物理学者の問いに答えて
小柴昌俊氏は、ニュートリノという素粒子の研究でノーベル賞を受賞したが、その後を継いで、
ニュートリノの研究を飛躍的に発展させたのが戸塚洋二氏である。戸塚氏の仕事もいずれノーベル賞
を取るだろう。先日、機会があってその戸塚氏にお目にかかった。
実にやさしい方である。根っこに鬼の厳しさがあるのはよく分かるが、とにかく情の深い素敵な人柄だ。
「骨の髄まで無神論者」と自称する科学的合理精神の権化だが、その、宗教家の天敵のような物理学者が、
「仏教について知りたい」とおっしゃる。そこで2時間、膝を交えて話し合った。
「仏教は神の存在をどう考えるのか、時間の流れはどうとらえるのか、世界はどのように進んでいく
のか」といった質問が矢のようにとんでくる。
相手は物理学者だ。合理的に答えねばならない。雑念を払って脳みそを絞り、できるだけ分かりやすく
簡潔な言葉で答えを返す。
「仏教は絶対存在を認めない」「時間とは物事の変化そのものであって、別個に時間という存在が
あるのではない。したがって、変化しないものには時間はない」「この宇宙は、特定のサイクルを繰り返しながら、
無限の過去から無限の未来へと果てしなく続いていく」といった具合に、必ず明確に答える。分からない時は、
なぜ分からないかを答える。その緊張状態は、私にとってまさに修行だった。答えることで、自分の思考が
随分深まったように思う。実に貴重な体験だった。
話のあとの戸塚先生の感想は、「超越者を認めず、因果の法則だけで世界を見ようとする釈迦の仏教の
原理は、現代科学と同じであって、それは非常に興味深い。だがまだ理解できない点も多い」ということである。
そりゃそうだ。2時間で全部理解されたのでは私の立つ瀬がない。説明し残したところは、先生がノーベル賞
をもらったあとで、またゆっくりお話しましょう。
『日々是好日』(佐々木閑 花園大学教授 朝日新聞2008年2月14日夕刊より)
仏教と一口に言うが、実に多種多様だ。浄土系のように阿弥陀如来を絶対者として尊崇する宗派もあれば、
この記事(禅宗系)のように絶対者を認めない宗派もある。これらの宗派は全く正反対の方向に向いており、
仏教とひとくくりにすることはできないだろう。それでも根っこは同じ源だ、とめぐりめぐって解釈をする人
もいるのだが。この佐々木氏のように、はっきり言明してくれれば、聞いているほうもよく分かり、
すっきりする。禅宗は、宗教ではなく、生きる術を会得する方法のように、私には思われる。(管理人)