2 白鳥座61番星までの距離の測定に成功する: ベッセル
星までの距離は、何世代もの天文学者たちを悩ませてきた謎だった。この謎が解けなかったことは、地球が太陽のまわりを
回っているとするコペルニクスの説にとって、脇腹に突き刺さったトゲのようなものだった。第1章で見たように、もし地球が
太陽のまわりを回っているなら、視差と呼ばれる現象のために、六ヵ月後に地球が太陽の反対側まで進んだときには星の位置が
ずれて見えるはずなのである。思い出してほしいが、腕を伸ばして指を立て、一方の目でそれを見てから、もう一方の目に切り替えて
見れば、指の位置が背景に対してジャンプしたように見えるのだった。一般に、観測点が変われば、観想対象の位置はずれて見える。
ところが星の位置は変化しないように見えたことから、地球中心の宇宙観を信奉する人たちは、これをもって地球の位置が変わらない
ことを示す証拠とした。それに対して太陽中心の宇宙観を支持する人たちは、星が遠ければ遠いほど視差はどんどん小さくなるから、
星に視差が認められないのは、星が信じられないほど遠くにあることを意味しているにすぎないと主張していたのである。
フリ−ドリッピ・ベッセルは、「信じられないほど遠くにある」というあいまいな表現を具体的な数字に置き換えようと努力
した。彼がこの仕事に取りかかったのは、1810年のことだった。この年、プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルムV世が、
ケーニヒスベルグに新しい天文台を建設するためにベッセルを招いたのである。この天文台にはヨーロッパで最高の観測装置が
設置されることになっていた。そんなことが可能になった理由のひとつは、イギリスの首相ウィリアム・ピットが過酷な窓税(窓、
明かり採りの数が七つ以上の家屋に課せられた累進課税)を課してせいで、イギリスのガラス産業は壊滅的な打撃を受け、ドイツは
ヨーロッパ最高の望遠鏡製作者をイギリスから引き継ぐことになったからだった。ドイツでは精巧なレンズが作られ、三枚組のレンズ
を用いた新しいアイピースのおかげで、「色収差」の問題が改善された。色収差とは、白色光にはさまざまな色の光が含まれるため、
それぞれの色ごとにガラスを通過するときの屈折率が異なり、焦点を結びにくくなる現象である。
ケーニヒスベルグで二十八年のあいだ観測技術を磨き上げたのち、ベッセルはついに決定的な突破口を開いた。彼は考えられる
かぎりの機械および観測の誤差を考慮に入れて、六ヶ月の間隔をあけて骨の折れる観測を行い、白鳥座61番星と呼ばれる星は、0.6272
角度秒(およそ0.0001742度)だけ位置を変えることを示したのである。ベッセルが検出したこの視差は途方もなく小さい。腕を伸ばして
人差し指を立て、左右の目を切り替えて観測したときに視差がこの値になったとすると、腕の長さは三十キロメートルあるはずだ。
図の説明:ベッセルが白鳥座61番星の視差を測る
この図では縮尺を変えてある。白鳥座61番星までの距離はAB間の距離の360,000倍あり、実際の角度のずれは非常に小さい。
1838年、フリードリッヒ・ベッセルが初めて星の視差を測定した。地球が太陽のまわりを回って点Aから点Bに移動すると、近隣
の星(白鳥座61番星)の位置がずれて見える。簡単な三角法を使えば、白鳥座61番星までの距離を測定することができる。図の
直角三角形一番尖った角は0.0001742°÷2=0.0000871°であり、三角形の一番短い辺は太陽と地球の距離である。
こうしてベッセルは白鳥座61番星までの距離を、およそ100,000,000,000,000kmと推定した。今日この距離は108,000,000,000,000km
であることが分かっている。
・・・
図に示すのは、ベッセルの測定の原理である。地球がAにあるとき白鳥座61番星を観測すると、視線はある方向に向かった。
六ヶ月後、地球がBに来たときに同じ星を観測すると、視線の向きがわずかにずれた。地球から太陽までの距離はすでにわかっており、
今回の観測により三角形のひとつの角度が得られたから、ベッセルは、太陽と白鳥座61番星と地球を頂点とする直角三角形を考え、
三角法を使って星までの距離を求めることができたのだ。ベッセルの測定によれば、白鳥座61番星までの距離は1.0×1014km
(百兆キロメートル)だった。今日では、この値が実際よりも10%ほど小さかったことがわかっている。現代の推定によれば、地球から
白鳥座61番星までの距離は1.08×1014km、あるいは同じことだが、地球から太陽までの距離の七十二万倍である。この距離は
11.4光年に相当する。
ベッセルの測定は同時代の人たちに激賞された。ドイツの医者で天文学者でもあったヴィルヘルム・オルバースは、
「(この測定により)われわれの宇宙観にはじめて堅固な基礎が与えられた」と述べた。ウィリアム・ハーシェルの息子で、
やはり高く評価される天文学者になったジョン・ハーシェルは、ベッセルの結果を、「観測天文学がかって経験したなかで、
もっとも偉大にしてもっとも栄光ある勝利」と評した。
天文学者は今や白鳥座61番星までの距離を知っただけでなく、天の川銀河の大きさも見積もれるようになった。白鳥座61番星の
明るさをシリウスのそれと比較すれば、ウィリアム・ハーシェルのシリオメートルをおおざっぱに光年に変換することができるからだ。
実際にやってみると、天の川銀河のサイズは直径一万光年、厚みは一千光年と推定された。実はこの見積もりは一桁ほど小さかった。
今日では、天の川銀河の直径は約十万光年、厚みは約一万光年であることがわかっている。
エラストテネスは太陽までの距離を測定してショックを受け、ベッセルは近隣の星までの距離を測定して愕然としたが、天の川
銀河がいかに広大だとはいえ、無限であろう宇宙の広がりにくらべれば取るに足りないことにも気がついた。当然ながら科学者の
中には、天の川銀河の向こうに広がる宇宙空間はどうなっているのだろうかと考えはじめる人たちもいた。
天の川銀河の向こうには何もないのだろうか?それともやはり天体が点在しているのだろうか?
1 初めて宇宙の形を測定する: ハーシェル
3 星雲を観測する: メシエ
星までの距離を測定する 目次