第ニ章 神なき人間の惨めさ
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あることについて人の判断を求めるときに、その説明の仕方でその人の判断を曇らさないようにする
のは、なんとむずかしいことだろう。もし、「私は、これを美しいと思います」とか「私は、これを不明瞭
だと思います」とか、そのほかそれに類したことを言えば、相手の想像をその判断へと引き込むか、
あるいは反対のほうへ追いやることになる。何も言わないほうがましである。そうすれば、相手は彼の
あるがままの状態、ということは、その時の彼のあるがままの状態に従い、そしてわれわれが作り出した
のではない別の情況がもたらした状態に従って判断することになる。それでも、ともかくわれわれは、
何も加えなかったことになるわけである。ただし、相手がその気分しだいで、こちらの沈黙にどういう
含みや解釈を与えるか、あるいはまた、人相見がうまければ、顔の動きや様子とか声の調子とかから、
この沈黙をどう推測するかによって、こうして黙っていることが影響を及ぼすとすれば別である。
一つの判断を本来の座からはずさないようにするのは、こんなにむずかしいことなのである。
というよりは、判断がしっかりした安定した座を持つということは、こんなにも少ないのである。
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