環境問題を考える
7日に始まる北海道洞爺湖サミットは、環境問題が主要なテーマとなる。温室効果ガスの排出削減などが議題に上る予定だが、
「環境」は国民にとってどれだけ身近な問題になってきただろうか。そもそも環境問題とはどのようなもので、私たちはどんな
生き方を選択すべきなのか。経済学者の宇沢弘文、物理学者の松井孝典、生物学者の福岡伸一の3氏に、語り合ってもらった。
(司会は小林敬和東京本社文化部長)
— 環境問題をどのようにとらえるか。それぞれの専門の立場からお話いただきたい。
福岡 分子生物学の立場でいうと、生命の問題は環境の問題でもある。
環境とは、生命の動的な平衡 — 細胞を形成する分子は絶えず入れ替わりながら、細胞自体は形を維持するという流れ —
を支えているものといえる。機械論的に見ると見落としてしまうが、生命環境は様々な要素が互いに関係しながら、大きく
循環しているものと考えられる。
地球全体の炭素は大まかにいえば、全体として総和は一定で、状態だけが違う。酸化と還元を繰り返して、ぐるぐる
まわっている。産業革命以降、人間が化石燃料を燃やし続けた結果、炭素が二酸化炭素というレベルでたまりすぎている
というのが今の環境問題。だから、自然の循環になるべく干渉せず、平衡を乱さないというのが、環境を大切にするという
ことになる。
松井 福岡さんは本質的なことを言った。地球とはシステムであって、
複数の構成要素が相互に作用し、ある動的な平衡状態にあるという認識は、全くその通りだと思う。
私の場合は、地球という星がどうして水の惑星で、大気や海が生まれたのかということから環境問題を考えるように
なった。結論をいえば、人類が約一万年前に農耕牧畜を始め、地球システムのなかに「人間圏」という新たな構成要素を
作ったことで、地球全体の物やエネルギーの流れを変えてしまった、ということが地球環境問題なのではないか。人間圏も、
物やエネルギーの流れを加速する駆動力を持たないうちは地球システムに影響を及ぼさないけれども、駆動力を持った
段階以降は — 化石燃料などを大量に利用できるようになった産業革命以降がそうだが — 人間圏が急速に
大きくなった。すると、福岡さんが言うように、地球全体として物質は一定なのだから、大気や海、生物圏などすべてに
影響が出てくる。
宇沢 経済学は、一人ひとりが人間的尊厳を保ち、市民的自由を守ることを
基本にものごとを考える思想に支えられている。地球温暖化に象徴される環境問題は、この思想が貫けなるという危機意識から
考えている。
環境問題は、1960年代にスウェーデンの湖が死にかけ、森林が枯れるなどしてクローズアップされた。酸性雨が原因だった
が、一国で解決できないため、72年にストックホルムで国連環境会議が開かれた。80年代には気象学者らが気象の安定性が
失われつつあることに気付き、温室効果ガスの蓄積を発見した。そこで90年、経済学者がローマで地球温暖化に焦点を当てた
国際会議を開いた。
この会議で、私が基調論文を発表した。一定量の二酸化炭素を出せば幾らの被害が出るかを国ごとに計算する公式を
考え、この額が一人当たりの国民所得に比例することを明らかにした。そこで二酸化炭素の排出について、一人当たりの
国民所得に比例して課税する「比例的炭素税」を導入し、集めた金の一部を途上国の省エネ対策などに使うことを提案した。
これが反響を呼び、大きな流れとなって、97年の京都会議につながった。
— 環境問題を考えると、現代文明とは何かという問いにつながってくる。
福岡 ストックホルムの国連環境会議で思い出したが、私の先生の先生
にあたる、ルネ・デュポスという微生物研究者が、その時の基調演説で「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」という標語
を作った。宇沢先生の比例的炭素税の考え方は、まさにデュポスの理想を具体化したものだと思う。
デュポスは微生物を倒す抗生物質を開発していたが、開発しても必ず耐性菌ができて、また新たな抗生物質を作らなければ
いけないという堂々巡りの中で、環境を意識するようになった。彼の考えでは、人間が操作的な方法で自然に介入したことで、
無限にあると思っていたすべての資源が有限だということが見えてきた。この有限性の顕在化こそ、現代文明の特徴といえる
のではないか。
松井 私の考えでは、人間が人間圏を作って生きることそのものが、文明
といえる。例えば森林を伐採して畑に変えると、太陽の反射率が変化し、太陽エネルギーの流れも変わる。あるいは森林伐採
によって土壌流出の速度が変わる。
人間は人間圏を作って生き始めたが、人間はそれを無限に拡張できると錯覚するようになった。人間圏の中に駆動力を持つと、
物質やエネルギーの循環が加速され、その動きは我々の一年が人間圏が成立しなかった時の10万年分に相当すると推定される。
だから、ゆっくりすればいいわけだけど、これがなかなか難しい。
宇沢 私は91年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世(当時)が「レールム・
ノヴァルム」✽1を作成する際、手伝ってほしいと頼まれ、「社会主義の弊害と資本主義の幻想」というタイトルを付けることを
提案した。世界が資本主義に向かって急激に進んでいることを法王は憂えていて、このタイトルを非常に喜んでくれた。人々は今、
資本主義に幻想を持ちすぎているのではないか。
教育とか医療とか自然環境とか、人間が人間らしく生きていくための財産を「社会的共通資本」と私は言っているが、
この財産は市場原理にゆだねてはならず、もうけの対象にしてはならない。皆の共通財産を大切に守っていくことが、人類の
安定的な環境を作っていく。とすれば、二酸化炭素の排出量を売買する排出権取引は、問題が多い。
