『パンセ』を読む

第五章 正義と現象の理由

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彼は、その統治しようとする世界の機構を何の上に基礎づけようとするのか。各個人の気まぐれの上であろうか。 なんという混乱。正義の上にであろうか。彼はそれを知らない。確かに、もしもそれを知っていたのだったなら、 人間のあいだで最も一般的なこの格率、すなわち、各人は自国の風習に従うべし、などというのを確立しなかった であろう(1)。真の公平の輝きがすべての国民を服従させたであろうし、立法者たちも、この不変の正義のかわりに ペルシャ人やドイツ人たちの思いつきや気まぐれを模範としてとりはしなかっただろう。人々は、世界の あらゆる国とあらゆる時代とを通じて、不変の正義が樹立されているのを見たことだろう。ところが、そのかわりに 、われわれが見る正義や不正などで、地帯が変わるにつれてその性質が変わらないようなものは、何もない。 緯度の三度のちがいが、すべての法律をくつがえし、子午線一つが真理を決定する。数年の領有のうちに、 基本的な法律が変わる。法にもいろいろな時期があり、土星が獅子座にはいった時期が、われわれにとって、 これこれの犯罪の起源を画しているのである。川一筋で仕切られる滑稽な正義よ。ピレネー山脈の こちら側での真理が、あちら側では誤謬である。
彼らは、正義はこれらの習慣のなかにはないのであって、すべての国で認められている自然法のなかにある と言う。もしも人間の法律をまきちらした向こう見ずな偶然が、ただの一つでも普遍的なものに出会っていた としたら、彼らは頑強にそれを主張したであろうことは確かである。ところが、滑稽なことには、人間の 気まぐれが、あまりにもうまく多様化したので、そんな法律は一つもない。
盗み、不倫、子殺し、父殺し、すべては徳行のうちに地位を占めたことがある。ある男が、水の向こう 側に住んでおり、彼の主君が私の主君と争っているという理由で、私は彼とは少しも争ってはいないのに、 彼に私を殺す権利があるということほど滑稽なことがあろうか。
自然法というものは疑いなく存在する。しかし、このみごとな腐敗した理性は、すべてを腐敗させて しまった。<何ものも、もはやわれわれのものではない。われわれのものと呼ぶものは、人工的なもの である(2)> <元老院の決議と人民投票とによって、罪が犯される(3)> <われわれは、昔は 悪徳によって苦しんだが、今は法律によって苦しんでいる(4)>
このような混乱から、ある人は、正義の本質は立法者の権威であると言い、他の人は、君主の便宜である と言い、また他の人は、現在の習慣であると言うことが生じる。そしてこの最後のものが最も確かである。 理性だけに従えば、それ自身正しいというようなものは何もない。すべてのものは時とともに動揺する。 習慣は、それが受け入れられているという、ただそれだけの理由で、公平のすべてを形成する。これがその 権威の神秘的基礎である。それをその原理にまでさかのぼらす者は、それを消滅させてしまう。誤りを正す というたぐいの法律ほど、誤りだらけのものはない。法律が正しいという理由で、法律に服従する者は、 彼の想像の正義に服従するのであって、法律の本質に服従しているのではない。それは全く自分自身のなかに こもっているものである。それは法律であり、それ以上のものではない。その動機を吟味しようと欲する者は、 それがあまりにも弱くて軽いものなので、もしも彼が人間の想像の驚異を打ち眺める習慣を持っていなかったら、 それが一世紀のあいだに、こんなにもたいした壮麗さと尊敬とをかち得たことに驚嘆するだろう。国家にそむき、 国々をくつがえす術は、既成の習慣をその起源にまでさかのぼって調べ、その権威と正義との欠如を示すことによって それを動揺させることにある。人は言う、不正な習慣が廃止した、国家の基本的、原始的な法律にまで復帰 しなければならないと。それは、すべてのことを失ってしまうこと請けあいの仕掛けである。この秤にかけられては、 何も正しくなくなってしまうだろう。ところが民衆は、このような議論にたやすく耳を貸す。彼等は軛(くびき) に気がつくやいなや、それを払いのける。大貴族たちは、それを利用して、民衆を破滅させ、既存の習慣の 物好きな検討者たちを破滅させる。それだから、立法者たちのなかで最も賢明な人は、人々の幸福のためには、 しばしば彼らを欺かなければならないと言った(5)。また他の有能な政治家は、<それによって解放されるべき 真理を知らないのであるから、欺かれているほうがよい(6)>と言った。民衆に横領の事実を感づかせてはいけない。 習慣はかっては理由なしに導入されたが、それが理にかなったものになったのである。もしもそれにすぐ 終わりを告げさせたくないのだったら、それが真正で、永久的なものであるように思わせ、その始まりを隠さなければ ならない。

(1)この断章は、モンテーニュの『エセー』、特に2の12と3の13との影響が強い。
(2)モンテーニュ『エセー』2の12より引用したキケロの句。
(3)同3の1より引用したセネカの句。
(4)同3の13より引用したタキトゥスの句。
(5)同2の12に記されているプラトンの言葉。
(6)同2の12に引用されているアウグスティヌスの句で、紀元前二〜一世紀の ローマの政治家ミュティウス・スケヴォラの説を紹介して批判したもの。

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公開日2008年2月13日