまりの林くあり。かのもろもろの有情、舎宅を求めんが為に、便すなわちここに来り趣き、遂にその上に登る。これに登る時に当たって、一切の刺鋒しふ、悉く廻りて下に向き、これを下らんと欲する時、一切の刺鋒、また廻りて上を向く。この因縁に由りて、その身を貫き刺すこと、もろもろの支節に遍く、その時便ち鉄の嘴ある大烏ありて、かの頭上に上り、或はそのかたに上り、探啄眼精を啄んで、これを噉み食う。
鉄設柆末梨の林より間なくして、有広大なる河あり。たぎれる熱き灰水、その中に満つ。かのもろもろの有情、舎宅を尋ね求め、かしこより出で已りて、来りてこの中に堕つ。猶し豆を以てこれを大いなるかなえに置き、猛く熾なる火を焼いて、これを煎り煮るが如し。湯のがり湧くに随いて、周旋して廻り復る。河の両岸において、もろもろの獄卒あり。手に杖索じょうさく及以および大網を執りて、行列してち、かの有情を遮りて、出づることを得しめず。或はつなを以てけ、或は網を以てすくう。また広大なる熱鉄の地の上に置き、果の有情を仰むけて、これを問うて言う。「汝等いま、何ののぞむ所をか欲するや」と。かくの如く答えて言う、「我等、いま、ついに覚知することなし。しかも種々の飢苦の為に逼られる」と。時にかの獄卒、即ち鉄の鉗を以て、口をはさんで、開けしめ、便以すなわち極熱の焼け燃たる鉄丸を以てその口の中に置く。余は前に説けるが如し。もし彼答えて、「我今ただ渇苦の為に逼られる」と言わば、その時獄卒、便即すなわち洋銅を以てその口に濯ぐ。この因縁に由りて、長時に苦を受く。乃至ないし先世の造る所の一切の〔悪業〕、能く那落迦を感じ、悪・不善の業いまだ尽きざれば、未だこの中を出でず。もしは刀剣・刃路、もしは刃葉の林、もしは鉄設柆末梨の林、これをすべて一となす。故の四の園あるなりと。<以上は、瑜伽并倶舎の意なり、一々地獄の四の門の外に、各四の園あり。合して十六と為す。正法念経の、八大地獄の十六別処の名相の、おのおの別なるに同じからず。> また頞部陀あぶだ等の八寒地獄、つぶさには経論の如し。これを述ぶるにいとまあらず。
第二、明餓鬼道者、往処有二、一者在地下五百由旬、閻魔王界、二者在人天之間、其相甚多、今明少分、 第二に、餓鬼道を明かさば、往処に二あり。一は地の下五百由旬にあり。閻魔王界なり。二は人・天の間にあり。その相甚だ多し。いま少分を明かせば、
或有鬼、名鑊身、其身長大、過人両倍、無有面目、手足猶如鑊脚、熱火満中、焚焼其身、昔貪財屠殺之者、受此報、 或は鬼あり。鑊身かくしんと名づく。その身のたけ大にして、人に過ぎること両倍、面・目あることなく、手足はなおかなえの脚の如し。熱き火中に満ちて、その身を焚焼ふんしょうす。昔、財を貪り、ほふり殺せし者、この報を受く。
或有鬼、名食気、世人依病、水辺林中設祭、嗅此香気、以自活命、昔於妻子等前、独噉美食之者、受此報、 或は鬼あり。食気じきけと名づく。世人の、病に依りて、水の辺、林の中に祭を設くるに、この香気を嗅ぎて、以って自ら活命す。昔、妻子等の前に於て、独り美食を噉へる者、この報を受く。
或有鬼、名食法、於嶮難処、馳走求食、色如黒雲、涙流如雨、若至僧寺、有人呪願説法之時、因此得力活命、昔為貪名利、不浄説法之者、受此報 或は鬼あり。食法じきほうと名づく。嶮難の処に於て、馳け走りて食を求む。色は黒雲の如く、涙の流るること雨の如し。もし僧寺に至りて、人の 呪願し説法することある時は、これに因りて力を得て活命す。昔、名利を貪らんが為、不浄に説法せし者、この報を受く。
或有鬼、名食水、飢渇焼身、周慞求水、困不能得、長髪覆面、目無所見、走趣河辺、若人渡河、脚足之下、遺落余水、速疾接取、以自活命、或人掬水、施亡父母、則得少分、命得存立、若自取水、守水諸鬼、以杖撾打、昔沽酒加水、或沈蚓蛾、不修善法者、受此報、 或は鬼あり。食水じきすいと名づく。飢渇きかつ身を焼き、 周慞しゅうしょうして水を求むるに、くるしんで得ることあたわず。長き髪面を覆い、目見る所なく、河の辺に走り趣いて、もし人河を渡りて、脚足の下より、遺し落せる余水あれば、速かに疾く接し取りて、以って自ら活命す。或は人の水を掬びて、亡き父母に施すことあらば、則ち少分を得て、命存立することを得。もし自ら水を取らんとすれば、水を守るもろもろの鬼、杖を以てち打つ。昔、酒をるに、水を加え、或はみみずを沈めて、善法を修めざりしもの者、この報を受く。
或有鬼、名悕望、世人為亡父母、設祀之時、得而食之、余悉不能食、昔人労而得少物、誑惑取用之者、受此報 或は鬼あり。悕望けもうと名づく。世人の亡き父母の為に、祀を設くる時、得てこれを食う。余は悉く食することあたわず。昔、人の、労して少しく物を得たるを、たぶらかし惑はしてこれを取り用いし者、この報いを受く。
或有鬼、生海渚中、無有樹林河水、其処甚熱、以彼冬日、比人間夏、過踰千倍、唯以朝露、而自活命、雖住海渚、見海枯竭、昔路行之人、病苦疲極、欺取其賣、与直薄少之者、受此報、 或は鬼あり。海のなかすの中に生まる。樹林・河水あることなく、その処甚だ熱し。かの冬の日を以て人間の夏に比ぶるに、過ぎゆること千倍なり。ただ朝露を以て、自ら活命す。海の渚に住むといへども、海は枯竭せりと見る。昔、路を行く人、病苦に疲れ極れるに、そのうりものを欺き取りて、あたいを与うること薄少なりし者、この報いを受く。
或有鬼、常至塚間、噉焼屍火、猶不能足、昔典主刑獄、取人飲食之者、受此報、 或は鬼あり。常に塚の間に至りて、屍を焼ける火を噉うに、なお足ることあたわず。昔、刑獄を典主して、人の飲食を取りし者、この報を受く。
或有餓鬼、生在樹中。逼迮󠄂押身、如賊木虫、受大苦悩、昔伐陰涼樹、及伐衆僧園林之者、受此報<正法念経> 或は餓鬼あり。生れて樹の中にあり、逼迮󠄂ひきしゃくして身を押されること、賊木虫とくさむしの如く、大いなる苦悩を受く。昔、陰涼しき樹を伐り、及び衆僧の園林を伐りし者、この報を受く。<正法念経>
或復有鬼、頭髪垂下、遍纏身体、其髪如刀、刺切其身、或変作火、周帀焚焼 或はまた鬼あり、頭髪垂れ下りて、遍く身体にまとはり、その髪刀の如くその身を刺し切る。或は変じて火と作り、周りめぐりて焚焼す。
或有鬼、昼夜各生五子、随生食之、猶常飢乏<六波羅蜜経>、 或は鬼あり。昼夜におのおの五子を生むに、生むに随いてこれを食へども、なお常に飢えて乏し。<六波羅蜜経>、
復有鬼、一切之食、皆不能噉、唯自破頭、取脳而食、或有鬼、火従口出、飛蛾投火、以為飲食、或有鬼、食糞涕膿血洗器遺余<大論> また鬼あり。一切の食、皆噉うことあたわず、ただ自ら頭を破り、脳を取りて食う。或は鬼あり、火を口より出し、飛べる蛾の火に投ずるを以て飲食となす。或は鬼あり。糞・涕・膿血・洗いし器の遺余を食う。<大論>
 又有依外障不得食鬼、謂飢渇常急、身体枯竭、適望清流、走向趣彼、有大力鬼、以杖逆打、或変作火、或悉枯涸、或有依内障不得食鬼、謂口如針孔、腹如大山、縦逢飲食、無由噉之、或有無内外障而不能用鬼、謂適逢少食而食噉者、変作猛焔、焼身而出<瑜伽論> また外の障に依りて食を得ざる鬼あり。謂く。飢渇常に急にして、身体枯竭す。たまたま清流を望み、走り向いてかしこに趣けば、大力の鬼あり、杖を以てむかへ打つ。或は変じて火と作り、或は悉く枯れかわく。或は内の障に依りて食を得ざる鬼あり。謂く、口は針の孔の如く、腹は大いなる山の如くして、たとい飲食に逢うとも、これを噉うに由なし。或は内外の障なけれども、用うることあたわざる鬼あり。謂くたまたまわずかの食に逢いて食い噉めば、変じて猛焔となり、身を焼いて出づ。<瑜伽論>
以人間一月、為一日夜、成月年、寿五百歳、正法念経云、  慳貪嫉妬者、堕飢餓道 人間の一月を以て、一日夜となして、月・年を成し、寿五百歳なり、正法念経に云く、 慳貪けんとんと嫉妬の者、飢餓道に堕つと。
第三、明畜生道、其住処有二、根本住大海、支末雑人天、別論、有三十四億種類、惣論、不出三、一者禽類、二者獣類、三者虫類 第三に畜生道を明かせば、その住処に二あり。根本は大海に住し、支末は人・天に雑はる。別して論ずれば、三十四億の種類あれども、惣じて論ずれば三を出でず。一には禽類、二には獣類、三には虫類なり。
如是等類、強弱相害、若飲若食、未曾暫安、昼夜之中、常懐怖懼、況復諸水性之属、為漁者所害、諸陸行之類、為猟者所害、若如象馬牛驢駱駝騾等、或鉄鉤斲󠄂其脳、或穿鼻中、或轡繋首、身常負重、加諸杖捶、但念水草、余無所知、又蚰蜒鼠狼等、闇中而生、闇中而死、蟣蝨蚤等依人身生、還依人死、又諸竜衆、受三熱苦、昼夜無休、或復蟒蛇、其身長大、聾騃無足、宛転腹行、為諸小虫之所食唼 かくの如き等の類、強弱あい害す。もしは呑みもしは食い、いまだ曾て暫くも安からず。昼夜の中に、常に怖懼ふぐを懐けり。いわんやまた、もろもろの水性のともがらは、魚者の為に害せらる。もろもろの陸行の類は、猟者の為に害せらる。もしは象・馬・牛・驢・駱駝・騾等の如きは、、或は鉄の鉤にてその脳を斲󠄂られ、或は鼻の中に穿たれ、或は轡を首に繋ぎ、身に常に重きを負いて、もろもろの杖捶じょうすいを加えられる、ただ水草を念いて、余は知る所なし。また蚰蜒ゆえん鼠狼そろう等は、闇の中に生れて、闇の中に死す。蟣蝨きしつ・蚤等は人身に依りて生じ、また人に依りて死す。またもろもろの竜の衆は三熱の苦を受けて、昼夜に休むことなし。或はまた蟒蛇もうだは、その身長大なれども、聾騃ろうがいにして足無く、宛転として腹行し、もろもろの小虫の為にい食わる。
如是諸畜生、或経一中劫、受無量苦、或遇諸違縁、数被残害、此等諸苦、不可勝計、愚痴無慚、徒受信施、他物不償者、受此報 かくのごときもろもろの畜生、或は一中劫を経て無量の苦を受く。或はもろもろの違縁に遇いて、しばしば残害せらる。これらのもろもろの苦、げてかぞうべからず。愚痴・無慚にして、いたずらに信施を受けて、他の物もてつぐなはざりし者、この報を受く。
 第四、明阿修羅道者、有二、根本勝者、住須弥山北巨海之底、支流劣者、在四大州間山巌之中、雲雷若鳴、謂是天鼓、怖畏周章、心大戦悼、亦常為諸天之所侵害、或破身体、或夭其命、又日々三時、苦具自来逼害、種々憂苦、不可勝説 第四に、阿修羅道を明かさば二あり。根本の勝れたる者は、須弥山の北、巨海の底に住し、支流の劣れる者は四大州の間、山巌の中にあり。雷鳴もし鳴れば、これ天の鼓なりとおもいて怖畏周章し、心大いにおののき悼む。また常に諸天のために侵害せられ、或るは身体を破り、或るはその命を夭す。また日日三時に、苦具自ずから来りてせまり害し、種々に憂い苦しむこと、げて説くべからず。
 第五、明人道者、略有三相、応審観察、一不浄相、二苦相、三無常相 第五に、人道にんどうを明かさば、略して三の相あり。審かに観察すべし。一には不浄の相、二には苦の相、三には無常の相なり。
 一不浄者、凡人身中、有三百六十之骨、節節相拄、謂指骨拄足骨、足骨拄踝骨、踝骨拄𨄔骨、𨄔骨拄膝骨、膝骨拄䏶骨、䏶骨拄臗骨、臗骨拄腰骨、腰骨拄脊骨、脊骨拄肋骨、復脊骨拄項骨、項骨拄頷骨、頷骨拄牙歯、上有髑髏、復項骨拄肩骨、肩骨拄臂骨、臂骨拄腕骨、腕骨拄掌骨、掌骨拄指骨、如是展転、次第鎖成<大経> 三百六十骨聚所成、如朽壊舎、 一に不浄とは、およそ人の身の中には、三百六十の骨ありて、節と節と相拄あいささう。、謂く、指の骨は足の骨をささへ、足の骨は踝の骨を拄へ、くるぶしの骨は𨄔はぎの骨をささへ、𨄔の骨は膝の骨を拄え、膝の骨はももの骨を拄え、䏶の骨はしりの骨を拄へ、臗の骨は腰の骨を拄え、腰骨は脊の骨を拄え、脊の骨はあばらの骨を拄へ、また脊の骨はうなじの骨を拄へ、項の骨はおとがいの骨を拄へ、頷の骨は牙歯を拄へ、上に髑髏あり。また項の骨は肩の骨を拄へ、肩の骨はひじの骨を拄へ、臂の骨は腕の骨を拄へ、腕の骨はたなごころの骨を拄へ、掌の骨は指の骨を拄へ、かくの如く展転して、次第に鎖のごとく成れり。<大経> 三百六十の骨の聚りて成ずる所にして、くずれたるいえの如し。
諸節支持、以四細脈周帀弥布、五百分肉、猶如泥塗、六脈相繋、五百筋纏、七百細脈、以為編絡、十六麁脈、鉤帯相連、有二肉縄、長三尋半、於内纏結、十六腸胃、繞生熟蔵、二十五気脈、猶如窓隙、一百七関、宛如破器、八万毛孔、如乱草覆、五根七竅、不浄盈満、七重皮裹、六味長養、猶如祠火呑受無厭、如是之身、一切臭穢、自性殨爛、誰当於此愛重憍慢<宝積経九十六> もろもろの節にて支へ持ち、四の細き脈を以て周りめぐあまねく。五百分の肉はなおし泥塗の如く、六の脈相繋あいつなぎ、五百の筋まとへり。七百の細き脈は、以て編絡へんらくをなし、十六のあらき脈は、まがめぐり相つらぬ。二の肉の縄ありて、長さ三尋半、内に於いて纏ひ結ぶ。十六の腸・胃は生熟の蔵をめぐる。二十五の気脈は猶如窓隙、一百七の関は、さながら破れたる器の如し。八万の毛孔は乱れたる草の覆へるが如く、五根・七きょうは、不浄にてち満てり。七重の皮にてつつみ、六味にて長養すること、猶し祠火しか呑受どんじゅして厭くことなきがごとし。かくの如き身は、一切臭く穢れて、自性よりただれり、誰かまさにここに於て愛重し憍慢すべけんや。<宝積経九十六>
或云、九百の臠覆其上、九百筋連其間、有三万六千之脈、三升之血、在中注流、有九十九万之毛孔、諸汗常出、九十九重之皮、而裹其上<已上身中骨肉等>  或は云く、九百ししむらその上を覆い、九百の筋その間を連ぬ。三万六千之の脈ありて、三升の血、中にありて流れ注ぐ。九十九万の毛孔ありて、もろもろの汗常に出づ。九十九重の皮、しかもその上をつつむ、と。<已上身中骨肉等>
 又腹中有五蔵、葉々相覆、靡々向下、状如蓮華、孔竅空疎、内外相通、各有九十重、肺蔵在上、其色白、肝蔵其色青、心蔵在中央、其色赤、脾蔵其色黄、腎蔵在下、其色黒、 また腹の中に五蔵あり。葉々相覆い、靡々びびとして下に向かうこと、状は蓮華の如し。孔竅くきょうは空疎にして、内外相通、各九十重あり。肺の蔵は上にありて、その色白く、肝の蔵はその色青し、心の蔵は中央にありて、その色赤く、脾の蔵はその色黄なり。腎の蔵は下にありて、その色黒し。
又有六府、謂大腸為伝送之府、亦為肺府、長三尋半、其色白、胆為清浄之府、亦為肝府、其色青、小腸為受盛之府、亦為心府、長十六尋、其色赤、胃為五穀之府、亦為脾府、三升糞在中、其色黄、膀胱為津液之府、亦為腎府、一斗尿在中、其色黒、三膲為中涜之府、如此等物、縦横分布、大小二腸、赤白交色、十八周転、如毒蛇蟠<已上、腹中府蔵> また六府あり。謂く、大腸を伝送の府となす。また肺の府たり。長さ三尋半、その色白し。胆を清浄の府となす。また肝の府たり。その色青し。小腸を受盛の府となす。また心の府たり。長さ十六尋、その色赤し。胃を五穀の府となす。また脾の府たり。三升の糞、中にありて、その色黄なり。膀胱を津液の府となす。また腎の府となす。一斗の尿、中にありて、その色黒し。三膲為中涜之府、如此等物、縦横分布、大小二腸、赤白交色、十八周転、如毒蛇蟠<已上、腹中府蔵>
 又従頂至趺、従髄至膚、有八万戸虫、四頭四口、九十九尾、形相非一、一々戸復有九万細虫、小於秋毫、<禅経、次第禅門等> 宝積経云、 また頂よりあなうらに至り、髄より膚に至るまで、八万戸の虫あり。四の頭四の口、九十九の尾ありて、形相一にあらず。一々戸にまた九万の細虫ありて、秋毫しゅうごうよりもほそし。<禅経、次第禅門等> 宝積経に云く、
初出胎時、経於七日、八万戸虫、従身而生、縦横食噉、有二戸虫、名為舐髪、依髪根住、常食其髪、二戸虫、名繞眼、依眼住、常食眼、四戸虫、依脳食脳、一戸名稲葉、依耳食耳、一戸名蔵口、依鼻食鼻、二戸、一名遥擲、二名遍擲、依唇食唇、一戸名針口、依舌食舌、五百戸、依左辺食左辺、右辺亦然、四戸食生蔵、二戸食熟蔵、四戸依小便道、食尿而住、四戸依大便道、食糞而住、乃至、一戸名黒頭、依脚食脚[p035-036]、如是八万、依止此身、昼夜食噉、令身熱脳、心有憂愁、衆病現前、無有良医能為除療と。<出第五十〔五〕七略抄> 僧伽吒経説、 初めて胎を出る時、七日を経て、八万戸の虫、身より生じ、縦横に食い噉む。二戸の虫あり。名づけて舐髪しはつとなす。髪の根によりて住じ、常にその髪を食う。二戸の虫あり。繞眼にょうげんと名づく。眼によりて住し、常に眼を食う。四戸の虫あり。脳によりて脳を食う。一戸を稲葉とうようと名づく。耳によりて耳を食う。一戸を蔵口ぞうくと名づく。鼻によりて鼻を食ふ。二戸あり。一を遥擲ようちゃくと名づけ、二を遍擲と名づく。唇によりて唇を食う。一戸を針口と名づく。舌によりて舌を食う。五百戸は左辺によりて左辺を食ふ。右辺もまた然なり。四戸は生蔵を食い、二戸は熟蔵を食ふ。四戸は小便道により、尿を食いて住し、四戸は大便道により、糞を食いて住す。乃至、一戸を黒頭こくずと名づく。脚に依りて脚を食う。かくの如き八万、この身に依止えしして、昼夜に食い噉み、身をして熱脳せしむ。心に憂愁あれば、衆病現前し、良医も能く為に除き療すことあることなしと。<出第五十〔五〕七略抄> 僧伽吒経に説かく、
人将死時、諸虫怖畏、互相�食、受諸苦痛、男女眷属、生大悲悩、諸虫相食、唯有二虫、七日闘諍、過七日已、一虫命尽、一虫猶存<已上虫蛆> 人のまさに死なんとする時、もろもろの虫怖畏し、互に相吒み食う。もろもろの苦痛を受け、男女眷属、大悲悩を生ず。もろもろの虫相食い、ただ二の虫のみありて、七日闘い諍い、過七日を過ぎて已りて、一の虫は命尽くれども、一の虫はなお存すと。<已上虫蛆ちゅうそなり> 
又縦食上饍󠄂衆味、逕宿之間、皆為不浄、譬如糞穢大小倶臭、此身亦尓、従少老至、唯是不浄、傾海水洗、不可令浄潔、外雖施端厳相、内唯裹諸不浄、猶如画瓶而盛糞穢<大論、止観等意> 故禅経偈云[p036-037]、知身臭不浄、愚者故愛惜、外視好顔色、不観内不浄<已上、挙体不浄> またたとい上饍󠄂の衆味を食らえども、宿をるの間に、皆不浄となる。譬えば、糞穢の大小、倶に臭が如し。この身もまたしかなり。わかきより老に至るまで、ただこれ不浄なり。海水を傾けて洗うとも、浄潔ならしむべからず。外には端厳たんごんの相を施すといえども、内にはただ裹もろもろの不浄をつつむこと、猶し画ける瓶に糞穢を盛れるが如し。<大論、止観等意> 故に禅経の偈に云く、身は臭く不浄なりと知れども、愚者はことさらに愛惜す。外に好き顔色を視て、内の不浄を観ずと。<已上、挙体不浄>
 況復命終之後、捐捨塚間、経一二日乃至七日、其身膖脹、色変青瘀󠄂、臭爛皮穿、膿血流出、鵰鷲鵄梟、野干狗等、種々禽獣、摣掣食噉、禽獣食已、不浄潰爛、有無量種虫蛆、雑出臭処、可悪過於死狗、乃至成白骨已、支節分散、手足髑髏、各在異処、風吹日曝、雨潅霜封、積有歳年、色相変異、遂腐朽砕末 、与塵土相和<已上、究竟不浄、見大般若止観等> いわんやまた命終の後は、塚の間に捐捨えんしゃすれば、一二日乃至七日を経るに、その身ふくれ、色は青瘀󠄂しょうおに変じて、臭く爛れ、皮は穿けて、膿血流れ出づ。、鵰・鷲・鵄・梟・野干・狗等、種々の禽獣、つかひ/rt>きて食い噉む。禽獣食い已りて、不浄潰え爛るれば、無量種の虫蛆ありて、臭き処にまじわり出づ。、にくむべきこと、死せる狗よりも過ぎたり。乃至、白骨と成り已れば、支節分散し、手足・髑髏、おのおの異る処にあり。風吹き、日さら、雨そそぎ、霜つつみ、積むこと歳年あれば、色相変異し、遂に腐れ朽ち砕末となりて塵土と相和す。<已上、究竟くきょうの不浄なり、大般若・止観等に見ゆ>
 当知、此身始終不浄、所愛男女皆亦如是、誰有智者、更生楽著、故止観云、未見此相、愛染甚強、若見此已、欲心都罷、懸不忍耐、如不見糞、猶能�飯、忽聞臭気、即便嘔吐云、若証此相、雖復高眉翠眼皓歯丹唇、如一聚屎粉覆其上、亦如爛屍仮著繪彩、猶不眼見、況当身近、雇鹿杖自害、況�抱婬楽、如是想者、是婬欲病之大黄湯<已上> まさに知るべし、この身は始終不浄なることを。愛する所の男女も皆またかくの如し。誰か智者ある者、更に楽著ぎょうじゃくを生ぜん。故に止観に云く。いまだこの相を見ざるときは愛染あいぜん甚だ強けれども、もしこれを見已れば、欲心すべて罷み、はるかに忍び耐えざること、糞を見ざれば、なお能く飯を噉へども、忽ち臭気をがば、即便すなわち嘔吐するが如しと。また云く、若証此相、雖復高眉翠眼皓歯丹唇、如一聚屎粉覆其上、亦如爛屍仮著繪彩、猶不眼見、況当身近、雇鹿杖自害、況�抱婬楽、如是想者、是婬欲病之大黄湯と。<已上>
 二苦者、此身従初生時、常受苦悩、如宝積経説、若男若女、適生堕地、或以手捧、或衣承接、或冬夏時、冷熱風触、受大苦悩、如生剥牛触於墻壁<取意>長大之後、亦多苦悩、同経説、 二に苦とは、この身は、初めて生れし時より常に苦悩を受く。宝積経に説くが如し。 もしは男、もしは女、たまたま生まれて地に堕つるに、或は手を以て捧げ、或は衣をもて承けるも、或は冬夏の時、冷熱の風触るれば、大苦悩を受くること、牛を生け剥ぎて、墻壁しょうへきに触れしむるが如し。と。<取意>長大の後もまた苦悩多し。同じ経に説かく、
 受於此身、有二種苦、所謂眼耳鼻舌、咽喉牙歯、胸腹手足、有諸病生、如是四百四病、逼切其身、名為内苦、復有外苦、所謂或在牢獄、撾打楚撻、或劓耳鼻、及削手足、諸悪鬼神、而得其便、復為蚊虻蛒等毒虫、之所唼食、寒熱飢渇、風雨並至、種々苦悩、逼切其身、此五陰身、一々威儀、行住坐臥、無不皆苦、若長時行、不暫休息、是名為外苦、住及坐臥、亦復皆苦、<略抄> 諸余苦相、眼前可見、不可俟説 この身を受くるに、二種の苦あり。いわゆる眼・耳・鼻・舌・咽喉・牙歯・胸・腹・手・足にもろもろの病生ずることあり。かくの如く四百四病、その身に逼切するを、名づけて内苦となす。また外苦あり。いわゆる牢獄にありて、撾打楚撻かちょうそたちせられ、或は耳鼻を劓がれ、及び手足を削らるるなり。もろもろの悪鬼神は、しかもその便を得、また蚊・虻・蛒等の毒虫の為に唼い食わる。寒熱・飢渇・風雨ともに至りて、種々の苦悩、その身に逼切す。この五陰の身は一々の威儀、行住坐臥、皆苦ならざることなし。もしは長時に行きて、暫くも休息せざれば、これを名づけて外苦となす。住及び坐臥も亦また皆苦なりと。<略抄>もろもろの余の苦相は眼前に見るべし。説くことを俟つべからず。
