無我―自己と自我
『バウッダ・仏教・』(中村元・三枝充悳著 小学館 昭和62年)を読んだ。この本を読むのは、これで三度目かと思う。なにせ手許にある唯一の仏教入門書なのである。今回は、釈迦ははたして輪廻を説いたのだろうか、それを調べるために何を読んだらいいのかを調べるために読んだのだが、色々と新しい発見があった。今回は無我について引用したい。説明が少し煩雑であり、文章もこなれていないきらいがあるが、論理は一貫しており、ここで著者が言いたいことは次の通りである、と思う。
横山大観 無我
初期仏教の経典である阿含経(アーガマ資料)のなかで、釈迦が繰り返し説いているのは無我を修得することの大切さである。その無我とは自己の否定ではなく、自己のうちにうごめく我執(これを自我といっている)の否定である。譬えて言えば、汚れ物を洗濯すると、汚れ(自我)はおちるが、布(自己)はきれいになって残る。後代において、その自我が実体となって自己になり、その自己否定が空の思想につながったということである。著者は暗に言っているようだ(あるいは私が思っているだけか)、ここには釈迦の直接の教えから逸脱した思想上の飛躍があり、論理の遊びがある、と。釈迦の教えは、後代の大乗から見れば、素朴でハッキリしている。自己は洗い流すことは出来ない、汚れを洗い流したあとに残るのが自己だと。自己は否定できるような対象ではないのである。存在の、生きることの、そして解脱することの前提である。(管理人)
無我
「仏教は無我にて候」という古い語り伝えの示すとおり、無我は仏教を一貫するテーゼであり、モットーであり、スローガンでもある。しかも、それは阿含経を通じて、すでに釈尊にその起源がうかがわれる。
「無我」は文字通り我の否定であって、ときには「非我」と漢訳される。表現からすれば、「無我」は「我がない」、「非我」は「我でない」とされる(さらにこれ以上の問題には、立ち入らないことにする)。この「我」の原語はパーリー語でアッタンattan、サンスクリット語ではアートマンãtmanであり、ここには後者のアートマンを用いて論述しよう。そして、その否定である「無我」は上の語にアンan-またはニルnir-などの否定の接頭語を付して表現する。
アートマンは、すでに記したことがあるように、ウパニシャッドにおいて、ブラフマン(梵)とともに根本原理をなしていたところから、仏教に説かれるアートマンの否定(すなわち、無我)を、そのままウパニシャッドに対するアンチテーゼのごとくみなすのは、はなはだしく短絡的であり、むしろ明らかな誤りといわなければならない。さらにまた、ウパニシャッドにおいても、アートマン(我)はブラフマン(梵)とともに根本原理ではあっても、けっして実体化はなされておらず、「そうではない、そうではない」(ネーティ・ネーティneti neti)と一切の措定を拒んで、否定詞を重複する記述があるにもかかわらず、いたずらに粗雑な考えを持ち込んで、原理をそのまま実体と混同し、当時すでに実体が立てられていたとか、実体的思考が成立していたとか、と恣意的に構想するのも、大きな歪曲であり、誤解である、と評されよう。なお、この後半で用いた「実体」は、哲学独自の概念のひとつで、ここでは「それ自身だけで存在する本体」をいい、それの対立概念の「属性」に対しては、「属性をもつもの」とも定義される。
アートマンについて、とくに断っておきたいのは、それは、本来「気息」(呼吸)に発して、身体・自身・生命原理・自我・自己・霊魂・本体などと解される中で、以下、これから述べる論考においては、このアートマンに「自己」と「自我」との二つの訳語をとくに意識して区別して当てて、現在広く用いられている主体性を表すものを「自己」とし、その「自己」を、日常的な概念である「自我」から切り離して用いることにしよう。(自我の否定が無我であり、自我に関しては以下に明らかになる)。
「小部」の経典、ことに『スッタニパータ』に見られる無我説は、きわめて数が多く、内容も豊かであり、とくにその中でも古い(したがって、仏教の全資料中で最古)とされる第五章は、ほぼ無我説で満ちている(少なくともSn.1032-1123)。そのあまたの詩句は、多種多様な例をあげ、具体的なひとつひとつについて、「無我」が説かれる(この五章のほか、『スッタニパータ』には、この類いの資料が実に多い)。それらの諸資料をことごとく集めて整理し、そのうえで、かなり大胆に一言に要約するならば、ここに表現されているものはとりわけきわだって、執着・我執・とらわれの否定ないし超越として、無我が説かれており、無我の実現によって、清浄で、平安なニルバーナ(涅槃)に導かれる、と概略化することができよう。