松井 資本主義は欲望を無限に拡大していくシステムである。ある欲望を
満たすと、また新たな欲望が出てくる。市場主義的資本主義を推進するなら排出権取引も出てくるだろうが、いずれは破綻する。
福岡 いずれにしても、2050年までには化石燃料は完全にピーク・アウト、
つまり埋蔵量以上に使ってしまい、その先は減少するしかない。その意味で、今のエネルギー消費のあり方を、考え直さなければ
いけない時が必ず来る。
—現代文明が今のままで済まないとすると、どんな生き方が求められるだろうか。
松井 それはもう、「足るを知る」という以外にないのではないか。
人間圏は今のまま右肩上がりで大きくなっていくことはできない。それでも豊かさを維持するには、物の所有ではなく、
その機能が重要だと考えたらいい。自分の人体にしても、死ねば地球に戻るのだから地球のものと考え、心臓、肝臓などの
臓器は借り物だという発想に転換すればいい。これを私は「レンタルの思想」と言っている。
宇沢 レンタルの思想に全く同感だ。デカルトやフランシス・ベーコン
の思想から近代合理主義の世界になり、自然は征服して利用するものという、環境問題を引き起こす思想がつくられてきた。
今はアフリカなどの先住民族に倣って、自然を傷つけず尊敬しながら、それを次世代に残していく文化を考えていくべきだと思う。
福岡 やはり「減速」が必要だろう。昔に戻れということではなく、
イノベーション(技術革新)をしながら本来の循環に近づくように減速していく。スローライフやロハス✽2といった考え方を持って、
加速一本やりの思想を反省する。しかも日本はイノベーションで貢献できる。
現実に減速するのは簡単ではないけれども、減速するのがカッコいい、ということになればいい。次世代の環境車として
トヨタのプリウスが出てきた時、始めは「この形がカッコいいいの?」と思われたが、アメリカのハリウッドスターがアカデミー賞
の授賞式に環境車で乗り付けるようになって、カッコよくなった。
減速に寄与しようとする動きはいろんな所で起きていて、私の住んでいる東京都世田谷区では、サンクスネイチャーバス
という、誰もが無料で乗れるバスが走っている。バスは家庭の廃油を回収してバイオディーゼルにして走らせている。こうした
市民レベル動きが分散的に起こって、それが「カッコいい」という価値観になっていくことが大事なのではないか。
宇沢 僕は若い時、河上肇の『貧乏物語』の序文にラスキンの「There is
no wealth, but life」という言葉を見つけた。それを「富を求めるのは道を聞くためにある」と解し、自らに言い聞かせて
経済を独学で学び始めた。この言葉は、自然を尊敬する先住民族の生き方とつながってくる気がする。かっては「朝に道を聞かば
夕べに死すとも可なり」といった漢文も中学時代に学んだが、こうした教えこそ、中学生に株取引を教えることより、
はるかに大切ではないか。
松井 それこそ昔から言われてきた(儒教の)天と地と人の調和。今の言葉で
いえば、環境と地球と生命が全体としてどう調和していくかという生き方だけれども、それは昔も今も変わっていない。
一方で僕が一番危惧するのは、日本の若い人の理数系離れがひどく、理数系の言葉をほとんど理解できないということ。
酸化・還元といった言葉が理解できなければ、地球環境問題は語れなくなってしまう。教育をもう一度しっかりやり直さなければ
いけない。
—環境サミットといわれる北海道洞爺湖サミットが近づいているが、注文や期待を。
福岡 環境問題は、空間的、時間的にイマジネーションを広げ、そこから
現在を考えることが大切になってくる。2050年までに温室効果ガスを半減するというなら、バーチャル(仮想)なイメージではなく、
リアルな倫理として、そこに至るプロセスが見えてくる思考が求められるだろう。
宇沢 地球環境問題は、力関係で決まるような外交交渉であってはならない。
自国だけの利益をがむしゃらに追っていくようなことはしてはいけない。温暖化を抑制するメカニズムは静かな構造の中に組み込む
べきで、我田引水になるが、二酸化炭素を多く排出する国が多く負担する仕組みとして、比例的炭素税を考えてほしい。これは
社会的公正の視点に立って、地球温暖化を抑制するために最も効果的な制度だから。
松井 近い将来、「地球倫理」という問題も浮上してくるだろう。例えば、地球を
冷やすには雲を増やせばいい。そこで、人工的に雲という“日傘”をかける技術も開発されるだろう。そうした時、地球に手を加えて
操作するのがいいのか、といった問題が出てくる。サミットでは、こうした地球倫理の枠組みを提示していくことも重要だと思う。
また、今日ここで話したような環境問題の哲学的、文明的な基盤を本来はサミットで考えるべきなのでは、とも言いたい。
✽1レールム・ノヴァルム: 「新しい事態」を意味するラテン語。
ローマ法王が公に見解を発表する文書(回勅)の一つ。
✽2ロハス: Lifestyles Of Health And Sustainability の頭文字
を取った言葉。健康と持続性に配慮したライフスタイルのこと。
経済学者 宇沢弘文
うざわ・ひろふみ 1928年生まれ。東京大学名誉教授・経済学。著書に『地球温暖化を考える』
『自動車の社会的費用』『社会的共通資本』など。 |
物理学者 松井孝典
まつい・たかふみ 1946年生まれ。東京大学教授・地球惑星物理学。著書に『地球システムの崩壊』
『人類を救う「レンタルの思想」』など。 |
生物学者 福岡伸一
ふくおか・しんいち 1959年生まれ。青山学院大学教授・分子生物学。著書に『生物と無生物のあいだ』
『ロハスの思想』『もう牛を食べても安全か』など。 |
『読売新聞』朝刊7月1日-2日より