今月の言葉抄 2006年6月

「大東亜戦争」という呼称について

最初におことわり申し上げたいことがございます。それは1941年12月8日(ワシントン時間12月7日)、日本と米英蘭三国との間で開始されました戦争の呼び名のことでございます。現在日本の言論報道人の多くは「太平洋戦争」と呼んでおりますが、私は日本の歴史が規定いたしまする通り、これを「大東亜戦争」と呼ぶことにいたしたいのであります。

日本は開戦直後の1941年12月10日、あとで詳説いたしますが、当時は日本国の実質上の最高意思決定機関ともいうべき大本営政府連絡会議において、「今次の対米英戦争及び今後情勢の推移に伴い生起すべき戦争は、支那事変を含めて大東亜戦争と呼称する」ことを決定いたしました。

申すまでもなくこのときまで四年半にわたり(1937年〜1941年)、日本は中国に対する軍事行動を続けてきたのでありますが、この軍事行動を、日本はあえて「事変」と規定し、「支那事変」と呼んでまいりました。それは「戦争」と宣言した場合、主として米国が日本に対する物資の輸出を禁絶するであろうと虞れたからであります。

この大本営政府連絡会議の決定により―決定案文は洗練を欠くものでありますが―「支那事変」という呼称は過去のものとなり、中国に対する軍事行動―1940年11月末日、日本政府は南京ナンキンに位置する汪兆銘おうちょうめい氏の新政権を中国の正統政府として承認しましたので、厳密には重慶じゅうけいに位置する蒋介石しょうかいせき政権に対する軍事行動というべきでありましょう―と米英蘭三国に対する戦争とを、一括して「大東亜戦争」と呼称することになったのであり、1945年8月参戦したソ連との戦争も、「大東亜戦争」に包括されるのであります。

しからば「大東亜戦争」とはいかなる意味合いでありましょうか。それは大東亜新秩序を建設するための戦争であるから「大東亜戦争」と呼ぶというわけのものではないのであります。単に大東亜の地域において戦われる戦争という意味合いに過ぎません。大東亜の地域とは、おおむね、南はビルマ以東、北はバイカル湖以東の東アジアの大陸、並びにおおむね東経180度以西すなわちマーシャル群島以西の西太平洋の海域を指すのであります。インド豪州は含まれておりません。しかるに戦後次のような連合軍総司令官マッカーサー元帥の通達が出されました。「公文書に大東亜戦争、八紘一宇はっこういちうなる用語ないしその他の用語にして、日本語としてその意味の連想が、国家神道、軍国主義、過激なる国家主義等と切りはなし得ざるものは禁ずる」というのであります。爾来日本の政府を始め、民間の言論報道人は、公文書私文書を問わず、「大東亜戦争」という呼び名を使用しなくなり、中にはその呼び名を使うことを嫌悪するものさえ生ずるにいたったのでありまして、占領終結に伴い通達の効力が自然消滅した後におきましても、その慣行が続いているのであります。

しかし「大東亜戦争」という呼び名は、日本においては戦争の間施行された法令条規の随処に使用されており、それ自体おおうべからざる歴史的事実であります。特に私共直接戦争遂行のしょうにあたった者にとっては、格別なじみの深いものでありまして、本席お話を申し上げるにあたりましても、「大東亜戦争」という呼び名を使うことにいたしたいのであります。

(「序章「大東亜戦争」という呼称について」から)
『大東亜戦争の実相』(PHP研究所1998年)瀬島龍三著 

一般に戦後教育を受けたわれわれは、日本の歴史に弱いといわれる。特に明治以降太平洋戦争(この著者は大東亜戦争と呼称するが)までの歴史に疎いといわれる。自分を振り返ってもそう思う。学校では、縄文・弥生時代から始まって、近代に来る頃には、時間がなくてたどり着かなかったような気がする。また学校の先生も、戦争をどうとらえ、どう教えるのか、しっかりした自信がなかったのだろうという気もする。しかし歴史的事実はきちんと学ぶべきであろう。一学期は近・現代から始めたらどうであろうか。そこをしっかりやって古代にもどって教えてはいかがでしょうか。この本は格好の教材です。意見を異にする人も、読んでおくべき本だと思いました。(管理人)

更新2006年6月9日