ルネ・デカルト(1596年-1650年)の『方法序説』を読んだ。
17世紀の科学論文は、今では科学史を専攻する専門家しか読むことはないであろが、デカルトとしては当時の世に新しい知見を問う 形で三つの科学論文の方を発行主体と考えており、その中の見解がどのような方法で探求されたかを世間に紹介する ために序文を書いたのである。しかしデカルトが近代西洋哲学の祖といわれるようになったのは、その序文の故である。 科学論文の序文として『方法序説』が書かれたいうことが、ここでは留意すべき点である。 当時、哲学というと、神学を除く学問全般を意味し、特に自然哲学(自然科学一般)をさして言うことも多かったのである。 そしてデカルトが真理という場合、大半は物理法則ないし科学的事実関係のことを指している。
学業を終えたデカルトは、学んだことのなかに真理が含まれていないと感じて幻滅していた。そのため文字による学問を捨てて、 世間という書物から学ぶ決心をして、旅に出る。23歳のとき、ドイツのある冬営地に滞在していたとき、終日ひとり炉部屋にこもって 思索にふけり、自分の人生の流儀を決める。一種の処世訓であるが、哲学をはじめるに充分な年齢に達するまでに期間をおき、その間 自分をそれに習熟させてゆく期間とするのである。そして九年が経過し、32歳になって、隠棲するようにしてデンマークに住んだとき、 初めて哲学の思索に専念する。「われ思うゆえにわれあり」の認識を得たのは、そのときのことである。それを発表するのはさらに 九年後の41歳のときである。こうして、デカルトは慎重に時間をかけて自分の主題を追求してゆくのである。
良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。というのも、だれも良識なら十分身に具わっている と思っているので、他のことでは何でも気難しい人たちでさえ、良識については、自分がいま持っている以上を望まないのが普通だからだ。この点で みんなが思い違いをしているとは思えない。むしろそれが立証しているのは、正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそ、 ほんらいの良識とか理性と呼ばれているものだが、そういう能力がすべての人に生まれつき平等に具わっていることだ。だから、 わたしたちの意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があるということによるのではなく、ただ、わたしたちが思考を 異なる道筋で導き、同一のことを考察していないことから生じるのである。
きわめて単純で容易な、推論の長い連鎖は、幾何学者たちがつねづね用いてどんなに難しい証明も達成する。 それはわたしに次のことを思い描く機会をあたえてくれた。人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、 真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、 どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなに隠れたものでも発見できる、と。(同書「第二部」)
だが当時わたしは、ただ真理の探究にのみ携わりたいと望んでいたので、これと正反対のことを しなければならないと考えた。ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、 わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない、と考えた。こうして、感覚は時に わたしたちを欺くから、感覚が想像させるとおりのものは何も存在しないと想定しようとした。次に、幾何学の最も単純な ことがらについてさえ、推論を間違えて誤謬推理をおかす人がいるのだから、わたしもまた他のだれとも同じく誤りうると判断して、 以前には論証と見なしていた推理をすべて偽として捨て去った。最後に、わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべて そのまま眠っているときにも現れうる、しかもその場合真であるものは一つもないことを考えて、わたしは、それまで自分 の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、 次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に 何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟(おも)ウ、故ニワレ在(あ)リ〕」 というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、 この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。(同書「第4部」から)
そして、「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの命題において、わたしが真理を語っている と保証するものは、考えるためには存在しなければならないことを、わたしがきわめて明晰にわかっているという以外には まったく何もないことを認めたので、次のように判断した。わたしたちがきわめて明晰に捉えることはすべて真である、これを 一般的な規則としてよい。(同書「第四部」)
続いてわたしは、わたしが疑っていること、したがってわたしの存在はまったく完全ではないこと— 疑うよりも認識することのほうが、完全性が大であるとわたしは明晰に見ていたから—に反省を加え、自分よりも完全である 何かを考えることをわたしはいったいどこから学んだのかの探求しようと思った。そしてそれは、現実にわたしより完全な本性から 学んだにちがいない、と明証的に知った。・・・・けれども、わたしの存在よりも完全な存在の観念については、同じでは ありえなかった。それを無から得るのは明らかに不可能だし、また、わたし自身から得ることもできなかった。完全性の高いものが、 完全性の低いものの帰結でありそれに依存するというのは、無から何かが生じるというに劣らず矛盾しているからだ。そうして 残るところは、その観念が、わたしよりも真に完全なある本性によってわたしのなかに置かれた、ということだった。その本性は しかも、わたしが考えうるあらゆる完全性をそれ自体のうちに具えている、つまり一言でいえば神である本性だ。 (同書「第四部」)
神とは、人間にはその存在証明ができないもの、と私は知るのである。