『パンセ』を読む

第十一章 預言

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人間の盲目と悲惨とを見、沈黙している全宇宙をながめるとき、人間がなんの光もなく、ひとり置き去りにされ、 宇宙のこの一瞬にさまよっているかのように、だれが自分をそこにおいたのか、何をしにそこへ来たのか、死んだら どうなるかをも知らずに、あらゆる認識を奪われているのを見るとき、私は、眠っているあいだに荒れ果てた恐ろしい 島につれてこられ、さめてみると〔自分がどこにいるのか〕わからず、そこからのがれ出る手段も知らない人のような、 恐怖におそわれる。それを思うと、かくも悲惨な状態にある人がどうして絶望に陥らないかを、私はあやしむ。私は 自分の周囲に、同様な性質の人々を見る。彼らに、私より多くのことを知っているかどうかを尋ねてみても、彼らは 否と答える。そこで、これらの惨めなさすらい人らは、自分の周囲を見まわし、何か楽しそうなものが見つかると、 それに専心し執着した。私はといえば、そんなものに執着することはできなかった。そして、自分の見ているもの以外に 何かあるような様子が多分にあるのを見て、あるいは神がみずからのしるしを何か残しておられはしないかと探求したのだ。
私は多くの相反する宗教があるのを見る。ゆえに、一つのほかは、すべて偽りである。おのおのの宗教はそれ自身の 権威によって信仰を要求し、不信仰者をおびやかす。だから、私はそれらを信じない。だれでもそういうことは言える。 だれでも自分を預言者と呼ぶことはできる。だが、キリスト教を見ると、そこには預言が存在する。これはだれにもできない ことだ。

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公開日2008年5月6日