ガリレオの落体運動の実験と論証
1 アリストテレスの運動論
この時代の自然学が共通に持っていた考えがケプラーにも見られることです。それはどういうことかというと、
物体の運動は動力によってたえず補充されなければ減衰し、ついには静止するという考えです。いいかえれば、運動の
継続には物体を動かし続ける力が働かなければならぬ、という考えです。ケプラーは、さらにその力の主体として
「運動霊」の存在を信じていますが、彼の神秘的な想像力自体も、その根元にはこのような霊があって、それが彼に力を
補充しつづけていたのでしょうか。
・・・
アリストテレスの運動論によれば、そもそも世界で起こる事物の変化は、世界の不完全さのあらわれである。すなわち、
造物主の定めた秩序がまだ実現されていないので、それへの意志のあらわれとして事物は変化していく。そして物体の運動も、
あるべき秩序へ向かう変化の一つである。というのは、それぞれの元素は、それぞれに定められた固有の場所を与えられており、
また元素の合成からなる物体もその構成に従って固有の場所を持っており、それらがそこに置かれていないならば、それはその
固有の場所に向かって移動していく。例をあげれば、重さを持つ物体は、固有の場所が世界の底にある、従ってそれは落下する
(このとき世界の底は世界の中心、すなわち地球の中心にあると考えます)。また火が上方に昇るのは、火の元素の固有の場所
がエーテルの領域すなわち天界にあるからだ。
それでは、矢の運動のようなものはどう説明されるか。アリストテレスによれば、運動には秩序に向かう「自然運動」
のほかに、暴力によって強制された運動がある。そして、自然に反するこの種の運動には原因がなければならず、従って、
原因がなくなればその運動は終わる。矢の運動において、矢が弓から離れた後にもしばらく飛びつづけるのは、原動者の
力が媒質を伝わって矢に働くからである。
少し長くなりましたが、あとの話と関連しますのでもう少しつづけます。それは、地上近くの物体(月より下の世界
ということになっています)の運動と、天界の運動とを、そのころの人たちは峻別していたという話です。その考え方は
こういうものです。すなわち、世界のなかでも天界においては、すでに秩序が実現されており、変化する地上の元素
✽ とは
対照的に、天界に存在する元素✽✽は不生不滅不変であり、
天界の運動も不変かつ永遠につづくものである。従ってその運動は
始点もなく終点もない円周上の運動であり、かつ一様な回転でなければならぬ(このことはプトレマイオスやコペルニクス
の考えのエッセンスでした)。このとき彼は直線運動も拒否します。なぜなら、それは始点と終点を持つか、そうでなければ
無限の長さを要求するから。
✽ 地上の元素とは地、水、風、火、あるいは土、水、空気、火の四つです。
ただし、ここにいう土、水、空気、火とは、われわれのまわりにある土、水、空気、火、そのものではなく、それらのものに、
それらの特性を与えている根元的な物を意味するのです。
✽✽ 天界の元素とはエーテルと名づけられる霊妙なものです。
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