『パンセ』を読む

第三章 賭の必要性について

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理性に従っていると公言する不信者たちは、理性において異常に強いはずである。それでは、彼らは いったいなんと言っているのだろう。
「われわれは、獣も人間も、トルコ人もキリスト者も、同じように死んだり生きたりしているのを 見るではないか。彼らもわれわれと同じように、彼らの儀式、彼らの預言者、彼らの博士、彼らの聖者、 彼らの修道士を持っている」
これは聖書に反するのであろうか。聖書はこれらすべてのことを言っているのではないか。
もし君たちは真理を知るということに、たいして関心がないならば、そのへんで君たちを休ませて しまってもいいところである。しかし、もし君たちが全心から真理を知りたいのだったら、それだけでは 十分細部にわたって検討したことにはならない。哲学の問題としてならそれで十分だったろうが、ここでは すべて運命がかかっているのである。それなのに、この種の軽い考えの後に、人々は楽しみを求めるだろうか。等々。
この宗教に直接当たって、このわかりにくいところを説明していないかどうかを、調べてみる と言い。この宗教はそのことを、われわれに教えてくれるかも知れない。

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公開日2008年2月3日