 三無常者、涅槃経云、人命不停、過於山水、今日雖存、明亦難保、云何縦心、令住悪法、出曜経云、此日已過、命即減少、如小水魚、斯有何楽、摩耶経偈云、譬如栴陀羅駈牛至屠所歩々近死地、人命亦如是<已上> 三に無常とは、涅槃経に云く、人の命のとどまらざらること、山の水よりも過ぎたり、今日存すといえども、明くればまた保ち難し。いかんぞ心をほしいままにして、 悪法に住せしめんと。出曜経に云く、 この日已に過ぎぬれば 命即ち減少す 小水の魚の如し これ何の楽かあらんと。摩耶経の偈に云く、譬えば栴陀羅せんだらの牛を駈りて屠所に至るに歩々死地に近づくが如しと。<已上>
 設雖有長寿業、終不免無常、設雖感富貴報、必有衰患期、如大経偈云、一切諸世間、生者皆帰死、寿命雖無量、要必有終尽、夫盛必有衰、合会有別離、壮年不久停、盛色病所侵、命為死所呑、無有法常者又罪業応報経偈云、 たとえ長寿の業ありといえども、終に無常を免れず。たとえ富貴の報いを感ずといえども、必ず衰患のときあり。大経の偈に云うが如し。一切のもろもろの世間に 生ける者は皆死に帰す 寿命無量なりといえどいえども、要必かならず終尽することあり。それ盛んなれば必ず衰えることあり 合い会えば別離あり 壮年も久しく停まらず 盛んなる色も病に侵さる 命は死の為に呑まれ 法として常なるあることなしと。また又罪業応報経の偈に云く、
水流不常満、火盛不久燃、日出須臾没、月満已復欠、尊栄高貴者、無常速過是、当念勤精進、頂礼無上尊 水流るれば常に満たず 火盛んなれば久しくは燃えず 日出づれば須臾しゅゆにして没し 月満ち已ればまた欠く 尊栄高貴なる者も、無常の速かなることこれに過たり 当に念じ勤め精進して 無上尊を頂礼すべしと。<已上>
 非唯諸凡下有此怖畏、登仙得通者、亦復如是、如法句譬喩経偈云、非空非海中、非入山石間、無有地方処、脱止不受死 <騰空海入隠巌三人因縁、如経広説> ただもろもろの凡下のみ、この怖畏あるにあらず。仙に登り、通を得たる者も亦かくの如し。法句譬喩経の偈に云うが如し空にもあらず海の中にもあらず、山石の間に入るにもあらず 他の方処として、脱れ止まりて死を受けざるものあることなしと。 <空に騰り、海に入り巌に隠れし三人の因縁は、経に広く説くが如し>
 当知、諸余苦患、或有免者、無常一事、終無避処、須如説修行欣求常楽果、如止観云、 まさに知るべし。もろもろの余の苦患は、或は免るる者あらんも、無常の一事は、終に避くる処なきを。すべからく、説の如く修行して常楽の果を欣求すべし。止観に云うが如し。
無常殺鬼、不択豪賢、危脆不堅、難可恃怙、云何安然、規望百歳、四方馳求、貯積聚斂、聚斂未足、溘然長往、所有産貨、徒為他有、冥々独逝、誰訪是非、若覚無常過於暴水猛風掣電、山海空市、無逃避処、如是観已、心大怖畏、眠不安席、食不甘哺、如救頭燃、以出要求又云、 無常の殺鬼は、豪賢を択ばず危脆きぜいにして堅からず、恃怙じこすべきこと難し。いかんぞ安然として、百歳を規望し、四方に馳求ちぐして、貯え積み聚めおさめん。聚め斂むることいまだ足らざるに、溘然こうねんとして長く往かば、所有の産貨は、徒らに他の有となり、冥々として独り逝く。誰か是非を訪ねん。もし無常の、暴水・猛風・掣電よりも過ぎたることを覚らんも、山に海に空に市に、逃れ避くる処なし。かくの如く観じ已らば、心大いに怖畏し、眠れども席に休んぜず、食えども甘哺むに甘からず。頭燃を救うが如くして、以て 出要を求めよと。また云う。
譬如野干失耳尾牙詐眠望脱、忽聞断頭心大驚怖、遭生老病、尚不為急、死事弗奢、那得不怖、怖心起時、如履湯火、五塵六欲、不暇貪染<已上取意> 人道如此、実可厭離 譬えば野干の耳と尾と牙を失わんにいつわり眠りて脱れんと望めども、忽ち頭を断たんというを聞いて、心大いに驚き怖がるが如し。生・老・病に遭いて、なお急がわしくせざらんも、死の事は奢るべからず。なんど怖れざるを得んや。怖るる心起きる時は、湯・火を履むが如し。五塵・六欲も貪染とんぜんするに暇あらず。と。<已上取意なり> 人道かくの如し、実に厭離すべし。
第六、明天道者、有三、一者欲界、二者色界、三者無色界、其相既広、難可具述、   第六に、天道を明かさば三あり一には欲界、二には色界、三には無色界なり。その相既に広くして、具さには述ぶべきこと難し。
且挙一処、以例其余、如彼忉利天、雖快楽無極、臨命終時、五衰相現、一頭上花鬘忽萎、二天衣塵垢所著、三脇下汗出、四両目数数眴、五不楽本居、 しばらく一処を挙げて、以てその余を例せば、かの忉利天の如きは、快楽極りなしと雖も、命終に臨む時は、五衰の相現ず。一には頭の上の花鬘はなかつら忽ちに萎み、二には天衣塵垢にけがされ、三には脇の下より汗出で、四には両の目しばしばくるめき、五には本居を楽しまざるなり。
是相現時、天女眷属、皆悉遠離、棄之如草、偃臥林間、悲泣歎曰 この相現ずる時、天女・眷属、皆悉く遠離して、これを棄つること草のごとし。林の間にたおれ臥し、悲しみ泣いて歎じて曰く、
此諸天女、我常憐愍、云何一旦棄我如草、我今無依無怙、誰救我者、善見宮城、於今将絶、帝釈宝座、朝謁無由、殊勝殿中、永断瞻望、釈天宝象、何日同乗、衆車苑中、無復能見、麁渋苑内、介冑長辞、雑林苑中、宴会無日、歓喜苑中、遊止無期、劫波樹下、白玉耎石、更無坐時、曼陀枳尼、殊勝池水、沐浴無由、四種甘露、卒難得食、五妙音楽、頓絶聴聞、悲哉、此身独嬰此苦、願垂慈愍、救我寿命、更延少日、不亦楽乎、勿令堕彼馬頭山沃焦海、雖作是言、無敢救者<六波羅蜜経> このもろもろの天女をば、我常に憐愍せしに、いかんぞ一旦に我を棄つること草の如く、我今依るところなく怙むところなし。誰か我を救う者あらん。善見の宮城は、今まさに絶たんとす。帝釈の宝座、朝謁するに由なし。殊勝殿の中には、永く瞻望を断ち、釈天の宝象には、いづれ同乗の日か同に乗らん。衆車苑しゅしゃおんの中には、また能く見ることなく、麁渋苑の内には、介冑長く辞す。雑林苑の中には、宴会するに日なく、歓喜苑の中には、遊止するに期なし。劫波樹の下、白玉のやわらかなる石、更に坐る時なく、曼陀枳尼まんだきに、殊勝の池水には、沐浴するに由なし。四種の甘露も、卒に食すること得難く、五妙の音楽は、にわかに聴聞を絶つ。悲しいかな、此身独りこの苦にかかる。願わくは慈愍を垂れて我が寿命を救い、更に少かの日を延ばしめば、また楽しからずや。かの馬頭山・沃焦海に墜さしむることなかれ」と。この言を作すといえども、あえて救う者なし<六波羅蜜経>
 当知、此苦甚於地獄、故正法念経偈云、 まさに知るべし。この苦地獄よりも甚だしきことを。故に正法念経の偈に云く、
天上欲退時、心生大苦悩、地獄衆苦毒、十六不及一<已上>  天上より退かんと欲する時 心に大苦悩を生ず 地獄のもろもろの苦毒も 十六の一に及ばずと。<已上>
又大徳天、既生之後、旧天眷属、捨而従彼、或有威徳天、不順心時、駈令出宮不能得住<瑜伽> 余五欲天、悉有此苦、上二界中、雖無如此之事、終有退没之苦、乃至、非想不免阿鼻、当知、天上亦不可楽<已上、天道> また大徳の天、既に生れたる後はもとの天の眷属は、捨てて彼に従う。或は威徳の天ありて、心に順ざる時は、駈りて宮より出し、住することを得ることあたわざらしむ。<瑜伽> 余の五の欲天にも、悉くこの苦あり。上の二界の中には、かくの如き事なしといえども、終には退没たいもつの苦あり。乃至、非想も阿鼻を免れず。当に知べし。天上もまた楽うべからざることを。<已上は天道なり>
 第七、惣結厭相者、謂一篋偏苦、非可耽荒、四山合来、無所避遁、而諸衆生、以貪愛自蔽、深著於五欲、非常謂常、非楽謂楽、彼如洗癰置睫、猶盍厭、況復刀山火湯漸将至、誰有智者、宝玩此身乎、 第七に、惣じて厭相を結ぶとは、謂く、きょうは偏に苦なり。耽荒とんこうすべきにあらず、四の山合わせ来りて、避け遁るる所なし。しかるにもろもろの衆生は、貪愛を以て自ら蔽い、深く五欲に著す。常にあらざるを常と謂い、楽にあらざるを楽と謂い、かの、ようを洗い、睫を置くものの如し。なおなんぞ厭わざらん。いわんやまた刀山・火湯、漸くまさに至らんとす。誰か智あらん者、この身を宝玩せんや。
故正法念経偈云、 智者常懐憂、如似獄中囚、愚人常歓楽、猶如光音天 故に正法念経の偈に云く、智者は常に憂を懐くこと 獄中に囚わるるに如似 愚人の常に歓楽すること 猶し光音天の如
宝積経偈云、種々悪業求財物、養育妻子謂歓娯、臨命終時苦逼身、妻子無能相救者、於彼三途怖畏中、不見妻子及親識、車馬財宝属他人、受苦誰能共分者、父母兄弟及妻子、朋友僮僕并珍財、死去無一来相親、唯有黒業常随逐<乃至> 閻羅常告彼罪人、無有少罪我能加、汝自作罪今自来、業報自招無代者、父母妻子無能救、唯当勤修出離因、是故応捨枷鎖業、善知遠離求安楽、 と。宝積経の偈に云く、種々の悪業もて財物を求め 妻子を養育して歓娯すと謂えども 命終に臨んで、苦身に逼り 妻子も能く相救ふ者なし かの三途の怖畏の中に於いては 妻子及親識を見ず 車馬・財宝も他の人に属し 苦を受くるに誰か能く共に分つ者あらん 父母・兄弟及妻子も、朋友・僮僕ならびに珍財も 死し去らんには一として来り相親しむものなし ただ黒業のみあり常に随逐す<乃至> 閻羅常にかの罪人に告ぐ 少の罪も我能く加うることなし 汝自ら罪を作りていま自ら来る 業報自ら招いて代る者なし 父母・妻子も能く救ふものなし ただまさ出離の因を勤修すべし この故に応に枷鎖けさの業を捨て 善く遠離を知りて安楽を求むべし
又大集経偈云、妻子珍宝及王位、臨命終時不随者、唯戒及施不放逸、今世後世為伴侶、 と。又大集経偈云、妻子も珍宝も及び王位も 臨命の時に臨んで随ふ者なし ただ戒と及び施と不放逸とは 今世と後世の伴侶となる
如是展転、作悪受苦、徒生徒死、輪転無際、如経偈云、一人一人劫中、所受諸身骨、常積不腐敗、如毘布羅山、一劫尚尓、況無量劫、 と。かくの如く展転して、悪を作り苦を受け、ただに生まれ徒に死して、輪転し際なし。経の偈に云ふが如し、一人の一劫の中に 受くる所のもろもろの身の骨 常に積みて腐敗せずば 毘布羅山ひふらせんの如くならん、と。一劫すらなほしかり、いはんや無量劫をや。
我等曾道修故、徒歴無辺劫、今若不勤修、未来亦可然、如是無量生死之中、得人身甚難、縦得人身、具諸根亦難、縦具諸根、遇仏教亦難、縦遇仏教、生信心亦難、 我等いまだって道を修せざるが故に、徒に無辺劫をたり。、今もし勤修せずは、未来もまた然るべし。かくの如く無量の生死の中に、人身を得ること甚だ難し。たとひ人身を得とも、諸根を具することまた難し。たとえ諸根を具すとも、仏教に遭うことまた難し。亦難、たとひ仏教に遭うとも、信心を生ずることまた難し。
故大経云、生人趣者、如爪上土、堕三塗者、如十方土、 故に大経に云く、人趣に生まるる者は 爪の上の土の如し 三途に堕つる者は十方の土の如し
法華経偈云、無量無数劫、聞是法亦難、能聴是法者、此人亦復難、而今適具此等縁、当知、応離苦海往生浄土、只在今生、而我等頭戴霜雪、心俗塵染、一生雖尽、希望不尽、遂辞白日下、独入黄泉底之時、堕多百踰繕那洞然猛火中、雖呼天扣地、更有何益乎、願諸行者、疾生厭離心、速随出要路、莫入宝山空手而帰 と。法華経の偈に云く、無量無数劫にも この法を聞くことまた難し 能くこの法を」聴く者あらば この人も亦また難しと。しかるに今、たまたまこれ等の縁を具せり まさに知るべし、苦海を離れて浄土に往生すべきは、ただ今生のみにあることを。しかるに我等頭に霜雪を戴き、心俗塵に染みて、一生尽くといえども、希望けもうは尽きず。遂に白日の下を辞して、独り黄泉の底の入らんとする時、多百踰繕那の洞然たる猛火の中に堕ちて、天に呼ばわり地にたたくといえども、更に何の益かあらん。願わくばもろもろの行者、疾く厭離の心を生じて、速かに出要の路に随へ。宝の山に入りて手を空しくして帰ることなかれ。
 問、以何等相、応生厭心、答、若欲広観、如前所説、六道因果、不浄苦等、或復竜樹菩薩、勧発禅陀迦王偈云、  問ふ。何等の相を以て、厭心を生ずべきや
 答ふ。もし広く観ぜんと欲せば、前の所説の如き、六道の因果・不浄・苦等なり。或はまた竜樹菩薩禅陀迦ぜんだか王を勧発する偈に云く、
是身不浄九孔流、無有窮已若河海、薄皮覆蔽似清浄、猶仮瓔珞自荘厳、諸有智人乃分別、知其虚誑便棄捨、譬如疥者近猛焔初雖暫悦後増苦、貪欲之想亦復然、始雖楽著終多患、見身実相皆不浄、即是観於空無我、 この身は不浄 九の孔より流れて 窮まりのむのあることなきこと河海のごとし 薄き皮おおかくして清浄なるに似たれども なお瓔珞を仮りて自ら荘厳せるがごとし もろもろの智ある人は乃ち分別して その虚誑こおうなるを知りて便すなわち棄捨す 譬えば疥者かいしゃの猛焔に近づかんに 初めは暫く悦ぶといえども後には苦を増す 貪欲の想も亦また然り 始め楽著ぎょうじゃくすといえども終にはうれい多し 身の実相は皆不浄なりと見る 即ちこれ空・無我を観ずるなり 
若能修習斯観者、於利益中最無上、雖有色族及多聞、若無戒智猶禽獣、雖処醜賎少聞見、能修戒智名勝上、利衰八法莫能免、若有除断真無匹、 もし能くこの観を修習する者は 利益の中に於いて最も無上なり しきと族と及び多聞とありといえども もし戒と智なくば禽獣のごとし 醜賎に処して聞見もんけんすること少なしといえども 能く戒と智とを修むれば勝上と名づく すいの八法は能く免がるるものなし もし除断することあらば真にたぐいなし 
諸有沙門婆羅門、父母妻子及眷属、莫為彼意受其言、広造不善非法行、設為等此起諸過、未来大苦唯身受、夫造衆悪不即報、非如刀剣交傷割、臨終罪相始倶現、後入地獄嬰諸苦、 諸有しょうの沙門・婆羅門 父母・妻子及び眷属の かの意の為にその言を受けて 広く不善・非法の行を造ることなかれ たといこれらの為にもろもろの過を起こすことあらんも 未来の大苦はただ身に受けん。 それ衆悪を造れどもただちに報いず 刀剣の交も傷ひ割くにはあらざれども 臨終に罪相始めて 倶に現われ 後に地獄に入りてもろもろの苦をいだかん
信戒施聞慧慙愧、如是七法名聖財、真実無比牟尼説、超越世間衆珍宝[p045]、知足雖貧可名富、有財多欲是名貧、若豊財業増諸苦、如竜多首益酸毒、当観美味如毒薬、以智慧水灑令浄、為存此身雖応食、勿貪色味長憍慢、 信と戒と施と聞と慧とざんと、かくの如き七法をば聖財と名づく 真実にしてたぐいなき牟尼の説きたまうなり 世間のもろもろの珍宝に超越せり 足ることを知れば貧といえども富と名づくべし 財ありとも欲多ければこれを貧と名づく もし財業に豊かなればもろもろの苦を増すこと 如竜の首多きもの酸毒を益すがごとし 当に美味は毒薬の如しと観じて 智慧の水を以て灑いで浄からしむべし この身をたもたんが為に食すべしというども色味を貪りて憍慢をやしなうことなかれ
於諸欲染当生厭、勤求無上涅槃道、調和此身令安穏、然後宜応修斎戒、一夜分別有五時、於二時中当眠息、初中後夜観生死、宜勤求度勿空過、譬如少塩置恒河、不能令水有鹹味、微細之悪遇衆善、消滅散壊亦如是、雖受梵天離欲娯、還堕無間熾然苦、雖居天宮具光明、後入地獄黒闇中、所謂黒縄活地獄、焼割剥刺及無間、是八地獄常熾燃、皆是衆生悪業報、若見図画聞他言、或随経書自憶念、如是知時以難忍、況復己身自逕歴、 もろもろの欲染に於いて当にいといを生じ 勤めて無上涅槃の道を求むべし この身を調和して安穏ならしめ しかる後によろしく斎戒を修すべし 一夜を分別するに五時あり 二時の中にて当に眠り息むべきも 初・中・後夜には生死を観じ 宜しく勤めて度を求め空しく過ぐることなかれ 譬へば少かの塩を恒河に置くも 水をして  鹹味かんみあらしむることあたわざるが如く 微細の悪の衆善に遭ひて 消滅・散壊さんみすることまたかくの如し 梵天の離欲のたのしみを受くといえども、また無間の熾然の苦に堕ちん 天宮に居して光明を具すといえども 後には地獄の黒闇の中に入らん いわゆる黒縄・活地獄の 焼・割・剥・刺と及び無間と この八地獄の常に熾んに燃ゆること 皆これ衆生の悪業の報いなり もしは図に画けるを見、他の言を聞き 或は経書に随ひて自ら憶念し かくの如くして知る時すら以て忍び難し いはんやまた己が身に自ら逕歴せんをや
若復有人一日中、以三百矛鑽其体、比阿鼻獄一念苦、百千万分不及一、於畜生中苦無量、或有繋縛及鞭撻、或為明珠羽角牙、骨毛皮肉残害、 もしまた人ありて一日の中に、三百の矛を以てその体をらんに、阿鼻獄の一念の苦に比べれば、百千万分の一に及ばず 畜生の中に於いても苦は無量なり 或は繋ぎ縛られ及び鞭たるものあり 或は明珠と羽と角と牙と 骨と毛と皮と肉との為に残害せらる 
餓鬼道中苦亦然、諸須欲不随意、飢渇逼困寒熱、疲乏等苦甚無量、尿屎糞穢諸不浄、百千万劫莫能得、設復推求得少分、更相劫奪尋散失、清涼秋月患焔熱、温和春日転寒苦、若趣園林衆菓尽、設至清流変枯竭、罪業縁故寿長遠、逕有一万五千歳、受衆楚毒無空欠、皆是餓鬼之果報、煩悩駃河漂衆生、為深怖畏熾然苦、欲滅如是諸塵労、応修真実解脱諦、離諸世間仮名法、則得清浄不動処<已上、有百十行偈、今略抄之>  若存略者、如馬鳴菩薩頼吒和羅伎声唱云、 餓鬼道の中の苦もまた然り もろもろのもとむる所の欲意ねがいこころに随わず 飢渇にせまられ寒熱にくるしみ 疲乏等の苦甚だ無量なり 尿屎・糞穢のもろもろの不浄すら 百千万劫に能く得ることなし たといまた推求して少分を得んも 更に相に劫め奪ひて尋いで散失す 清涼の秋の月にも焔熱を患へ 温和の春の日にも転た寒え苦しむ もし園林に趣けば衆菓尽き もし清流に至れば 変じて枯竭す。罪業の縁の故に寿長遠にして ること 一万五千歳あり 受もろもろの楚毒を受けて空しく欠くることなきは 皆これ餓鬼の果報なり 煩悩の駃河けつが  衆生を漂わし 深き怖畏、熾然の苦となる かくの如きもろもろの欲滅如是諸塵労を滅せんとおもわば、まさに真実解脱のを修すべし もろもろの世間の仮名の法を離るれば、則ち清浄不動の処を得るなりと。<已上、百十行の偈あり 今之を略抄す>  もし存略をたもたば 馬鳴めみょう菩薩の、頼吒和羅らいたわらの伎声に唱へて云ふがごとし。
有為諸法、如幻如化、三界獄縛、無一可楽、王位高顕、勢力自在、無常既至、誰得存者、如空中雲、須臾散滅、是身虚偽、猶如芭蕉、為怨為賊、不可親近、如毒蛇篋、誰当愛楽、是故諸仏、常呵此身 有為ういの諸法は 幻の如く化の如し 三界の獄縛ごくばく、一としてねがうべきものなし 王位は高顕にして 勢力自在なるも 無常既に至れば 誰かたもつことを得ん者ぞ 空中の雲の 須臾しゅゆにして散滅するが如し この身の虚偽こぎなること 猶し芭蕉の如し たり賊たり 親近すべからず 毒蛇の篋の如し 誰か当に愛楽すべけん この故に諸仏は 常にこの身をしたまふなり
<已上> 此中具演無常苦空、聞者悟道、 と。この中につぶさに無常と苦と空とをぶれば、聞く者、道を悟る。
或復堅牢比丘壁上偈云、生死不断絶、貪欲嗜味故、養怨入丘塚、虚受諸辛苦、身臭如死屍、九孔流不浄、如厠虫楽糞、愚貪身無異、憶想妄分別、即是五欲本、智者不分別、五欲則断滅、邪念生貪著、貪著生煩悩、正念無貪欲、余煩悩亦尽<已上> 或はまた堅牢比丘けんろうびくの壁上の偈に云く、生死の断絶せざるは、欲を貪り味をむさぼるが故なり 怨を養いて丘塚くちょに入り 虚しくもろもろの辛苦を受く 身の臭きこと死屍の如し 九の孔より不浄を流す 厠の虫の糞を楽しむが如く 愚にして身を貪るも異ることなし 憶想して妄に分別するは 即ちこれ五欲の本なり 智者は分別せざれば 五欲則ちこれ断滅す 邪念より貪著を生じ 貪著より煩悩を生ず 正念にして貪欲なければ 余の煩悩もまた尽きん
 過去弥楼犍駄仏滅後、正法滅時、陀摩尸利菩薩、求得此偈、弘宣仏法、利益無量衆生、或復仁王経、有四非常偈、可見、若楽極略者、如金剛経云、一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観、或復大経偈云、諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽<已上> // と。<已上>過去の弥楼犍駄仏みるけんだぶつの滅後、正法の滅せし時、陀摩尸利菩薩だましりぼさつ、この偈を求め得て仏法を弘宣し、無量の衆生を利益せり。
或はまた仁王経に、四非常の偈あり。見るべし。もし極略をねがはば、金剛経に云ふが如し。一切の有為の法は 如夢・幻・泡・影の如し 露の如くまた電の如し 応にかくの如き観を作すべしと。或はまた大経の偈に云く、諸行は無常なり これ生滅の法なり 生滅の滅し已れば 寂滅をたのしとなす
雪山大士、捨於全身、而得此偈、行者善思念、不得忽爾之、如説観察、応当離貪瞋痴等惑業、如師子追人、不応作外道無益苦行如痴狗追塊// と。<已上>雪山の大士は全身を捨ててこの偈を得たり。 行者、く思念せよ。これを忽爾こつりにすることを得ざれ。説の如く観察して、応当まさとんじん等の惑業を離るること、師子の、人を追うが如くすべし。外道の無益の苦行を作して痴狗ちくつちくれを追ふが如くすべからず。
 問、不浄苦無常、其義易了、現見有法体、何説為空、答、豈不経説如夢幻化、故例夢境、当観空義、如西域記云 問ふ。不浄・苦・無常はその義さとり易し。現に法体あるを見る、何ぞ 説いて空となすや。 
 答ふ。あに経に説かずや、「夢・幻・化の如し」と。故に夢の境に例して、当に観空の義を観ずべし。西域記に云ふが如し。
婆羅痆斯国、施鹿林東、行二三里、有涸池、昔有一隠士、於此池側、結盧屏迹、博習技術、究極神理、能使瓦礫為宝人畜易形、但未能馭風雲陪仙駕、閲図考古、更求仙術隠士曰、願一夕不声耳、烈士曰、死尚不辞、豈徒屏息// 婆羅痆斯国ばらないしこく施鹿林せろくりんの東、行くこと二三里にして、涸ける池あり。昔、一の隠士ありて、この池の側に於いて盧を結びて迹をかくせり。博く技術を習いて、神理を究極きわめ能く瓦礫がりゃくをして宝と為し、人畜をして形をへしむ。ただしいまだ風雲にりて仙駕せんがはべることあたわず。図をしらべ古を考えて、更に仙術を求む。
