今月の言葉抄 2006年9月

憲法第99条は、権力の行き過ぎを規制するもの

5月3日の憲法記念日に、TBSの筑紫哲也さんの「ニュース23」でもう一人のゲスト宮台真司氏とともに、憲法改正をめぐって話し合う企画があった。時間があまりにも足りなかったので(VTR取材テープをはさんで前後二ワク合せて12〜3分だったろうか)、筑紫さんを含めて全員が言い足りなかったことばかりで、それぞれに欲求不満を残した。

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さらに、憲法改正にズバリ賛成か反対かと問われて、一口で言うと私は反対、宮台氏は賛成だが、その内容から言うと、実はそれほど主張するところが離れているわけではない。

ここで番組で言い足りなかったことを中心に、しばらく、憲法についての私の基本的な見解を述べておきたい。

番組は、基本的な構成として、大阪のごく平凡なおばちゃん三人組が、自民党の改憲案ができたという新聞報道を読んだが、改憲案が何をどう変えようとしているのかさっぱりわからないので、それがどういうものか、自分の足で調べて見ましたという形をとっている。

まず地元の自民党政治家のところに「この改憲案て、何ですの?」と話を聞きに行くところからはじまる。しかしそこでも、「何やよくわからん」ので、上京して、自民党中央の改憲案を作った有力政治家たちに話を聞きに行く。しかし、そこでもやっぱりよくわからんので、「これはどういうことですの?」と、こちらにボールを投げてくるという作りになっている。

最初にこちらに投げられたボールの一つが、国民の権利と義務の問題だった。この問題で自民党の改憲案を作った政治家(「国民の権利及び義務に関する小委員会」委員長の船田元氏)の主張が、「いまの憲法は国民の権利ばかり強調していて、義務をないがしろにしているところがあるから、もっと義務をしっかり盛り込む必要がある」ということだった。

自民党改憲案では、具体的には、「国防の責務」とか、「家族等を保護する責務」(家族を良好に維持する、子供を養育する、親を敬う)などを書き込むべきだとしていた。しかし、おばちゃんたちにいわせれば、後者は「なんや昔の修身の教科書みたいなこと」を憲法に入れようとしているようで、憲法とは、そういうものまで入れるものなのか?という疑問を持ったのである。その点、どう考えればいいのか、憲法ってそもそも何なの?というのが最初の質問だった。

これはもちろん、「憲法とは本来、権力者が国民に命令を与えて国民を束縛するためにあるものではなく、国民の側から権力者に命令を与えて、権力者を縛るためにある」という宮台氏の説明が、オーソドックスな憲法学からの正しい解答で、そうであれば当然、国民の義務をもっと盛り込めという議論はナンセンスということになる。歴史的にもマグナ・カルタなど、近代的な憲法の起源とされるものは、みな支配される側から支配者に押しつけた要求として成立している。

しかし、日本では、明治憲法も、民衆の側から権力者に与えた命令として成立したわけではない。神の子孫たる天皇が、臣下の民に特別の恩恵として与えた『欽定憲法』として成立したから、西欧では昔から常識とされてきた、憲法は国民の側から権力者に与える命令(統治行為のルール)という発想を、日本ではいまだに呑み込めない人のほうが多い。だから、自民党の主張する、「国民の権利規定が多すぎるから、もっと義務規定を」という主張を不思議とも何とも思わない人が多いのだ。

西欧文化のコンテックストでは「constitution(憲法)」とは、もともと、規則、規約くらいの意味で、憲法とは、国のあり方のルールブックくらいに考えていい。

しかし、日本では、それが特別のニュアンスでもって語られてしまうのは、聖徳太子の十七条憲法があるからで、これが日本では最初の憲法とされ、憲法の原型と考えられてしまったらである。

聖徳太子の十七条の憲法は、第一条が「和をもって貴しとなす」であり、第六条「悪きを見ては必ず匡せ」、第九条「ことごとに信あれ」、第十四条「嫉み妬むことなかれ」など、ほとんどが道徳的命令みたいなものだから、これを範型にしてしまうと、修身の教科書のようなことをどんどん憲法に入れるべきだということになる。