執着は、先に「苦」の項で示した欲望の、さらにその根底にあるもの、といってよい。欲望がつねに直接的であり、したがって前述のように一過性なものであるのに対して、執着の根はまことに深く、動じがたい。欲望は必ずある具体的なものであるのに対して、執着はむしろアノニウム(匿名、無名)にも存し、特定されないまま、漠たる抽象的なものであり、しかも根源に潜んでいて、たじろぐことがない。むしろ、何とも名づけられぬこの執着が、混沌の底に沈みながら、居すわり続けて、機をうかがいつつ、そのうえに個々の欲望を引き出し、生み出してくるともいえよう。そしてそのような執着ないし執着の塊が、すなわち自我なのである。あるいは、しいて図式化するならば、欲望の底に執着があり、その執着の根に自我がある。そして、仏教の説く無我は、そのような自我を根底から否定する。『スッタニパータ』は無我を以上のように説いている。
このような無我説を、他の資料とくに四部阿含経では、さらに分析的に説く。それによると、自我を「私のもの(ママmama)」、「私(アハムaham )」、「私の自我(メー・アッターme atta)」の三種に分けてから、無我を「これは私のものではない、これは私ではない、これは私の自我ではない」と説く。上の中の「これ」を、阿含経は懇切に例をあげつつ示す。そして、そのほとんど大部分は、具体的なひとつひとつのもの、たとえば色・受・想・行・識の五蘊のそれぞれについて、また眼・耳・鼻・舌・身・意の六入のおのおのについて、そして色・声・香・味・触・法の六境のそれぞれについてなどであり、そのひとつひとつをとりあげて、上の無我の三種の分節を付している。これをまとめていえば、
「もの・こと すべて 無我なり」と 智慧もて 見とおす ときにこそ 実に 苦を 遠く離れたり これ 清浄に至る 道 なり(Dhp. 279)
となり、この詩句の第一句、すなわち「もの・こと すべて 無我」(原文はサッベー・ダンマー・アナッターSabbe dhamma anattã)を、漢訳においては、「諸法無我」という、聞き馴れたフレーズに表現する。
なお、その場合、この「諸法」ということについて、それが有為法(つくられたもの)と無為法(つくられたのでないもの)とを包括するなどの説明は、とくに不要であろう。というのは、このような説明の延長線上に、先の「諸法無我」の「行」を有為法とする解釈があり、その種の解説に対する疑問はすでに前項に詳述した。
先述した「これは私のものではない」、「これは私ではない」、「これは私の自我ではない」という、自我を表現する三種に区分する用例の分節は、あまりにも多数の反復のうちに、ややもすると形式化を免れず、いわば冗長の趣さえ呈する。しかし、その定型句は、阿含経においてはつねに一定していて、はずれることはまずあり得ないといってよい。しかしながら、やがてのちに、それがしだいに形骸化して、かなり不透明となった一種の煩雑や錯綜の末に、やや新しい解釈として、自我ないし我を「それ自身で存在するもの」、すなわち「実体」もしくは「本体」ととらえ、無我はそのような実体的な自己ないし我の否定、とする説が生まれてくる。このような新しい解釈は、釈尊から百年(別説、二百年)以上を隔てた、中期仏教の部派仏教において、ようやく兆しはじめて、ここに至って、「無我は実体の否定」という説が立てられるようになる。そして、それがいっそうの展開を遂げてゆく過程で、たとえば、「人無我・法有我」に示されるような、法(ダルマ)の実体化が進行し、壮大な「法の体系」が構築され、他方ではそれの説く「無我」の不徹底を衝いて、「実体および実体的思考(態度)に対する否定としての空」が、初期大乗仏教にはっきりと打ち出される。
しかし、このような「実体の否定としての無我」は、現在ほとんどの仏教解説書に氾濫しているけれども、前述したとおり、阿含経からはかなり離反しており、阿含経に説かれる無我に関する限り、とくにその原初形は、反復して強調すれば、「執着の否定としての無我」あるいは「無我とはとらわれないこと」と解さなくてはならぬ。(それは初期大乗仏教の「空」を理論づけた龍樹も、一貫して「空とはとらわれないこと」と説き、そのような空を主張している)。
ところで、自我を執着・我執とし、または上の三種とし、無我はその否定として立てられていると見るときに、その否定という役割を果たす当事者は、いったい何か、だれなのか。それこそ、まさに自己にほかならない。自己が、主体が、そのような自我を否定し、そのような自我からの超越を果たす。それを、理論という面から眺めるならば、このようなアートマン(我)という、ただひとつの語をめぐってのアンヴィバレント(同一のものを相反する二つが奪い合う)な困難に直面せざるを得ない。しかし、そのような困難は、単に論理上のことがらに属しているのであり、無我はそのような論理化の場をすでに離れて、みずから直面する現実の実践の場に即応しつつ、刻々の決断をつねにみずから下してゆく、そのまっただなかにある。