其方曰、命一烈士、執長刀立壇隅、屏息絶言、自昏逮旦、求仙者中壇而坐、手接長刀、口誦神呪、収視返聴、遅明登仙、遂依仙方、求一烈士、数加重貽、潜行陰徳、隠士曰、願一夕不声耳、烈士曰、死尚不辞、豈徒屏息 そのてだてに曰く、「一の烈士に命じ、長刀を執りて壇の隅に立ち、息をころし言を断ちて、ひぐれよりあしたおよばしめよ。仙を求むる者は中壇に坐し、手に長刀をり、口に神呪を誦し、視ることを収め聴くことを返して、遅明ちめいに仙に登る」と。遂に仙方に依りて一の烈士を求め、しばしば重貽を加えて、潜かに陰徳を行う。隠士の曰く、「願はくば、一夕、声せざらんのみ」と。烈士の曰く、「死すらなお辞せず。あにただに息をひそむるをや」と。
於是設壇場、受仙法依方に依りて事行、坐待日曛、曛暮之後、各司其務、隠士誦神呪、烈士按銛刀、殆将暁矣、忽発声叫、時隠士問曰、誡子無声、何以驚叫、烈士曰、受命至後夜分、惽然若夢、変異更起、見昔事主躬来慰謝、感荷厚恩、忍不報語、彼人震怒、遂見殺害、受中陰身、顧屍嘆惜、猶願歴世不言、以報厚徳、遂見託生南印度大婆羅門家、乃至受胎、出胎、備経苦厄、荷恩荷徳、嘗不出声、洎乎受業冠婚喪親生子、毎念前恩、忍而不語、宗親戚属、咸見恠異、年過六十有五、我妻謂曰、汝可言矣、若不語者、当殺汝子、我時惟念、已隔生世、自顧衰老、唯此稚子、因止其妻、令無殺害、遂発此声耳、隠士曰、我之過也、此魔嬈耳、烈士感恩、悲事不成、憤恚而死 ここに於いて壇場を設け、仙法を受けること方に依りて事を行ふ。坐して日の曛るるを待ち、曛暮くんぼの後、おのおのその務を司る。隠士は神呪を誦し、烈士は銛き刀をひかふ、殆んどまさに暁けなんとするに、忽ちに声を発して叫ぶ。時に隠士問うて曰く、「なんじ誡めて声することなからしめしに、何を以てか驚き叫びしや」と。烈士曰く、「命を受けて後夜分に至るに、惽然として夢のごとく、変異こもごも起れり。昔、つかへし主、みずから来りて慰謝するを見たれども、感荷厚恩を荷えるを感じて、忍びて報語せざりき。かの人、震怒して、遂に殺害せられ、中陰の身を受けたり。屍を顧みて嘆惜したれども、なほ願はくは、世を歴とも言わずして、以って厚徳に報いんと。遂に南印度の大婆羅門の家に託生するを見る。乃至し胎を受け、胎を出でて、つぶさに苦厄を経れども、恩を荷い徳を荷ひて、嘗って声を出さざりき。業を受け、冠婚し、親を喪ひて、子を生むにおよびしも、毎に前の恩を念ひ、忍びてものいはざりしかば、宗親戚属そうしんしゃぞくことごとく見て恠異けいす、年六十有五を過ぎたるとき、わが妻、謂うて曰く、「汝言うべし。もし語らずは、当に汝が子を殺すべし」と。我れ時に惟念おもへらく、已に隔生を世てり。自ら顧みれば衰老して、ただこの稚子のみあり。因りてその妻を止めて、殺害することなからしめん」と。遂に発この声を発せるのみ」隠士曰く、「わが過なり。これ魔のなやませるのみ」と。烈士は恩を感じて、事の成らざりしを悲しみ、憤恚ふんいして死せり。
<已上略抄>夢境如是、諸法亦然、妄想夢未覚、於空謂為有、故唯識論云、未得真覚、常処夢中、故仏説、為生死長夜 と。<已上略抄>夢の境、かくの如し。諸法もまた然り。妄想の夢、いまだ覚めざれば、空に於いて謂うて有となす。故に唯識論に云く、「いまだ真覚を得ざるときは、常に夢中にる。故に仏説きて、生死の長夜となしたまえり」と。
 問、若作無常苦空等観、豈異小乗自調自度、答、此観不局小、亦通在大乗、如法華云、大慈悲為室、柔和忍辱衣、諸法為空座、処此為説法<已上>[p050] 諸法空観、尚不妨大慈悲心、何況苦無常等、催菩薩悲願乎、是故大般若等経、以不浄等観、亦為菩薩法、若欲知者、更読経文 問ふ。もし無常・苦・空等の観をさば、 あに小乗の自調自度じじょうじどに異ならんや。答ふ。この観も小にかぎらず。また通じて大乗にもあり。法華に云ふが如し。「大慈悲を室となし、柔和忍辱を衣とし、諸法の空を座となして ここにおりて為に法を説け」と。諸法空の観、なほ大慈悲の心を妨げず。いかにいわんや苦・無常等の菩薩の悲願を催すをや。この故に大般若等の経に、不浄等の観を以てまた菩薩の法となせり。もし知らんと欲せば、更に経文を読め。
問、如是観念、有何利益、答、若常如是調伏心者、五欲微薄、乃至臨終、正念不乱、不堕悪処、如大荘厳論勧進繋念偈云、  問ふ。かくの如き観念すれば何の利益かある。答ふ。もし常にかくの如く心を調伏すれば五欲微薄となり、乃至、臨終には、正念にして乱れず、悪処に堕ちざるなり。大荘厳論の勧進繋念の偈に云ふがごとし。
盛年無患時、懈怠不精進、貪営衆事務、不修施戒禅、臨為死所呑、方悔求修善、智者応観察、断除五欲想、精勤習心者、終時無悔恨、心意既専至、無有錯乱念、智者勤捉心、臨終意不散、不習心専至、臨終必散乱<已上> 盛年にしてうれいなき時は、懈怠にして精進せず。もろもろの事務を貪営して、 施と戒と禅を修めず。死の為に呑まれんとするに臨んで、まさに悔いて善を修めんことを求む。智者は応に観察して、五欲の想を断除すべし。精勤して心を習うものは、終る時も悔恨なし。心意既に専至なれば、錯乱のおもいあることなし。智者は勤めて心を捉ふれば、臨終にはこころ散らず、心を習ふこと専至ならざれば、臨終には必ず散乱す、と。<已上>
 又宝積経五十七偈云、応観於此身、筋脈更纒繞、湿皮相裹覆、九処有瘡門、周遍常流溢、屎尿諸不浄、譬如舎与篅、盛諸穀麦等、此身亦如是、雑穢満其中、運動骨機関、危脆非堅実、愚夫常愛楽、智者無染著、洟唾汗常流、膿血恒充満、黄脂雑乳汁、脳満髑髏中、胸隔痰癊流、内有生熟蔵、肪膏与皮膜、五蔵諸腸胃、如是臭爛等、諸不浄同居、罪身深可畏、此即是怨家、無識耽欲人、愚痴常保護、如是臭穢身、猶如朽城廓、日夜煩悩逼、遷流無暫停、身城骨墻壁、血肉作塗泥、画彩貪瞋痴、随処而荘厳、可悪骨身城、血肉相連合、常被悪知識、内外苦相煎、難陀汝当知、如我之所説、昼夜常繋念、勿思於欲境、若欲遠離者、常作如是観、勤求解脱処、速超生死海<已上>諸余利益、可見大論止観等  また宝積経の五十七の偈に云く、
応にこの身を観ずべし。筋・脈たがい纒繞てんにょう湿うるおへる皮は相裹み覆へり。九処に瘡門そうもんありて、周遍して常に屎尿もろもろの不浄を流溢す。譬へば舎とずいとに、もろもろの穀麦等を盛れるが如し。この身もまたかくの如し。雑穢その中に満てり。骨の機関を運動するに、危脆にして堅実にあらず。愚夫は常に愛楽すれども、智者は染著することなし。はなじるつばと汗は常に流がれ、膿血つねに充ち満てり、黄脂おうしは乳汁にまじり、脳は髑髏の中に満つ。胸隔には痰癊流れ、内には生熟の蔵あり。肪膏と皮膜と、五蔵のもろもろの腸胃と、かくの如き臭爛等の、もろもろの不浄と同じく居る罪の身は深く畏るべし。これすなわち怨家なり。さとることなくして耽り欲る人は、愚痴にして常に保護すれども、かくの如き臭穢の身は、猶し朽ちたる城廓の如し。日夜に煩悩にせまられ、遷り流れて暫くも停ることなし。身の城、骨の墻壁、血肉もて塗泥となし、画彩の貪・瞋・痴 処に随ひて荘厳せり、悪むべし骨身の城、血肉相連合し、常に被悪知識に、内外の苦もて相煎らる。難陀、汝当に知るべし。我が所説の如く、昼夜常に念を繋け、欲の境を思ふことなかれ。もし遠離せんと欲はば、常にかくの如き観をなし、解脱の処を勤求せば、速かに生死の海を超へん<已上>と。もろもろの余の利益は大論・止観等を見るべし。
 大文第二、欣求浄土者、極楽依正功徳無量、百劫千劫説不能尽、算分喩分亦非所知、然群疑論明三十種益、安国抄標二十四楽、既知、称揚只在人心、今挙十楽、而讃浄土、猶如一毛之渧大海、一聖衆来迎楽、二蓮華初開楽、三身相神通楽、四五妙境界楽、五快楽無退楽、六引接結縁楽、七聖衆倶会楽、八見仏聞法楽、九随心供仏楽、十増進仏道楽 大文第二に、欣求浄土ごんぐじょうどとは、極楽の依正えしょうの功徳、無量にして、百劫・千劫にも説いて尽すことあたわず。算分・喩分もまた知る所にあらず。しかるに群疑論には三十種の益を明し、安国抄には二十四の楽を標す。既に知んぬ。称揚はただ人の心にあることを。今、十の楽を挙げて浄土を讃えんに、猶し一毛もて大海をしたたらすがごとし。一に聖衆来迎しょうじゅうらうこうの楽、二に蓮華初開れんげしょかいの楽、三に身相神通しんそうじんずうの楽、四に五妙境界の楽、五に快楽無退の楽、六に引接結縁いんじょうけちえんの楽、七に聖衆倶会くえの楽、八に見仏聞法の楽、九に随心供仏くぶつの楽、十に増進仏道の楽なり。
 第一、聖衆来迎楽者、凡悪業人命尽時、風火先去故、動熱多苦、善行人命尽時、地水先去故、緩慢無苦、何況念仏功積、運心年深之者、臨命終時、大喜自生、所以然者、弥陀如来以本願故、与諸菩薩百千比丘衆、放大光明、晧然在目前、時大悲観世音、申百福荘厳手、擎宝蓮台、至行者前、大勢至菩薩、与無量聖衆、同時讃歎、授手引接、是時行者、目自見之、心中歓喜、身心安楽、如入禅定、当知、草庵瞑目之間、便是蓮台跏結之程、即従弥陀仏後、在菩薩衆中、一念之頃、得生西方極楽世界<依観経平等覚経并伝記等意> 第一に、聖衆来迎の楽とは、およそ悪業の人の命尽くる時は、風・火まづ去るが故に、動熱にして苦多し。善行の人の命尽くる時は、地・水まづ去るが故に、緩慢にして苦なし。いかにいわんや念仏の功積り、運心年深き者は、命終の時に臨んで、大いなる喜自ら生ず。しかる所以は、弥陀如来、本願を以ての故に、もろもろの菩薩、百千の比丘衆とともに、大光明を放ち、晧然として目前にします。時に大悲観世音、百福荘厳の手をべ、宝蓮の台をささげて、行者の前に至りたまひ、大勢至だいせいし菩薩は、無量の聖衆とともに、同時に讃歎して、手を授け引接したまふ。この時、行者、目のあたり自らこれを見て、心中に歓喜し、身心安楽なること、禅定に入るが如し。まさに知るべし、草庵に目をづるときは、便ちこれ蓮台にあなうらを結ぶときなり。即ち弥陀仏の後に従ひ、菩薩衆の中にありて、一念のきょうに、得生西方極楽世界に生きることを得るなり。<依観経平等覚経并伝記等意> 
彼忉利天上億千歳楽、大梵王宮深禅定楽、此等諸楽、未足為楽、輪転無際、不免三途、而今処観音掌、託宝蓮胎、永越過苦海、初往生浄土、尓時歓喜心、不可以言宣、竜樹偈云、若人命終時、得生彼国者、即具無量徳、是故我帰命 かの忉利天上の億千歳の楽も、大梵王宮だいぼんのうぐの深き禅定の楽も、これらのもろもろの楽は、いまだ楽となすに足らず。輪転りんでん際なくして、三途を免れず。しかるを今、観音の掌にりて、宝蓮のうちに託し、永く苦海を越過して、初めて往生に浄土するなり。その時の歓喜の心は、言を以て宣ぶべからず。竜樹の偈に云く、もし人ありて命終の時に かの国に生きるととを得る者は 即ち無量の徳を具す この故に我帰命したてまつる。
 第二、蓮華初開楽者、行者生彼国已、蓮華初開時、所有歓楽、倍前百千、猶如盲者始得明眼、亦如辺鄙忽入王宮、自見其身、身既作紫磨金色体、亦有自然宝衣、鐶釧宝冠、荘厳無量、見仏光明、得清浄眼、因前宿習、聞衆法音、触色触声、無不奇妙、尽虚空界之荘厳、眼迷雲路、転妙法輪之音声、聴満宝刹、楼殿林池、表裏照曜、鳧雁鴛鴦、遠近群飛、或見衆生如駛雨、従十方世界生、或見聖衆如恒沙、従無数仏土来、或有登楼台望十方者、或有乗宮殿住虚空者、或有住空中誦経説法者、或有住空中坐禅入定者、地上林間、亦復如是、処々復有渉河濯流、奏楽散花往来楼殿、礼讃如来之者、如是無量天人聖衆、随心遊戯、況化仏菩薩香雲花雲、充満国界、不可具名 第二に、蓮華初開の楽とは、行者かの国に生まれ已りて、蓮華初めて開く時、所有の歓楽、前に(来迎の時に)倍すること百千なり。猶し盲者の始めて得明らかなる眼を得たる如く、また辺鄙の忽ち王宮に入れるが如く、自らその身を見れば、身既に紫磨金色の体となり、また自然の宝衣ありて、みみわうでわ・宝冠、荘厳すること無量なり。仏の光明を見て、清浄の眼を得、前の宿習に因りてもろもろの法音を聞く。色に触れ触声に触れて、奇妙ならざるものなし。虚空界を尽くす荘厳は眼も雲路に迷ひ、妙法輪を転ずる音声は聴くに宝刹に満つ。楼殿と林池とは表裏照りかがやき、かもがん鴛鴦おしどりは遠近に群り飛ぶ。或は衆生の駛雨しうの如く十方世界より生るるを見、或は聖衆の恒沙の如く無数の仏土より来るを見る。或は楼台に登り十方を望む者あり。或は宮殿に乗りて虚空に住する者あり。或は空中に住して経を誦し法を説く者あり。或は空中に住して坐禅入定する者あり。地上・林間も亦またかくの如し。処々にまた河を渉り流れに濯ぎ、楽を奏し花を散じ楼殿に往来して、如来を礼賛する者あり。かくの如き無量の天人・聖衆は、心の髄に遊戯す。いはんや化仏・菩薩の香雲・花雲、国界に充ち満つること、具に名ふべからず。
 又漸廻眸、遥以瞻望、弥陀如来、如金山王、坐宝蓮華上、処宝池中央、観音勢至、威儀尊重、亦坐宝花、侍仏左右、無量聖衆、恭敬囲繞、 又宝地上宝樹行列、宝樹下各有一仏二菩薩、光明厳飾遍瑠璃地、如夜闇中燃大炬火 また漸く眸を廻らして、遥かに以って瞻望するに、弥陀如来は金山王の如く宝蓮華の上に座し、宝地の中央におわしませり。観音・勢至は威儀尊重にして、また宝花に座し、仏の左右に侍りたまひ、無量の聖衆は恭敬して囲繞せり。 また宝地の上には宝樹行列し、宝樹の下にはおのおの一仏と二菩薩まします。光明もて厳飾し瑠璃の地に遍きこと、夜の闇の中に大炬火を燃せるが如し。
時観音勢至、来至行者前、出大悲音、種々慰喩、行者従蓮台下、五体投地、頭面敬礼、即従菩薩、漸至仏所、跪七宝階、瞻万徳尊容 開一実道、入普賢願海、 歓喜雨涙、渇仰徹骨 始入仏界、得未曾有、行者昔於娑婆、纔読教文、今正見此事、歓喜心幾乎<多依観経等意> 竜樹偈曰、若人種善根、疑則華不開、信心清浄者、花開則見仏 時に観音・勢至、行者の前に来至し、大悲の音を出して、種々に慰喩したまふ。行者、蓮の台より下りて、五体を地に投げ、頭面に敬礼したてまつる。即ち菩薩に従ひて、漸く仏のみもとに至り、七宝の階に跪いて、万徳の尊容をたてまつる。一実の道を聞いて、普賢の願海に入り、歓喜して涙を雨らし、渇仰して徹骨に徹る。始めて仏界に入りて、未曾なることを得。行者、昔、娑婆に於いて、わずかに教文を読みたらんには、今正しくこのことを見て、歓喜の心幾ばくならんや。<多くは観経等の意に依る> 竜樹の偈に曰く、もし人、善根を種えて、疑えば則ち華開かず 信心清浄なる者は 花開けて則ち仏を見たてまつる。
と。
第三身相神通楽者、彼土衆生、其身真金色、内外倶清浄、常有光明、彼此互照、三十二相、具足荘厳、端正殊妙、世間無比、諸声聞衆身光一尋、菩薩光明照百由旬、或云十万由旬、以第六天主、比彼土衆生、猶如乞丐在帝王辺、 第三に、身相神通しんしんそうずうの楽とは、かの土の衆生は、その身真金色にして、内外倶に清浄なり。常に光明ありて、彼此ひし互に照す。三十二相具足して荘厳し、端正殊妙にして、世間に比ぶるものなし。もろもろの声聞衆は身の光一尋にして、菩薩の光明は百由旬を照らす。或は十万由旬とも云ふ。第六天の主を以て、かの土の衆生に比ぶるに、猶し乞丐こつがいの帝王の辺にあるが如し。
又彼諸衆生、皆具五通、妙用難測、随心自在、若欲見十方界色、不運歩即見、欲聞十方界声、不起座即聞、無量宿命之事、如今日所聞、六道衆生之心、如明鏡見像、無央数之仏刹、如咫尺往来、凡横於百千万億那由他国、竪於百千万億那由他劫、一念之中、自在無碍、 またかのもろもろの衆生は、皆、五通を具し、妙用測り難く、心のままに自在なり。もし十方界の色を見んと欲せば、歩を運ばずして即ち見、十方界の声を聞かんと欲せば、座を起たずして即ち聞く。無量の宿命の事は、今日聞く所の如く、六道の衆生の心は、明らかなる鏡に像を見るが如し。無央数むおうしゅの仏のくに咫尺しせきの如く往来し、およそ横には百千万億那由他の国に於いても、竪には百千万億那由他の劫に於いても、一念の中にして、自在無碍なり。
今此界衆生、於三十二相、誰得一相、於五神通、誰得一通、非燈日無以照、非行歩無以至、雖一紙不見其外、雖一念不知其後、樊篭未出、随事有碍、而彼土衆生、無有一人不具此徳、不於百大劫中而種相好業、不於四静慮中而修神通因、只是彼土、任運生得之果報、不亦楽乎<多依双観経平等覚経等> 今この界の衆生、三十二相に於いて誰か一相を得、五神通に於いて誰か一通を得たるものあらん。燈・日にあらずは以って照らすことなく、行歩にあらずは至ることなし。一紙といえどもその外を見ず、一念といえどもその後を知らず、樊篭をいまだ出でざれば、事に随ひてさわりあり。しかるにかの土の衆生は、一人としてこの徳を具せざるもの、あることなし。百大劫の中に於いても相好の業を種えず、四静慮の中の於いても神通の因を修せざれども、ただこれかの土の、任運生得にんうんしょうとくの果報なり。また楽しからずや。<多くは双観経・平等覚経等に依る>
竜樹偈云、人天身相同、猶如金山頂、諸勝所帰処、是故頭面礼、其有生彼国、具天眼耳通、十方普無碍、稽首聖中尊、其国諸衆生、神変及心通、亦具宿命智、是故帰命礼 竜樹の偈に云く、人・天の身相、同じくして、猶し金山の頂の如し、もろもろの勝れたる所帰の処なり。この故に頭面に礼したてまつる。それかの国に生まれることあらば、天眼・耳通を具し、十方に普く無碍なり。聖中の尊を稽首けいしゅ、その国のもろもろの衆生は、神変と及び心通あり。また宿命智を具せり。この故に帰命し礼したてまつる、と。
 第四、五妙境界楽者、四十八願荘厳浄土、一切万物、窮美極妙、所見悉是浄妙色、所聞無不解脱声、香味触境、亦復如是、謂彼世界、以瑠璃為地、金縄界其道、坦然平正、無有高下、恢廓曠蕩、無有辺際、晃曜微妙、奇麗清浄、以諸妙衣、遍布其地、一切人天、践之而行<已上、地相> 第四に、五妙境界の楽とは、四十八願もて浄土を荘厳したまえば、一切の万物、美を窮め妙を極めたり。見る所、悉くこれ浄妙の色にして、聞く所、解脱の声ならざるはなし。香・味・触の境も、亦またかくの如し。
 謂く、かの世界は、瑠璃を以て地と為し、金の縄にてその道を界す。坦然平正にして、高下あることなく、 恢廓曠蕩かいかくこうとうにして、辺際あることなし 晃曜微妙こうみょうみみょう、奇麗清浄、もろもろの妙衣を以って、遍くその地に布き、一切の人・天、これをみて行く。<以上は、地面の様相である>
 衆宝国土一々界上、衆宝国土一々界上、有五百億七宝所成宮殿楼閣、高下随心、広狭応念、諸宝床座、妙衣敷上、七重欄楯、百億華幢、垂珠瓔珞、懸宝幡蓋、殿裏楼上、有諸天人、常作伎楽、歌詠如来<已上、宮殿> 衆宝の国土の一々の界の上には、五百億の七宝より成るところの宮殿・楼閣あり。高下、心に随ひ、広狭、念ひに応ず。もろもろの宝の床座には、妙衣もて上に敷き、七重の欄楯、百億の華のはたありて、珠の瓔珞を垂れ、宝の幡蓋を懸けたり。殿の裏、楼の上には、もろもろの天人ありて、常に伎楽を作し、如来を歌詠したてまつる<以上は宮殿なり>
 講堂精舎宮殿楼閣内外左右、有諸浴池、黄金池底白銀沙、白銀池底黄金沙、水精池底瑠璃沙、瑠璃池底水精沙、珊瑚虎魄、車磲馬瑙、白玉紫金、亦復如是、八功徳水、充満其中、宝沙映徹、無深不照<八功徳者、一澄浄、二清冷、三甘味、四軽耎、五潤沢、六安和、七飲時除飢渇等無量過患、八飲已、定能長養諸根四大、増益種々殊勝善根>   講堂・精舎・宮殿・楼閣の内外・左右にもろもろの浴池あり。黄金の池の底には白銀の沙あり。白銀の池の底には黄金の沙あり、水精の池の底には瑠璃の沙あり。瑠璃の池の底には水精の沙あり。珊瑚さんご虎魄こはく車磲しゃこ馬瑙めのう白玉はくぎょく紫金しこんも、亦またかくの如し。八功徳の水、その中に充満し、宝の沙の映徹して、深く照らさざることなし。<八功徳とは、一には澄浄、二には清冷、三には甘味、四には軽耎きょうなん、五には潤沢、六には安和、七には飲む時、飢渇等の無量の過患を除き、八には飲み已りて、定んで能く諸根・四大を長養し、種々の殊勝の善根増益するなり。> 
四辺階道、衆宝合成、種々宝花、弥覆池中、青蓮有青光、黄蓮有黄光、赤蓮白蓮各有其光、微風吹来、華光乱転、一々華中、各有菩薩、一々光中、有諸化仏 四辺の階道は、衆宝もて合成し、種々の宝花は、池の中にあまねく覆ふ。青蓮には青き光あり、黄蓮には黄なる光あり、赤蓮・白蓮にもおのおのその光ありて、微風吹き来たれば、華の光、乱れうごく。一々の華の中に、おのおの菩薩あり、一々の光の中にも、もろもろの化仏 あり。
 微瀾廻流、転相潅注、安詳徐逝、不遅不疾、其声微妙、無不仏法、或演説苦空無我諸波羅蜜、或流出十力無畏不共法音、或大慈悲声、或無生忍声、随其所聞、歓喜無量、随順清浄寂滅真実義、随順菩薩声聞所行之道、又鳧雁鴛鴦、鶖鷺鵞鶴、孔雀鸚鵡、伽陵頻迦等、百宝色鳥、昼夜六時出和雅音、讃嘆念仏念法念比丘僧、演暢五根五力七菩提分、無有三途苦難之名、但有自然快楽之音 微かなる瀾、廻り流れてうたた相潅注す。安詳としておもむろに逝き、遅からず疾からず。おの声微妙にして、仏法ならざるはなし。或は苦・空・無我、もろもろの波羅蜜を演説し、或は十力・無畏・不共法の音を流出す。或は大慈悲の声、或は無生忍の声なり。その聞く所に随ひて、歓喜無量なり。清浄なる寂滅の真実の義に随順し、菩薩と声聞の行ずる所の道に随順せり。また、かもがん鴛鴦おしどりさぎがちょう・鶴・孔雀・鸚鵡・伽陵頻迦かりょうびんが等の、百宝の色の鳥、昼夜六時に和雅の音を出して、仏を念じ法を念じ、比丘僧を念ずることを讃嘆し、五根と五力と七菩提分を演暢す。三途、苦難の名もあることなく、ただ自然快楽の音のみあり。
彼諸菩薩及声聞衆、入於宝池洗浴之時、浅深随念、不違其心、蕩除心垢、清明澄潔、洗浴已訖、各各自去、或在空中、或在樹下、有講経誦経者、有受経聴経者、有坐禅者、有経行者、其中未得須陀洹者、則得須陀洹、乃至未得阿羅漢者、得阿羅漢、未得阿惟越致者、得阿惟越致、皆悉得道莫不歓喜、復有清河、底布金沙、浅深寒温、曲従人好、衆人遊覧、同萃河浜<已上、水相> かのもろもろの菩薩及び声聞衆、宝池に入りて洗浴する時、浅深の念に随ひ、その心に違わず。心の垢を蕩除し、清明澄潔なり。洗浴已におわれば、おのおの自ら去り、或は空中にあり、或は樹下にありて、経を講じ経を誦する者あり、経を受け経を聴く者あり、坐禅する者あり、経行する者あり、その中にまだ須陀洹しゅだおんを得ざる者は、則ち須陀洹を得、いまだ阿羅漢あらかんを得ざる者は、阿羅漢を得、いまだ阿惟越致あゆいおっちを得ざる者は、阿惟越致を得、皆悉く道を得て歓喜せざるものなし。また清い河あり。底に金の沙を布き、浅深寒温、つぶさに人の好みに従ふ。衆人、遊覧して、同じく河浜にあつまる。<已上は、水相なり>
