今月の言葉抄 2006年9月

憲法第9条はグローバル・スタンダード

基本的人権の場合は、単に万人が持つ自然権という以上に、世界中の国が(もちろん日本も)それを批准した世界人権宣言による保障がなされている。そのような公式に批准された条約のたぐいの拘束力は、憲法以上に強いと考えられているから、日本の政権がどこか基本的人権を好まない政党の手に渡って、「我が国は今後基本的人権を認めないことにした」というようなことを言いだしたとしても、そんなことは通用しないということである。実際、自民党の改憲論者でも、基本的人権まで手をつけようという人はほとんどいない(少しはいるようだ)。日本がこの人類社会のメンバーの一員として生きていこうとするなら、それ以外の選択はないのである。

実は憲法第9条の1項については、これとほとんど同じような法的位置付けにあるということができる。改憲論者の中には、憲法第9条がさも世界で珍しい、日本独自のものであるかのごとく言う人がいるが、そんなことはない。

憲法第9条1項
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

これは現在の国際社会にあっては、グローバル・スタンダードそのものと言ってよい規定なのである。それを法律で明文化している国はイタリアのように日本以外にもあるし、それ以上に、この規定は、国際連合憲章の第1条(目的)、第2条(原則)と、その内容と実質において同じなのである。

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要するに、日本の憲法というのは、国際連合ができた(1945年6月国連憲章調印、1956年12月日本国発効)直後に、国連憲章の精神を受け継いで作られた(1946年4月改正草案発表、10月貴族院、衆議院で修正可決、成立。11月公布。1947年5月施行)ものであり、憲法第9条は国連憲章の嫡子といっていい存在なのである。だから、その内容がこれほど一致しているのだ。

憲法前文
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

というだりは、憲法第9条をなぜ作ったのかを説明したくだりだが、ここに書かれている「崇高な理想」「平和を愛する諸国民の公正と信義」などの表現が、できたばかりの国連憲章の1条と2条を念頭に置いていることは明白すぎるほど明白である。

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そしてさらに歴史をさかのぼってみると、憲法第9条のもっとも古い先祖を見つけることができる。1928年の「不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)」がそれで、その1条と2条は、憲法第9条と実質的にまったく同じ規定なのである。

念のために不戦条約の第1条と第2条を記しておけば次の通りである。

第一条
締約國ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴粛に宣言ス

第二条
締約國ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス

不戦条約というのは、全部で三条しかなく、三条目は事務手続きに関する条項だから、この一条二条で実質全部といってよい。条約だから、若干ややこしい表現になっているが、要するに、言っていることは単純明快で、国際紛争の解決のために戦争に訴えることは今後一切しないということである。そして、国際紛争はすべて平和的手段によって解決するということである。それが憲法第9条1項と実質同じであることはすぐ見てとれるだろう。

不戦条約は、第一次世界大戦があまりにも恐るべき惨禍をもたらしてしまった反省から、もう二度とそんなことが起こらないようにしようということで、フランスの外務大臣(ブリアン)とアメリカの国務大臣(ケロッグ)の提唱で結ばれた条約(別名ケロッグ・ブリアン条約)だった。

この条約は、当時存在した主要国全部(約60カ国)が賛同して結ばれた国際条約で、もちろん日本もこれに加盟していた。このような条約が1928年に結ばれたというのに、それからわずか11年後の1939年に第二次大戦がはじまってしまった

それで、不戦条約を机上の空論の代表的存在と考える人もいるが、そうとは言いきれない。第二次世界大戦が起きてしまったことで不戦条約は死んだかに見えるがそうではないということである。第二次世界大戦が終わってすぐに、「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い・・・」(国際憲章前文)という目的をもって、国際連合が作られ、その憲章の一条「目的」と二条「原則」が不戦条約の内容をそのまま受け継ぐ内容となったこと自体が、不戦条約が死ななかったことの証明という見方ができる。

