今月の言葉抄 2006年10月

諸悪莫作 衆善奉行

サッバパーパッサ アカラナム
クサラッサ ウパサムパダー
サチッタパリヨーダパナム
エータム ブッダーナ サーサナム

sabbapâpassa akaranam
kusalassa upasampadâ
sacittapariyodapanam
etam buddhâna sâsanam

ありとある あくをば なさず
ぜんなるを おこない そなえ
みずからの こころを きよ
これぞ に もろもろの ほとけの おし

しょ あく まく
しょ ぜん ぎょう
じょう
しょ ぶっ きょう

諸悪しょあく
諸善しょぜん奉行ぶぎょう
みずかきよ
諸仏しょぶつおし

[註]
(1)上の漢文は、従来は「諸悪しょあく(は)なかれ、諸善しょぜん(は)奉行ぶぎょうせよ、みずかきよめよ、諸仏しょぶつおしえなり」と、第一句〜第三句を、命令形で読んでいる。たしかに、「莫」は、通常は禁止の命令を示す重要な語であるが、一般の否定にも用いられる。しかも第二句と第三句には(訳文は異なるが「法集要頌経ほうじゅうようじゅきょう」も同じ)命令形を指示する語がまったくない。パーリー文は(他に命令形の文は多数くあるが、ここでは)平叙文としている。以上の理由から上のように読んだ。なお、「奉行」はこころを込めて行なう。「意」はこころ。
・・・
(3)パーリー語の第四句のブッダーナbuddhânaは、buddhaの複数属格(plural genitive)すなわち「多くのブッダたちの」という意。仏教梵語のSにはbuddhânaとあって、正規のサンスクリット語ではbuddhânâmとあるべきものが、詩に特有の韻の関係で、上のようになったらしい。さらに、Uでは、buddhasyaとあり、これは単数属格、すなわち「ブッダの」という意に転じている。また仏教梵語の上述した「マハーヴァストゥ」の引用詩には、次の語と続けて、ブッダーヌシャーサナムbuddhânušâsanamとあり、ここでは、ブッダは、単数とも複数ともとれる。

ところで、第四句に見られる、複数形のブッダ(「もろもろの仏」「諸仏」)とは何を意味するか。それは、最初期にはブッダの普通名詞として扱い、ゴータマ・ブッダ以外にも用いたとの解釈もなされるが、古来の大多数の説によれば、初期仏教のかなり古い時代にすでに、後の第三部に大乗仏教の説明中にも述べるように、いわゆる「過去仏かこぶつ」の登場と符合するとして扱う。すなわち、釈尊への限りない尊崇と、すでに仏教創始以前からの「輪廻りんねごう」の思想と重なって、これほど偉大な釈尊は、その一代で(しかも若い時期の数年間で)その絶大な偉業をなしとげ得たのではなく、すでにその前世に、すばらしい行い(すなわち業)を積んでいたことによると解して、釈迦仏しゃかぶつ一代前のブッダに迦葉仏かしょうぶつを想定し、さらに、その迦葉仏の前世へ、そしてそのまた前世のブッダへとさかのぼり、ついに、毘婆尸仏びばしぶつに至り、このブッダから数えて七代目が釈迦仏に当たる、という説が立てられ、広く普及した。これを「過去七仏かこしちぶつ」と称し、この過去七仏に関する物語は、『長阿含経じょうあごんきょう』の「大本経だいほんきょう」と、『長部ちょうぶ』の「マハーアバダーナ(大譬喩経是だいひゆきょう)」との全体を占め、そのほか単経の異訳経典が数種あるほか、アーガマ文献の各所に、「過去七仏」が言及される。

そして、その七仏のすべてが、まさに上に説明したこの詩を説いたとされ、そのような事情から、この詩は「七仏通誡偈しちぶつつうかいげ」(偈は詩と同じ)と命名され、上述のとおり、全仏教を通じて最も名高い。

この詩は、わが国においても、古くから現在に至るまでとくによく知られ、愛好された。漢訳の第二句の「諸善しょぜん」を、おそらく修辞レトリックのうえから「衆善しゅうぜん」とあらためた詩は、日本仏教のほぼすべての宗祖たち、また高僧や学僧たちによって、必ずといってよいほど、どこかに引用されており、上述したとおり、富永仲基もこの詩を「迦文かもん(釈尊)の文」とした。また、墨痕ぼっこん鮮やかな「諸悪莫作しょあくまくさ 衆善奉行しゅうぜんぶぎょう」の室町時代の一休いっきゅう宗純そうじゅん、1394年―1481年)による二行の書は、驚嘆するほどに魅せられる。

要約すれば、この詩の前半二句は、「どんな悪もなさず、善を行う」という、最も普遍的な倫理を説き、それが第三句の「みずから、自分のこころを浄める」との、いわば宗教の究極まで高められ、ないし深められており、それを「もろもろのほとけの教え」と押さえて、これこそまさに「仏教」そのものを、一詩により見事に表現している、と解してよい。したがって、たとえ仏教に関心が薄く、あるいはそれを欠いていても、「仏教とは何か」との問いに接した際、この「しょあく まくさ しゅぜん ぶぎょう じじょう ごい ぜしょ ぶっきょう」という、記憶しやすいこの詩をもって、それなりの解答がなされ得よう。

(第二部第二章第二節 阿含経テクストの検討)から
『バウッダ・仏教・』(小学館 1987年)中村元・三枝充悳著 

この四行詩はどこだったか、お寺の本堂で見た記憶はあるが、その意味や仏教の中の位置付けがよく分からなかった。この詩が仏教の真髄を簡潔に表現しているということであれば、大変わかりやすい。感激したので、当サイトの詩篇のなかに「仏陀は語る」と題して自分流の訳を添えてそのまま並べて書いてみた。仏教には膨大な経典があり、そのなかに精神が埋まってしまっているので、素人が読み解くのは無理だと思う。阿含経(パーリー語経典―ダンマパダ)という一群の経典が初期のもので、ブッダその人の語ったことをよく伝えているという。(管理人)

更新2006年10月1日