しかし、実は、明治憲法にすら、そういう要素は入れられていない。

明治憲法は、明治国家が近代国家の体制(法治国家)をととのえるために作った基本法だった。法治国家という体制をととのえないことには、開国以来の大問題であった条約改正(日本は不平等条約で国家主権の一部を失っていた)ができなかったからである。法治国家になる第一歩が憲法を持つことだった。

明治憲法は、日本がもはや、かってのような、君主が自己のほしいままに民を支配する封建的絶対君主制の国ではなくなり、ちゃんとした憲法を持ち、君主といえどもそれにしたがって民を支配する立憲君主制的近代国家になったということを世に(諸外国に)広く示すために作ったものである。それがなければ、国際社会の対等なメンバーとして受け入れてもらえなかったのである。だから聖徳太子の十七条憲法のような近代的な意味では憲法とはいいがたい要素を入れることを避けたのである。

しかし、近代国家の原理をよく理解していなかった当時の為政者たちは、十七条憲法を憲法の原型とする発想から抜けきれず、十七条的な道徳命令なしの憲法に欲求不満を感じた。

当時のエリートの精神形成の根底にあった儒教の伝統的教えに従えば、「政治は最高の道徳」でなければならなかった。いまでも自民党政治の旧世代指導者の中には、すぐこの話を持ち出す人が少なくない。そこで彼らは憲法とは別に教育勅語を作り(軍人勅諭も作り)、そこに道徳的命令を天皇の口頭の命令(勅語)という形にして全部ぶちこんだのである。

戦前の修身の教科書は、難解な教育勅語の内容をやさしくパラフレイズするものだったのだから、大阪のおばちゃんたちの「なんや修身の教科書みたい」という言葉には、なかなか鋭いものがあったのである。言葉を換えて言うと、いまの自民党改憲派政治家たちは、明治時代の権力者ですら避けたことをあえてやりたがっているウルトラ復古主義者だということである。

さて、あの番組の中で、私は、憲法はそもそも、国民に与えられた義務的命令の集合ではなく権力者が守るべき命令の集合だという性格は、憲法第99条にはっきりあらわれているといった。その意味で憲法第9条も大切だが、憲法第99条はそれとならんで大切なのに、それを理解していない人がきわめて多いといった。番組では、99条をキチンと示す余裕がなかったので、ここに示しておくと、それは次のようなものである。

憲法第99条
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」

ここにあるように、「憲法の尊重と擁護の義務」を誰よりも厳しく負わされているのは、「天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員」なのである。すなわち、憲法を守る義務を負わされているのは支配者の側、権力の側に立つ人々なのであって、国民全体ではないのだ。この条項に何よりもよく、憲法が国民の義務規定集として作られたのではなく、為政者の側が守るべき約束集として作られたのだという性格があらわれている。

このことはもちろん、国民が憲法を守らなくてよい、あるいは憲法を守る意識が少し低くてよいということではない。国民に憲法を守る義務があることは、当然のこととして前提とされている。憲法は為政者も国民もすべてが守らなければならないルールブックとしてある。それなのにわざわざ憲法99条に特記することによって、為政者に特に強く、「憲法の尊重義務、擁護義務」があることを想起させているのはなぜか。

それは為政者の側が、自分たちに法律の制定、改定、執行等の特権が与えられていることから、おごり高ぶりが生まれる心配があったからである。彼らが、憲法より自分たちの特権のほうが上位にあると勘ちがいして、憲法を守ることを忘れてしまうだけでなく、自分たちが先頭に立って、それを破壊することすらしかねないと危惧されたからである。・・・

(自民党改憲案に異議! 憲法は誰を縛り誰を守るのか)から
『滅びゆく国家』(日経BP社 2006年)立花隆著 
更新2006年9月24日