 池畔河岸有栴檀樹、行々相当、葉々相次、紫金之葉、白銀之枝、珊瑚之花、車磲之実、一宝七宝、或純或雑、枝葉花菓、荘厳映飾、和風時来、吹諸宝樹、羅網微動、妙花徐落、随風散馥、雑水流芬、況出微妙音、宮商相和、譬如百千種楽同時倶作、聞者自然念仏法僧、彼第六天万種音楽、不如此樹一種音声 池の畔、河の岸に、栴檀の樹あり。行々相当り、葉々相次ぎ、紫金之葉、白銀の枝、珊瑚の花、車磲の実、一宝・七宝、或は純、或は雑の、枝葉花菓、荘厳し映飾す。和風時に来りて、もろもろの宝樹を吹けば、羅網らもう微かに動いて、妙花徐かに落ち、風に随ひて風に随ひてかおりを散らし、水に雑りてかおりを流す。いわんや微妙な音を出して、宮商相和すること、譬へば百千種の楽を同時に倶に作すが如し。聞く者は自然に仏・法・僧を念ず。かの第六天の万種の音楽も、この樹の一種の音声にはしかざるなり。
葉間生花、花上有菓、皆放光明、化為宝蓋、一切仏事、映現蓋中、乃至欲見十方厳浄仏土、於宝樹間、皆悉照見、樹上有七重宝網、宝網間有五百億妙花宮殿、宮殿中有諸天童子、瓔珞光耀、自在遊楽、如是七宝諸樹、周遍世界、名花軟草、亦随処有、柔軟香潔、触者生楽<已上、樹林> 葉の間には花を生じ、花の上には菓ありて、皆光明を放ち、化して宝蓋となり、一切の仏事、蓋の中に映現す。乃至、十方の厳浄の仏土を見んと欲わば、宝樹の間に於て、皆悉く照見す。樹の上に七重の宝網あり、宝網の間には五百億の妙花の宮殿あり、宮殿の中にはもろもろの天の童子ありて、瓔珞を光り耀かせ、自に遊び楽しむ。かくの是く七宝のもろもろの樹、世界に周遍し、名花・軟草もまたに処に随ひてあり、柔軟・香潔にして、触るる者、楽しみを生ず。<已上は樹林なり>
 衆宝羅網、弥満虚空、懸諸宝鈴、宣妙法音、天花妙色、繽粉乱墜、宝衣厳具、旋転来下、如鳥飛空下、供散於諸仏、又有無量楽器、懸処虚空、不鼓自鳴、皆説妙法<已上、虚空> もろもろの宝の羅網は、虚空にあまねく満ち、もろもろの宝鈴を懸けて、妙法の音を宣ぶ。天花は妙色にして、繽粉として乱れ墜ち、宝衣・厳具は旋転して来り、鳥の飛んで空より下るが如く、もろもろの仏に供散したてまつる。また無量の楽器ありて、はるかに虚空にとどまり、鼓たざるに自ら鳴りて、皆妙法を説く。<已上は虚空なり>
 復如意妙香、塗香抹香、無量香芬馥、遍満於世界、若有聞者、塵労垢習、自然不起、凡自地至空、宮殿花樹、一切万物、皆以無量雑宝百千種香、而共合成、其香普薫十方世界、菩薩聞者、皆修仏行、復彼国菩薩羅漢、諸衆生等、若欲食時、七宝之机自然現前、七宝之鉢、妙味満中、不類世間之味、亦非天上之味、香美無比、甜酢随意、見色聞香、身心清潔、即同食已、色力増長、事已化去、時至復現、又彼土衆生、欲得衣服、随念即至、如仏所讃、応法妙服、自然在身、不求裁縫染治浣濯 また如意の妙香・塗香・抹香、無量の香、芬馥として、遍く世界に満つ。もしぐことある者は、塵労垢習じんろうくじゅう、自然に起こらず。およそ地より空に至るまで、宮殿・花樹、一切の万物は、皆無量の雑宝の百千種の香を以て、共に合成す。その香、あまねく十方の世界に薫じ、菩薩にして聞ぐ者は、皆の仏の行を修す。
 またかの国の菩薩・羅漢・もろもろの衆生等、もし食せんと欲する時は、七宝の机、自然に現前し、七宝の鉢には、妙味中に満つ。世間の味に類せず、また天上の味にもあらず、香美なること比なく、甜酢でんそ、意に随ふ。色を見、香を聞ぎ、身心清潔となり、即ち食し已るに同じくして、色力増長す。事已れば化し去り、時至ればまた現る。
 またかの土の衆生、衣服を得んと欲せば、念の随に即ち至る。仏の讃えたまふ所の如く、応法の妙なる服、自然に身にありて、裁縫・染治・浣濯を求めず
又光明周遍、不用日月燈燭、冷暖調和、無有春秋冬夏、自然徳風、温冷調適、触衆生身、皆得快楽、譬如比丘得滅尽三昧、毎日晨朝、吹散妙花、遍満仏土、馨香芬烈、微妙柔軟、如兜羅綿、足履其上、蹈下四寸、随挙足已、還復如故、過晨朝已、其花没地、旧花既没、更雨新花、中時晡時、初中後夜、亦復如是、 また光明周遍して、日・月・燈燭を用いず。冷暖調和して、春秋冬夏あることなし。自然の徳風は、温冷調適じょうちゃくし、衆生の身に触るるに、皆快楽を得ること、譬へば比丘の滅尽三昧を得るが如し。毎日の晨朝には、吹かれ散る妙花、遍く仏土に満ち、馨しき香芬烈して、微妙柔軟なること、兜羅綿の如く、足もてその上を履めば、蹈下すること四寸、足を挙げ已るに随ひて、また復すること故の如し。晨朝を過ぎ已れば、その花地に没す。旧き花、既に没すれば、更に新しき花を雨らす。中時・晡時、初・中・後夜もまたかくの如し。
此等所有微妙五境、雖見聞覚者身心適悦、而不増長有情貪著、更増無量殊勝功徳、凡八方上下無央数諸仏国中、極楽世界所有功徳、最為第一、以二百一十億諸仏浄土厳浄妙事、皆摂在此中、若観如是国土相者、除無量億劫極重悪業、命終之後、必生彼国<依二種観経阿弥陀経称讃浄土経宝積経平等覚経思惟経等意記之> これらのあらゆる微妙の五境は、見、聞き、覚る者の身心をして適悦ならしむといえども、しかも有情の貪著を増長せしめず、更に無量の殊勝の功徳を増す。およそ八方・上下、無央種の諸仏の国の中には、極楽世界に有る所の功徳もて、最も第一と為す。以二百一十億の諸仏の浄土の厳浄なる妙事、皆この中に摂在するを以てなり。もしかくの如き国土の相を観ずる者は、無量億劫の極重の悪業をも除き、命終の後は、必ずかの国に生ぜん。<二種の観経、阿弥陀経・称讃浄土経・宝積経・平等覚経・思惟経等の意に依りて、これを記す>
 世親偈云、観彼世界相、勝過三界道、究竟如虚空、広大無辺際、宝花千万種、弥覆池流泉、微風動花葉、交錯光乱転、宮殿諸楼閣、観十方無碍、雑樹異光色、宝欄遍囲繞、無量宝絞絡、羅網遍虚空、種々鈴発響、宣吐妙法音、衆生所願楽、一切皆満足、故我願生彼、阿弥陀仏国 世親の偈に云わく
かの世界の相を観ずるに 三界の道に勝過せり 究竟せること虚空の如し 広大にして辺際なし 宝花千万種にして 弥く池と流れと泉を覆ふ 微風 花葉を動かすに 交錯して光乱れ転く 宮殿のもろもろの楼閣は 観十方を 観るに碍なく 雑樹には異なる光色あり 宝欄遍く囲み繞る 無量の宝 絞絡して 羅網 虚空に遍じ 種々の鈴発響 妙法の音を宣べ吐す 衆生の願楽する所 一切皆満足す 故に我かの阿弥陀仏の国に生まれんと願ふ と。
 第五、快楽無退楽者、今此娑婆世界、無可躭玩、輪王之位、七宝不久、天上之楽、五衰早来、乃至有頂、輪廻無期、況余世人乎、事願違、楽与苦倶、富者未必寿、寿者未必富、或昨富今貧、或朝生暮死、故経言、出息不待入息、入息不待出息、非唯眼前楽去哀来、亦臨命終、堕罪随苦、彼西方世界、受楽無窮、人天交接、両得相見、慈悲薫心、互如一子、共経行於瑠璃地上、同遊戯於栴檀林間、従宮殿至宮殿、従林池至林池、若欲寂時、風浪絃管、自隔耳下、若欲見時、山川渓谷、尚現眼前、香味触法、随念亦然、  第五に、快楽無退の楽とは、今この娑婆世界は、無可躭り玩ぶべきものなし。輪王の位も、七宝久しからず、天上の楽も、五衰早く来り、乃至、有頂も輪廻に期なし。いわんや余の世の人をや、事と願と違ひ、楽と苦と倶なり。富める者、いまだ必しも寿いのちながからず、寿き者、いまだ必しも富まず。或はきのう富みて、きょう貧しく、或は朝生れてゆうべに死す。故に経に言く。出づる息は入る息を待たず、入る息は出づる息を待たず。ただ眼前に楽去りて哀来るのみにあらず。また命終に臨んでは、罪に随ひて苦に堕つ。かの西方世界は、楽を受けること窮りなく、人天交接して、両に相見ることを得。慈悲、心に薫じて、互に一子の如し。共に瑠璃地の上に経行し、同じく栴檀の林の間に遊戯して、宮殿より宮殿に至り、林池より林池に至る。もししずかならんと欲する時は、風・浪・絃・管、自ら耳下を隔たり、もし見んと欲する時は、山川渓谷、なお現眼前に現る。香・味・触・法もおもいままにまた然り。
或渡飛梯作伎楽、或騰虚空現神通、或従他方大士而迎送、或伴天人聖衆以遊覧、或至宝池辺、慰問新生人、汝知不、是処名極楽世界、是界主号弥陀仏、今当帰依、或同在宝池中、各坐蓮台上、互説宿命事、我本在其国、発心求道之時、持其経典、護其戒行、作其善法、修其布施、各語所好憙之功徳、具陳所来生之本末、或共語十方諸仏利生之方便、或共議三有衆生抜之苦因縁、議已追縁而相去、語已随楽而共往、或復登七宝山<七宝山、七宝塔、七宝坊、出十往生経>、浴八功池、寂然宴黙、読誦解説、如是遊楽、相続無間 或は飛梯ひていを渡りて伎楽を作し、或は虚空に騰りて神通を現す。或は他方の大士に従ひて迎送し、或は天人・聖衆に伴ひて以て遊覧す。或は宝池の辺に至り、新生の人を慰問す。「汝知るや否やいなや、この処を極楽世界と名づけ、この界の主を弥陀仏と号したてまつるを。今まさに帰依したてまつるべし」と。或は同じく宝池の中にありて、おのおの蓮の台の上に坐り、互に宿命の事を説かく、「我本、しの国にありて、心を発して道を求めし時、その経典を持ち、その戒行を護り、その善法を作し、修その布施を修めたり」と。おのおの憙びし所の功徳を語り、具に来生せる所の本末を陳ぶ。或は共に十方諸仏の利生の方便を語り、或は共に三有衆生の抜苦の因縁を議る。議り已れば追縁を追ひて相去り、語り已ればねがいの随に共に往く。或はまた七宝の山に登り、<七宝の山、七宝の塔、七宝の坊のこと、十往生経に出づ>、八功の池に浴し、寂然として宴黙し、読誦・解説す。かくの如く遊楽すること、相続して間なし。
 処是不退、永免三途八難之畏、寿亦無量、終無生老病死之苦、心事相応、無愛別離苦、視慈眼等、無怨憎会苦、白業之報、無求不得苦、金剛之身、無五盛陰苦、一託七宝荘厳之台、長別三界苦輪之海、若禹別願、雖生他方、是自在生滅、非業報生滅、尚無不苦不楽之名、何況諸苦耶、竜樹偈云、若人生彼国、終不堕悪趣、及与阿修羅、我今帰命礼 処はこれ不退なれば永く三途・八難の畏を免れ、寿もまた無量なれば、終に生老病死の苦なし、心・事相応すれば、愛別離苦なく、慈眼もて等しく視れば、怨憎会苦もなし。白業の報なれば、求不得苦なく、金剛の身なれば、五盛陰苦もなし。一たび七宝荘厳の台に託しねれば、長く三界苦輪の海を別る。もし別願あらば、他方に生きるといへども、これ自在の生滅にして、業報の生滅にはあらず。なお不苦・不楽の名すらなし。いかにいわんや、もろもろの苦をや。
 竜樹の偈に云く、「もし人かの国に生まるれば、終に悪趣と及与び阿修羅に堕ちせず 我いま帰命し礼したてまつる」と。
 第六、引接結縁楽者、人之在世、所求不如意、樹欲静而風停、子欲養而親不待、志雖舂肝胆、力不堪水菽、君臣師弟妻子朋友、一切恩所、一切知識、皆亦如是、空労痴愛之心、弥増輪廻之業、況復業果推遷、生処相隔、六趣四生、不知何処、野獣山禽、誰弁旧親、如心地観経偈云[p064]、世人為子造諸罪、堕在三途長受苦、男女非聖無神通、不見輪廻難可報、有情輪廻生六道、猶如車輪無始終、或為父母為男女、世々生々互有恩、 第六に、引接結縁の楽とは、人の世にあるとき、求むる所意の如くならず。樹は静かならんと欲するも風まず。子は養しなわんと欲するも、親待たず、志、肝胆をくといえども、力水菽に堪えず。君臣・師弟・妻子・朋友、一切の恩所、一切の知識、皆またかくの如し。空しく痴愛の心を労して、いよいよ輪廻の業を増す。いはんやまた業果を推し遷りて、生処相隔つときは、六趣・四生、いづれの処なるを知らず。野の獣、山の禽、誰か旧の親を弁へん。心地観経の偈に云ふが如し。
 世の人、子の為にもろもろの罪を造り、三途に堕在して長く苦を受くれども、男女、聖に あらざれば神通なく、輪廻を見ざれば報ずべきこと難し 有情、輪廻して六道に生きること 猶し車輪の如く始終なし。或は父母となり男女となりて、世々生々互に恩あり、と。
若生極楽、智慧高明、神通洞達、世々生々、恩所知識、随心引接、以天眼見生処、以天耳聞言音、以宿命智憶其恩、以他心智了其心、以神境通随逐変現、以方便力教誡示導、如平等経云 もし極楽に生るれば、智慧高く明らかにして神通ふかく達し、世々生々の恩所・知識、心の随に引接す。天眼を以て生処を見、天耳を以て言音を聞き、宿命智を以てその恩を憶ひ、他心智を以てその心をさとり、神境通を以て随逐・変現し、方便力を以て教誡・示導す。平等経に云ふが如し。
彼土衆生、皆自知其前世所従来生、及知八方上下、去来現在之事、知彼諸天人民蠉飛蠕動之類心意所念口所欲言、何歳何劫、当生此国作菩薩道得阿羅漢、皆予知之 かの土の衆生は、皆自らその前世に従来せし所の生を知り、及び八方・上下、去来・現在の事を知りかの諸天・人民・蠉飛・蠕動の類の心意に念ふ所、口に言わんと欲する所を知る。いづれの歳、いづれの劫に、この国に生まれ、菩薩の道を作し、阿羅漢を得べきか、皆あらかじ めこれを知る、と。
又華厳経普賢願云、願我臨欲命終時、尽除一切諸障碍、面見彼仏阿弥陀、即得往生安楽刹、我既往生彼国已、現前成就此大願、一切円満尽無余、利楽一切衆生界、無縁尚尓、況結縁乎、竜樹偈云、無垢荘厳光、一念及一時、普照諸仏会、利益諸群生 また華厳経の普賢の願に云く、
 願はくは、我命終わらんと欲する時に臨んで、ことごとく一切のもろもろの障碍を除いて、まのあたりかの仏、阿弥陀を見たてまつり、即ち安楽の刹に往生することを得ん。我既にかの国に往生し已れば、現前にこの大願絵を成就し、一切円満して尽く余すことなく、一切衆生界を利楽せん、と。無縁すらなほしかり。いはんや結縁をや。竜樹の偈に云、
 無垢荘厳の光 一念及一時に 普く照諸仏の会を照し もろもろの群生を利益す、と。
 第七、聖衆倶会楽者、如経云、衆生聞者、応当発願願生彼国、所以者何、得与如是諸上善人倶会一処<已上>[p065] 彼諸菩薩聖衆徳行、不可思議、普賢菩薩言、若有衆生、未種善根、及種少善声聞菩薩、猶尚不得聞我名字、況見我身、若有衆生、得聞我名、於阿耨菩提、不復退転、乃至夢中、見聞我者、亦復如是<華厳経意>又云、第七に、聖衆倶会の楽とは、経に云ふが如し。
 衆生、聞かん者は、応当に願を発してかの国に生まれんと願うべし。所以はいかん。かくの如きもろもろの上善の人と、倶に一処に会することを得ればなり、と。かのもろもろの菩薩聖衆の徳行は、不可思ひはかるべからず。普賢菩薩の言く、
 もし衆生ありて、いまだ善根を種えざるもの、及び小善を種えたる声聞・菩薩は、なほわが名字を聞くことを得ず。いわんやわが身を見んことをや。もし衆生ありて、得聞我が名を聞くことを得ば、阿耨菩提に於て、また退転せず。乃至、夢の中にて、我を見、聞かん者もまたかくの如し、と。<華厳経の意>また云わく、
我常随順諸衆生、尽於未来一切劫、恒修普賢広大行、円満無上大菩提、普賢身相如虚空、依真而住非国土、随諸衆生心所欲、示現普身等一切、一切刹中諸仏所、種々三昧現神通、一々神通悉周遍、十方国土無遺者、如一切刹如来所、彼刹塵中悉亦然<同経偈> 我常にもろもろの衆生に随順して 未来一切の劫を尽すまで 恒に普賢の広大の行を修し、無上の大菩提を円満せん 普賢の身相は虚空の如し 真に依りて住すれば国土にあらず もろもろの衆生の心の欲する所に随ひて、普き身を示現して一切に等しくす 一切の刹の中の諸仏のみもとに 種々の三昧もて神通を現し、一々の神通は悉く、十方の国土に周遍して遺す者なし 一切の刹の如来の所の如く、かの刹の塵の中にも悉くまた然り<同経偈>
 文殊師利大聖尊、三世諸仏以為母、十方如来初発心、皆是文殊教化力、一切世界諸有情、聞名見身及光相、并見随類諸化現、皆成仏道難思議 文殊師利大聖尊もんじゅしりだいしょうそんは、三世諸仏、以って母となす 十方の如来の初発心は、皆これ文殊が教化の力なり 一切世界のもろもろの有情の、名を聞き身及び光相を見 ならびに随類のもろもろの化現を見るものは 皆仏道を成ずること思議し難し
<心地観経意> 若但聞名者、除十二億劫生死之罪、若礼拝供養者、恒生仏家、若称名字、一日七日、文殊必来、若有宿障、夢中得見、所求円満、若見形像者、百千劫中不堕悪道、若行慈心者、即得見文殊、若受持読誦名者、設有重障、不堕阿鼻極悪猛火、常生他方清浄仏土<文殊般涅槃経意、彼形像如経広説>又百千億那由他仏、利益衆生、不及文殊師利於一劫中所作利益、故若称文殊師利菩薩名者、福多於受持彼百千億諸仏名号<宝積経意> と、<心地観経の意> もしただ名を聞く者は、十二億劫の生死の罪を除き、もし礼拝・供養する者は恒に仏家に生まれ、もし名字を称すること、一日・七日ならば、文殊必ず来りたまふ。もし宿障あらば、夢の中に見たてまつることを得て、求むる所円満す。もし形像を見たてまつる者は、百千劫の中に悪道を堕せず。もし慈心を行ずる者は、すなわち文殊を見たてまつる。もし名を受持し読誦することあらん者は、たとひ重障ありとも、阿鼻の極悪の猛火に堕せずして、常に他方の清浄の仏土に生る<文殊般涅槃経の意、かの形像経に広く説苦が如し>また百千億那由他なゆたの仏の、衆生を利益したまふことも、不及文殊師利の一劫の中に於いて作す所の利益には及ばず。故にもし文殊師利菩薩の名を称する者は、福、かの百千億の諸仏の名号を受持するよりも多し。<宝積経意>
 弥勒菩薩功徳無量、若但聞名者、不堕黒闇処、一念称名者、除却千二百劫生死之罪、有帰依者、於無上道得不退転<上生経意> 称讃礼拝者、除百千万億阿僧祇劫生死罪<虚空蔵経仏名経意>無量千万劫、所修願智行、広大不可量、称揚莫能尽<華厳経偈、已上三菩薩、常在極楽世界、出四十華厳経>//  弥勒菩薩は功徳無量なり。もしただ名を聞く者は、黒闇の処に堕せず、一念も名を称する者は、千二百劫の生死の罪を除却し、帰依することあらん者は、無上道に於いて不退転を得。<上生経の意> 称讃し礼拝する者は、百千万億阿僧祇劫あそうぎこうの生死の罪を除く。<虚空蔵経・仏名経の意>
 無量千万劫に 修する所の願と智と行とは、広大にして量るべからず、称揚すとも能く尽すことなけん<華厳経の偈、已上の三菩薩、常に在極楽世界におわします、四十華厳経の出づ>
地蔵菩薩、毎日晨朝、入恒沙定、周遍法界、抜苦衆生、所有悲願、超余大士<十輪経意> 彼経偈云、一日称地蔵、功徳大名聞、勝倶胝劫中、称余智者徳、仮使百劫中、讃説其功徳、猶尚不能尽、故皆当供養   地蔵菩薩は、毎日晨朝に恒沙の定に入り、法界に周遍して、苦の衆生を抜く。所有の悲願、余の大士を超えたり。<十輪経の意> かの経の偈に云く、
一日、地蔵の、功徳大名聞を称せんに 倶胝劫の中に 余の智者を称する徳に勝る たとひ使百劫の中に、この功徳を讃説すとも なほ尽すことあたわず 故に皆当に供養すべし、と。
 観世音菩薩言、衆生有苦、三称我名、不往救者、不取正覚<弘猛海慧経> 若有称念百千倶胝那庾󠄂多諸仏名号、復有暫時於我名号至心称念、彼二功徳、平等平等、諸有称念我名号者、一切皆得不退転地<十一面経>[p068] 衆生若聞名、離苦得解脱、亦遊戯地獄、大悲代受苦<請観音経偈> 観世音菩薩ののたまはく、「衆生苦ありて、三たびわが名を称せんに、往いて救はずは、正覚を取らじ」と。<弘猛海慧経>「もし百千倶胝那庾󠄂多くていなゆたの諸仏の名号を称念することあらん。また暫時もわが名号に於て心を至して称念することあらん。かの二の功徳は、平等平等なり。もろもろの、わが名号を称念することあらん者は、一切皆、不退転地を得ん」と。<十一面経>
 衆生、もし名を聞かば、苦を離れて解脱を得ん また地獄に遊戯して、大悲代りて苦を受けん、と。<請観音経偈>
 弘誓深如海、劫歴不思議、侍多千億仏、発大清浄願、具足神通力、広修智方便、十方諸国土、無刹不現身、念々勿生疑、観世音浄聖、於苦悩死厄、能為作依怙、具一切功徳、慈眼視衆生、福聚海無量、是故応頂礼<法華経> 大勢至菩薩曰、我能堪任度諸悪趣未度衆生、<宝積経>[p068] 以智慧光、普照一切、令離三途、得無上力、故此菩薩名大勢至、観此菩薩者、除無数劫阿僧祇生死之罪、不処胞胎、常遊諸仏浄妙国土<観経意> 弘誓の深きこと海の如し 劫をとも思議せられず、多千億の仏につかへて、大清浄の願を発す 神通力を具足し 広く智の方便を修し 十方のもろもろの国土に くにとして身を現ぜざることなし 念々に疑をp生ずることなかれ 観世音の浄聖は 苦悩死厄に於て 能く為に依怙えことなる 、一切の功徳を具し 慈眼もて衆生を視る 福聚の海無量なり この故に頂礼すべし、と。<法華経> 
 大勢至菩薩の曰く、我能くもろもろの悪趣の、未度の衆生を度するに堪任せり、と。<宝積経>
 智慧の光を以て、普く一切を照らして三途を離れしむるに 無上の力を得たり 故にこの菩薩を大勢至と名づく。この菩薩を観ずる者は、無数劫阿僧祇あそうぎの生死の罪を除き、胞胎ほうたいを処せずして、常に諸仏の浄妙の国土に遊ぶ。<観経意>
無量無辺無数劫、広修願力助弥陀、常処大衆宣法言、衆生聞者得浄眼、神通周遍十方国、普現一切衆生前、衆生若能至心念、皆悉導令至安楽<竜樹讃> 又云、 観音勢至大名称、功徳智慧倶無量、具足慈悲救世間、徧遊一切衆生海、如是勝人甚難遇、一心恭敬頭面礼<已上> 無量無辺無数劫に 広く願力を修して弥陀を助け 常に大衆を処して法言を宣ぶ 衆生の聞かん者は浄眼を得 神通もて十方の国に周遍し 普く一切衆生の前に現る 衆生もし能く心を至して念ずれば、皆悉く導いて至安楽に至らしめる、と。<竜樹の讃> また云く、
 観音・勢至は大名称あり 功徳・智慧、倶に無量なり、慈悲を具足して世間を救い、徧く一切衆生の海に遊ぶ かくの如き勝れた人は甚だ遇ひ難し、一心に恭敬して頭面に礼したてまつれ、と。<已上>