また、第二次世界大戦の戦後処理で、ニュールンベルグ裁判と東京裁判の二つの裁判が開かれ、そこで戦争犯罪人に対する訴追が為されたことはよく知られている。この裁判で、両国の戦争をはじめた首謀者連中に問われた最大の訴追理由は、「平和に対する罪」だった。この「平和に対する罪」の主たる構成要件は、実は不戦条約を破って、戦争をはじめたこと自体とされていたのである。つまりあの二つの戦犯裁判は、不戦条約を破りっぱなしでもよい条約という形で終わらせてはならない、という国際社会の強い意思の表明だったともいえるのである。

また法的にいって、不戦条約はいまでも死んでいない(あの条約に期限はなかった)から、あの条約に調印した世界の主要国はいまだにあの条約に道義的に縛られているといえるのである。

1950年の朝鮮戦争から、2003年のイラク戦争まで、戦後世界は熱い戦争が起こり続けだったが、こらはすべて不戦条約違反なのである。

本来なら、不戦条約を結んだすべての国々が、不戦条約後に第二次世界戦争が起こってしまったことを反省して、第二次世界大戦終了後に、国連を作ると同時に、日本が憲法第九条でそうしたように、不戦条約と同じ内容を持つ条項を自国の憲法の中に入れてしまえばよかったのである。そうすれば、それぞれの国で解釈改憲が進んだとしても、ここまでひどいことにならなかったのではないか。

以上憲法第9条1項は、不戦条約が成立した1920年代から、世界のすべての人が、世界がそのようにあってほしいと願った内容をそのまま成文化した条項だということが容易にわかるだろう。これは世界に誇るに足る内容の憲法なのだから、これを捨てるなどということは、考えることすら恥ずかしいと思う。

我々が憲法第9条を堅持しつづけるなら、不戦条約を結びながらそれを守りきれなかった世界の他の国々のほうが恥じ入ることになるのである。世界が不戦条約を捨てたことを恥じる気持ちを失ってしまったら、この世界に未来はなくなる。憲法第9条1項は、そのためにも、断固持ちつづけるべきである。日本の改憲論者も、幸い1項は堅持するという人が多数派である。・・・

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・・・残る第9条2項の問題というのは、基本的に自衛隊に持たせる戦力の問題と交戦権の問題である。

第9条2項の縛りによって、自衛隊は「戦力なき軍隊」としてのみ存在が許されている。どの程度までの武力が自衛隊に持つことが許され、どの程度を越えると、許されなくなるのかというと、これまでの政府統一見解では「近代戦遂行能力」である。では、第9条2項を変えないと、日本は近代戦遂行能力が持てないのかというと、そうではない。近代戦遂行能力を持つ敵が武力侵攻してきたときに、それに対応して防衛しようとしたら、必然的に近代戦にならざるをえない。そういう、防衛的な近代戦遂行能力なら、第9条2項に違反しないと考えられ、事実自衛隊は持っている。自衛隊の持つ軍事力はすでに軍事費からいって世界第三位にランクされるほどのものになっている。

第9条2項に違反すると考えられる防衛力とは、攻撃的防衛力である。攻撃的防衛力とは何かというと、先制攻撃能力である。先制攻撃能力とは何かというと、第二次世界大戦において日本が真珠湾でやったことであり、イラク戦争でアメリカがやったこと(大量破壊兵器があるという思い込みだけでイラクを徹底破壊)である。

要するに、第9条2項を外して先制攻撃能力を持つということは、日本が歯止めなしの戦争能力を持ち、何でもありの戦争をすぐにはじめられる状態に身を置くというに等しいことである。純粋な防衛力(専制守備的自衛力)と攻撃的防衛力(先制攻撃能力)とでは、天と地ほどのちがいがある。後者を持つということは、日本にはほとんどどのような戦争でも起こす力を持たせるということである。安部普三幹事長代理に至っては、最近、日本は核戦力を持つことだって許されているとまで公言している(持つつもりはないと付言しているが)。

(自民党改憲案に異議! 憲法は誰を縛り誰を守るのか)から
『滅びゆく国家』(日経BP社 2006年)立花隆著 

(管理人付記)

憲法第9条2項
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

更新2006年9月24日