自己は、そのまま主体性であり、行為の主体であり、実践の当体であり、責任の所在であり、そして仏教の述語でいえば業(カルマ)の統括者として、つねに明らかにあり、みずからにかかわる一切を負う。そのような「自己」の在り方を、『ダンマパダ』は多くの詩句に説く。ただ一例のみを示そう。
実に 自己こそが 主 自己こそが 自己の 依りどころ(Dhp.380 全半)
また、『スッタニパータ』は、第三五〜七五詩の第四五詩を除く計四十の詩のすべてに、
犀の角のごとく ただ独り 歩め
というリフレーン(繰り返しの句)を付す。
さらに、『スッタニパータ』の第二五一詩には、「自己を洲とする」(アッタディーパattadipa)という語があって、これは阿含経の散文に次の定型句として反復される。
自己を洲とし、自己を依りどころとして、他を依りどころとせず、法を洲とし、法を依りどころとして、他を依りどころとせずに、住せよ
上の中の「洲」のパーリ語は、ディーパdîpaであり、それはこのパーリ語が、大河の中に浮かぶ島あるいは庇護所を意味するサンスクリット語のドゥヴィーパdvîpaに相当する、との解釈に基づく(現在の学界では、この解釈が正当とされる)。しかし、サンスクリット語には、このパーリ語と同じdîpaの語があり、それを結びつけるならば、「あかり、燈明」となる。漢訳の阿含経、とくに『長阿含経』と『中阿含経』とは、これを受けて、この句を、
自燈明、自帰依、法燈明、法帰依
(自らを燈明とし、自らを帰依とす、法を燈明とし、法を帰依とす)
と訳し、そのほかにもこれと同類のフレーズがかなり多く目に付く。
この成句は、中国仏教から日本仏教においてもたえず説かれており、ここでは「無我」と並んで「自燈明、法燈明」を謳う。そして、自燈明、法燈明」は、紛れもなく、真に主体的な自己の確立を力説し、その意味で、上の『スッタニパータ』と『ダンマパダ』と、さらに阿含経の定型句として、このフレーズが反復されることから、「真の自己」こそを、最初期の仏教はあくまで目ざしていた、と主張されよう。
それでは、なぜ、この二つの「自燈明、自帰依」が「法燈明、法帰依」を伴っているのであろうか。「真に主体的な自己」は別として、私たちの日常的な自己は、ともすれば自我に組しやすく、つねに頽落の芽を兆し、しかもときには実に制御しがたい傾きがある。それは、先に「こころ」について列挙したように、弱さ・脆さ・過ちに染まりかねない。さらに、自燈明は、利己主義(エゴイズム)・自己中心主義(エゴセントリズム)と誤解されがちである。そのことの痛切な自覚と反省のうえに、そのような誤解を排除するために、自己は万人に通ずる普遍的な法(ダルマ)に昇華し、あるいはひるがえって、自ら結晶しなければならぬ。そしてそのことを掲げて、「自己と法」とが並立して、ここに説かれている。「自己と法」とをさらに敷衍していえば、それは「個と全」ということにほかならず、個と全とのいわば逆説的な合一が、この「自燈明、法燈明」という阿含経の成句において説かれ、しかもそれは上に述べたような論理において、しかしとくに実践において、その実現が期せられ、課せられている、と称してもよい。
無我の説明を終えるに当り、次の記述を付け加える必要があろう。上の@苦と、A無常と、B無我とは、本来はそれぞれ別々の場に、いわば独立して一項として説かれた。それぞれの場に、それぞれに説かれていたこれら三項が、やがてまとめられて、「無常―苦―無我」という定型が生まれ、この配列が決定する。そして、それは、それぞれにいわゆる主語に相当するものを補って、「一切皆苦・諸行無常・諸法無我」のフレーズとして完成し、しかもそれが繰り返し説かれるところから、「諸行無常・一切皆苦・諸法無我の三法印」という、初期仏教を代表する最も重要なテーマとなる。さらに三法印は、「涅槃寂静」(涅槃=ニルヴァーナは後述)を加えて四法印となり、のちにはそれから「一切皆苦」がはずされて、「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三法印」として落着を見る。ここにいう法印とは、それが仏法(仏教の教え)であることを証明する印、すなわちこれこそが仏法そのものであることを裏づける。現存の資料によるかぎり、「法印(サンスクリット語のダルマ・ウッダーナdharma-uddanã)」の語そのものは、後代の成語とされるけれども、「無常―苦―無我」を説く例文は、阿含経に合わせて百五十よりもさらに多数が数えられ、しかもほぼ同類の文を反復している。したがって、これら三項は、そしてその一項ずつは、おそらく釈尊のさとりに最も近く、釈尊の説法には最も頻繁に登場した、といってよい。そして、このあとに述べる四諦や縁起などの説は、文献学上からすれば、むしろそれからの、ある種の論理化による展開と発展、として考察するほうが正しいのではないか、と考えられる。
(第二部第三章阿含経の思想 第二節阿含経の諸思想A無我)から
『バウッダ・仏教・』(小学館 1987年)中村元・三枝充悳著