 如是一生補処大菩薩、其数如恒沙、色相端厳、功徳具足、常在極楽国、囲繞弥陀仏、又諸声聞衆、其数難量、神智洞達、威力自在、能於掌中、持一切世界、設如大目連、百千万億無量無数、於阿僧祇劫、悉共計校彼初会声聞、所知数者猶如一渧、其所不知如大海水、其中般泥洹去者、無央数、新得阿羅漢者、亦無央数、而都不為増減、譬如大海、雖減恒水、雖加恒水、而無増亦無減  かくの如き一生補処いっしょうふしょの大菩薩は、その数恒沙の如し。色相端厳にして、功徳具足し、常に極楽国にありて、弥陀仏を囲繞したてまつる。またもろもろの声聞衆も、その数量り難し。神智ふかく達して、威力自在なり。能く掌の中に於て、一切の世界を持つ。たとひ大目連の如きもの、百千万億無量無数ありて、阿僧祇劫に於て、悉く共にかの初会の声聞を計校けきょうせんに、知る所の数はなほ一渧の如く、その知らざる所は大海の水の如し。その中に般泥洹はつないおんにして去りし者、無央数にして、新たに阿羅漢を得る者も、また無央数なり。しかも都て増減をなさず。譬へば大海の恒に水を減ずといえども、恒に水を加ふといえども、しかも増すことなく、また減ずることなし。
諸菩薩衆、復倍上数、如大論云、阿弥陀仏国、菩薩僧多、声聞僧少、<已上> 如是聖衆、充満其国、互遥相瞻望、遥聞語声、同一求道、無有異類、何況、復十方恒河沙仏土、無量塵数菩薩聖衆、各現神通、至安楽国、瞻仰尊顔、恭敬供養、或賷天妙花、或焼妙宝香、或献無価衣、或奏天伎楽、発和雅音、歌歎世尊、聴受経法、宣布道化、如是往来、昼夜不絶、東方去西方来、西方去北方来、北方去南方来、四維上下、互亦如是、更相開避、猶如盛市、此等大士、一聞其名、尚非少縁、況百千万劫、誰得相見者、然彼国土衆生、常会一処、互交言語、問訊恭敬、親近承習、不亦楽乎<已上双観経観経平等経等意> もろもろの菩薩衆は、また上の数に倍す。、大論に云ふが如し。弥陀仏の国には、菩薩僧は多く、声聞僧は少し、と。<已上> かくの如き聖衆、その国に充ち満つ。互に遥かに相瞻望し、遥かに語声を聞き、同じく一に道を求めて、異類あることなし。いかにいわんや。また十方恒河沙の仏土の、無量塵数の菩薩聖衆は、おのおの神通を現じ、安楽国に至り、尊顔を瞻仰して、恭敬し供養したてまつる。或は天の妙花をもたらし、或は妙宝の香を焼き、或は無価の衣を献じて、或は天の伎楽を奏し、和雅の音を発して、世尊を歌歎し、経法を聴受し、道化を宣布す。かくの如く往来すること、昼夜に絶えず。東方に去れば西方より来り、西方に去れば北方より来り、北方に去れば南方より来、四維・上下も互にまたかくの如し。更に相開避すること、猶し盛なる市の如し。これらの大士は、一たびその名を聞くすら、なほ少縁にあらず。いはんや百千万劫にも、誰か相見ことを得る者あらん。しかるに、かの国土の衆生は、常に一処に会し、互に言語を交え、問訊し恭敬し、親近し承習す。また楽しからずや。<已上双観経観経平等経等意>
竜樹偈曰、彼土諸菩薩、具足諸相好、皆自荘厳身、我今帰命礼、超出三界獄、目如蓮華葉、声聞衆無量、是故稽首礼、又云、十方所来諸仏子、顕現神通至安楽、瞻仰尊顔常恭敬、故我頂礼弥陀仏 竜樹の偈に曰く、
 かの土のもろもろの菩薩は もろもろの相好を具足して皆自ら身を荘厳せり 我今帰命し礼したてまつる。三界の獄を超出して、目は蓮華の葉の如し 声聞衆無量なり この故に稽首し礼したてまつる、と。
 また云く、
 十方より来る所のもろもろの仏子 神通を顕現して安楽に至り 尊顔を瞻仰して常に恭敬す 故に我、弥陀仏を頂礼したてまつる
 第八、見仏聞法楽者、今此娑婆世界、見仏聞法甚難、師子吼菩薩言、我等、無数百千劫、修四無量三解脱、今見大聖牟尼尊、猶如盲亀値浮木、又儒童捨全身而始得半偈、常啼割肝府而遠求般若、菩薩尚尓、何況凡夫、仏在舎衛二十五年、彼九億家、三億見仏、三億纔聞、其余三億不見不聞、在世尚尓、何況滅後、故法華云、是諸罪衆生、以悪業因縁、過阿僧祇劫、不聞三宝名//  第八に、見仏聞法の楽とは、今この娑婆世界は、仏を見たてまつりて法を聞くこと甚だ難し。師子吼菩薩の言く、
 我等、無数百千劫に、四無量・三解脱を修して、今大聖牟尼尊たてまつること けだし盲亀の浮木にえるが如し、と。また儒童は全身を捨てて始めて半偈を得、常啼は肝府を割いて遠く般若を求めたり。菩薩すらなおしかり。いかにいわんや凡夫をや。仏舎衛におわしますこと二十五年、かしこの九億の家の、三億は仏を見たてまつり、三億は纔に聞き、その余の三億は見ず聞かず。在世すらなほしかり。いかにいわんや滅後をや。故に法華に云く、
 このもろもろの罪の衆生は 悪業の因縁を以て 阿僧祇劫を過ごせども 三宝の名をも聞かず、と。
 而彼国衆生、常見弥陀仏、恒聞深妙法、謂厳浄地上、有菩提樹、枝葉四布、衆宝合成、樹上覆宝羅網、条間垂珠瓔珞、風動枝葉、声演妙法、其声流布、徧諸仏国、其有聞者、得深法忍、住不退転、耳根清徹、覩樹色、聞樹香、嘗樹味、触樹光、縁樹相、一切亦然、至成仏道、六根清徹、樹下有座、荘厳無量、座上有仏、相好無辺、烏瑟高顕、晴天翠濃、白毫右旋、秋月光満、青蓮之眼、丹菓之唇、迦陵頻之声、師子相之胸、仙鹿王之膞、千輻輪之趺、如是八万四千相好、纏絡紫磨金身、無量塵数光明、如集億千日月、有時在於七宝講堂、演暢妙法、梵音深妙、悦可衆心、菩薩声聞、天人大衆、一心合掌、瞻仰尊顔、即時自然微風、吹七宝樹、無量妙花、随風四散、一切諸天、奏諸音楽、当斯之時、熙怡快楽、不可勝言、或復現広大身、或現丈六八尺身、或在宝樹下、或在宝池上、随衆生本宿命求道時心所憙願、大小随意、為説経法、令其疾開解得道、如是随種々機、説種々法 しかるにかの国の衆生は、常に弥陀仏を見たてまつり、恒に深妙の法を聞く。謂く、厳浄の地の上には、菩提樹ありて、枝葉よもに布き、衆宝もて合成せり。樹の上には宝の羅網を覆い、条の間には珠の瓔珞垂れたり。風、枝葉を動かせば、声、妙法を演べ、その声流布して諸仏の国にへんず。その聞くことあらん者は、深法忍を得、不退転に住し、耳根清徹なり。樹の色を、樹の香をぎ、樹の味を嘗め、樹の光に触れ、樹の相を縁ずるも、一切また然り。仏道を成ずるに至るまで、六根清徹なり、樹の下には座ありて荘厳無量なり。座の上には仏ましまして、相好無辺なり。烏瑟うしつ高く顕れて晴天のみどり濃く、白毫右に旋りて、秋月の光満つ。青蓮の眼、丹菓の唇、迦陵頻の声、師子相の胸、仙鹿王のはぎ千輻輪せんぷくりんあなうら、かくのごとき八万四千の相好、紫磨金身しまごんしんまとまつわり、無量塵数の光明、億千日月を集めたるが如し。ある時は七宝の講堂にありて、妙法を演暢したまふに、梵音深妙にして、衆の心をして悦可したまふ。菩薩・声聞、天人・大衆、一心に合掌して、尊顔を瞻仰すれば、即時、自然の微風、七宝の樹を吹き、無量の妙花、風に随ひて四に散り、一切の諸天、もろもろの音楽を奏す。この時に当りて、熙怡快楽きいけらく勝げて言ふべからず。、或はまた広大の身を現じ、或は丈六・八尺の身を現じ、或は宝樹の下にあり、或は宝池の上にあり。衆生の本の宿命により求道の時心にこのみ願ひし所に随ひ、大小意の随に、為に経法を説き、そをして疾く開解し得道せしむ。かくの如く種々の機に随ひて、説種々の法を説きたまふ。
又観音勢至両菩薩、常在仏左右辺、坐侍政論、仏常与是両菩薩共対座、議八方上下去来現在之事、或時東方恒沙仏国無量無数諸菩薩衆、皆悉往詣無量寿仏所、恭敬供養、及諸菩薩声聞之衆、南西北方四維上下、亦復如是、見彼厳浄土微妙難思議、因発無量心、願我国亦然 また観音・勢至の両菩薩は、常に仏の左右の辺にありて、坐り侍りて政論す。仏は常にこの両菩薩と共に対座して、八方・上下、去来・現在の事を議したまふ。或る時は、東方恒沙の仏国の無量無数のもろもろの菩薩衆、皆悉く無量寿仏の所に往詣して、恭敬し供養して、もろもろの菩薩・声聞の衆に及ぼす。南・西・北方・四維・上下もまたかくの如し。かの厳浄の土の微妙にして思議し難きを見て、因りて無量の心を発し、「わが国もまた然らん」と願ふ。
応時世尊、動容微咲、口出無数光、遍照十方国、廻光囲身、三帀入頂、一切天人衆、踊躍皆歓喜、大士観世音、整服稽首問仏、何縁咲唯然、願説、時梵声猶雷、八音暢妙響、当授菩薩記、告言、仁諦聴、十方来正士、吾悉知彼願、志求厳浄土、受決当作仏、覚了一切法猶如夢幻響、満足諸妙願、必成如是刹、知法如電影、究竟菩薩道、具諸功徳本、受決当作仏、通達諸法性一切空無我、専求浄仏土、必成如是刹<已上>、況復水鳥樹林、皆演妙法、凡所欲聞、自然得聞、如是法楽、亦在何処乎<此中多依双観経平等覚経等意> 時に応じて、世尊みかおを動かして微咲し、口より無数の光を出して、遍く十方の国を照らしたまふ。廻光、身を囲ること三帀して頂に入る。一切の天人衆、踊躍して皆歓喜す。大士観世音、服を整え稽首して仏に問いたてまつる。「何に縁りてか咲みたまふこと、ただ然るや、願はくば説きたまえ」と。時に梵声雷のごとく、八音もて妙響を暢べ、当に菩薩に記を授けたまふべし。告げて言はく、「なんじ諦かに聴け。十方より来たれる正士、吾悉ことごとくかの願を知る。厳浄の土を志求し、決を受けて当に仏と作るべし。一切の法はなお夢・幻・響の如しと覚了するも、もろもろの妙願を満足して、必ずかくの如きくにを成ぜん。法は如電・影の如しと知るも、菩薩の道を究竟して、具もろもろの功徳の本を具え、決を受けてまさに仏となるべし。諸法の性は一切、空・無我なりと通達するも、専ら浄き仏土を求めて、必ずかくの如き刹を成ぜん」と。<已上>、いわんやまた、水鳥・樹林、皆妙法の演べ、およ聞かんと欲する所は、自然に聞くことを得。かくの如き楽、またいづれの処にかあらんや。<この中は多く双観経平等覚経等の意に依る>
 竜樹讃曰、金底宝間池生花、善根所成妙台座、於彼座上如山王、故我頂礼弥陀仏、諸有無常無我等、亦如水月電影露、為衆説法無名字、故我頂礼弥陀仏、願共諸衆生、往生安楽国  竜樹の讃に曰く、
 金底宝間の池に生ひたる花には 善根所成の妙台座あり かの座の上に於て山王の如し 故に我、弥陀仏に頂礼したてまつる もろもろの有は無常・無我等なり また水の月・電・影・露の如し 衆の為に法の名字無きことを説きたたまふ 故に我弥陀仏を頂礼したてまつる 
願はくはもろもろの衆生と共に 安楽国に往生せん。と。
 第九、随心供仏楽者、彼土衆生、昼夜六時、常持種々天華、供養無量寿仏、又有意欲他方諸仏供養、即前長跪、叉手白仏、則可之、皆大歓喜、千億万人、各自翻飛、等輩相追、倶共散飛、到八方上下、無央数諸仏所、皆前作礼、供養恭敬、如是毎日晨朝、各以衣裓、盛諸妙花、供養他方十万億仏、及諸衣服伎楽、一切倶共、意随出生、供養恭敬、即以食時、還到本国、飯食経行、受諸法楽、或言、毎日三時、諸仏供養 第九に、随心供仏の楽とは、かの土の衆生は、昼夜六時に、常に種々の天華を持ちて、無量寿仏を、供養したてまつる。またこころに他方の諸仏を供養せんと欲することあらば、即ち前んで長跪し、叉手して仏に白せば、則ちこれをゆるしたまふ。皆大いに歓喜し、千億万の人、おのおの各自ら翻り飛び、等輩相追ひ、倶共ともに散り飛んで、八方・上下、無央数の諸仏の所に到り、皆前んで礼を作し、供養し恭敬したてまつる。かくの如く毎日の晨朝に、おのおの衣裓を以てもろもろの妙花を盛り、他方の十万億の仏に供養したてまつる。及びもろもろのの衣服・伎楽、一切の倶共、意の随に出生し、供養し恭敬す。即ち食時を以て、本国に還り到りて、飯食を経行してもろもろの法楽を受く。或は言く、毎日三時に、諸仏を供養したてまつると。
 行者今従遺教、得聞十方仏土種々功徳、随見随聞、遥生恋慕、各謂言、我等何時、得見十方浄土、得値諸仏菩薩、毎対教文、無不嗟歎、而若適得生極楽国、或由自力、或承仏力、朝往暮来、須臾去須臾還、遍至十方一切仏刹、面奉諸仏、値遇諸大士、恒聞正法、受大菩提記、乃至普入一切塵刹、作諸仏事、修普賢行、不亦楽乎<阿弥陀経平等覚経双観経意>  竜樹偈云、彼土大菩薩、日々於三時、供養十方仏、是故礼稽首  行者、今遺教に従ひて、十方仏土の種々の功徳を聞くことを得、見るに随ひ随聞くに随ひ、遥かに恋慕を生ず。おのおのつげて言く、「我等、いづれの時にか、十方の浄土を見ることを得、諸仏・菩薩にひたてまつることを得ん」と。、教文に対ふごとに、嗟歎せずということなし。しかれども、もしたまたま極楽国に生まるることを得ば、或は自力により、或は仏力を承けて、朝に往き暮に来り、須臾しゅゆに去り須臾に還えり、遍く十方一切の仏のくにに至りて、まのあたり諸仏に奉え、もろもろの大士に値遇して、恒に正法を聞き、大菩提の記を受く。乃至、普く一切の塵刹に入りて、もろもろの仏事を作し、普賢の行を修す。また楽しからずや。<阿弥陀経・平等覚経・双観経の意>  竜樹の偈に云く、
 かの土の大菩薩は 日々、三時に於て 供養十方の仏を供養す この故に礼稽首し礼したてまつる、と。
 第十、増進仏道楽者、今此娑婆世界、修道得果甚難、何者、受苦者常憂、受楽者常著、苦云楽云、遠解脱離、若昇若沈、無非輪廻、適雖有発心修行者、亦難成就、煩悩内催、悪縁外牽、或発二乗心、或還三悪道、譬猶水中之月随波易動、陣前之軍臨刃則還、魚子難長、菴菓少熟、如彼身子等六十劫退者是也、唯釈迦如来、於無量劫、難行苦行、積功累徳、求菩薩道、未曾止息、観三千大千世界、乃至無有如芥子許非是菩薩捨身命処、為衆生故、然後乃得成菩提道、其余衆生、非己智分、象子力微、身歿刀箭、故竜樹菩薩云 第十に、増進仏道の楽とは、今この娑婆世界は、道を修して果得ること甚だ難し。いかんとなれば受苦を受くる者は常に憂え、楽を受ける者は常に著す。苦と云ひ楽と云ひて、遠く解脱を離る。もしは昇、もしは沈、輪廻にあらずということなし。たまたま発心して修行する者ありといえども、また成就すること難し。煩悩内に催して、悪縁外に牽ひて、或は二乗の心を発し、或は三悪道に還る。譬えば水中の月の随波に随ひて動き易く、陣前の軍刃に臨めば則ち還るがごとし。魚子は長じ難く、菴菓は熟すること少なし、かの身子等の六十劫に退きしが如き者、これなり。ただ釈迦如来は、無量劫に於て、難行し苦行して、功を積み徳を累ねて、菩薩の道を求めて、いまだかって止息したまわず。三千大千世界を観ずるに、乃至、無有如芥子許りも、この菩薩の、身命を捨てたまふ処にあらざる如きものあることなし。衆生の為の故なり。しかる後に、乃ち菩提の道を成ずることをえたまえへり。その余の衆生は、己が智分にあらず。象の子は力すくなければ、身は刀箭に歿す。故に竜樹菩薩の云く
譬如四十里氷、如有一人以一升熱湯投之、当時似氷減、経夜至明乃高於余者、凡夫在此発心救苦、亦復如是、以貪瞋境順違多故、自起煩悩、返堕悪道<已上> 譬へば、四十里の氷に、もし一人ありて、一升の熱湯を以てこれを投ぜんに、当時は氷減ずるに似たれども、夜を経て明くるに至れば、乃ち余のものより高きが如し。凡夫のここにありて心を発し苦を救わんとするも、亦またかくの如し。貪・瞋の境は順違多きを以ての故に、自ら煩悩を起し、返りて悪道に堕つ、と。<已上>
 彼極楽国土衆生、有多因縁故、畢竟不退、増進仏道、一仏悲願力、常摂持故、二仏光常照、増菩提心故、三水鳥樹林、風鈴等声、常令生念仏念法念僧之心故、四純諸菩薩、以為善友、外無悪縁、内伏重惑故、五寿命永劫、共仏斉等、修習仏道、無有生死之間隔故、華厳偈云、  かの極楽国土の衆生は、多くの因縁あるが故に畢竟して退かず、仏道を増進す。一には仏の悲願力、常に摂持したまうが故に。二には仏の光、常に照して菩提心を増すが故に。三には水鳥・樹林、風鈴等の声、常に念仏・念法・念僧の心を生ぜしむるが故に、四には純らもろもろの菩薩以って善友となり、外に悪縁なく、内に重惑を伏すが故に。五には寿命永劫にして仏と共に斉等なれば、仏道を修習するに、生死の間隔けんきゃくあることなきが故に。華厳の偈に云く
若有衆生一見仏、必使浄除諸業障、一見尚尓、何況常見 もし衆生ありて一たび仏を見たてまつれば、必ずもろもろの業障を浄め除かしめん、と。一たび見たてまつるすら、なほしかり。いかにいわんや、常に見たてまつるをや。
由此因縁、彼土衆生、於所有万物、無我我所心、去来進止、心無所係、於諸衆生、得大悲心、自然増進、悟無生忍、究竟必至一生補処、乃至速証無上菩提、為衆生故、示現八相、随縁在於厳浄国土、転妙法輪、度諸衆生、令諸衆生欣求其国、如我今日志願極楽、亦往十方引接衆生、如弥陀仏大悲本願、如是利益、不亦楽乎[p076-077]一世勤修、是須臾間、何不棄衆事求浄土哉、願諸行者、努力匪懈<多依双観経并天台十疑等意> この因縁に由りて、かの土の衆生は、所有の万物に於て、我・我所の心なく、去来進止、心に係る所なし。もろもろの衆生に於て、大悲心を得、自然に増進して、無生忍を悟り、究竟くきょうして必ず一生補処に至る。乃至、速やかに無上菩提を証す。衆生の為の故に、八相を示現し、縁に随い、厳浄の国土にありて、妙法輪を転じ、もろもろの衆生を度す。もろもろの衆生をしてその国を欣求すること、如我の、今日、志願極楽を志願するが如くならしめん。また十方に往いて衆生を引接すること。弥陀仏の大悲の本願の如し。かくの如き利益、また楽しからずや。
 一世の勤修は、これ須臾の間なり。なんぞ棄衆事を捨てて浄土を求めざらんや。願はくはもろもろの行者、努力懈ゆめゆめおこたることなかれ。<多依双観経并天台十疑等意>
 竜樹偈云、彼尊無量方便境、無有諸趣悪知識、往生不退至菩提、故我頂礼弥陀仏、我説彼尊功徳事、衆善無辺如海水、所獲善根清浄者、願共衆生生彼国、願共諸衆生、往生安楽国  竜樹の偈に云く、かの尊の無量の方便の境には 諸趣・悪知識あることなし 往生すれば退かずして菩提に至る 故に我、弥陀仏を頂礼したてまつる 我、かの尊の功徳の事を説くに、衆善無辺なること海水の如し 獲る所の善根清浄なる者をもて、願はくば衆生と共にかの国に生まれん 願はくはもろもろの衆生と共に 安楽国に往生せん、と。
 大文第三、明極楽証拠者、有二、一対十方、二対兜率  大文第三に、明極楽の証拠を明かさば、二あり。一には十方に対し、二には兜率に対す。
初、対十方者、問、十方有浄土、何唯願生極楽耶、答、天台大師云、諸経論、処々唯勧衆生、偏念阿弥陀仏、令求西方極楽世界、無量寿経、観経往生論等数十余部経論文、慇懃指授、勧生西方、是以偏念也<已上> 大師、一切経論を披閲、凡十五遍、応知所述、不可不信、 初に、十方に対すとは、問ふ。十方に浄土あり、なんぞただ極楽にのみ生まれんと願ふや。答ふ。天台大師の云く、「もろもろ経論は、処々にただ衆生をして偏に阿弥陀仏のみを念ずることを勧め、西方極楽世界を求めしめたり。無量寿経・観経・往生論等の数十余部の経論の文は、慇懃に指授して、勧生西方に生まれんことを勧めたり。ここを以て偏に念ずるなり」と。<已上>大師、一切経論を披閲すること、およそ十五遍。応に知るべし、述ぶる所、信ぜざるべからずと。
迦才師三巻浄土論、引十二経七論、一無量寿経、二観経、三小阿弥陀経、四鼓音声経、五称揚諸仏功徳経、六発覚浄心経、七大集経、八十往生経、九薬師経、十般舟三昧経、十一大阿弥陀経、十二無量清浄平等覚経<已上、双観無量寿経清浄覚経大阿弥陀経、同本違訳也> 一往生論、二起信論、三十住毘婆沙論、四一切経中弥陀偈、五宝性論、六竜樹十二礼偈、七摂大乗論弥陀偈<已上、智憬師同之> 迦才かざい師の三巻の浄土論に、十二の経と七の論引けり。 一には無量寿経、二には観経、三には小阿弥陀経、四には鼓音声経、五には称揚諸仏功徳経、六には発覚浄心経、七には大集経、八には十往生経、九には薬師経、十には般舟三昧経、十一には大阿弥陀経、十二には無量清浄平等覚経なり。<已上、双観無量寿経・清浄覚経・大阿弥陀経は同本違訳也なり> 一には往生論、二には起信論、三には十住毘婆沙論、四には一切経の中の弥陀偈、五には宝性論、六には竜樹の十二礼偈、七には摂大乗論の弥陀偈なり。<已上、智憬師はこれに同じ>
 私加云、法華経薬王品、四十華厳経普賢願、目連所問経、三千仏名経、無字宝篋経、千手陀羅尼経、十一面経、不空羂索、如意輪、随求、尊勝、無垢浄光、光明、阿弥陀等、諸顕密教中、専勧極楽、不可称計、故偏願求  私に加へて云く、法華経の薬王品、四十華厳経の普賢願、目連所問経・三千仏名経・無字宝篋経、千手陀羅尼経・十一面経・不空羂索・如意輪・随求・尊勝、無垢浄光・光明・阿弥陀等の、もろもろの顕密の教の中、専ら極楽を勧めること、げてかぞふべからず、故に偏に願求するなりと。
 問、仏言、諸仏浄土、実無差別、何故如来偏讃西方、答、随願往生経、仏疑此決言、娑婆世界、人多貪濁、信向者少、習邪者多、不信正法、不能専一、心乱無志、実無差別、令諸衆生、専心有在、是故讃歎彼国土耳、諸往生人、悉随彼願、無不獲果、又心地観経云、諸仏子等、応当至心、求見一仏及一菩薩、如是名為出世法要、云々、是故求専一仏国  問ふ。仏の言はく、「諸仏の浄土、実に差別なし」と。何が故に、如来は偏に西方を讃めたまふや。答ふ。随願往生経に、仏、この疑を決して言はく、
 娑婆世界には、人貪濁多くして、信向する者少なし。邪を習う者多くして、正法を信ぜず、専一なることあたわざれば、心乱れて志すことなし。実には差別なけれども、もろもろの衆生をして専心にあることあらしめんとす。この故にかの国土を讃歎するのみ。もろもろの往生人、悉くかの願に随ひて果を獲ずということなし。また心地観経に云く、
もろもろの仏子等、応当に心を至して、一仏及び一菩薩を見ててまつらんと求むべし。かくの如きを名づけて出世の法要となす。と云々。この故に、専ら一仏国を求むるなり。
問、為専其心、何故於中、唯勧極楽、答、設勧余浄土、亦不避此難、仏意難測、唯可仰信、譬若痴人堕於火坑不能自出、知識救之以一方便、痴人得力応務速出、何暇縦横論余術計、行者亦尓、勿生他念、如目連所問経云[p079]、譬如万川長流有浮草木、前不顧後後不顧前、都会大海、世間亦尓、雖有豪貴富楽自在、悉不得免生老病死、只由不信仏経、後世為人、更甚困劇、不能得生千仏国土、是故我説、無量寿仏国、易往易取、而人不能修行往生、反事九十五種邪道、我説、是人名無眼人、名無耳人、阿弥陀経云、我見是利、故説是言、若有信者、応当発願生彼国土<已上>   問ふ。その心を専らにせんが為、何が故に中に於て、ただ極楽のみを勧むるや。
