ガリレオの落体運動の実験と論証
6 大地の運動は検出できない
船の運動に対して導かれたこの結論は、大地の運動に対しても成りたつはずです。すなわち、塔から落とした石は、大地が
動く動かないに関係なく常に塔の根もとに落下するでしょう。ですから、落下現象を利用して大地の運動を否定しようとする
アリストテレス派の試みは成功しません。それでは大地の運動を決定できる現象がほかにないだろうか。
アリストテレス派の人が持ち出しそうなそういう現象をガリレオはいくつか取り上げて吟味しています。そのなかで興味
ある例をここで紹介しますと、大砲を用いる例です。すなわち、大地が西から東へ動くことによって、大砲を東向きに撃つときと
西向きに撃つときとで射程にちがいが出るはずだ、という考え。また大砲を北または南に撃つとき、真北または真南においた
的(まと)に命中しないのではないかという考えなどです。皆さんのなかに物理をかじった方がいれば、アインシュタインの
理論に対して決定的な役をしたマオケルソン - モーレイの実験のことを連想するでしょう。事実、大砲を撃つかわりに光を発射
すれば、マイケルソンたちがエーテルに対する大地の運動を決めようとして行った実験とまさに重なるのです。そして、ガリレオ
の吟味の結論も、アインシュタインの結論と同様、それらの実験から大地の運動は全く検出できないということです。
その理由は結局こういうことに帰着します。すなわち、大地が動いているとき、地上の物体は、われわれ自身も含めて、
すべて慣性によって大地と共通の運動を持っており、そして、大砲や弩(おおゆみ・いしゆみ)などの原因で物体が新たな
運動を得るとき、その新たな運動は慣性運動に影響を与えることなくそれと合成され、従って同じ運動をわかちもつわれわれから
見ると、その新たなものだけしか見えないのです。ガリレオの言葉でいえば「たとえ大地になんらかの運動が帰属されるとしても、
この運動は大地の住人であり従って同じ運動を分有しているわれわれには全く知覚されず、地上の事物のみを見ている間はまるで
その運動が存在しないようであるにちがいない」と。このガリレオの宣言を「ガリレオの相対性原理」とよぶことがあります。
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ところで、ガリレオはこの結論を導くのに、物体が弩などによって新たに得る運動は慣性運動を合成する、という仮定を
出発点にしており、そして先に述べたように、それの正しさを彼は投射体の実験によって検証しました。また、すでに話しました
ように、大砲を用いる実験なども議論しています。しかしこれらの実験はいずれも空気の抵抗や摩擦によって多かれ少なかれ
邪魔されます。ところがここにそういう邪魔の入らない実験があります。
それはこういうことです。われわれはケプラーによって、地球を含むすべての惑星が太陽の支配によって三つの法則に
従いながら動いていること、またそれがそれぞれ自転していることを知りました。そしてこのことは、その法則の単純明快さ
によって、もはや疑いえないように思われます。ところがこういう地球の運動にもかかわらず、その上で現に何の異変も起こって
いません。ですから、この事実こそが、まさにガリレオの考えの正しさを実証するところの宇宙的規模の実験なのだ、という
見方もできましょう。しかもこの実験は、空気の抵抗も摩擦もない真空の実験室、すなわち宇宙空間で行われる
壮大なものなのです。
ガリレオの落体運動の実験と論証 完
5 投げられた物体の運動は・・・ 前頁
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