釈尊は定住することなく、つねに遊行(ゆぎょう)の旅にあり、多数の苦しみ悩む人々に接した。それを釈尊の慈悲と解するのも、また布教とみなすのも、実は必ずしも正しくない、と私は思う。それらの受けとめ方は、すべて信徒や仏弟子から眺めた釈尊像なのであり、釈尊はただひとり、あるいは晩年の25年あまりは、いとこに当たる阿南(あなん―アーナンダ)を伴って、路上にまたは樹下に、ときに仮の精舎(しょうじゃ)に、夜を過ごす旅にあり、信徒から朝のみ一日一回の食を受け、一片の貯えももたず、あらゆる欲望から遠ざかって、みずからの途をみずから思うとおりに、争うことなく、競うことなく、衒(てら)うことなく、激することなく、いわば無(む)に徹しきったまま、安らかに、清(きよ)らかに歩み続けた、と見るのが妥当だろう。