答ふ。たとひ余の浄土を勧むとも、またこの難を逃れず。仏意測り難し、ただ仰信すべし。譬へば、痴人の火坑に堕ちて自ら出づることあたわざらんに、知識これを救ふに一の方便を以てせば、痴人、力を得て、応に務めて速やかに出づべきが如し。何の暇ありてか、縦横に余の術計を論ぜん。行者もまたしかり。勿生他の念を生ずることなかれ。目連所問経に云ふが如し。
譬へば、万川の長流に草木を浮かぶることあらんに、前は後を顧みず、後は前を顧みずして、すべて大海に会するが如し。世間もまたしかり。豪貴・富楽、自在なることあるといえども、悉く生老病死を免るることを得ず。ただ仏の経を信じざるに由りて後世に人となるも、更に甚だ困劇して、不能得生千仏の国土に生まるることを得ることあたわず。この故に、我説かく、「無量寿仏の国は往き易く取り易し」と。しかるに、人、不能修行して往生することあたわずして、反りて九十五種の邪道つかふ。我説かく、「この人を眼なき人と名づけ、耳なき人と名づく」と。阿弥陀経に云く、
 我この利を見るが故に、この言を説く。もし信ずることあらん者は、応当に願を発して、かの国土に生ずべし、と。<已上>
 仏誡慇懃、唯応仰信、況復非無機縁、何強拒之、如天台十疑云、阿弥陀仏、別有大悲四十八願、接引衆生、又彼仏光明、遍照法界念仏衆生、摂取不捨、十方各恒河沙諸仏、舒舌覆三千界、証誠一切衆生、念阿弥陀仏乗仏大悲本願力、決定得生極楽世界、又無量寿経云、末後法滅之時、特留此経百年、在世接引衆生[p080]、生彼国土、故知、阿弥陀与此世界極悪衆生、偏有因縁<已上> 慈恩云、末法万年、余経悉滅、弥陀一教、利物偏増、大聖特留百歳、時経末法、満一万年、一切諸経、並従滅没、釈迦恩重、留教百年<已上> 又懐感禅師云、  仏のいましめ、慇懃なり。ただ仰ぎ信ずべし。いはんやまた機縁なきにあらず、なんぞ強ひてこれを拒まんや。天台の十疑に云ふが如し。
阿弥陀仏は、別に大悲の四十八願ありて、衆生を接引したまふ。またかの仏の光明は、遍く法界の念仏の衆生を照らして、摂取して捨てたまわず。十方のおのおの恒河沙の諸仏、舌をべて三千界を覆ひ、一切衆生の阿弥陀仏を念じ仏の大悲の本願力を乗じて、決定して極楽世界に生まるることを得るを証誠したまふ。また無量寿経に云く、「末後法滅の時に、特りこの経を留めて、百年、世にあらしめ、衆生を接引して、かの国土に生まれしめん」と。、故に知る、阿弥陀と、この世界の極悪の衆生とは、偏に因縁ありということを、と。<已上> 慈恩の云く、
 末法万年には、余経は悉く滅し、弥陀の一教のみ、物を利すること偏に増さん。大聖ひとり留めたまふこと百歳。時、末法を経ること一万年に満たば、一切の諸経は、みな従ひて滅没、釈迦の恩重くして、教えを留めたまふこと百年なり、と。<已上> また懐感禅師の云く、
般舟三昧経説、跋陀和菩薩、請釈迦牟尼仏言、未来衆生、云何得見十方諸仏、仏教令念阿弥陀、即見十方一切仏、以此仏特与娑婆衆生有縁、先於此仏、専心称念、三昧成易<已上> 又観音勢至、本於是土、修菩薩行、転生彼国、宿縁所追、豈無機応耶[k343B] 般舟三昧経に説かく、「跋陀和ばつだわ菩薩、釈迦牟尼仏に請うて言く、未来の衆生は、いかにしてか十方の諸仏を見たてまつることを得ん」と。仏教えて、「阿弥陀を念じしめたまふに、即ち十方の一切の仏を見たてまつる」と。この仏、特に娑婆の衆生と縁あるを以て、まづこの仏に於て、心を専らにして称念すれば、三昧も成し易きなり」と。<已上> また観音と勢至は、本この土に於て、菩薩の行を修し、転じてかの国に生まれたり。宿縁の追う所、あに機応ならんや。
 第二対兜率者、問、玄奘三蔵云、西方道俗、並作弥勒業、為同欲界其行易成、大小乗師、皆許此法、弥陀浄土、恐凡鄙穢修行難成[p081]、如旧経論、七地已上菩薩、随分見報仏浄土、依新論意、三地菩薩、始可得見報仏浄土、豈下品凡夫即得往生<已上> 天竺既尓、今何勧極楽耶、  第二に兜率に対すとは、問ふ、玄奘三蔵の云く、
西方の道俗は、みな弥勒の業を作す。同じく欲にしてその行成じ易きが為なり。大小乗の師、皆この法を許す。弥陀の浄土は、恐らくは凡鄙穢れて修行難成じ難からん。旧き経論の如きは、七地已上の菩薩、分に随いて報仏の浄土を見ると。新論の意に依らば、三地の菩薩、始めて報仏の浄土を見ることを得べしと。あに下品の凡夫、即ち往生を得べけんや。と。<已上> 天竺既にしかり、今なんぞ極楽を勧むるや。
答、中国辺州、其処雖異、顕密教門、其理是同、如今所引証拠既多、寧可背仏教之明文従天竺之風聞耶、何況祇洹 精舎無常院、令病者面西作往仏浄刹想、具如下臨終行儀、明知、仏意偏勧極楽、西域風俗、豈乖之耶 答ふ。中国・辺州、その処、異なりといへども、顕密の教門、その理これ同じ。今引く所の証拠、既に多し。いづくんぞ、仏教の明文に背いて天竺の風聞に従ふべけんや。いかにいわんや、祇洹精舎の 無常院には、病者をして西に面ひ、往仏の浄刹に往く想を作さしむるをや。具さには、下の臨終行儀の如し。明らかに知る、仏意、偏に極楽を勧めたまへるを、西域の風俗、あにこれにそむかんや。
 又懐感禅師群疑論、於極楽兜率、立十二勝劣、一化主仏菩薩別故、二浄穢土別、三女人有無、四寿命長短、五内外有無<天内院不退、外院有退、西方悉無退> 六五衰有無、七相好有無、八五通有無、九不善心起不起、十滅罪多少、謂称弥陀名、除千二百劫罪、称弥陀名、滅八十億劫罪、十一苦受有無、十二受生異、謂天在男女膝下懐中、西方在花裏殿中、雖二処勝劣其義如斯、然並仏勧讃、莫相是非]<已上、凡立二界勝劣差別>  また懐感禅師の群疑論には、極楽と兜率とに於て、十二の勝劣を立てたり。
 一には化主の仏と菩薩と別なるが故に。二には浄・穢の土の別。三には女人の有無。四には寿命の長短、五には内・外の有無。<天の内院は不退、外院は有退。西方は悉く無退> 六には五衰の有無、七には相好の有無、八には五通の有無。九には不善の心の起と不起、十には滅罪の多少。謂く弥勒の名を称すれば、千二百劫の罪を除き、弥陀の名を称すれば、八十億劫の罪を滅す。、十一苦受有無、十二受生異、謂天在男女膝下懐中、西方在花裏殿中、雖二処勝劣其義如斯、然並仏勧讃、莫相是非<已上、凡立二界勝劣差別>
 慈恩立十異、前八不出感師所立、故不更抄、其第九云、西方仏来迎、兜率不尓、感師云、来迎同也、第十云、西方経論、慇懃勧極多、兜率非多亦非慇懃、云々、感師又於往生難易、立十五同義八異義、八異義者、  慈恩は十の異を立つ。前の八は感師の所立を出でず。故にさらに抄せず。その第九に云く、「西方は仏、来り迎へたまふも、兜率はしからず」と。感師の云く、「来り迎へたまふことは同じ」と。第十に云く、「西方は、経論に慇懃に勧むること極めて多きも、兜率は非多きにあらず、また慇懃にもあらず」と云々。
 感師はまた往生の難易に於て、十五の同の義と八の異の義とを立てたり。八の異の義とは、
一本願異、謂弥陀有引摂願、弥勒無願、無願若自浮度水、有願若乗舟而遊水、二光明異、謂弥陀仏光、照念仏衆生、摂取不捨、弥勒不尓、光照如昼日之遊、無光似暗中来往、三守護異、謂無数化仏、観音勢至、常至行者所、又称讃浄土経云、十方十兢河沙諸仏之所摂受、又十往生経云、仏遣二十五菩薩、常守護行人、兜率不尓、有護若多人共遊、不畏強賊所逼、無護似孤遊嶮俓、必為暴客所侵、四舒舌異、謂十方仏、舒舌証誠、兜率不尓、五衆聖異、謂花聚菩薩、山海慧菩薩、発弘誓願、若有一衆生生西方不尽、我若先去、不取正覚、六滅罪多少<如前> 七重悪異、謂造五逆罪、亦得生西方、兜率不尓、八教説異、謂無量寿経云、横截五悪趣、悪趣自然閉、昇道無窮極、易往而無人、兜率不尓、十五同義、猶不可説於難生、況異有八門、而乃説言難往、請諸学者、尋理及教、鑑其難易二門、可永除其惑矣<已上略抄、但十五同義、可見彼論> 一には本願の異。謂く、弥陀には引摂の願あれども、弥勒には願なし。願なきは自ら浮びて水を度るが如し。願あるは、舟に乗りて水に遊ぶがごとし。二には光明の異。謂く、弥陀仏の光は、念仏の衆生を照し、摂取して捨てたまわざれども、弥勒はしからず。光の照らすは昼日の遊びの如く、光なきは暗中に来往するに似たり。三には守護の異。謂く、無数化仏・観音・勢至、常に行者の所に至る。また称讃浄土経に云く、「十方の十兢河沙ごうがしゃの諸仏の摂受したまふ所なり」と。また十往生経に云く、「仏、二十五菩薩を遣わして、常に行人を守護したまふ」と。兜率はしからず。護あるは多くの人共に遊んで、畏強賊の逼る所を畏れざるが如く、護なきは似ひとり嶮しきみちに遊んで、必ず暴客の侵す所となるに似たり。四に舒舌じょぜつの異。謂く十方の仏、舌をべて証誠したまふも、兜率はしからず。五には衆聖の異。謂く花聚菩薩・山海慧菩薩、弘き誓願を発さく、「もし一の衆生として西方に生まるること尽きざるものあらんに、我もしまづ去らば、正覚をとらじ」と。六には滅罪の多少。<前の如し> 七には重悪の異。謂く五逆の罪を造れるものもまた西方に生まるることを得れども、兜率はしからず。八には教説の異。謂く無量寿経に云く、「横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉づ、道に昇るに窮極なし、往き易くして人なし」と。兜率はしからず。十五の同の義もて、なほ生れ難しととくべからず。いはんや、異に八門あり。しかるを乃ち説いて往き難しと言わんや。請ふ、もろもろの学者、理及教を尋ね、その難易の二門を鑑みて、永くその惑を除くべし、と。<已上は略抄なり。ただし十五の同の義は、かの論を見るべし>
 問、玄奘所伝、不可不会、答、西域行法、暗以難決、今試会云、西域行者、多有小乗<十五国学大乗、十五国大小兼学、四十一国学小乗>上生兜率、大小共許、往他方仏土、大許小不許、彼共許故、並云兜率、流沙以東、盛興大乗、不可同彼西域雑行、何況諸教興隆、不必一時、就中念仏之教、多利末代経道滅後濁悪衆生、計也、彼時天竺未興盛歟、若不尓者、上足基師、豈容別著西方要決、立十勝劣、勧自他耶  問ふ。玄奘の伝ふる所、会せずはあるべからず
答ふ。西域の行法は、暗に以って決し難きも、今、試みに会して云わん。西域の行者、多く小乗にあり。<十五国は大乗を学び、十五国は大小兼学し、四十一国は小乗を学ぶ>兜率に上生することは、大小共にを許し、他方の仏土に往くことは、大は許し小は許さず。彼は共に許すが故に、並兜率と云いしものならんか。流沙より以東は、盛んに大乗を興す。かの西域の雑行に同ずべからず。いかにいわんや、諸教の興隆は必ずしも一時ならず。なかんづく念仏の教は、多く末代の経道の滅したる後の濁悪の衆生を利す。計るに、かの時、天竺には興盛ならざりしか。もししからずば、上足の基師、あに、容別著西方要決を著し、十の勝劣を立てて、自他に勧べけんや。
 問、心地観経云、我今弟子付弥勒、竜花会中得解脱、豈非如来勧進兜率、答、此亦無違、誰遮上生心地等両三経、然不如極楽之文顕密且千、又大悲経第三云、  問ふ。心地観経に云く、
 我、今の弟子を弥勒に付す。竜花会の中に解脱を得ん、と。あに、如来の兜率を勧進したまひしにあらずや。
 答ふ。これまた違ふことなし。誰か上生・心地等両三の経を遮せん。しかれども極楽の文の顕密に且千しゃせんなるにはしかず。また大悲経の第三に云く、
於当来世、法欲滅時、当有比丘比丘尼、於我法中、得出家已、手牽児臂而共遊行、従酒家至酒家、於我法中作非梵行<乃至> 但使性是沙門、汗沙門行、自称沙門、形似沙門、当有被著袈裟衣者、於此賢劫、弥勒為首、乃至最後盧遮仏所、入般涅槃、無有遺余、何以故、如是一切諸沙門中、乃至一称仏名、一生信者、所作功徳、終不虚設<已上> 心地観経意亦如是、故彼経云竜花、不云兜率 当来の世に於て、法の滅せんと欲する時、まさに比丘・比丘尼ありて、わが法の中に於て、出家することを得已り、手に児の臂を牽いて共に遊行し、酒家より酒家に至り、わが法の中に於て非梵行を作すべし<乃至> たとひ性はこれ沙門なれども、沙門の行を汗して、自ら沙門と称し、形は沙門に似て、当に袈裟・衣を被著するもの者あるべし。この賢劫に於て、弥勒を首となし、乃至、最後の盧遮仏の所にて、般涅槃に入り、遺あることなからん。何を以っての故に。かくの如く一切のもろもろの沙門の中に、乃至、一たびも仏の名を称し、一たびも信を生ずる者は、所作の功徳、終に虚設ならざればなり、<已上> と。心地観経の意もまたかくの如し。故にかの経には云竜花と云ひて、兜率とはいわざるなり。
 今案之、従釈尊入滅、至慈尊出世、隔五十七倶胝六十百千歳<新婆沙意> 其間輪廻、劇苦幾処乎、何不願終焉之暮、即託蓮胎、而期留悠々生死至竜花会耶、何況若適生極楽者、昼夜随念、往来都率宮、[p085]乃至竜花会中、新為対揚首、猶如富貴而帰故郷、誰人不欣楽此事耶、  今、これを案ずるに、釈尊の入滅より慈尊の出世に至るまで、五十七倶胝くてい六十百千歳を隔てたり。<新婆沙の意> その間の輪廻、劇苦いくばくぞ。なんぞ、終焉の暮に即ち蓮の胎に託することを願わずして、しかも悠々たる生死に留りて竜花会に至ることを期せんや。いかにいわんや、もしたまたま極楽に生せば、昼夜、念の随に、都率の宮にも往来し、乃至、竜花会の中に、新たに対揚の首とならんこと、なおし富貴にして故郷に帰らんが如し。誰の人か、この事を欣楽せざらんや。
若有別縁者、余方亦佳、凡可随意楽、勿生異執、故感法師云、志求兜率者、勿毀西方行人、願生西方者、莫毀兜率之業、各随性欲、任情修学、莫相是非、何但不生勝処、亦乃輪転三途、云々 もし別縁あらば余方も又また佳し。およそ意楽に随ふべし。異執を生ずることなかれ。故に感法師の云く、
 兜率を志求する者は、西方の行人を毀ることなかれ。西方に生まれんと願う者も、兜率の業を、毀ることなかれ。おのおの性のねがいに随い、こころに任せて修学せよ。相是非することなかれ。なんぞただ勝処に生ぜざるのみならん。また乃ち三途に輪転せん、と云々。
 大文第四、正宗念仏者、此亦有五、如世親菩薩往生論云、修五念門、行成就、畢竟得生安楽国土見彼阿弥陀仏、一礼拝門、二讃歎門、三作願門、四観察門、五廻向門、云々、此中作願廻向二門、於諸行業、応通用之 大文第四に、正宗念仏とは、これにまた五あり。世親菩薩の往生論に云うが如し。
 五念門を修して、行成就すれば、畢竟して安楽国土に生まれてかの阿弥陀仏を見たてまつることを得。一には礼拝門、二には讃歎門、三には作願門、四には観察門、五には廻向門なり、
と云々。この中に作願・廻向の二門は、もろもろの行業に於て、応に通じてこれを用ふべし。
 初、礼拝〔門〕者、是即三業相応之身業也、一心帰命、五体投地、遥礼西方阿弥陀仏、不論多少、但用誠心、或応念観仏三昧経文、 初に、礼拝〔門〕とは、これ即ち三業相応の身業なり。一心に帰命して、五体を地に投げ、遥かに西方の阿弥陀仏を礼したてまつるなり。多少を論ぜざるも、ただ誠心を用いてせよ。或は応に念観仏三昧経の文を念ふべし。
我今礼一仏、即礼一切仏、若思惟一仏、即見一切仏、一々仏前、有一行者、接足為礼、皆是己身<私云、一切仏者、是弥陀分身、或是十方一切諸仏> 或応念 我今、一仏を礼したてまつるは、即ち一切仏を礼したてまつるなり。もし一仏を思惟すれば、即ち一切仏を見たてまつるなり。一々の仏の前に、一の行者ありて、接足して礼をなすは、皆これ己が身なり、
と。<私に云ふ、一切仏とは、これ弥陀の分身なり。或はこれ十方の一切の諸仏なり> 或は応に念ずべし。
、能礼所礼性空寂 自身他身体無二、願共衆生体解道、発無上意帰真際、或応依心地観経六種功徳[p087]、一無上大功徳田、二無上大恩徳、三無足二足、及以多足衆生中尊、四極難値遇、如優曇華、五独出三千大千世界、六世出世間功徳円満、一切義依、具如此等六種功徳、常能利益一切衆生<已上>  能礼・所礼、性空寂なり 自身・他身、体無二なり 願はくは衆生と共に道を体解し 無上意を発して真際に帰らん
と。或は応に心地観経の六種の功徳に依るべし。
 一には、無上の大功徳田なり。二には無上の大恩徳なり。三には無足・二足、及以び多足の衆生の中の尊なり。四には、極めて値遇し難きこと優曇華の如し。五には、独り三千大千世界に出でたまふ。六には、世・出世間功徳円満して、一切の義をたり。かくの如き等の六種の功徳を具して、常に能く一切の衆生を利益りやくしやまふ、
と。<已上>
 経文極略、今須加言、以為礼法、一応念、一称南無仏、皆已成仏道 故我帰命礼、無上功徳田、二応念、慈眼視衆生、平等如一子、故我帰命礼、極大慈悲母、三応念、十方諸大士、恭敬弥陀尊、故我帰命礼、無上両足尊、四応念、一得聞仏名、過於優曇華、故我帰命礼、極難値遇者、五応念、一百倶胝界、二尊不並出、故我帰命礼、希有大法王、六応念、仏法衆徳海、三世同一体、故我帰命礼、円融万徳尊、若楽広行者、応依竜樹菩薩十二礼、又有善導和尚六時礼法、不可具出、設無余行、但依礼拝、亦得往生、如観虚空蔵菩薩仏名経云、阿弥陀仏至心敬礼、得離三悪道後生其国  経の文は極めて略なり。今すべからく言を加へて、以って礼法を為るべし。一には、まさに念ずべし。
 一たび南無仏と称せば 皆已に仏道を成ず 故に我 無上の功徳田を帰命し礼したてまつる、
と。二には応に念ずべし 
 慈眼もて衆生をみそなはすこと 平等にして一子の如し 故に我 極大の慈悲の母を帰命し礼したてまつる
と。三には応に念ずべし、
 十方のもろもろの大士 弥陀尊を恭敬したてまつる 故に我 無上両足尊を帰命し礼したてまつる
と。四には応に念ずべし、
 一たび仏の名を聞くことを得るは 優曇華よりも過ぎたり 故に我 帰命礼、極めて値遇し難きひとを帰命し礼したてまつる、
と。五には応に念ずべし、
 一百倶胝の界には、二尊並び出ず 故に我 希有の大法王を帰命し礼したてまつる
と。六には応に念ずべし、
 仏法の衆徳の海は 三世同じく一体なり 故に我 円融万徳の尊を帰命し礼したてまつる 
と。もし広く行ずることをねがはば、応に竜樹菩薩の十二礼に依るべし。また善導和尚の六時の礼法あり。つぶさに出すべからず。たとひ余の行なからんも、ただ礼拝に依りても往生することを得。観虚空蔵菩薩仏名経に云ふば如し。
 阿弥陀仏を至心に敬礼すれば、三悪道を離れて、後にその国に生まれることを得、
と。
 第二、讃歎〔門〕者、是三業相応之口業也、如十住婆沙第三云、阿弥陀仏本願如是、若人我念、名称自帰、即必定入、得阿耨菩提、是故常応憶念、以偈称讃、無量光明慧、身如真金山、我今身口意、合掌稽首礼、十方現在仏、以種々因縁、歎彼仏功徳、我今帰命礼、仏足千輻輪、柔軟蓮華色、見者皆歓喜、頭面礼仏足、眉間白毫光、猶如清浄月、[p089]増益面光色、頭面礼仏足、彼仏所言説、破除諸罪根、美言多所益、我今稽首礼、一切賢聖衆、及諸人天衆、咸皆共帰命、是故我亦礼、乗彼八道船、能度難度海、自度亦度彼、我礼自在者、諸仏無量劫、讃揚其功徳、猶尚不能尽、帰命清浄人、我今亦如是、称讃無量徳、以是福因縁、願仏常我念、以此福因縁、所獲上妙徳、願諸衆生類、皆亦悉当得、 第二に、讃歎〔門〕とは、これ三業相応の口業なり。十住婆沙の第三に云ふが如し。
 阿弥陀仏の本願、かくの如し。「もし人、我を念じ、名を称えて自ら帰すれば、即ち必定に入りて、阿耨菩提あのくぼだいを得」と。この故に、常に応に憶念し、偈を以て称讃すべし。かぎりなき光明慧 身は真金の山の如し 我いま身口意もて合掌し稽首して礼したてまつる 十方の現在の仏、種々の因縁を以てかの仏の功徳をめたまふ。我いま帰命し礼したてまつる仏足に千輻輪あり 柔軟にして蓮華の色あり 見る者皆歓喜す 頭面に仏足を礼したてまつる 眉間の白毫の光は 猶し清浄なる月の如し 増益面の光色を増益す 頭面に仏足を礼したてまつる かの仏の言説したまふ所 もろもろの罪根を破除す 美言にして益する所多し 我いま稽首し礼したてまつる 一切の賢聖衆 及びもろもろの人天衆、ことごとくく皆共に帰命す この故に我もまた礼したてまつる かの八道の船に乗り 能く度り難き海を度る 自ら度り、また彼を度す 我、自在者を礼したてまつる 諸仏は無量劫に、その功徳を讃揚したまふも、なお尽すことあたわず 清浄人を帰命したてまつる 我も今またかくの如し 無量の徳を称讃したてまつる 願はくは仏常に我を念じたまえ この福の因縁を以て 獲る所の上妙の徳を 願はくはもろもろの衆生の類も 皆また悉く当に得んことを、
と。
彼論有三十二偈 今略抄要、具在別抄、或復往生論偈、真言教仏讃、阿弥陀別讃、此等文一遍多遍、一行多行、但応至誠、不論多少、設無余行、唯依讃歎、亦応随願必得往生、如法華偈云 かの論に三十二偈あり。今略して要をる。つぶさには別抄にあり。或はまた往生論の偈、真言教の仏讃、阿弥陀の別讃あり。これら等の文を一遍にまれ多遍にまれ、一行にまれ多行にまれ、ただ応に誠を至すべし。多少を論ぜざれ。たとひ余行はなくとも、ただ讃歎に依りて、また応に随願の随に必ず往生することを得べし。法華の偈に云ふが如し。
或以歓喜心、歌唄頌仏徳、乃至一小音、皆已成仏道、一音既尓、何況常讃、仏果尚尓、何況往生、真言讃仏、利益甚深、不能顕露  或は歓喜の心を以て 歌唄して仏の徳を頌し 乃至一小音もてせるも 皆已に仏道に成ぜり、
と。一音にしてすでにしかり。いかにいわんや、常に讃ふるをや。仏果すらなおしかり いかにいわんや往生をや 真言の讃仏は 利益甚だ深し 顕露することあたわず
 第三、作願門者、以下三門、是三業相応之意業也、綽禅師安楽集云[p090]、大経云、凡欲浄土往生、要須発菩提心為源、云何、菩提者、乃是無上仏道之名也、若欲発心作仏者、此心広大、周遍法界、此心長遠、尽未来際、此心普備、離二乗障、若能一発此心、傾無始生死有輪、浄土論云、発菩提心者、正是願作仏心、願作仏心者、即是度衆生心、度衆生心者、即是摂受衆生、生有仏国土心、今既願生浄土故、先須発菩提心也<已上> 当知、菩提心是浄土菩提之綱要、故聊以三門、決択其義、行者勿厭繁、一明菩提心形相、二明利益、三料簡  第三に、作願門さがんもんとは、以下の三門は、これ三業相応の意業なり。綽禅師の安楽集に云く 
 大経に云く、「およそ浄土に往生せんと欲せば、必ず発菩提心をもちふふることを源となす」と。いかなるか菩提とならば、乃ちこれ無上仏道の名なり。もし心をおこして仏とならんと欲せば、この心広大にして法界に周遍し、この心長遠にして、未来際を尽くす。この心普く備はりて、二乗の障を離る。もし能く一たびも此心を発さば、無始生死の有輪を傾く。浄土論に云く、「発菩提心とは、正にこれ仏にらんと願ふ心なり、仏に作らんと願う心とは、即ちこれ衆生を度せんとする心なり。衆生を度せんとする心とは、即ちこれ衆生を摂受して有仏の国土に生まれしむる心なり」と。今既に浄土に生まれんと願ふが故に、まづすべからく菩提心を発すべし、
と。<已上> 当に知るべし、菩提心はこれ浄土の菩提の綱要なることを。故に聊か三門を以てその義を決択せん。 行者、繁を厭うことなかれ。一には菩提心の形相を明し、二には利益を明かし、三には料簡せん。
 初、形相者、惣謂之、願作仏心、亦名上求菩提下化衆生心、別謂之、四弘誓願、此有二種、一縁事四弘願、是即衆生縁慈、或復法縁慈、二縁理四弘、是無縁慈悲也 言縁事四弘者、一衆生無辺誓願度、応念、一切衆生悉有仏性、我皆令入無余涅槃、此心即是饒益有情戒、亦是恩徳心、亦是縁因仏性、応身菩提因、二煩悩無辺誓願断[p091]、此是摂律儀戒、亦是断徳心、亦是正因仏性、法身菩提因、三法門無尽誓願知、此是摂善法戒、亦是智徳心、亦是了因仏性、報身菩提因、四無上菩提誓願証、此是願求仏果菩提、謂由具足前三行願、証得三身円満菩提、還亦広度一切衆生  初に、形相とは、惣じて之を謂わば、仏に作らんと願う心なり。また、上は菩提を求め下は衆生をすくふ心とも名づく。別してこれを謂わば四弘誓願しぐせいがんなり。これに二種あり。一には事を縁とする四弘願なり。これ即ち衆生縁の慈なり。或はまた法縁の慈なり。二には理を縁とする四弘なり。これ無縁の慈悲なり。
 事を縁とする四弘と言うは、一には衆生無辺誓願度なり。応に念ずべし。一切衆生に悉く仏性あり、我皆無余涅槃に入らしめんと。この心は即ちこれ饒益有情戒なり。またこれ恩徳の心なり。またこれ縁因仏性なり。応身の菩提の因なり。二には煩悩無辺誓願断なり。これは摂律儀戒なり。またこれ断徳の心なり。またこれ正因仏性なり。法身の菩提の因なり。三には法門無尽誓願知なり。こrうぁこれ摂善法戒なり。またこれ智徳の心なり。またこれ了因仏性なり。報身の菩提の因なり。四には無上菩提誓願証なり。これはこれ仏果菩提を願求するなり。謂く由具足前の三の行願を具足するに由りて、三身円満の菩提を証得し、還りてまた広く一切衆生を度するなり。
   二縁理願者、一切諸法、本来寂静、非有非無、非常非断、不生不滅、不垢不浄、一色一香無非中道、生死即涅槃、煩悩即菩提、翻一々塵労門、即是八万四千諸波羅蜜、無明変為明、如融氷成水、更非遠物、不余処来、但一念心、普皆具足、如如意珠、非有宝非無宝、若謂無者即妄語、若謂有者即邪見、不可以心知、不可以言弁、衆生於此不思議不縛法中、而思想作縛、於無脱法中、而求於脱、是故普於法界一切衆生、起大慈悲、興四弘誓、是名順理発心、是最上菩提心<可見止観第一> 又思益経云、    二に、縁理を縁とする願とは、一切の諸法は、もとよりこのかた寂静なり。有にあらず無にあらず、常にあらず断にあらず、生ぜず滅せず、垢れず浄からず。一色・一香も中道にあらずということなし生死即涅槃しょうじそくねはん煩悩即菩提ぼんのうそくぼだい、一々の塵労門を翻せば、即ちこれ八万四千の諸波羅蜜なり。無明変じて明となる、氷の融けて水となるが如し。更に遠き物にあらず、不余の処より来るにもあらず。ただ一念の心に普く皆具足せること、如意珠の如し。宝あるにもあらず宝なきにもあらず。もし無しと謂わば即ち妄語なり。もしありと謂わば即ち邪見なり。心を以て知るべからず。言を以て弁ふべからず、衆生はこの不思議・不縛の法の中に於て、しかも思想して縛をなし、無脱の法の中に於て、しかも脱を求む。この故に普く法界の一切の衆生に於て、大慈悲を起し、四弘誓を興す。これを順理の発心と名づく。これ最上の菩提心なり。<止観の第一を見るべし> また思益経に云ふ、
一切法非法、知一切衆生非衆生、是名菩薩発無上菩提心、又荘厳菩提心経云、菩提心者、非有非造、離於文字、菩提即是心、心即是衆生、若能如是解、是名菩薩修菩提、菩提非過去未来現在、如是心衆生、亦非過去未来現在、能如是解、名為菩薩、然於是中、実無所得、以無所得故得、若於一切法無所得、是名得菩提、為始行衆生故、説有菩提<乃至> 然於是中、亦無有心、亦無造心者、亦無有菩提、亦無造菩提者、亦無有衆生、亦無造衆生者<乃至、云々> 一切の法は法にあらずと知り、一切の衆生は衆生にあらずと知る。これを菩薩の無上菩提心を発すと名づく、と。また荘厳菩提心経に云く、
 菩提心とは、あるにあらず造るにあらず、文字を離れたり。菩提は即ちこれ心なり。心は即ちこれ衆生なり。もし能くかの如く解すれば、これを菩薩菩提を修すと名づく。菩提は過去・未来・現在にあらず。かくの如く心と衆生と、また過去・未来・現在にあらず。かくの如く能く解するを名づけて菩薩となす。しかもこの中に於て、実に得る所なし。得る所なきを以ての故に得。もし一切の法に於て得る所なくば、これを菩提を得と名づく、始行の衆生の為の故に、菩提ありと説く。<乃至> しかもこの中に於てまた心あることなく、また心を造る者もなし。また菩提あることなく、また造菩提を造る者もなし。また衆生あることなく、また衆生を造る者もなし、と。<乃至、云々>
 此二四弘、各有二義、一云、初二願、抜衆生苦集二諦苦、後二願、与衆生道滅二諦楽、二云、初一約他、後三約自、謂抜衆生二諦苦、与衆生二諦楽、惣在初願中、為欲究竟円満此願、更約自身、発後三願、如大般若経云、
 為利有情、求大菩提、故名菩薩、而不依著、故名摩訶薩、 <已上> 又前三是因、是別、第四是果、是惣、
この二の四弘におのおの二の義あり。一には云く、初の二願は衆生の苦・集二諦の苦を抜き、後の二願は衆生に道・滅二諦の楽を与ふと。二には云わく、初の一は他に約し、後の三は約自に約すと。謂く、衆生の二諦の苦を抜いて、衆生に二諦の楽を与ふるは、惣じて初の願の中にあり。この願を究竟し円満せんとと欲するが為に、更に自身に約して、後の三願を発すなり。大般若経に云ふが如し。
 有情を利せんが為に、大菩提を求む。故に菩薩と名づく。しかも依著せず。故に摩訶薩と名づく、 と。<已上> また前の三はこれ因にして、これ別なり。第四はこれ果にして、これ惣なり。
 四弘已後可云、自他法界同利益、共生極楽成仏道、心中応念、我与衆生共生極楽、円満究竟前四弘願、若有別願者、四弘前唱之、若心不浄、非正道因、若心有限、非大菩提、若無至誠、其力不強、是故須要清浄深広誠心、不為勝他名利等事、而於仏眼所照無尽法界一切衆生、一切煩悩、一切法門、一切仏徳、発此四種之願行也  四弘おわりて後は云うべし、「自他法界同じく利益し、共に極楽に生まれて仏道を成ぜん」心の中に応に念ずべし。「我、衆生と共に極楽に生まれ、前の四弘願を円満し究竟せん」と。 もし別願あらば、四弘の前にこれをこれ唱へよ。もし心不浄ならば、正道の因にあらず。もし心に限あらば大菩提にあらず。もし誠至すことなくは、その力強からず。この故に要ず清浄にして深広なる誠の心をもちひよ。、勝他・名利等の事の為にせざれ。しかも仏眼の照す所の無尽法界の一切の衆生、一切の煩悩、一切の法門、一切の仏徳に於て、此四種の願と行を発せ。
 問、於何法中、求無上道、答、此有利鈍二差別、如大論云、如黄石中有金性、白石中有銀性、如是一切世間法中、皆有涅槃性、諸仏賢聖、以智慧方便持戒禅定引導、令得是涅槃法性、利根者、即知是諸法皆是法性、譬如神通人能変瓦石皆使為金、鈍根者、方便分別求之、乃得法性、譬如大冶鼓石然後得金<已上>   問ふ。いづれの法の中に於て、無上道を求むるや。
 答ふ。これに利・鈍の二の差別あり。大論に云ふが如し。黄石の中には金の性あり。白石の中には銀の性あるが如し。かくの如く一切世間の法の中には皆涅槃の性あり。諸仏・賢聖は、智慧・方便・持戒禅定を以て引導して、この涅槃の法性をえしめたまふ。利根の者は、即ち、知この諸法は皆これ法性なりと知る。譬へば神通の人の能く瓦石を変じて皆金とならしむるが如し。鈍根の者は、方便・分別してこれを求め、乃ち法性を得。譬へば、大いに石を冶して鼓ちしかる後に金を得るが如し、<已上>
又云、苦行頭陀、初中後夜、勤心禅観、苦而得道、声聞教也、観諸法相無縛無解、心得清浄、菩薩教也、如文殊師利本縁 と。また云く、
 苦行・頭陀し、初・中・後夜に心を勤して禅観し、苦めて道を得るは声聞の教なり。諸法の相は無縛無解なりと観じて、心、得清浄なることを得るは菩薩の教なり。文殊師利の本縁の如し。
<已上> 即ち無行経の喜根菩薩の偈を引いて云く、婬欲即是道、恚痴亦如是、如此三事中、無量諸仏道、若有人分別、婬怒痴及道、是人去仏道、譬如天与地、如是有七十余偈、又同論云、一切法不可得、是名仏道、即是諸法実相、此不可得亦不可得<略抄> 又迦葉菩薩、仏白言、一切諸法中、悉有安楽性、唯願大世尊、為が分別説、又般若経云、一切有情、皆如来蔵、普賢菩薩自体徧故、 と。<已上> 即ち無行経の喜根菩薩の偈を引いて云く、
 婬欲は即ちこれ道なり 恚・痴もまたかくの如し かくの如き三事の中に 無量の諸仏の道あり もし人ありて婬・怒・痴と及び道を分別すれば、この人、仏道を去ること、譬へば天と地との如し と。かくの如く七十余の偈あり。また同じ論に云く、
 一切の法の不可得なる、これを仏道と名づく。 即ちこれ諸法の実相なり。この不可得もまた不可得なり、と。<略抄> また迦葉菩薩、仏にもうしてもうさく、
 一切の諸法の中に 悉く安楽の性あり ただ願わくは、大世尊、わが為に分別して説きたまへ、と。また般若経に云く、
 一切の有情は、皆如来蔵なり 普賢菩薩の自体、徧せるが故に。
法句経云、諸仏依貪瞋、而処於道場、塵労諸仏種、本来無所動、五蓋及五欲、為諸仏種性、常以是荘厳、本来無所動、諸法従本来、無是亦無非、是非性寂滅、本来無所動<已上六文、是利根人菩提心耳> と。法句経に云く、
 諸仏は依貪と瞋とに依りて 道場に処したまふ塵労は諸仏の種なり もとよりこのかた動く所なし 五蓋と及び五欲を 諸仏の種性となす 常にこれを以て荘厳したまふ 本より来動く所なし 諸法は本より来是もなくまた非もなし 是非の性は寂滅し 本より来動く所なし 
と。<已上の六文は、これ利根の人の菩提心なるのみ
 問、煩悩菩提、若一体者、唯応任意起惑業耶、答、生如是解、名之為悪取空者、専非仏弟子、今反質云、汝若煩悩即菩提故、欣起煩悩悪業、亦応生死即涅槃故、欣受生死猛苦、何故於刹那苦果、猶厭難堪、於永劫苦因、欣自恣作、是故当知、煩悩菩提、体雖是一、時用異故、染浄不同、如水与氷、亦如種菓、其体是一、随時用異、由此修道者、顕本有仏性、不修道者、終無顕理、如涅槃経三十二云、  問ふ。煩悩・菩提、もし一体ならば、ただ応にこころに任せて惑業を起こすべきや。答ふ。かくの如き解を生す。これを名づけて悪取空の者となす。専ら仏弟子に非ず。今反質して云はん。汝、もし煩悩即菩提なるが故に欣ひて煩悩・悪業を起さば、また応に生死即涅槃なるが故に、欣ひて生死の猛苦を受くべし。何が故に刹那の苦果に於て、なほ堪へ難きを厭ひ、永劫の苦因に於ては自ら恣に作らんことを欣ふや。この故に当に知るべし、煩悩と菩提とは、体はこれ一なりといへども、時・用異なるが故に、染・浄不同なりと。水と氷との如く、また種と菓との如し。その体はこれ一なれども、時に随ひて用は異るなり。これに由りて、道を修する者は、本有の仏性を顕すも、修道を修せざる者は、終に理を顕すことなし。涅槃経の三十二に云ふが如し、
善男子、若有人問、是種子中有果無果耶、応定答言、亦有亦無、何以故、離子之外不能生果、是故名有、子未出芽、是故名無、以是義故、亦有亦無、所以者何、時節有異、其体是一、衆生仏性、亦復如是、若言衆生中別有仏性者、是義不燃、何以故、衆生即仏性、仏性即衆生、直以時異、有浄不浄、善男子、若有問言、是子能生果不、是果能果能生子、応定答言、亦生不生<已上> 善男子。もし人ありて問はん、「この種子の中に果ありや、果なきや」と。応に定んで答えて言ふべし、「またはありまたはなし」と。何を以ての故に。子を離れて外に果を生ずることあたはず。この故に「あり」と名づく、たね未だ芽をい出さず、この故にし」と名づく。この義を以っての故に、「亦はあり亦はなし」と、所以はいかん。時節は異ることあれども、その体これ一なり、衆生の仏性も、亦またかくの如し。もし衆生の中に別に仏性ありと言わば、この義しからず。何を以っての故に。衆生は即ち仏性なり、仏性は即ち衆生なり ただ時の異るを以て浄と不浄とあるなり。善男子、もし問うことありて言はん、「このたねは能く果を生ずるやいなや、この果は能く子を生ずるやいなや」と。応に定んで答へて言ふべし、「または生じ、生ぜず」と。<已上>
 問、凡夫不堪勤修、何虚発弘願耶、答、設不堪勤修、猶須発悲願、其益無量、如前後明、調達誦六万蔵経、猶不免那落、慈童発一念悲願、忽得生兜率、則知、昇沈差別、在心非行、何況、誰人、一生之中、不一称南無仏、不一食施衆生、須以此等微少善根、皆応摂入四弘願行、故行願相応、不為虚妄願、如優婆塞戒経第一云、  問ふ。凡夫は勤修するに堪えず。なんぞ虚しく弘願を発さんや。
 答ふ。たとひ勤修するに堪へざらんも、なほすべからく悲願を発すべし。その益の無量なること、前後に明すが如し、調達は六万蔵の経を誦せしも、なお那落を免れざりき。慈童は一念の悲願を発して、忽ち兜率に生まるることを得たり。則ち知る。、昇沈の差別は心にありて、行にあらざることを。いかにいわんや、誰の人か、一生の中、一たびも南無仏と称せず、一食をも衆生に施さざるものあらん。すべからく、これら等微少の善根を以てしても、皆応に四弘の願・行に摂入すべし。故に行・願相応して、虚妄の願とはならざるなり。優婆塞戒経の第一に云ふが如し。
若人不能一心観察生死過咎、涅槃安楽、如是之人、雖復慧施持戒多聞、終不能得解脱分法、若能厭患生死過咎、深見涅槃功徳安楽、如是之人、雖復少施小戒小聞、即能獲得解脱分法 /////////
もし人、一心に生死の過咎、涅槃の安楽を観察することあたわず、かくの如き人は、また慧施・持戒・多聞ありといへども、終に解脱分の法を得ることあたわず、もし能く厭患生死の過咎を厭ひ患へ、深く涅槃の功徳と安楽とを見る、かくの如き人は、また少施・小戒・小聞なりといえども、即ち能く解脱分の法を獲得せん。
<已上、於無量世、以無量財、施無量人、於無量仏所、受持禁戒、於無量世無量仏所、受持読誦十二部経、名為多施戒聞、以一把麨、施一乞人、一日一夜、受持八禁、読一四句偈、名少施戒聞、如経広説> 是故行者、随事用心、乃至一善、無空過者、如大般若経云 と。<已上、無量の世に於て、無量財を以て、無量の人に施し、無量の仏の所に於て、禁戒を受持し、於無量の世に無量の仏の所に於て、十二部経を受持し読誦するのを、名づけて多の施・戒・聞となす。一把のむぎこがしを以て、一の乞人に施し、一日一夜、八禁を受持し、一の四句偈を読むをば、少の施・戒・聞と名づく、経に広く説くが如し> この故に、行者、随事に随ひて心を用ふれば、乃至、一善も空しく過ぐる者なし。大般若経に云ふが如し。
若諸菩薩、行深般若波羅蜜多方便善巧、無有一心一行空過而不回向一切智者 //////////
もしもろもろの菩薩、深般若波羅蜜多方便善巧を行ずれば、一心・一行として空しく過ぎて、一切智に回向せざる者あることなし
<已上>  問、云何用心、答、如宝積経九十三云、須食施食、為具足一切智力故、須飲施飲、為断渇愛力故、須衣施衣、為得無上慚愧衣故、施坐処、為坐菩提樹下故、施燈明、為得仏眼明故、施紙墨等、為得大智慧故、施薬、為除衆生結使病故、如是乃至、或自無財、当生心施、欲得開示無量無辺一切衆生、有力無力、如上布施、是が善行<已上、経文甚広、今略抄之、可見> と。<已上>
問ふ。いかにして心を用いるや。
答ふ。宝積経の九十三に云ふ如し。
//////////
食をもちいるものに食を施すは、一切智の力を具足せんが為の故なり。飲を須いるものに飲を施すは、渇愛の力を断たんが為の故なり。衣を須いるものに衣を施すは、無上の慚愧の衣を得が為の故なり。坐処を施すは、菩提樹の下に座せんが為の故なり、燈明を施すは、仏眼の明を得んが為の故なり。紙墨等を施すは大智慧を得んが為の故なり。薬を施すは、衆生の結使の病を除かんが為の故なり、かくの如く、乃至、或は自ら財なくは、当に心の施を生すべし。、開示無量無辺の一切の衆生を開示することを得んと欲せば、力あるも力なきも、上の如く布施せよ。これわが善行なり。

と。<已上。経文は甚だ広し。今は略してこれを抄す。見るべし> 
如是随事、常発心願、願令此衆生速成無上道、願我如是、漸々成就第一願行、円満檀度、速証菩提、広度衆生、発一愛語、施一利行、同一善事、准此応知、若暫制伏一念悪時、応作是念、願我如是、漸々成就第二願行、断諸惑業[p098]、速証菩提、広度衆生、若読誦修習一文一義時、応作是念、願我如是、漸々成就第三願行、学諸仏法、速証菩提、広度衆生、触一切事、常作用心、我従今身、漸々修学、乃至生極楽、自在学仏道、速証菩提、究竟利生、若常懐此念、随力修行者、如渧󠄂雖微漸盈大器、此心能持巨細万善、不令漏落、必至菩提、如華厳経入法界品云、 かくの如く、事に随ひて、常に発心の願を発せ。「願はくは、この衆生をして速やかに無上道を成ぜしめん。願はくは、我かくの如く、漸々に第一の願・行を成就し、檀度を円満して、速やかに菩提を証し、広く衆生を度せん」と。一の愛語を発し、一の利行を施し、一の善事に同ずるも、これに准じて知るべし。もし暫くも一念の悪を制伏することある時は、応にこの念を作すべし。「願はくは、我かくの如く漸々に第二の願・行を成就し、もろもろの惑業を断じて、速かに菩提を証し、広く衆生を度せん」と。もし一の文、読誦一義を読誦修習することある時は、応にこの念を作すべし。「願はくは、我かくの如く漸々に第三の願・行を成就し、もろもろの仏法を学んで、速かに菩提を証し、広く衆生を度せん」と。一切の事に触れて、常に作用心を用ふることを作せ。我今身より漸々に修学し、乃至、極楽に生まれて、自在に仏道を学び、速やかに菩提を証して、究竟して生を利せん」と。もし常にこの念を懐き、力の隋に修行せば、渧󠄂は微なりといえども、漸く大器に盈つるが如く、この心能く巨細の万善を持ちて、漏落せしめずして、必ず菩提に至らん。如華厳経の入法界品に云ふ如く
譬如金剛能持大地不令墜没、菩提之心、亦復如是、能持菩薩一切願行、不令墜落没於三界、 //////////
譬へば、金剛の、能く大地をたもちて墜没せしめざるが如く、菩提の心も、またかくの如し。能く菩薩の一切の願・行を持ちて、墜落して三界に没せしめず。
云々[k348A-B]  問、凡夫不堪常途用心、尓時善根、為唐捐耶、答、若至誠心、心念口言、我従今日、乃至一善、不為己身有漏果報、尽為極楽、尽為菩提、発此心後、所有諸善、若覚不覚、自然趣向無上菩提、如一穿渠溝、諸水自流入転至江河遂会大海、行者亦尓、一発心後、諸善根水、自然流入四弘願渠、転生極楽、遂会菩提薩婆若海[p099]、何況時々憶念前願、具如下廻向門 と云々。
 問ふ。凡夫は常途じょうずに用心を用ふるに堪えず。その時の善根は、為唐捐とうえんなりとせんや。答ふ。もし至誠心もて、心に念じ口に言は、「我、今日より、乃至、一善をも不為己が身の有漏の果報の為にせず、尽く極楽の為にし、尽く菩提の為にせん」と。この心を発して後は、所有のもろもろの善、もしは覚るも覚らざるも、自然に無上菩提に趣向す。一たび渠溝を穿たば、諸水自ら流れ入りてうたた江河に至り、遂に大海に会するが如し。行者もまたしかり。一たび発心して後は、もろもろの善根の水、自然に入四弘願の渠に流れ入り、うたた極楽に生まれて、遂に菩提の薩婆若の海に会す。なんぞいわんや。時々に前の願を憶念せんをや。具さには下の廻向門の如し。
 問、凡夫無力、能捨難捨、或復貧乏、以何方便、令心順理、答、宝積経云、如此布施、若無有力、不能学之、不能捨財、是菩薩、応如是思惟、我今当加勤精進、時々漸々断除慳貪悋惜之垢、我当加勤精進、時々漸々、学捨財施与、常令我施心増長広大 問ふ。凡夫は力なし。能く捨てんとして捨つること難し。或はまた貧乏なり。いかなる方便を以てか、令心をして理に順はしめんや。
 答ふ。宝積経に云く、
//////////
かくの如く布施せんに、もし力あることなく、これを学ぶこと能わず、不能財を捨てることあたわずは、この菩薩は応にかくの如く思惟すべし、「我今当に勤めて精進を加え、時々・漸々に慳貪・悋惜の垢を断除すべし。我、当に勤めて精進を加え、時々・漸々に、財を捨てて施与することを学び、常に令わが施心をして増長し広大ならしむべし」と。
<已上> 又因果経偈云、若有貧窮人、無財可布施、見他修施時、而生随喜心、随喜之福報、与施等無異、十住毘婆沙偈云、我今是新学、善根未成就、心未得自在、願後当相与<已上> 行者応当如是用心  問、此中縁理、発菩提心、亦可信因果勤修行道耶[p100]、答、理必可然、如浄名経云、雖観諸仏国、及与衆生空、而常修浄土、教化諸群生、// と。<已上> また因果経の偈に云く、//////////
 もし貧窮の人ありて、財の布施すべきものなくは、他の施を修するを見る時 しかも随喜の心を生ぜよ、随喜の福報は施と等しくして異なることなし
と。十住毘婆沙の偈に云く、//////////
我、今これ新学なり 善根いまだ成就せず 心いまだ自在を得ず 願はくは後の当に相与うべし
と。<已上> 行者、まさにかくのごとく用心を用ふべし。
 問ふ。この中に縁理を縁として、菩提心を発するも、また因果を信じて、勤めて道を修行すべきや。
 答ふ。理、必ず然るべし。浄名経に云ふが如し。//////////
観諸仏の国と 衆生との空なることを観ずといえども しかも常に浄土を修め もろもろの群生を教化す
中論偈云、雖空亦不断、雖有而不常、業果報不失、是名仏所説、又大論云、若諸法皆空、則無衆生、誰可度者、是時悲心便弱、或時以衆生可愍、於諸法空観弱、若得方便力、於此二法、等無偏党、大悲心不妨諸法実相、得諸法実相、不妨大悲、如生是方便、是時便得入菩薩法位、住阿鞞跋致地 中論の偈に云く//////////
空なりといへどもまた断ならず 有なりといへどもしかも常ならず 業の果報の失せざる これを仏の所説と名づく
と。また大論に云く、//////////
もし諸法皆空ならば、則ち衆生なし。誰か度すべき者あらん。 この時は悲心便すなわち弱し、或は時に衆生の愍むべきを以てせば、諸法の空観に於て弱し、もし方便力を得れば、この二法に於て、等しくして偏党することなけん。大悲心は諸法の実相を妨げず。諸法の実相を得れども、大悲を妨げず、かくの如き方便を生ずる、この時、便ち菩薩の法位に入りて、阿鞞跋致あびばっちの地に住することを得。
<略抄>  問、若偏生解、其過云何、答、無上依経上巻、明空見云、若有人執我見、如須弥山大、我不驚怖、亦不毀呰、増上慢人、執著空見、如一髦髪作十六分、我不許可[p101]、又中論第二偈云、大聖説空法、為離諸見故、若復見有空、諸仏所不化、仏蔵経念僧品、破有所得執云、有所得者、説有我人寿者命者、憶念分別無所有法、或説断常、或説有作、或説無作、我清浄法、以是因縁、漸々滅尽、我久在生死、受諸苦悩、所成菩提、是諸悪人、尓時毀壊 と。<略抄>
 問ふ。もし偏して解を生さば、そのとがいかん。
 答ふ。無上依経の上巻に、空見を明かして云く、 //////////
もし人ありて我見を執すること須弥山の如く大ならんも、我は驚怖せず、また毀呰きしせず。増上慢の人の、空見に執著すること一髦髪を作十六分に作すが如くならんも、我は許可せず。
と。また中論の第二の偈に云く、//////////
大聖の空の法を説きたまふは 、為離諸見を離れしめんが為の故なり もしまた空ありと見るは 諸仏の化せざる所なり
と。 仏蔵経の念僧品に、有所得の執を破して云く、//////////
有所得の者は、我・人・寿者・命者ありと説いて、無所の法を憶念とし分別す。或は断・常と説き、或は有作と説き、或は無作と説く。わが清浄の法、この因縁を以て漸々に滅尽せん。我、久しく生死にありて、もろもろの苦悩を受けて成ぜし所の菩提をば、このもろもろの悪人、その時、毀壊きえせん
<略抄> 又同経浄戒品云、我見人見衆生見者、多堕邪見、断滅見者、多疾得道、何以故、是易捨故、是故当知、是人寧自以利刀割舌、不応衆中不浄説法<有所得執、名為不浄> 大論並明二執過云、譬如人行陜道、一辺深水一辺大火、二辺倶死、著有著無、二事倶失<已上> 是故行者、常観諸法本来空寂、亦常修習四弘願行、如依空地造立宮舎、唯地唯空終不能成、此是由諸法三諦相即故、中論偈云、 と。<略抄>また同じ経の浄戒品に云く、//////////
我見・人見・衆生見の者は、多くは邪見に堕ち、断滅見の者は、多く疾く道を得。何を以っての故に。これは捨て易きが故なり。この故に当に知るべし、この人はむしろ自ら利刀を以て舌を割くとも、衆中にして不浄に法を説くべからず。
と。<有所得の執を、名づけて不浄となす> 二執の過を並べ明かして云く、//////////
譬へば、人の、陜き道を行くに、一辺は深き水にして一辺は大いなる火なるときは、二辺倶に死するが如し、有に著するも無に著するも、二事倶に失す。
と。<已上> この故に、行者、常に諸法の本よりこのかた空寂なるを観じ、また常に四弘の願・行を修習せよ。空と地とに依りて宮舎を造立せんとするも、ただ地のみただ空のみにては終に成すことあたわざるが如し。これはこれ諸法の三諦相即するに由るが故なり。中論の偈に云く、
因縁所生法、我説即是空、亦名為仮名、亦是中道義、云々、更検止観  問、執有之見、罪過既重、縁事菩提心、豈有勝利耶、答、堅執有時、過失乃生、言所縁事、非必堅執、若不尓者、応無見有得道之類、見空亦尓、譬如用火手触為害不触有益、空有亦尓 //////////
因縁所生の法は、我説かく即ちこれ空なりと また名づけて仮名となす。またこれ中道の義なり
と云々。更に止観をかんがへよ。
 問ふ。有に執する見、罪過既に重しとせば、事を縁とする菩提心、あに勝れたる利あらんや。
 答ふ。堅く有に執する時、過失すなわち生ず。言ふ所の事を縁するとは、必ずしも堅く執するものにあらず、もししからずば、応に得道の類あるを見ることなかるべし。空を見ることもまたしかり。譬へば火を用いるに手触るれば害をなし、触れざれば益あるが如し、空・有もまたしかり。
 二明利益、若人如説、発菩提心、設少余行、随願決定、往生極楽、如上品下生之類也、如是利益無量、今略示一端  止観云、宝梁経云、比丘不修比丘法、大千無唾処、況受人供養、六十比丘、悲泣白仏、我等乍死、不能受人供養、仏言、汝起慚愧心、善哉善哉、一比丘白仏言、何等比丘、能受供養、仏言、若在比丘数、修僧業得僧利者、是人能受供養、四果向是僧数、三十七品是僧業、四果是僧利、比丘重白仏、若発大乗心者、復云何、仏言、若発大乗心、求一切智、不堕数、不修業、不得利、能受供養、比丘驚問、云何是人能受供養、仏言、是人受衣用敷大地、受揣食若須弥山、亦能畢報施主之恩、当知、小乗之極果、不及大乗之初心//  二に、利益を明かさば、もし人、説の如く、菩提心を発さんに、たちひ余行をくとも、願のままに決定して、極楽に往生せん。上品下生の類の如きこれなり。かくの如き利益、無量なり。今略して一端を示さん。
 止観に云く、 //////////
宝梁経に云く、「比丘にして比丘の法を修せざるものは、大千に唾する処なし。いわんや、人の供養を受くることをや」六十比丘、悲泣して仏にもうさく、「我等乍ちに死すとも、不能受人の供養を受くることあたわず」と。仏のたまわく、「汝慚愧の心を起せり、善いかな善いかな、一の比丘仏に白して言さく、「何等らの比丘か、能く供養を受けん」と。仏言はく、「もし比丘の数にありて、僧の業を修め僧の利を得たる者は、この人能く供養を受けん、四果の向はこれ僧の数なり。三十七品はこれ僧の業なり。四果はこれ僧の利なり」と 。比丘重ねて仏に白さく、「もし大乗の心を発さば、またいかん」と。仏言さく、「もし大乗の心を発して、一切智を求めば、数に堕ちず、業を修めず、利を得ざるも、能く供養を受けん」と。、比丘驚きて問ひたてまつる、「いかんがこの人の能く供養を受くる」と。仏言はく、「この人衣を受けて用ひて大地に敷き、揣食を受くること須弥山のごとくならんも、また能くついに施主の恩を報ぜん」と。当に知るべし、小乗の極果は、乗の初心に及ばざることを。
<已上、消信施>  又云、如来密蔵経説、若人父為縁覚而害、盗三宝物、母為羅漢而汙、不実事謗仏、両舌間賢聖、悪口罵聖人、壊乱求法者、五逆初業之瞋、奪持戒人物之貪、辺見之痴、是為十悪者、若能知如来説因縁法無我人衆生寿命、無生無滅無染無著本性清浄、又於一切法、知本性清浄、解知信入者、我不説是人趣向地獄及諸悪道、何以故、法無積聚、法無集悩、一切法不生不住、因縁和合而得生起[p104]、生已還滅、若心生已滅、一切結使亦生已滅、如是解無犯処、若有処有住、無有是処、如百年闇室若燈燃時、闇不可言我是室主住此久而不肯去、燈若生闇即滅、其義亦如是、此経具指前四菩提心 と。<已上は信施を消す>
 また云く、//////////
如来密蔵経に説く如く、「もし人ありて、父の縁覚となりしを害し、三宝の物を盗み、母の羅漢となりしをけがし、不実の事もて仏を謗り、両舌して賢聖を間て、悪口して聖人を罵り、求法の者を壊乱し、五逆の初業の瞋と、奪持戒の人の物を奪ふ貪と、辺見の痴とあらば、これを十悪の者となす。もし能く如来の、説因縁の法は無我も人も衆生も寿命もなく、生もなく滅もなく無染・無著にして本性清浄なりと説きたまうを知り、また一切の法に於て本性清浄なりと知りて、解知し信入する者は、我、この人を、地獄及もろもろの悪道に趣向すとは説かず。何を以っての故に。法には積聚しゃくじゅうなく、法には集悩じゅうのうなし。一切の法は生ぜずとどまらず、因縁和合して生起することを得れども、生じ已ればまた滅す。もし心生じ已りて滅すれば、一切の結使もまた生じ已りて滅す。かくの如く解すれば犯す処もなし。もし犯すことあり住すことありといわば、このことわりあることなし。百年の闇室に、もし燈を燃す時は、闇も「我はこれ室の主なり、ここに住すること久しければ去ること肯てせず」と言うべからず。燈もし生ずる時は闇即滅するが如しと。その義、またかくの如し。この経は具さに前の四の菩提心を指すなり。
<已上在彼経下巻、言前四者、指四教菩提心> 華厳経入法界品云、譬如善見薬王滅一切病、菩提心滅一切衆生諸煩悩病、譬如牛馬羊乳合在一器、以師子乳投彼器中、余乳消尽直過無碍、如来師子菩提心乳、著無量劫所積諸業煩悩乳中、皆悉消尽、不住声聞縁覚法中、 と。<已上はかの経の下巻にあり。前の四というは、四教の菩提心を指すなり> 
 華厳経の入法界品に云く、//////////
譬へば、善見薬王の、一切の病を滅するがごとく、菩提心も一切衆生のもろもろの煩悩の病を滅す。譬へば、牛・馬・羊の乳の、合して一器にあるに、師子の乳を以てかの器の中にるるときは、余の乳は消え尽きて、直ちに過ぐること碍なきが如く、如来てふ師子の菩提の心に乳を、無量劫に積む所のもろもろの業・煩悩の乳の中にけば、皆悉く消え尽きて、声聞・縁覚の法の中にとどまらざるなり。
大般若経云、若諸菩薩、雖多発起五欲相応非理作意、而起一念無上菩提相応之心、即能折滅<已上三文、滅罪益>  入法界品云[p105]、譬如有人得不可壊薬、一切怨敵不得其便、菩薩摩訶薩、亦復如是、得菩提心不壊法薬、一切煩悩諸魔怨敵、所不能壊、譬如有人得住水宝樹瓔珞其身、入深水中而不没溺、得菩提心住水宝樹、入生死海而不沈没、譬如金剛於百千劫処於水中、而不爛壊亦無変異、菩提之心亦復如是、於無量劫、処生死中、諸煩悩業、不能断滅、亦無損減、// と。大般若経に云く、//////////
もしもろもろの菩薩、多く五欲と相応せる非理の作意を発起すといへども、しかも一念、無上菩提と相応せる心を起こさば、即ち能く折滅す。
と。<已上の三文は、滅罪の益なり>
 入法界品に云く、//////////
譬へば、人ありて、不可壊ふかえの薬を得れば、一切の怨敵もその便を得ざるが如く、菩薩摩訶薩も、亦またかくの如し。菩提心の不壊の法薬を得れば、一切煩悩・諸魔・怨敵もやぶるあたわざる所なり。譬へば、人ありて、得住水宝樹を得てその身に瓔珞とすれば、深き水の中に入れどもしかも没み溺れざるが如く、菩提心の住水宝樹を得れば、生死の海に入りて沈没せざるなり。譬へば、金剛の、百千劫に於て水の中にとどまるも、しかも爛壊せず、また変異することなきがごとく、菩提の心も亦またかくの如し。無量劫に於て、生死の中に処も、もろもろの煩悩業も断滅することあたわず、また損減することもなきなり。
又同経法幢菩薩偈云、若有智慧人、一念発道心、必成無上尊、慎莫生疑惑<已上、終不負壊、必至菩提益>  又入法界品云譬如閻浮檀金除如意宝勝一切宝、菩提之心、閻浮檀金、亦復如是、除一切智、勝諸功徳、譬如迦楞毘伽鳥在𣫘中時、有大勢力余鳥不及、菩薩摩訶薩、亦復如是、於生死𣫘発菩提心功徳勢力、声聞縁覚所不能及、譬如波利質多樹花一日薫衣、瞻蔔花婆師花雖千歳薫所不能及、菩提心花、亦復如是、一日所薫功徳香、徹十方仏所、声聞縁覚、以無漏智、薫諸功徳、於百千劫、所不能及、譬如金剛雖破不全、一切衆宝猶不能及、菩提之心、亦如復是、雖少懈怠、声聞縁覚諸功徳宝、所不能及// と。また同じ経の法幢菩薩の偈に云く、//////////
もし智慧ある人 一念、発道心を発さば 必ず無上尊と成る 慎みて疑惑を生ずることなかれ
と。<已上は、終に負壊せずして、必ず菩提に至る益なり>
 又入法界品云、//////////
譬へば閻浮檀金えんぶだいごんの如意宝を除いて一切の宝に勝れるがごとく、菩提の心、閻浮檀金も、亦またかくの如し。一切智を除いて、もろもろの功徳に勝れり、譬へば迦楞毘伽かりょうびんがの𣫘の中にある時すら、大いなる勢力ありて余の鳥の不及ばざるが如く、菩薩摩訶薩も亦またかくの如し 生死の𣫘からに於て、菩提心を発せる功徳・勢力は、声聞。縁覚の及ぶあたわざる所なり。譬へば、如波利質多樹の花を一日衣に薫ずるに、瞻蔔の花婆師の花の千歳薫ずといへども及ぶあたわざる所なるが如く、菩提心の花もまたかくの如し。一日薫ずる所の功徳の香は、十方の仏の所に徹り、声聞・縁覚の、無漏智を以てもろもろの功徳を薫ずること、百千劫に於てするもあたわざる所なり。譬へば、如金剛の破れて全ったからずといえど、一切の衆宝のなほ及ぶあたわざるが如く、菩提の心も、亦またかくの如し。少しく懈怠といえども、声聞・縁覚のもろもろの功徳の宝の、及ぶあたわざる所なり。
<已上、経中有二百余喩、可見> 賢首品偈云、菩薩於生死、最初発心時、一向求菩提、堅固不可動、彼一念功徳、深広無涯際、如来分別説、窮劫不能尽<此言発心、通於凡聖、具見弘決> 又同経偈云、一切衆生心、悉可分別知、一切刹微塵、尚可数其算、十方虚空界、一毛猶可量、菩薩初発心、究竟不可測、又出生菩提心経偈云、若此仏刹諸衆生、令住信心及持戒、如彼最上大福聚、不及道心十六分、若諸仏刹恒河沙、皆悉造寺求福故、復造諸塔如須弥、不及道心十六分<乃至> 如是人等得勝法、若求菩提利衆生、彼等衆生最勝者、此無比類況有上、是故得聞此諸法、智者常生楽法心、当得無辺大福聚、速得証於無上道、宝積経偈云、菩提心功徳、若有色方分、周遍虚空界、無能容受者、 と。<已上。経の中には有二百余の喩あり。見るべし> 賢首品の偈に云く、//////////
菩薩は生死に於て、最初の発心の時 一向に菩提を求めること 堅固にして動くべからず かの一念の功徳は 深広にして涯際なし 如来、分別して説きたまわんに 劫を窮むこと尽すことあたわず
と。<ここに発心と言ふは、凡・聖に通ず。具には弘決に見えたり> また同じ経の偈に云く、//////////
一切衆生の心は、悉く分別して知るべし 一切刹の微塵も、なほその数を算ふべし 尚可数其算、十方の虚空界も 一毛もてなほ量るべし。菩薩の初発心は 究竟して測るべからず
と。また出生菩提心経の偈に云く、//////////
もしこの仏刹のもろもろの衆生をして、信心に住し、及び持戒せしめんに、かの最上の大福聚の如きも 道心の十六分に及ばず もし諸仏のくにの恒河沙のごとくならんに 皆悉く造寺を造ること福を求むるが故なるも またもろもろの塔を造ること須弥の如くせんも 道心の十六分に及ばず<乃至> かくの如き人等、勝れたる法を得んも、ももし菩提を求めて衆生を利せば 彼等衆生の最勝なる者なり これ比類なし いはんや上あらんや この故にこの諸法を聞くことを得ば 智者は常に法をねがふ心を生じ 当に無辺の大福聚を得て 速やかに無上道を証することを得べし
と。 宝積経の偈に云く、//////////
菩提心の功徳にして もし色・方の分あらば、虚空界に周遍して能く容受する者なけん
云々  菩提心、有如是勝利、是故迦葉菩薩礼仏偈云、発心畢竟二無別、如是二心前心難、自未得度先度他、是故我礼初発心、又弥伽大士、聞善財童子已発菩提心、即従師子座下、放大光明照三千界、五体投地礼讃童子<已上、惣顕勝利>  問、縁事誓願亦有勝利耶、答、雖不如縁理、此亦有勝利、何以知者、上品下生業、云但発無上道心、不云解第一義、故知、唯是事菩提心、若不尓者、与彼中生業、応無別<其一> 往生論明菩提心但云// と云々。
 菩提心には、かくの如き勝れたる利あり。この故に迦葉菩薩の礼仏の偈に云く//////////
発心と畢竟ひっきょうとは二にして別なし かくの如き二心に於て前の心難し 自らいまだ度すること得ざるに まず他を度せんとす この故に我、初発心を礼せん
 と。また弥伽大士みかだいしは 善財童子ぜんざいどうじの已に菩提心を発せるを聞いて、即ち師子座より下り、大光明を放ちて三千界を照らし、五体を地に投げて、童子うを礼讃せり<已上は、惣じて勝れたる利を顕せり>  問ふ。事を縁とする誓願もまた勝れたる利ありや。
 答ふ。理を縁とするにしかずといへども、これまた勝れる利あり。何を以てか知るとならば、上品下生の業に、「ただ無上の道心を発す」といひて、第一義を解すとは云わず。故に知る、ただこれ事の菩提心なることを。もししからずは、かの中生の業と別なるべし。<その一> 往生論に菩提心を明かして、ただ云く、
以抜一切衆生苦故、以令一切衆生得大菩提故、以摂取衆生生彼国土故、 云々、若縁事心無往生力、論主豈不示縁理心<其二> 大論第五偈云、若初発心時、誓願当仏作、已過諸世間、応受世供養、云々、此論亦但云、願作仏、明事菩提心亦畢消信施<其三> 止観引秘密蔵経已云、初菩提心、已能除重々十悪、況第二第三第四菩提心耶、云々、所言初者、是三蔵教、縁界内事菩提心也、何況深信一切衆生悉有仏性、普願自他共成仏道、豈無滅罪<其四> 唯識論云、 //////////
一切衆生の苦を抜くを以ての故に、一切衆生をして大菩提を得しむるを以ての故に。衆生を摂取してかの国土に生まれしむるを以ての故に。
と云々。若縁事心無往生力、論主豈不示縁理心<其二> 大論第五偈云、若初発心時、誓願当仏作、已過諸世間、応受世供養、云々、此論亦但云、願作仏、明事菩提心亦畢消信施<其三> 止観引秘密蔵経已云、初菩提心、已能除重々十悪、況第二第三第四菩提心耶、云々、所言初者、是三蔵教、縁界内事菩提心也、何況深信一切衆生悉有仏性、普願自他共成仏道、豈無滅罪<其四> 唯識論云、//////
不執菩提有情実有、無由発起猛利悲願<已上> 大士悲願尚執有起、則知事願勝利<其五> 余如下廻向門[p109][k350B-351A]  問、信解衆生本有仏性、豈非縁理、答、此是信解大乗至極道理、非必第一義空相応観慧[p109][k351A]  問、十疑引雑集論云、若有願生安楽浄土、即得往生者、若人聞無垢仏名、即得阿耨菩提者、此是別時因、全行<已上> 慈恩同云、願行前後故説別時、非謂念仏不即生也<已上> 明知、有願無行、是別時意、云何上品下生之人、但由菩提願、即得往生耶、答、大菩提心功能甚深、滅無量罪、生無量福、故求浄土、随求即得、所言別時意者、但為自身願求極楽、非是四弘願広大菩提心[p110][k351A]  問、大菩提心、若有此力、一切菩薩、従初発心決定応無堕悪趣者、答、菩薩未至不退位前、染浄二心、間雑而起、前念雖滅衆罪、後念更造衆罪、又菩提心有浅深強弱、悪業有久近定不定、是故退位昇沈不定、非菩提心無滅罪力、且述愚管、見者取捨[p110][k351A]  三料簡者、問、入法界品云、譬如金剛従金性生非余宝生、菩提心宝、亦復如是、大悲救護衆生性生、非余善生、荘厳論偈云、雖恒処地獄、不障大菩提、若起自利心、是大菩提障、又丈夫論偈云、悲心施一人、功徳大如地、為己施一切、得報如芥子、救一厄難人、勝余一切施、衆星雖有光、不如一月明<已上> 明、自利行非是菩提心之所依、得報亦少、云何独願速生極楽[p111]、答、豈不前言、願極楽者、要発四弘願、随願而勤修、此豈非是大悲心行、又願求極楽、非是自利心、所以然者、今此娑婆世界、多諸留難、甘露未沾、苦海朝宗、初心行者、何暇修道、故今為欲円満菩薩願行、自在利益一切衆生、先求極楽、不為自利[p111]、如十住毘婆沙云、自未得度、不能度彼、如人自没淤泥、何能拯済余人、又如為水所�不能済溺、是故説、我度已当度彼、又如法句偈説、若能自安身、在於善処者、然後安余人、自同於所利<已上> 故十疑言、所以求生浄土、欲救抜一切衆生苦故、即自思忖、我今無力、若在悪世煩悩境中、以境強故、自被纏縛、淪溺三途、動経数劫、如此輪転、無始已来曾休息、何時能得救衆生苦、為此求生浄土親近諸仏、証無生忍、方能於悪世中救衆生苦<已上> 余経論文、具如十疑也、応知、念仏修善為業因、往生極楽為花報、証大菩提為果報、利益衆生為本懐、譬如世間植木開花、因花結菓、得菓餐受[p112][k351A-B]  問、念仏之行、於四弘中、是何行摂、答、修念仏三昧、是第三願行、随有所伏滅、是第二願行、遠近結良縁、是第一願行、積功累徳、成第四願、自余衆善例知、不俟[p113][k351B]  問、一心念仏、理亦往生、何要経論勧菩提願、答、大荘厳論云、仏国事大、独行功徳、不能成就、要須願力、如牛雖力挽車、要須御者能有所至、浄仏国土、由願引成、以願力故、福慧増長<已上> 十住毘婆沙論云、一切諸法、願為根本、離願則不成、是故発願、又云、若人願作仏、心念阿弥陀、応時為身現、是故我帰命<已上> 大菩提心、既有此力、是故行者要発此願[p113][k351B-352A]  問、若不発願者、終不往生耶、答、諸師不同、有云、九品生人、皆発菩提心、其中品人[p113]、本雖是小乗、後発大心、得生彼国、由彼本習、暫証小果、其下品人、雖退大心、而其勢力猶在得生<慈恩同之> 有云、中下品但由福分生、上品具福分道分生、云々、道分者、是菩提心行也[p114][k352A]  問、如菩提心諸師異解、欣浄土心亦不同耶、答、大菩提心、雖有異説、欣浄土之願、九品皆応具[p114][k352A]  問、若浄土業、依願得報、如人作悪不願地獄、彼不応得地獄果報、答、罪報有量、浄土報無量、二果既別、二因何一例、如大論第八云、罪福雖有定報、但作願者、修小福有願力故、得大果報、一切衆生、皆願得楽、無願苦者、是故不願地獄、以是故、福有無量報、罪報有量<略抄>[p114][k352A]  問、以何等法、世々増長大菩提願、而不忘失、答、十住婆沙第三偈云、乃至失身命、転輪聖王位、於此尚不応、妄語行諂曲[p114]、能令諸世間、一切衆生類、於諸菩薩衆、而恭生敬心、若有人能行、如是之善法、世々得増長、無上菩提願<文中亦有廿二種失菩提心法、可見>[p115][k352A]  往生要集 巻上/// ////◎◎◎


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読書期間2025年1月12日 - 20//年//月//日